平成9年12月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(森本明雄議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

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  午前十時二分開議
○議長(木下秀男君) これより本日の会議を開きます。
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  【日程第一 議案第百二十四号から議案第百四十五号まで】
  【日程第二 一般質問】
○議長(木下秀男君) 日程第一、議案第百二十四号から議案第百四十五号までを一括して議題とし、議案に対する質疑を行い、あわせて日程第二、一般質問を行います。
 40番森本明雄君。
  〔森本明雄君、登壇〕(拍手)
○森本明雄君 おはようございます。
 順次、質問を進めてまいります。
 まず、総合学科の拡充と進路開拓についてであります。
 本年の三月に、総合学科の初めての卒業生が全国で七校、本県でも一校が卒業式を迎えました。本当に新たな高等学校教育の一ページが開かれたと思います。大変人気が高い総合学科でございますが、ぜひ進路に関しても県教委として積極的に道を開拓していただきたいと思います。
 いろいろなデータによると、全国的に約七〇%の生徒が進学を希望しているようであります。平成八年度末における国立大学での総合学科卒業生の特別枠を設けているのは一大学で、募集人員五人、私立大学で四大学、六十五人となっています。ことしで全国の総合学科の高校を合わすと七十五校、単純計算しても、来年、再来年と、その十倍に卒業生がふえてきます。
 文部省は、この特別枠につきまして、各国公私立大学に対して、入試選抜について留意してもらいたい事項あるいは配慮してもらいたい事項ということで、入試の指針というものを募集要項という形で出していますが、その中で総合学科の卒業生については特別枠ということで特記しています。しかし、まだなじみが薄いという大学関係者の不安があるようで、その点の不安を取り除く努力が必要であります。企業にも同じことが言えます。
 総合学科に関しては、教育評論家などによく言われることでありますが、職業高校の救済策なのか、あるいは進学校でも総合学科への転換が望ましいのかという大きな問題点があります。文部省としては、総合学科を導入したときに、通うことのできる範囲内に一校ぐらいは総合学科をつくっていきたいという一つの指針があったと思います。ということは、進学校でも総合学科への転換が望ましいと言っているものと思います。まさしく、進学校ということは大学進学への道が閉ざされてはいけないわけで、進学特別推薦枠の拡充について文部省や各大学に働きかけていただきたいと思います。また、企業に対し総合学科への認識を深めていただくよう努力を行い、卒業生の就職の開拓を進めていただきたいと思います。見解をお伺いいたします。
 なお、あわせて総合学科の拡充についてもお伺いいたします。
 次に、PCB使用電気機器の学校での管理と処理について。
 今年の春ごろだったと思いますが、鳥取県の私立高校で、教室の天井の蛍光灯から液体が漏れ、中毒事故が起きました。原因は蛍光灯器具のPCBによるものと指摘されていました。鳥取県の教委が県内の県立学校を調査したところ、十四の学校で千三百台使用されていることがわかったと報道されました。PCBは製造中止になって既に二十五年になりますが、たまたま鳥取県は県教委が県内の県立学校を調査したら判明したのであります。
 たしか平成四年だったと思いますが、使用中の、まだ稼働中のPCB使用電気機器を含め、財団法人電気絶縁物処理協会において全部台帳管理をしていると聞いていました。しかし、これは特にPCBの含有量の多い電力用トランス及びコンデンサーのみで、量的に少ないものについてはこの管理台帳には載せていないようであります。PCBは少量であっても大変毒性の強いもので、少量だから許される、こういう問題では決してないはずだと思います。
 昭和四十七年以前につくられた蛍光灯をつける電気器具にPCBを使用したコンデンサーが使用されていますが、今から二十五年以前に建設された校舎にはその電気器具が使用されており、現在も残っているのではないでしょうか。県内の公立学校の管理実態についてお伺いをいたします。
 私はこの問題について、今年改正された廃棄物処理法で、建設廃材の中からコンデンサーだけ除いて管理型に捨てればいいというものではないと思います。PCBは全部保管しなければなりませんし、破壊して処理をするということになっています。従来の処理方法と今後の処理方法についてお伺いします。
 なお、長期保管に伴うリスクの高まりに対する適正な処理方法の確立が必要だと思います。したがって、情報の適正な提供と基準の設定など適切なシステムの構築を図るべきだと思いますが、見解をお伺いいたします。
 次に、スクールカウンセラーの諸問題についてであります。
 スクールカウンセラーは、平成七年度にスタートいたしました。今、スクールカウンセラーの育成、人員確保が問題になっています。と同時に、現場においては非常に期待感が大きく、うちの学校もうちの学校もという要望が多いと思います。
 スクールカウンセラーの成果としては、一つは教師たちにとって、スクールカウンセラーの指導を受けることで、子供たちのさまざまな悩みに応ずるに当たってこれまでに比べてはるかに安心感、あるいは自信を持って接することができる、保護者については、保護者たちもスクールカウンセラーの指導を受けることがあるわけで、自分の子供の、例えば登校拒否といったものに対する見方あるいは理解というものについても、これまでと違った慈養を深めた、精神的にも余裕を持って対処できるようになった、子供たち自身についても、人間関係のつまずき等から登校拒否となった子供たちがカウンセラーとの相談を通して登校が可能になる、あるいは進級、卒業という形でその成果が上がっているようであります。
 一方、課題も幾つかあるようであります。この事業が一週間に二回、一回当たり四時間という積算で行っていることで、時間的な制約からくる不十分さをスクルーカウンセラーの方々が感じているようです。また、二年間の研究期間が終わった後どうなるのかといった不安もあるようであります。さらに、教師とスクールカウンセラーの方々との間で、子供たちについてのさまざまな情報が入りますが、そういった情報をどのような形で交換し合っていくのか。これまで各学校の教師が担当していたカウンセラー部分をスクールカウンセラーが担当するということで、教師とスクールカウンセラーとの役割分担あるいは連携についてまだ不十分なようであります。スクールカウンセラー導入の成果と課題、そしてその課題克服の取り組みについてお伺いいたします。
 スクールカウンセラーは、臨床心理士の資格などの条件があり、対象となる人材が非常に少なく、適切な学校に当てはめるのが困難になりつつあります。したがって、人材確保がこれから非常に大きな問題になってくるのではないかと思います。
 全国的に見て、スクールカウンセラーの確保については、平成八年度では五百五十三校に配置され、うち九〇%が臨床心理士の資格を得た方々、その他の学校には精神科医や大学の教官等で子供の心の問題に対して高度の知識、技術を持った方々が配置されている状況であります。本年度は一千六十五校に配置、現在、臨床心理士は約五千人、ただ地域的な偏在等があります。県内での臨床心理士の配置状況と、今後ふえる要望に対応する育成確保の取り組みについてお伺いします。
 今日まで確かにスクールカウンセラーは倍々ゲームでふえてきましたが、例えば、全国に公立の小学校二万四千校、中学校一万五百校、高等学校は四千百校。県内でも、公立小学校三百四十九校、中学校百四十七校、高等学校四十七校、盲・ろう・養護学校十校、合計五百五十三校。現在、全国で臨床心理士約五千人、精神科医等の人を加えても、全校に配置するだけのマンパワーがいるかどうかというのは非常に心もとないと思います。スクールカウンセラーを今実験的に導入していますが、これからのフォローアップをどうするかというのは、単にスクールカウンセラーの学校への配置をふやしていくということもさることながら、スクールカウンセラーに頼らない何か仕組みができないものか。現場の教師は、第三者が校内に入って来ることに対する期待と不安があるようであります。できるならば、スクールカウンセラーと連携をとりながら、生徒指導に関しても意見をいただきたいという考えも持っているようであります。
 ところが、そこまでに発展しますと、学校の教育現場での生徒指導のあり方に関して、スクールカウンセラーは現場を実際には知らないわけで、心理的な面での専門家ではあっても、学校の教育現場に関してはまさしく初心者であります。そうした点、現場の教師との連携を深めるために、逆に現場の教師の皆さん方に生徒指導の重要性、対応の仕方を指導するために、むしろスクールカウンセラーが現場の教師から相談を受けることも多いと承っています。
 スクールカウンセラーの趣旨からいいますと、教師を経験された方が引き続きということになりますと、学校外の違った角度からの専門性を生かすということからいうと衝突するわけでありますが、ただ、スクールカウンセラーを迎え入れる方は、教師を経験した方はそのゆえをもってだめなのかというと、そういうことでもないと思います。学外から迎え入れることのメリットと同時に、学校の教師との間の意思疎通の問題、子供の扱いでの情報の処理の問題、学外から迎え入れることからくるさまざまなそごと言えるような問題点もあるようであります。OB教師であるということではなく、カウンセリングにおいて高い専門性を持たれた方、そういう方々については臨床心理士、精神科医、大学の教官等と並んで迎えてもよいのではないかと思います。見解をお伺いいたします。
 また、イギリスなどで行っているのは、中学校の三年生の中から数人、相談をする人を選んで、二年生、一年生とか、大体年代の近い人に相談するというのが非常にやりやすいということで、そういう上級生を一種のカウンセラーに選んで自主的にやって成果を上げていると聞いています。さらに石川県教委では、今年の四月から子供相談員の育成を始めたようであります。全県で三百人ほどの相談員を集め、カウンセリングの仕方を初歩的な段階から教えています。もちろん、それをもってすべてとするわけでなく、講習を受けた子供が教師に最終的に相談する体制になっていますが、いじめや不登校のない教育社会環境づくり推進事業ということでスタートしています。
 これから、いじめとか登校拒否を減らしていく、そして子供たちへの対応をどうしていくかということについては、種々検討すべき点があると思います。今までの体験や知識を踏まえ、臨床心理士に頼らない仕組みなど、今後スクールカウンセラーのあり方について十分工夫、研究をしていかなくてはならないと思いますが、見解をお伺いいたします。
 次に、心の教育、生きる力を育成する教育についてであります。
 中・高での校内暴力の発生状況について、平成七年度の資料によりますと、中学校全体で発生した学校数千四百六十校、発生件数五千九百五十四件、公立学校に占める発生率一三・八%。高校では、発生学校数七百七十五校、発生件数二千七十七件、発生率一八・六%。また一方では、教師による体罰やマツタケ教師等、教育現場というものが、子供たちの夢を育てつつも、大変な状況であると思います。
 今、子供たちはいらいらするとか腹が立ってむしゃくしゃする、それが何か受験戦争のあおりのような認識を子供たちが発言します。人はいつの日かどこかで、学び、苦しみ、それを乗り越えていくという時期が必要です。そこに対応しながら子供たちが伸びていくものであります。それにしても、親の子育てのあり方の過程というものが、従来のように複数の大勢の人間の中ではぐくまれている時代と違って、家庭という言葉で言えないような状況で子供たちが育っていることも現実であります。また、学校の教師の指導のあり方にしても何かゆとりのないような気がします。ゆとりある教育を訴えながら、それと社会環境としても歯どめのない情報の洪水の状況の中で、子供たちが取捨選択しながら安定した心境で青春時代を過ごしていくということはある意味で大変で、洪水の中でおぼれてしまう状況ができているのかもしれません。
 そうしたことを考えますと、心の問題とか人間性の問題ということの中に、道徳教育等々、日本古来の礼儀正しくまじめで正直で勤勉でなどという言葉が今の子供たちには余り当てはまらない気もします。また、このごろ起きるさまざまな事件の中で、一人の人間を多数であやめてしまう、高齢者や弱い者、あるいは大人であっても、「おやじ狩り」などという嫌な言葉もありますが、勇気がなく憶病であるがゆえに数人で事を運ぶという卑劣な行為が目立ちます。校内暴力が発生していくということも悪いことですが、ある意味ではそういうことのあらわれを学校で表現しているのかなと、そんな気もします。人は人にもまれて人になるという言葉があります。学校の中で心の問題を問うときに、紙の上で心づくりというのはできるのかなと思うのであります。
 社会というのは、まさに自分一人で生きていけません。その社会の中に自分が立つ最初の教育の場は家庭でありますが、少子化、核家族という中で家庭における教育力が低下しています。また、社会一般が余りにも子供に対して無関心過ぎ、人間関係が希薄になって社会教育力が低下しているようであります。
 さらに、学校教育においても、先ほどの数字を見ると大変深刻であります。三者の連携、協力が大変重要な課題でありますが、家庭教育力、社会教育力の低下を学校教育が中心となって補っていかない限り、人間教育は進まないと思うのであります。今の教育の基本は、子供たちに生きる力をつけていくことが非常に大事なことだと思います。このことは、言葉としては言うわけですが、逆に、今日の子供たちが生きる力を果たして今の学校教育の中でつけられるのか。もちろん、学力的には高い知識を有し、私たちの時代から比べてはるかに知的な面では高くなっています。しかし、たくさんの知識人はつくっても、社会の中で生きていってその知恵を活用できるような、弾力的に生きていけるような教育は、必ずしもなされていないように思うのであります。心の教育、生きる力を育成する教育についての所見と取り組みについてお伺いいたします。
 次に、学校図書館の充実についてであります。
 二十一世紀を展望した我が国の教育のあり方を審議している第十五期の中教審の一次答申には、「自分で課題を見つけ、自から学び、自から考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力」を養成する。そして、そのために学校は、知識を教え込む教育から、「自から学び、自から考える教育」を通じてゆとりの中でみずから生きる力を育成する教育を重視していくと書かれています。
 急激な変化を遂げる現代社会にあって、我々の得た知識はすぐ過去のものになってしまいます。こんな社会にあって、生きる力を育成することはもちろん、基礎的な知識を習得することは大変重要なことではありますが、その上に立って自分で問題あるいは課題を解決する方法を身につける、これがこれからの我々の生き方にとって大変大事なことだと思います。そのためには、学校教育においてこの図書館の果たす役割は大変に大きいし、また今後さらにその役割は増していくのではないかと思います。
 その学校図書館は、余り活用されていません。いろいろ事情があるとは思いますが、一つには図書の蔵書の問題、二つには指導に当たる教師の人的な整備の問題。三つには、学校教育の中で学校図書館の位置づけは学習指導要領等において明確になっていますが、具体的運用、実践においてどのように活用するかという点において、教師を含めて十分にこの学校図書館を使って学校教育を展開することの重要性というものの認識がなかったのではないでしょうか。これから二十一世紀にかけて、この学校図書館に何を期待されるのか、まずお伺いいたします。
 中教審の答申の中の項目、「第二部、学校・家庭・地域社会の役割と連携の在り方」の中で、「高度情報通信社会の進展を踏まえ、学校教育の質的改善や情報教育に資するため、情報のネットワーク環境の整備や学校図書館の充実などに積極的に取り組んでいく必要がある」と、学校図書館の充実の必要性が強調されています。
 平成五年度から、学校図書館図書整備五カ年計画が始まり、今年度は最終年度で合計で五百億円、地方交付税措置がされました。昨年度までに約三百八十億円が使われていますが、実際に措置された予算状況は約五〇%だと言われています。地方によっては学校図書購入費用を他に回してしまうようなこともあるようであります。
 この計画が終了した段階で、目安となります各学校の規模に応じた蔵書数、学校図書館標準が平成五年度に設定されています。同時に、この年から五カ年計画によって以前の蔵書の一・五倍をめどに書籍をふやしていく計画となっています。この水準は将来にわたってある程度の年月、今後の図書館の蔵書数の水準となっていく数字だと思います。平成五年まで、昭和三十二年の標準をそのまま使っていましたが、そういう時代おくれにならないように、その都度の標準として見直しを要望していく必要があるのではないかと思います。
 新五カ年計画によって、公立の義務教育諸学校の図書館の充実が進んでいます。そんな中で高校の学校図書館の整備が立ちおくれていると言われていますが、整備につきましては学校図書館法第十三条、関連して政令で定める基準が施行令第一条の別表に載っていますが、実は四十年前に決められた基準で、全く現状にそぐわなくなっています。これから期待される学校図書館の蔵書数として今の図書館標準というものが十分なものであるのかどうか、この点についての見解と県内公立学校の図書館の蔵書数の実態についてお伺いをいたします。
 本来、活発な読書活動というものを通じて、子供の知的な好奇心、興味や関心、あるいはさまざまな感動、そういうものを味わう点で学校図書館は、いわば心のオアシス、読書センターという役割があるのではないかと思います。また、これからの新しい時代に対応して、できるだけ多くの情報を収集し活用していくという面では、例えばインターネット、コンピューターを導入するというようなことで、学習情報センターとしての機能もあわせ持つべきではないかと思います。さらに、学校と公共図書館とを結ぶというような計画など、新しい時代に対応した学校教育ということの中で、図書館の意義というものをもっと高めていかなくてはならないと思うのでありますが、見解をお伺いいたします。
 今、活字離れ、読書離れの大変な実情があります。例えば、一カ月に一冊も本を読まない中学生は五五%、高校生は七〇%。三人に二人が一冊も読まない。中学生、高校生の心が荒廃し、不登校、いじめの原因の一つにもなっているのではないでしょうか。「民主主義は読書と本の上に成り立つ」というレーガン元大統領の有名な言葉がありますが、こうした活字離れ、読書離れ、家庭においても学校においても本を読まない子供が蔓延していることについて、どのように認識し対応しているのか、お伺いいたします。
 学校図書館に、本を中心とする図書館資料を使いこなせる、また利用に供する子供たち、生徒たちに指導やアドバイスをできる専門家が必要であります。それが司書教諭になっていると思います。ただ、各学校になぜ司書教諭が発令されなかったのか。司書教諭の資格を持っておられる方は相当数に上ると思いますが、その発令状況は、平成八年度現在、国公私立で全国で五百二十四人、内訳は、小学校七十二人、中学校百十一人、高校三百三十六人、特殊教育諸学校五人となっています。ちなみに、司書教諭の資格を持つ人は平成六年度の調査で公立で一万二千五百六十九人。この発令が進まなかった理由として考えられるのは、小・中につきましては、学校の規模等からして図書係等の校務分掌で担当することで足りる、あるいは有資格者はいるが、学校図書館ではなくてほかの校務分掌を担当している等。高校では、事務職員等が図書館事務を担当しているので司書教諭の発令は不要である。小・中・高共通の理由としては、小規模校のため、あるいはその方が学級担任をしているため、あるいは学校図書館法附則第二項による当分の間これを置かないことができる、この規定を理由に挙げているようであります。
 これらを総括しますと、附則はあくまで特例であって、原則はすべての学校に置かれるということだと思います。附則の運用、解釈において、これは置かなくてもある意味で差しさわりがないというような解釈がされていた点、学校図書館や司書教諭に対する認識の問題、司書教諭を引き受けることによって新たな負担がふえるということに対する抵抗感、こういった点が要因と思います。
 県内公立学校の司書教諭の発令状況と発令が進まなかった要因、そして、今度の改正法によって平成十五年四月一日以降は一定規模校以上には設置が義務づけられます。現在進行中の第六次公立義務教育諸学校の教職員配置改善計画は、十年度完結を二年間の延長、また財政構造改革五原則の中で新たな予算措置を伴う長期計画はやらない、第七次はないということであります。そうした状況の中での今後の取り組みについてお伺いをいたします。
 今度の改正法で気になるのは、法令に定める小規模校をどう判断し対応するかであります。学校図書館法附則第二項の政令で定める規模以下の学校は、学級の数が十一以下の学校とする、これは学校教育法施行規則第十七条の標準学校に横並びさせたと思いますが、県内では小学校の六四%、中学校の七〇%、高校の一三%が小規模校であります。基本的には、教育はすべて県民が共通の土俵の上に立って、そして機会均等に受けられなければならない権利があります。小規模校だというだけの理由によって学校図書館の充実がおくれるということは、まさに教育そのものに対する差別ではないかと危惧します。
 この学校図書館は、これからの二十一世紀を担う子供たちにとって大変重要な役割を担うものであります。小規模校の生徒たちはその恩恵を受けることができません。同じ時代を生きてきた子供たちにこういった差を設けていくことは、あるべき姿ではないと思います。小規模校への司書教諭の配置に十分な配慮をお願いしたいと思いますが、見解をお伺いいたします。
 この高度情報通信社会、さまざまな世の中の実態を知るための教材が教師も必要ですが、そういうことを的確に、利用のためにアドバイスし指導できる専門家がいないことが、そういう授業の停滞の一因にもなっていると思います。本当に力のある人であるならば、教師にも、教材への的確な指導もできます。それがそのまま授業改革につながっていく、子供たちに指導すれば、それは考える力、学ぶ力、本を探したり資料を一つ一つ調べたりすることの喜びを感じ、みずから学ぶ力、考える力が身につきます。ますます時代は図書館における力ある専門家を必要としています。そうした認識がないと教育改革につながらないと思うのでありますが、所見をお伺いいたします。
 学校図書館担当事務職員、学校司書の方々でございますが、いわゆる事務職の立場であります。今日まで、自治体の努力で配置されたことは、やはり学校図書館の役割の重要性ということを訴えていると思います。この学校司書につきましては、昭和四十年代後半に検討されたことがあり、法律の中でも案として出されたことはありました。発令されない司書教諭のかわりとして、学校司書というか、学校図書館担当事務職員の配置が進んできました。この方々の果たしてきた役割は、教育現場において大きなものがあったと思います。しかし、現場では、改正法で学校司書の職場が奪われていくのではないか、不安や懸念が出ています。いわゆる学校司書の職務や役割と司書教諭の職務、役割を誤解し、また混同するような自治体が出てくると、弱い立場にある学校司書の方々は不利な状況に追い込まれます。学校司書の皆さんが不利にならないような状況をつくっていかなくてはならないと思いますが、取り組みについてお伺いいたします。
 以上で、一回目の質問を終わります。ご清聴ありがとうございました。
○議長(木下秀男君) ただいまの森本明雄君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 教育長西川時千代君。
  〔西川時千代君、登壇〕
○教育長(西川時千代君) 教育問題、十五点についてお答えいたします。
 まず、総合学科の拡充と進路開拓についてであります。
 平成六年、全国に先駆けて和歌山高校に総合学科を設置し、さらに本年四月に県内で二番目の総合学科を有田中央高校に設置したところであります。和歌山高校においては、生徒一人一人が自分の興味、関心に応じて科目を選択し、生き生きと将来の進路に対応した学習に取り組んでおります。その結果、みずからが目指す進学や就職の達成率が大幅に向上してございます。
 卒業生の進路開拓につきましては、文部省や産業教育振興中央会等が繰り返し大学や経済団体等に働きかけており、現在、和歌山大学や大阪府立大学など、全国三十五大学で推薦枠が設けられ、就職についても企業の理解が進みつつあります。県内におきましても、学校と教育委員会が連携して、近隣の大学や経済団体、企業等を積極的に訪問するとともに、関係者を招いての学校紹介などを行い、進路の開拓に努めてまいりました。今後とも都道府県教育長協議会とも連携を図りながら、総合学科の特性に関する理解と進路開拓への協力を求めてまいりたいと考えております。
 本県における今後の総合学科の拡充につきましては、和歌山高校、有田中央高校の成果等を踏まえ、学校の主体的な取り組みを大切にしながら、全県的な視野から積極的に検討を進めてまいりたいと存じます。
 第二点目のPCB使用電気機器についての管理と処理についてでありますが、昭和四十七年以前の製品の現在の使用状況は、県立学校では約五千本、小中学校で約千六百本となっております。取りかえにつきましては、これまでにも各学校における大規模改造等の際に順次行ってきておりますので、市町村への指導も含め、引き続き取り組んでまいります。
 また、廃棄物の管理状況についてでございます。このたびの法の一部改正により分解処理も可能となりましたが、現在のところ国内には処理施設がございませんので、それまでの間、学校内で明確に表示をした上、厳重に保管をしてまいります。今後とも、関係機関と連携を密にしながら管理体制に万全を期してまいりたいと考えてございます。
 次に、スクールカウンセラーについてお答えいたします。
 配置校におきましては、スクールカウンセラーが学校における教育相談体制の中に位置づけられ、養護教諭との連携によって児童生徒の心のケアが進んだこと、あるいは教職員の子供に対する接し方が変わったといった成果が報告されてございます。一方、学校によってはスクールカウンセラーを十分に生かせていないといった課題もあることから、今後、管理職の理解を深める研修を重視し、その効果的な活用を図ってまいりたいと考えます。
 配置状況につきましては、平成七年度三校、八年度十二校、九年度二十二校と年々拡大を図ってきております。現在、スクールカウンセラーの資格は、臨床心理士、精神科医並びに大学の教官に限られております。和歌山県臨床心理士会には二十七名が登録されておりますが、本務等との関係ですべての方々にスクールカウンセラーをお願いできず、その確保に苦慮している現状でございます。
 カウンセラーには高度な専門性が必要とされますが、教育委員会といたしましては、人材確保のため文部省に対し、大学院卒業者等の活用など、資格の弾力化と計画的な養成を要望してきたところであります。本県では、従前からスーパーバイズ方式により、専門的力量を持つ教育相談主事等の助言のもとに、学校の教員がカウンセリングマインドを持って子供の相談に応じられる体制づくりを進めてまいりました。また、教育研修センターにおいて各学校における相談活動の中核となる人材の育成に努めるとともに、県独自に年間百二十回に及ぶカウンセラー派遣事業を行ってまいりました。今後、こうした努力を続けるとともに、議員ご提言の趣旨を踏まえ、幅広い人材活用による相談体制の整備について研究してまいりたいと考えます。
 次に、心の教育、生きる力をはぐくむ教育についてであります。
 近年、子供を取り巻く環境の変化に伴って、心の問題に起因する登校拒否やいじめが増加し、一方、社会のルールを無視した自己中心的な問題行動が多くなってございます。こうした状況から、教育委員会といたしましても、豊かな心を持ち、これからの社会をたくましく生きる力をはぐくむ教育の取り組みが一層重要になっていると受けとめております。また、心の教育を進める上で何よりも子供に対する愛情と心の交流が大切であり、子供にふさわしい遊びや体験的な活動を通じて心の成長を図っていくことが必要であると考えます。
 このため、教員の資質向上を図るとともに、豊かな心をはぐくむ教育推進校の指定やフロンティア・アドベンチャー事業等を実施し、子供たちに自然体験やボランティア活動などを通じ、自然や生命に対する畏敬の念、社会に奉仕する心構え、郷土に対する誇りや愛情などを培う教育の充実に努めているところであります。さらに、積極的に学校を開き、家庭や地域社会の教育力と結合することが重要な課題であるとの観点から、平成八年度から県下八地方における登校拒否やいじめを考えるフォーラムや関係機関連携推進会議などを開催し、教育関係者とPTA、地域の方々との連携を進めてまいりました。今後とも、こうした取り組みを一層充実させ、学校が先頭に立って社会全体で子供を育てる体制づくりを推進してまいりたいと存じます。
 学校図書館の充実についてでありますが、情報化、高齢化など、急激な変化を遂げる現代社会にあって学校図書館は、児童生徒の読書活動を促進し、各種の資料や情報を活用してみずから学ぶ力を育てる教育を進める上で、学習情報センター、読書センターとして、その果たすべき役割は極めて大きいと考えてございます。
 学校図書館の図書標準等についてでありますが、小・中学校の図書標準につきましては、ご指摘のように、平成五年に示されたものであり、県内の各市町村では基準財政需要額を上回る図書購入費を計上して努力しており、平成七年度の調査によると、児童生徒一人当たり小学校では十八・八冊と、全国平均十六・二冊並びに国の標準十七冊程度を超えておりますが、中学校では十六・一冊と、全国平均並みながら国の標準を満たしていない実態にあります。また、高等学校については一人当たり二十三・七冊と、全国平均の二十二・五冊を上回っており、一人当たり五冊から七冊という昭和三十三年の学校図書館法施行令の基準では実態にそぐわなくなっている面も見受けられます。今後とも、学校図書館に期待される役割を踏まえ、蔵書数の拡充に努力してまいりたいと考えます。
 コンピューター時代に対応した学校図書館のあり方につきましては、地域の情報センターとしての機能も期待され、公共図書館などとの連携が重視されることから、今後、県の情報ネットワークの整備を視野に入れて研究を進めてまいりたいと考えております。
 次に、読書離れについてでございますが、テレビやコンピューターを初めとする多様な情報メディアの発達、受験勉強などで本を読む時間的余裕がなくなるなどの原因が考えられ、豊かな感性や論理的な思考力を養う上で憂慮すべきことと受けとめてございます。教育委員会といたしましては、各種研修会等を通じて、子供たちが読書の楽しさと出会う場をつくるよう各学校に指導しているところであり、幼児期における読み聞かせの体験なども重要であることから、家庭教育との関連も考慮しながら読書に親しむ教育を重視してまいりたいと存じます。
 次に、学校図書館がその機能を十分に発揮するためには、専門的な素養を身につけた教員の配置が肝要でございます。こういったことから、司書教諭の資格を持った教諭の配置が求められてきたところでありますが、有資格者数が不足しているため、従来からも資格取得の促進に努めてきたところであります。今後は、平成十五年度までに十二学級以上の学校に配置するとともに、小規模校が多いという本県の実情を踏まえ、十一学級以下の学校においても配置できるよう、さらに和歌山大学など関係大学と連携しながら資格取得の機会の拡充に努力してまいりたいと考えてございます。
 次に、学校図書館担当事務職員等と司書教諭とのかかわりについてでございますが、担当事務職員等は、図書館サービスの提供及び学校図書館の庶務、会計などの業務に従事しており、一方、司書教諭は、学校図書館の利用指導計画の立案など指導助言を業務とするものでありますので、それぞれの役割が十分果たされることにより図書館教育がより一層充実するよう指導してまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(木下秀男君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
  〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(木下秀男君) 再質問がございませんので、以上で森本明雄君の質問が終了いたしました。

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