第3回和歌山県人権施策推進審議会議事録

第3回和歌山県人権施策推進審議会議事録

第3回和歌山県人権施策推進審議会
日 時 平成14年10月9日(水曜日) 13時~15時半
場 所 和歌山市 アバローム紀の国
議 題

(1)障害者の人権に関する現状と課題について
(2)その他

出席委員

稲垣委員 橘委員 谷口委員 月山委員 辻委員 都村委員 中川委員 中谷委員
中村委員 村田溥委員 村田恭委員 柳瀬委員 吉澤委員

配布資料

(1) 『やさしい心のまちづくり』和歌山県福祉保健部
(2) 『和歌山県障害者・高齢者難病患者防災マニュアル』和歌山県
(3) 『紀の国障害者プラン実施計画(改訂版)』和歌山県
(4) 『ハートフル110番』和歌山県
(5) 『メンタルヘルスガイドブック』和歌山県精神保健福祉センター

内 容

委 員

皆さん忙しい中、どうもありがとうございます。今日は、障害者、それから同和問題の二つを御討議いただきたいということでございます。
順番といたしましては、主管課である人権室の方が持っております同和問題の方につきましては後で御討議願うということで、本日の順番としましては、先に障害者問題について教えを賜りたい、ご意見を伺いたいと思いますのでどうぞよろしくお願い致します。

それでは、障害者の人権について、ご説明願いたいと思います。

事務局

事務局から説明。
委 員 次に、障害福祉課の方から障害者の現状と課題等につきましてご説明をお願いしたいと思います。
事務局

障害福祉課でございます。今日は私どもが尊敬してやまない、あるいは障害者施策についていろいろご指導いただいております先生や、ハートフル110番で弁護士相談においで頂いております先生等々の中で非常に緊張しております。私どもからごく簡単に、諸先生方に共通の土俵をもっていただくということで、一番入り口の部分、障害者の和歌山県の状況についてお話を致したいと思います。

一般的に障害者とは、どのように定義されるのかという話から入らせて頂きたいと思います。

障害者の定義は、障害者基本法の第2条に書かれてございます。ここに書いてありますように、私どもが担当してます身体障害、知的障害、それからのちほど話があると思いますが、精神障害があります。「これらの障害があるため長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者」のことを障害者と定義されています。

それから、施策的な基本的な理念も基本法の第3条に謳われておりまして、すべて障害者は個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有するものとするとあります。社会を構成する一員として、社会、経済、文化、その他あらゆる分野の活動に参加する機会を与えられるものとする、それが障害者施策の基本的な理念でございます。

今、お話しましたように私どもの課では、身体障害者と知的障害者という分野を担当いたしております。身体障害者について、具体的に言えば、いわゆる身体上の障害がある18歳以上の者であって、都道府県知事から身障手帳の交付を受けたものであります。

児童については、原則的には児童福祉法によります。この身体障害者福祉法の身体障害者の定義ですが、皆さんよくご存じのいわゆる視覚障害が永続するもの。それから、耳の不自由な方、あるいは平衡感覚等の機能の障害が永続をするもの。あるいは音声機能、言語機能又はそしゃく機能の障害がある。それからよくご存じの肢体の不自由。それから、近頃、随分多くなっている内部障害といわれるいわゆる心臓、腎臓又は呼吸器の機能の障害が永続して日常生活が著しく制限を受ける程度であると認められるものということになってございます。規則では1級から7級ということで程度を分けてございますが、7級という障害級では手帳の対象にはならないということで、身体障害者手帳は1級から6級までになってございます。

それから、知的障害者の関係でございますが、知的障害者福祉法に謳われてございます。知的障害は発生原因、あるいは現れる状態が非常に多様でございまして、知的障害の説明には非常に難しいものがあります。法においても、定義はございません。厚労省のいろいろな調査をする際の定義としては、「知的機能の障害が発達期、おおむね18歳までに現れ、日常生活に支障が生じているため、何らかの特別な援助を必要とする状態にあるもの」というふうな言われ方をしております。

他の文献では、「知的障害とは、大脳皮質の発達不全のために、理解、判断、推理、言語、運動などが、十分機能せず、日常生活や社会生活に支障を生じている状態」という表現もございます。これも法は18歳以上を対象としておりますが、年齢制限は特別になく18歳以上は知的障害者更生相談所で判定を受け、18歳未満は児童相談所で判定を受けることになります。

障害の程度につきましては、A1、A2、B1、B2この4つの種類になっておりまして、A1が最重度の障害となっております。

和歌山県の身体障害者の状況でございますが、平成13年度末で55,656人の方が障害者手帳をお持ちになっています。種別で言えば、肢体不自由の32,276人が率的に一番多い。それから先程、お話いたしましたいわゆるオストメイト(人工肛門や人工膀胱を保有している人)の方とか、あるいは人工透析を受けておられる方といった内部障害の方が非常に多くなっている状態でございます。

等級でいいますと、1級の方が25%で13,984人でございます。もう少し詳しくこの部分を県内の状況で、お話を申し上げたいと思います。身体障害者数、手帳の交付者数でございますが、14年3月31日現在で55,656人、内65歳以上は34,475人、全体の61.9%を占めております。平成6年末と比較しますと、全体で25.6%、65歳以上はなんと88.6%増ということになってございます。いわゆる障害者の高齢化が非常に進んでいる状態であると、ご理解をいただきたいと思います。等級別では、1、2級の重度障害が全体の44.6%を占めておりまして、平成6年に比べて重度化の傾向にあるということが表れているものと思っております。

次に、知的障害者の状況でございますが、県内で13年度末5,591人ということになってございます。平成6年度末に比べて1,453人が増えています。全体的に特別な顕著なというか、重度の傾向というのは見られませんが、あえて申し上げれば、B2といわれる判定の手帳交付者の割合が増えています。これはA1から最重度、重度とそんなふうな考え方をしていただきたいのですが、そんな形になっております。

今、障害者をとりまく状況の中で、障害者の雇用の状況についてよく話題になるのですが、障害者雇用の状況につきましては、「障害者の雇用の促進等に関する法律」によりまして、民間企業、国、地方公共団体は一定の割合以上の身体障害者又は知的障害者を雇用しなければならないということになってございます。民間企業にありましては、56人以上は1.8%以上。一定の特殊法人につきましては、2.1%以上。国あるいは地方公共団体は、48人以上にあっては2.1%以上。都道府県教育委員会は2%以上。1人以上の障害者を雇用すべきこととされている事業主等の平成13年6月1日現在における雇用状況というのは、県内の状況ですが、企業数で323の企業。常用の労働者が48,825人。その中に障害者がどれだけ雇用されているかというと、942人。雇用率でいいますと、1.93%です。雇用率の達成企業の割合ですが、51.4%でございます。ちなみに全国の実雇用率は、和歌山県では1.93%ですが、全国は1.49%でございます。全国の達成比率の割合は、和歌山県は51.4%と話しましたが、全国は43.7%でございます。地方公共団体等における障害者の雇用状況ですが、実雇用率で県の機関で2.13%、教育委員会で1.24%、市町村の機関で2.40%となってございます。今、お話したなかで、我々が問題意識をもっておりますのは、いわゆる法定雇用率達成企業の割合が和歌山県の場合、全国に比べると51.4%と高いわけですが、言い方をかえると48.6%が未達成の企業ということでございます。今後、事業主の理解と関心をさらに高めて参る必要があると考えております。

それから、障害者施策の部分ですが、自立と社会参加ということで、できるだけ簡単にお話しをいたしたいと思います。理念的には、先程、お話にあったようなリハビリテーション、いわゆる治療とか機能回復、それから職業訓練による社会復帰、全人権的な復権を目指すというのが、リハビリテーションといわれる理念と考えております。それから、ノーマライゼーションは、障害のある人もない人も同じように社会の一員として参加して、それから自立できる生活をすること。そんな社会を目指すということだろうと思います。

障害のある人に対する施策というのは、歴史的に申し上げますと、ちょっと雑かもわかりませんが、戦争によって障害を受けた人々へのリハビリテーション施策というのが各国で発展し、次第にその対象が拡大していったものと考えております。

現在の障害者施策の基本理念でありますノーマライゼーションの思想というのは、実は1950年頃にデンマークで生まれて、それから国連等の国際機関で行ってきたさまざまな取組によって世界に広げられて参りました。特に、1981年、昭和56年ですが、「完全参加と平等」というテーマを掲げた「国際障害者年」及び昭和58年(1983年)から平成4年(1992年)までの間の「国連障害者の10年」の果たしてきた役割というのは随分大きなものがあると思っております。現在、各国が進めております施策というものは、目標をここにおいているのではないかと考えております。

私どもが取り組んでおります身体・知的障害者施策についてでございます。お話をしたノーマライゼーション、あるいはリハビリテーションという理念の基に、従来の措置制度から支援費制度に変わるいう大きな流れがございます。現行の措置制度というのは、いわゆる行政がサービスの受け手を特定してサービス内容を決定するという制度でございます。これに対して、今から行われる支援費制度というのは、障害者の自己決定を尊重し、利用者本位のサービスの提供を基本としています。障害者と事業者が対等な立場に基づいてサービスを選択し、あるいは自ら決定し、契約によってサービスを利用する制度に移行します。これが今、大きな話題になっております15年4月1日から行われる支援費制度への移行でございます。入所施設の充実はもちろんですが、それ以上に、地域で生活できるサービス等というものの充実が求められています。それから、障害者の社会参加の促進と自立のための支援が求められていると考えております。

障害者の人権と施策ということで障害のある人もない人も同じように社会の一員として、社会活動に参加して自立して生活できる社会を目指すノーマライゼーションという理念の実現が、障害者の人権そのものを確立するのだというつもりで私どもは考えています。障害者施策を実施すること、そのことが人権施策ではないかという思いで毎日仕事をしているわけでございます。

個々の人権問題という言い方をしますと、一つには、障害あるいは障害者に対する理解や認識がされていないという部分がございます。例えば、知的障害者が人に傷害を加えるとか、あるいは「何をするかわからない。」という偏見をお持ちの方もいらっしゃる。それから、足の不自由な方がバスに乗ろうとすると「のろのろするな。」そういうふうな文句を言う方もいらっしゃる。あるいは耳の不自由な人に声をかけたが「返事がない。」と言ってお叱りになる。あるいは、今、私どもがつかんでおります障害者差別の例で一番よく表れるのが、障害者の障害をやゆする言葉を使うこと。障害をお持ちの方にとっては、非常につらい思いでその言葉を聞いておられます。そんな問題があります。

あるいは、障害者だからこんな仕事は初めから無理と決めてかかられる。もう1つの視点からいえば、誰もが受けられるサービスが受けられない。完全参加と言いながら、例えば、旅行会社の団体旅行には、「あなた方は駄目です。」と言われる。ホテルへ泊まりに行く、旅館に泊まりに行くというと「車いすの方は駄目です」、「盲導犬を連れていては駄目です」。盲導犬の話は法律で整理されましたが、そんな話があります。

それから、こんな言い方でいいのかと悩んでいるのですが、相手が見えない人権侵害というのがあるのではなかろうか。例えば、人工肛門をつけておるために外へ行くと臭いが気になるから外に出られない。これは誰かから侵害を受けるとか、だれか相手から差別をされたかはっきりわからないですが、現実には、いわゆる心理的障壁というものがございます。バリアーをなくさないとどうしようもないという差別が存在するのではないでしょうか。権利侵害としての虐待、身体を拘束するということもあります。性的虐待といわれるもの。まったく必要な介護をしてあげないという、放置をしてしまうという虐待。あるいは、障害者であるがゆえに、周りの人がその障害者のせっかく貯めている年金やお金を、無断で使ってしまうという虐待というか人権侵害。あるいは、本人に対して「障害者だから何もできない。」と言われる精神的苦痛。

こんな侵害に対して我々は、障害や障害者に対する理解や認識を深め、物理的な障害、障壁というものを除去する。これは、この特に障害者に限った問題ではないと理解していますが、そんな施策、あるいは権利侵害に対する相談制度や救済制度の充実、あるいは障害者の社会参加・自立の支援があると考えております。

私見なのですが、障害のある方もない方も、一人の人間として尊重され、社会からの恩恵を平等に享受できて、そして、自分が希望すれば社会参加できる社会づくりに一生懸命取り組むことが障害者施策であり、私どもが目指す人権施策ではなかろうかと思っております。以上です。

委 員 ありがとうございました。それでは、おわかりだと思いますが、あと精神障害者に対する関係のご説明になっております。そういうことで先に、健康対策課からご説明をお願いしたいと思います。
事務局

それでは、精神障害者の関係につきましてご説明させていただきます。

和歌山県ではこの7月に精神科の病院で看護助手が患者さんを殴り、患者さんが亡くなるという事件がありました。行政としても人権の視点から十分対応できていたのかどうかについて、しっかりした見直しをしなければならない状況と考えているところであります。

先生方には精神障害者の人権侵害というが、具体的にどういうものなのかということをなるべくわかって頂きたいと思っております。

精神障害者数について、いったい精神障害者という方は何人ぐらい、いるのか。

精神障害者に関しましては「精神保健福祉法」というものがございまして、そこでの障害者の定義というのが、「精神疾患を病むもの」ということになっております。例えば、身体障害者であれば、手帳を持つ者ということになっておると思いますが、その点は違います。「精神疾患を病むもの」という範囲でとらえますと、平成11年度厚生省患者調査によると全国で約204万人の方がおられます。その内入院が33万人、通院が171万人ということで人口の約1.6%を占めると国の方では推計しております。それから和歌山県の状況は、精神科の入院患者数は2,459名、通院医療費公費負担という、通院の際に医療費を負担する制度を使っている方が5,400人です。しかし、この外来者の数については、もう少しいるのではないかと考えます。明確な部分で話せないのですが、だいたい人口の1%くらいいらっしゃると言うことです。1%というのは非常に多い数だというふうに思います。そして、病気のことを精神病と一言でいうわけですが、その中には統合失調症、この前まで精神分裂病といわれた病気でありますとか、あるいはうつ病とか、アルコール依存症でありますとか、心身症であるとか、それから若い女性に多い拒食症まで入っております。まず、非常に数が多いものであるということ。また、精神障害を一言でいっても、いろいろな方がいろいろな重さの病気で、内容もいろいろな方がいるということをご理解いただきたいと思います。

現状は、精神障害というのは、なかなか周りの方からみてわかりにくいということで、十分な理解がされていないということになります。

それからまた治療のために入院した精神科病院においても、精神科病院では家族等がなかなか中に入れません。そのため、そういう閉鎖的な処遇環境のもとで、人権が十分守られてこなかったという歴史がありました。そしてまた、昨年の池田小学校のような事件がありますと非常にセンセーショナルに報道されまして、精神障害者は何をするかわからないとなります。あぶないというふうに思われがちでありまして、長い間社会からもいろいろと差別とか偏見を受けてきたという歴史があります。まず、病院のことにつきましては、そういう状況でありますが、よくなってきていると思います。

地域や職場においてもまた、差別、偏見をもっていると、県内の患者さんや家族からの声を頂いています。

また、精神科病院でということで。そして地域社会で、そして職場でということで、どんな事件があるのか、ご紹介させて頂きます。

まず、自分の意思で入院したのにもかかわらず、病棟外へ自由に出られないということでございます。精神疾患というと強制的に入院させられていると思われがちかもしれませんが、入院をしている患者さんのうち約半数は自分の意思で治療するために入っております。つまり胃潰瘍で入る、あるいは癌で入るということと同じ様に精神科に入っているが、自由に病棟外に出られる状況にないということです。

それから、2番目は、家族が面会に行きますが、病院であれば、病棟の中に入ってベッドサイドで面会をして、他の患者さんが通るとか見ることができるわけです。精神科病院の場合は、プライバシーの保護という観点から病棟内での面会というのは、一般的ではありません。患者さんが養生している病室は、家族でもなかなか入れない状況にあります。

それから、患者用のトイレには、トイレの囲いはありますが、鍵や扉がない病院もあります。

それから、畳敷きの大部屋に多数の患者さんが入院していたりとか、私物を保管できる個人用のロッカーが病室にない病院もあります。入院患者が別の入院患者に暴行を加えて死亡するという事件が本年の8月2日におきております。看護助手の方に殴打されて、看護助手は傷害致死によって逮捕されるということが起きております。

それから、過去には地域社会でどのような問題に直面しているかということでは、県内の当事者であるとか、患者さんに聞きましたところ、以下のようなことであります。一つ目は社会福祉施設としてのホームを作ろうとしたが地元自治会から反対されたと言うことがあります。安心して子どもを学校に通わせることが出来ないという反対があって施設の設置を見送らざるをえないとか。あるいは家族の中に障害者がいることを世間に隠していたが、悩んだすえ勇気をだして相談したが、婚約を破棄されたとか、いじめられたとか。あるいは、病院の塀の上に有刺鉄線が張りめぐらされてあって、地域住民の方々の入院患者さんは何をするかわからないこわい人だという偏見を助長しているとか。それから、池田小学校以来、精神科通院歴のある人が、肩身がせまくってなかなか外出できない。精神障害者イコール犯罪者という印象が広まっているとかということがあります。

それから、職場でということで、専門学校の学校内の面接の時に就職条件として精神科に受診していないこととあってショックを受けたとか。精神疾患を病んだことがあるために虐げられたと。あるいは精神疾患を病んだらそのことをなかなか社会的に言えない状況にありますので、職場を辞めさせられる心配もあるということで、県外の医療機関で診てもらわざるをえなかったという声が聞かされております。

今後の対応としては、大きく分けますと精神科病院に対してと、やはり地域社会の中で偏見とか差別というのを無くしていくということをしていかなければならないと考えております。7月の病院事件を受けまして、現在、県では「和歌山県精神保健福祉審議会」で精神保健福祉施策について、どうしていったらいいのかということについて、今、伺っておるところであります。

例えば、もっと病院の職員に対する人権の研修をやるべきではないかとか。あるいは、地域社会や、県民に対する啓発、差別、偏見を取り除くための努力はまだまだなので、しっかりやっていかないと等、いろいろ議論をいただいているところであります。

以上、簡単にまとめますと、和歌山の精神障害者の人権擁護という観点から見た場合、いろいろと課題が多いのではないかと考えておりますし、また、これまで十分対応出来てきたかということについて、率直にいろいろ反省するところもあるのではないかと考えています。ただ、今回の病院の事件も含めて、病院関係者であるとか、あるいは患者さんの団体とか、いろいろなところが和歌山の精神障害者に対する状況を改善していこうという機運が、少し盛り上がりつつありまして、我々行政としても、しっかりやっていかなければならないと考えております。以上です。

委 員 ありがとうございました。もっとくわしく伺いたいと思いますが、一応、以上になります。まず、基本としまして各分野、身体障害、精神障害それを併せてご質問、ご意見を伺いたいと思いますが、それでよろしいでしょうか。難しいかと思いますので、併せてご質問、ご意見を遠慮なくどうぞおっしゃって下さい。
委 員 ただいまの精神障害者の関係の精神保健福祉手帳所持者数というのが平成7年度と、平成13年度とで10倍ぐらいになっているのですが、どうしてなのですか。参考に説明をお願いしたい。
委 員 いろいろな理由があるかと思いますが、一つには、あの手帳自体も精神障害者の場合は歴史が浅く、平成7年の精神保健福祉法改正後になっております。その後、いろいろ増えてきた。周知して、されてきたということがあります。また、手帳を持っていることによるメリットというのがあまりない、なかったという状況でした。そういうところが改善されるにつれて、増えてきたということであります。
委 員 一番、素朴なところですが、こうして今日、お二人に来て頂いていますが、障害者の問題で、障害福祉課と健康対策課とがあります。
所管が知的障害、身体障害と精神障害になぜ区分されているのでしょうか。全体として障害者基本法があるのですが、分けられたそもそもの理由について伺いたい。
委 員 知的障害というのと精神障害というのと勘違いする、区別が付きにくいということと、何が、そういうふうな区分をしているかということ。その2点ですが。
事務局 障害の区分については、3つの障害があります。和歌山県の場合でいえば、精神障害者の場合は、医療の度合いが高いといいますか、しかもその病気の具合が固定していなくて、良くなったり、悪くなったりというようなことがあるということです。従前から健康対策課は医療関係の方を所管しています。そこを主として、分けてきたというようなことだと思います。
委 員

人権という観点から考えていくときに、例えば和歌山県の身体障害者連盟という形で県民運動を行っていく際に、どうもそこの断層があまりにも大きいと思います。1つの人権分野としての障害者の人権という形で語りづらいところがある。そのために、精神障害者についての人権を語る部分が遅れてきたのではないかという思いを強く持っています。できるだけ障害者の人権を一体となってやっていく必要がある。例えば色々な人権を全部でやっていこうという時に、障害者の問題だけ別になっていく、遅れていってしまいます。

見てみると行政のこの縦割り、言葉悪いですが、縦割りの中で分けられているに過ぎないのか、それとも何か分けざるをえないものがあるのかといつも考えていました。これからの福祉行政は、先程おっしゃったように、人権問題を非常に大事に考えながら、福祉と人権というような形で、一体として進めていく必要があります。また啓発をしていくようなときにやりにくい部分が非常にある。それで、一番根本になっているところをお聞きしたいと思いました。今後の事も含めてどうやっていったら一番いいのか考えています。

事務局

私どものやっておる障害者施策というのは、知能的に発育段階で遅れているということであれば、そういった方に、例えば、日常生活が不自由にならないためには、どんな訓練をしていく必要があるのか。
あるいは、例えば作業所で、仕事ができないのかとか。いわゆる福祉施策といわれるものの中で捉えられる部分を我々障害福祉課がやっていることになります。

それから、施策というよりは、どちらかといえば、医療という現場で対処しなければならない分野を健康対策課でお願いしていることになります。回答になってないかもしれませんが、特に縦割りということではありません。やる施策の中身によって健康対策と障害福祉で分かれているという理解をしていただければありがたいと思います。

委 員

たとえば知的障害という方の例を取り上げますと、国際的な精神疾患の分類といったらいいかもしれませんが、国際的に使われている定義というのがございます。それによりますと、資料に載っているのとほぼ同様なのですが、標準的な知能検査で統計的に有意義に知的な遅れがあるというのがひとつ条件となっています。
ですから、知能検査は勝手に作ったのではなくて、IQが100になって多くの人をとりますと、左右対象の分布ができるように作られています。ですから、平均知能というのも100になります。知能にばらつきがありますので、そこから平均的、統計的に有意に低いというのは、標準偏差といわれるIQ率では国際的には約70ぐらいより下の方を言います。70より下の方っていうのは、理論的には2.27%、つまり、100人いると2.27人ということになります。これは特別な原因ではなくて、たんなる知能のばらつきがそのくらい出てきます。

それから、非常に重い知的障害の方、或いは、先程出ていた精神障害の中に分類されるような方というのは、何か原因があって、例えば脳に障害があって、そのために知的に遅れている。その場合は、ポイントで言いますと増えてまいります。ですから、手帳等で把握する知的障害、つまり福祉対象とされている知的障害の数と実際の数とはかなりずれているんだろうと思います。それがよく表れるのは、例えば、養護学校というのがあります。
養護学校というのは、知的障害の方や身体障害の方、それから病弱の方、盲聾の方を合せて、特殊教育諸学校というのがありますが、知的障害の養護学校を対象とした、県内では高等部まで含めると多分400ぐらいの数では足りない。もっとですね。そうするとこの場でオーバーします。そこをいれて。更にあの軽い方は、特殊学級でつまり普通の学校の中の学級で教育を受けてますから、この数はもうちょっと多いということになります。そうすると先程申し上げましたように、実態はかなり多くなります。ただ福祉対象として上がってくる方はさほど多くないという意味でおそらくこの数でしょう。そうするとその方まで含めて考えるとかなり大変なことになっていると思います。
これは精神疾患についても多分同じです。治療を受けている方の数は出ているが、潜在的な病院に行かれない方まで含めると、まだかなりの方がおられると思います。そういう方まで含めて、このノーマライゼーションという考え方でもいいし、また、障害者概念あるいは健康概念といった方がいいかもしれませんが、それを少し変えようという動きがあります。リサビリティというのがあるわけですが、参加ということです。

それから、技術というより活動ということで考えていこというような事に変わりつつあります。そのための条件作りという意味で環境の問題というのが取り上げられて、そうして、障害あるいは健康という概念で考えて、他みたいな、少し変わってくるのかなと思います。ですから、そういう意味で広めに考えて対応した方がいいのかなと感じております。

委 員 障害福祉課で担当している障害者と、それから、もう一つ精神障害者の話がありました。障害者の排除の歴史というところで、共通しているところだと思うのですが、遺伝というようなことは何も考えてなかったのでしょうか。無用のものであるとか、前世のたたりとか。ご先祖様が悪いことしたからそうなったんだとか。それから、魂を抜けたもの、容疑者にされたものということでの排除の歴史ということでした。しかし、実際に、婚姻とかそういうもので出てきた時に、遺伝というような話は、今までなかったのでしょうか。啓発活動の中で、偏見、差別の原因としてそういうようなものが取り上げられなかったのかなと思いお尋ねします。
事務局 精神障害者の部分についてお答えさせて頂きますと、結婚の約束をしていたが、身内に精神障害者がいることから婚約を破棄されたという事例があることから、先生のお話になるようなこともあるというふうに理解しております。
また、歴史的に精神障害というのは、遺伝する病気だというふうな偏見等、誤解を受けてきたところもありました。
委 員

遺伝というのは、非常に難しい問題だと思います。その前に、精神障害者の人権擁護というのを報告された健康対策課ですか。他の課も、障害者の人権侵害に対する認識のなさですが、かなりあるように思います。精神障害者の人権擁護を受けている現状を厳しく、どんなに弱いか、これはなかなかよく分析されていると私は思います。総括すれば、おそらくこれは、隔離と排除ということになります。つまり、異質なものを隔離また排除するという状況が一環して流れているように思います。

いろいろ伺ってきましたが、結局、この最後の問題について対策ということになると状況の深刻さに対応した言い方がされていない。つまり、差別をなくすために、パンフレットを配布して啓発をやるとしか書かれていない訳ですが、障害者の人権侵害ということを考える場合は、人権侵害、つまり差別に対する視点が、全体として貫徹している必要があるのではないかと思います。実は和歌山県が出された色々な資料を読んでおりました。対策的に見れば、いろいろな分野、いろいろな対策が、合理的に書かれていると思います。そのとおりにやっていければ、かなりの成果が上がるでしょう。しかし、おそらく落差があるために対策は、かなりまちまちではないかと思うわけです。

それから、ノーマライゼーションでは、つまり地域ケアとグループホームの点はかなり遅れているという状況にあると思います。

遺伝の話についてですが、出生診断・着床前診断で遺伝子疾患を発見する技術が非常に進んできているわけです。つまり受精した卵子を子宮より前の段階に診断できるということです。その結果、どうなるかというと、その子どもの将来をご覧いただく場合に、どういう心身の障害をもって生まれるかどうかがわかるということになります。その可能性が極めて高い。一番難しいのは、遺伝的なこの疾患とそうでない非遺伝子的な疾患で、遺伝的な疾患はおそらく、出生後すぐに現れるか、産まれて10年、20年、30年後に現れてきます。重度の疾患が必ず現れてくるというふうに言われています。

問題はこれからなのです。しかし、一方では、妊娠している女性、また、これから妊娠しようとする女性は、いわゆるリプロダクトヘルツ・ライツつまり自己決定権ですね。自分の判断で産むか産まないかは判断をできるということになると、出生診断で将来に障害がおおいに予想されるという場合は、たぶん中絶をされる可能性が高い思います。一方、障害者でもっとも活発にやっているグループは、この出生前診断は障害者としての生きる権利を否定するのではないかと言っています。社会から排除される、そういうものは産まれなくてもよろしいということで中絶するわけです。ですから、生きているが重度の障害者をもってる方の生きる権利を否定するのではないか。出生前診断に対して重大な意見があるわけです。しかし、その場合難しいのは、一方では、妊娠した女性の産むか産まないかの自己決定権がある。しかし、一方で、将来予想される重度の障害を理由にもし中絶するなら、障害者の生存の権利というものを奪うものだというふうに障害者たちははっきりと言っています。自分たちを、抹殺してしまうことになるのではないかという運動をやっている訳です。

精神的疾患、これは重度の精神障害のケースが多いです。ダウン症等の、いわゆるハンチントン病(舞踏病)とか非常に難しい病気があるわけですが、どうも原理的には解決してないというか、いわれているというかまだ続いているのです。非常に難しい問題がそういう遺伝といいますか優性思想といった形で、障害者問題、特に精神障害、重度精神障害のケースをとればあります。

この今言ったような中絶と、それから女性の権利との問題にはちょっと、うかつには 触れられないのですが、そういう重大問題が定義にあるということをご認識願いたいと思います。

県の出されておる「紀の国障害者プラン」なのですが、なかなかよく作ったと思います。しかし、今、言った問題については弱いです。障害者に対する人権侵害がもし起こった場合、しかも、今、精神障害者の場合かなり重大な侵害が生じていますが、そういう人権侵害や差別に対してどういう対策、どういう仲裁方法があるのだという問題については、ほとんど触れられていないと思います。

それで結局、どうするかと言えば啓発でやりましょう、ということで終わっているのです。もっとも、そのような話はなかなか難しいので、そう簡単には煮詰まるとは思えません。しかし、障害者問題については、そういう重大な問題があるとの認識が必要です。それは我々が今後、非常に真剣に取り組まなければならない。もっと遺伝子診断が進めば、そういう問題が起こってくる可能性があります。次の世代に対する生きる権利ということです。これはやっぱりどう見るかということにもつながるのではないかと思います。

委 員

今、ご指摘の問題は大事なことだと思いますが、遺伝の問題は、本当かどうかわからないですが、遺伝があるというような捉え方をされていて、差別されているという問題が確かに今までにありましたし、今もあると思います。

遺伝の問題はかなり解明されつつあります。そういう意味で正確な知識ほど、持って頂きたい。つまり、遺伝子疾患で障害が起こるというのは、実はそんなに多いものではないわけです。それから、先程の知的障害もそうですが、知能の遺伝はありますが、これは高い知能の方から高い子どもが産まれる、あるいは逆だというようなことではありません。胎児以前といういくつかの遺伝子がからまって知能を規定しているという考え方になってきています。従来、遺伝に対して持っている私達の偏見といいますか間違った知識みたいなものがあり、それに基づいて判断してしまうということが、まだあるのだということです。繰り返しになりますが、正確な知識を皆さんに持って頂くことが啓発ということにつながってくるだろうと思います。

それから、もう一つは、私は障害教育を大学で教えていますが、その時に一番困る、あるいは問題として感じていることがあります。それは、大学で講義としてテーマ、障害の種類や原因とかいろいろなことを知識として生徒に教えます。しかし知識の獲得イコール障害者理解だということではないのです。つまり、講義で教えているのは、違いです。つまり障害を持たない人と、こういうところが違うということを一生懸命教えることになります。学生達に本当に知って欲しいのは、違いを持ちながら同じだということです。その同じだというのを知るのは、やっぱり例えば教育実習とか、あるいは実際に行ってみて、障害児とつきあって初めてわかるのです。そういう意味では、私達が障害者問題を語るときに、やっぱり、あの人達という見方をしてしまいがちなのです。私達という範疇に入ってくると、ある程度いろいろなことに対して自分達と同じだという気持ちができます。そうではなく、あの人達と見てしまいますと、対象化してしまい、場合によると差別のもとになってしまう。だから、啓発というのは非常に難しいです。知識を教えることは違いを知らせることになってしまい、逆に差別を助長する可能性がある。知識の獲得がすべて差別につながるわけでは、もちろんありませんが、その危険性を一方で持っています。

そこを乗り越えたところで、どう障害者差別を、あるいは人権問題を解決するかということを考えてきました。なかなか解決にならない気がいたします。そこが非常に難しい問題であります。

委 員

今のお話で思い出したことがあります。私が司法修習生を預かっていた年に、医師会の会長に精神障害者の関係での見学をさせてほしいとお願いしました。その先生が、修習生8人に自分のところに来なさいと言われました。ある日、修習生にどんなことをしましたかとお聞きしましたら、精神障害者とトランプ、それからダンスや遊技を、職員も交えていっしょにさせてもらったという話を聞きました。その修習生が東京へ帰りました後に、手紙をくれました。和歌山県の修習研修で思い出になったのが、精神障害者といっしょにトランプをしたことだとあります。一緒に遊びをしたということのなかで、精神障害者についての認識というものを、一見別にした、改めたというふうなことを言っていました。修習時代に一番いい思い出だったということを話しておりました。

今、違いと同じということについてお話をなさったので、その意味でちょっと思い出しました。

委 員

みなさんの考え方は、同じだと思います。しかし、福祉と人権という形について、例えば、皆さん方、個人給付をする。施策をやっていくのは行政で、それを中心に考えていくなかで、その最前線にいる方が、全体として人権問題をずっと考えてくださっている方になります。先生がおっしゃったように、施策の側についても非常によく出来ているが、それに対して人権としての視点が抜け落ちていないかどうかが重要です。

以前、東雄司先生の「麦の郷」に関する本を読ませていただきました。私は障害者問題の最高の持ち主だと思っているのですが、全体に考えてみますと、先程からのお話もあるように、現場に出て行って現実に対応していく中で、人権という部分については、今まで抜け落ちているか、あるいは不足していることが多かったと思います。そのことについて、ここでやるということになるのかどうかは解りませんが、そうだというふうに思います。これから行政の立場で、人権室を含め全体の各課が、人権という問題を考えていく必要があると思います。なぜなら、本当の意味で偏見であるとか、あるいはステレオタイプの社会意識が残っていては、折角の施策も完全な形にはならないという部分が非常に多いだろうと思うからです。だからここから切り分けて、こっちからは福祉に戻ってしまって、こっち側が人権の部分でというふうに切ったようなことは出来ない。

それから、先程からおっしゃっているリハビリの考え方でも、リハビリテーションというのは単なる機能回復訓練だけを言うのではありません。全人権的な、あるいは全人間的な復権とも言います。ノーマライゼーションもそうですが、その幅を広げながら、いつも人権という視点に立ちながら施策を展開していくということは、今後は和歌山県に必要なものだろうと思うのです。

人権の視点に立つというと、先程からおっしゃっているように、私が講演する前に講演をなさった方が、知的障害と精神障害について「あれは遺伝だから。」と言った。障害者は別にして、その他の遺伝でないものを差別するというのは止めましょうと講演した。受講した全員が、その講演の話の内容が意識の中に残ってしまう。結局、私は、自分のする話をやめて、その意識をつぶさなければならなかった。

それから、精神障害者の犯罪について、池田小学校のことが出てきた。その問題だけを取り出して、隔離であるとかいう形で出てくる。しかし、犯罪比率でいえば、とんでもないほど少ない話だと思います。そのような数字など出してきて、精神障害者の犯罪は、随分少ないんだということが出てくれば、啓発の面から言っても、非常に説得力のある文になると思います。ただそういう数字がどこからも出てこない。だから、一般的に言って感覚的な数字くらいしか言えないという部分があるわけです。

事務局

池田小学校のことでは先生がおっしゃったようなことがあります。時間がなく説明できませんでしたが、精神障害者の中の犯罪を犯す者の率は、そうでないものが犯罪を犯す率より低いことが犯罪白書でデータとして出ています。

行政として人権という視点から取組が必要ではないかという指摘がありました。精神科病院に対する行政の取組は、過去20年くらい人権を守るということで法改正を行ってきました。しかし、依然問題は残っています。どのようにすればいいのかと悩んでいるところです。精神病院のトイレの扉がない、あっても低いという話は、中での自殺を防ぐための処置です。管理をするために必要だという意見もあります。また、病棟の中で面会できないのは、息子の入院していることが、別の患者さんの家族に解るのはいやだというためであったりとか、あるいは大きな部屋に何人もの患者さんが入っているという話でも、法律上一人あたりの面積は決まっていますが、何人部屋以上はいけないということがありません。人権ということと医療上の必要性をいかにバランスを取っていくのかについて、ご意見を頂きたいと考えております。地域社会における精神障害者については、特に課題が多いと思います。結婚差別・いじめ等、同和問題では差別に対応していく体制があります。 精神障害者については、どうしていけばいいのか。

委 員 精神病院自体というより、病院自体では病院・施設でも人権侵害が当然のごとく行われていると思います。老人ホームでもプライバシーがなくて当然、普通の病院でも例えば心臓を調べたときに、男性の医者が検査を裸でやらせる。今、女性の医師が女性患者から人気があるのは、病院・施設重視のために何かを欠落させてもいいのではないかという意識が強いのではないかと思います。ドアの問題でも、他の方法があるのではないか。アメリカのトイレでは一般のトイレも含めて、上下空いています。すぐにドアを外せるようにして、閉じこめられないようにする、チェックできるようにしています。個を大事にする視点があれば変えていけると思います。大部屋に何人も入れることも、職員の方が個としての視点に立てば改善していくと思います。
委 員

今、保育支援をやっています。自閉症の親子会の皆さんの総会がありまして、自閉症の子どもたちを総会の間、保育支援をして欲しいという依頼があり、引き受けました。しかし、他の人に預けることのできない重度の子どもがいるために、家族は外出できないという話を聞きました。今までは、子どもを抱えながらであったため、総会は中断してしまっていたこと、そして子どもを連れて外出できないということでした。会が終わった後の反省会で、日常が大変です、理解のある市民の方と「違いを認め合った平等」という日常関係が築くことができれば、戸惑うことなく預けることができるのにという話がありました。保育支援の中で、障害のある子どもをどのように保育するのか、両親をどのようにサポートするのか、大きな課題だと思いました。多くの人に存在や病気について理解して欲しい、しかし活動ができないということでした。啓発活動を一緒にできる関係になりましょうということになりました。必要としている人に何も届いていないと思います。また、私たちはフリーな立場で自由につきあったり、理解をしたりできるのだなと実感しました。

それから身内の中に精神障害の病院に入院している者がいて、見舞いに行きますが、面会は特別な場所です。どんな部屋で生活しているのか知りたいのですが、言語が不自由なため、どのような生活をしているのか全く解りません。病院からの説明も不十分です。プライバシーや人権を理解できないもどかしさをいつも感じています。自らのプライバシーが明るみに出るからと言うことで室を開放することに反対する人もたくさんいらっしゃいます。それをいつも言い訳の材料にされますが、オープンでないからこそプライバシー・人権が侵害されることがあると思います。もっとオープンにして本当のことを知りたいという方も、たくさんいます。プライバシーが侵害されるからプライバシーを守る必要があると思う人に、侵害されないやり方でと言いたいです。知的障害をもった人たちが安心して存在でき、自分の状況を認識し活動ができるようなサポートをきめ細かくできるような人権対策をする。そして、オープンにしても侵害されないのだとなれば、「違いを認めて平等」を訴えることもできるのではないでしょうか。従来行われてきた啓発活動を、そのまま行うのではなく、一人一人が必要とする救済・啓発活動が十分にできるような施策ができればと思っています。

委 員

行政が施策を行っていく中では、県民の立場に立っていたとしても、施設や企業の側に立った部分が出てきてしまう。企業の不祥事がたくさん出てきていますが、国民の立場に立っていないからです。2つの問題があるときに、県民の立場に立つことが必要だと思います。お尋ねしますが、民間の業者や施設に対していくつかの点で指導・勧告・助言することは可能でしょうか。

先日、身体障害者の補助犬法ができました。聴導犬・盲導犬・介護犬を含めて、各施設への入場が自由になりました。このことのPRは急務です。また、ある人が「スーパー等に補助犬が入れることに民間については努力目標程度ですから、行政が努力して、それ以上になるようにして欲しい。しかし、もっとお願いしたいのは、人工肛門を付けた人がスーパーやデパート等のトイレを利用する際に、棚1つ、フック1つあれば大変助かる。」という話をしました。行政も解っているのであれば、トイレなどについては勧告等すれば、簡単に付けられる物です。

県民の立場、障害のある人たちの立場に立って、勧告・指導は現実的にできるのか尋ねたいと思います。もしできないなら、条例などできめ細かく対応して欲しい。

事務局

身体障害者補助犬法については、関連団体や県の施設には周知徹底しています。テレビや「県民の友」、ホームページなどで広報していますが、不十分な部分もたくさんあると思いますので、やっていく必要があると考えています。

また、バリアフリーのことでいいますと、和歌山県は「福祉のまちづくり条例」があり、条例に基づいた指導はできているのではないかと思います。所管をしている施設についても、指導を当然やっていきます。

事務局 精神障害者については、病院に対して年に一回立ち入り検査をして指導をしております。しかし法律に基づく事項に対して行ってきた状況です。しかし7月の事件もあり、法令には書かれていないが何かできないかと思い、病院に人権擁護委員会を作り、病院の課題について患者自身や家族も一緒に議論していただければと考えています。また、病院の閉鎖性の問題については、第三者の弁護士やソーシャルワーカーに入っていただけないか、議論しているところです。ただ、法令等がありませんので、最終的には一人一人の理解に頼るということになります。うまくいかないときは先生のおっしゃった方策もあるかもしれないと思いますが、今はそこまでは考えていません。

事務局

オストメイトのことについては、取組は進んでいません。今までは車いす用のトイレを設置していくことに一所懸命取り組んできました。しかし、現実にオストメイトの方がたくさんおられます。しかし、フックを付けるという問題もありますが、本当は大きなスペースがあり、服が脱ぐことができること、また袋を洗うことのできるように湯を通す必要があります。患者さんにとっては、道の駅や鉄道の駅のトイレにそういった設備が必要ですが、設備を付けてもらうには県だけではできません。
ただ、多くの患者の方がひきこもらざるを得ない状況を改善するために、県有施設の改善や協力依頼をしていきたいと考えています。
委 員 その時に、県庁の全課室が「人権尊重」のもとに、すべて集まれるかどうかが重要です。人権室を司令塔に全体で考えていく必要がある。例えば、ある一つの人権侵害に対する取組が、別の問題のバリアになることがあり得る。車道と歩道の差をなくせば、視覚障害者が杖で歩けずに車道に出てしまう。また、点字ブロックを完備したが、車いすの通行が不便になった。これは各問題をバラバラに扱っているために起こっているのではないでしょうか。
知的障害と精神障害が、なぜ障害全体の中で横にいるのか。人権全体をということから考えると、施策を行うには、各々はいいことができているのに、全体から見れば欠陥があったということがあります。人権室、人権条例を中心にまとまることが必要ではないかと思います。
委 員

ノーマライゼーションという考え方は、世界的にも基本理念・基本概念だと思います。このことは、デンマークのバンク・ミッケルセンという精神障害者の施設に勤められていた方が提唱されました。彼がこのままではいけないということで運動を始められたのが、そもそもの始まりです。
健康対策課から説明ありました精神病院の現状はこのままではいけないという感じがします。国の法律で達成されているということであれば、条例でも作って先行するということが重要だと感じます。高齢者・障害者の福祉施設で実習いたしますが、質という点では他府県に比べて後進であるのが現状です。法律を変えて動きを作っていければと思います。

ノーマライゼーションという考え方についてこのように理解しています。これまでにノーマライゼーション以前は、自立をするということは障害者自身の責任である、自立を目指さなければいけないとして、自立できなければ社会の片隅に追いやられる時代が長かったと思います。ノーマライゼーションが普及してからは、周りの責任であると、自立を目指すよりは先生おっしゃったように参加と活動という言葉と同じく、あまり自立、自立ということが前面に出ない方がいいと感じました。
自立を支援するのが社会の責任である、不足している部分があれば周りが補う責任があるとすることを徹底する啓発活動が必要だと思います。そうでなければノーマライゼーションという考え方は形だけになってしまうのではないかと思っています。

委 員

精神障害者の治療法で、薬物治療により後遺症的症状が残るとあります。現時点では、おそらくそのとおりだと思います。些細なことですが、啓発のために文章化するときは柔らかく「後遺症が残ることも多いですが、症状は次第に改善され、リハビリにより回復する。」と強調して頂きたいと思います。そうすれば、患者の方の前向きな気持ちを引き出し、周りにも伝わっていくのではないでしょうか。

2点目は、障害福祉課の方は18歳以上ということでした。18歳以上になって障害が生じることもありますが、子どもの時から成長していくわけです。和歌山県の特殊教育諸学校の数については全国でも胸を張って説明できるものです。ただ、学校を卒業してからの人が障害者対策にいくのだと思います。向学心があっても行くところがない。私は障害者にも高等教育が保証されてこそ、本当の社会だと思います。最近は盲聾の助教授の先生を、指点字の方が補助しています。和歌山大学でも肢体不自由の方を受け入れて頂きました。結局、障害者の問題が解決に向かうのは、高等教育が保証されてこそだと思います。社会で就職するにしても、企業の雇用率のお話もありましたが、できることから、やりやすい所から実現していっていただけたらと思います。家族にとって、地域にとって、あるいは学校にとって、この人がいたためにこれだけのことしかできなかったというのが、今までの社会のあり方だったと思います。この人たちがいたからこそ、私たちもこれだけ豊かな人生が送れるという風になって欲しい。これは市民共通の問題として考えていく視点が必要だと思いました。

委 員

近くの学校に標語が書いてありますが、「みんな仲良く」とあります。みんな仲良くなんて不可能だ。不可能なことを書くのはどうかと言いましたら、校長先生は理想的なことだから、それでいいとおっしゃいました。私は人権の問題でも同じで、100%完全なことは言えます。例えば、いいことであれば行政は法律の根拠なしでも行政指導をするべきだとの意見がありますが、やはり法律による行政は日本の原則な訳ですから、法律の根拠がなければならないということを忘れてはならない。

もう1つ、いくら良い政策を並べても、財政的な裏付けが必要となってきます。優先度というものが当然出てきます。いいことだと言うだけでは、実際の施策にも啓発にも結びつきにくい。先程お話にあった自閉症の方の保育支援のように、まさしく実践的なことを求めていく必要がある。きれい事の羅列に終わらないようにする必要があると思いました。

委 員 企業の障害者の雇用率について、和歌山は非常に良いです。目標達成に近い状況ができていますが、現実的には法改正で目標値が上がりまして、その分について会社が努力したのだと思います。和歌山県の場合は各企業が人権という視点で頑張ってくれています。障害のある人を受け入れるとすると、現実的な話として、経営の中で考えていかなければならない点が出てくる。例えば、下半身不自由な人に上半身だけでできる仕事を割り当てている会社があるとします、ある日午前中で全ての仕事が終わったので、午後は在庫を運び出した。ところが下半身不自由な人は仕事ができない。そこで会社の人は障害を持つ人を雇用すると損になるという。健常な人を雇っておいた方が利益になると言う。全体としての利益の観点から言う。しかし、私はそれは経営者として失格だと思います。仕事の割り振りなど先の見通しの利かないのが、問題だと思います。ノーマライゼーションで間違えてはいけないのは、障害者を受益者として客体化してはいけない。自立させなければと言うことではない。障害を持つ子供が学校に行きたいと思うことが先にあって、それに何らかの補助が必要になるときに行政が動き始めればいいのであって、先に設けておくことが行政ではない。ノーマライゼーションという言葉を日本語にしなかったのは、固定化してしまうおそれがあるからです。行政の側と民間の人権意識の高揚というものが、一体となってうまく機能するのが一番良い。これから条例を作るには、幅の広い一体となったものを作り上げる必要があると思います。このような場でお互いに色々話をすることは、この後のためになると思います。
委 員 障害者の雇用に関する法律の枠組みがあることでお互いが学んでいくという姿勢ができてくる。だから、行政が何でも枠組みを作るというのは、問題があると思いますが、啓発の一段階として枠組みを作ることも、1つの方法だと思います。箱物に関しても、中にいる人のためと規定して枠組みを作ることで、中の状態が良くなっていく要素にはなると思います。程度問題ですが、必要性があると思います。
委 員 障害者のいない社会はあり得ない。同じ社会の一員だ、彼らがいなければ社会が構成できないとの前提に立つ必要があると思います。その上でどのように調和していくか。精神病院で忍び返しが、普通は外を向いてあるのですが、内を向いてある。取ったらいかがですかと言いましたら、外に行って何かあったらと言います。まず、忍び返しを取ってから考えればと言ったのです。
委 員

精 神障害の方と知的障害の方と身体障害の方では、違うところがあると思います。精神障害の方について言えば、今逆に精神障害の方に対する差別というのが強まっていると思います。「触法精神障害者」の問題があります。精神障害者の犯罪は昔に比べて、増えているわけではない。マスコミ等で報道されると、精神障害者の犯罪が、特に重大な犯罪が増えているような印象を受けます。精神障害の人に対する一般の人の見方が非常に厳しくなっている。家族の方から精神病院に入れたいが、入れられないのだという相談が来るような状況です。我々も含めて一般の人の意識をどのようにして正していくか、また病気についても犯罪についても正しい認識を持つことが重要だと思います。しかし、現実問題として事件が起きれば、なかなか正しい認識を持つのは難しい。

知的障害者のことで、私が相談として聞いているのは施設の問題です。知的障害の方が働く施設、特に入所して働く施設が不足しています。また、入所すると家から通うわけではないのですが、財産の管理の問題があります。施設側に利用されてしまうという問題があります。あるいは、本来は入所にお金はいらないはずなのに、施設が不足しているため、現実にはお金を出して入所させてもらうという状況です。お金の管理の問題もあります。

知的障害者や精神障害者について、隠れている部分、隠されている部分が、もっとオープンになり、我々が正しい状況認識をもてるかが重要です。ハードも大事ですが、意識をどう変えていくのかが非常に大事です。しかし難しいと思います。

委 員 一つお断りしておきたいのは、和歌山の施設が皆、後進であるということではないことです。新しい画期的な取組をしている施設もたくさんあるということを指摘しておきます。デンマークの話を出しましたので、税金を投入して手厚くという風に受け止められたかもしれませんが、そう言うことを申し上げたかったのではありません。北欧の国々が経済的に破綻しているのは明らかなのですが、目指すべき人権や福祉施策を模索しながら、学生たちに伝えているところです。私が思うのは、弱肉強食の考えはもう破綻を来しているのではということです。先程、順序の問題が出ましたが、順序の問題ではないと思います。個性を持った者が同時に生きていて、どのような社会を作っていくことができるのかを考えなければならない時代だと思います。
委 員

人権尊重やノーマライゼーションは追求すべき理念としてある。それを追求することは良いと思います。また条例についてですが、必要な施策については、するべきだと思います。障害者自身が自分の権利について自覚できるようにしていく必要がある。そうでなければ、啓発といっても周りからの押しつけになってしまう。

また、自立と言うとき、自立できないのは本人の責任となってしまう。これはいけないことです。しかし、自立の精神は大事にしたいものです。本人の言いたいことをしっかりと主張できるようにするためにも。

委 員 先程の「みんな仲良く」なんて、できないと言いましたが、それは大きな理念よりも、小さなことから一歩ずつと言うことです。
委 員 障害者の意見を聞くべきだと言うことは大事だと思います。県から説明のあった病院について、人権委員的なものを作ろうという話があります、しかし構成員を聞いてみると、病院の関係者ばかりで患者が入っていないのです。
これでは人権委員会としての意味にならない。患者やその家族が構成員として入り、その意見が反映される委員会でなければならない。他の精神病院でも人権委員会を作っても、患者やその家族の意見が反映されることが大事です。
委 員

血液疾患、白血病の患者の会が行政に行っても返されてしまう。それは、初めから患者と行政とが話し合う土壌・風土ができていないためです。敵対するか要求するか、あっちに座るかこっちに座るかという風になっていると思います。色々なところにあります。例えば、精神疾患の外来を目立たないところにレイアウトして欲しいと要求があり、それを受け入れることが良いことなのか。それとも我々の人権意識を変えるのが先なのかということがある。また先生がおっしゃったように、個人個人が仲良くなり、つながっていくのが普通であって、全体が、というのは違うのではないか。
例えば、人権侵害を受けている障害者同士でも、足の引っ張り合いみたいなことがあり、そのことが逆に人権意識や人権施策をレベルアップさせないでいる。あの障害の方が補助率がいい、優遇されていると言うことがたくさんあります。お互いが言い合っている間は、なかなか前進しないのではないかと思います。

もう一つ障害者という言葉については、よろしいのですか?

委 員 いくつか呼称が提案されつつあると思います。和歌山が先にと言うことであるなら、違う呼称で統一して頂きたいと思います。
例えば「チャレンジャー」と呼ぶ団体もありますし、「チャレンジド」、つまり神様にチャレンジする機会を与えられている人、と呼ぶ人もいます。また、それ以外のものでも、色々提案したいなと思います。
委 員 呼称を変えるというのはわかるのですが、それを重視しすぎるのも逆の問題が起こってくるのかなと思います。
委 員 障害という言葉にある固定的な蔑視的な臭いを持ってしまったのかなと思います。
委 員

北欧では障害者の出現率が全然違います。それは、障害者の捉え方が違うからです、つまり補助対象を拡げているからです。例えばメガネをかけている人を障害者に含めると、範囲はどんどん広がっていきます。ですから、国として県としてどこまで対象を拡げるのかと言うことがあります。

本来は障害者とか区別する必要はないが、施策的な福祉の対象として同定するための区分という面はあると思います。

委 員

言葉で言っても仕方がないと思います。障害という言葉にマイナスイメージがあるならば、それは蔑視とともに使われてきたと言うことになる。障害という言葉が、それを克服しようとする人々だというように、色々なイメージを持てるようになればいい。

この言葉が良いとかそうでないとか、あまり議論すべきでないと思います。

委 員 最近は横文字が増えまして、その定義がはっきりしないものも多い。ですから、条例等に使う場合は、ある程度一般でも了解されるようになってから使った方がいいと思います。慎重になった方がいいと思います。
委 員

医療現場での人権侵害ということが、今後女性や高齢者などにも出てくると思います。忍び返しがどっちにあるかと言うことに目がいって、守るのか攻めるのか深く考えないのと同じように、我々が人権侵害を受けているということに気づかないことも多いと思います。今日、話にあがっていることに対する啓発というのは、当然なされていると思いますが、そばにいて受け取る我々が気づかない。

13歳になる知的障害を持った子供がいる、ある母親の話です。子どもが旅行に行くことになった。その時に事前に診断を受けるのですが、医師が「生理はあるのか。」と尋ねられて、「はい」と答えたところ、「昔だったら取ったのにな。」と平気でおっしゃったのです。そのお母さんは苦労もされましたが、反論できなかった。なぜかと言えば、子どもの健康・命を半分人質に取られているようなものだと思い、「問題発言ですよ。」とは言えなかったそうです。その人は、意識はありました。しかし、その意識もない人もいると思います。また、周りで話を聞く我々も問題だと思う意識がなければ、そのまま通ってしまうわけです。医療現場では、そう言うことについて勉強することが必要だと思います。

私自身、子宮筋腫の時に、「もう女やめるんだから、放っておけよ。」と言われたときに、「ちょっと」と議論になったことがあります。医療の現場の問題は大きいと思いますので、そのことについて注意して取り組んで頂きたいと思いました。

委 員 基本は患者と医療側の共同作業だと思います。共同作業する際に、お互い同士が認め合うということ、人格を認め合うということがなければ、良いものが実現するわけがないと言われます。精神障害も例外でない。お互いが認め合えなければ、成り立たないと思います。
委 員 今の医者は、患者のQOL(生活の質)のことを考えてくれると感じます。QOLのような、生活の質を保つ・高めるという概念・視点を入れると、人権と言うことを考えていただけると思います。そういう意味での啓発も必要かと思います。
委 員 車いすを使うはずの人の数と、実際に車いすを使う人の数に大きな差があるとの話を聞いたことがあります。
実際、私の妻は2級で車いすを使った方がいいと思いますが、日常生活の中では使わないで過ごしている。使って良いのに、使っていないというのがある。精神障害の問題で、精神病院に行きたい入りたいと思いながら、実際には入らないというのがあるのではないか。物理的な問題と言うよりは、世間体とかの問題があるのかと思います。ですから、外側の問題、障害者への偏見というもので、利用したいものが利用できないのではないかという感じがします。
事務局

今、病院に行きたいのにいけないという話がありましたが、悪循環になっているのではと思います。それは偏見があって、入院してもプライバシーの問題からどうしても閉鎖的になってしまう。すると、閉鎖的環境の中で今回の病院のような色々な事件が起こってしまう。そうなると、世間は精神科病院はそんなところか、行きたくないとなる。そうすると、精神科病院に行くことが一つの偏見となる。そう言う悪循環を断ち切る必要があるという風に思います。

それから、患者から医師に言えないというお話がありましたが、そういう状況はあると思います。面会室でしか会うことができないというのも、中に入れて欲しいと言えば、入れるということもありますが、家族から言えないという状況もありますし、入れないとの思い込みもある。また、任意入院の場合は自由に退院できますが、退院を待ってと言われるとそれ以上は言わない。権利が意識されていないということがあります。県からは、施設に対して、患者に文書で権利について周知するようにと、説明しています。

事務局

障害者問題の中で、まず身体障害者福祉法ができ、次に知的障害者について法ができ、精神障害者に関する法整備が遅れた歴史があると思います。

障害者問題を考える際には、法律の出来てきた経緯についても考慮して頂く必要があると思います。

お話で気になったのは、お金の管理の問題があります。また、教えて頂きたいと思います。

また、「チャレンジド」ということについてですが、この呼称の提唱者の思いには「チャレンジドを納税者に」と言う大きな目標があります。今、大きなうねりとなってきています。身体障害者の方がITなどを駆使してこんなこともできる、今までは、納税の力などないように言われてきたが、十分に納税できる力を持っているということで、立派な運動だとの認識は持っています。しかし一方で、重度の障害者はどうなるのかという思いがあります。障害者福祉を担当するものとしては、それだけを強調されるのは辛いものがあります。身体にも障害がある、知的にも障害があるという重度の障害者の方には、施設を充実させる必要がある。チャレンジドという捉え方だけでは、障害福祉課としては辛いとの思いがあります。

委 員 私が相談を受けた中では、知的障害者がある施設で作業をしているが、その作業したものの売り上げについての管理がはっきりとしない。また、知的障害者は年金等の収入があるわけです。ほとんどの施設はきちんと管理していますし、中には保護者会が財産管理をしているところもあります。しかし、全てがそうではない。中には、財産管理について不明瞭な点のあるところもあり、保護者の方からの相談を受けることがあります。しかし、それは表に出てこないし、先程のお話にもありましたが、保護者とすれば人質に取られているという思いがあるわけです。入所施設は一杯でなかなか入れない、だから表だって言えない。大半はきっちりとしているが、中にはそういうことがあり、表に出てこない現実があると言うことです。
委 員 県の場合、社協(社会福祉協議会)が権利の擁護事業というのをやっております。障害福祉課も金銭の管理等には県の事業を使うようおすすめ頂きたいと思います。
事務局 知的障害者の、特に入所施設が少ないという指摘がありましたが、確かにそのとおりだったと思います。今年の9月にできました「あすなろ平瀬の郷」、来年田辺にできます「第2のぞみ園」、その翌年にも那賀郡に50人規模の入所施設ができる予定です。着実に進んでいるとのご理解を頂きたいと思います。
委 員

色々なご意見に賛成するところも多々ありましたので、屋上屋を重ねることはあまりしたくないのですが、私の考えを述べたいと思います。

先程、県民の立場につくか企業の立場につくかというお話がありました。また、県は指導・助言できないかというご意見もありました。事務局から行政はどれだけ施設等に入り込めるのかというご意見もありました。私は、行政は障害者にとって良いことならば、できるだけやっていくべきだ、謙抑的になる必要はないと思います。あくまで、県民・障害者の側に立った行政を行うべきではないかと思います。和歌山県は障害者に優しいということを前面に出していくべきではないでしょうか。

それから、相談・救済制度の充実ということも問われています。相談・救済についての具体的なことを、今度の答申に盛り込みたいと思っています。

委 員 各分野毎の人権問題がそれぞれある。これらを、人権の視点からスムーズに解決していくための方策について、例えば人権室について、その機能が完全になされているのかどうかと、十分に機能しているのかどうかという点がありますが、その点についてどうでしょうか。
事務局

今年の4月にできたところでして、ご指摘のあった点について十分なイニシアチブを取れていないのではないかという自己反省があります。障害者に優しい県政という方向性についてのお話がありました。障害者ということについても、目の不自由な方と車いすを利用される方との関係についてのお話がありましたが、なかなか難しいというのが正直なところです。人権全般を人権室で扱うことになりましたので、相当消化していきませんと、全体の統制、条例に基づく基本施策を組み立てるのは難しいと実感しております。

ご指摘のあった人権室のイニシアチブについては若干至らない点もあるのが実情ですので、ご指導賜りたいと思っております。

委 員 各部にわたることですし、各部との連携というものをとって頂かないと、人権問題が各部でどれだけ実施されていくのか、不安になるわけです。
同和委員会を解散して、新しく人権室を設置した願いから言えば。
事務局 人権室は人権全般に対する統制と、同和問題の主管課であるという問題があります。今日、障害者の人権ということについて人権室の職員が最初に説明いたしました。各部各課任せではない、人権室の職員が知識・認識を深めていくのだということ、知識を得ることで全体のイニシアチブを取っていくのだということです。職員がそれぞれ、今日の障害者の人権という風に、人権という横糸を訓練していこうということです。人権全般・同和問題について努力をして参ります。
委 員 行政だけでない我々の問題でもあるのですが、人権施策と福祉施策の関係をどう位置づけをしていくかという問題があります。具体的な施策や事象が起こった場合は、担当の部局で行っていくのだと思います。
統制する所はどこなのか、全てについて把握されているのかについて、危惧といいますか、不安がありますのでお伝えしておきます。
委 員 先程の歩行者道や表示の問題、そのような具体的なところまで入れていくことや、目の不自由な方と車いすを利用される方のどちらにも利用できるような形にできるはずです。高所・大局的な観点で、全体として人権行政をどうするのかという問題でしていきたい。和歌山県の人権施策の基本を討議する場と認識しております。
委 員

人権室が最初に説明して頂いたのは、トップバッターがホームランが打ったようなことで和歌山県としては非常に珍しかったと思います。
同和問題をやっていく中で、司令塔がなかったために、どうしても積み残しが生じたのではという反省があります。ですから、人権室は県の人権行政の中で大局的な全体を見ていく司令塔であって欲しいと思います。

それからもう一つ、組織のことをいえば、人権担当というか人権推進員の方々が、各課室にいらっしゃるとお聞きしていますので、各担当の方の人権意識を高めながら、一体となって人権室と各課室の担当が連絡を取れば、風通しが良くなるのではと思います。

委 員 私は最終的な形を定めるのではなく、このようなフリーな形で意見を述べていくのが良いと思います。
委 員 今日は、主に18歳以上の障害者の話がありましたので、児童福祉法や学校教育法の視点からの障害者について触れて頂きたいと思います。
委 員 今日は同和問題についても議論をということでしたが、時間になりましたので、今日はこれで終わらして頂きたいのですが、よろしいでしょうか。ありがとうございました。

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