2.旧県会議事堂の歴史

県議会のはじまり

 和歌山県会は明治12年(1879)5月5日、第1回通常会を開会した。初代議長は濱口儀兵衛(梧陵)であった。当時は議事堂がなく和歌山師範学校講堂で行われ、 その後、六番丁の元集産場跡地の建物を転用していた。

大正9年旧県会議事堂前の濱口梧陵銅像除幕式の様子

大正9年 濱口梧陵銅像の竣工式会場となった議事堂(広川町教育委員会蔵)

県会議事堂の新築

 県会議事堂は、明治31年(1898)に和歌山市一番丁の敷地に新築された。周囲は庭園があり、多くの松が植えられていた。当時2万8千円をかけ、明治30年11月に棟上げ、同31年春に完成した。棟札より、棟梁は三宅新右衛門、三宅重之助であったことが知られる。
 議事堂は議場としてのみならず、講演会場や選挙会場にも使われ、明治44年(1911)には夏目漱石が「現代日本の開化」と題して講演したこともあった。
 この頃の県庁は西汀丁にあって、議場は和歌山城を挟んだ一番丁にあった。

昭和12年の議会の様子

議会の様子(『社会画報』昭和13年1月号)
 

移転の経緯

 昭和13年(1938)に議場を備えた現県庁舎が新築された。県会議事堂はその役目を終え、昭和16年(1941)に保証責任和歌山県信用購買販売利用組合連合会(現JAグループ和歌山)に売却され、和歌山市美園町で事務所として用いられた。その後、事務所の建て替えにより、昭和37年(1962)に根来寺境内に移築され、根来寺の山号「一乗山」にちなんで「一乗閣」と名付けられた。大客殿として使われたほか、集会や合宿にも活用され、地元の人々に親しまれた。

移転経過の地図

県会議事堂の移築変遷図

連合会事務所時代の写真

連合会事務所時代(『20年のあゆみ』和歌山県農業協同組合中央会)

一乗閣時代の写真

一乗閣時代