
今号から3号にわたり熊野古道・紀伊路を紹介します。
次号は【第2弾 有田エリア】です。
わかやまツウ巡り旅
熊野古道
〜紀伊路〜
【第1弾
海草エリア】
熊野古道『紀伊路』とは?
日本の自然崇拝の起源とされ、平安時代より「蘇りの地」として信仰を集めてきた熊野。険しい山道を越えて巡礼の旅を続け、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、那智山青岸渡寺)を参ることで、過去・現在・未来の安寧が得られると信じられてきました。平安時代に上皇や貴族により行われた「熊野詣」は、やがて武士や庶民に至るまで、身分や性別を問わず広がり、あらゆる人々が熊野を目指した様子は「蟻の熊野詣」と称されるほどでした。その熊野詣に利用された道が熊野古道であり、1000年を超える今でも熊野を目指し、国内外から多くの参詣者が足を運んでいます。
熊野古道は、紀伊半島全体にわたって多彩なルートが存在しています。その中でも紀伊路(きいじ)は京都・大阪と田辺を結び、世界遺産の中辺路(なかへち)へと続く、熊野詣のメインルートとなった道です。全長約120kmの参詣道には、由緒ある社寺や万葉集などの和歌にも詠まれた景勝地が点在します。豊かな自然景観にも恵まれ、山と海、街中と田園などの多彩な風景も見どころです。

藤白坂
森の中を続く急峻な坂道。ふもとから一丁ごとに「丁石地蔵」が設置され、私たちを出迎えてくれる。
- 1藤白神社(藤代王子)
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かつて熊野詣の要所として賑わった神社(王子)。平安時代後期に造像された熊野三所権現本地仏坐像が安置される。
- 海南市藤白448
- 2鈴木屋敷
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平安時代に熊野から鈴木一族が移り住み、熊野信仰を広める拠点となった。鈴木姓のルーツとして知られ、全国から鈴木さんが訪れる。
- 藤白神社境内
- 3御所の芝
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江戸時代後期に刊行された『紀伊国名所図会』で「熊野路第一の美景なり」と称された景勝地。和歌の浦の絶景が望める。
- 海南市下津町橘本
- 4福勝寺
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山の中腹に建つ高野山真言宗の古刹。高さ20m・幅30mの「裏見の滝」の周囲は清々しい空気が流れる。
- 海南市下津町橘本1065
- 5橘本神社
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みかんの原種・橘を中国から持ち帰った「田道間守(たぢまもり)」をみかんと菓子の神様として祀る。
- 海南市下津町橘本779
- 6マルサン野田商店
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乾物を中心に地元の産品を使い自社製造したスイーツやセレクト商品を販売する。
- 海南市藤白189-1
和歌山県公式観光サイトでは、紀伊路をはじめ熊野古道の和歌山県主要ルートを紹介しています。全ページがPDFデータでダウンロードできる和歌山県街道マップを掲載しています。
和歌山県公式観光サイトはこちら
人々の生活の道として歩き続けられてきた紀伊路。さまざまな逸話が残され、昔の書物に描かれた絵と変わらぬ景色が今も見られます。「紀伊路第一の難所」と呼ばれる藤白坂は竹林に囲まれ、古道の風情が色濃く残り、神秘的です。
な美景に出会えるでしょう。熊野古道の自然や文化、歴史を全身で感じ心癒してください。
御所の芝(③)は歴代の上皇も休息した場所で、山歩きの疲れを癒す絶景が広がります。上り坂では振り返るとより
海南市語り部の会
会長 向井元治氏