中島 紀生 様

県ボート協会顧問

黒潮国体で炬火ランナーを経験

昭和46年に本県で「黒潮国体」が開催された時、私は清水町立城山中学校の3年生でした。バレーボールの県大会が終わり、高校入試を考え始めたころです。

清水町では競技を開催しなかったのですが、ボート競技に出場する中学校の先輩が学校へ来て全校生徒の前で話をしてくれました。「かっこいいな」と思ったのが桐蔭高校でボート部に入った遠因でもあります。

大会前に炬火リレーというのがあって、希望者ということで手を挙げたら運良くメンバーに選ばれ、燃えさかる炬火をかざしながら二川ダム周辺を走ったことを覚えています。炬火の重さか責任の重さか、とにかくすごく重みがあり、右手から左手へ、左手から右手へと何度も持ち替えながら後ろに続く大会旗を持ったメンバーたちと胸を張って走りました。大会の様子を毎朝、新聞で見ては県勢の活躍振りにわくわくしていました。

今も国体の度にインターネットでその日の結果をチェックしています。県の選手が優勝しているとすごく元気が出ますね。黒潮国体が本県の天皇杯総合優勝で幕を閉じた後、清水町の陸上競技大会があり、2000メートル競走に出ました。あまり練習していなかったのですが、「炬火ランナーが不甲斐ない走りをしてはいけない」と一生懸命走ったら優勝することができました。この年齢になって足腰にガタがきながらも市民ランナーとして走り続けているのも、その時の記憶があるからかも知れません。

国体は県民を元気にしてくれます。また、そうでなければならないと思います。私たちの身近にいる郷土選手が活躍し、それを応援する私たちが熱く燃える。それが和歌山県の活力につながっていくと思います。5年後を楽しみにしています。

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2015紀の国わかやま国体