平成11年6月 和歌山県議会定例会会議録 第3号(鶴田至弘議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

 質疑及び一般質問を続行いたします。
 四十四番鶴田至弘君。
  〔鶴田至弘君、登壇〕(拍手)
○鶴田至弘君 お許しをいただきましたので、一般質問に入らせていただきます。
 まず、地方分権の問題でお尋ねをいたします。
 地方分権一括法が国会審議で進められているところですけれども、このままで法案が成立するとしますと、一部の分権と引きかえに自治権の基本的な部門で大きな侵害が来されるのではないか、そういうことを考えると何のための分権なのか、中央統制の強化につながるのではないかという危惧をいたしますので、同法案に対する所見を地方自治の直接の担い手である副知事にお伺いをいたしたいと思います。
 ところで、本議場におきましても分権問題は盛んに議論されてまいりましたし、知事もそれに答える中で、本来あるべき地方分権に大きな期待を表明してきたところであります。しかし、同時に、この二月議会で議員の質問に答えて「率直に申し上げまして、当初の地方分権の趣旨から申しますとほど遠い感は否めません」と述べるとともに、財源移譲は残念ながら具体性に乏しいものになっていると答弁され、鳴り物入りの分権が必ずしも知事の満足のいくところになっていないことを表明されました。その後、分権一括法が国会に上程され、今日に至っているところですが、果たして知事の求めた本来の分権になっているのかどうか、私の見解を表明しながら副知事の所見を伺うものであります。
 一番は、やはり機関委任事務廃止の中途半端さであります。
 分権の最大の眼目は、国と地方の関係を上下の関係から対等の関係にする、そのためには、最大の問題は機関委任事務の廃止ということでありました。それが地方を従属させている最大の問題であったからであります。ところが、二月の議会の質問にもございましたが、法案でも機関委任事務の四〇%が法定受託事務として実質的に機関委任事務の形として残されております。機関委任事務の基本的な廃止とは到底言いがたい状態であります。もちろん、法定受託事務のような形にするのが適切なものもありますが、この四〇%の中には当然自治事務に付されるべきものもあります。中央省庁の抵抗の結果このようになったとも言われておりますが、国の統制を維持したいという、分権の思想と相反する思惑がこの結果を生んでいるのだろうと考えられます。この中途半端さを副知事はどういうふうに受けとめておられますか。
 二番。次に、国の地方に対する関与についてお聞きをいたします。
 地方分権とは、国と地方を対等の関係に置き、地方自治体の主体性と特色を発揮させ、住民福祉を旺盛ならしむるのが本旨であります。それゆえの機関委任事務の廃止であり、さらに国の関与の排除であります。ところが、法定受託事務に大きく関与の道を残しているだけでなく、自治事務にまで国の関与の道を大きく開きました。これは、今までの団体事務に対してはなかった措置であります。地方自治体が行う自治事務が国の意にそぐわないときは担当大臣から地方に対して是正の要求ができるとともに、その要求を受けた地方自治体はその要求にこたえて必要な措置を講じなければならないとしているわけであります。さらに、個別法により国の代執行さえ認めております。これは、今までにない国の地方への介入であります。今までは、国と地方で矛盾を来したときは、国からの強い指導はあったとは思いますが、それでも法的強制力を持ちませんでした。今度のような国による是正の要求や、それに対して地方が必要な措置を講じる義務というのはあり得ないことでした。この国の地方への関与は、明らかに自治の侵害です。本来の分権に逆行するものだと思いますが、いかがお考えでしょうか。
 さらに、地方への関与と言えば通達行政の問題があります。
 地方自治法二百四十一条に基づく通達行政は、行政当局にとってはおなじみのものであろうとは思いますが、これは今までしばしば上意下達の手段としてその役割を発揮してまいりました。国の施策を上回る地方の前進的な諸施策がしばしば中止をさせられたり、地方政治の根幹にかかわるようなことが一片の通達で強制されりすることが珍しくありませんでした。地方行政改革大綱を作成させ、その実施状況を報告させたり、国の経済政策のためと言っては財政難にもかかわらず地方単独事業を際限なく進めさせたりと、通達行政は実に頻繁に地方に介入をしてまいりました。したがって、地方分権の推進のためにはこの通達行政を排除することが大きな要件になりますが、ここのところはほとんど手がつけられないままになっております。国会議論でもそのことが明らかになってきておりますが、この点をどのようにお考えになっておられますか。
 三番。地方の権限移譲は財源を伴うというのは当たり前の話であり、地方政治に携わる者にとっては共通の思いであります。しかし、今次上程された法案には、地方への財源移譲はほとんど明記されていません。分権は財源を伴わない限り形だけのものになり、逆に仕事と責任を押しつけられただけのものになりかねません。国による地方統制で最もやりやすいのが、この財政を通じてです。今回の法案では、国が財政的に地方を統制する現状に何ら変化が生まれていません。起債が協議制になった点などは是としても、あとは全く部分的なものにとどまっているわけです。自治事務を実施するに当たって、国からの補助金、交付金、地方債の発行はどうなるのか、権限移譲とともに地方が主体的に事務を実施できるよう財源措置が明記されなければなりません。政府は国の経済が二%程度の成長軌道に乗ってから財源配分の見直しをするというふうに言っておるようですが、いつのことやら、どんな程度の見直しになるかは全く不明であります。副知事にあっては、このような財源保障の明記を欠いた分権法案をいかがお考えですか。
 四番。市町村合併についてお尋ねをいたします。
 今回の分権法案は、市町村合併の促進を誘導するような諸条項が盛られています。合併問題については、知事は従前から、それは住民自身が決めることであると言っておられました。私も同意するところでありますが、今後、国や県の意図的な誘導によって合併の促進が図られるということはありませんか。小さな町村が一定の行政水準を維持していく上では国や県の財政的な措置が当然必要ですが、それが非効率だということで住民の意図に反して合併が促進されるとすれば、それは分権の思想にも反します。副知事の所見をお伺いいたします。
 続いて、国旗・国歌、日の丸・君が代について、教育長にその所見をお伺いしたいと思います。
 政府は、今次国会を大幅に延長して、日の丸を国旗に、君が代を国歌に法的に定めようとしているところでありますが、この法制化への動きはまことに唐突で、国民世論がまだ形成されていない中で、国会の多数を頼んでの強行という感じがいたします。国旗、国歌という国のシンボルを定めようとする問題ですから、これはもっともっと国民的議論が当然前提として必要ではないかと思います。
 国際間の交流が深まっている今日、国旗、国歌が必要となる場面は少なくなく、世界の多くの国々が憲法や法律で国旗や国歌を定めているように、我が国も法制化されることは必要なことではあろうとは思います。しかし、そこには自由闊達な国民的議論が前提とされることが必要です。
 日本共産党は、そのような立場から幅広く国民的議論を呼びかけるとともに、国会の中に国旗・国歌問題調査会を設置することを提案しているところです。もちろん、すべての国民が完全に一致するということはないでしょうが、その議論の大きな動きの中で国民的合意を得る工夫がなされるべきであろうと思います。
 今ようやくにして、そのような議論が始まったところです。本当に日本の歴史の中で国旗・国歌問題がここまで議論になり始めたことは初めてのことだと思います。新聞論調でもさまざまな意見が出始めました。もちろん即法制化という意見もありますが、ほとんどが政府の唐突な法案提出に疑問を呈し、これからのさらなる国民的議論を期待するのが大方のところです。
 政府の法案提出の動機には、教育現場への日の丸、君が代の定着促進というのが直接動機となっているようですが、動機自体が不純に思います。それだけに、一気呵成に法案成立と考えているのでしょうが、そのような動機で国旗、国歌を定めるべきではないでしょう。教育長は、このような状況をどのように考えておられますか。
 政府の提案は、国旗は日の丸、国歌は君が代とするというものです。さきに述べた法制化への手順とともに、日の丸、君が代が国旗、国歌としてふさわしいかどうかという問題は、今また大きな議論の焦点でもあります。日の丸、君が代が国旗、国歌にふさわしいとされる方も多数おられることを私は十分承知しております。同時に、それをふさわしくないとされる方も決して少なくないと承知しています。政府は日の丸、君が代は国旗、国歌として慣習的に定着しているという立場をとっていますが、それは国民の中から自然に育成された慣習というよりも、政府の意識的な誘導によって政治的、行政的に慣習化しようとしているものだと私は考えます。
 私自身、日の丸にはさまざまな思いを抱いています。日の丸のデザインは極めてシンプルで、何かを象徴するにはなかなかのものだと思います。同時に、過去の太平洋戦争のもとでの国民の悲劇を想起させ、アジア諸国にとっては、日の丸の旗のもとに侵略され、多大の犠牲を払わされた苦しみを思い出させるものだとも思います。それを世界に向かって掲げることに私は大きなちゅうちょを感じてまいりましたし、現在でもその思いは変わりません。そのような思いを抱く方は、私だけではないと思います。
 君が代についても、主権在民の時代にふさわしい歌かという疑問は、君が代斉唱を求められたときに常に問題になってまいりました。戦前、君が代の「君」は現人神・天皇のことだと教えられました。君が代の「代」は天皇の御世だとされ、その永遠の繁栄をことほいだものとされていました。その君が代が、戦後はその内容があいまいにされたまま、政府諸機関によって国歌扱いにされてきたのでした。「君」とはだれのことか、「君が代」とはだれの世なのか。君が代を国歌として扱うとする政府の答えもあいまいで、「天皇を象徴する日本」などとして学校での子供の質問にも適切な回答は与えられませんでした。あからさまに天皇と断言することに長くちゅうちょしてきたのでした。
 しかし、今回法案を提出するに当たって、政府は初めて「君」とは象徴天皇のことであると明確にいたしました。それ以前から外務省は、在外公館において、国歌の題名である「君が代」は天皇の治世を意味するとしたパンフレットを数年前から配布していたようでありますが、いずれにしろ、君が代の「君」が天皇であるとしたわけです。私は従前から、それはいかなる粉飾を凝らしても「君」は天皇としか解釈できないものと思い、この歌詞が国歌にふさわしいものだとは考えられませんでした。それは、主権在民をうたった憲法の思想とは明らかに異なるものだからです。
 今回の政府の見解表明によって、今まで君が代の歌詞をあえて問題にせずに歌っていた方々の中にも改めて問題意識が持ち上がっています。もちろん、政府の見解に賛成する方もおられるでしょうし、疑問を抱く方もおられるでしょうし、君が代の過去の歴史から国歌としてふさわしくないという方もおられるでしょう。今改めて歌詞の解釈を含め、主権在民の日本にはどのような国歌がふさわしいのか、国民として大いに考えなければならないときであり、大いに議論しなければならないときではなかろうかと思うわけです。
 一九四五年を境に、日本は新しい国家として新しい歩みを始めました。国家の体制も、天皇主権国家から国民主権の国家に変わり、戦争は永久にしないことを世界に宣言する国へと変容をいたしました。それを体現して、国の名前も「大日本帝国」から「日本国」に変わりました。ただ、国旗、国歌だけが、戦前も法制化されていなかったがために、あいまいな形で政府主導のもとに日の丸、君が代が国旗、国歌とされてきたわけです。戦前の暗い歴史を想起させ、主権在民の思想と相入れないと思われる日の丸、君が代をどのように評価されておられますか。
 三番目。国旗、国歌とは、もともとの役割は国が公の場で国をあらわすシンボルとして使われるものであり、国民に対してそれの尊重を義務づけたり、学校行事に義務づけるというようなことはしないというのが近代国家としては世界的な常識になっています。日本は、さきの太平洋戦争中、国旗、国家の尊重は天皇と大日本帝国への忠誠のあかしとして、国家権力の手によって強制されてまいりました。今は時代が違います。そういう事情もあって、当然のことでしょうが、今回の法案には国旗、国歌の尊重規定は入っておりません。
 ところが、学校教育の場では学習指導要領で国旗、国歌が法制化されていない段階から「指導するものとする」とされ、教員や児童生徒に国旗掲揚、国歌斉唱が義務づけられました。法制化された段階での一般的な指導ということはその内容において当然考えられることですが、学校行事における国旗掲揚、国歌斉唱を義務づけるということはそれとはまた別の問題です。国旗、国歌に対する態度は個人の思想信条にかかわる問題です。個人の良心に属する問題であります。それゆえに、サミット参加国などでは学校教育でのこのような義務づけを行っているところはありません。アメリカでは、連邦最高裁が強制は違憲であるとの判決さえ出しています。国旗、国歌への態度は思想信条の自由の問題として、教員、父母、子供たちに対応すべきではないでしょうか。教育現場におけるトラブルや悲劇は、この法律でもない学習指導要領による思想信条の自由を無視した義務づけ、言葉をかえれば強制がその原因をなしています。県下の教員や生徒、父母の中にも大きな苦痛を抱いている人々のいることも教育長はご存じでしょう。そのような思想信条にかかわるような問題を法的拘束力を持つとした学習指導要領において義務づけること自体が問題ではないのでしょうか。教育長の所信をお伺いするものであります。
 最後に、昨日、推進の立場からの質問がございました雑賀崎埋め立て問題、港湾振興の問題について、私も別の立場からお尋ねをさせていただきたいと思います。
 過日、県が作成をいたしまして修正された港湾計画が地方港湾審議会をクリアしたとの報道がありました。雑賀崎の地元の皆さんとの話し合いも平行線をたどっていたようですので、それをあっさりと無視してまで地港審にかけ、七月には国の港湾審議会に諮るという性急なやり方はいかがなものかと思いつつ、まず大規模な埋め立てとマイナス十四メートルバースの必要性について重ねて質問をいたします。
 この問題については、大規模な埋め立てはさらなる大港湾建設が前提とされていることを踏まえて、そのような計画が果たして必要かという立場から、私は数回にわたってただしてまいりました。和歌山はその経済圏の狭隘さから、数万トンのコンテナ貨物船の頻繁な往来などは考えられないと思われ、単なる主観的、希望的観測でこのような大規模な公共事業に臨むべきではないとただしたのですが、当局の答弁は、関係者のヒアリングをした、アンケートをしたと言うにとどまり、ほとんど説得力のないものでした。私だけがわからない、理解できないのかと思っていましたが、最近では幾つかの大手の新聞にも同様な疑問が提起されるようになっています。それにも県当局は十分答えられておりません。
 実は、県の方は余り言いたがりませんが、八五年当時の計画では、県は公共貨物の扱い量を十年後の現在約六百万トンと見込んでおりました。しかし、十年後の実際は見通しの半分にも満たない二百七十一万トンでした。余りにも大きな格差で、県の見通しの科学性のなさを示しています。経済情勢の関係もあるでしょうが、余りにも大き過ぎます。
 今回の改定に当たっての見通しは、九七年度実績の二百九十七万トンを七〇%アップして五百万トンを見込むというものです。前回は大幅に狂ったが今回は正しいという根拠はありません。少なくとも、公表された資料からは見出せません。マイナス十四メートルのバースの対象で公共貨物の主要部分をなす木材輸入についても、これも去る議会で私が紹介をいたしましたが、十年後、バブル時代をはるかに超えて現在の二倍近い輸入になるという根拠はまるで見出せないのであります。マスコミなどの疑問提起も、和歌山弁護士会の疑問提起も、景観問題とともにここに集約されています。このごく素朴で、しかもかつ重要な問いに十分納得できるような答弁をいただきたいと思います。今までの繰り返しでは納得できるところではありません。
 二番。国を含め、地方の財政が極めて厳しい様相を呈しているとき、その原因となったむだな公共事業はできるだけやめておこうという声は当然のように起こっています。それは、新たな事業を始めるとき、その事業に要する費用、事業主体なども明らかにしながら、さらに費用対効果についても同時並行して考えていこうではないかということになってきています。私はそのような趣旨でさきに質問したところですが、そのようなことは事業計画を議論するときの課題だという答弁でありました。もちろん、細密な数字や確実な事業主体が今の段階で明らかにはならないでしょうが、概括的なものは当然考えられると思います。考えられないとすればおかしな話です。今回の計画は、当初一千億を超えるだろうという説もありました。最近では数百億とも言われていますが、まるで見当がつきません。今次港湾計画は既に県民的、市民的議論になっております。県民の判断に資するためにも、そのような数値も明らかにして大きな議論をともに起こしていくべきではありませんか。
 三番。景観問題はクリアしたのでしょうか。検討委員会がよしとしたということですが、果たしてそうでしょうか。
 かつて、景観などというものは経済政策の前には極めて二次的なものとして扱われたものでした。そのような思想はまだ残っていないでしょうか。港をつくって和歌山が繁栄をする、景観が少々破壊されても仕方がない、ちょっとぐらいは辛抱しよう、そんな思いが当局にはないでしょうか。
 景観問題というのは、主観的な側面が大きい問題です。人によっては思いが違います。それだけに、その景観に日常的に接する方々の思いが大切にされなければなりません。景観検討委員会の方々は博識で豊かな知性の持ち主だろうと思いますが、雑賀崎の景観への愛着や思い入れは地元の方々には及びもつかないでしょう。私はそういう意味で、景観検討委員会の方々と地元の方々との率直な語り合いがあったのだろうかとも思っておりましたが、そういうことも聞きません。
 副知事にお尋ねをいたしますが、景観検討委員会の結論もさりながら、副知事自身、この巨大な埋め立てにもかかわらず雑賀崎の景観美を保持し得たとお思いですか。
 四番。十三メートルバースがまだ完成も見ない中で、なぜ次の計画が急がれなければならないのかをお尋ねいたします。
 八五年に計画されたバースが、ようやく来年あたりに完成を見ようとしているところです。ところが、それに至る航路がまだできていない。さきの計画がどのような効果をもたらすか、全く今の段階では検証されていないところであります。政治というものは遠い将来を見据えながら行うものだと言えばそれまででしょうが、そのためには足元の現実についてシビアに見詰めていく必要があると思います。
 さきの港湾建設で設定された港湾需要が五〇%以下しか満たされていない、十三メートルバースも完成していない、完成した暁にはどのような港湾需要が発生し、そこからどのような将来展望が開けてくるのか、議論しなければならないことは山積をいたしております。そういうことを差しおいて、世界のコンテナ船の大型化とかベイフロンティア計画だとか、そういう論理からだけで新しい港湾計画をとにかくことしの七月の国の港湾審議会までにと、地元の合意も差しおいてがむしゃらに強行するのはなぜですか。急がなくてもいい理由の方がはるかにたくさんあると思います。
 残土問題は、確かに重要な問題ですし、十分に検討しなければならない問題ですが、しかし、その急ぎの原因が残土問題だけであるとするならば、暫定的に処理する方法もあり得ます。いかがお考えでしょうか。
 以上で、第一問を終わります。
○議長(下川俊樹君) ただいまの鶴田至弘君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 副知事高瀬芳彦君。
  〔高瀬芳彦君、登壇〕
○副知事(高瀬芳彦君) 鶴田議員にお答えいたします。
 まず、地方分権についてお答えいたします。
 現在国会で審議中のいわゆる地方分権一括法案は、これまで我が国の中央集権型行政システムの中核部分を形成してきたと言われている機関委任事務の廃止や国の関与のあり方の見直し等、抜本的な改革を行うものであり、地方分権の推進のための画期的な第一歩と受けとめてございます。
 法定受託事務につきましては、地方分権推進委員会において法定受託事務となるべき基準を定め、地方分権推進の観点から個々の事務ごとにその性質、内容を十分検討の上、事務の区分が行われたものと伺っております。地方分権の一括法案における事務区分は、この地方分権推進委員会の勧告を最大限に尊重して策定された地方分権推進計画に即したものと承知しており、まずは分権の流れに沿ったものと受けとめるべきものと考えてございます。
 しかしながら、今回の法案は事務の整理等にとどまり、税財政面における抜本的な措置が盛り込まれていないことはまことに残念であると考えてございます。地方分権の推進のためには、自主的、自律的な行政運営を支える地方財政基盤の充実強化が不可欠であり、先日の政府予算要望においても、国と地方の税配分の抜本的な見直しによる地方税源の充実等について要望したところでございます。今後とも引き続き、強く働きかけをしてまいりたいと考えてございます。
 次に市町村合併についてでございますが、少子高齢化の時代を迎えようとしている現在、地方分権の推進とも相まって、市町村の合併も含めた行政の広域化が求められている潮流がございます。
 市町村合併につきましては、もとより市町村並びに住民の方々の自主的な取り組みが基本であると考えており、県といたしましては、将来の市町村のあり方についての議論を深めていただくため、必要な情報提供に努めてまいりたいと考えております。
 最後に雑賀崎の景観問題でございますが、自然を守るということにつきましては、県としては重要課題として従来から考えているところでございます。しかし一方では、半島に位置し、大部分を海に包まれている本県にとって、港を生かすということは県勢浮揚の原動力であるとの信念を持っています。
 こうした中で、昨年五月に和歌山下津港本港沖地区景観検討委員会を設置し、一年をかけた景観面の検討が五月十五日に終了し、景観上容認できるとの委員会結論を得たところでございます。この委員会では環境や景観の専門家の方々に公開の場で真剣に議論していただき、その結論は重いと考えてございます。
 私自身も現地を何度も訪れておりますが、変更案は背後地の工業地帯を緑地でカバーするとともに、雑賀崎の景観の特徴である多島海景観と紀淡海峡から太平洋にかける眺望も十分保全していると考えてございます。
 以上でございます。
○議長(下川俊樹君) 総務部長稲山博司君。
  〔稲山博司君、登壇〕
○総務部長(稲山博司君) 地方分権に関する国の関与についてのご質問にお答え申し上げます。
 まず、ご指摘の是正要求についての是正改善義務の規定についてでございますが、これは地方公共団体の違法な事務処理等が地方公共団体により自主的に是正されず、行財政の運営が混乱し、著しい支障が生じているような場合には、これを放置しておくことができないことから設けられたものと承知をいたしております。
 また、地方公共団体においてこの是正措置の要求に不服があるときは今回新たに係争処理の対象とされているところでもございまして、国と地方公共団体の関係の公正、透明性等の確保が図られているものと考えております。
 なお、代執行につきましては法定受託事務に限って認められているところでございまして、これは本来国が直接執行すべき性格のものという観点から地方自治法に規定がなされたものと考えております。
 また、いわゆる通達行政についてでございますが、機関委任事務制度の廃止によりまして国による包括的な指揮監督権が廃止され、国の関与の基本類型及び手続が限定的に定められたところでございますので、従来のような広範な通達による国の関与といったものはなくなるものと理解をいたしております。
 以上でございます。
○議長(下川俊樹君) 土木部長大山耕二君。
  〔大山耕二君、登壇〕
○土木部長(大山耕二君) 三点目の雑賀崎埋め立て、その一点目の必要性が判然としないとのお尋ねについて、少し長くはなりますが、お答え申し上げます。
 今回の港湾計画は、平成二十年代前半を目標年次として、外貿機能の拡充や建設残土の処分場を確保することなどを基本方針として、十数年後の物流需要や船舶の大型化など適切な需要予測のもとに、その上で必要となる港湾機能を配置した計画になっています。具体的には、将来貨物量は外貿と内貿の合計で約五百万トンを計画目標にしており、今回の計画では特にアジアなど諸外国との直接交易の拡大を見込んでおり、外貿貨物の増加量を百四十万トンと計画しています。このうち約八十万トンが外貿コンテナ貨物、約三十万トンが林産品、残り約三十万トンが建設資材となっております。
 外貿コンテナ貨物の増加量約八十万トンにつきましては、大阪湾内港湾の取り扱い実績をもとに、和歌山下津港を利用することが有利となる地域を対象として推計しております。これは、現在ほとんどが他の港を利用して和歌山県内に出入りしているコンテナ貨物八十万トンに照らしても、推計は妥当と考えています。
 また、将来の木材の輸入量については、目標年次における全国の住宅建設額をもとにして、木材輸入と住宅需要の相関から外材輸入量を出しています。さらに、全国に対する現況シェアなどから和歌山下津港の輸入量を推計するとともに、企業ヒアリングによる補正を行って推計しています。この増加量約三十万トンについては、最近の本県紀北地域及び奈良県での外材の素材入荷量を参考にしても大きな数字でなく、全国的にも本県が木材の大集散地であることや、今後の高規格道路網整備によりさらに販路が拡大されることを考えると妥当な貨物量と考えています。
 さらに、建設資材につきましては、現在環境問題などにより瀬戸内海での砂の採取が禁止されてきており、今後輸入砂が増加するものと見込んでおります。
 また、水深十四メーター岸壁につきましては、県の基幹産業である木材、化学などの貨物を想定しており、一時的な貨物量の落ち込みはありますが、いずれも和歌山を支える重要な産業であり、今後の船舶の大型化を考えると十四メーター岸壁はぜひとも必要な計画であります。
 これについては、外材輸入関係業者などからも、効率的な輸入計画や大量一括取り扱いによる北米材単価の低減のためには、喫水調整をすることなく満載状態で入港できる大水深岸壁が必要との要望を受けております。
 なお、昭和六十年の港湾計画と目標年次の貨物量に差が出ている理由としましては、当時計画された施設のうち目標年次までに完成した主要な施設は平成七年から暫定供用を始めた西浜地区十二メーター岸壁だけであり、係留施設の不足などもあって計画の貨物量が取り扱えなかったことが大きな原因であると考えます。これにつきましては、施設の整備、ポートセールスにより貨物等の増大を図ってまいりたいと考えています。
 続きまして、二点目の事業計画の全容ですが、本県のように半島に位置し大部分を海に囲まれた立地特性を考えると、港を生かすことは今後の和歌山県の産業の発展にとり、地方の立場からもぜひとも必要な公共事業であると考えています。
 また、事業主体についてはまだ決まっておらず、事業費につきましては数百億円と見込んでおりますが、今後、事業実施に向けてできるだけ県財政に有利となるような事業手法の導入や建設残土投入による費用削減などの検討を行ってまいります。さらに、事業着手の際には既存岸壁の利用状況、貨物の需要動向等を踏まえ、費用対効果などを確認した上で事業を実施したいと考えております。
 続きまして、四点目の七月中央港湾審議会にこだわらないでとのお尋ねですが、この港湾計画は平成二十年代前半の目標年次までに整備をしていく計画となっており、この港湾整備に係る輸送費の削減による消費者物価の低減や輸出入に関係する産業の振興、雇用の確保、さらに生活を行う上で必要な下水道などの基盤整備から発生する建設残土受け入れ空間の確保といったことを考えると、早期に計画変更をしていく必要があると考えます。
 以上でございます。
○議長(下川俊樹君) 教育長小関洋治君。
  〔小関洋治君、登壇〕
○教育長(小関洋治君) 国旗・国歌問題に関する三点のご質問にお答えいたします。
 まず国旗、国歌の法制化についてでありますが、法制化は従来、慣習として定着してきた国旗・日の丸、国歌・君が代に改めて法的根拠を与えるものであると考えます。このことについては現在さまざまな議論がなされておりますが、教育委員会といたしましては、国権の最高機関である国会での審議とその方向を見守ってまいりたいと考えております。
 次に、国旗・日の丸、国歌・君が代と主権在民についてであります。
 日の丸、君が代が戦前の一時期不幸な扱いをなされたこともありましたが、戦後の日本国憲法においては、天皇を主権の存する日本国民の総意に基づき日本国及び日本国民統合の象徴と位置づけております。こうしたことから、日の丸、君が代は憲法で定める主権在民の理念に反するものではないと認識いたしております。
 次に、国旗、国歌と個人の思想信条についてでありますが、日の丸、君が代に対してさまざまな受けとめ方があることは承知いたしております。しかしながら、今日の国際化社会にあっては、日本国民の基礎基本として、平和を愛し、自国の歴史や文化を大切にするとともに、他国の歴史や文化についてもひとしく尊重する態度を育成することが強く求められているところであります。こうした資質を培うため、公教育の場で国旗、国歌についての指導を行うのは当然のことであると考えております。
 学習指導要領は、こうした趣旨に基づいてその取り扱いを定めているものであります。今後とも、入学式、卒業式を初め、日ごろの学習活動においても国旗、国歌に係る指導を徹底し、理解を深めるとともに、指導の内容、方法等について一層充実するよう引き続き努力していく考えであります。
 以上であります。
○議長(下川俊樹君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 四十四番鶴田至弘君。
○鶴田至弘君 それでは、再質問をさせていただきます。
 分権問題についてでございますが、副知事から、今回の法案は事務の整理等にとどまって税財政面における抜本的な措置が盛り込まれていないことは非常に残念なことだというふうなお答えがありました。私もまさにそのとおりだと思います。しかし、これは単に残念だというだけの問題ではないように思います。
 この分権法案は、地方と国とが対等の関係をどうつくるかというのが基本的な問題であります。そこで、機関委任事務が法定受託事務あるいは自治事務として地方の方に与えられてきたわけですけれども、それに必要な財源措置が全く明確にされていないということは、これは単に不十分さだけではなくて、法案としては明らかに欠陥ではないかと思うんです。単に残念だと言うだけではなくて、この欠陥法について、しかるべき財源措置を明確にさせるべく積極的に求めてもらいたいと思うわけです。この点については、副知事に対する要望であります。
 次に国の関与の件についてでありますが、自治事務について今までなかった是正の要求、あるいは是正の義務の問題が改めて入りました。これについて適正な措置ではないかと評価されるということは、いささか心外であります。
 これは、地方自治の主体的な担当者としてはもっと真剣に考えていただかなければならない問題ではないでしょうか。従来、団体事務に対してはそのような要綱はなかったわけですが、今度新たに国が合法的な介入の道を開いたという点については、明らかに後退であろうと思います。違法性があれば云々ということでありますが、その問題に関連して、さまざまな形での介入が考えられます。地方が勝手なことをしては困るからということだけでそういう条項が設けられるというのは、明らかに分権の思想にも反することではないかと思います。この点についての所見、総務部長お願いしたいと思います。
 さらに、通達行政はなくなるかという問題についてです。
 これからは今までのようなことはないであろうということでありますが、従来のような広範な関与というのが全くそのまま残ったとしたら、それこそ大変なことであります。しかし、どの程度なくなっていくのかということもわからないわけです。ほとんどが法的にはそのまま残されておるわけですから、この点については、これからは大きく変わっていくだろうということについては大変甘い見方であろうと思います。そういう点で、こういう通達行政をなくしていくことが厳しく求められると思いますが、いま一度、総務部長の所信を聞かしてください。
 次に、土木部長にお尋ねをいたします。
 港湾整備の中での大バースの建設根拠がさまざま言われてまいりました。しかし、いただいた答弁は従来の答弁とほとんど変わりません。外貿の増加を百四十万としておるわけですけれども、うち八十万トンのコンテナについては、これはこの議場でそちらからも幾度も答弁もありましたが、十三メートルのバースで対応できるということになっています。
 林産、建設関係の資材もそれぞれ三十万トンずつで六十万トンとされておりますが、この数字の根拠も判然といたしておりません。私は過去、現在の実績を見てバブル期をはるかに上回る輸入などは無理だということを申し上げてきたわけでありますが、当局の皆さんはそれを上回って可能だということをおっしゃいます。その根拠がヒアリングであったりアンケートだというわけですが、根拠はその域を出ておりません。同じくヒアリングをすれば別の答えも返ってきているのも現実であります。根拠薄弱ではないでしょうか。
 特に、十三メートルバースが現在できていない、それが稼働を始めると従来の貿易量を相当大きく上回るであろうということ、これは当然推定されます。それがどこまでの役割を果たしていくのか、このあたりの検証がまだ全くできていないわけです。マイナス十四メートルに接岸する巨大船が一体どのくらい来るのか、第一ポートで満載で来てマイナス十四メートルをどのくらい活用していくのか、そういう見通しも全く立っていません。利用されるのかどうかということ自体が不明であります。そういう点も含めて、現在の港湾利用、十三メートルバースが建設された暁での利用状況等、総括して新たな計画に入っていくというのが当然のことではなかろうかと思います。その点についてお答えください。
 日の丸、君が代につきまして、教育長に質問をいたします。
 君が代が主権在民の思想とは矛盾しないというご答弁がございました。歌詞というのは、それぞれその人々の解釈によっていろいろ変わるものですから、そういうお考えがあるのかもわかりませんが、私のつたない国語力で考えてみますと、君が代の「君」を天皇とすれば、「君が代」とは天皇の代という意味に歴然としてなってまいります。歌詞をどう解釈するのか、教育長は矛盾はしないとおっしゃいますが、私は天皇の代が千代に八千代にという歌詞は、明らかに主権在民、国民の世という文言とは合致しないものだと思います。それでもいいじゃないかという人もいるでしょうが、主権在民の歌詞かと言えば、明らかに違うと思うんです。いろんな意見がありますから、私の意見も一つの意見としてお聞きいただいて、そういうものを含めてどうお考えになるか、いま一度ご答弁ください。
 もう一つ、思想信条の自由と国旗、国歌の問題であります。
 自国、他国の歴史や文化を尊重する、国際間のマナーを育て国際理解を進めていく上で、国旗、国歌への一般的指導はあり得るだろうと思います。問題は、学習指導要領を含めて、学校教育の行事や儀式で現在では日の丸の前で起立の号令とともに国歌斉唱を行わせることです。国旗や国歌に対してどういう態度をとるかという問題は、個人の思想信条の問題です。心の問題だというのは、これは大方の見方でもあります。
 学習指導要領が法的に求めているのは指導する教員までだとされますが、教員も思想信条の持ち主であります。そこに最大の矛盾があるわけです。しかし、指導要領に基づいて教員は子供に、父兄に、儀式の中で起立斉唱を命じます。子供は先生の命に服さなければなりません。子供の良心の問題は、ここで完全に無視されます。何もわからない子供も、天皇の御代が千代に八千代にと歌うことになるわけです。参加した父兄も同様であります。いろんな思想の持ち主がおられます。君が代を好きな人も嫌いな人もおりますが、ただその式場の雰囲気の問題もあって、自分の思想を押し殺さなければならないという場面は多々ございます。
 そういうことを考えますと、そもそも指導要領が学校行事へ国旗、国歌を持ち込んでいること、儀式等へ義務づけていること自体が問題なのではないでしょうか。そのような前近代性が問題だと思うのです。政府の調査でも、サミット参加国などは、そんな学校行事への国旗、国歌の持ち込みはやっておりません。近代民主主義というのはそういうものだと思いますが、いかがでございましょうか。教育委員会のご意見を聞かしてください。
 以上です。
○議長(下川俊樹君) 以上の再質問に対する当局の答弁を求めます。
 総務部長稲山博司君。
  〔稲山博司君、登壇〕
○総務部長(稲山博司君) まず地方分権に関しまして、自治事務に対する是正要求のあり方でございます。
 自治事務に対する是正要求に関する規定につきましては、従前より存在しております。ただ、これに従うべき義務規定というものが今回新たに設けられたところでございまして、この点についてのご議論かというふうに考えます。
 この点につきましては、先ほどもご答弁申し上げたとおりでございまして、是正改善の具体的な措置内容につきましては、地方公共団体の裁量にゆだねるなど必要最小限のものとするとともに係争処理手続の対象としているところでもございまして、分権に反するとまでのご指摘は当たらないものというふうに考えてございます。
 次に、通達行政はなくならないのではないかというふうなご指摘でございます。
 先ほども申し上げましたように、従来、機関委任事務につきましては国の包括的な指揮監督権がございまして、事務の管理執行全般にわたり通達といった形で一般的に定めることも可能でございますし、また個々具体のケースにつきまして個別に指示をすることも可能であったわけでございます。しかしながら、今後は法定受託事務に係ります処理基準というものも新たに設けられまして、こういうような通知というものは従前どおりあるわけでございますけれども、これはあくまでも一般的な基準として定められるものでございまして、従来のような上級官庁から下級官庁を指揮監督するという、いわゆる一般的に言われております通達行政というものはなくなるものと理解をいたしておりますし、また、国におきましてそのような観点から厳格に地方分権の趣旨精神に沿った運用がなされるよう強く求めてまいりたいと、かように考えておる次第でございます。
 以上でございます。
○議長(下川俊樹君) 土木部長大山耕二君。
  〔大山耕二君、登壇〕
○土木部長(大山耕二君) 今回の港湾計画は十三メーター岸壁完成後に検討すべきではという趣旨のお尋ねですが、今回の港湾計画は、平成二十年代前半を目標年次として十数年後の物流需要の増大や船舶の大型化などに対応するためであり、西浜地区の十三メーター岸壁などについては主にコンテナ貨物を対象に、また、本港沖地区十四メーター岸壁につきましては林産品や化学製品などの貨物を扱うよう機能配置した計画となっております。
 特に十四メーター岸壁につきましては、最近の船舶の建造状況や入港実績、また港湾利用者からの強い要望を考えると平成二十年代前半にはぜひとも必要であり、施設整備に要する時間を考えると、早期に計画を変更の上、実施に向けての検討を行う必要があります。
 この中で特に林産品についてですけれども、十四メーター岸壁対象でございますが、本県では和歌山市内のみならず、紀の川流域から奈良県南部にかけて多くの製材業が今も操業しており、特に外材については和歌山下津港を初め大阪湾諸港から素材を入荷している状況にあります。平成九年木材需給報告書によりますと、外材の素材入荷量は和歌山県では八十五万立方メートル、奈良県で約二十五万立方メートルであります。この数値をもとに貨物量へ換算を行い、また県内では紀北地域のシェア約四五%を考慮すると、県内紀北地域で約五十万トン、奈良県で約三十万トンとなり、今回推計している林産品約八十万トンに相当するポテンシャルを持っていると認識しております。
 以上です。
○議長(下川俊樹君) 教育長小関洋治君。
  〔小関洋治君、登壇〕
○教育長(小関洋治君) 国旗、国歌について、二点再質問がございました。
 第一点、君が代の解釈に関することでございますが、これは先ほどの答弁でも申し上げましたとおり、象徴天皇制に基づく国民主権との関係ということになろうかと思っております。改めて申し上げるまでもなく、象徴天皇制は、現在の日本国憲法の第一条で国民の総意に基づき決められたものであることが明言されております。このことは、戦前の大日本帝国憲法の第一条と明らかに根本的に違っている点でございます。この点において主権在民の原則と根本的に矛盾するものではないということを改めて申し上げたところでございます。
 それから、第二点の思想信条の自由との関係でございます。
 教職員や一般市民が一人一人の市民として、個人としてさまざまな思想信条をお持ちである、その自由を認められている、これは基本的人権として今の憲法で十分認められているところであります。ただし、これは一市民としての、自立した個人としての立場でございます。学校教育の中では、教育公務員である教職員は法令遵守の義務もまた一方ではございます。学習指導要領は法的な裏づけを十分持っているということは最高裁の判決を初めとするさまざまな判例が明らかに示しているところでありまして、学習指導要領や、さらには学校行事として明確に学校で決めたことに対しては教育公務員は当然それを守るべき立場にあるということで、個人の思想信条の問題とはおのずと別であるという考え方をもって学校に対しては指導いたしております。
 以上でございます。
○議長(下川俊樹君) 答弁漏れはありませんか。──所定の時間が参りましたので、以上で鶴田至弘君の質問が終了いたしました。
 これで、午前中の質疑及び一般質問を終わります。
 この際、暫時休憩いたします。
  午後零時一分休憩
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