大阪・関西万博 和歌山ゾーン
“和歌山百景”高野山と
熊野の精神性

複合的な立体曼荼羅で構成されている根本大塔内部。
あらゆるものに価値を認め
感性を磨くための聖なる地
なぜ空海は、高野山に修禅の道場を開いたのだろうか?「澄み渡った空、樹々生い茂る山々など、自然が素晴らしかったからだと思います。そもそも密教にとって大切なのは、あらゆるものに価値があると気付くこと。それは、自分以外の人のために役に立ちたいという“利他の心”に達することともいえます。自分の思いや見方を“我執”といいますが、我執を捨て自然と一体化するように“瑜伽(ゆが)”という瞑想を積み重ねると、あらゆるものに目には見えない関係性があると認識します。高野山や熊野は波動がいいためか、感性を磨く場所に適していたのではないでしょうか」と高野山大学副学長の松長潤慶さんは語る。

壇上伽藍にある根本大塔。
現代におけるテクノロジーの分野では、事象を細分化することでその正体に迫る。しかし、細分化により解明できるものが限界に達したとき、東京大学の先生たちがその答えのひとつを高野山に求めにきたという。「それから“マンダラプロジェクト”が始まりました。密教の教えに導くものの一つに“曼荼羅”がありますが、万博では新たに、日本の文化や先端科学を融合した体験型の展示物“利他の蓮華”を東京大学と共同で制作しています。壇上伽藍にある六角経蔵の法輪をイメージさせるように、万博会場で人々がオブジェを協力し回すことで、蓮華がひらく仕組みになっています。これは、人々の参加、参画という行動により新たに何かが生まれることを意味しており、密教の教えである“人は一人で生きているのではない”ということを示唆するものです。万博では、和歌山の精神性を世界に発信できればと思います」。

万博で展示される“利他の蓮華”。実際には直径2m程の大きさのものを高野紙で作り上げ、地域のこどもたちの夢などが描かれた作品になる予定。

田辺市中辺路にある高原熊野神社。実際には伐採を免れたが、熊楠は神社合祀の際、御神木であるクスノキが伐採されることを聞き、大いに悲しんだと言われる。
受け継がれる寛容の精神
千年続く絆を体感したい
「一見するとありふれた山々。それでも奇跡の積み重ねがあって、千年以上もの間“熊野古道”は信仰の道として残ってきました」と語るのは、(一社)田辺市熊野ツーリズムビューロー会長の多田稔子さん。「熊野では、善か悪かといった二者択一ではなく、自然崇拝に根ざした神道や仏教など様々な信仰を取り込み混沌としつつも、多様なものがこれまで共栄してきました。誰でも受け入れる寛容の精神は地域のDNAとして受け継がれているからこそ、今も世界中からたくさんの人々を迎えているのだと思います」。
しかし、現在まで熊野古道が信仰の道として残ってきたのは、受動的な要因だけではない。「使わなければ、すぐ自然に戻ってしまう山道ですが、熊野の人々は長い間、生活道や林道として熊野古道を使い、守り続けてきました。また、世界的な博物学者・南方熊楠は明治の神社合祀政策などに伴う森林伐採に反対し、熊野の自然を喪失の危機から救いました。これまで良い意味で開発されず、恵まれたこの自然を残すことができたのは、いくつもの奇跡が重なり、その時々で守り続けた人々がいたからです」と語る。

継桜王子跡。鳥居の背後にある一方杉は、熊楠が伐採から守った。
長い歴史で培われた文化や想いを次の千年へ繋げる新たな取り組みも始まっている。「熊野に住む人々にとって山々に囲まれていることは日常ですが、こどもの頃は自分事になっていません。地元小中学生を対象にした森林環境学習により、山に対する興味や熊野古道の保全意識に繋がればと期待しています。訪れた際には、この空気感、魅力を体感してもらいたいですね」と語った。熊野古道絵巻行列など、万博での多様な演出にも注目したい。

(一社)田辺市熊野ツーリズムビューローの観光案内所。外国語のガイドブックも多数用意されている。