木村 浩造 様

和歌山市在住

木村 浩造 様 陸上部で活躍した関西学院大時代

 

「もてなしの心」で日本一のおもてなしを

昭和46年に開催された黒潮国体以来、44年ぶりの国体開催に向け、各分野で準備が進められていることと思います。私なりに昔を振り返ると、昭和43年9月に黒潮国体の会場となった紀三井寺競技場のこけら落としとして開催された「関西実業団・学生対抗陸上競技大会」に関西学生代表として出場し、 400mと1600mリレーの両種目で優勝したことが懐かしく思い出されます。当時、私は関西学院大学の3年生で、翌々年春に住友金属工業(株)に入社することになり、和歌山製鉄所に配属されたのも何かの縁かと思います。

住友金属工業(株)では、競技よりも仕事を優先していたので、ほとんど練習らしい練習もしていなかったのですが、大学卒業1年目で肉体的貯金が残っていたようで、昭和45年の近畿陸上競技選手権大会の400m障害で優勝し、実業団代表として出場した「全日本実業団・学生対抗陸上競技大会」の400m障害で出した記録が当時の和歌山県記録となり、その後12年間は県記録として紀三井寺競技場に掲示されていました。小学生になった子どもを連れて競技場に行った際、私の名前を発見しましたが、子供は同姓同名の人だと信じてくれませんでした。体型も変わっていたので仕方がないですね。

黒潮国体では、私の専門種目である400mと400m障害がなく100mでの出場を目指しましたが、残念ながら予選で敗退し、大会には出場できませんでした。もし、私の専門である400mか400m障害があれば大会に出場し、たぶん入賞できていたかと思いますが残念です。

また、国体といえば、昭和40年、関西学院高3年生の時、400mの兵庫県代表として岐阜国体に出場し、決勝で7位となったのも懐かしい思い出です。岐阜国体の宿舎は一般家庭での民泊でしたが、町内を挙げて歓待していただき、その後も家族同様の付き合いが続き、何度も岐阜に行って泊めてもらったりもしました。

紀の国わかやま国体でも宿舎不足が予想されますが、民泊で心温まるもてなしをすることで解消すると思いますし、ホテルよりも家庭的な雰囲気の中で競技に向かう方が望ましいと思います。ハード面の整備や競技での好成績もさることながら、ソフト面を充実し、国体開催を機に全国に和歌山ファンを増やすことが長期的に和歌山のPRにつながると思いますので、「もてなしの心」で日本一のおもてなしを目指して頑張ってもらいたいものです。

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2015紀の国わかやま国体