小宮 清 様

和歌山県体操協会理事長(近畿体操協会理事長)

田中3きょうだいの活躍に期待


黒潮国体、鉄棒で9.45をマークした小宮様の演技

生まれは御坊市。御坊中学校に入ってから体操を始め、御坊商工(現紀央館高校)から日体大へ進み、国体には9回出場しました。昭和37年、大学3年のときに初めて全日本選手権に出場し、団体総合で2位に入賞。翌年には東京五輪代表候補(36人)に選ばれながら、ユニバーシアード、インカレ、全日本と3大会連続で平行棒を失敗しまして、「同じところで何度も失敗するとは、これはもうだめかな」と思い、39年春に大学を卒業すると和歌山へ戻り、星林高校体育科の教師になりました。

練習環境が整っていない和歌山へ戻ることに対し、正直、周囲の目は冷たかったですよ。でも、五輪出場の夢は捨ててはいませんでした。東京オリンピックの最終選考に向け、学校で生徒たちと練習しながら、東京や合宿に通う毎日。残念ながら五輪出場は果たせず、あのときは「和歌山なんかへ戻ったら終わり」などといろいろ言われましたが、「なにくそ! 和歌山からオリンピックに出てやる」という意地だけが自分を支えていました。

前回の黒潮国体のときは30歳でした。和歌山北高で体操を指導しながら現役を続け、星林高時代の教え子と出場しました。当時の新聞には、引退するなどひとこともいっていないのに、年齢的に最後だと思われたんでしょうね。「教え子とともに引退の花道」などと書かれました。鉄棒では9.45、結果はもちろん優勝です。男子体操和歌山チームは翌年の鹿児島国体、さらに次の沖縄特別国体でも頂点に立ち、3連覇を果たしました。

32歳で現役を引退した後は、母校の御坊商工と日高高校で体操を指導し、御坊商工を最後に定年退職後、平成11年から現在まで県体操協会と近畿体操協会の理事長を務めています。和歌山北高出身で史上初の3きょうだいそろっての世界選手権出場を決めた田中和仁、理恵、佑典の3選手の活躍は本当にうれしいかぎり。3人とも小さいころから見てきましたが、まさかここまで伸びてくれるとは思いませんでした。高校時代から注目されていた弟の佑典君に、兄の和仁君が触発され、その2人の活躍を見て理恵さんも「私だって」と奮起したんでしょうね。3人とも本当によく頑張っていると思います。

10月の世界選手権は、ロンドン五輪の選考も兼ねていますので、まずは男女とも日本が団体で五輪に出場できるよう頑張ってもらって、その結果、3人そろっての五輪出場となれば最高。和歌山、全国の子どもたちに夢を与え、世界の大舞台で〝体操ニッポン〟の復活をアピールしてほしいですね。そして4年後の「紀の国わかやま国体」はもちろん、彼らが中心となって体操チームの優勝、和歌山県チームの総合優勝を期待しています。

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2015紀の国わかやま国体