島村 安彦 様

元テニスオールジャパン選手 和歌山市堀止東在住

和歌山でやるからにはいい試合を

国体の前身にあたる戦前の「明治神宮競技大会」に硬式テニスで連続出場。全日本ジュニアテニス選手権、全日本テニス選手権大会にも数回出場し、外国の有名選手とも対戦した経験を持つ。

紀の国わかやま国体を目指す若いテニス選手には、「和歌山でやる限りはいい試合をしてもらいたい。『頑張れ』としか言えないですね」と背筋を伸ばしてにこやかに話す。

和歌山市に生まれ、小学2年から軟式テニスを始めた。5年生の時に試合に初出場し初勝利。旧制和歌山中学では準硬式、硬式に変わり、慶応大学では慶応庭球部に入部した。明治神宮競技大会出場はこの大学時代だったため、実は和歌山県ではなく神奈川県の代表。「成績はベスト16までだったなあ」と振り返る。

当時の慶応庭球部の部員は約100人。全国の中学大会で活躍した人が多く、試合に選手として出られる部員は14、5人しかいなかった。島村さんは1年目は選手になれなかったが、慶応出身でデビスカップに出場した原田武一さんの目に留まり、「基本ができているがフォアハンドの時に上体が開く」というアドバイスを受けた。

島村さんは次の日から、早朝、授業前の1時間、1人でボールドを使った練習を2カ月続けた。そのおかげで上体が開かなくなり、翌年から大きな大会に出してもらえるようになったという。

全日本ジュニアテニス選手権では3回決勝に進み、3回とも左利きの同じ選手にセットオールで負けたこと。なぜか左利きの選手との対戦が多く、次第に慣れて明治神宮競技大会では左利きの選手を破ったこと。昔は5分休憩もタイブレークもなかったため試合が長時間になったことなど思い出は尽きない。

残念なのは、戦後和歌山に帰ってから出場した第1回和歌山県選手権大会。「決勝で明治大学の学生を破り優勝したんですが、記録が残っていないのだそうです。だから県の第1回の記録は空白なんですよ」と苦笑する。

長男の安昭さんは日本テニス協会和歌山県支部の副支部長を務め、2人のお孫さんも1人は選手、1人は趣味でプレーを楽しむというテニス一家。今は医師に止められてプレーできないが、「作戦が分かるから面白い」とテレビ中継などを楽しんでいる。

そして、「テニスは苦しいです。でもテニスをしている子を見ると、いいなあ、もう一度したいなあと思います。頑張ってください」とエールを送る。

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2015紀の国わかやま国体