第6回和歌山県人権施策推進審議会議事録

第6回和歌山県人権施策推進審議会議事録

第6回和歌山県人権施策推進審議会
日 時 平成15年1月24日(金曜日) 14時~16時半
場 所 和歌山市 アバローム紀の国
議 題

(1)子どもの人権に関する現状と課題について
(2)その他

出席委員

大畠委員 谷口委員 月山委員 辻委員 都村委員 中川委員 中谷委員
中村委員 西委員 村田溥委員 村田恭委員 柳瀬委員 吉澤委員

配布資料

※子育て推進課関係
(1)『わかやま子育てスタイル~和歌山県少子化対策推進指針~』和歌山県
(2)『子どもの虐待防止』和歌山県福祉保健部子育て推進課
(3)『子どもの権利条約』和歌山県・和歌山県子育て環境づくり推進協議会
(4)『子どもの権利ノート~みんなたいせつ~』和歌山県福祉保健部子育て推進課

※生涯学習課関係
(5)『平成13年度家庭教育子育て支援推進事業報告書 すこやか子育て』
和歌山県教育委員会
(6)『「社会の宝」として子どもを育てよう!(報告)』
今後の家庭教育支援の充実についての懇談会
(7)『「社会の宝」として子どもを育てよう!』
今後の家庭教育支援の充実についての懇談会
(8)『家庭教育手帳-和歌山県版-』文部科学省
(9)『家庭教育ノート-和歌山県版-』文部科学省

※学校教育課関係
(10)『平成14年度学校教育指導の方針と重点』和歌山県教育委員会

内 容

委 員

子どもの人権につきましては、県では、複数の課室においてそれぞれの取組を行っておりますので、まず人権室から総括説明を行い、個別な内容等について各委員からご質問がございましたら、関係課からお答えさせて頂きますので、よろしくお願いします。

事務局

子どもの人権についてご説明いたします。

我が国では、子どもについては、古来より「子宝」として大切なものという考えと、「餓鬼」として邪魔な者であるという考えがありました。

産まれた子どもが、家の相続者であったり、労働力になるものであれば、正に子宝として尊ばれ、反対に家の貴重な食糧を食いつぶすだけのものであれば「餓鬼」という考えでしかありませんでした。

しかし、家の相続者としての子宝は、一部の裕福な家庭における話であり、苦しい生活や貧しい家庭にあっては、堕胎や間引きの因習に示されているように、子どもは餓鬼であり、人としての生存が否定されたものでした。

明治時代、時の政府は、子どもたちの知性を開くことが、やがて富国をもたらすという考えのもと、「学制」の実施等、子どもに対する近代教育に取り組みましたが、国民は全体的に貧しく、子ども自体がその家庭における貴重な労働力であり、学校へ通わすことにより、その家の労働力が失われるばかりでなく、教育費の負担という二重苦に見まわれることを意味していました。

当時多くの子どもは、家計を助けるために、子守、奉公、内職だけではなく、工場労働者として、低賃金、長時間労働を余儀なくされ、劣悪な労働環境にさらされていました。

また、全体的に栄養状態や衛生状態の悪さから、乳幼児の死亡率は高く、病気が子どもの生命を脅かす時代が続きました。

戦後、戦災や引き揚げ等により生じた、いわゆる浮浪児が、社会問題化しました。彼らは、日々の生活の糧を求めて、物を乞い、または金品や食糧を窃取する等の非行に走りました。あるいは彼らを取り巻く保健衛生上の悪化等、様々な児童問題が発生したのです。

子どもの人権をめぐる現状と課題については、国では、児童相談所の設置、浮浪児の保護といった緊急的な児童対策に取り組み始め、やがて日本国憲法の精神に従って昭和22年に「児童福祉法」が制定され、児童福祉の理念が明確に規定されるに至りました。

さらに、昭和26年には「児童憲章」が制定され、「児童は、人として尊ばれる」、「児童は、社会の一員として重んぜられる」、「児童は、良い環境の中で育てられる」として、児童が心身ともに健やかに生まれ育ち、生活を保障され愛護されることが大きな目標として掲げられ、すべての児童の幸福を図ることを目的に関係諸施策が進められてきました。

また、平成元年に国際連合において採択された「児童の権利に関する条約」が平成6年に我が国において批准され、子どもの最善の利益を優先させるというこの条約の精神にそって、平成11年に子どもの性を保護する「児童買春・児童ポルノ処罰法」が、平成12年に被虐待児の早期救済などを目指す「児童虐待の防止等に関する法律」いわゆる「児童虐待防止法」が施行されました。「児童虐待防止法」において、児童に対する虐待行為として、(1)身体的虐待、(2)性的虐待、(3)養育放棄などのネグレクト、(4)心理的虐待が、定義されたところです。

しかしながら、近年、出生率の低下や核家族化、女性の就労や社会参加の増加、過疎化や都市化などにより子どもが育まれる家庭や、地域における連帯感の希薄化等といった地域環境に大きな変化が生じています。このことにより、親の間に子育てに対する負担感や子どもの教育の仕方が分からないといった育児に関する不安や悩みが広がっていることなど、家庭や地域の育児力や教育力が低下する中で、児童虐待の増加や青少年非行、体罰、不登校、引きこもり、いじめなど多くの深刻な問題が生じています。また、学校だけでは対応することが困難な諸課題も増加しています。

このため、子ども自身の問題解決能力を養うとともに、子どもを取り巻く環境の改善に向け、家庭や地域の育児力や教育力の向上を図ることによる子どもの人権の尊重及び保護に取り組む等、次代を担う子どもが健やかに育まれるような地域づくりが急務となっています。

児童虐待については、平成13年度に全国の児童相談所(174か所)で処理した虐待の件数は前年度の1.3倍にあたる23,274件に上っています。

また、本県でも平成12年度に160件であった相談処理件数は平成13年度で196件と対前年度比22%増となり過去最高となっています。

通報の経路別では、福祉事務所や保健所といった機関からの通報が増えており、これは、近年の保護者の育児力の低下に加えて「児童虐待防止法」により児童の関係者に通告義務が強化されたことの結果であると考えています。

さらに、緊急保護や親子分離による一時保護所への入所児童の増加や保護者と児童相談所の意見の相違による家庭裁判所への申し立ての増加など、その内容も深刻化しています。

この背景としては、少子化の進行と核家族化に伴う家庭の子育て力の低下に加え、地域でお互いに子育ての手助けをすることが少なくなってきていることが考えられます。

このため、児童虐待への対応としましては、発生予防、早期発見、早期対応、保護・指導及びアフターケア等をそれぞれの段階に応じて適切に行う必要があります。

不登校・引きこもりの問題についてです。平成13年度に児童相談所が受け付けた、様々な要因によって社会的な参加の場面がせばまり自宅以外での生活の場が、長期にわたって失われている状態である「引きこもり」を含む不登校に関する相談件数は174件あり、不登校の生徒数はここ数年著しく増加しています。

相談所では、精神科医や相談員が相談に応じていますが、今後、不登校児童に対する取組を進める一方、学校をはじめ地域の保健所、福祉事務所、市町村等と連携を図りながら適切に対応する必要があります。ちなみに不登校とは、年間30日以上の長期欠席者のうち「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により登校しない、あるいはしたくてもできない状況にある状態。」のことを言います。

体罰・いじめについては、学校や施設での教師などによる体罰や生徒・入所児童間での言葉や暴力による「いじめ」の問題が深刻な状況にあります。平成13年度に児童相談所が受け付けた「いじめ」の相談件数は50件に上っています。

とりわけ、施設に入所してくる子どものほとんどは、家庭で十分に養育を受けずに育ってきた子どもたちです。施設は、子どもが安心して生活を送れる場所でなければなりません。そのためにも、子どもへの関わり方に職員は十分注意を払う必要があります。

また、施設においては、虐待を受けた子どもの入所が増加するなど処遇困難な事例が増えていることに伴い、適切な処遇を行うための職員の専門性の強化や体罰など不適切な処遇を防止するための対策が求められています。

このような状況のもと、現在の取組の基本方針としましては、児童の権利の基本理念を定めた「児童憲章」や「児童の権利に関する条約」の趣旨を踏まえ、子どもの人権の尊重及び保護に取り組むとともに、平成9年3月に策定した「喜の国エンゼルプラン」及び平成14年3月に策定した「わかやま子育てスタイル~和歌山県少子化対策指針~」に基づき、安心して子どもを産み育てられる環境づくりに積極的に取り組んでまいります。

また、子どもの発達段階に応じた学習機会や家庭教育番組の制作・放映、「家庭教育手帳・ノート」の配布などの情報の提供や、地域で子育てを支えていくための子育て支援ネットワーク、子育てに不安や悩みを抱く保護者等の相談に応える体制を整備するなど、家庭教育支援の充実に努めるとともに、子ども自身の問題解決能力を養うため、子どもエンパワーメント支援事業を進めています。

さらに、学校教育においては、人権に配慮した学校運営や教育指導を推進し、児童生徒が安心して楽しく学ぶことができる環境を確保するとともに、児童生徒に対して、権利の主体者としての自覚を促し、人権尊重の意識を高める教育の充実に取り組んでいるところであります。

啓発の推進と県民の意識の高揚としましては、「児童の権利に関する条約」のリーフレットの、市町村や振興局など関係機関への配布や県の広報紙などによる広報活動を推進しています。

さらに、広く県民を対象にした講演会の開催をはじめ保育所、児童館、児童福祉施設の職員、児童委員、主任児童委員及び市町村の職員を対象にした子どもの人権研修を行い、子どもの権利条約や権利擁護についての啓発普及を推進し、人権の尊重や子どもを健やかに育てるための環境づくりに努め県民意識の高揚を図ってまいります。

子どもの重大な権利侵害であります児童虐待の防止対策につきましては、児童虐待相談の急増に対応し、児童福祉司の増員や弁護士の活用、精神科医による精神保健相談の実施等適切な指導・援助を行うなど児童相談所の機能強化に取り組んでいます。

また、虐待の予防や早期発見に資するため、児童相談所が中心となって、児童委員、主任児童委員、家庭相談員、保育所、市町村の職員等を対象に「子育て地域支援活動者養成講座」を開催するなど、子どもに関わる関係者の虐待問題についての理解を深めるとともに関係機関による連携を強化します。

さらに、虐待を受けた児童に対しては、児童相談所と児童入所施設、里親等が連携を密にし、その養護と自立を促進するとともに、入所児童には「子どもの権利ノート」を配布するなど子どもの権利擁護を推進します。

また、子どもの健全育成のためには、子どもに対する地域住民の理解を深めるとともに、子どもたちの身体と心の健康増進を図ることができる環境づくりが必要であり、地域での子育て支援体制の推進を図るとともに放課後児童クラブや児童館活動への支援など安心して子どもを育てることができる環境づくりを推進してまいります。

一方、子育ての様々な悩みを抱える親や子どもたちのための相談体制の整備・充実も図ってまいります。

保育の充実については、働く女性の増加や労働形態の多様化に対応して利用者の視点に立ち延長保育、低年齢児保育、一時保育及び休日保育など保育サービスの充実を図るとともに地域子育て支援センターなど地域と密接に連携した取組を推進し、子育てと仕事の両立を支援していきます。

生涯学習における主な取組としましては、子育てやしつけなどの家庭教育のあり方を見つめ直し、家庭教育への関心を高めるため、多くの親が集まる機会を利用した「子育て学習の全国展開」事業を32市町村において合計260講座、また父親の家庭教育への参加を促進するため、父親の家庭教育への参加に関する課題について、様々な視点から取り上げるフォーラムを県内2会場で開催しています。

乳幼児期から学齢期等における家庭教育上の諸問題についての情報をテレビ放送によって提供するとともに、学習教材ビデオとして県内の視聴覚ライブラリー等に配布しています。

家庭教育に関する悩みや不安を抱く親等に対し、電話による相談に応じるとともに、適切なアドバイスが行えるよう、臨床心理学や発達心理学等の専門的な知識を有する者を家庭教育に関するカウンセラーとして活用し、相談体制の充実強化を図っています。

また、子育てやしつけに関する悩みや不安を抱く親に対して気軽に相談に応じたり、きめ細かなアドバイス等を行う「子育てサポーター」を市町村に配置し、親子のふれあい活動や子育て相談などの交流事業を行うなど、地域における子育て支援のネットワークの充実を図っています。

困難な教育課題を持つ小・中学校を支援するため、スクールサポーターを委嘱し、子どもや保護者に対する具体的な対策を検討するとともに、地域の支援体制づくりのための講演会や、子ども自身の問題解決能力を養うため、学力と生活の両面から子どもを支援する学習会や親子体験活動等を実施しています。

保護者や社会教育関係者等を対象とした人権教育地方別研修会、すべての小学校の保護者を対象とした保護者学級、教員を対象とした地方別人権教育研修会、市町村の人権教育担当者や教員を対象とした研修会を実施して、子どもの人権に関する内容についての研修を深めています。

学校教育では、「平成14年度学校教育指導の方針と重点」を作成し、幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び盲・ろう・養護学校の教員に対して、人権教育の指針を示し、その中で子どもの人権に関する教育についても明示しています。

人権尊重の精神を貫く教育は、民主主義の実現と充実を目指すものであり、すべての教育活動の根幹をなすべきものであるとの認識から、各学校において人権教育を推進するにあたっては、児童生徒とそれを取り巻く社会の現実と課題を直視し、男女平等や子ども、高齢者、障害者などの人権に関わる問題について、実践的に取り組むことが重要であることを示しています。

各校・各園における具体的な取組としては、幼稚園では、「人権尊重の心の芽生えを培う」として、友達とのコミュニケーションづくりや命の大切さなどに留意しながら保育を行うように、また小学校では、「人権尊重の精神を育てる」として、学校の教育活動全体を通して、様々な人権問題について正しく理解、認識するための基礎を身につけさせること、児童が日常生活において、人権尊重の精神に沿った行動ができるよう指導することなどについて、中学校では、「人権尊重の実践力を育てる」として、小学校で指導した内容を踏まえ、科学的かつ合理的なものの見方や考え方及び互いに人権を尊重し、協力し合う生活態度を身につけさせ、さらに様々な人権問題についての正しい知識を身につけるよう指導することなどについて記しています。

また、高等学校では、「人権に関する認識を深め、実践力を高める」として、学校の教育活動全体を通じて、同和問題をはじめ様々な人権に対する科学的な認識を深め、差別の解消に向けて、主体的、積極的に取り組む態度を育成することを目標としています。

また、いじめや不登校等の問題に見られるように、子どもを取り巻く状況は、人権の観点から見ても深刻さを増しており、子どもの人権が保障される社会にするため、「児童の権利に関する条約」等の理念に基づき、子どもがその発達段階に応じて、適切な保護を受けるとともに権利を行使する主体であるとの認識を深める必要があります。

各学校においては、人権に配慮した学校運営や教育指導を推進し、児童生徒が安心して楽しく学ぶことができる環境を確保することが必要であります。

近年の急激な社会変化や物質的な豊かさなどの中で、大人も含め子どもたちが他人を思いやる心、弱者をいたわる心、ものを大切にする心等、人間として大切なものを見失いがちになっています。

また、知育偏重の社会的風潮、人間関係の希薄化、家庭や地域の教育力の低下、さらには進路希望の挫折、学習への不適応など、様々な要因が複雑に絡みあって、児童生徒の心の荒廃を招き、不登校やいじめが深刻な問題となってきている状況があります。

学校教育に携わる者としては、こうしたことを厳しく受け止め、児童生徒が存在感や充実感を持ち、他人の心の痛みが分かる豊かな情操を培えるよう、日々の教育内容の充実に努める必要があります。

そのため、地域や児童生徒の実態を踏まえ、各学校における生徒指導上の諸課題を明らかにするとともに、明確な指導方針のもとに、学校生活への適応と自己実現に関して適切な指導を行う必要があり、また、学校や家庭における望ましい人間関係の促進、基本的生活習慣や規範意識の確立、教育相談体制の一層の整備の充実を目指さなければなりません。

現在、不登校・いじめ問題等に関する学校教育関係の施策としては、不登校問題に対応するため、適応指導教室や民間施設などにおける継続的な活動または様々な体験活動を通じた適応指導による学校復帰のための支援方策に係る調査研究の実施や、不登校・いじめ問題等の解決に向けて、関係機関が連携協力を図り、実効ある方策についての検討を行っています。

また、臨床心理士等を、中学校20校、高等学校1校に派遣し、心の教室相談員を中学校50校に派遣、県教育研修センター及び各地方教育事務所に教育相談主事14名を配置しています。

さらに、県教育研修センター主催の生徒指導及び教育相談関係の研修に取り組んでいるところです。

次に、少年に関係する事件についてです。少年に関係する事件は、複雑、多岐にわたっており、特に少年が起こす暴行傷害、ひったくり、路上強盗等は大きな社会問題になっています。

また、これら事件に関係して、あるいは児童に対する性的搾取及び性的虐待や虐待等により被害少年が増加するなど深刻な状況にあります。

警察では、現状を踏まえ、少年事件や少年の健全育成を害する事件の捜査に力を注いでいます。

このため、少年サポートセンターを設置し、少年補導職員による、非行に至る前の家出、喫煙、怠学、深夜徘徊(はいかい)等の不良行為少年の補導に力を注ぐとともに、必要な場合は、継続補導を実施しています。

また、被害にあった少年の継続的な相談及び支援活動を行うなど、少年の非行防止、健全育成、保護活動等に努めています。

さらに、平成14年度からは、県内の小学校2年生・5年生、中学校1年生に対し、各学校の各学級ごとに、担任教諭と少年補導職員とが協力して、いじめや万引きについて児童とともに考える「キッズサポ-トスク-ル」を開催し、少年の人権や社会規範意識の醸成に努めているところです。

また最近、大きな問題となっています援助交際や児童虐待については、児童を性的搾取及び性的虐待から守る法律である「児童買春・児童ポルノ処罰法」や、児童虐待を受けた児童の保護のための措置等をとることを定めた「児童虐待防止法」といった法律が整備されたことに伴い、児童の健全育成を害する者に対する取締りや関係機関との協力による児童の保護等を強化しています。

携帯電話の出会い系サイトやテレホンクラブを通し、成人が児童に対し援助交際と言われる児童買春を行う事件も年々増加しており、県警察ではこれら児童との性行為を撮影した事案を、児童ポルノとして検挙しています。

いずれの場合も、被害児童に問題を抱えている場合が多いことから、必要なときには、被害児童に対し指導助言を実施しています。

児童虐待については、児童相談所その他の関係機関と、警察が緊密な連携のもと再発防止に努めることが重要な課題となっています。

なお、県では、「児童虐待防止法」第10条に基づく援助要請に基づき、現場での警察官の援助の実施、児童虐待による傷害事件の検挙及び関係児童の一時保護等児童の保護活動を実施しているところです。

子ども会活動については、これまで、同和教育子ども会は、同和問題の早期解決を図るため、差別に負けない、差別に打ち勝つ子どもの育成を目指し、諸活動の充実発展に努めてまいりました。そして、子ども会を設置する市町村や、活動に携わる指導者、教育関係者、あるいは地域の絶大なご尽力によって活発な活動が続けられ、相当な成果をあげてきたところです。

しかし、現在も差別事件が発生するなど課題も残されており、同和問題や人権問題に対する正しい認識と将来に向け生きる力を持った子ども、あるいは積極的に差別を取り除いていく子どもの育成に取り組んでいくことが必要であると考えており、14年度より和歌山県地域子ども会育成総合事業を実施しております。

この事業は、これまで行ってきた「同和教育子ども会育成補助事業」と「地域子ども会育成補助事業」を一本化し、子ども会活動が、県内全体に広がるような観点も視野に入れ、本年度、新たに立ち上げたものです。

昨今の青少年を取り巻く社会環境の急速の変化や完全学校週5日制の実施に伴い、地域社会全体で子どもを育てることの重要性がますます増大しております。そのため、地域に根ざした子ども会活動をより充実させていくことが、最も有効な手段の一つであると考えております。

事業の実施状況でありますが、(1)創作活動やリクリエーション活動及び人権活動などの学習活動、(2)野外活動やボランティア活動などの体験活動、(3)子ども集団相互の交流などの交流活動、(4)青年リーダー育成などの指導者養成のための活動の、以上4つの活動のうち「すべてを行い、年間50日以上活動する地域総合活動」と、「4つのうち2つ以上の活動を行い、年間12日以上活動する地域集団活動」の2つのメニューを用意し、実施する子ども会への補助を行っております。

今後とも、市町村、地域の方々と連携して子ども会の育成に取り組んでまいりたいと考えております。

最後になりますが、県内の子どもの数は、12年度現在約22万人です。

障害や難病等とともに生きる子どももいます。様々な理由により、施設で生活をする子どもや、ひとり親の家庭で暮らす子ども、学校に行けずに悩んでいる子ども等がいます。

どのような状況にあっても、すべての子どもが、可能性を持ったひとりの人間として大切にされ、心豊かに生きていけることを願って、取り組んでまいりたいと考えております。

委 員 各委員から、先程のご説明のありました事項に限らずに、ほかに質問がありましたら結構でございますから、ご質問、ご意見等を伺いたいと思います。
委 員 一点、お尋ねしたいことがございます。いじめ、体罰の報告のところで、いじめについての統計数値が出ていますが、教育委員会に上がってきている体罰の実情、統計数値みたいなものがあれば、教えて頂きたいと思います。最近の新聞にも、体罰を行った教師について名前を公表するかどうかが問題となったということが載っていました。いじめと同じように体罰についても、10年以上前から指摘はされていますが、依然として行われているといった報道があります。しかし、実情等があまり分からないところがあります。もし、数値的なものがあれば、教えて頂きたいと思います。
事務局 体罰ということですが、学校教育課は、いわゆる子どもの非行に係る、生徒指導に関わる調査を所管いたしております。いわゆる体罰となりますと教職員の指導のあり方という点で、私どもと所管が少し違います。
委 員 数値的なものでなくても、あるのかないのかということも含みまして、いろいろな方面から、聞かせて頂ければと思います。厳格な意味での報告でなくても結構です。
事務局 教員の指導に行きすぎがあったために、いわゆる体罰を行い、教育委員会として教職員に指導を行わなければならないという事例は、正確な数字ではありませんが、年間で数えられるほど、あるかないかというのが実状でございます。私どもとすれば、やはり子どもの気持ちをきちっと受け止めて、粘り強く指導しよう、感情に走るようなことがあってはならないと絶えず申しております。しかし、現実問題として、教育の現場から体罰がなくなったかと言えば、やはり年間に1~2件の報告が上がってきていると認識しております。
委 員 事務局の説明に対するご意見や、あるいは委員が直接体験された事例がありましたら伺いたいと思います。
委 員

いじめの発生について、そして不登校について、この関連性は非常に大事なことです。自我の目覚めとともに自分を客観視し、自分の存在をまわりと比較する中で、できないというために引きこもり、それによって、極端に言えば心が煮詰まってしまいかねない。

引きこもり等の不登校について、全国的には、和歌山はどうなのかということを具体的な数字で分かるようであれば、それもあわせて教えて頂きたいと思います。

事務局

本県と全国のデータについては、依然として増え続けております。小学校においても中学校においても増え続けております。しかし、本県については、昨年度にはじめて減らすことができました。在籍生徒に対する実数だけではなく、在籍生徒に対する比率も下げることができました。全国的に増加している中で、実数でも在籍の生徒を減らすことができたのは、和歌山県のほかには数県あるかないかということです。そこだけを見れば成果をあげたということになりますが、実際には、本県の不登校児童生徒の在籍比率は全国的には、大変高い水準にあります。減ったことで、安心するわけにはいきません。

しかし、教育相談所、スクールカウンセラーの活用等の取組を粘り強く行ってきたことの効果がようやく出始めたのではないかと受け止めております。

いじめの発生については、数年前からいじめの件数は、全国でも和歌山県でもほぼ横ばいの状況にございます。

そして、いじめ、不登校の子どもたちの気持ちを受け止めることができるのかどうかということですが、私どもは平成4年度から、県独自に教員に臨床心理学の専門的な研修を受けさせて、専任で臨床心理的な指導にあたれるものを養成して、地方ごとに、現在14名を県内に配置しております。各学校の子どもや保護者のカウンセリングに学校だけで対応するのが難しいところについて、それぞれ地方に配置されている14名の教員が、対応することにしております。カウンセリング・マインドが学校現場にどれだけ浸透しているかということについては、他県に誇れるものがございます。そういう意味では、子どもたちのいじめや不登校から精神的な病に至るようなことがないように臨床心理的な対応を、本県としては懸命にやってきたと考えております

委 員 14名の臨床心理士の資格を取られ学ばれた先生は、小学校と中学校に何人ずつに配置をしているのですか。
事務局 教育相談主事でございまして、臨床心理士としての資格は持っていません。臨床心理士の資格を持った者がピラミッド型の組織の上にあるという、スーパーヴァイズ方式をとっております。カウンセリングをする者が、上級の方に指導を受けるといったピラミッド構造になっております。県内で、技術を持ったスタッフは、先程申し上げた14名以外に2~3名がおります。それ以外は、専任の事務局に入っています。14名についても、臨床心理士の資格は持っていませんが、それぞれの地方教育事務所にほぼ2名ずつ配置をしております。
委 員

体罰の問題についてです。小・中学校で校内暴力あるいは家庭内暴力で少年院に入ったような子どもたちを、私のゼミへ全部入れるという大学の方針で、その子どもたちを見てきました。ほとんどの場合において、先生が児童・生徒を殴ることは教育として受け止められているが、児童・生徒が先生に向かっていくことは、必ず犯罪行為みたいな形になる。家庭においても、親の行う暴力はしつけというものとして公認されるが、子どもが親に対して暴力をふるうということになれば問題となる。

子どもたちにとって一番の矛盾は、人が人を殴るのはいけないことだと思うが、それに対して殴り返すことには、なぜこちらだけが罰せられるのかという思いを持っていたということです。こういう問題を起こすような子どもたちの考えには、多分にそういうものがあるのではないだろうか。だから、校内暴力が生じてくる原因について言えば、校内で体罰が容認されるような雰囲気があるのではないか。あるいは家庭でも、親がしつけという名のもとに、子どもを腕力で一方的に屈服させる雰囲気があるのではないか。そして、親より子どもの方の体力が勝ってくれば、それが報復という形で逆の連鎖反応も起こってくるのではなかろうか。だから、学校に、人権というものが活かされているということが必要なのではないかと思います。

そういう意味で、1年間の体罰の数はごく少数だと言われましたが、人権、あるいは人権侵害という観点から考えたことがあるのだろうかという思いがあります。先生と児童・生徒、あるいは親と子どもは、人間として、どう向き合っていかなければならないのかということを、もう少し深く考えたところからスタートすべきではないだろうかといつも考えています。

児童虐待はこのところはっきりと見えてきて、みなさんが問題にしてくださることが多くなってきていますが、校内での体罰問題は、ややもすると教育指導の一環ということで捉えられますが、人権教育の問題ではないだろうかという思いを持っています。

委 員 年間に1件、2件ということでしたが、それは教育委員会に上がっている件数が少ないだけではないでしょうか。実際に教育委員会に上がらないが、学校の現場での件数は、もう少し潜在的にあるのではないかという気がしないでもないです。弁護士会が体罰について相談活動をやったときに、生徒側からの相談があったわけですが、それは幼稚園から高校まで及びました。必ずしも暴力が伴うようなことでなくても、いわゆる体罰といわれるような行為、あるいは、体罰に見られるような行為が、教職員から児童・生徒に対してあるように思われます。教育委員会までは上がらない程度のことが、学校現場では、もう少しあるように思われます。それが正確に把握されて、報告されるようにしていく必要があるという気持ちがします。
委 員 逆の考え方はありませんか。今、あまりにも体罰や何かとうるさいことを言うために、教育の現場では、かえって萎縮してしまっている。教員が生徒に注意できないような雰囲気になることがあって、教育のあり方について妨げになっている。やはり、学校内といえども秩序が必要であり、秩序の意識が薄れていってるという気がします。
委 員

しかし、毅然たる態度をとるということと、暴力でもって、腕力でもってやるということは違うような気がします。行為を止めるとなると、何もかもひいてしまって、注意もしないという形になると思います。おそらくそれを知っている中・高校生ぐらいになると、逆に挑発してくるということがあります。「先生は、何もできない」、「教育委員会にえらい目にあう」、「首飛ぶよ」と生徒が教師に向かって言っている例がたくさんあります。それはもともと、そうなった時の先生の毅然たる態度の問題であって、殴るという行動をすることが強い先生とは限らない。

私の教え子に剣道の達人がおるのですが、少なくとも、きちんとした正義感で、普段からものを言っている。普段からあまりおとなしくないような学校ですけれども、確かに、生徒の方から逆に挑発してきて、生徒が傍若無人であるという例があります。

委 員 雰囲気になじまないというのは、おかしいと思います。教育のあり方を考えるときに、厳しさというものを放っておいて、子どもに追われるようなところが表面に出すぎて、逆に教職員を萎縮させてしまう。教育とは守っているのではないかということも耳にします。私自身もそのような面があるのではないかと感じますが。
委 員

この10年間、学校教育は非常にマスコミの中で叩かれ続けたと思います。校則や体罰、あるいは管理教育と、いろいろと教師が強制することが社会悪であると言われ、教師や先生方に非常に厳しい中で、教師と子どもが同等であるということが先走りすぎているのではないでしょうか。それが、個人の自由、子どもの自由であるとの世論の支配的な意見の中で、あまりにも自由や権利を重要視しすぎているのではないでしょうか。

私たちの場合は、昔の教育ですから、三歩下がって後ろからついていきますという教育で、先生は絶対でした。殴られても、血を出しても家に帰って報告して、先生を尊敬したという時代です。それはそれで一つにしても、今は学校の中は何でもありです。町の中でも、何でもやってそのまま通じるという状況で、小学校から学校崩壊ということもあります。人権を最大限に守らなければならないと、憲法や条例をあまりにも前面に出しすぎて、世論が学校を批判してきたと思います。その中で中学生は、自由ということには責任を伴うということを考えていく必要があるのではないかと思います。

委 員 「成長していく権利」や「幸福になる権利」が、他の子どもの人権や友達の「成長していく権利」の阻害になっていることすらあるのではないか。先生の暴力について言うよりも、子どもたち自身が反省するような場が必要な時代だという感じもします。
委 員

現場教育が尊重されるということが大事ではないかと痛感しています。一人ずつの教師の教育活動に重きが置かれるということが、時代の中で、いろいろな施策的なことも入ってきて、ともすれば少なくなってきていると感じています。

言葉による暴力も含めて、体罰への反応は個人差が大きい。人間同士の信頼関係が大きく作用していて、同じようなことを言ったとしても、もっと言ってくれという親もあるかと思えば、先生にこんなことを言われたという親もいます。あるいは、手を出してくださっても結構ですという親もあれば、ちょっとしたことでも隙あらばという姿勢の方もいらっしゃる。子どもの置かれている背景ということについても、教師は把握する力が必要です。そうでなければ、体罰ということが出てきますし、親もそういう耐える力がある間はともかく、親も子も本当に無力の場合は、違った形で他の友達に向く場合や連鎖反応を起こしたりする場合がありますので、表面的なことだけで体罰はないという捉え方をしてはいけないと思います。

学校は本当に人権というものが守られているのか、あるいは教師同士も含めて、生徒と教師・親の関係がどうなっているかということが、体罰の認識の大事な一つのポイントではないかと思います。ですから、コミュニケーションの取り方であったり、人権意識をお互いに確認しあったり、相手の立場に立つであるとか、行動の背後に本当に暖かいハートがあるのかないのかが最後の決め手になってくると思います。確かに、無力な子どもは、エネルギーがなくなれば、直接に訴えること、校内へ訴えることもできないだろうと思います。そこに気をつけないといけないと思います。

2点ほど質問があります。不登校について数値目標を全国平均にまで持っていこうということを説明されていたと思いますが、数値目標として分母が分からなければ数値目標が分かりません。分母が生徒数になるのか、総生徒数になるのか分かりませんが、はじめのご説明の中に、平成12年で子どもの数が22万人との説明がありました。つまり平成13年度には1,484人の小学生・中学生の不登校児があるということですが、これは全体の何パーセントぐらいであったのか。全国での不登校児の数が約138,000人となっていますが、全体から見ればどのくらいの割合なのか、概数で結構ですから教えて頂きたいと思います。

それと、もう一点は引きこもりから精神的な病になっていくということが、一部では言われているというお話がありましたが、逆に引きこもっていく子がそういう要素を持っていて、あるきっかけで引きこもっていくことが多いという捉え方もされると思います。時代の一つの様相かとも思いますが、引きこもりについての考え方、以前に障害者問題の時に少しご説明は頂いたかも分かりませんが、少し教えて頂きたいと思います。

事務局 在籍生徒の比率で申しますと、本県では小学校で0.55パーセント、それから中学校で3.37パーセントの生徒が不登校傾向にあります。それに対応する全国の数字は小学校が0.36パーセント、中学校が2.63パーセントであり、本県は全国平均よりかなり高い状況にあります。それを平均値まで下げるべく、目標を掲げております。分母の数字は全国で申しますと、小学生は約736万、中学生が約410万になります。
委 員 まず校内暴力ということから議論が始まりましたが、それ以外の子どもたちの人権に関する問題についてご質問ございませんか。
委 員

子どもの人権という質問についてですが、やはり政治的に人間として与えられている権利は当然としてある。そうすると特に子どもの人権を取り上げる意味は何か。それは成長する権利だと思います。子どもが生まれて、一人前に育つまでの成長するという権利というのは当然にあると思います。成長する権利について、社会がどういうふうに構成するのか、どういう必要があるのか、どういう理由があるのかとして考えると、結局、教育という問題はとても大事な問題であります。それで教育の問題の一つとして捉えておられるのかどうかについてお尋ねします。

それからもう一点は、基礎学力ということがとても大事な問題です。基礎学力が本当に保障されていないために、大学生になっても分数が分からないことになる。この基礎学力に関する問題は、子どもの機嫌をとって、好きならばやりなさい、いやならばやらないで良いという問題ではないと思います。必要があれば、子どもとの関係になるが、いろいろな工夫・方法を使って、基礎学力を絶対につけなければならない。子どもの好き嫌いに関わらず、つけなければならないということが、いろいろあると思います。だから、体罰の問題も場合によっては、先生が善意ゆえに起こることもある。善意だからいいとは限りませんが。そういう問題があり、その場合、子どもの人権では、成長期にある子どもとして、どういう人権を保障される必要があるのかということが中心になります。

和歌山県から頂いた資料は、ほとんどすべてが子育ての問題に関したものです。少子化対策ということで、長寿社会がなぜ子どもについていろいろな問題を起こすのかと、いろいろと書いてあります。しかし、これも子どもの成長する権利というところに焦点をあてて考えてみれば、子どもが育つ環境を本当に成長するために保障するというふうに捉えれば良いと思いますが、県の報告は少し少子化対策に片寄りすぎているのではないでしょうか。もちろん、少子化対策のことは大事です。少子化対策がうまくいけば、子どもがうまく育てられるというスタイルになっています。しかし、子どもの人権はきちんといろいろな条件から捉える必要があると考えています。児童憲章を3つあげています。「人として尊ばれる。」これは当然のことです。「社会の一員として重んぜられる。」これも重要です。「良い環境の中で育てられる。」こういう表現にしても、子どもの現状に焦点を合わせて討議する必要があるのではないかと思います。

委 員 基本法としては、どのような方針がありますか。
事務局 学校教育基本法です。
委 員 例えば、セクハラだとセクハラされる人がどう感じるのかということが重要になります。同和問題でも言われた人が、どう感じるのかということが中心だと思いますが、そういう観点から体罰の定義はどういうふうになっていますか。客観的なことをいうのか、それとも、行為者の主観的なことをいうのか。それとも、やられる方の主観的なことを加味するのかということについてお聞きしたいと思います。
事務局 暴力行為を物理的に加えることと、心理的に加えることの両方があり、暴力的なもの、物理的なものについては、客観的な判断ということで、それが善意であるか悪意であるかは問題にはなりません。心理的なことについては少し判断が難しい面があるのかと思っておりますが、物理的な行為だけではない把握の仕方をしております。
委 員 子どもの方の主観は何も考慮しないということですか。例えば、あの先生に殴られたいので、わざとふざけたということもあります。そういったことも体罰になるのですか。
事務局 教育の現場はやはり、教員と生徒の信頼関係が基本にございます。何もかもしゃくし定規にすることが、子どもの成長にとって、いいとは限りません。そういったことも考慮しながら、また、現場を扱っている校長は、そのことも踏まえて、子どもと教員の指導をしていると思っております。
委 員

体罰概念の中に、生徒の主観的なものも考慮に入れるべきではないかと思っています。

客観的に体罰であっても、生徒が許せば、良いのではないかという議論も成り立つのではなかろうかと思います。ただし、子どもの人権という時には、産まれたての赤ん坊から20歳直前の子どもまでありまして、他の分野とは違って、子どもという対象が非常に広いわけです。自意識のない赤ん坊から健全な大人と見なすことのできるところまであります。小学生に対する体罰と中学生に対する体罰と高校生に対する体罰という3つに分けて考えてみますと、それぞれいろいろな局面が違うのではないかと思います。生徒の受け取り方という点で違ってくると思います。

委 員 体罰を受けた人間がどう感じたのかということではなく、そういうことを受け取ることが成長段階にある子ども自身のためになるということを基準にするのか。それとも、子どもがどう感じたのかということで、それが体罰であるのかないのかとしていくのか。その点を確認したいと思います。
委 員

例えば、小学生の低学年であれば、子ども自身がどう感じたのかということは関係のない話です。つまり、小さな子どもがこうありたいからといって、それがいいとは限らないわけです。しかし、高校生というのは、その生徒の主観的な感じ方に、かなりウエイトを置いてもいいのではないかと思います。

体罰だからダメという解釈の仕方には抵抗があります。

委 員 今までの例から考えて、体罰が容認されるような例は極めて少ない。しかし、万が一容認される場合があるとしたら、それは親と子、先生と児童・生徒という関係の中にきちんとした心の交流があり、それが当然のような形で、力を加えられることそのものを、体罰ではなく、愛であるという思いを持っているような場合のみ許されるのではないでしょうか。そういう例は、極めて少なくて、なかなかそんな例はない。かわいがってるから子どもを殴る、こんなに愛しているからだと言うが、そんな形の例というのは、過去においてもほとんど見たことがない。現実に、子どものこれからの将来においてプラスには働いていない教育方法だと思います。ただ、人権というものが勘違いされているのか、とにかく完全に平均的な形、つまり均一的平等を守ればそれで良いという考えが、社会の中にあるのは心配なことです。当然、先生や親は尊敬されるべき存在であり、誰が生徒か先生か分からないといったことは論外です。そういう意味で尊敬されるべく、日々、自らを高めていくことが必要だろう。そうして身を律しながら外見からは毅然とした態度で、先生が頑張ってくださる点を考えれば、わざわざ腕力に物を言わせるような体罰という形、瞬間的にできる教育方法は、あまりとらないのではないか。
委 員 客観的に見れば体罰であるが、生徒と先生の信頼関係の中で、前向きの方法で解決してきた例はたくさんあるのではないでしょうか。
委 員 むしろ、少ないと思います。肯定していくと、暴力を肯定してしまうようなことになってしまうので、啓発をしていく際にはきっちりと線を引いていく。教師にとっては大変なことだが、体罰をしない方向で教育する、教育委員会もそういう方向に教師を指導していく方が、結果的に良いと思います。どこに視点を置くかで、多数か少数かの違いはあるでしょうが、お話しされた例は少数であると思います。
委 員

客観的に、外から見れば暴力だと思うことも、殴られている人からすれば感激して、力をもらったと思っていることもあります。教育現場では、思わず愛情から暴力的行為があったとしても、本人には分かるはずだと思います。体罰は全体としてはいい結果にはならないが、当事者同士において、愛情から思わず手が出てしまった。それに対しては、殴られた方も暴力を受けた、体罰を受けたという意識は残らないだろうと思います。ただ、原則として体罰は禁止という方向で進んでいかないといけないと思います。

基礎学力の低下ということについては、塾をやっていますと、全体的に物事が分からなくなってきている子ども、ポイントを教わらないままの子どもが多くなっていると感じていました。ただ、国の大きな方針の中で決められていくことなので、ここで言っても仕方ない部分がありますが、子どもは義務教育として与えられる権利を持つこと、大人は教えていく義務があるということで進めてきているにもかかわらず、学校以外の場所で基礎学力とそれ以上のことを学んでいかなければならないということが、近頃はたくさんあると思います。 最初に塾を始めた頃は、学校のサポートという形で始めました。塾教師は裏街道ですと言っていたのが、今では表街道になっている。塾があって当たり前という体質に変わっていって、子どもが何も知らないで大きくなってしまった現実、大学生になって分数の計算を始めて習う、ノートの取り方を習うという現実が、子どもの成長する権利というものを、本当に与えているのだろうかと心配に思います。

委 員

最近、女性たちで話をしていると、子どもに関することがよく話題になります。子どもが自分の健康を守る権利はどれぐらい認められているのか、あるいは自分の健康を守るための生きる力というものを教わっているのかということが気になります。売春やポルノに関わることかも分からないですが、中学・高校時代の性に関する興味が急激に高まるときに、不必要なほどに情報が氾濫している。その氾濫している情報を正しく取捨選択する力がなければ、情報に流されてしまう。高校生の間に性体験がないのは恥であったり、仲間はずれ、いじめにあってしまうという話を子どもが言うと、ある高校生の母親が言っていました。

性情報が氾濫する中で、何が自分の健康にとって大事なのかを選択する力が子どもにはないのではないか。また自分の身を守る術も知らずに、情報ばかりが先走っているのではないかと思っています。性に関する情報というのは私たちの時代と今では全く違いますし、道徳のあり方も違うかも分かりませんが、やはり正確な知識を得て、実行するということがなければ、青春を台無しにしてしまうこともある。あまり表には出てこないが、性病にかかり健康を害している子どももいるという話も聞きます。自分の子どもが知識もないままに被害に巻き込まれてしまうことを考えると怖ろしいという方もいらっしゃる。子どもが自分の健康を守る力をつける権利というのも、きっちりと謳うことができ、それを大人が守ってあげるのではなく、自分で守ることができるということを、きちんとしていく必要があるのではないかと思います。

委 員 体罰については、まだ話の分からない3歳ぐらいまでの子どもに対して信頼関係を基本にした親子の間ではともかく、教育の現場、特に中学等で体罰が容認されるのは問題があると思っております。
委 員

体罰の問題については、子どもが体罰だと思えば、それは体罰になると思います。学校教育は世間に流されてはいけないということは、そのとおりだと思います。教育は強くなければならないと考えています。しかし、教育が強くなければならないということと、体罰、これは暴力として捉えていますが、暴力が愛や信頼関係に基づいて許されることはまず絶対にないことだと思います。

愛や信頼関係に基づいた暴力が仮にあったとしても、暴力を受けた側がそのようには感じないだろうと思います。教育の場では、有形力の行使があり、子どもがそれを体罰と感じたら、それは体罰と捉えるべきだと思います。教育が難しいということは、外部にいるものでも感じます。教育していくのは大変なことですが、先程の報告の中で、体罰の件数が年間1、2件というのは、現状からかけ離れているのではないかと感じます。体罰を実際に把握するのは難しいところがあります。学校の組織の中で、あるいは家庭と学校、先生と生徒という立場の違い、力関係を含めて、体罰が表に出てくるのは難しいと思います。体罰が年間1、2件起こっているという数字がどこから出てきているのかお尋ねします。事件となって、報道され体罰があったということが分かる場合もあるでしょうし、体罰があったという情報が上がってくるということもあると思います。体罰について、教育委員会が、学校当局が、担任が、把握できるような体制が明確にあった方が良いのではないでしょうか。子ども110番の相談にまで行き着く前に、体罰が分かるというあり方があった方が良いのではないでしょうか。

委 員

体罰を肯定するというつもりは全くありませんが、中学校でこのようなことがありました。ある先生が体罰をして、生徒から怒られて便所掃除をさせられた。その先生は1週間ほど便所掃除をして許してもらったということがありました。体罰自体が良いことだとは思いませんが、前向きの解決ができたということもありました。体罰がいけないというのは当然のことですが、教育現場ではきれい事では済まない場合が、切実にあるのではないかと思います。

教育したところ、文句を言われる。それならば安全のため最初から何もしないでおこうということがあれば困ることです。教師は教育の現場で教育に情熱を傾けて欲しい、その中できれい事では済まされない場合も出てくるのではないでしょうか。

委 員 私も同感です。体罰を容認するということは、誰一人としてないと思います。それは当然のこととして、何が良いことなのかを考えていこうとしているのだと思います。
委 員

学校と家庭の両方にまたがる問題だと思いますが、今、家庭における親の子どもへの教育力が、以前に比べて落ちているのではないかと痛感します。それが家庭の中では児童虐待、身体的虐待やネグレクトにつながるのではないでしょうか。

他方で、学校の現場で指導が難しくなっているのは、根本的に学校に問題があるのではなく家庭の教育に問題があるのではないか。そもそも、「学校に行けば先生の言うことを聞かなければならない。きちんと先生の指導に従わなければならない」ということを、親が子どもに対して、学校に上がる前、上がってからも教育していれば、体罰ではなく権威を持って生徒を指導することができるし、生徒は先生の言うことを聞くのが当然となる。しかし、今は親自身の教育力が落ち、子どもの個人主義が横行しているのも、大人の社会で個人主義が履き違えられていて、他人に迷惑をかけたとしても自由だから何をしても良いというところがある。例えばゴミだって出しっぱなし、ペットを飼えば糞の始末はしないとか、子どもが騒いでいる以上に大人があちこちで携帯電話を使っている。この問題は、子どもが個人主義を履き違えている、あるいは子どもに問題があるということではなく、大人自身が他人の人権・自由を尊重する中で自分の人権も自由も尊重されるという認識が希薄になって、何をしても自由だ、文句を言う方がおかしいのだといった人が増えてきて、その反映として子どもが個人主義になってきているだけだと思います。

家庭での親の問題、家庭での教育力の問題への指導、虐待も含めた子どもの人権全般に関わる問題であり、学校における教師と生徒の関係だけを捉えて矮小化する、教師に問題があるとする、あるいは子どもが勝手であるとするのは違うのではないでしょうか。逆に、親に対しても子どもに対しても、もっと人権や自由ということ、自分や他人の人権について啓発していく中で、自分の節度を守って、他人の人権も尊重するという社会になるのではないかと思います。

委 員

子どもの人権意識を育てるという話ですが、それは学校の先生や親だけの問題ではなく、マスメディアからの情報が氾濫している中で、我々子どものまわりの大人は、直接情報を発信するということを怠ったのではないか。子どもだから何もできない、子どもだからということで社会的な決定権を持たされていない。正しい知識を与えるという中で子どもは欲求不満にあるのではないか。また、非常に不安な生活を送っているのではないかという思いを強く持っています。

事務局から、子どもが安心して生活できるという説明がありましたが、責任の伴う自由があることで、はじめて自分が認められたとなるのではないでしょうか。このことを私たちがしっかりと見据えなければならないと思います。いじめの集団に入ったりするのは、目標がないために強力な発信源・リーダーに走っていってしまう。本来子ども持っているエンパワーメントを引き出すのが親・教師・社会の役目であると思います。

委 員

今の子どもがこのような状況になっているのは、大人世代の問題であるというご指摘がありました。

虐待の問題は、世代間連鎖という例が数字の上でも圧倒的に多い。世代間連鎖ということで、虐待を行う親も、子どもの時に被虐待児であった可能性が非常に高い。そういった場合に、虐待の問題を加害者である親の問題だと単純に解釈してしまうのは、問題の一部分でしかありません。先程のお話は、もっと包括的な社会全体のことについてでしたが、特に、虐待だけを捉えると、加害者である親も、実は被害者であったということが多い。もちろん暴力・虐待は悪いわけです。虐待を行った親が罰せられるのは当然のことですが、それだけを追求することが、被害者である子どもにとって二重の苦しみとなる。虐待によって受けた身体的・心理的な傷だけでなく、虐待を加えた加害者が自分を愛すべき親でもあるということで二重に苦しむ。その親が処罰されるということで三重に苦しむことになる。親が加害者であり、被害者でもあるという場合に連鎖の問題をどこで切るのかという問題がある。どうやって切っていくのかというのは大きな問題だと感じています。そういった意味で、平成12年度に虐待防止法ができた以降、虐待の件数が倍になっていますが、これは虐待に対しての意識が向上したためなのか、それとも物理的に件数が増えている現状なのかどうかについて教えて頂きたいと思います。

法律的なことについてもお尋ねしますが、平成12年度の児童虐待防止法の中では、発見した場合の報告義務についてあげられていないと聞いております。今後、その部分が変わってくるのでしょうか。外国と日本のことを単純に比較はできないと思いますが、北米の多くの州においては虐待を放置すること自体が処罰されると聞いています。日本がそこまでの状況にあるのか、あるいは文化的な背景の違い等があるでしょうが、本当に虐待を減らしていくためには、そういったところにも立ち入る必要があるのではないかと思います。被害者であり加害者でもあるという親子関係をどのようにして解いていくのかという面についても、法律と関係があるのではないかと思います。

事務局 虐待については、平成12年に法が施行されて以降、増加しております。皆の虐待に対する関心が高まりましたし、一番大きな理由は、平成13年12月に民生委員・児童委員の数を増やしているわけです。2,700人ほどの民生委員・児童委員の方々に県内を回って指導して頂いています。しかし、表面化しているのは一部に過ぎないと認識しております。
委 員

虐待の件数については、事務局が言われたように広報的な法律ができたことも理由の一つですし、民生委員・児童委員の方の取組も理由の一つだと思います。ただ、数年前に比べると、ネグレクトが客観的に見ても増えているのではないかとの印象を持っています。親が家庭において子どもの面倒をきちんと見ない。例えば、朝食を作らない、学校に行かせないで手伝いをさせる、あるいは両親が働きに出て子どもは学校にも行かないで放っておかれているという例も珍しくありません。数年前に比べるとネグレクトは増えているだろうと思います。法律ができたことの効果と、事実増えていることの両方が原因となっていると思います。

法については、児童福祉法にも児童虐待防止法にも、児童虐待を発見した人は児童相談所に通告しなければならないと規定されています。法律上は発見者は誰であっても通告義務があることになっています。ただ、義務があるといっても、何の罰則もありません。そのため、通告しなかったためにペナルティーが課されるわけではありません。逆に、通告したがために、巻き込まれてしまうのではないかということがあります。アメリカや欧米の中には通告をしないことに対して、特に教師・弁護士・医師・児童福祉に関係する人等の専門職の人が通告しない場合にはペナルティーとして処罰される、あるいは資格を剥奪されたりする法律があります。日本では、そういうことは設けていません。罰則まで設けるのが良いのかどうかは議論のあるところで、現状では抽象的な、一般的な通告義務が法律に載っていますので、それを啓発して、通告が増えるような状況に持っていくのが、現在の形であると思います。児童虐待防止法では、学校の教職員、医師、弁護士など一定の専門職の人は、発見した場合の通告義務だけではなく、児童虐待の発見に努力する義務があると規定されています。一般人は単なる通告義務がある、と規定されているだけですが、一般人も専門職も罰則はありません。

委 員 公務員はどうでしょうか。公務員は犯罪を発見した場合には通告義務があるわけです。この場合、公務員法の適用を受けて、罰則も受ける場合があると思いますが。
委 員

学校だけに問題があるのではない、家庭にも問題がある。いや、家庭よりも地域社会に問題があるとなるのは当然だと思います。どこかで家庭が変質してきたことは確かだと思います。昭和50年代前半から数年間、PTAの会長を勤めた経験から、父親・母親の子育てへのあり方が変わってきている。少子化の影響もあると思います。「事務局は少子化だけをやっても」という意見もありましたが、少子化の問題は子どもの人権の問題と関係がありますから、一つの方向性として悪くはないと思います。少子化の問題の中で、家庭が社会の中で一番小さい単位であり、ここで社会人としてのマナーを学びながら学校にも行く。社会の一員としての基礎的な知識を持っているという前提で、1年生に教育していたと思いますが、現在のように家庭に子どもが一人という状況の中で、家庭が社会として機能しているのかという問題の方が大きい。

虐待の連鎖ということも、もっと大きな中で考えなければならないし、学校教育のスタート地点でも、かつてとは異なり社会的な教育を受けていない子どもが集まるという認識に改めなければならないだろう。それを言うと同時に、保育園や幼稚園といった、社会で教育を一番最初に受けるであろう場所の教育の内容や、教員の能力や資質を従来の小学校教員と同じようなものが要求されていると考えていく必要がある。

先程から虐待やネグレクトの話がありますが、親のいない子どもがお世話になっている施設があります。そうした施設では、ここ一年でネグレクトの子どもを預かることが急激に増加しています。施設から聞いた話だと、母親が自分の母乳を子どもに与えることを知らなかったりする。子どもを人形のように考えている。一番のもとになるのは家庭になりますが、隣人も含めた地域社会の幅の広い教育もあわせて考えていかなければならない。

委 員

命の尊さということについては、私の場合は弟が生まれてくることや、あるいは息を引き取っていく様子を知っていますから、生命に対する畏敬の念は、家庭の中で育まれた。その点、現在の家庭では生命の尊さは、感覚として起こらないと思います。死の現場を見ていると、生命について教わらなくとも、自然と体得してくる。

家庭教育について、県の組織の中でどこが担任するのか。特に、学校で教育を受ける以前の子どもや家庭、教育を担当している課はどこになるのでしょうか。

委 員 先程お話のあった家庭の教育力の問題ですが、子どもが一人か二人のご家庭に社会教育力があるのかどうか疑問に思います。例えば3歳児になるまで一度も怪我をせずに育ててきたと胸を張って言う母親がいます。しかし私たちが預かって、集団で生活して、初めて子どもが血を出すのを見て、母親はびっくりしてしまった。それで医者に連れて行ったが、若い医者でこちらもびっくりしてしまって、レントゲンを撮るといったものだから、母親はさらにびっくりしてしまって、私たちも大変な思いをしたことがありました。3歳まで子どもが怪我もせずにいたのは、異常だと思います。家庭が社会の最小単位であるというのは考え直すべきではないでしょうか。子どもの時は群れの中で育つ経験が社会性を身につけるのには重要ですが、それが全くできていない。私たちは幼稚園に入る以前の子ども、どこの保育施設にも入っていない子どもをお預かりします。人の手に預けるのは初めてという母親が来られます、先日も70人くらいの母親が参加する勉強会の時に、20人くらいの方が初めて子どもを預けるという方でした。初めて子どもを預けることの不安というものについて話し合いました。その時に講師の先生が、群れで育つことがあまりにも少なすぎる、その代わりをするのはどこだろうかという話をしました。これは深刻な問題だと思います。従来ならすぐに弟や妹ができたり、そんなに年の離れていない叔父や叔母がいて、そこから得られることがたくさんあったと思います。 また、いろいろな理由により、父親の影がないままに子どもを育てることが母親のストレスになり、そのストレスが子どもの方に向けられ、様々な面で子育てに影響を及ぼすことになる。家庭の責任を母親だけにおしつけてしまうと非常に辛いことが起こってしまのではないかと思います。
委 員 家庭の責任ということについて、父親や母親の中に責任を感じていない人がかなりいるのではないかと思います。そんなことぐらいは家庭でということがあります。学校に行く前にもっとしっかりとしつけをして、学校に行けるような状況にしないままで学校に入学して、学校の先生のやり方が悪いと言う。家庭でしっかりとしつけをしていない以前の問題として、家庭のあり方としてその点がきちんと機能しているのかと思います。父親にしろ母親にしろ、家庭の責任を果たす必要があるのではないでしょうか。
委 員

学校教育や家庭教育を包括しているのが生涯学習ではないかと思っています。ガールスカウトの場合は、当事者はもちろんですが次世代の親になる人を育てるという意味で長期的なスパンで考えます。そういう意味の教育も必要になってくるのではないかと思います。家庭での教育が徐々に低下している。子どもを見ていると、親から教育する必要があるということがたくさんあります。それも含めて「わかやま子育てスタイル」にはいろいろなことを広く取り上げてあって非常に良いと思いました。

質問があるのですが、一般的施策例として挙げてあるものは、どの範囲で実行されているものなのか、これからやろうとしているものなのか、それともすでに行われているものなのか、平成13年度以降もどのくらいの深さ広さで行われているのかお尋ねしたいと思います。中には結婚相手を見つけてくれるというのもあって、どのようにこれを取り上げているのかお聞きしたいと思います。

事務局 具体的施策として、「農林水産業での、女性の経営参画や起業活動の推進」や「家族経営協定の促進」といった取組をしております。それから一番特色あるのが「和歌山モデル」ということで都市型と地方型ということで2つの分析をしております。少子化の和歌山類型ということで2つの型の特徴を示しております。特に地方型では横のつながりが比較的残っています。しかし、子ども、母親が少ないということで相談する相手、話し相手がない。一方、都市型では女性が多いが未婚の方も多くて、子どもが少ない。ボランティアに相談されている方もいます。そういう方のご意見を聞いて、地方でも子育ての支援をするボランティア活動をする人を養成していくという事業をやっております。
委 員 絵に描いた餅ではなく、実際にどのくらい施策として取り組んでおられるのかということが知りたいと思います。例えば、ボランティアの支援といったことも項目としてあがってきているのでしょうか。
事務局 庁内で子育てワーキングというものをしまして、現在取り組んでいる事業と、今後、取り組むべき事業を示しております。
委 員 住みやすい社会にしていくということが大事だということでしたが、そういうこともすべてやっていらっしゃるということですね。道の段差をなくし妊婦さんの負担をなくすといったことが具体的な施策例として出ています。こうしたことを広く全県、一般を対象に行っていくわけだと思いますが、どのくらいまでにおやりになる予定でしょうか。
事務局 指針は年次が切れておりませんが、指針に基づいた「エンゼルプラン」がございます。これを見直すのは平成18年となっております。
委 員 少子化対策としては保育園の充実が重要だと思います。私立の幼稚園は子どもの数が減少し問題になっていますが、公立の方での保育の内容、職員の数や施設の数等の具体的なプランについてお伺いします。
事務局 これは「エンゼルプラン」に示しておりますが、延長保育関係は平成18年度まで94か所、一時保育が23か所、低年齢時保育の促進ということで、これは人数目標になりますが5,300人、乳幼児一時預かりの促進ということで2か所、放課後児童クラブが120か所、施設整備が28か所、地域交流センターが43か所、これをそれぞれ18年までの目標として整備していきたいと考えております。
委 員

人権教育についてお伺いします。他府県の教育関係の方が、親に対する教育、子どもをどのように育てるのかという教育の中で、母子手帳を交付した頃、赤ん坊を宿した頃から親に対する教育を始めていくぐらいで良いのではないかとおっしゃっていました。なるほど、そのとおりだと言いましたら、和歌山ではそういう試みがあるのですかと尋ねられましたが、どこで取り扱っていらっしゃるのですか。そういう形で取り扱っているところがあるとすれば、現実の問題から言えば生涯学習するという意味でも生涯学習課が妊婦の人権教育に取り組む必要があるのではないかと思います。

今、学校での人権教育は、どのような形で行われているのか。従来は、同和教育という形が中心で進められてきた。教師の目標としていたところは、同和教育をきちんと行うことにより、他の人権に拡げていくことができるという確固たる自信を持ってやってこられたと思います。何年か前から、いろいろな考え方があり、学校での同和教育が難しくなりつつある。しかも、同和問題の改善が図られてくる中で、人権ということが出てきた。また、14年3月31日から同和対策事業に関することですが、法律が変わった。そのような中で同和教育という形で行われることが少なくなってきているのではないか。現実にはどのように行われているのでしょうか。人権教育と言ったときに、例えば高齢者であるとか女性であるとか、人権を下地にしてひとりの人間の命を尊く思うということを考えていけば、学校での人権教育の幅の広がりというのは、随分と必要になってくるのではないでしょうか。一方では、同和教育については、「同和教育基本方針」というのがあり、それに則り同和教育が行われているということです。「同和教育基本方針」の最初の言葉から言えば、「同和対策事業特別措置法の趣旨に則り」ということで書かれています。その法律が効力を失ってしまうというときに、基本方針の有効性や、方針に沿って行われる同和教育の現場での不都合等含めて、学校での人権教育がどのような形で行われているのか伺いたいと思います。

事務局

親の教育を妊娠期から始めなければならないということについては、これは国の事業になりますが妊娠期の親に対して子育ての講座を子育て学習の一環として現在30講座を実施しております。十分というわけにはいきませんが、親がたくさん集まってくる機会を利用して3つぐらいのパターンで行っております。一番たくさんの講座を行っていますのは、就学時健診の時になっています。母子健康手帳の交付の時には、文部科学省の作成しています「家庭教育手帳」を配布しています。

同和教育につきましては、「同和教育基本方針」に基づいて、同和問題の解決のために、様々な取組を行ってまいりたいと考えております。前文に関して県民の皆様から意見を頂くこともありますが、同和問題に対する認識を深め、部落差別を取り除いていく人間を育成することが最大の目的であります。その意味では、今日の同和問題の現状、教育の課題という点から、現在においても基本方針は十分に有効性があると考えてございます。

人権教育の課題ですが、昭和40年代からの同和教育における実践においても、和歌山では同和問題に限定した取組ではなく、その当時から同和問題の解決と同時に様々な人権課題や社会の矛盾を解決していかなければ同和問題の解決をも遅らせることになるとの認識のもと、従来から様々な人権問題に目を向けるという教育が広く行われてきています。

委 員 前回、小委員会の委員に審議頂いたことについて審議会に諮った結果、事務局の方で各分科会の割り振り等をお願いするということでした。また、質問として出てきました、今後どのようにして審議会を進めていくのかということについて、人権室から報告をお願いいたします。
事務局

3つの分科会で進めていくということが前回の審議会でご承認頂きました。

第1分科会の「女性の人権、障害者の人権、第2・第3分科会を含めて規定していない人権問題で分科会で取り扱う必要のあるもの」については、稲垣委員、大畠委員、橘委員、谷口委員、柳瀬委員にお願いいたしたいと思います。

第2分科会の「同和問題、子どもの人権、ハンセン病・HIV感染者等の人権」については、辻委員、中川委員、西委員、村田溥積委員、村田恭雄委員にお願いしたいと思います

第3分科会の「外国人の人権、高齢者の人権、刑を終えて出所した人の人権及び犯罪被害者等の人権」については、月山委員、都村委員、中谷委員、中村委員、吉澤委員にお願いしたいと思います。

次に、平成15年度以降の審議会のスケジュールについてご説明いたします。4月に第9回審議会ということで「刑を終えて出所した人の人権等」について事務局からの説明と審議頂いた後、7月の終わりまでに分科会を必要回数開催して頂くということになっております。また分科会は、それぞれ日程をずらして頂きたいと考えてございます。事務局として各人権問題に関して事務局案を作成いたしますので、案をもとにご審議頂きたいと思います。

次に各分科会でご審議頂いた内容を持ち寄って頂きまして、本審議会を開催いたします。もし、さらに審議の必要があれば各分科会に持ち帰って頂き、必要がなければそれを以て中間取りまとめとしていきたいと考えております。9月以降につきましては、分野別の課題については分科会にお願いするわけですが、基本理念や人権意識の高揚を図るための施策等、相談・支援体制といった総論の部分につきましても、事務局で原案を作成しまして、その後まず運営のための小委員会に諮った上で本審議会に提案いたしたいと考えてございます。分科会や本審議会で審議して頂いた上で中間取りまとめとしていきたいと考えております。

15年12月末までに審議頂いて、16年の1月から2月にかけてパブリックコメントを実施していく予定にしております。やり方については今後ご協議頂きたいと思います。16年2月に取りまとめを行い、取りまとめも考慮に入れて頂いて基本方針について再度ご審議頂きたいと思います。平成15年度中に基本方針の策定をお願いいたしたい。

また県民意識調査については、人権問題についてどのような意識を持たれているのかということを来年度始めに実施する予定でございます。項目等については、案を作成した上で審議会に諮りたいと考えてございます。これについては10月から11月にかかるのではないかと思いますが、審議会には集計等ができた段階で審議会に提示し、審議のご参考にして頂きたいと考えてございます。

分科会については4月の第9回審議会が終了した後、7月末まで必要に応じ開催して頂き、分野ごとの施策についてご協議頂きたいということでよろしくお願いします。

委 員

今後の審議会の進め方につきまして、16年3月を目標に基本方針を策定していくということでございますので、各分科会については月に1回もしくは2回のご足労を願うことになると思いますが、成文化した上で審議会にご提出お願いしたいと思います。お忙しいところ申し訳ございませんが、ご協力お願いいたします。この点についてご質問ご意見はございませんでしょうか。なければ、こういう形で進めていくことをご了承頂いたということでよろしいでしょうか。

本日はこれで終わらせて頂きます。ありがとうございました。

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