8.当地における発掘調査

発見された遺構

 和歌山県教育委員会は、平成22~25年度に根来寺遺跡内の当地で旧県会議事堂移築にともなう発掘調査を実施した。和泉山脈から南に延びる丘陵の頂部は、上部が平坦に削られて遺構は確認できなかったが、西側の斜面部と下段の平坦部、南部では寺院の遺構を検出し、大部分を埋め戻して保存した。
 西側斜面部の上段には、直径約1.2mの大型の石組井戸とそれに接続する暗渠排水溝、溜桝、石垣、道路、階段、集水口、排水溝などがあり、下段の平坦部では、地面を掘りくぼめた半地下式倉庫4棟、通路、石組井戸、溜桝、竈、排水溝などを検出した。これらは、15世紀末から天正13年(1585)に羽柴秀吉の紀州侵攻により焼失するまで存在した根来寺の子院と考えられる。石積み階段を上ると、上段の子院に至るが、通路は井戸の脇からさらに上部に延びていた。上段から下段にかけての排水施設は、集水口を設けたり、暗渠排水溝などでつながり、計画的に配置されていた。
 南部では江戸時代の子院間の境界と考えられる東西方向の土塀の基礎、備前大甕を2個据え付けた半地下式倉庫1棟と排水溝、門の基底部と推定される礎石などを検出した。半地下式倉庫周辺では、焼土や炭などが多量にみられ、秀吉軍侵攻時に焼失したと考えられる。

いこうのへいめんず

出土した遺物

 当地では、中国製磁器、瀬戸美濃焼・備前焼等の陶器、瓦質土器、土師器、瓦類、石製品、金属製品が出土した。そのうち、根来寺遺跡では2例目とな る鯱瓦一対は、建物の屋根の両端に取り付けられていたと推定される。遺物の時期は15世紀末から16世紀の天正期のもので、子院もこの時期に営まれたもの と考えられる。

きたからみたいこうぜんけい いどのしゃしん
A.23年度調査 下段遺構全景(北から)  B.23年度調査 上段石組井戸(北から)

あんきょ  かいだん

C.23年度調査 下段石組暗渠・瓦組暗渠(北から) D.23年度調査 階段遺構(西から)

しゅつどしたしゃちがわら
23年度調査出土 鯱瓦

どべい げだんのいこう
25年度調査 南端部土塀(北東から)   25年度調査 南西部下段遺構全景(北から)

ちゅうごくせいのわん ごりんとう
25年度調査出土 中国製染付碗    25年度調査出土 五輪塔風輪