【探訪】有吉佐和子が描いた「有田川」の舞台 有吉佐和子
和 vol.52

【探訪】有吉佐和子が描いた「有田川」の舞台

日本一のみかん作りと水害の脅威
たゆまず流れる川のように強く生きる人々

 和歌山市出身の小説家・有吉佐和子の代表作で“川もの”と呼ばれる紀州三部作の一つ「有田川」。洪水に暮らしを奪われながらも、みかん作りを心の支えに力強く生きていく女性・千代の人生を描いた物語だ。有田市文化協会会長の御前明良さんは「物語はフィクションですが、緻密な取材に基づいており、水害の様子やみかんの栽培、方言など現実に忠実で驚きました」と話す。

水害について語る御前さん

小説の主人公“千代”が、濁流に流されながらも掴まり命拾いしたビャクシンは実際に存在する。「現実の世界でも、水害のたびに流された人を引っ掛けて助けてきた」と語る御前さん。

石積み階段状の畑で実る温州みかん

海風や太陽の光を活かす石積み階段状の畑で育てられる温州みかん。紀州徳川家が奨励したことで、有田地域は温州みかんの一大産地に。有田川は江戸へみかんを運ぶ航路としても利用されていた。世界農業遺産に認定申請中。

 これまで有田川流域の集落は、何度も川の氾濫による大水害に見舞われてきた。記録されている中で特に大きな被害をもたらしたのは、小説のモチーフになった明治22年、そして昭和28年の大水害だ。いずれも多くの死者や行方不明者を出し、何年もの間、人々の生活に甚大な影響を与えた。

昭和28年の水害の様子。豪雨によって有田川の各所が氾濫した。

昭和28年の水害。豪雨によって有田川の各所が氾濫。川上で盛んだった林業の木材が混じった濁流が、人や建物を河口へと押し流した。陸の孤島となった有田川流域は、食糧などの救援物資は空から受ける以外になかったという。(写真提供:有田市教育委員会)

 有田川の豊かな水は、大きな災害をもたらす一方で、多くの人々に恵みをもたらしてきた。その代表的な存在が有田みかんだ。江戸時代、山が多く、平地が少なかったことから、米作りだけでは貧しさから抜け出せなかった農民たちが、望みをかけたのが“みかん”だった。硬い山肌を削り、先人たちが何代にもわたり築き上げた石積み階段園は、現在もみかん作りに活かされている。自然の厳しさと恵みを同時に受ける有田で、先人の思いを受け継ぎながら、過去の災害や復興に学び、人々は千代のように強くたくましく生きている。

得生寺の中将姫会式の様子

物語の要所となる得生寺の中将姫会式。二十五菩薩に扮した子供達が山内を練り歩く。

みかんを皮ごと4分割する“有田むき”

みかんを皮ごと4分割する“有田むき”。作中でもむき方の詳しい描写がある。

有吉佐和子の功績を伝える記念館。有吉邸の内観。

2022年にオープンした有吉佐和子の功績を伝える記念館。東京にあった有吉邸が再現されており、見所は有吉の息遣いが感じられる書斎。実際に使用した机 ・ 椅子などを展示し、仕事場が再現されている。

和歌山市立有吉佐和子記念館
住所/和歌山市伝法橋南ノ丁9
電話/073-488-9880
HPはこちら
有吉佐和子【ありよしさわこ】

1931年、和歌山市生まれ。東京女子大短期大学を卒業後、25歳のときに発表した「地唄」が「文学界」新人賞候補、芥川賞候補となる。その後、和歌山を舞台にした女性の年代記「紀ノ川」「有田川」「日高川」の川三部作、「華岡青洲の妻」など多数の名作を生み出す。1970年代には、認知症の高齢者介護をいち早く取り上げた「恍惚の人」、環境問題にスポットを当てた「複合汚染」などで、社会派のイメージを確立。旺盛な好奇心と理知的な視点、緻密な取材に基づいた作品が魅力。現代の課題にも通じる「非色」等、今また若者を中心に再注目されている。