第7回和歌山県人権施策推進審議会議事録

第7回和歌山県人権施策推進審議会議事録

第7回和歌山県人権施策推進審議会
日 時 平成15年2月20日(木曜日) 13時~15時半
場 所 和歌山市 アバローム紀の国
議 題

(1)ハンセン病・難病・HIV感染者等の人権に関する現状と課題について
(2)その他

出席委員

谷口委員 月山委員 辻委員 都村委員 中川委員 中谷委員 中村委員
西委員 村田溥委員 柳瀬委員 吉澤委員

配布資料

(1)『ハンセン病を正しく理解しましょう』和歌山県
(2)『難病について知っておきたいこと』和歌山県
(3)『ポジティブなわたしからあなたへ』和歌山県
(4)『和歌山県子ども保健福祉相談センター 難病の子どもの人権尊重』
和歌山県子ども保健福祉相談センター

内 容

委 員

開催いたしたいと思います。事務局からご説明頂き、その後委員の方々からご質問、ご意見を賜りたいと思いますので、よろしくお願いします。

事務局

ハンセン病・難病・HIV感染者等の人権について、ご説明いたします。

まず、ハンセン病感染者の人権についてです。ハンセン病は、感染力の非常に弱い「らい菌」による慢性の感染症で、皮膚に「こぶ」や「斑紋」が生じる病気です。かつて有効な治療薬がなかった時代には、病状が進行し、知覚神経や運動神経に障害を引き起こし、手足や鼻・耳・目等の変形を起こしましたが、現在は、治療薬が開発されており、発病したとしても通院で治療でき、後遺症が残ることもありません。

しかしながら、「国の徹底した隔離政策」や「その後遺症としての身体の変形」等から、「不治の病」、「強い感染力を持っている伝染病」、「遺伝病」などといった、間違った知識が国民の間に広がり、強い偏見や差別が生まれました。そして、その差別や偏見が感染者と家族におよび、今なお強く残っているのが現状です。

また、平成8年まで、国の隔離政策が続いたため、ハンセン病療養所に入所している方々は、病気回復後も退所することができずにいました。長期間にわたり家族や地域社会と断絶されたこと、大半の方が身体障害を有していること、また高齢化が著しいことなどから、社会復帰が困難な状況にあると言えます。

このようなことから、歴史的な状況を踏まえつつ、かつてハンセン病を患った方々が、地域社会で当たり前に生活できるようにしていかなければならないと思います。

次に難病患者の人権について、難病は「原因が不明で、治療法が確定されていない疾病」とされています。国の難病への取組は、昭和47年「難病対策要綱」に基づき開始されました。現在、特定疾患対策研究事業として118疾患が、治療研究事業として45疾患が指定され、医療費の患者負担の軽減も行われています。なお、18歳未満の方々を対象に、小児慢性特定疾患への取組が昭和49年に開始され、現在10の疾患群が指定されています。

難病というだけで、感染する、あるいは遺伝するといった病気に対する誤った偏見から、就職・結婚等の場面での差別につながっているようです。

また、病気のために体に障害などが生じた場合に、気持ち悪がられたり、興味本位な態度でジロジロと見られたりすることがあり、本人にとっては耐え難い苦痛だと思われます。

必要な医療を受けながら、地域社会の中で安心して生活できることが重要です。

HIV(ヒト免疫不全ウイルス)は、1983年にフランスで初めて存在が確認されました。

HIVやエイズ(後天性免疫不全症候群)は、一部の同性愛者や麻薬常習者の感染するものであるという認識が、かつては一般的でした。現在では、感染経路が判明し、主として性感染症としての位置づけがなされ、誰でも感染するという認識が必要です。

HIVに感染したことで、医療機関での診察拒否、入学や就職の拒否、解雇などが、残念ながら存在すると言われています。また、感染が判ることにより周囲の人が離れていったり、差別をおそれて生活場所を変えなければならなかったり、といった現実もあります。

エイズは、HIVウイルスによる感染症です。体内のリンパ球の数が著しく減少することで、免疫力の低下を来たし、日和見感染症や悪性腫瘍を引き起こし、以前は確実に死に至る怖い病気といわれていました。最近では、治療方法がある程度確立されてきたことで、感染が早くわかればウイルスの量をコントロールしたり、日和見感染症の予防をすることでエイズの発病をおさえることができるようになってきました。このことで、エイズを発症して死に至ることは少なくなってきました。

感染者は感染経路が何であれ、被害者であることには変わりなく、可能な限り仕事に就き、交友関係を続けるなど、一人の人間として社会生活・日常生活を普通に営む権利があります。

正しい知識を持って感染を予防すること、そしてHIVやエイズをよく知って、無意味な恐怖感や感染者・患者に対する偏見や差別行為をなくすことが必要です。そして、そのことが、現在の感染者や患者の不安を解消し、よりよい生活につながるものだと考えます。

私たちは、誰もが病気になる可能性を持っています。いたずらな不安を払拭し、偏見や差別を解消していくために、病気について正しい知識と理解を深めるよう、広報・啓発活動が必要です。

また、保健・医療に従事する方々への人権教育の充実に努め、人権に配慮した保健医療体制を確立することが必要です。

そして、病気になると、誰もが不安になるものです。患者やその家族の経済的負担や精神的負担を少しでも軽減できるよう、相談体制や支援体制が必要です。患者同士あるいは家族同士の交流も、大きな支えになるものだと思います。

最後に、「患者の人権」を考えるときに、本人やその家族の方々の思いや希望に対し、謙虚に耳を傾けていくことが、何よりも大切だと考えます。

事務局

ハンセン病や難病、HIV感染者等の様々な人権についてご説明申し上げますが、その中で一番象徴的な例は、ハンセン病だと思います。ハンセン病を患った多くの方々が、長い間療養所に隔離され、社会から断絶され苦しんでこられました。平成13年9月に熊本地方裁判所で、国のハンセン病政策について、その誤りを認めるという判決がなされ、これを契機にハンセン病に対する関心が高くなりました。

ハンセン病問題の本質は、病気に対する誤った知識や偏見から患者を長期にわたり社会から隔離したという人権問題であると思います。

ハンセン病は解決に向けスタートを切りましたが、日常生活の中で「小さなハンセン病問題」が、まだまだ存在しているのではないでしょうか。病気に対する正しい知識を持っていないために、病に苦しむ人たちを差別や偏見の対象としてしまう状況があるのではないでしょうか。その結果、学校や地域でいじめにあう。職場を変わらざるをえないという差別にあったり、また自宅に引きこもってしまう、精神病院に社会的入院ということで長期の入院を余儀なくされ、地域、家族から断絶されて社会の中でありのままに生活できないという状況が生じています。

今日は、エイズ、ハンセン病、難病等の人権ということですが、健康対策課の視点で申しますと、病を持つ人の人権ということで施策をとっております。

エイズ、ハンセン病、難病、原爆被爆者という順番で、現状について説明いたします。

まず、エイズ患者・エイズウイルス感染者の状況についてです。患者・感染者の状況については、世界中で4,200万人の感染者がおり、日本でもエイズを発病された方が2,549人、ウイルスには感染しているが発病はしていないという方が5,121人になります。本県でも27名の患者・感染者が報告されております。これらの数字は医療機関から報告された数字であり、厚生労働省はこの10倍の数字を推計としてあげております。つまり、本県でも300名近くの患者・感染者がいると推計しています。このまま増加しますと2010年には約5万人の報告があると推計されています。

このような病を持つ方が直面している状況については、エイズ患者が初めて日本で発生した昭和60年当時、エイズは握手等で簡単に感染し、発病すれば必ず死亡する病気であるといった誤った知識が広がり、非常に大きな差別が発生しました。そして、当時の話になりますが、医師や看護師でさえ、「感染のための予防対策ができていない」、「エイズ患者がいるということで他の患者が減る」等の理由で、患者・感染者を診察しないということが起こりました。そのような状況はかなり改善されてきていますが、差別をおそれて、感染していることや患者であることを隠さなくてはならないという状況があります。エイズ相談や検査を受けること自体も人目が気になるということや、医療保険を使いエイズ治療を受けた場合に、診療報酬請求書に記載されている使用薬剤から職場に病名がもれ、差別を受けたり、職場を追われてしまうということがあります。

現在、一般県民を対象とした取組と、患者・感染者を対象とした支援・取組の大きく分けて2つの取組を行っております。一般県民を対象とした取組として、各保健所において県民の方々を対象に研修会を行う草の根研修、高校生を対象にしたピア・エデュケーション、12月1日の世界エイズデーにあわせて県内各地でボランティアグループ等と啓発の事業を行っております。その他、ラジオスポットやパンフレット等の啓発グッズを作成し、啓発の取組を行っています。患者の方に対するサポートとしては、県内2か所にエイズ診療拠点病院を整備し、そこへエイズカウンセラーを派遣し、相談事業を行っています。また、医療従事者や拠点病院の医師に対し、研修等を行っております。エイズ相談や抗体検査を実施しております。NPO等の協力のもと、毎週月曜日に夜間電話相談を受けております。

ハンセン病元患者の状況について説明いたします。ここで「元患者」という言葉を使用していますが、より正確には「かつてハンセン病を患った方々」であると思います。かつてハンセン病を患った方々は、今は病気自体は治っておられますが、後遺症が残っている方もいらっしゃるという意味で「元患者」という言葉を使用しました。

本県から何名の方が療養所に入所させられたのかについては、入所者の方が差別や偏見をおそれ偽名等を持つために、実態把握が難しい状況にありますが、県作成の患者台帳によると、昭和2年から昭和47年の間に、8つの療養所に約300名の方が入所されています。現在は、邑久光明園、長島愛生園、多摩全生園、栗生楽生園の4つの療養所に37名の方が入所されています。差別の状況については、ここで語り尽くせないほどあると思いますが、ハンセン病は「隔離政策」や「その後の後遺症としての身体の変形」等から「強い感染力を持っている伝染病あるいは遺伝病」等の誤った知識が、国民の間に広がり、強い偏見や差別が生まれてきました。この差別や偏見が解消されなかったために、病気が治った後も社会復帰することができず、長期間にわたり家族や地域社会と断絶されていること、入所者の大半の方がハンセン病の後遺症である身体障害を有していること、また高齢化が著しいことから、現在、社会復帰が困難な状況にあります。

県としての取組については、一般県民の方々を対象としたものとして、啓発用パネルやパンフレットの作成、人権フェスティバル等の様々な機会を通じて啓発を行っています。また、市町村の職員を対象とした研究会や高校の文化祭などでパネルの展示等を行っています。

元患者の方々を対象とした取組については、各県がハンセン病患者に対し辛い対応をした中で、和歌山県では「救らい県」として患者の立場に立った施策を展開してきました。その中核となったのは、和歌浦健康相談所です。昭和32年からハンセン病専門の健康相談所として、入所されている方やその家族の方に対する支援活動を行ってきました。あるいは、ハンセン病患者は療養所での治療が全国的には普通でしたが、和歌山では在宅でハンセン病の方々を診ていく、支援していくことを和歌浦健康相談所で行ってきました。また、昭和47年から「集団里帰り事業」として、各療養所入所者に対し集団里帰り事業を実施してまいりました。その他、慰問金や家族援護金等がありますが、熊本地方裁判所の判決を受け、平成13年6月には知事が「ハンセン病についての知事コメント」として、県としての施策についてのお詫びのコメントを出しています。その後、知事が岡山県の療養所を訪問しまして、在園者の方々と懇談し、納骨堂への献花を行っております。この知事との懇談の中で、「県民とのふれあい訪問事業」ということが出てきました。これは、里帰りといっても、高齢のために里帰りの負担は大きいが、やはり郷里の人と話をしたいとの希望に答えるために、和歌山県民が療養所を訪問し、ふれあうというものです。現在看護学校の学生がボランティア訪問しています。

遺骨の里帰りについて課題として残っていますが、和歌山県では、遺族の同意のもと遺骨の里帰りに努めてきています。残る遺骨の改葬については、遺族の同意がある場合に限られることや、在園者の中には療養所でみんなと一緒に葬られたいとのご意見もあることから、今後これらの問題については、在園者の方と話し合っていきたいと考えております。在園者の現在の平均年齢が77歳を上回る状況になってきています。また、後遺症として視覚障害や身体障害を伴っている方が非常に多い状況にあります。今後これらのハンセン病療養所で生活する方々、つまり社会復帰を望まない、社会復帰が不可能であると思われる方への支援をどのようにしていくのかということが、今後我々が考えていかなければならない課題だと思っています。

続いて難病患者の方の状況についてです。難病とは「原因不明、治療方法が未確立であり、かつ、後遺症を残すおそれが少なくない疾病」あるいは「経過が慢性にわたり、単に経済的な問題のみならず介護等に著しく人手を要するために家庭の負担が重く、また精神的にも負担の大きい疾病」とされており、本県の難病患者としては、4,852名となっております。しかし、患者数は毎年約1割ずつ増加しています。また、子どもの難病につきましても、本県で1,371名おり、毎年約5%ずつ増加しています。

差別の状況については、難病は普通感染しませんが、難病患者というだけで「感染する」と言われたり、「業病の家庭」あるいは「たたり」であると言われたりすることがあります。就労の機会が失われたり、家族が結婚差別を受けたということがあります。また、パーキンソン病という病気がありますが、病気になると仮面をかぶったように表情がなくなってしまい、表情が乏しいということで、「気持ちが悪い」と言われ十分な介護を受けることができなかった等の差別を受けた事例が患者の会に報告されています。患者の会に入らない方々もたくさんいらっしゃいますが、それは難病患者が家族にいることを周囲に知られることを恐れて、「難病」の文字が印刷された患者会からの書類の郵送さえ断るためです。軽症の人や症状が回復した人であり、就労の意欲があるにもかかわらず、治療や療養の制限があるため、限られた時間の就労となり、事業主の理解が得られず安定した収入のある職業に就くことが困難な患者の方もいます。

現在の取組としては、一般県民を対象に啓発用パネルやパンフレットの作成、研修会の開催等の地道な啓発活動を行っております。患者や家族を対象とした取組としては、難病患者の方についての知識のあるホームヘルパーの養成、患者の方が日常生活等についていろいろと相談していただけるよう相談事業も行っております。特に難病の子どもの支援ということで、平成11年に県の子ども保健福祉相談センターを立ち上げまして、難病の子ども達やその家族からの相談に応じています。

原爆被爆者の状況につきましては、本県の原爆被爆者は平成14年3月末現在で456人となっています。被爆者に対する差別としましては、「被爆者の体から放射線が出ているから側に来るな」と言われた。被爆者であることが分かると、子孫に影響が出るという理由で婚約を解消させられる。子どもを産むなと言われる。体調が安定しないため、安定した収入のある職業に就けないということ等があります。被爆されてから58年になりますが、現在においても同じ病室に入院することを嫌う、「感染する」と誤解している方もおり、被爆者の方々は阻害されているということがあります。取組としては、啓発用パネルや小冊子の作成、各種イベントでの啓発活動等を行っております。また、被爆者の方々を対象として、被爆者生活相談として被爆者の健康管理、医療、被爆者援護法の諸手続に関する相談・支援を行っております。

ハンセン病、HIV感染者、難病の方々の人権については、いろいろな意味で侵害されている状況にあると思います。その原因の一つに病気に対する誤った知識、不正確な知識によって差別や偏見が起きています。県としては正しい知識の普及に努めていくことが大切だと考え、取り組んでおります。また、病気を持つ人は、病気を持つこと自体で大変ですが、社会から差別や偏見を受けるということで、肉体的にも身体的にも二重の苦しみの中にいます。県としても少なくとも社会の差別や偏見をなくすように取り組んでいきたいと思います。

委 員 今、事務局からご説明頂きましたが、エイズ、ハンセン病、難病、原爆被爆者について一括して審議頂きたいと思います。人権問題という観点からご審議願いたいと思います。
委 員

ハンセン病について、事務局からご説明頂きましたが、補足して話したいと思います。私は昭和23年から現代まで和歌山県のハンセン病患者を診てきました。今までにあったこと、今、取り組んでいることをお話しして、ご理解を深めていただければと思います。

「ハンセン病を正しく理解しましょう」というパンフレットの最初に「ハンセン病はこんな病気です」ということで、「遺伝病ではありません」ということが記してあります。なぜ、かつてハンセン病が遺伝病と言われたのかということです。

私が子どもの頃は「あそこは『らい』の筋だ。前を通るのなら、歩いて通ってはダメだ。走って通り抜けろ。」などとよく言われました。「あの病気は、絶対に遺伝だ。今、あの家に患者がいなくとも、そのうち必ず患者が出てくる。それは、隔世遺伝するからだ。」と言われました。

なぜ、そう言われたのかと申しますと、例えば家のおじいさん、おばあさんが、かつてハンセン病を病んでいた、そしてその子どもは発病せず、元気で結婚し、孫ができた。生まれてすぐの抵抗力のない子どもの世話をするのは、祖父母でした。ですから、祖父母が感染していれば、小さな孫も感染する可能性があったと考えられます。8歳から20歳ぐらいにかけてが、一番発病しやすい時期になりますから、「今は発病していないが、らいの筋だから、隔世遺伝をするから、もう少し大きくなれば発病する。」と言われました。そしてそのことがまことしやかに語られていました。しかし、決してそのようなことはありません。小さな乳幼児は感染しているかもしれませんが、ハンセン病は10人感染していたとしても、ほぼ全員が発病しないのが普通です。そのくらいらい菌は、弱いものです。しかし、あの家はらいの家系だから発病すると考えられ、様々なことが語られました。

私が県庁に入ったのは、昭和23年でした。昭和22年に旧満州の大連から脱走して、帰国しました。アメリカ軍の軍政部が現代の月山病院の場所にあり、そこの衛生部にジョーンズという軍医大佐がいました。彼から県庁に入らないかと言う話があり、県庁に入りました。入庁したときの知事は、初代の民選知事であった小野知事でした。入庁して4日目か5日目に、ハンセン病患者のことで事件が起きました。アメリカ軍による強制収容ということで、当時の担当者が収容に行きましたが、その患者がクレゾールの原液を飲み、自殺を図りました。そして、地元の警察の留置場に入り、両親が交代で傍らにつき看病をしていました。その時の担当者、つまり私の先任者が行ったところ、その家族から「何のために来たのか。強制収容しようとしてこうなった。帰ってくれ。」と言われ、逃げて帰ってきた。それで、当時の課長から私が、「行ってくれ。」と言われ、行ってきました。 病状がかなり進んでいましたので、和歌山ではどうしようもなく、岡山の療養所に連絡を取りました。その当時、一人の患者を岡山に送るには、天王寺の鉄道管理局から列車を回してもらう必要がありました。その列車は、半分が郵便物を、残り半分が患者を送る車両でした。それをとにかく急いでくださいと頼み、回してもらったのが、6日目だったと思います。紀南から来ますと和歌山駅にまず止まり、切り離されて今の紀和駅に一日おいて置かれる。そして次の日に奈良の王寺まで行き、そこでまた切り離されて一日置かれます。そして、その日の夕方頃に王寺を発車して、京都に行きます。京都で東から下ってくる夜行列車がありますが、その列車が岡山駅に到着するのが、夜中の2時16分です。これは患者を送る定期便となっていました。そういうふうでしたので、実際に療養所から了解を得てからでも一週間近くかかるという状況でした。

岡山駅に到着すると、一番北端のプラットフォームも何もない所から、普通の車の通らない、貨物車等の使用する道を通って療養所からトラックが迎えに来ていました。

今でも忘れられないのは、2月頃のとにかく寒い日に、患者を背負っていると首筋が冷たい。患者のよだれが首筋から背中にかけて、垂れていました。そのようにして患者を背負って車に乗せた思い出があります。そういう患者の収容の仕方でした。

その後、知事の配慮で、ハンセン病患者のための特別の車ということで、県から車を一台買って頂きました。その後は、何も知らない妻を助手として岡山まで通いました。患者にしてみれば、私は怖い人ではなかったようです。妻も家に来る人は、なぜ軍手をはめて、マスクをして、サングラスを掛けているのか知らなかったわけです。知った時は驚いて、家に帰って相談しますということがありましたが、その後私の仕事を見て、一緒に手伝ってくれ、岡山まで患者を送りました。

岡山に送る患者は良いのですが、和歌山市で同時期に3名ぐらいの患者が発生しますと、和歌山市の誰それと言うことで患者の秘密が明らかになりますから、同じ療養所に送れない。一人を岡山に送ると、一人は静岡に、もう一人は群馬にというふうに、患者を分けて送りました。患者を一人送るといっても、車でスムーズに走り、送れるというものではありませんでした。その時に小野知事が「あなたは私よりも絶対に長生きする。だから、あなたはずっとハンセン病のことをやって欲しい。今後の知事にも伝えておく。」と言うことでした。

患者が病院に行き、発生したとの連絡が病院から知事の所に親展できます。親展で、発生したことが分かると、知事から電話で来るように言われ、親展を開封します。「そうか。万全を期してやってくれ。部長にはこちらから言っておく。」と言うことでした。ですから服装も当時から別です。スーツを着たりネクタイを結んだことはありません。それでは仕事ができなかった。地方を見て回るのは、山手と海岸線に分け、健康診断に回るときにも療養所の園長が来てくれたり、医務課長と一緒に回ります。狩猟期間の間、11月15日から当時は3月15日までは、猟銃を持って、山の手をずっと回りました。いろいろな手立てをして、近所の人に分からないようにして訪ねました。春から夏、秋にかけては釣り人の格好をして、海岸線の患者を訪ねました。そのようにカモフラージュして、あちこちを回りました。県庁ではワイシャツ、一時開襟シャツでも良いという話が出ましたが、私の場合はカラーのシャツであろうが何であろうが、天下御免でした。好きな格好をしていれば良かった。釣りクラブのえんじ色のシャツを着て行ったり、夏になるとT(ティー)シャツのままだったりと色々やりました。庁内においても、そのような格好でいましたので、「そんな格好で良いのか。」と言われたこともありました。しかし、それでなければ仕事ができませんでした。そのため知事は「どんな格好でも良いから」と言ってくれました。

遺伝病と言われたがそうではないということで取り組むまでは、患者を発見し、診ることが大事でした。その当時、事務連絡ということで出した手紙は次のようでした。「初めて手紙を差し上げますが、私は県庁衛生部に勤務している専門技術員です。さて、突然ですが、このたびあなたの健康上のことにつきまして、近所の方だと思いますが、匿名で投書がありました。文面によりますとあなたが伝染性の皮膚病ではないかということです。しかし、そのようなことがないとすると、あなたが大変迷惑を被っていることになります。また、事実そのような性格の病気でありながら、治療を受けずに放置しているとすれば、治る病気も悪くなるばかりで、ついには自分自身が馬鹿を見るということになります。現代の医学ではいかなる病気でも早期に治療すれば不治の病はないといわれております。つきましては別紙にていくつかの点をお尋ねしますから、それぞれ適当なところにご記入の上、お返事ください。ご相談に応じたいと思っております。なお、申し添えておきますが、県庁内ではこのような業務は私以外は取り扱えなく、絶対秘密になっております。お返事は私の住所あてにお願いします。」そして切取線の右側に、「1.現在、医師にかかっていますか。かかっておれば、その病気の程度をご記入ください。2.私の家に相談に来てくださいますか。その場合は日時をご記入ください。また、指定くださればその場所まで車で迎えにまいります。3.近所に適当な駐車場所があれば住所をご記入ください。迎えにまいります。その場合は車中でご相談したいと思います。4.お宅にお伺いしてよろしいですか。その場合日時をご指定の上、近所の方々には予め和歌山から遠縁の者が訪ねて来るというふうに、注目をさけるための方策をとっておいてください。」と書いています。

相手から、家の近所まで来てくださいということや、県庁の場所は分かるが、県庁には行けませんということが、よくありました。県庁に来られた方については、県庁の屋上を開けてもらい、そこで診断し、ご相談にのりました。そんなふうに初めての患者との接触には気をつかったものです。 そうしたときに、後で知事が「治るか。療養所に行かないとダメか。」と尋ねてきました。私の方で「治ると思います。在宅治療でいくと思います。」在宅治療はだめだと言うことでしたが、らい予防法の改正が27年に起こります。その頃に全国の担当者会議が厚生省でありました。その時に「患者は今の薬なら治るはずです。なぜ、治療薬が出ているのに強制収容するのですか。おかしいではないですか。」と言いました。昭和18年頃、中国には多くのハンセン病患者がいました。しかし、昭和19年には状況が一変していました。プロミンが発見されたのが昭和18年でした。プロミンは良く効く薬だとの印象を強く持ちました。日本は、戦争の影響で昭和22年から使用し始めましたが、もし戦争がなければ、もっと早くプロミンを使用することができ、症状も悪化せずに済んだのではないかと思い、残念でなりません。

「牟婁病」はご存じでしょうか。西牟婁郡ではじめて見られた病気で、これは「筋萎縮性側索硬化症」という難病ですが、ある病院で牟婁病とハンセン病を間違えて、病院や相談所で治療していました。ハンセン病と牟婁病の違いは、ハンセン病は小指から曲がってきますが、牟婁病は全部の指が曲がってきます。

ハンセン病は、ハンセン病がもとで死亡することは絶対にありません。ハンセン病を併発して死亡することはあっても、らい菌で死亡することは絶対にありません。

ハンセン病に取り組んで50数年になりますが、一番偏見・差別の強いのは、患者だけではなく、患者の家族です。家族の方への差別と偏見がきつい。

かつてハンセン病を病んだ人と言います。元患者とか書かれ、これはマスコミが使っているものですが、この言葉を一番嫌います。これは、偏見で見ている証拠でないでしょうか。なぜなら、結核になった人などを元患者さんと言いますか。ハンセン病についてだけ元患者となります。これは偏見の目で見ているからそうなるのです。元患者という言葉は、患者さんが一番嫌う言葉です。家族の方でも、向こうから希望して一度相談したいことがありますと言うときは良いですが、突然訪ねると、「もう忘れていたのに、赤子を起こすようなことはしないで欲しい。訪ねないで欲しい。」と言われます。

初め県庁健康対策課を訪ねたところ、和歌浦に行くように言われ、訪ねてきた人がいる。「どうしたのか。」と尋ねると、斑紋が出ている。普通の紫斑病です。本人は、先祖にハンセン病の人がいたので、心配して、ハンセン病ではないかと言っている。その時に「住所も氏名も言わなくて良いですか。」と聞きますから、「いいです、名前や住所を聞いたところでどうにもならないですから。」というやりとりをしました。

その人がなぜそう言ったかといいますと、自分の友達の息子が皮膚科を開業している。それで友達から診てもらえとすすめられた。すると医師は「大学でハンセン病の話を一遍聞いただけで、分からないから、大きな病院に行った方が良い。」と言った。それで医大に行けば保険証を出してくれと言う。保険証を出せば、住所も氏名も分かります。だから、診てもらわずに帰ってきたとのことでした。「私のところは、氏名も住所もいりません。ご相談にのりますから、是非いらしてください。」と言いました。「もし、どうしても詳しく診察して欲しいなら、京都大学か大阪大学、または兵庫の県立医大に行きなさい。」とアドバイスしました。兵庫の県立医大の医師は、県のハンセン病の担当者を兼務していました。「しかし、心配しなくても良い。取り越し苦労だ。」と言いますと、喜んで帰りました。その後電話があり、「たまたま京都に行く用事があり、京大に行ってきました。心配ありません。」と言われたと、喜んでいました。それくらい家族の方は、偏見と差別について、十分に気をつかっています。こちらまで来てくださる方はともかく、訪ねていくことになるといろいろ問題があると思います。

委 員

ありがとうございました。

委員から、ご自分の体験からハンセン病に対する世間の、また、家族自身の、さらに患者さん自身の差別ということについて、大きな影響力等を伺いました。これに関連して、各委員からご質問、ご意見等ございませんか。また、特にハンセン病ということに関してだけでなく、エイズや他の難病にも関連する問題、人権問題という観点からは関連した問題だと思いますので、広げた意味でご質問、ご意見を賜りたいと思います。

委 員

とにかく、ハンセン病について、今度の熊本地裁の判決以来、いろいろと調べていく中で、和歌山県が本当に精力的に取り組んできたということ、委員や知事といった、行政と医療が一緒になってさまざまに取り組んだ快挙で、和歌山県の唯一のと言っていいくらいの誇りだと思っています。
一つお聞きしたいのは、かつて、この病を病んでいた方々は、年もかなりおとりになっていると思いますが、その方々の故郷へ帰りたいという思いがあるとするならば、我々の社会の中で、受けとめるということについてはどのようになっているのでしょうか。

委 員 現在、家に帰ることのできない方達については、里帰り制度を作っております。以前は、3年か4年に一度でしたが、現在では、毎年里帰りを行い、岡山、東京、群馬の療養所に入っている方が合同で、日を決めて、2泊3日、あるいは4泊5日で紀南へ行ったり、いろいろな名所をまわったりしております。
委 員

すべての病気のことについて、2つお伺いします。

1つは、和歌山県では、昭和40年代始めから、白血病の人達に骨髄を贈ろうということを草の根的にやり始めました。今は、「ひこばえ」として活動されていますが、北山瑛子さんは、患者の会を結成され、一生懸命やってくださっています。娘さんが高校時代に白血病で、お兄さんの骨髄をもらうという形で手術をした方ですが、結局は、白血病という病気について、本人はもちろんその家族の方も差別を受けるというようなことがありました。患者の会を結成した理由の一つは、白血病ということで家族が差別を受けるためです。難病すべてでそうでしょうが、感染するのではないか、遺伝するのではないかという形で言われる。

大学の教職員組合にいた頃、ちょうど平成の始めの頃だったと思いますが、HIVの感染ということとエイズの違いが分からない時に、どこで、どんな形で、HIVやエイズのことを啓発していけば良いかと考えました。その結果、教職員組合が、学校教育の中できちんとしたエイズ教育、あるいはハンセン病も含めその他の難病をきちんとした形で、つまり小、中、高校に応じた教育はどうあるべきであるかということを研究しました。そして、1冊の本を組合から出した経験がありますが、その時に大きく結論付けたことは、科学的な知識が必要ということでした。おそらく今度のこのエイズの問題でもそうですが、かつての結核や、あるいはハンセン病がそうであったように、もしも科学的知識のない時にエイズが出てきていれば、もっとひどい差別が生じていたのではないでしょうか。

病気に対する科学教育、性教育と愛の教育について3つを、小学校は小学生なりに、中学校は中学生なりにという形で、学校教育の中の人権教育に取り入れていく必要があるのではないか。そのような結論をもとに実践していこうとすると、私学では、どうしても限界がある。各都道府県の教育委員会等が中心になり、公立の学校の人権教育の中に組み込んでもらえないかと思いました。

先程からあまり出てきていませんが、学校の人権教育において、きちんとした難病に対する知識が必要ではないでしょうか。今、例えば、人権啓発センター等で一生懸命頑張ってくれていますが、どうしてもそこに接触する人達の数が限られていますから、学校における人権教育の中できちんと教育を行っていくということについて10年以上思い続けてきました。

委 員 事務局にお尋ねしますが、こういう難病に対する学校教育、社会教育については、どのような取組をやっているか教えて頂きたいと思います。
事務局 病と人権という観点から、学校教育の中で系統的に行っているというわけでは、残念ながらありません。エイズ、あるいはハンセン病について、要望があれば、出向いてお話をさせていただくことが、最近、増えております。しかし、系統的な教育については、まだまだ課題であると考えております。ちなみに、精神障害者については、差別・偏見を除いていくためには、各学校教育を通じて、精神疾患及び精神障害者に対して正しい理解の普及に努めることが重要だと精神保健福祉審議会から答申を頂いております。
委 員 医療機関自身が、この種の難病に対する取組において、自ら下げていくような傾向が非常に強い。このことが、偏見をまん延させると同時に了承していくことになる。そのようなこともあるのでないだろうかと思います。医療機関の難病患者への取組について、例えば県から指導というようなことがなされているのでしょうか。
事務局 これについても系統的な形では行っておりません。例えば、エイズであれば、エイズ拠点病院の職員については、エイズのことについて、医師、看護師のみならず事務職員についても、確かな知識を持ち、患者に失礼がないように、教育・研修等を行っていますし、精神科の病院であれば、人権の観点が非常に重要ですので、精神科病院全体として取り組んでおります。しかし、より広く、より全体的な取組についてはございません。
委 員

かつては結核でさえ、遺伝すると言われたことがありました。また、ハンセン病についても、私の子どもの頃は、忌避、差別されていたことを、自分の経験として知っております。

しかし、現在では結核が遺伝するとは、誰も思っていない。これは、科学的な根拠をもとにきちんと説明し、皆がそれを理解したために、誰も遺伝だとは考えなくなった。ハンセン病についても、委員がちゅうちょなく患者に接したのは、ハンセン病に対する完全な知識があったためではないだろうかと思います。

数年前に、有田地方でコレラが発生したことがありましたが、観光客が通る時に、「ここコレラだから窓を閉めよう。」と言ったことに対し、皆が笑ったことがありました。なぜなら、そんなことがあるわけないからです。普通そんなことでコレラが感染することがないという知識を持っている人は、皆が笑った。しかし、数年前にO-157の問題が、生じました。当時、発生した時には、何が原因で発生しているのか分かりませんでした。その時に、ある人がまだ原因も何も分からない時期に、O-157のところから来た人と、ごく普通につき合っていますよとおっしゃりました。私は、やはり気持ち悪いですよということを申し上げたことがあります。なぜなら、その時点では、それがどういうものか、どのような原因がということが分からなかったからです。

我々、一般の人間は、ナイチンゲールでも、シュバイツァーでもないわけですから、科学的にどういうものかと説明していただいて、初めてきちんした対応ができるのではないかと思います。そういったことを考えあわせると、難病の問題については、行政の果たす役割が非常に大きいのではないかと思います。きちんと研究をして、結論を出し、それを学校教育や社会教育の中で伝えていく。病院での教育・研修と申し上げたことを含めて、行政の制度が難病に関する人権問題の解決に極めて重要ではないかと思いながらお話を伺っておりました。

委 員

先程からのハンセン病についての話を聞きながら、本当にそんな時代があったのだろうかという気持ちで聞いておりました。本当に正しく理解していれば、こういう問題は、早い段階で解決していただろうと思います。

一つ気になったのは、正しい知識を持つことが、偏見や差別をなくすのは、もちろんそのとおりだと思いますが、正しい知識を持った上で、偏見・差別がないかどうかというところで、人権教育という視点での考え方が一番大事になってくるのではないかと思います。

例えば、「これは遺伝ではありませんから、婚姻なんて関係ないです。」あるいは、「これは伝染性のものではない。伝染力が非常に弱い。だから、患者を差別するのはおかしいですよ。」と言い切れるものは、そういう扱いで良いと思います。一方で、確実に遺伝するもの、非常に感染力の強い病気であっても、人としての権利、人としての尊厳を守らなければいけないというのが、人権教育ではないかと考えます。認識が誤っているから偏見・差別が起こることに対して、正しい知識を持つように啓発し、差別・偏見を解消していくことも重要ですが、そうでないものに対しても、光を当てていく必要があるのではないでしょうか。

委 員

私達は科学教育だけで、ずっと教えていましたが、性教育、ここでの性教育というのは、性行為の教育だけではなく、もっと大きな意味で異性をどのように大事にしていくかということを含めた愛の教育についてですが、性教育や人権教育まで徹底していかないといけない。エイズを発症してしまった人と結婚して、結果的に感染した人がいますが、感染しながらも共に愛を貫き通して、仮に死に至るともという話を聞き、実は感動しました。その一方で、このような話もあります。大学生の子どもをアメリカに行かしていたところ、その子どもがアメリカでエイズになってしまい、最後に助からないから日本へ帰りたいということになった。すると、その両親が、「他の病気ならともかく、エイズなら帰ってきてくれないでくれ。」と言って、とうとう子どもが帰って来るのを許さずに、アメリカで子どもが亡くなるという悲劇が起こっています。

白血病の方の状況を見ていると、白血病の患者が言っている内容の中での多くは、病気からくる苦しみよりも、社会の差別や人権侵害による苦しみの方がよっぽど辛いということです。それを考えてみると、病気を治療していくという本来の側での問題もさることながら、社会における偏見をなくし、患者の二重、三重の苦しみを取り除くということは、我々に課せられている問題だろうと思います。

十数年前に、行政がエイズのことを取り組み始めた頃と、今健康対策課の取組には格段の差があります。非常に熱心に取り組んでいます。白血病の取組が始まった頃には、ソーシャル・ワーカーに相談に行っても、なかなか受け付けてもらえないという状況でした。今、行政がいい形での協力をやってくださっている。これほど良い状況の中で、学校教育の中で、しかも人権教育という形で、精神病も含めた形で全体を眺めていこうという時です。

私たちが資料を作った時には、小学校は小学校なりのエイズ教育を、中学校も中学校なりの形でということで、各年代に沿って作りましたが、私学ということで限界がありました。和歌山県がこうしたハンセン病に先進的に取り組んでいることを考えてみれば、学校教育の中に、もしもハンセン病だけであったとしても取り入れられれば、画期的だと思います。

委 員

私は問題の原因を言うときに、すぐに行政と言いますので、悪いかと思いますが、ハンセン病の発端も、外国から来られた人達が、日本中を歩いて回ることができることになり、名所、旧跡を訪れた時に、そういう人がいれば格好が悪いというところから、家にいないハンセン病患者を対象に国策として隔離政策をとりました。その次は外に出ている患者に対する隔離だけではなく、家に静かに留まっている患者に対しても、警察力を利用して探し出して隔離していった。こういう政策をとってきました。ハンセン病に対するこういう問題が、なぜ起こったのかといえば、その出発が国策であり、差別の発端を国が作り出してきた。これは非常に大きな問題だと思います。

それから、プロミンが出来たのが昭和18年、日本で使われるようになったのは昭和23年頃だと思いますが、そうであるにもかかわらず、プロミンを個人がどこまで自由に利用できたのだろうか。あるいは、療養所に入らなければ利用できないような状況にしたのかも知りませんが、とにかくプロミンで完全に治癒できると知りながら、国策として隔離政策を続けていった。そして、ハンセン病についての法律を改正までしています。

患者の数が少数になり、大丈夫だということが分かりながら1953年になってなお、「らい予防法」という名のもとに隔離政策を続ける。その法律も国が作ったものです。おそらくその間に、家族が非常に辛い目にあっているという意味では、ハンセン病患者が家へ帰りたいと思っても、家族自身が「帰ってこないで」ということで、患者本人を差別するということもあったと聞きます。そういうことが、後々まで根強く残っていて、患者自身とその家族間における信頼性までも、差別で破壊していった。このハンセン病の事例が、我々に対して語りかけているように思います。

その中で、医療機関自身が、例えば難病あるいはエイズ患者に接した時に、どういう接し方をするのだろうか、あるいは医療機関の看護師さんは、そういう方が来られた時に、どういう対応をするのだろうかという点について医療機関自身に対する教育が、きちんとなされているのかどうかについて非常に不安に思われます。適切な医療を受ければ治るはずの病気を、医療機関自身が排斥している形になっていないだろうかという点が考えられる。そして、それと共に行政自身がどこまで難病に対して取り組んでいくかということが重要だと思います。

それから、先程お話にあったように、科学的な知識は確かに必要ですし、科学的な知識により、誤った差別意識や偏見が除かれると思いますが、科学的に取り組むことの出来ない障壁が残っているような難病に対してどういうふうに接していくか。やはり、科学的に解明されない限り、そういった人達は、壁の外でもしかたがないということになるのか。感染の可能性も考えられるだけに、充分に警戒しなければならない。そういう恐れのある病気は社会に絶対にないという事が考えられる時代が、果たして来るのだろうかと思います。そういう傷病者を抱えながら、社会がどうあるべきかということも考えなければいけないのではないかと思います。

委 員

今、特定疾患のようなものを難病の中に入れているとすれば、これから新しい疾患が増えてくる可能性もあります。その時に難病という名前で、すべてを一括してしまうことが果たして適当なのか。難病と一括することで、一括した形での差別を生まないだろうか、固定観念として作り上げられてしまわないだろうかと心配をしています。

難病という一括した形で、呼称づけて良いのだろうか。人権を各分野に分けていく中で、「人権教育のための国連10年」の時から、「HIV感染者等の人権」という形で出ていますが、「人権教育のための国連10年」の草案が、国連でできかけている時が、ちょうどHIVの問題が出てきた時でもあった。各人権分野を県の人権条例の中で語る時に、各分野の名称をどのような形であげていけばいいのだろうか。和歌山市の条例を作成する時に、難病とするか、重い疾病みたいな名称にするか、それともHIVとするのか、ずいぶん悩みました。結局は、「国連10年」の形に戻し、「HIV感染者等の人権」という形にしました。

人権分野としての名称は、これでいいのかどうかということ含め、ヒントになるようなものはないでしょうか。

事務局

難病という呼称についですが、本年度の当初から国で特定疾患のあり方について審議会をやっていますが、その中では、呼称については、見直していこうということはなかったと思います。それから、「HIV等の人権」という呼び方については、なぜHIVなのかと変な感じがします。今、HIV、例えばB型肝炎、C型肝炎も同じように、人から人へ感染するということはありますが、エイズになったからといって必ずしも死亡するわけではない段階で、HIVが一番前に出てくることには疑問を抱きます。

それと、難病に限らず結核やここには出ていないいろいろな病気でも、同じように差別問題がありますので、「病気と人権」といいますか、病の人の人権という観点が必要だと思います。

委 員 質問ですが、45特定疾患を国が指定していますが、これらは、原因、発生機序は説明されているものですか。なぜ、こんな病気が指定されているのか分からないというものはないですか。
事務局 発生機序については、わからないものが大多数です。
委 員 科学的な根拠がはっきりしない、分からないものも含めて人権を考えていかなければならないというのは、例えば、具体的な場面で、病気の人と接する場合にどういうことが要求されるでしょうか。具体的な行動原理について。
委 員 プロミンが開発される以前の状態においては、感染について念頭に置かざるを得ない。その意味において、患者の隔離も考えられない手段ではなかったと言えるのではないでしょうか。やはり、感染の恐れがあることや完治するかどうか分からないところがあることを考えれば、プロミンの開発以前には、ハンセン病は非常に難しい病気だったと言えるのではないでしょうか。
委 員 風邪をひいている人が目の前でゴホン、ゴホンと咳をする時に、「ちょっと」と言いますが、それは構わないのではないですか。極端なことを言って申し訳ないですが。だから、その病気を持っている人の人権を抽象的に言えば、そうした人の人権も尊重しなければいけないとなると思いますが、一般的な行動原理として、何を求められるのかについては難しいところがあります。
事務局

伝染する病気は、世の中にたくさんあるわけですが、なぜ感染するのかについて、正確に理解されていないところがあると思います。例えば、エイズでも、握手しただけで感染する、あるいは結核であれば、その人は話をしても感染すると考えている人がいる。B型肝炎、C型肝炎でも感染するわけですが、それは特別な接触があって始めて感染するわけで、まず、そういった点をしっかりと理解して頂くということが大切だと考えています。また、感染した場合に、どの程度、健康に対する影響があるのかということも、皆さん理解していただく必要があると思います。

現在、感染症法では、絶対に隔離しなければならないといっているのは、空気感染といいますか、近くにいるだけでも感染するペストや天然痘といった、非常に限られたものになっております。

委 員 インフルエンザがはやっている時に、インフルエンザの患者と思われる人が、周りにいましたら、その時は嫌だと思いますが、これは、偏見・差別とは、別のものではないでしょうか。偏見・差別とは、病人なら病人に対する態度と、心理的な思い込みのようなもの、そのものに対する片寄った見方があるのではないでしょうか。病気に対して、自分に感染されないようにすることは、やむを得ないことではないでしょうか。偏見や差別とは、少し違うような感じがします。
委 員 咳をしている人に対して、身を引いてしまうことは、偏見ではないと思います。事務局がおっしゃったように、感染の仕方について、どのようにして感染していくのか分からないというような病気では、例えば、結婚問題を考える時に、同和問題の結婚問題について意識調査によく出てきますが、審議会で討議している各分野の中から、在日の方の結婚問題や障害者の結婚問題というような形で、各分野について結婚問題の対象として考えていく時に、難病患者との結婚について、ちゅうちょするかも分からないという回答が多い。ほぼ全員が、エイズ患者との結婚が一番心配で、ごく少し障害者との結婚が心配と言う人が出てきただけです。結婚の対象として、同和問題、在日の問題、あるいは人種、民族等については、結婚の障害と考える人が少なくなっています。私は、これは人権教育の成果だと思っています。しかし、エイズ問題だけが残り、結婚の障害になっているのは、教育も受けていないし、患者と実際に接触していくという形のものが少ない。そういう意味で、正しい教育や啓発をしていけば、原因は取り除かれると思います。ですから、学校教育の中にこういうものを入れていくことが、重要だと思います。
委 員 45の特定疾患について、発生機序がはっきりしていないものが、大部分だとおっしゃいましたが、遺伝するものではありませんといったことは、はっきりと判明していますか。例えば、かつてのハンセン病や結核のように、差別の発現形態で一番大きなのは結婚差別です。結婚の時にあそこはハンセン病の遺伝因子を持っているから、結婚をやめておこうとするのは、明らかな差別です。特定疾患で遺伝性のものかどうか分からない時に、その人と結婚するのをいやがることは、人権侵害の一つと言えるのでしょうか。
委 員 例えば、ハンチントン病などについては、遺伝性の疾患であると、はっきりしています。ハンチントン病の患者の子どもが、ハンチントン病になる確率は、5割くらいあります。それが遺伝かどうかということについて、断定できない部分もありますが。
事務局 遺伝であるということが、はっきりと分かっている疾患はありますが、遺伝でないということが、どの程度まで断定できるのかについては、遺伝のメカニズムが解明されつつあり、遺伝でないとどこまで断定できるかについては微妙なところです。
委 員 病気のことでお話が出ていますが、人権の問題を取り上げようと思った時には、結婚の自由が許されているわけですから、遺伝しようが、ご本人がこの人と結婚したいとおっしゃった時に、周りの人が病気を理由に反対することは、明らかな人権侵害だと思います。どんなものであろうが、本人がこの人と結婚したいと望んでいる場合は、今の日本は許されるのではないかと思います。
委 員 例えば、同和問題の結婚差別事件は、典型的には、お互いがつき合い、結婚する直前に、どちらかが同和地区出身だとわかった時、結婚をやめるという形で出てきます。私が、問題と思っているのは、自由に交際して、結婚しようかといっている時に、遺伝性の病気を持っている人と結婚しませんと言うことが、差別なのかどうかということです。
委 員 いわれのないということは、どういうことなのか。疾病を持っている、インフルエンザにかかっている人に対して、その程度や感染の恐れから言えば、差別というものには入りません。偏見と、疾病にかからないように自分で防ぐという時の感覚が違うのではないでしょうか。どこがどう違うのか、なかなか言い難いですが、いわれのないということがポイントになってくるのではないか。
委 員 ネーミングの時にそれをはずそうという人の中には、少なくとも感染症のところを中心に置かないと考えておられる方がいます。HIV感染やハンセン病は、感染症だから、これを結婚の反対の材料に使わない。遺伝性の疾病だとどうしようかとなるが、逆に言えば、感染症のように治るものの中にそれを持ってきて、それの人権を考えることは、難病というものと別物と違うでしょうか。遺伝性の疾病を考え、それとの色分けをして、風邪引きのような治るものまで、結婚しないというわけがないのと一緒で、遺伝性の疾病の場合については、少なくともそれに対する人権意識を高めていくことが必要だと思います。結婚する、しないという問題は別として、それだけでもってその人の良さを排除してしまう、仮にそれが遺伝性が強いとしても、それと結婚というのは、別問題です。結婚といえば、出産のような子孫を残すことだけを取り出しているような気がします。結婚そのものをとらえ、愛する人との結びつきまで排除してしまうような、冷たい社会を言っているので、一つずつ問題として突き詰めて、しよう、しないの問題ではなく、人間と人間のつき合いという関係という意味で、「病気と人権」という視点を置いても良いと思います。そうなってくると、「HIV感染等難病者」という表現は良いのでしょうか。例えば、HIVやハンセン病を、難病と同じ分野で定義しても良いのだろうか。人権という視点が前提にありますが。
委 員

結婚しない選択をしたことは、差別になるのだろうか疑問に思っています。結婚する、しないということは、その人の生き方の問題だと思います。例えば、子孫を残したいといった時に、日本では、まだ優生保護法があるのでしょうか。詳しいことは分からないのですが。アメリカで勉強していた時に、中絶の話が出た時に、日本の優生保護法について、その内容を書いたことがありました。その中で、良い遺伝子、悪い遺伝子という表現を使いました。その時に、「遺伝子に良い、悪いがあるのですか。」と、先生に厳しく言われたことがありました。あまり深く考えずに、うっかりとそれを使ってしまった。人の権利として考えた時には、良い遺伝子、悪い遺伝子という区分は当然ないはずです。自分の生き方として、それを受け入れるか、受け入れないかは、あくまで自分の問題であって、人に波及させていくことではない。

例えば、HIV感染者と結婚して子どもを残すということ、もしかしたらHIVに感染した子どもを子孫として残すことの判断は、その人達だけの問題だと思います。社会的にそういう子孫を残してもらうのは困ると言えません。政策的観点からは、いろいろな考え方があるでしょうが、個人の問題として考えたときにはそうではない。出産の際にHIVウイルスだけを除去して、出産がうまくいったとか、失敗したとかいうことが出ていました。今の医学では、そういう段階まで来ている。その中で、あの人はHIVに感染している、感染するものを持っている、だから「子どもを出産するなんてとんでもない。」と言うことが、差別だろうと思います。

個人の問題として考えた時に、それを受け入れる、受け入れないというのは、生き方の問題かと思います。誰でも好き嫌いがあります。鼻の曲がった人が好きだと言う人もいるでしょうし、鼻がまっすぐ付いている方がいいっていう人もいるでしょうし、そういう感覚で考えることができれば、良いのではないかと思います。

委 員

ハンセン病、HIV感染者そして難病の方に差別を行わないために、正しい知識が必要だと言われていますが、その「正しい知識」自体が、時代ごとに変わってきたのだろうと思います。ハンセン病の患者の方が国策により隔離されましたが、その時代はおそらくそれが正しいことと考え、多くの方が執行していたと思います。もちろん、ご本人やご家族の人はそうは考えていないはずですが。

裁判で国が過っていたということで、始めてハンセン病の経緯に注目することができ、身近にもそういうことで取り組んでいらっしゃる方がおられることを知り、学校の授業で学生達にこの話を必ずします。このことから学ぶべきことは、たくさんあるわけですが、とりわけ、時代によって正しさの基準が変わるという事を、如実に示していると思っています。国の言っていることだから絶対に正しいと思っていたが、違っていた。国も間違うことがある。私達が差別を生まないようにするためには、風潮やうわさに惑わされず、自分自身の目で何が正しいことかを見極めることのできる力を付けることが、本当の人権教育だと思います。その力を、どのようにして付けるかということは、とても難しい問題だと思いますが、そういった事例によって、こういう言い方は、病気を病んだ方、ご家族の方にとっては、軽率な発言かもわかりませんが、過ちを繰り返さないようにするために、自分の目で真実を見極める力を持つ。そのために、一人一人がそうありたいと願うこと、そして過去からも学び、現在も正しい情報をたくさん仕入れる。その時点、その時点によって正しい知識は変わっていくかも分からないが、精一杯その時点における正しい知識を入手することが必要ではないかと思います。

委 員

女性が産む性ということで、リプロダクティブヘルス・ライツという「産む権利、産まない権利」ということが言われていますが、例えば、遺伝子に関わる病気があり、そのために結婚しないと言われた時に人権侵害と言えるのかどうかという話になった時に、それは個人の生き方の問題ではないかという話が出ました。私も当然そうだと思います。ですから、リプロダクティブヘルス・ライツいう話が多く出てくる。こういう人権の中には、まだまだ出てきませんが、そういうものも人権に関わってくるのではないかと思います。出産前に、子どもに障害があると言われた時に、産むのか、産まないのかを決めるのは、本人です。授かった命を大切に守っていこう、産まれた子は社会が受け入れていこうということが進められている世の中ですから、当然そういう人を選ぶか、選ばないかというところからスタートすると思うので、それを人権侵害だと断定することはできないと思います。

ただ、人間が信頼関係で結ばれていく結婚の場で、破談になっていくケースのあり方だと思います。破談になっていくケースを、当然支持していくという社会的な風潮が作られていくのであれば、こういう事が起こってくるでしょうし、もし障害の問題等があったとしても、いろいろな問題を人権問題として解決していく世の中づくりをしているのであれば、個人はどのような選択であっても、安心して選択をしていくことができると思います。そういう社会づくりが、まずは先決だと私は思っています。その中で問題が出てきたとしても、しっかりとした社会づくりができていれば、いろいろな知恵を出して問題は解決していくことができるのではないかと思います。

委 員 まずは、科学的な正しい知識を持ち、その上で遺伝であると分かっても個人の選択の問題として、選ぶ権利があるということだと思います。人の言うことに惑わされずに意識を高く持つことが、学校教育の中に、正しい知識と人に対する愛、人権教育をしっかりと組み込んで取り組むことが大事だと思います。
委 員 事務局の方から、ご意見はありませんか。
事務局 現在、優生保護法はありません。母体保護法ということになっております。
委 員

先程、一つの事例として、HIV感染者が、出産を選択することも、個人の選択の問題というお話がありました。そういう個の尊重ということも、当然のことだとは思いつつ、生命の連鎖の中で、人類としてどこまで許されるのだろうかということも考えます。HIVの話でも、母子感染は、母親の立場からすれば、私は防ぎたいと思います。

HIV母子感染予防策としての抗体検査の実施については、東高西低だそうです。東日本の方では、行政も協力してやっていくという話はよく聞きます。県内の様子も教えて頂きたいと思います。本人の了解なしの抗体検査は、やはり問題があるということが言われております。

呼称の問題について、HIVに関する法が遅れたことについて、どうかという話もありますが、世界を眺めてみたときにどんどん広がっていく状況があり、国際化の時代に全くの他山の石ではいられない。今を共に生きる者として、この問題には、科学的にも、愛の問題としても、あらゆる方法で取り組んでいく必要があると思います。目に付くところでは意識教育について、いかに対処していくのかということを、次世代にも呼びかけたい問題だと思います。

そういう意味でも、学校教育の中でも、統一性や一貫性はともかく、教科学習では、保健体育の授業の中で専門的・理論的に取り組んでいると思います。しかし、それについては色々な考え方もあります。極端な性教育に走っていると言う話も聞きます。人権教育として系統的な教育は、まだなされていないのではないかと思います。教師の指導そして学校教育が効果を上げるためには、子どもが学校で学んだことが家庭でも受け入れられる必要があります。その結果、始めて定着していくものだと思います。いろいろな機会、いろいろな場所で、考え続けなければならない問題だと思います。本当の人権と言うとき、実践のない人権はあり得ないかもしれません。また、結婚を決断するに至る、各個人の意識形成の中には、その時代のいろいろな呼びかけが入ってきます。各個人がどのような選択をするのか、その選択の瞬間は各個人がすることですが、その意識や考えで気がついた者が、あるいは皆で厳しく投げかけていかなければならないのではないかと考えております。

委 員

例えば遺伝性の強い病気の場合の結婚問題について、どうするのかということがあります。先程ありましたように、本人の問題、生き方の問題であるという側面が非常に強いと思います。この難病については、本人の問題と周りの人の問題、社会の問題、行政の問題といったいろいろな側面があります。結婚問題は本人の問題だと思います。最も極端な例をとりますと、結婚する約束をしていたが、何かのきっかけで相手に遺伝性の病気を抱えていることが判明したときに、その本人が自分の考えとして病気だから結婚しませんとすることが良いことなのかどうか。確かに、本人の問題、個人の問題ですが、簡単に別れて良いのだろうかという感じがします。

それは、確かに個人の選択ではありますが、例えば病気を抱えながらも共に生きていこうという選択もあり得るのではないか。病気だから仕方ないという割切り方に、違和感を感じます。簡単に別れるわけではなく、本人はどうしようかと悩んでいるのだと思いますが、そのような問題があります。ただ、行政や社会が、どこまで立ち入ることができるのかということも別の問題としてあります。行政や社会は、あまり立ち入ることのできない問題ですが、あまりに簡単にしてしまうことに抵抗を感じます。

委 員

このような審議会等で打ち出していく場合には、一括りにしてしまうことも、問題があるかもしれませんが、この問題は、職場や学校という社会生活の中での差別や偏見という点から、はっきりと人権の問題であると打ち出すことがわかりやすいですし、それに対して最低限の道ができるのではないかと思います。病気を理由とした解雇や、病気を理由にした職場・学校での不利益な取扱を、病気と人権との関わり合いの中で打ち出すことが分かりやすいと思います。家庭やパートナーといった部分になってくると、遺伝の問題や感染の問題が入ってきます。そうすると個々の病気ごとに状況が違ってきますので、一括りにしたとらえ方はできないと思います。

ハンセン病については、国自体が差別を作り出し、それを定着させてきたことから、病気と人権という観点だけでない、別の視点が必要だと思います。しかし、それ以外については、病気と人権という観点から捉えた方がよいと思います。

委 員

人権問題を考えるときに、行政や専門機関が、情緒や感情の部分を排除しながら、科学的な情報を提供していく義務があると思います。その中で、偏見として間違っているものについては、ちゅうちょなく出していく。しかし、そうしたやり方の中で、遺伝性の病気について、全体的に腰の引けたところがある。なぜ、もっと積極的に取り組まないのか、前に進めていけば良いのにという思いがあります。それについては、行政が科学的な専門機関の中で、不安をしっかりと取り除いていくことが必要ではないかと思っております。

例えば、情緒や感情や正しいという名の下に、個人にすべてを委ねてしまうと、社会の中の忌みや偏見、同和問題などが典型ですが、このような偏見が出てきたときにも、個人の意見で嫌いと言っているのだからとなってしまう。正確な情報がきちんと伝わっていないのだろうと思います。いわれのない差別を一つとして、きちんと情報を提供し、その中でできるだけ正しい判断を個人にしてもらえるという形を考えるならば、きちんと情報提供をしていく必要がある。

卵の段階で、受精卵を破棄して良いのかどうかという問題がありました。そのことについて、皆さんにいろいろと聞いてみると、胎児の場合は残すことが当たり前だという回答ですが、卵についてはそうでないと言う人が多い。その子が生まれたときに、両親やその子自身が苦労するだろうとの考えを前提に、卵を処分しようと言っている人が多い。そういう判断は、社会に差別や偏見が残されていることが前提となっていますから、その前提となっている偏見をなくしていくことが重要である。その前提がなくなったときに、どうだろうか。また、障害者は、社会の中で可哀相な人、気の毒な人ではないという社会意識と、卵を処分しようとすることとは、両方を一緒に考えなければならない問題だが、判断する際に、どちらか一方に振れてしまう。科学的な情報は、背後にある判断材料の中心にある。一緒にしない方が良いと思います。

委 員 教えて頂きたいのですが、医療の分野について各人に対して国が一方的に強制的に検査をすることはありますか。いろいろな検査があると思いますが、諸検査の中で個人の意志に係わらず、法律に則ってやる必要のある検査はあるのでしょうか。
事務局 ないと思います。ただ、社会防衛的な観点から精神障害者の措置入院や、ペストの患者は強制的に入院させられなければならないということはあります。
委 員 事務局にお尋ねしますが、優生保護法にあった中絶を許されていた事項は、もうないということでしたが、遺伝に関することはどうでしょうか。
事務局 優生保護法という法律はなくなり、母体保護法に変わりました。その中で中絶というのは、母体の生命健康の保護を目的として行うことができるということになっています。
委 員 かつての優生保護法には生まれてくる子供が遺伝性の疾患を持つ場合には中絶ができるという項目がありました。母体保護法は、母体で出産に耐えられない体ということであって、遺伝については法律上、中絶を認めることがなくなったということですね。
委 員 妊婦のHIVの抗体検査を推奨するということができますか。
事務局 和歌山県ではそのようなことをしておりませんし、国の施策としてもありません。
委 員 他にご質問等ございませんでしょうか。ないようでしたら本日はこれで終わらせて頂きたいと思います。ありがとうございました。

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