スポーツ偉人伝 早田卓次


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体操競技 競技者
1940(昭和15年)生
早田 卓次
( はやた たくじ )
 
 田辺市で生まれ、中学校(明洋中)から体操競技を始めた。中学校3年生の県中学校大会で個人総合優勝し、高校(田辺高校)に入学して、昭和32年、33年と2年連続して県高校選手権で個人総合優勝、3年生の近畿大会で個人総合優勝、第13回富山国体では個人総合2位、平行棒第1位という成績を上げた。昭和34年に日本大学に入学して遠藤幸雄先生のもとに恵まれた環境で思い切りトレーニングに打ち込み、途中アキレス腱断裂という不運もあったがよくカムバックし、昭和37年の全日本学生選手権大会で個人優勝を果たし、日本のトップ選手に成長した。昭和38年にはポートアレグロでのユニバーシアード大会に出場し、個人総合第3位入賞、翌昭和39年の東京オリンピックには堂々の日本代表選手となり、日本チーム団体総合優勝の原動力となった。また、個人ではつり輪で金メダルを獲得して大活躍した。昭和39年の全日本選手権大会では個人総合第3位、つり輪第1位、また、昭和43年のオリンピックメキシコ大会にも日本代表選手として参加、昭和45年の世界選手権大会では個人総合第7位、鉄棒第3位入賞し、数多くの国際大会に出場して体操日本の真価を発揮した。当時、体操界では“並はずれて、スケールの大きい、包容力がある”人物であるといわれていた。昭和46年現役を退き、日本大学に勤務しながら後進の指導にあたり、日本体操協会の主要役職に就き、国際大会のコーチ、チームリーダー、団長として活躍し、日本の体操競技の振興に尽力した。平成14年には紫綬褒章を授賞している。

                                
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