【探訪】麻酔手術の先駆け・華岡青洲ゆかりの地
“世のため、人のため、地域のため”
生涯をかけて尽くした世界の医聖・青洲の精神
江戸後期の医師・華岡青洲は、現在の紀の川市に生まれ、23歳で医学修得のため京都へ遊学。三国志にも登場する古代中国の名医・華佗が手術に麻酔を使用していたと知り、自ら麻酔薬を作り病に苦しむ人々を救いたいという志を胸に帰郷する。村医者であった父の跡を継いで診療する傍らで麻酔薬の研究に没頭。家族の協力のもと実験を重ね“通仙散”を完成させ、1804年に世界初の全身麻酔による乳がん摘出手術に成功した。
“青洲の里”評議員の谷脇誠さんは、「青洲は医学の分野だけでなく、世のため人のために様々な貢献をしました」と話す。もともとこの地域は水が不足し米作りもままならず、村人たちは困窮。そんな中、青洲は私財を投じて貯水池“垣内池(かいといけ)”を築き、村人の生活を潤した。今なお、近隣の農家はその水を利用して米作りを行っているという。「ため池の整備は、春林軒を支える地域の人々への恩返し。青洲は、人への思いやりを称える父や弘法大師の教えの影響を受け、世の中に尽くしました」と谷脇さん。
診療所・春林軒には数多くの患者が訪れ、さらに最先端の医術を学ぶため、日本中から藩医や町医者らが門下生として押し寄せたという。病に苦しむ多くの患者を救っただけでなく、後進の育成にも力を注ぎ、地域の人や後の時代を生きる人にも手を差し伸べた青洲。その生き方は、現代を生きる私たちにも多くの学びを与えてくれる。
- 華岡青洲【はなおかせいしゅう】
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宝暦10年(1760年)旧暦10月23日。代々医師の家系に育ち、古代中国の伝説的な名医・華佗が麻酔薬を使って手術を行ったという言い伝えを知り、麻酔薬の開発を志す。曼陀羅華(まんだらげ)という植物に着目し、さまざまな調合を繰り返して麻酔薬「通仙散」を開発。それを用いて世界で初めて全身麻酔による乳癌手術を成功させた。欧米で全身麻酔が行われたのは、青洲の手術の成功から約40年後。有吉佐和子による小説「華岡青洲の妻」では、青洲の麻酔薬開発にかける執念と、自ら人体実験に身を捧げ青洲の愛を争う嫁姑の葛藤が描かれている。