平成9年12月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(中山 豊議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

  午後一時二分再開
○副議長(阪部菊雄君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。
○副議長(阪部菊雄君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 33番中山 豊君。
  〔中山 豊君、登壇〕(拍手)
○中山 豊君 出ばなからちょっとしたハプニングがあって、そういう続きが僕の質問になるかと思っている方もいらっしゃるかもわからんけれども、まじめにやります。
 僕なあ、神戸の淳ちゃん殺害事件、そして粉河の小学校一年生の女子の殺害事件と続いて起こったでしょう。あの報道に接するや、ああここまで来てしもうたかと、こういうふうなことを思わざるを得なかった。そういう心境から子供の問題に触れて考えていきたいという認識から、以下、述べてみたいと思います。
 生徒の荒れ──授業が成り立たない、あるいはまた、いじめ、不登校、自殺と、かねがね形や内容は変わりはしたけれども、子供が問題行動を起こすにつけて、何でこんなことになるのだろうと心に問い続けてきたところからの問いかけであるわけであります。子供が子供を殺し、あまつさえ死体をナイフやのこぎりで切断して持ち運んだりするようなこと、大人が近隣の顔なじみのいたいけない小学生女子を殺して冷蔵庫に、しかも全裸にして押し隠すなど残忍至極、こんなことは日本人の文化や宗教上からは考えられないことだと思うにつけて、大変なところに来てしまったという思いからであります。
 そんなこと中山だけが物申しているのと違うかと、こういうふうなことであってはならないので申すけれども、当局発行の「21世紀への紀ノ国通信 CaN」ナンバー二十一号──これは皆さんのお手元へも当局から届けられていると思いますけれども──を見ると、石森秀三の「熊野詣」の中で、「神戸のA少年事件に象徴されるように、いま日本人は子どもからお年寄りまで大なり小なり病んでいます」、このことを語らせていますね。
 また最近、大江健三郎と灰谷健次郎が紙上においてやりとりをいたしておりました。大江は、「子供ながらしっかりと人間らしさへの芽を持っている者への、誇りとユーモア。それがこの国で根絶やしになっ」てはならない、こういうようなことを指摘したのに対して、灰谷は、「わたしたちの住む社会は、子どもを子どもたらしめているものの一切を抹殺しかねない悪気流がある。政治に、メディアに、教育に──。」と切り返して、大江にさらなる切り込みを求めて、私たちは何をなすべきかを問うているところです。石森秀三を初め日本を代表する彼ら二人の知識人が指摘するまでもなく、多くの人々が神戸の事件や自然破壊、取りとめもなく進む道義の退廃など、何とかならんのかと問うていることから見ても、極めて今日的課題であろうということであります。以下、その立場から質問を展開してまいりたいと思います。
 戦後五十年余、その時代時代にさまざまの言われ方をされながらも、子供たちは問題行動をもって訴えてきているところですが、総じて、経済が成長し文明が発展し、豊かになり便利になったからといって、子供は決して立派に発育し成長するということにはなっていない、このことはだれしもが認めるところになっているのではないでしょうか。
 これを大きく眺めてみて、三つに区分けして見ることができるのではないかと思っているのです。まず一つは、戦後の混乱と貧しさの中から子供たちは非行に走った。二つ目は、経済成長の中で差別と選別への抵抗とも言える非行がありました。三つ目は、高度に発達した経済成長の過程と成長をなし遂げていく中での超過密の指導要領での落ちこぼれ、それが原因となってあらわれてきたさまざまな非行と問題。それぞれについて、少し立ち入って眺めていくことにいたしましょう。特に、七、八年ないしは十年単位で指導要領の改訂・見直しがされてきているが、その時々の特徴を追いながら問うことにしてみたいと思います。
 日本人の心にかかわる文化や宗教に及ぶところから、問題のすべてを教育委員会にただすことにはなりません。学校教育、社会教育、家庭教育、中でも学校教育に視点を据えて進めてまいりましょう。学校教育とあらば、教育活動のよりどころとされている指導要領がどうなのか、どのようにその時々において見直し、改訂されているかを見ていくのが妥当な進め方ではないかと考えてみたわけです。
 戦後間もなく、新憲法の理念を教育で実現しようとして、あの痛ましい戦争の反省から試案として指導要領ができました。それから今日までの状況を概観してみたいと思います。
 一の段階の非行は、生きるための非行と言ってもいいでしょうか。占領軍によるレッドパージ等、朝鮮戦争を挟んで迫害を受けながらも、ようやく経済が安定していくことも相まって、春闘が始まり、日本母親大会があり、原水爆禁止世界大会が始まるなど、平和と暮らしを守るため大人が力を合わせての運動が始められた時代であります。新しい憲法のもと、世の中をよくしようと大人たちが連帯し、未来に希望を持つことで子供たちが生きる見通しを持つことによって、非行の姿はだんだんと消えていくのであります。昭和二十六年、学習指導要領が示されたが試案とされて、あくまでも現場の創意と工夫、実態に見合った取り組みが進められていくのであります。
 第二の段階として、なべ底景気から抜け出して高度に経済を成長させようとの中で、それを支える人的資源確保と開発の求めにこたえるため、差別と選別の教育が推し進められるわけであります。高校進学希望者がだんだんとふえていきます。けれども、家庭の都合で高校進学ができない子供は疎外感を受け、荒れ始めて非行を起こすわけであります。しかし、そのころはまだ生活の事実や子供の心がつかみやすかったので、問題解決に先生方は苦労は伴わなかったとも言えるでしょう。同和教育(責善教育)や高校全入運動の前進の中で克服されていくのであります。
 しかし、労働運動の高揚、平和民主運動の高まりの中で、教職員に管理と統制をもって対処する勤務評定制度の導入が強化され、軌を一にしてか、昭和三十三年、指導要領の改訂があり、道徳の時間を特設して指導要領の拘束性を打ち出し、好むと好まざるとにかかわらず、管理・統制へと進められていくのであります。そして、昭和四十三年(一九六八年)、指導要領が見直され、能力開発がうたわれ、指導の容量が急にふやされ、小学一年生の漢字がとてつもなくふえたと、世間で母親たちの大きな話題となっていくわけであります。それが実施されて取り組みが始まると、校内暴力が忽然と顕在化し、特に中学校で大きく荒れ、あまつさえ教師の手に負えない状態にまで進んでいったことは、私たちの記憶にまだ新しいところであります。
 昭和五十二年(一九七七年)、ゆとりを目玉に改訂し、見直しながら、偏差値による判別や選考に反対する声が全国的に大きな世論となったが、指導の容量を一つもさわらない。「ゆとり」などと言って、問題を余計わかりにくくしていったわけであります。和歌山では智辯、近代附属と私立高校が進出・創設されます。高校の職業科推薦入学が始められ、あわせて内申書が判別・選考に取り上げられるわけであります。ゆとりの時間とは言うものの、実態として学習塾が盛んとなり、学校や教師への抵抗は姿を潜めるかわりに内にこもり始め、いじめが発生していくわけであります。
 昭和六十四年(一九八九年)、改訂・見直しがあり、今度は個性重視が表に打ち出されるわけであります。できる・できないのも個性だなどと言われ出すのであります。週五日制導入がされます。依然として指導内容が高学年から低学年へ、中学校から小学校へと移しかえられ、難しくなるが指導時間は不足し、見切り発車の授業が横行し、ますます落ちこぼれをつくり出すのであります。一九九〇年代、登校拒否が急増し始めるわけです。
 第三の段階として、ゆとりと個性重視をうたい文句にした新しい指導要領に基づく教育活動は、超過密、新幹線教育と言われるほどに落ちこぼれ問題がますます深刻化し、子供の生活に崩れが目立ち、一九八〇年代の校内暴力という荒れと管理教育と内申書で抑え込んだかに見えるが、落ちこぼれ、いじめ、不登校、パニック、夜間徘回、教師の指導が通らない、いわゆる教育困難の状況となり、やがて薬物使用、テレクラなど性にかかわるところまで問題が広まり深まってきているのではないかと思われるのであります。
 総じて、十年間隔で指導要領の見直し・改訂がされてきているけれども、昭和二十六年、最初の指導要領試案を除いて、そのたびごとにその時々の社会的、政治的動向を反映させて、国民向けには聞こえのよい呼びかけ、テーマを掲げて改訂・見直しをしているけれども、ますます矛盾が拡大し、子供たちの間に次から次へと問題を引き起こす要因をつくり出してきていると見られるのが実態ではないでしょうか。
 さきに発表された教育課程審議会の中間まとめは、中央教育審議会答申を全面的に受け入れ、学校制度の複線化、学校五日制の完全実施に対応したあり方を示すものとなっていますけれども、子供たちの深刻な状況について心を痛めるのではなくて、我が国の子供たちの学習状況はおおむね良好であるとしているわけであります。皆さん、そう思われますか。今の子供たちの状況を見て、我が国の子供たちの学習状況はおおむね良好だと、こういう認識の上に立って新たな学習指導要領を制定しようとしているわけです。後手を追い、問題解決の根幹を示すのではなくて罪の上塗りをしているのではと思えてならないのであります。つまり、生きる力やゆとりをうたって学校五日制の完全実施に伴う教育内容の厳選と授業数の削減を行う一方、小学校段階からの選択学習、能力別学級編成などの方向を打ち出しています。これでは、義務教育の段階からできる子・できない子によって選別する、とんでもない方向だと言わねばなりません。また、これまでの詰め込み教育の枠組みはそのままにしたままであります。
 第十六期中教審の中の柱の一つ、中高一貫教育について我が和歌山県の西川教育長は、さきの議会答弁で、何かと危惧されるところがあり受け入れがたいと申されているところであります。るる述べてきたところから見て、和歌山県の教育に責任を持つ立場からこれは立派だなというふうに大方は評価されるところだと思われますけれども、県下の教育の現場や子供たちの状況から見て、以下、幾つかお尋ね申し上げたいと思います。
 まず一つに、指導要領改訂のたびごとに打ち出されてきたことの内容が真に子供の発達や成長にそぐうものであったのかどうか。我が国の子供たちの学習状況は今おおむね良好であると、このような中間まとめについてのお考えをお示しいただきたいのがまず一つであります。
 二つ目の問題は、過ぐる文教常任委員会──私が県会へ送っていただいてから二年、県会議員の前半部分は文教常任委員会に所属させてもらっていました。それで、教育問題は本会議で取り上げるということはあえてしなくても、文教常任委員会の中であれこれと論議をしていろいろと解決を図ってもらえるであろうという形で、本会議で取り上げるのはこのたびが初めであります。その文教常任委員会で、いじめ、不登校、自殺等、痛ましい事件が打ち続く中で、和歌山県下では幸いにして問題はあっても事件発生にまで至っていない教育の現状をどう見るのか──和歌山県のですよ──、戦後五十余年の和歌山県の教育の総括をどうしているのか、このようにして尋ねたら、当局から答弁がある以前に、「そらそうや。勤評闘争でお互いに試されているからや」と、こういうふうにある議員が申されたんです。申された議員は今、残念ながらこの席にはおりませんね。それは半ば言い当てていると思ったけれども、戦後五十余年培ってきた和歌山県の教育の実績から中高一貫教育はそぐわないとの考えから教育長が申されたのかどうか、そのあたりもお聞かせください。
 三つ目の問題。昭和三十三年、要領改訂から拘束性を打ち出され、勤評制度が強行されるということがありました。それと相伴って、それに基づいて県教育行政を進めてきているところですけれども、今日の問題状況の基本的解決は、能力主義──できる子もできない子も個性やなんていうふうな物の考え方に伴う能力主義、中でも管理主義を改め、全面発達を保障するところにあるのではないか、教師たちの創造性豊かな教育研究、実践を鼓舞してこそそれが実現できるのではないか、このように思うのであります。
 指導要領をこなそうと教師が懸命になればなるほど今、子供との間にすき間ができて大きくなっていって授業が成り立たなくなっているという状況が起こっているようであります。悪循環に陥って、教師がノイローゼになり、心身症を起こして退職さえ余儀なくされている話は珍しいことではない。皆さんもご存じだと思います。授業が成り立たないのは先生の力がないからやというふうな話に落ちつくようでは、問題が解決できない。教師が教室で授業が成り立たないで困り抜いている実情を解消することこそが、今日極めて重大な課題だと考えるわけであります。発生する事件だけが問題ではないんです。それらの事件の背景にあって、構造的な子供の崩れにメスを入れてこそ教育の方向が見出されていくのではないかと、こう考えるわけであります。
 そういう状況にもかかわらず、定数法の具体化を先送りするというようなことになってきているわけであります。まあ、定数法の先送りなんていうことは、先ほども申し上げましたように、中教審の中間報告のまとめの中で、我が国の子供たちの学習状況はおおむね良好であるなんぞという、そういうふうな認識に立てばこそ、これだけ困っている現場の先生たちの状況や子供たち、ご父兄の心配などをよそにして定数法を先送りするという、こういうふうなことにもなるんでしょうけれども、これは認識違いも甚だしいのではないかと思われるのであります。ご意見を伺いたいと思います。
 四つ目。そのためにも、不登校に陥り悩み苦しんでいる生徒を受け入れ、和歌山県の教育の中でも大きな成果を上げている学校もあるわけです。具体的には、青陵高校初め幾つかの学校があると聞き及んでいるわけです。その青陵高校の教育環境たるや、極めて問題があると言われているわけです。その青陵高校の校舎、特に体育館の独立完備が急がれてなりません。逆に言えば、そういうふうに教育環境が整っていなくても教育の成果は上げられるよと、こういうふうな形で逆に切り返してくるようなことにならないようにしながらも、やっぱりそれだけ苦労して成果を上げていることにどんなにして行政がこたえていくか、このことこそが我々に課せられた課題ではないかと思います。これの解決で、県教育委員会及び県当局の、和歌山県教育への真骨頂を見せてほしいわけであります。これは、議会へ請願が出され、何年も継続審査に付されている課題でもあります。僕が文教に二年間おって、二年間ともずっと継続審査、継続審査で次へ先送りしてきている課題でもあったことを今にして思い出します。
 教育委員会は、何かしなければと心にとめているようであることだけは事実であります。残念ながら、決断に至らないというのが状況であります。これはもう、教育委員会で決断してあれこれというよりも、知事の決断を待たねばならんところに来ているのではないか、こういうふうなことさえ思われるわけです。僕は、文教に所属しているときにしみじみとそう思いながら、継続審査に付することに賛成してきた一人ですが、もう心は、もう教育委員会でどうにもならんとするならば知事に判断してもらおうではないかということで、採択すべきだったということを心に思いながら継続審査に付してきたことを今にして思い出します。
 どうか養護学校新設に続いて決断してほしい課題であります。ここで、知事の答弁をと中山は言うかもわからんと思っている人もいらっしゃるかわからんけれども、わしはそれ言わん。あえて申し上げたいところだけれども、それは言わない。それにはそれなりの僕の考え方があります。それは、教育行政権というのは、一般行政権から独立して、こっちの方が偉いんよ。教育を進めている大将なのよ。ここがしっかりしてくれたら、こういうことを言うこともないのかもわからないけれども、しかしそれを侵すわけにはいかない。おれの議員としての政治信条からしても、そういうふうなはみ出たことはしたくない。主体的に当局がそういう話を受け入れて、こっちが申し入れてこっちが受け入れてそうしようかと、こういうふうなことを期待するからであります。
 ここで、知事に「どうよ、決断したれよ」というふうなことを言ったからといって、うまいこと言ったって、こちらがしゃんと今後も続いて責任を持ってやってくれるというふうなことにならなかったとしたらどうにもならんじゃないの。そこを踏み外すような中山ではない。知事部局と教育委員会のそれぞれの立場からの決定を見守り待つのがもっともな態度であろう、このように声を大きくして申し上げたいわけであります。
 これは、県下の教職員のみならず、多くの県民の期待にこたえる課題でもあります。子を持つ親をとめどなく激励する課題であります。副知事初め当局の皆さん、教育委員会のことだからといって白々したような形で聞いておかないで、みんなそろって知事に、もうそろそろ決断してやったらどうよというぐらい進言してやりなさいなと申し上げたい。案外、役所の中はそれぞれ他人の領域を侵さないというふうなことがあって、そのことによって行政が萎縮したり県民のために役立たないという部分が幾らも存在するわけです。あれもこれも挙げよというたら幾らでも挙げられるけど、時間がもうあと十五分しかない。それで、もうそこだけにとめるけれども、これはそんなに難しい話じゃない。
 県の教育委員会も、そこはかとなく検討はしてくれているみたい。おれは直接聞いたことないけれども、研修センターをどこかへ移したら何とかなるのではないかというところまで具体的に検討を進めてくれているというようなことを、人づてに聞いておるのよ。人づてに。しゃんと言うてもらいたいとは思うけれども、ここではそれは求めないにしても、意見だけ申し上げておこう。研修センターをどこかへ移したらできるというふうな話で検討されているのだったら、それをこちらで受けてやってほしい。そしたら研修センターをどこへ持っていくんなという話は、次の課題や。それはどこへでも持っていける。
 今、県が開発して海南市へつくった頭脳立地というのがあるやろ。インテリジェントパークよ。あれ、県の産業界を初めとする頭脳の集積地よ。そこへ教育の頭脳を持っていって研究させたらいいのよ。そしたら、教育は教育だけの研究ではなくて、研究の頭脳が集まってきて、こうしよう、ああしようというふうなことで、いい方法、いい案が生まれ出すかもわからない。それをやれば両方とも解決できると、こういうことになるわけ。これ、ならんのかいな。これは、こちらの方へ申し上げながら、主体的に双方で相談をし討議をしてお決めくださることをご期待申し上げておきましょう。知事部局からの答弁はあえていただきません。重ねて言います。教育センターは頭脳立地の集積としてのインテリジェントパークに移せば、それは可能であります。(「ええこと言う」と呼ぶ者あり)──ええこと言うやろ。
 五番目。日本は明治以来、教育で始末する政治体質を持ち続けていることは関係筋の見るところであります。何ぞ言うたら教育で絞ろう絞ろう、教育で始末させようって、これはもう政治の悪い癖なのよ。これは和歌山県にもないとは言えないよ。教育に金をようけつぎ込んでいるから、そんなことと言うかもしれない。しかし、学校というのは、学校の先生があってこそ教育が進む。先生に対する人件費がかさんでくる。だから、予算の総枠から見たら教育にようけ金をつぎ込んでいるように見えるかもしれないけれども、施設の問題等、条件を完備するには出し惜しみするという体質が、和歌山県も含めて日本の政治の中にあると関係筋が見ているというふうなことをある書物で見たことがある。それは、わしもそうかなというふうに受けとめている立場からのお話であります。
 今日までの中教審答申は、文部行政の反省と総括の上に立って新たな取り組みを答申内容に用意してきたためしはない。改訂の内容に取り組まれるたびに結果として発生してきた問題にふたをしながら、子供たちを窮地に追いやる問題を深刻化させてきているのではないか。神戸の淳ちゃん殺害事件から急に「心の教育」を叫ばれるようになったけれども、現象面だけを追いかけて、なぜこんなことになるのかを分析、検討、総括してこうなのだと示されたことにはなっていない。要は経済成長の後追いをさせられ続けてきた結果、引き起こされてきているのだと見ても大した間違いはないだろう。少なくとも和歌山県においては、かつらぎ小の小学生の自殺、過日の粉河小学校一年生女子の殺害事件、にべもなく命を絶ち、絶たれることのない教育的土壌を耕し続けねばと思うのであります。
 国の施策の間違いで、和歌山県の子供の発育成長に支障が起こってきては大変であります。ここでこそ地方自治の精神に立たなければならないと、こういうふうなことを呼びかけたいわけであります。国の政治の間違いや国の言うことの過ちを正してこそ地方自治、すなわち補いをして子供たちを守っていく立場に立ってこそ子供が守られるということになるのではないかということを申し上げながら──こんな話あるやろ。今、田舎の方に入っていくと、柿の木から実を収穫した後、百姓は実を皆取れへんで。幾つかこずえにならしてある。あれは何というか、もう賢明な皆さんは思い出してくれていると思いますが、あの情景を見てよ。柿の実を収穫した後、全部取り払わないで五つや六つはこずえにならしてあるよ。あれ、「施し柿」って言うんやての。
 また、紀南の方へ言ったら、「いとこね」と言うて、サツマイモと小豆の炊いたのでだんごをつくって、それを野に供えて法事をするんやと。それは、百姓が耕作のうちにミミズやらケラやら虫けらをいつの日かとんがやくわで打ち殺してしまっているという、こういう行為や営みに対して、その虫やミミズなどに対する法事を行うという行事があるらしい。その心よ。
 農民が営々と培ってきた自然との共生感、これがこそ教育の根っこに座らなくちゃならん話ではないか。この心が子供たちや世の中の人々の中に根づいて生かされていったとしたら、淳ちゃんや粉河小学校の小学生があのようにして殺害されるなどという痛ましい事件は起ころうはずもない話であります。これは、日本の国が間違っている、農業をおろそかにされてきていることによって伝統文化を風化させてしまったところに、このような悲惨な事件が打ち続いて起こっているのではないかと思うのであります。
 もう、あと八分しかないな。それで、原稿をちょっと割愛するけれども、熊野体験博のテーマ、思い出してよ。あれ、心のいやしと言うてらな。思いやる心、これよ。これを教育の基調に据えるべきではないかと、こういうふうに思っているわけです。
 それで申し上げたいんだけれども、そういうふうな心とはまるきり違った現象がそういう事件となってあらわれたかと思ったら、また別に、わしに刃向かう者は卒業させてやらんぞ、おれのまたをくぐれとか、何回も言われて今議会の花になっているかわかりませんが、マツタケ一本十点などというふうな話が飛び出してくるようなことになるのよ。生徒から物品を要求するなど、今まで和歌山県の教育界にあったことのないようなことが起こっているわけです。これはどういうことなんだろう。問題発生の深い根っこに何があるのか、お考えを聞かせてもらえたらなと思っているわけです。これらを生み出す要因はどこにあるのか、県教育委員会の行政体質の中にこのようなものはないのか、潜んでいやしないか、こういうふうにしてお考えいただきたいわけであります。
 最後に、そういうふうなこととも考え合わせながら、県の教育事務所が身近なところにないというのも問題であります。これは身近なところへ移して、真に現場の教師たちや父母たちが悩んでいるこの問題に、かゆいところまで手の届くような行政がとり行われるように、海草県事務所も地元へお越しいただけるようお願いします。
 次の質問をいたします。
 かねてより私は、海南・海草地域における県の地方機関のあり方について質問を重ねてきました。その都度、知事を初め県当局より、身近な行政は住民に身近なところで考えて処理できる行政体制の整備を進めていくとの答弁をいただいてきております。県においては行政改革の一環として、昨年以来、本庁、地方機関の組織の見直しを行っており、今年四月の振興局長の設置に引き続き、今議会に振興局設置条例が提案されております。これまでの私の主張がどこまで反映されているのか、期待と不安を持って内容をつぶさに検討いたしました。その結論を申し上げれば、何ゆえ海草振興局の位置が和歌山なのかであります。和歌山市は平成九年四月より中核市に移行し、行政権限を拡大され、今後もその方向に進むと考えられます。この点について強く求めておきたい。
 次に移ります。ダイオキシンの問題ですが、ダイオキシンは十二月一日の政令施行を待ってということでしたけれども、まさに十二月一日から政令施行がありました。県のダイオキシン対策については、政令に求めるところによると県の実態にそぐわない。これについて、具体的にそぐうような施策を求めて、次に移ります。
 県立自然博物館の鯨骨格標本、あれが展示後どのように収納されるのかということについてであります。具体的にお示しください。
 道路問題については、県道森小手穂線についてのお考えと、それらについての今後将来にわたるお話を求めたいと思います。
 しまいの方はちょっとはしょった観もないではなかったけれども、教育にすごく情熱を込めて問題を提起させてもらったということでご了承いただいて、質問を終わります。
 ありがとうございました。
○副議長(阪部菊雄君) ただいまの中山豊君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 総務部長中山次郎君。
  〔中山次郎君、登壇〕
○総務部長(中山次郎君) 議案第百二十五号、振興局設置条例改正についてお答え申し上げます。
 振興局の設置についてでございますが、地域における行政課題に対しては、それぞれの地域において自主的かつ総合的に対応できる行政体制を整備することを目指して、今議会に設置条例を提案させていただきました。条例を提案するに当たりましては、平成七年十一月に策定しました行政改革大綱の考え方を基本に、簡素で効率的な行政体制の確保と県民サービスの向上の両面から、海草振興局が所掌すべき業務内容、所管区域などの検討を行ったところでございます。
 なお今後は、平成十年四月に向け、本庁から振興局に必要な事務権限の委譲等を行い、各地域の特性に応じた行政を総合的かつ迅速に行い得る体制整備に努めてまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○副議長(阪部菊雄君) 生活文化部長中村協二君。
  〔中村協二君、登壇〕
○生活文化部長(中村協二君) 中山議員にお答えをいたします。
 ダイオキシン対策に関する県下の焼却場の状況について、昨年度の調査では、結果としてダイオキシンの緊急対策基準の八十ナノグラムを超えた施設は三十一施設中五施設でございましたが、焼却管理の改善、排煙の冷却、集じん対策等の措置が講じられたところでございます。
 今後は、〇・五から五ナノグラムの恒久対策基準を達成すべく、市町村とともに研究してまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○副議長(阪部菊雄君) 土木部長長沢小太郎君。
  〔長沢小太郎君、登壇〕
○土木部長(長沢小太郎君) 中山議員から、県道沖野々森小手穂線の小野田地区内の整備の考え方と将来にわたっての整備方針の考えをというご質問でございました。
 この県道沖野々森小手穂線の小野田地区内と申しますのは、幅員狭小でありますから、整備が必要だということで、過去、昭和五十年代に地元に整備計画も提示いたしましたけれども、その必要性について地元の方々に同意をもらえなかったということで事業がストップしているということでございます。
 したがいまして、この区間の事業を再開するということですけれども、その問題については、阪井地内の渋滞緩和策である龍部池バイパスを現在計画しておりまして、こういうことの検討であるとか、あるいは三百七十号奥佐々阪井線等の整備を促進している現状でありますので、こういうものを見ながら考えていく、考えざるを得ないというふうに考えております。
 以上です。
○副議長(阪部菊雄君) 教育長西川時千代君。
  〔西川時千代君、登壇〕
○教育長(西川時千代君) 教育問題についてお答えいたします。
 学習指導要領は、社会状況や児童生徒の実態を踏まえて改訂され、教育の機会均等と全国的な教育水準の確保について大きな役割を果たしてまいりました。しかしながら、画一化した教育の弊害が指摘される中、現行の学習指導要領においても大幅な弾力化が図られ、選択履修幅の拡大、チームティーチングの導入など、地域の特性や児童生徒の実態に則した教育課程の編成が求められております。
 これに対して、各学校における指導においては、学習指導要領の趣旨を生かし切れていない現状が見受けられます。今回の教育課程審議会の中間まとめでは、児童生徒の学習状況についておおむね良好としながらも、学習内容を十分理解できていない、あるいは多角的な物の見方や考え方が十分育っていないといった子供の実態を直視し、教育課程や入学試験の大幅な弾力化を打ち出しており、各学校の創意工夫と主体的な努力が求められているものと受けとめてございます。
 中高一貫教育につきましては、さきの議会では慎重に対応したいと答弁したところであります。このことについては、学歴偏重の風潮等が払拭されていない中では受験競争の低年齢化や大学進学に偏ったエリート校づくりになることなどが危惧されることから、当面は従前から県独自で実施してまいりました中・高連携推進支援モデル事業等による中高の連携や特色ある学校づくりを一層推進することが大切であると考えております。
 問題の基本的な解決についてでございますが、中教審答申におきましても、過度の受験競争の弊害が指摘されており、子供たちが生活体験や自然体験等の機会を十分に持つことができず、ゆとりを持って生活することが困難になっているという実態がございます。このため、教育関係者はもとより、企業や官公庁等が率先して、学校歴偏重と言われる考え方を改めて、知識の量で学力をはかるのではなく、主体的に生きる力をどれだけ身につけていくかを重視し、個性や能力を適正かつ多面的に評価することが求められております。
 学習環境の管理につきましては、子供や教職員の自発性や創造性を抑圧するような管理が行われてはならないと考えます。しかし、管理そのものを否定する余り、学校を円滑に運営し、教育活動を安全かつ効果的に進めるために必要な管理までもが行われない実態が一部には見られ、そうしたところからさまざまな混乱や問題も起こっていることも事実でございます。児童生徒の現実に立脚した教職員の創造性豊かな教育研究や実践は、公教育に携わる者の使命であり、まさに私たちが強く求めてきたところでございます。
 青陵高校の体育館の独立完備につきましては、現有敷地での建設は用地問題もありまして困難な状況にございます。当面、共用している桐蔭、青陵、陵雲各高等学校間の連携並びに協力によって維持できるよう各学校に対して調整方指導を行っている現状にありますが、引き続き、懸案の解消に向けて調査検討を進めてまいります。
 海草教育事務所を地元へにつきましては、今後の研究課題としてまいりたいと考えます。
 農業に例をとっての伝統文化の点で触れられておりましたが、私どもも重要であると考えてございます。先般来、奈良、三重両県ととともに開催いたしました紀伊半島民俗芸能サミット、あるいはマルチメディアで結ぶ三県高校ネットワークなども、紀伊半島固有の伝統文化を全国に発信するものであり、こうしたことは、熊野体験博を視野に入れて、これから心のふるさと教育の一層の充実を図っていこう、郷土に根差した心の教育を推進していこうという考え方のもとであります。
 次に、熊野高校の問題に関連いたしますが、この問題の背景といたしましては、全教職員が一致協力して生徒にかかわるという基本的な体制が十分であったとは言いがたい面がございます。そうした中で、当該教員の指導の実態が把握されず、長期間見過ごされてきたことにつきまして、教育委員会としての指導の不十分さや教育行政のあり方が厳しく問われているものと受けとめてございます。今回の出来事を契機に、教育委員会の指導や学校運営の責任者である管理職のあり方、教職員のモラルと資質の向上、さらにはPTAや同窓会、地域社会との連携などについて改めて点検と改善を図り、教師と生徒の心の通い合う教育、信頼に基づく教育を全教職員の共通理解と協力のもとに進めるよう努力してまいります。
 次に、自然博物館の鯨の骨格標本についてですが、平成七年十一月、和歌山港に漂着したニタリクジラは、世界各地の熱帯から亜熱帯にすみ、日本近海での漂着例としては極めてまれであります。自然博物館では、こうした学術上貴重な資料を研究公開するため、開館十五周年記念事業として本年の七月二十日から十一月三十日の間、「クジラが和歌山港に現れた」のタイトルで特別展を行ったところであります。
 保管につきましては、今後とも本館玄関前の広場において屋外展示することにいたしております。今後とも、県民に親しまれる施設として取り組んでまいりたいと考えております。
 以上でございます。
○副議長(阪部菊雄君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 33番中山 豊君。
○中山 豊君 僕の問題意識から言うたら、与えられた四十分というのは少な過ぎるわ。それをまず申し上げながら、あと三分間で何を言うかということを整理してみた。
 やっぱり、指導要領。これは教える内容が子供たちの実態から外れて、余りにも多過ぎる。これが教育困難を引き起こしている。そういうことの一つの証左として、学習指導要領の見直しをしなさいと、市町村自治体議会で県下で三十七も国へ上げられている。こういうふうな実態からも、やっぱり冷厳にそのあたりに目を配らなくちゃならんのやないかと。できたら本議会でも、そういう点の論議を十分していただきながら、見直せというふうな議決をして中央へ上げていただくよう要望を申し上げたいと思います。
 次に、やっぱり熊野の話よ。熊野高校の話は、しゃんとしておかなかったら、もう処分してそれで終わりやというようなことじゃなくて、ああいう今までなかったようなことが起こってくるということの背景は、教育長が今お述べになったことのように単純なものではないと思う。しゃんとしなかったら、教師の採用のときの人事行政に情実が絡んでいるのではないかという、こういうふうな話さえ飛び出してこないとも限らないから、身を引き締めて、どういうふうなことなのかということをつぶさにシビアに反省をして教育行政に当たってもらうことを申し上げておきたいと思います。(「そんなこと、問題発言やないか。情実ら絡んだらて」と呼ぶ者あり)
 次に、管理強化が進めば進むほど立派に秩序が保たれて教育効果が上がるかと言ったら、必ずしもそうではない。秩序ある職場なり教育活動というのは、やっぱりそういうふうなことだけに依拠するということにはならない。──問題発言はそっちの方やわ。おれが発言しているんや。
 管理強化がされればされるほど退廃が進むという、こういうふうなことの一つの証左として熊野高校のあの事件を見るべきではないかということを申し上げて──さらに、青陵高校の問題については、特に教育委員会に意見を求めるなどして知事、決断してあげてください。それだけお願いしておきます。
 以上です。
○副議長(阪部菊雄君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で中山豊君の質問が終了いたしました。
  〔「議長、46番、議事進行」と呼ぶ者あり〕
○副議長(阪部菊雄君) 46番。
○大江康弘君 今の中山議員の再質問の発言の中で、情実採用というような、採用された教員全体の名誉にかかわるようなことが言われたんですけれども、これはもうとても放置できる問題ではありませんので、一回これを厳重にご審議いただきたいことを申し上げておきます。
  〔「議長、休憩」と呼ぶ者あり〕
○副議長(阪部菊雄君) この際、暫時休憩いたします。
  午後一時五十五分休憩
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  午後四時五十四分再開
○副議長(阪部菊雄君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。
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○副議長(阪部菊雄君) この際、本日の会議時間は、都合によりこれを延長いたします。
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○副議長(阪部菊雄君) この際、暫時休憩いたします。
  午後四時五十五分休憩
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  午後五時四十一分再開
○副議長(阪部菊雄君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。
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○議長(木下秀男君) ただいま、中山豊君から、同議員の発言中、意を尽くせない点があり誤解を招いた旨、議長に申し出がありましたので、これを了承いたしたいと思います。これにご異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○副議長(阪部菊雄君) ご異議なしと認めます。よって、この申し出を了承することに決定いたしました。

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