第13回和歌山県人権施策推進審議会議事録

第13回和歌山県人権施策推進審議会議事録

第13回和歌山県人権施策推進審議会
日 時 平成15年10月29日(木曜日) 13時~15時半
場 所 和歌山市 アバローム紀の国
議 題

(1)人権施策基本方針総論について
(2)その他

出席委員

稲垣委員 大畠委員 橘委員 谷口委員 月山委員 都村委員 中川委員
中谷委員 村田恭委員 柳瀬委員 吉澤委員

配布資料

(1)『和歌山県人権施策基本方針総論(案)』

内 容

委 員

ただ今から、第13回和歌山県人権施策推進審議会を開催させて頂きます。どうぞよろしくお願いいたします。

今日は、小委員会で検討した基本方針の総論部分についてのご審議ということでございます。小委員会の審議が非常に遅れておりまして、全体のごく一部しか今日は上程できませんけれども、ご審議の程、よろしくお願いいたします。最初に事務局からご説明をお願いします。

事務局

資料を事前に送付できなかったことにつきまして、大変お詫び申し上げます。

それでは、資料1について説明させて頂きます。これは、基本方針の骨子でございます。基本方針は、第1章から第4章までで構成されており、第1章は、「基本的な考え方」について、示してございます。本日、ご審議を願うのは、この第1章の部分でございます。

また、第2章としましては、「人権施策の推進方向」を考えてございます。これについては、次の審議会に提示したいと思います。

それから、第3章につきましては、分科会等でご審議を頂きました各論が、各分野別の人権ということで入って参ります。そこで、以前に、公権力と環境と情報については、全体にまたがることであり、総論で記述してはどうかというご意見がございました。このことについて、小委員会等で検討した結果、各分野別の人権の前段部分へこれを持ってきてはどうかというご意見を頂きました。現在、検討の途中でございますが、次回には、このことについても、ご審議をお願い頂くことになるかと思います。

それから、第4章につきましては、「人権施策の推進にあたって」ということで、後のフォローアップを考える、そういう意味で情報の収集と提供、あるいは施策の進行管理と評価、時間が進むにつれて見直しをしなくてはならない時点が起きるであろうというようなことを第4章に入れたいと考えております。全体の骨子は、このようでございます。

次に、資料2についてですが、先程言いました基本方針の第1章の部分でございます。これは、後程、事務局で朗読いたします。朗読をもって、説明に代えさせて頂きたいと思います。

また、資料2-1については、資料2の最初、第1章の1に「基本方針策定の背景」とございますが、その部分についての別案でございます。どちらの案が良いかについて、ご検討頂ければと思っております。

また、資料3につきましては、滋賀県、三重県、島根県等との対比ということの参考資料です。

それでは、事務局から総論の部分について、朗読いたしたいと思います。

第1章 基本的考え方

1 基本方針策定の背景

豊かな緑は豊かな水と良い土を生み、良い土は緑を生み、植物を育て、水を畜えます。そして豊かな水は万物の母であり、下流をうるおし、海に流れ入って多様な海の幸を育みます。

この豊かな自然の恵みは温和な人々を育て、その人々が心優しく、命の尊さと人間の誇りを大切にし、自然を愛しつつ、共に生きる社会をつくる心を育みます。

「和歌山県人権尊重の社会づくり条例」(以下「条例」という。)に謳われている「自然と人間との共生」とは、そこに住む人々が自然の恵みを享受し、その大きい自然の下で、思いを一つにして共に生きることを意味しています。

和歌山県では、そのような豊かな社会の実現を目指しています。

(1)国際的動向

20世紀において、人類は二度にわたる世界的な規模の戦争を経験し、世界各地で多くの犠牲者を出す結果となりました。このことへの反省を込め、昭和23年 (1948年)、人権の確立を通じて平和な社会を築くため、「世界人権宣言」が採択されました。

この世界人権宣言は、国際的な人権保障の理念と基準を示し、すべての人が世界中、誰でも、いつでも、どこでも等しく人権が保障されなければならないことを、歴史上初めて公的に明らかにしたという点において、画期的な意義を持っています。

その後、国連では、この世界人権宣言をより具体化し、各国の実施を義務づけるための基本的、包括的な条約としての「国際人権規約」や「人種差別撤廃条約」、「女子差別撤廃条約」「児童の権利条約」などを採択するとともに、「国際人権年」や「国際婦人年」「国際児童年」「国際障害者年」などを通して、各国に人権確立への取組を呼びかけてきました。

こうした取組にも関わらず、東西冷戦構造の崩壊後も期待された世界平和は訪れず、むしろ人種、民族、宗教の違いなどから生じる対立が表面化し、地域紛争が多発し、貧困・飢餓・難民など世界の各地で深刻な人権侵害をもたらすなど、世界人権宣言の精神が薄らいできました。

このような厳しい国際社会の諸問題を受けて、平成6年(1994 年)、国連では平成7年(1995年)から10年間を「人権教育のための国連10年」と定め、すべての政府に人権教育に積極的に取り組むよう行動計画を示し、人権教育を通じて人権文化を世界に築くための取組を展開してきています。

ところが、その取組が半ばを過ぎても状況は好転せず、2001 年のアメリカでの同時多発テロを発端とするテロ行為が世界各地で起き、更には、それに対する防衛・排除が戦争という形で行われ、多くの痛ましい犠牲者を出しています。

「平和のないところに人権は存在し得ない。」「人権のないところに平和は存在し得ない。」という大きな教訓を得た国際社会ですが、今、再び「人権の尊重が平和の基礎である。」という世界の共通の認識が問い直されつつあります。このような中で「人権の世紀」といわれる21世紀が開幕しました。

(2)国内の動向

戦後、昭和21年(1946年)に我が国は、「国民主権」「平和主義」そして「基本的人権」を理念とする日本国憲法を公布し、その後も、教育基本法や障害者基本法等の各種法律を制定することによって、基本的人権の保障が実行に移されてきました。

昭和31年(1956年)には国連に加入して国際社会の仲間入りを果たし、「国際人権規約」の批准をはじめ「女子差別撤廃条約」、「児童の権利条約」などを批准するとともに、国連が提唱する「国際婦人年」や「国際障害者年」など各種国際年について積極的な取組を行うなど国際的人権保障の潮流に沿う方向で人権施策の充実・普及が図られてきました。

また、我が国では、世界の各国にその例を見ない部落差別という深刻で重大な人権侵害について、この問題の解決こそが真に人権に目覚めさせ、これを確立する基になると考え、長い年月にわたる努力が積み重ねてこられました。特に、昭和40年(1965年)の同和対策審議会答申に始まる同和行政及び同和教育は、過去の運動の歴史と相まって、我が国における人権確立への歩みの中で大変重要な役割を果たし、この同和問題解決に向けての取組があらゆる差別の撤廃、人権問題の解決へと人々の心を促してきたと言えます。

そして、実態的差別がほぼ解消されたとして特別対策事業の終了を迎える中で、平成8年5月、地域改善対策協議会意見具申では、国際的な潮流となっていた「人権教育のための国連10年」の施策の中で残された同和問題を解決すべきものと位置づけ、発展的に人権施策に再構築すべきとの方向を示し、この流れに則って「人権擁護施策推進法」の制定や「人権教育のための国連10年」国内行動計画の策定、そしてその推進へとつながりました。

国においては、人権擁護推進審議会からの「人権尊重の理念に関する国民相互の理解を深めるための教育及び啓発に関する施策の総合的な推進に関する基本的事項について」の答申を受け、平成12年(2000年) 12月には「人権教育及び人権啓発推進に関する法律」を制定しており、今後は、「人権が侵害された場合における被害者の救済に関する施策の充実に関する基本的事項」の答申を受けた、新たな人権救済制度の創設を内容とする「人権擁護法」の制定が待たれているところです。

このほかにも、「高齢社会対策基本法」や「男女共同参画基本法」、「児童虐待の防止等に関する法律」、「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」の制定などにより、新世紀を人権の世紀にふさわしいものとするための様々な取組が積極的に進められています。

(3)本県のこれまでの取組

昭和40年(1965年)に出された「同和対策審議会答申」の前文には、「いうまでもなく同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。」と明記されています。

本県においても、人権尊重の社会づくりに向けて先導的役割を果たしてきたのは、この同和問題解決への取組でした。戦後いち早く昭和22年(1947年)同和教育が「責善教育」(「善をすすめる」との意味)という新しい名の下に再出発し、さらに、昭和23年(1948年)には国に先駆けて地方改善事業補助制度を創設、基本的人権の尊重と同和問題の一日も早い解決を目指し、各種の同和対策を積極的に推進してきました。特に、昭和44年(1969年)に施行された「同和対策事業特別措置法」以来、同和問題の解決を県政の重要課題と位置づけての、総合的・計画的な同和対策の推進とともに、同和問題の解決への指導と実践活動を行う推進機関として昭和31年(1956 年)に設置した「和歌山県同和委員会」が提唱した、「県民みんなの同和運動」の展開により、教育や産業・就労面での課題は残されたものの、実態的差別と心理的差別の解消に多大の成果をおさめました。

国内外に人権尊重の機運が高まる中、平成8年の「地域改善対策協議会意見具申」以後は、同和問題の解決に向けて積み上げてきた成果を基盤として、「人権教育のための国連10年」和歌山県行動計画として再構築され、従来よりその範囲を広げながら、その内容に即した形の新しい取組がなされています。

また、女性や子ども、高齢者、障害者、外国人等の人権問題については、個別分野ごとに計画やプランを策定するなど、それぞれの課題解決のため計画的に各種施策に取り組んできました。

しかしながら、今なお、様々な偏見から生じる差別や、児童等に対する虐待などの人権侵害が跡を絶たず、また、国際化、少子・高齢化、技術革新など社会環境の急速な変化を背景に、従来の知る権利とプライバシーをめぐる問題やインターネット等による人権侵害など、新たな人権問題も多発し、問題は多様化・複雑化の道をたどっています。

また、物の豊かさや生活の利便性・効率性を追求する生活様式が、生活環境や自然環境の破壊を急速に進め、一人ひとりの生存権を脅かす地球的な規模の人権問題ともなっています。かけがいのない地球の環境を次世代に引き継ぐためにも、人権の視点から環境を捉えた取組も求められています。

このような社会状況の中、本県では、同和問題に関する特別措置法の終了という大きな転換期にあたって、これまで積み上げられてきた成果を生かし、すべての人の基本的人権が尊重される社会をつくるため本県の人権行政のよりどころとなる「和歌山県人権尊重の社会づくり条例」を平成14年(2002年)4月1日に施行し、新しい時代の和歌山県の姿勢を県民に示すとともに、人権文化創造のための情報発信基地として和歌山県人権啓発センターを設置しました。

条例では、自然に抱かれ、お互いの人権を尊重し合う豊かな社会をつくるための県と県民の責務を明らかにするとともに、県が行う人権施策の総合的な推進を図るための基本となる方針(以下「基本方針」という。)を策定すること、そしてこの基本方針を策定するにあたっては、あらかじめ和歌山県人権施策推進審議会(以下「審議会」という。)の意見を聴くことも定めています。

本県では、この条例に基づき、平成14年8月に審議会を設置して、県と審議会との共同作業により基本方針案を作成し、県民の参加も得て、この基本方針を策定しました。

2 基本方針の位置づけ

この基本方針は、人権に関して県が果たすべき役割と責務を基本理念に明記し、職員一人ひとりが人権尊重の視点に立って基本理念の実現を目指した施策を総合的・計画的に推進するための目標とするとともに、各種施策の基本的方向を示しています。

県が策定している既存の各種計画に基づき施策を行う場合、または今後新たに各種計画を策定したり、既存の施策の見直しを行う際には、この基本方針の趣旨を尊重し、整合性を図るものとします。

市町村に対しては、この基本方針の趣旨に沿いつつ、地域の特性に応じた幅広い各種施策を行うことを期待します。

また、県民や企業、民間団体等に対しては、県民一人ひとりが主権者として、人権尊重の精神を基本とした生活や活動などに自主的に取り組むことを期待します。

この基本方針においては、人権の共通・普遍性を明らかにするとともに、分野別施策の章では人権問題が持つ個別の性質を認識し、行政施策推進のための基本的態度を示しています。

この基本方針は、「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」の趣旨に積極的に対応するものであり、平成16年(2004年)に終了する「人権教育のための国連10年」運動とそれに基づく「和歌山県行動計画」を受け継ぐものとします。

3 人権施策の基本理念

人権とは、人間が個人として生まれながらにもっている生命・自由及び幸福追求に関する権利であり、国家や他の人によって奪うことのできない権利です。

条例の前文に掲げた、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」との世界人権宣言の理念は人類普遍の原理であり、この理念のもとに条例では、県民の総意として、すべての人の人権が尊重される社会づくりを推進することは県民一人ひとりの責務であり、そのために不断の努力を傾注することを宣言しています。

条例が拠りどころとしている他の1つは日本国憲法の第11 条、第13条並びに第97条です。第11条は、基本的人権を、侵すことのできない永久の権利として、「現在及び未来の国民に与えられる」と規定し、さらに第97条でも同様に定められています。そして第13条で、この人権不可侵の原則を国家権力との関係で、あらためて具体化しています。また、同条後段では、生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利について、最大の尊重を必要とすると定めています。条例では、この個人の権利を基本として、これを侵害する行為をなくすことに留意します。

また、県民一人ひとりが社会の構成員として、常に他者の人権の尊重を念頭において自らの人権を行使すべきとの責任を明確に示しています。

本県が推進する人権施策の基本理念は、この前文に掲げる「現在及び将来の県民が、人権という普遍的な文化が根付いた平和で明るい社会の豊かさを等しく享受できる」和歌山県をつくることです。

すべての人が人権尊重の精神を当然のこととして身につけ、共通の行動基準として日常生活の中で実践することができる社会が、「人権という普遍的な文化が根付いた社会」であり、また、このような生き方を可能にする社会的な環境や条件を整備することによって、県民一人ひとりの人権が尊重され、お互いが共存できる「平和な社会」、「明るい社会」の豊かさを手にすることができます。

このような認識のもと、本県では目標とする社会像を

誰もが他人を害することなく、自由で自立した生活のできる社会

公平な機会が保障され、誰もが個性や能力を生かして自己実現を図れる社会

多様性を認め合い、誰もが共に生きる社会

と掲げ、人権に関する教育・啓発、差別解消のための諸事業など、様々な分野における人権施策を体系的、総合的に推進します。

別 案

第1章 基本的考え方

1 基本方針策定の背景

和歌山県には、「空青し、山青し、海青し/日はかがやかに/南国の五月晴れこそゆたかなれ」と佐藤春夫が謳った、豊かですばらしい自然があります。

人々は、自然を愛し、自然と共生する日々の生活の中で、お互いを尊重し、協力しあいながら、すばらしい文化を育んできました。そして、私たちはこれまで、先人達が残してきたすばらしい自然やすぐれた文化の恩恵を受けてきました。

しかし、近代化や効率中心の生活は、自然と人間との関わり合いを弱め、また近年の少子高齢化や過疎化に伴う核家族化などにより、人間関係の希薄化も懸念されています。

さらに、国内外の人権意識の高まりとともに、新たな人権問題も県民の重大な関心事となってきています。

こうしたことから、本県においては、自然と共生しながら、現在及び将来の県民が、「人権という普遍的な文化が根付いた平和で明るい社会の豊かさを等しく享受できる社会」を築くことが、県民及び県政の重要な課題となっています。

委 員

ありがとうございました。本日、皆様にご審議を賜るのは、以上のところまでです。事前に各委員にお渡しできればより良かったのですが、非常に恐縮ですけれども、朗読させて頂いた範囲内で、お気づきのことがございましたら、お聞かせ賜りたいと思います。

なお、基本方針の第2章以下のことにつきましては、次の審議会で委員方のご意見を頂戴したいと思いますので、本日は、第1章につきまして、ご意見なりご質問がございましたら、おっしゃって頂きたいと思います。

委 員

基本方針策定の背景の最初のところに、共生という言葉が出てきているのですが、こういう形で、単に優しく、それでお互い尊重して、いきなり共生だというのは、平板な感じがします。

例えば、差別する人と差別を受ける人が共に生きようと言っても、実際には生きられない。実際問題として共生できない。差別をした人は深刻に反省をして、人権の本質をわきまえて、そして、そういう時点で自己を点検して、自分の間違いを自己批判するなり、そのような思い上がった態度を捨てて、共に生きようということにならなければ、共生にはならない。ここは、人間と自然との共生が、基本のモチーフになっていると思うのですが、私が問題としているのは、人間が、そのおごり高ぶった姿勢をやめないことには、共生などあり得ないということです。そうでないと、いくら口で自然と共生と言ったとしてもだめです。

また、我々は、動物を殺して食べています、間接的には、人が殺したものを食べていますが、我々が生存するためには他の生物の命を奪い、それを食べないと生存できないことをどう認識するかという問題を外れて、共生なんて簡単に口にするべきではないと思うのです。そういう人間の傲慢さに対する反省という問題は、やはりどこかに書き込まないと、共生という言葉は使うべきではありません。

それから、ヨーロッパには、ヒューマニズムという言葉があります。それは、ヒューマン主義、ヒューマンというのは人間のことで、ある意味では、人間の権利というものを高らかに謳った思想ですが、やはり、人間を中心にしており、自然に対して少し傲慢なところがあります。聖書には、神が人間をつくり、人間はそれぞれの中で一番偉いということを書いています。だから、そういう点から見て、我々の人権という考え方は、西洋のヒューマニズムから来ていると思うのですが、それをはっきり見極めて、一定の批判的立場を確立しないかぎりは、私は、共生などと言えないと思います。

日本には、仏教、神道もそうだと思うのですが、人間と自然の一体化という思想もあるわけです。仏教で、動物も植物も一つの生命として見ているということが、どこまで本当かどうか分かりませんが、少なくとも文書の上では、そういうことになっています。共生という問題は、一つはそういうことを感じます。

それから、2枚目の一番下から2行目と1行目に、「世界の各国にその例を見ない部落差別という深刻で重大な人権侵害」とありますが、世界の各国にその例を見ないことはないです。

例えば、インドのカースト制度は、非常に同和問題と似ています。そういう形で、日本の同和問題は特殊であるという捉え方をすることは、逆に人権問題という共通性を、ある意味では見失う可能性もあるわけです。同和問題は、人権問題だと言葉では言うが、日本だけの特殊な問題だという認識は、どう克服するのか。

例えば、同対審答申自体は、あの当時の世界的な流れに則り、出てきています。1960年代に、アフリカのアパルトヘイトとアメリカの公民権運動、これは非常に大きな人権運動ですが、その流れの中で日本の同対審答申が、出てきているのです。日本の同和問題は、非常に厳しいから特別措置法をつくって克服しましょうと、これは世界の流れと一緒です。だから、日本の同和問題は特殊だということには、賛成できません。

後は4枚目の真ん中辺りに、「実態的差別と心理的差別」とありますが、今だにこういう表現を使っているようでは、認識が劣っているのではないかという気がします。同対審答申の実態的な差別というのは、つまり、同和地区の非常に劣悪な生活状況が、差別の元凶だという捉え方なのです。これも朝田委員長という解放同盟委員長の理論です。同対審は、大体あの人の理論に則り書かれた気がするのですが、そういうことはともかく、同和地区の劣悪な生活を解消すれば差別がなくなるという考え方です。その場合、いわゆる実態的差別については克服されてきましたが、心理的差別という問題については、ほとんどなされていない。むしろ、差別意識とか社会的意識としての差別とかになっている。こういう分類をするから、同対審以降、それに則った各都道府県も含めて、差別意識の分析が非常に弱い。ほとんど、分析がないのではないかと思うぐらいです。単なる心理差別であり、これは少しは解消したけれども、まだ多く残っているということになる。そもそも心理差別とは何かというのが残っている。そのことを、もう少し突き詰めて、このことをはっきりしないと、いろいろな問題がはっきりしないという点があります。安易に、実態的差別と心理的差別という問題を使うべきではない。そういうことと、これは多分、望んでも無理だと思いますが、同対審自体の思想の根元は、一定の限界を持っているわけです。そのことをどう克服するかが、今後の例えば、県なりの人権問題研究の一つのステップだと思います。その点については、極めて問題意識が弱いと考えます。今、聞いただけでは良く分かりませんが、もう少し詳しく点検すれば、いろいろと問題があると思います。

もっと総論的に言いますと、人権の問題では、その根元、直接の基礎は、世界人権宣言と日本国憲法です。世界人権宣言では、人間の尊厳を一番の基礎においています。人間の尊厳を基礎において、人権があるという構成です。そして、世界人権宣言では、そういう人権全容を明らかにするとともに、人権侵害の克服に対する総合戦略として、一つは差別の禁止があります。必要であれば、法的措置を持つという形の差別の禁止です。差別の禁止という問題は、差別を法律で禁止すれば解決するという単純なものではない。しかし、国家の意思において、また社会の意思において、差別は認めがたいものだと明確にすることができるということです。やはり、救済の時に、例えば弁護士さんは良く分かると思いますが、そういうことを明確に国の法律で謳うと救済の時の非常に大きな根拠となります。だから、差別の禁止について法的にどう表現するのかは別として、そういう問題と、社会で認めがたいということを明確にすることです。それから、やはり救済です。救済の大前提は、教育・啓発となります。だから、教育・啓発は非常に大事で基本だと思いますが、それを支えるものとしての差別禁止的な措置と人権侵害の被害の救済とを総合的に捉えていく必要があります。そういう問題を捉えずに、人権施策といっても、非常に中途半端なものとなります。今までは、あまりにも教育と啓発が強調されすぎて、それ以外は極めて希薄だと思うのです。その点をこの機会に克服すればいいのではないかということが、総論的な批判の基礎です。

委 員 ありがとうございました。共生ということを前提として違いを認め合いながら、それを克服するということ。そのことについて、どの程度まで基本的な考えの中で、表現するかということについて、いろいろ検討して頂いたところでございます。
委 員 世界人権宣言を読まれたら、これは明確に示されています。世界人権宣言と日本国憲法に則って、それを明確にすれば良いと思うのです。日本国憲法の11条それから13条、90条なりを引用されておりますから、問題ないです。人権は侵しがたい永久の権利であると日本国憲法で謳っている。世界人権宣言は、人間の尊厳に基づいた人権と、差別を総合的に解決するために差別の何らかの形の禁止と救済を謳っています。1条から8条の基本文において、そういうことを言っているわけです。この2つに則って、書き換えれば、良くなると思います。
委 員 なお、検討は続けていくようにしたい。先程、委員がおっしゃられた、実態的差別と心理的差別についてのお考えは、表現方法のことだけなのか。それとも心理的差別についての意識の問題なのかを、もう少しご説明願います。
委 員 実態的差別という捉え方は、恐らく同和地区の劣悪な生活、生活状況を捉えて、これを克服すればいいという意味で言っていると思いますが、心理的差別ということは、あまり見ないのです。同対審答申の文章に出てくるけれども、一般的には、心理的差別ということは言わないわけです。むしろ、別の言い方をするならば、差別意識ではないでしょうか。つまり、例えば人種差別撤廃条約なら、一定の異種集団に対する、いわゆる区別、差別、制限、排除といっています。その根底に忌避意識、相手をおしのけようとすること、避けようとすること、追放しようとすること、そういう忌避意識があることを述べているわけです。そういう差別意識の分析を明確にしないと、例えば同和問題でも、結婚差別や就職差別などは解決しないと思うのです。それから土地問題についても、部落に対する一種の忌避意識です。部落に対する差別意識の分析をもう少しはっきりとしなければ、やはり具合が悪い。現状分析は、全て心理的差別がまだ残っているという形で残しているわけです。
委 員 それから、教育と救済についてのご意見がありました。いずれ、総論部分で教育と救済等についても行っていかなくてはならない問題であり、後でも出てくると思いますが、他に各委員でご意見等お聞かせ頂きたいと思います。
委 員 どちらにするかは審議するとして、資料2の1の別案の中に、「少子高齢化や過疎化に伴う核家族」とありますが、核家族化はなぜかと考えた時に、過疎化に伴うということと並べて良いものでしょうか。
委 員 そのところは検討を要しますが、まず第一に基本方針策定の背景について、文学的表現の方が入りやすいと言えば入りやすいのですが、この点について最初の案と資料2の1のどちらが良いかを、事務局は諮って頂きたいということですが、どうでしょうか。
委 員

この文章は必要ないと思います。

共生というのは基本の考え方ですから、書くのであれば共生については、明確にされた方が良いと思います。

委 員 基本的な考え方、背景というのだから、この基本方針は、条例に基づいて必要とされているというところを定めるものだと思います。この案は、非常に文学的に良くできて立派なものだと思います。そして、条例に基づくものだということは、資料2の2の、「こうしたことから本県においては・・」という部分で、明らかにしているという趣旨のようです。基本方針は、条例に基づいて策定されるべき基本的なところを明らかにする、それが根本だと考えております。それが、こういう表現になっています。
委 員 こういう表現は書かない方が良いと思います。共生という言葉は、そもそも生物学の用語です。つまり、相利共生と片利共生とそれから敵対共生の3つの種類があります。共に出てくる場合と、一方だけの場合、敵対関係になっている場合です。その後、社会的な現象ないし、社会学に輸入したわけです。一定の検討をした上で使わないといけない。こういう形では賛成しがたい。
委 員

いろいろな評価の仕方があり、この部分について端的な表現で良いのではないかという考え方もあるかと思います。しかし、この原案に対して、さらに資料2の1というのが出てきました。

今、こういうところは、止めておいた方が良いのではないかというご意見がありました。その点をも含めて、他にご意見はありませんか。

委 員 世界人権宣言の分析も、非常に不十分です。人権宣言が何を言っているかということを、はっきりと分析する必要があると思います。
委 員 それをやり出せば、分量がかなり多くなってきますが。
委 員

この基本方針策定の背景の最初は、条例に基づいてつくられたものであるということを、まず謳うことが必要条件ではないでしょうか。

それと共に、先程からご指摘されてる共生という言葉がシンボリックに出てきている、それを中心に基本方針を作られるのだということを、もう少し詳しくする必要があります。共生という言葉を私達はどう捉えるのかという意味づけを入れていく必要があると、最初に読んで感じました。

そして、その前に、思いを一つにしてということが追加されていますが、ただ単に思いを一つにしてできることでは決してないことは、全ての人がご理解されていることだと思います。

しかし、あえて思いをということで、書かれている。共生を実現する前に、人間はそもそも全て一人ひとりが異なっているという、お互いが個の違いを認め合うことが大前提となってこそ、共生、共に生きるということが実現するのだということが、確認されていれば良いのではないかと思いました。

委 員

入りやすいというような意味で、ソフトな始まりとなりました。

今、委員が言われた、思いを一つにして、そう簡単にいくものではないかという意味で、それは何かと言えば、違いというものをお互い前提にしているということですか。

委員:ただ単に思いということで表現してしまうのではなく、もう少し具体的に、人間が全ての個を認め合っていく、違いがあることが素晴らしい、違うことを認め合っていくというところを確認する必要があるのではないかと思います。文学的な表現は、素晴らしいと読ませて頂いて思いました。

委 員

今、言われたこと、一人ひとりが違うという問題は大事です。つまり、ここには、人間の尊厳というのは、ほとんど出てこないのです。人間の尊厳をどう捉えるかといえば、出てこない。人間の尊厳の基礎は、いろいろな人がいろいろと言っているのだけれど、実際には、あまり言わない。始めから分かり切ったこととしている。世界の人権の文書はみな、「人権は人間の尊厳に基づいて」となっている。やはり、「人間は一人ひとりが違う」、「それぞれがかけがえのない人生を持っている」ということが、人間の尊厳の一つのポイントです。そういうふうに、人間の生存のあり方、そのものに即して言う必要があります。

例えば、重度の精神障害を持つ方、不幸にして痴呆になられて理性的な判断を失った人、当然、人の尊厳を持っていると思うのです。人間が尊厳を持っていることの基礎は何かという問題を、はっきりしないといけない。それは、人間のあり方として、一人ひとりが違う、唯一無二の存在であるということです。歴史的にもそうなのです。先祖がいて、自分がいて、子孫がいて、まさに歴史的自分自身です。もう一つは、生物的根拠があります。

つまり、両性生殖では、両親の遺伝子が入り交じるから、一人として同じ遺伝子構造を持った者がいないと、生物学では言われています。優性生殖に伴う唯一無二の個性という形で、表現されております。そういうことをも一つの生物的根拠にして、一人ひとりがかけがえのない存在であるということがあります。人権はそういったことに基づいているし、一つには、違うのだから、むしろ共生しなくてはならないということになるのでしょう。

だから、人間の尊厳から基礎づけるという問題と、それから、人間以外の生命をどう判断するのかということは、非常に大事です。そこをどう判断するか。これは、哲学的な大変難しい問題ですが、やはり人間が世界の中心で、人間だけが偉いという傲りを捨てないと、他の動物や植物、生命との共生共存はあり得ないと思うのです。人間が中心だから、人間が何を食べても良いし、何を取っても良いし、何をしても構わないのだということでは、いくら口で共生と言っても、共生は成りたたない。人間社会でも、差別する人と差別される人がいて、彼らが一緒に手を握って共生することは成りたたない。その厳しさ、共生であるための厳しさを踏まえて、明確に分析または自己反省をして、逆に言えば、傲慢さを捨てて、つまり自己相対化しないと、共生は成りたたない。そういう考えは、根本に流れています。

だから、人間社会ならまだしも、人間は自然の中の一つの存在であり、人間と人間以外の自然との関係はどうかと言った場合、全面的に崩壊する可能性があります。

委員:委員がおっしゃっていることは、その通りだと思います。ただ、これは、一般県民が読むものです。あまり哲学的な趣向をこの中に盛り込んで表現しようとすると、とても難しい話です。全体的な分量のこと、膨大な分量も取れないという中で、掘り下げて考えていないという批判があっても、一般の人がすっと頭へ入るような表現ということで、このようになっていると思います。そこまで書こうとすると、かなり詳細なものになってしまわないでしょうか。

委 員

基本的認識をしっかりと持って、その上で、できるだけ誰もが理解できる、これは大変難しいことですが、できるだけ分かりやすく表現するということです。そうしないといけない。この案は、基本的認識は曖昧で、多分、ただどこかの文章を半分以上書き写しているのです。

それならば、もっと良い文章が沢山あります。政府のつくった文章にもあります。平成11年につくった答申は、文章が良いです。あの前文の中がとても良いです。

だから、そういう良いものを参考にして、もっと焦点を決めないといけない。行政は、何もかも書きたいという悪い癖があるのではないかと、いつも思うのです。焦点を決めて、特にこれを表現するのだとしていく。何もかも書けば、第1章は膨大なものになりませんか。第2章は、まだ出ておりませんが、基本方針自体が長々とあれば、読むことが嫌になるのではないでしょうか。もう少し書くことを決め、焦点を絞って、何を中心に書くのかを明確にしないといけない。共生の問題が人間の尊厳の問題であること、それから、世界人権宣言と日本国憲法、これだけで、立派に書けると思うのです。政府の審議会の作った前文でも適当に参考にしながら、書けば良い。ただ、基本認識をきちんとしていないと、なかなかそういうことにならないのではという懸念があるということです。

委 員

やはり、策定の背景というところは、なぜこれを策定するのかということ、つまり条例に基づくものだということを、端的に書いた方が良いのではないかと思うのです。

はっきり言えば、条例で策定するように決められているのです。そのところを明らかにするということです。この案は、入りやすくということで、文学的な表現に囚われたところがあり、そのことがかえって誤解を生むようなことになっているのかという反省もないわけではないです。ただ、先程のような、共生ということを簡単に使うことについては、確かにおっしゃるようなところがあるから、そこをやはり、共生の前提として認め合うといったところをもう少し明らかにすることにしませんか。

委員:冒頭で事務局の意図するところは、和歌山県では緑や水が豊かで良い環境である、熊野高野も世界遺産にという中で、都市部と比べると非常に良い環境の中だから、もっと自然と共生しようではないかということだと思うのです。

そういう意味で、県民として、自分の住んでいる県は、こんな良いところなのだと思わせるような入り方が良いのではないかと思います。

それと、方針案の流れといたしまして、(1)国際的な動向、(2)国内の動向ということで続き、(3)本県のこれまでの取組ということで、最後まで書かれています。朗読して頂いて分かったのですが、こんなに長いと非常に読みづらい。

だから、(3)本県のこれまでの取組は、県としてもいくつかのことを取り組んできていますが、(1)として、同和問題の取組について説明をして、次に(2)として、女性や子ども、高齢者、障害者、外国人等々の人権に対する取組を示し、最後に、(3)として人権文化の創造ということで、和歌山県人権啓発センターの設置や審議会ことを記す。区切って見やすい形にした方が、読む方としても、一息つけると思います。

委 員

一度、良く検討するようにします。

委員のおっしゃられた趣旨は、もう少し個別的なことで整理した方が、読みやすいのではないかということですか。

この(3)本県のこれまでの取組のところは、全体として、同和問題をあまりにも多く取りすぎているという感じがありませんか。

委 員 同和問題についてかなり重点的に取り組み、評価できる部分が沢山あるのですが、もう少し文章を簡略化するか、全体的な内容を少なくして頂ければ良いのではないかと思います。
委 員 国内の取組では、同和問題についてかなり大きく取り上げている。さらにその上で、本県の取組も軌を一にしたやり方で、同和問題に重みを置いている。事実、県の場合は、特にそういう傾向が強かったのですけれども、その他のところがぼやけているという感じがするかもしれません。
委 員 確かにおっしゃる通りで、まず長すぎる。また、これを読めば、県は同和問題をやっただけでないかという感じさえ受けます。これは、全体として半分以下にする必要があります。
委 員 同和問題についてですか。
委 員 全体についてです。
委 員 全体を短くするのは、難しいですよ。もっと、詳しくとの意見もございますし。
委 員 総論が長すぎると読みにくい。
委 員 確かに、読みにくいです。それについては、小委員会で考えるようにしますが、なかなか難しいということです。
委 員 個別の細かいところは、十分に検討ができていませんが、先程からお話があるように、同和問題を書きすぎているということと、全体が長くて難しすぎるので、もう少しシンプルにした方が良いと思っています。
委 員 事務局として、今までの委員方のご意見等について、さらに委員方のご意見を受け賜っておくというようなことがあればお聞き下さいませんか。
事務局

4ページですけれども、「しかしながら、今なお、様々な偏見から生じる差別や、」と書かれている部分以降に、環境部分が入ってくるのですが、この辺りについてご意見を頂きたいと思います。

後の第3章のところに、新たに入ってきますので、この部分が重なるようになります。その部分については、まだ提示できていないので分かりにくいかと思いますが、これが、必要かどうかについてお聞きしたいと思います。

委 員 これ自体は良いと思います。ただ、知る権利とプライバシーをめぐる問題というのは、非常に分かりにくいです。それからプライバシーをめぐる問題やインターネットの人権侵害について、インターネットの人権侵害といって、一般の人が理解できるかどうか。はっきりと書いた方が良いです。インターネット等、いわゆるメールの差別問題は、非常に深刻だと思います。拡散性と秘匿性があり、自分の潜在意識を直接出せる可能性があるわけです。一部しか見ていないけれども、そういう新しい差別の問題については、もう少し分析した方が良いのではないかと思います。同和問題の時は、確か秘匿性と拡散性という言葉で書かれてたと思うのですが。知る権利とプライバシーをめぐる問題というのは、少し分かりにくいです。
委 員 事務局としては、ここの部分と後の部分で重複するところが出てきますので、それについてどうしていくのかを問われたのですが。
委 員 全体を見てからの方が良いのではないですか。
委 員 全体を見て頂いてからご議論頂きましょうか、特に重複部分については。
事務局 はい、分かりました。
委 員 小委員会が、きちんと機能を果たしていないのではないかと思われてもやむを得ないかと思うのですが、長すぎるとおっしゃっていることについては、原案はさらに倍以上ありました。それを削って、やっとここまでたどり着きました。しかし、朗読して頂いたところを読むと、例えば同和問題について、国と県とで同じ内容が出てきていることに気づきました。それから、前文のところも、いろいろな経過があってこういう形になっているのですが、委員のご指摘も、ごもっともと思います。ここについては、かなり圧縮する余地があるという感じを持ちました。ただ、後の位置づけの点と基本理念というところは、こういうことでよろしいでしょうか。いろいろなご意見を賜りたいと思います。
委 員 背景のところにつきましては、委員方のお話をいろいろと伺いました。ただ、基本的考え方を構成する中での背景の部分と、それから基本方針そのものの位置づけという点についてはどうですか。
委 員

「本県のこれまでの取組」という見出しで良いのですか。全体の構成との兼ね合いで、頭が整理できていないのですが、第1章の1の基本方針策定の背景では、なぜ基本方針をつくるのかということの背景を書くわけです。つまり、人権についての国際、国内の動向があり、和歌山県の場合がある。

しかし、まだ人権侵害の状況が残っているし、それから新たな人権侵害の問題、環境問題もある、次世代の子ども達の問題もある。だから、今回、条例をつくり、条例に基づいて基本方針をつくるということを端的に書くことになると思うのです。

そうだとすると、本県のこれまでの取組よりは、そもそも和歌山県でどうして基本方針をつくるのかというような見出しの方が、分かりやすいのではないかと思いました。これまでの取組の状況というのは、今までこんなことをしてきましたというだけのことなので、もっと端的に本県において基本方針をつくるに至った経緯などを小見出しで書いた方が、分かりやすいのではないかと思いました。

委 員 この基本方針の位置づけは、この場所でなくて、一番あとの方でも良いのでは。突然、出てきたような感じがします。つまり、今後、どういうふうに使って欲しいのかと書いてあるわけですから。
委 員 そうですね、市町村との関係、あるいは他の分野に対する拘束力と言いますか、規範性を持つことなどですから。
委 員 全体の構成から言えば、3までが基本的考え方となるので、2基本方針の位置づけと3人権施策の基本理念を逆にした方が良いのではないですか。
委 員 理念を先にするということですか。
委 員 それから、基本理念等ですが、人間の尊厳という問題は、是非入れて欲しいです。そもそも人権は、人間の尊厳に基づいて、人権といっているわけです。人権というのは、人間の尊厳を守るための一定の方法、施策というか、そういう意味合いを持っています。その人間の尊厳ということについての考えが、必ずしもはっきりとしていない。政府の審議会の前文が、非常に上手く書いています。あれには、何度も人間の尊厳という言葉が出てきています。それから、人権の定義が平板すぎませんか。繰り返しになっていませんか。
委 員 今日、見たばかりで、また総論の一部だけで全体像が分からないので、意見を言いにくいのですが、基本方針構成(案)を見ても、第1章、第2章ともかなり細かく、いろいろな項目が出ています。そして、第3章の分野別施策の推進の部分は、極めて重要ではないかと思うのです。総論的なことは、いわば哲学だと思うのですが、ここはいろいろと意思統一できるような、共通認識が持てるような文章をつくることは難しいと思います。また、非常に詳しくても、長くて最後まで読んでもらえるかどうかという気もします。こういう方針は、文学的に興味を引くようなものでなく、なるべく短めに、完結に、要領よく、的確な方がインパクトがあると思うのです。それで、分野別施策の推進を見ますと合計44ページです。全体として、一体何ページぐらいになるのだろうか。この項目からすれば、相当の量になりそうなのですが、どのようなイメージをされているのでしょうか。
委 員 事務局では全体は何ページぐらいを予定しており、その中で第3章の占める割合というのはどのくらいになるのでしょうか。
事務局 第3章は42、3ページになります。素案の中でページ数を計ってみましたところ、全体では60数ページぐらいに収まる予定になっております。1章、2章、4章を合わせて、20ページぐらいと思っています。
委 員

第3章が、全体の3分の2を占めるということですね。それで良いのかどうかということも、問題かも知れませんが。

先程から事務局が言われているように、重複するかどうかということを検討する必要があるでしょうし、全体としての基本方針をどのように考えているかということが分からないことには。

委 員 先程の2と3を入れ替えた方が良いのではないかというご指摘ですが、これがこういう形になっているのは、「1でこういうことで基本方針をつくりました」、それで、「2で基本方針はこういうためのものです」、ところで、「3で基本方針の理念はこういうことです」という段取りだと思うのです。ですから、これも全体が出来上がった時点で、基本方針の位置づけをどこに持っていくかについては、最後に検討を頂いて、落ち着きの良いところにということになると思います。内容については、これでよろしいのでしょうか。
委 員 今の委員のお話の関係で質問です。3の人権施策の基本理念の中の、本県の目標とする社会像として3つを挙げてるのは、どこかに出てくることなのですか。この中で初めて出てくることなのですか。
事務局 これにつきましては、事務局で独自に考えた案でございます。
委 員 この点についても、是非ともご意見を伺いたいと思うのです。こういうことは、挙げられるのかなという気がしないでもない。
委 員 社会像は必要ないと思います。ありきたりの衛生無害な表現ばかりで、インパクトがあまりないと思います。それより、第2章は、いわゆる施行規則的なものではありませんか。特に、3の相談・支援の推進や救済の整備を基本方針に入れて、あとは全部外して、施行規則的なものとして、行政のマニュアル的なものにすれば良いのではないかと思います。県民にとってこういうことは必要なのでしょうか。
委 員 第2章ことですね。この2のところの基本方針の位置づけというところも、5つ程並べてあるので、あまり徹底した位置づけといいますか、性格を現しているようにも思いませんが、いろいろな点から考えて、こういうふうに位置づけするんだということですが。どのようなご意見でも結構ですから、伺えませんか。
委 員 やはり、人権施策の中心となるのは、一人ひとりお互いに尊重ということなので、自然との共生ということが、馴染まないような気がします。それは、多様な個人を尊重する社会という1点に絞った方が良いのでないかと思います。
委 員 和歌山県の場合、条例の中で環境ということを活かすために、条例策定の時に入れたのですが、自然ということに引っ張られて、引っ張られてと一言で言うのはどうかと思いますが、こういう表現になっているわけです。
委 員 自然との共生について記されて、非常に良い文章で、私は感激するのですが、やはり委員が言われたように、違和感があります。それをどうしても入れなければならないということになると、こういう文章になってくるのかと思います。思い切って簡潔に、できるだけ印象深いようにして頂きたいと思うのです。一般的なことしか言えませんが、まず全体をつくって頂いて、その上で次回には全体がどういう長さかも含めて、どの程度の分量かということを頭に入れ、どこを削るのかということも考えれば良いのではないかと思います。
委 員

今、委員がおっしゃって下さいましたが、本日の部分について、各委員方から、いろいろなご意見が出たということ、これを踏まえて、どういうふうに取り入れられるかを検討した上で、それをひとまず置いておき、全体をまず検討するという方向で進行することにしましょうか。

それでは、基本方針の総論についてご審議を頂く点については、以上で終わらせて頂きます。議題のその他というところについて、事務局の方で、今後の日程等も含めて、ご説明を頂けませんか。

事務局

その他の議題は、特にございませんので、次回の日程のご確認をさせて頂きます。

次回は11月25日、13時から、この場所で、お願いしたいと考えております。先程からお話が出ておりますように、次回には、全体像をお示しできるように、小委員会にも諮らせて頂きながら準備をしたいと考えております。

委 員

特に付加して説明しておく、委員方にご理解願っておくようなことはありませんか。
事務局 先程、委員が言われた、第2章についてもう一度説明をお願いします。
委 員 第2章の相談・救済を基本方針に入れて、その他は施行規則のようなものでしょう。つまり、行政の人にとればともかく、一般の県民には必ずしも必要のない部分です。県民もこういうことを知らないといけないのですか。検討してください。
事務局 それはそれで、検討したいと思います。
委 員

今、第2章についてのお話もありましたけれども、目次だけを見てご意見、考え方についてのご意見を伺うことも心苦しいですが、お気づきの点についてご指摘を頂ければ、ありがたいと思います。

無いようでございましたら、今日は終わらせて頂くということで、よろしいでしょうか。

それでは、大変ありがとうございました。貴重なご意見を頂きまして、ありがとうございました。

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