スポーツ偉人伝 野見典展


野見典展の写真

()()氏名  野見 典展(のみ のりひろ)

()生年  1937年(昭和12年)生

区分  競技者

 昭和12年、石川県七尾市に生まれる。七尾実業高校(現:七尾東雲高校)から本格的に相撲を始め、学生相撲界屈指の名門日本大学に進学する。アマチュア相撲界では小柄な類に入る野見であったが、団体戦の主軸として幾度も日本大学を全国優勝に導いた。しかし個人戦では常に上位に入るものの優勝にはあと一歩届かなかった。昭和37年に和歌山県庁入りした後、猛稽古で鍛えた持ち前のスピード相撲が一気に開花。団体戦、個人戦ともにアマチュア相撲のタイトルを総なめにし、「和歌山に野見あり」とアマチュア相撲界をはじめ大相撲界からも注目される選手となる。競技実績のハイライトは、なんといっても昭和40年から昭和42年までの天皇賜杯全日本相撲選手権大会での三連覇に尽きる。いずれも相手の懐に潜る低い立ち合いからの左差し速攻という得意の形で強豪を破り栄冠を勝ち獲った。この前人未踏の記録は今日まで破られていない。現役を退くまで獲得した個人総タイトル数は23を数え、その名を相撲界に深く刻み込んだ。その後、昭和48年に現役生活から引退。現役選手時代からも職場では「県民の公僕として仕事が第一。」をモットーにし、相撲道で培った強靱な精神力で的確に職務を遂行、秘書課長、農林水産部長、知事公室長などを歴任した。さらに、和歌山県相撲連盟の理事長、会長等も務め、後進の指導及び育成、組織力強化、運営等に積極的に取り組み、その重責を全うし、平成10年県庁を退職。これまでに読売日本スポーツ賞、文部科学大臣賞等の受賞をはじめ、さらに平成16年は、そうした相撲の普及、振興に対する大きな貢献が認められ、日本武道功労賞を受賞。日本実業団相撲連盟の会長など、アマチュア相撲界発展と和歌山県の指導者・競技者育成に努められた。