県民の友 12月号トップページへ

掲載内容



県政最前線

未来へと紡ぐ、伝統と誇り


和歌山県誕生150

問い合わせ:県庁県民生活課 電話073-441-2598

 明治4年11月22日、和歌山・田辺・新宮の3県統合などにより、現在の和歌山県が誕生して、今年で150年となります。
 これを機に、先人が紡いできた歴史を振り返り、郷土への理解と関心を深めながら、皆で和歌山県の明るい未来を作っていきましょう。

(1)JR和歌山駅から西を望む(昭和46年頃)提供:和歌山市立博物館 (2)紀の国わかやま国体開会式(平成27年)(3)みかん選果作業(昭和初期)提供:有田市教育委員会(4)北山川での筏流し(昭和初期)提供:北山村 (5)海南湯浅道路開通式(昭和59年)

和歌浦の風景写真

「和歌山」の名の由来とされる和歌浦

和歌山県の成り立ち
 関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が若山城に入り紀伊を治めましたが、元和5年(1619年)、紀伊と南伊勢を合わせた55万5千石の紀州藩主として、徳川家康の第10子頼宣が若山城に入城し、紀州藩は徳川御三家として重きをなしていました。このとき安藤・水野両付家老が田辺・新宮に支藩として配され、それぞれ田辺城(3万8千石)と新宮城(3万5千石)を治めていました。
廃藩置県の頃の地図

出典:和歌山県政史 第1巻

 明治2年(1869年)紀州藩は、和歌山藩・田辺藩・新宮藩の3藩に分けられますが、明治4年(1871年)廃藩置県によりそれぞれ藩から県に変わり、同年11月22日に、3つの県と五條県の旧高野山領が統合され今日の和歌山県が誕生しました。
紀伊国・和歌山県の由来
 和銅6年(713年)に、二字の好字(こうじ)を用いて国名をつけるようにとの中央官令があり、この時から「紀伊国」と表記されるようになりました。『日本書紀』ではこれを「きのくに」と訓(よ)み、これは本県がはじめ「木の国」と呼ばれていたことに由来します。
 また、「和歌山」の名の由来ですが、元々、和歌山というのは上代の国府、藩政時代の藩主の居住地であった地の呼び名で、その名の由来については諸説あるうち、昔から和歌浦の名が最も知られていたので和歌山の名ができたという説が有力です。藩政時代には「若山」に統一された時期もありましたが、再び「和歌山」に改められました。
※本文は『和歌山県政史 第1巻』を参考にしています。

和歌山県誕生150年記念式典

和歌山県誕生150年 令和3年11月22日 ロゴマーク
日時
令和4年321日(祝)
場所
和歌山県民文化会館大ホール
式典の様子はウェブでライブ配信もしますので、ぜひご覧ください。また、会場での観覧者募集についても、同サイトなどに掲載する予定です。

記念講演

和歌山の近代
150年を問う
御厨 貴 氏の画像
御厨 貴 氏
わが生地、
わが聖地・熊野
辻原 登 氏の画像
辻原 登 氏

和歌山県文化表彰受賞記念演奏

尺八
辻本 好美 氏の画像
辻󠄀本 好美 氏
ピアノ
中谷 政文 氏の画像
中谷 政文 氏

映像上映:150年の歴史を振り返る「和歌山県のあゆみ」を上映します。

最優秀賞

小学生部門…智辯学園和歌山小学校5年 神埜 佐奈さん
中学生部門…県立向陽中学校2年 岸本 彩乃さん
高校生部門…県立桐蔭高等学校1年 山本 愛奈さん

作文発表:「未来へのメッセージ」をテーマにした最優秀受賞作文を発表します。

物産販売:県民文化会館前の広場でプレミア和歌山推奨品をはじめ、選(よ)りすぐりの県産品を販売します。

問い合わせ:和歌山県誕生150年記念式典事務局
電話073-455-5721(土・日・祝日を除く10:00〜18:00)



▲このページのトップに戻る