大塚 栄男 様

直川少女バレーボールクラブ監督

紀の国わかやま国体で教え子の活躍を期待

愛媛県生まれの私が高校卒業後、住友金属和歌山製鉄所に就職し和歌山市に来たのが昭和46年3月。ちょうどその年が黒潮国体の開催年だったと聞きましたが、まったく記憶にないのです。初めての街で仕事を覚えるのに一生懸命だったのかもしれません。と言ってもスポーツは大好きで、中学・高校と野球を続け、20歳の時に発足したNW軟式野球連盟のチームでプレーし、結婚してからはソフトボールチームや直川少年野球クラブのコーチもしていました。

ある時、河南体育館であった小学生の娘のバレーボールの試合を見に行ったのですが、涙が出るほどのものすごい感動を受けたことを覚えています。その翌年に直川少女バレーボールクラブの監督をしていた先生が異動となり、私が指導を引き受けることになりました。

バレーボールのことはまったく分からなかったので、バレーボールの参考書を読んだり、練習試合を通して先輩監督に教えを受け、独自で考えながら子ども達を指導してきました。自分が得意だった野球の守備や打撃が、バレーボールのレシーブやサーブに共通するところがあると気付き、自分なりの練習方法を作り上げてきました。

仕事は住金鋼管で3交替の頃で、夜勤明けは試合の後で仮眠したり、夕方の練習のあと出勤したりと大変でしたが、家族の支えやチームの子ども達の勝った時の笑顔を見たくて、私も頑張れたのだと思います。

教え子で全国大会(春高バレー)を経験したのはまだ1人しかいませんが、4年後の紀の国わかやま国体では、このクラブから巣立っていった子ども達が活躍してくれると期待しています。やっぱり1人でも多くの子がずっとバレーを続け、高校生になっても、お母さんになっても、このクラブを訪ねてきてほしいですね。

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2015紀の国わかやま国体