小椋 誠也 様

シンガーソングライター

全部、野球に教えてもらった

「野球があったから、今の僕があるんだと思います」。紀美野町出身のシンガーソングライター・小椋誠也さん(28)。父親が少年野球の監督だった影響で、小学校入学から高校3年の夏まで野球一筋の毎日を過ごした。「練習はいやでしたけど、とにかく友達と放課後も遊べるのが楽しかった」

大成高校野球部に入ってからは、それまで以上に真剣に取り組むようになった。「この仲間とどこまで上に行けるか、甲子園を目指してやっていこう」と団結し、迎えた3年の夏の大会、大成は初芝橋本と対戦。小椋さんは足の靱帯を切っていたが「どうしても出たい」と医師に無理を言って出場し、「痛みを忘れるくらい試合を楽しんだ」という。負けが決まった瞬間、仲間と流した涙は一生忘れられない。

その試合以降、「完全燃焼した」と野球をやめた小椋さん。それまで野球漬けの毎日だったため、「専門学校に入ってからは、夏休みをどう過ごせばいいか全く分からなかった」と笑う。そこで小椋さんはギターを手に大阪、名古屋、京都と、ストリートライブでカンパを募りながら各地を訪問、それまで野球に向けられていた情熱を今度は音楽にぶつけた。「野球で辛い経験を乗り越えてきたから、一人でお金がなくても、公園で寝るのも苦じゃなかった」。その後、08年にミニアルバム「四つ葉のクローバー」で全国デビュー。野球の経験を生かして県民球団「紀州レンジャーズ」の応援歌を作るなど、今では各方面に活躍の場を広げている。

小椋さんは紀の国わかやま国体の出場選手に向け、「国体の空気感を感じながら、これまでやってきたすべてを出し切り、自分の先につながるような悔いのない試合をしてもらいたい」とエール。「自分は歌でしか伝えられないから、紀の国わかやま国体のテーマソングなんかもぜひ書いてみたいですね。国体を通じて和歌山県全体が盛り上がってほしい」と期待を込める。

 

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2015紀の国わかやま国体