吉野杉の木桶に仕込まれた醪が並ぶ「角長」の蔵。長年、蔵で生き続けてきた菌は蔵固有のもの。
「菌の形が違い、それによって蔵独自の味が生まれる」という。
醤油
江戸時代の醸造法が今も息づく
醤油発祥の地・湯浅町
日本の食卓で愛用される調味料・醤油は、金山寺味噌の上澄み液から着想を得て、改良を重ねた結果生まれたといわれる。金山寺味噌製造時、桶底に溜まった液体に旨味が多く美味しいことから調味料として利用された。現在の醤油は金山寺味噌をルーツとして誕生したのだ。醤油を製造する技術は鎌倉時代に生み出され、産業として発展。金山寺味噌が伝わった「興国寺」から少し北にあり、交通の要所として栄えていた湯浅町を中心に醤油蔵が増え、全国へ広がった。
➀醤油の材料は、大豆、小麦、麹菌、塩。蒸した大豆と煎って砕いた小麦に麹菌を混ぜ合わせ、4日間かけて麹室で麹菌を繁殖させ、醤油造りが始まる。➁和釜で炊き上げ火入れをすると、醤油にスモークしたような香ばしさが出る。➂壁や天井にはふわふわと層になった「蔵酵母」が見える。木桶で醪が発酵することにより発生する微量のアルコールが立ち上り、瓦も黒く変色する。
1841(天保12)年に創業し、湯浅醤油の老舗である醤油蔵「角長」は、創業から180年以上経った今も当時の蔵を活用し、江戸時代から変わらぬ環境と昔ながらの手法で醸造を続ける。同じ蔵を使い続ける理由は、この蔵に付着している特有の菌を守ることで、「角長」にしか出せない味を貫くため。過去に天井板を張り替えただけで、その下の木桶に仕込んだ醤油の発酵が乱れた経験があり、建て替えや改装をしないことを決めたという。加納恒儀さんは「醤油の味の決め手は、『蔵酵母』と呼ばれる酵母菌です。蔵内に菌が梁や桶に棲みつき、目に見えないですが動き回っているのです」と語る。
「菌は生物で、醤油も生のもの。生と向き合い、蔵を守っていくことが職人の仕事」と加納さん。
蔵に棲みつく菌が味の決め手
目に見えぬ菌とともに、発酵を支える職人の技術
醤油は麹を塩水に浸けて発酵させ、熟成してできる食品だ。菌は麹の発酵を助け、その蔵でのみ造り出せる独自の味を育てる。醤油の熟成は1年半から3年に及ぶ。職人は木桶の中の発酵の進み具合を確認し、2〜3日に一度、木桶の中をかくはん撹拌し、発酵と熟成を進める作業を行う。「菌を支え、“角長の味”に向けて発酵させていきます。判断基準は、味と色、香り。紙のマニュアルはなく、先代の背中を見て覚えた経験と感覚が頼りです」。蔵内の環境は自然任せで空調による温度調整はしない。気温は日々変わり、発酵が早まる時期もある。目に見えない菌と向き合い、麹の発酵を見守り、休まない菌に合わせて職人が自然をサポートする。近年は気候の変動もあり苦労も多いが、味を守るために環境を変えないことが必須だという。職人が「整った」と判断すれば木桶から取り出し、搾り、薪火で炊き上げて仕上げ作業に入る。
圧縮も加熱もしていない商品「濁り醤」。名の由来は、酵母の影響で通常の醤油より濁った色になることから。
江戸時代から変わらぬ醤油を生み出せるのは、「代々の職人がプライドを持って味を守り抜いてきたから。これからも同じように継承した技術で製造を続けていくことが使命です」と加納さん。
「最初の一滴」
醤油醸造の発祥の地
紀州湯浅
2017(平成29)年に登録。醤油の醸造業で栄えた町並みには、重厚な瓦葺の屋根と繊細な格子(こうし)が印象的な町家や、白壁の土蔵が今も建ち並ぶ。和歌山県で唯一「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、国内外から観光客が訪れる。構成文化財には今も現役で使われる醸造関連の施設として「加納家(角長)」が指定。「角長」が運営する「醤油資料館」も文化財の一つだ。長い歴史を持つ醤油醸造発祥の地ならではの散策が楽しめる。