平成9年2月 和歌山県議会定例会会議録 第5号(全文)


県議会の活動

議 事 日 程 第五号 平成九年三月十三日(木曜日)
   午前十時開議
 第一 議案第一号から議案第八十七号まで(質疑)
 第二 一般質問
会議に付した事件
 一 議案第一号から議案第八十七号まで(質疑)
 二 一般質問
出 席 議 員(四十七人)
 1 番 大 沢 広太郎
 2 番 木 下 善 之
 3 番 小 川  武
 4 番 吉 井 和 視
 5 番 下 川 俊 樹
 6 番 井 出 益 弘
 7 番 藁 科 義 清
 8 番 門  三佐博
 9 番 永 井 佑 治
 10 番 新 島  雄
 11 番 向 井 嘉久藏
 12 番 佐 田 頴 一
 13 番 和 田 正 一
 14 番 阪 部 菊 雄
 15 番 西 本 長 弘
 16 番 馬 頭 哲 弥
 17 番 谷  洋 一
 18 番 山 下 直 也
 19 番 高 瀬 勝 助
 20 番 上 野 哲 弘
 21 番 堀 本 隆 男
 22 番 宇治田 栄 蔵
 23 番 宗  正 彦
 24 番 橋 本  進
 25 番 神 出 政 巳
 26 番 玉 置 公 良
 27 番 松 本 泰 造
 28 番 東 山 昭 久
 29 番 尾 崎 要 二
 30 番 野見山  海
 31 番 木 下 秀 男
 32 番 町 田  亘
 33 番 中 山  豊
 34 番 井 谷  勲
 35 番 鶴 田 至 弘
 36 番 森  正 樹
 37 番 村 岡 キミ子
 38 番 新 田 和 弘
 39 番 平 越 孝 哉
 40 番 森 本 明 雄
 41 番 長 坂 隆 司
 42 番 冨 安 民 浩
 43 番 飯 田 敬 文
 44 番 中 村 裕 一
 45 番 松 本 貞 次
 46 番 大 江 康 弘
 47 番 和 田 正 人
欠 席 議 員(なし)
説明のため出席した者
 知 事 西 口  勇
 副知事 山 下  茂
 出納長 高 瀬 芳 彦
 知事公室長 野 見 典 展
 総務部長 中 山 次 郎
 企画部長 藤 谷 茂 樹
 生活文化部長 中 村 協 二
 福祉保健部長 小 西  悟
 商工労働部長 日 根 紀 男
 農林水産部長 平 松 俊 次
 土木部長 長 沢 小太郎
 企業局長 佐 野 萬瑳義
 教育委員会委員長職務代行者
   安 藤 精 一
 教育長 西 川 時千代
 公安委員会委員 中 尾 公 彦
 警察本部長 青 山 幸 恭
 人事委員会委員長
   若 林 弘 澄
 代表監査委員 宮 市 武 彦
 選挙管理委員会委員長
   谷 口 庄 一
 以下、各部局次長・事務局長・財政課長
職務のため出席した事務局職員
 事務局長 西 畑 彰 久
 次 長 中 西 俊 二
 議事課長 佐 竹 欣 司
 議事課副課長 島  光 正
 議事班長 松 谷 秋 男
 議事課主査 山 本 保 誠
 議事課主事 大 浦 達 司
 総務課長 塩 路 義 和
 調査課長 湊  孝太郎
 (速記担当者)
 議事課主任 吉 川 欽 二
 議事課主査 鎌 田  繁
 議事課速記技師 中 尾 祐 一
 議事課速記技師 保 田 良 春
 ─────────────────────
 午前十時三分開議
○議長(町田 亘君) これより本日の会議を開きます。
 ─────────────────────
 【日程第一 議案第一号から議案第八十七号まで】
 【日程第二 一般質問】
○議長(町田 亘君) 日程第一、議案第一号から議案第八十七号までを一括して議題とし、議案に対する質疑を行い、あわせて日程第二、一般質問を行います。
 20番上野哲弘君。
 〔上野哲弘君、登壇〕(拍手)
○上野哲弘君 おはようございます。
 まず、地域振興における県の取り組みについてからお伺いいたします。
 地域振興を考える場合、それぞれ第一次産業、第二次産業、第三次産業の分野があり、その地域に応じた施策が必要となってまいります。今議会、第三次産業である商店街の振興については山下議員が質問されましたが、現在の日本はあらゆる分野で問題を抱え、一つの転換期にあると実感しているところであります。
 さて、私の質問でありますが、特に過疎地の振興についてお伺いするものですけれども、知恵と発想の転換がその原点になるものと思っております。
 まず、行政組織から考えてみたいと思います。
 現在の組織は、国、県、市町村と縦割り行政であり、地方自治が主体であると言いながら、仕組みは中央集権であります。また地方自治体においても、その線引きされた地域しか目を向けず、住民生活に直結しない施策がなされているようにも見受けられます。また従来型の行政における問題点として、縦割り行政の弊害や各自治体における金太郎あめ的施策等が指摘されているところであり、そのことが今日的社会にマッチしないということで、国においてふるさと創生一億円事業等、地域の特性を生かす施策が打ち出されたところであります。今、国においても行政改革が叫ばれ、地方分権とあわせて行政のあり方が問われているわけでありますが、地域振興にも大いにかかわってくるものでありますので、新たな体制づくりと発想が必要になってくると思います。特に県内における地方自治体の枠が足かせとなり、広域にまたがる国及び県事業がスムーズに運ばない事例が最近よく見かけられますが、県当局において広域行政の必要性と地方自治体の連携についての所見と指導についてお伺いいたします。
 これまで、議会での質問は地域振興に関するものばかりでしたので、常に新たな切り口をと考えてまいりましたが、今議会、知事の言う地方機関を地域ごとに総合調整する職、すなわち地方において振興局長制度を設けるということですので、県行政において新たな展開がされるものと期待しているところであります。今回設置の振興局長の役割について、知事の所見をお伺いいたします。
 次に、それらのことを念頭に置いて、地域振興と行政組織とのかかわりを過去にさかのぼって考え、質問したいと思います。
 過去にさかのぼるということで、幕藩体制下の和歌山藩を取り上げてみました。まず、和歌山藩の藩域と領内の支配体制でありますが、前段の藩域については、現在の和歌山県に三重県松阪までの大半の領土が和歌山藩であったわけであります。つまり、現在の和歌山県は和歌山藩の領土よりかなり減少されていることになります。
 話が少しそれますが、三重県の北川知事は鈴鹿市出身だそうです。実は鈴鹿市も和歌山藩領でありましたので、三県サミットにおいて北川知事が特に紀州に関心があるのは、そのことが関係するのではないかと推測しております。
 次に支配体制でありますが、藩は領内における集落から庄屋を出させ、その集落の数カ所から数十カ所を統轄さすために大庄屋を決め、その上にお代官が配置されていました。大庄屋の数は、東牟婁郡を例にとると十六あり、その内訳は新宮藩分が十三、和歌山本藩分が三であります。その村落数は百七十七カ村となっております。大庄屋は地元首長であり、お代官は本藩の出先機関と言えます。
 それでは、地域振興を図る上で、かつて集落はどのようなものであり、どうなったのかを検証し、今後の振興策を考えてみたいと思います。
 東牟婁郡那智勝浦町の成立において旧町村が合併したわけでありますが、合併前は七カ町村から成っており、その七カ町村以前の集落を合計すると三十一カ村であったことがわかります。すなわち、那智勝浦町は最小の地域社会である集落が三十一集合して成り立ったものであります。それらの地域社会を構築してきた集落が現在どのようになってしまったのか、熊野川町の学校数から検証してみたいと思います。
 同町は二十四の集落から成り立っており、かつて小学校十二校、中学校四校が設置されておりましたが、現在、小学校一、中学校一の計二校になってしまっており、実に十六校中十四校が廃校か休校になっているわけであります。以前は、それぞれの村落において学校までも設け、それなりの地域社会を形成し、その存在意義があったわけでありますが、人口の流出による農林業の衰退、耕作放棄地等の増大、それに伴う学校の廃校等、その存在意義が大きく薄れ、これらの要因により廃村への道へとたどらざるを得ない状況にあります。県において、これら村落の振興策についてどのようなことが考えられるのか、お伺いいたします。
 次に、公共施設における木材利用についてお伺いします。
 先日、ウルグアイ・ラウンド議員連盟による視察において静岡県へ行きましたところ、行政による指導かどうかはわかりませんが、駅前の工事現場において工事用バリケードが木製でされていました。我々の常識では鉄パイプあるいは鉄板でつくられるものと認識しておりましたが、少し考えを変えれば木製でもできるものであると認識を新たにしたところであります。
 今、県においても、公共事業あるいは施設に木材を使用するプロジェクトができているように聞いておりますが、これまでの実績と取り組みについてお伺いいたします。
 あわせて、コンクリートによる近代建築がすべてであった時代から、今日、木造による公共施設が多数できていると思われます。発想が変われば従来手法の変更も不可能ではないと考えますが、木造建築の将来についてお伺いいたします。
 次にボランティアの育成ということで、これはきのう玉置議員も質問されましたが、少し私も質問したいと思います。
 知事説明にも、「個性と魅力にあふれ、躍動する地域づくりは、県民の皆様一人一人の創意と情熱、そして行動にかかっております。(中略)今やこうした住民サイドの主体的な活動が大きなウエートを占める時代なのだと痛感いたします」とありましたように、まさしくそのとおりかと思います。その意味から、今後ますますボランティア活動というものがあらゆる面で必要になってくるのではないでしょうか。災害や福祉に限らず多方面のボランティアが求められる今日、ただ単に民間だけに任していいのか、もっと行政においても受け身でなくて積極的に開拓すべきであると思いますが、いかがでしょうか。
 かつて、半島振興大会において鈴木健二氏が、これから何をやるにしても現場に行かなければ何の役にも立たないと現場主義を申されておりましたけれども、まさにそのとおりかと思います。この運動を広く推し進めるために、行政側においてもボランティア活動ができるシステムにすべきであると思いますが、所見をお伺いいたします。
 次に、中山間地域における土地利用についてお伺いします。
 これも大先輩の馬頭議員がおっしゃられましたが、私も少しお伺いしたいと思います。
 現在、和歌山県はもとより全国的に中山間地域の人口が流出し、過疎化がますます拡大しております。当該地域の人口の流出は、地域社会を崩壊に導き、主幹産業である農林業が衰退し、都市との格差が広がる中、日本社会にそのゆがみをもたらしております。また、日本の食糧自給率は四二%と聞いておりますが、二十一世紀初頭には世界人口八十五億人と予想され、食糧危機が叫ばれております。特に海外からの輸入に大きく依存している日本にとって、このような事態を憂慮されているところでもあります。
 さて、さきに述べたように、農村における人口の流出と高齢化による農業従事者の減少が深刻な問題であることは言うまでもありません。中山間地域の振興を考える上で、那智勝浦町色川地区の例を挙げると、当地区の人口は、昭和三十七年当時二千六百三十四人、世帯数五百九十五戸であり、平成八年で人口五百四十一人、世帯数二百四十七戸となっております。本来ならさらに過疎化が進んでいるところでありますが、他府県から色川地区に入植し、その地域に応じた農業がなされております。その新規人口は百人を数え、三十数世帯が色川地区で生活しております。しかし、大半の地区では人口の流出や高齢化が顕在化し、特に耕作放棄地が増加しており、これらの放棄地の利用が最優先と考えます。耕作放棄地は地区内で点在し、また現状では耕作不適地となっている場合も見受けられ、直ちに解消することは難しいと考えられますが、このままでは産業廃棄物の捨て場となる可能性もあります。農地を含む土地に対する住民意識は、先祖伝来の土地としての保有意識が強く、人に貸さない状況にあると聞いております。県下における放棄地の現状や解消に向けた市町村等への指導とあわせて、圃場整備や農道の新設などによる農業後継者への土地利用策等について農林水産部長からお聞かせ願います。
 次に、熊野地域活性化計画についてお伺いいたします。
 これは、前仮谷知事が地域の現状を考えて、県、地方自治体及び地域住民の総力をかけた計画案として出されたものであると受けとめておりますが、本計画についての経過と現状についてお伺いいたします。
 今日、日本経済がバブルで崩壊し、銀行、ノンバンクにおいて多額の不良債権が発生したところであります。特に県下においては、阪和銀行の業務停止等、金融不安は現在も続いているところであります。そのような中、地域活性化の第一弾としての熊野地域活性化計画は非常に厳しい立場にあろうかと思いますが、この際、新たな発想による具体案の早期決定を願うものであります。
 本来、地域振興は地元自治体と地域住民が考えるものであり、県が特に手出しをすべきではないと思いますが、今の時代、急激な国際化、情報化社会が構築されているところであり、単に自治体や民間人が振興策を考えても十分競争に勝てるだけの体制づくりは不可能に近いものがあります。特に、人材の育成なり確保については一番重要であろうと考えます。この計画をスタートするに当たり、県の役割として人材と情報が大きなウエートを占めるものと考えますが、その所見をお伺いいたします。
 なお、平成八年度の地方自治大賞の選考がなされた新聞記事がありましたので、地域振興の具体例を申し上げ、情報として考えたいと思います。
 「群馬県の最北にある新治村は、かつて江戸と越後を結ぶ旧三国街道の宿場として栄えた。しかし、時代の変遷とともに過疎化と高齢化に直面。それをはね返す起爆剤になったのが、伝統工芸の技を継承する『たくみの里』事業だった。(中略)街道沿いには、『くるみの家』『和紙の家』『藍染めの家』など、伝統の技を披露」、結果、首都圏を中心に観光客が跡を絶たない。「自然石を積み重ねた六百メートルにわたる水路では、農家の人々が野菜を洗う姿が見られる。かつて全国各地で見られた純農村地帯にタイムスリップしたようだ」。
 この事例は一地方自治体の計画であり、特に目新しい事業ではありませんが、前段にも申し上げたとおり、三重県の約半分がかつての和歌山藩の領土でありました。その和歌山藩代官所跡が三重県熊野市に存在し、聞くところによりますと、代官屋敷再建の運動もされているようであります。熊野地域活性化計画では、こうした歴史的な観点も踏まえ、三重、奈良、和歌山、特に三重県との関係強化を視野に入れた広域的な計画にすべきであると思います。また、今後三県が連携した地域振興の具体案づくりを進めるべきであると考えますが、所見をお伺いいたします。
 次に、南紀熊野体験博についてお伺いいたします。
 知事は、去る一月の新春記者会見の席で、南紀熊野体験博の開催を発表されました。また、二月にはこの博覧会が通産省からジャパンエキスポに認定され、いよいよ熊野地域が全国の注目を浴びる絶好の機会が訪れるのではないかと期待が大きく膨らんでおるところであります。さらに、この南紀熊野体験博は紀南地域の非常に広い範囲を会場とすることになっており、このような広域的な博覧会は全国的に見ても他に例を見ないものではないかと思います。しかしながら、熊野の精神を生かし、こうした広域的な博覧会を成功させるためには、行政だけが一生懸命になって取り組んでいくのではなく、地域住民一人一人の積極的な参加が必要であります。そのために行政においては、民間に対しあらゆる分野のボランティア精神を積極的に訴え、仕掛けをすべきかと考えます。
 例えば、新宮市及び周辺自治体において、民間と協力して熊野川を利用した各種イベントを立案し行動すべく、博覧会開催に向けての機運が非常に高まっております。こうした地域の盛り上がりを背景に、単なる打ち上げ花火のような一過性のものに終わるのではなく、熊野の精神を生かし、二十一世紀に向けた熊野地域の活性化に大きな影響を与えるようなすばらしい博覧会にするために、具体的にどのような取り組みを行っていくのか、また今後のスケジュールはどう考えているのか、以上について当局のお考えをお伺いいたします。
 以上で、第一回の質問を終わります。
○議長(町田 亘君) ただいまの上野哲弘君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事西口 勇君。
 〔西口 勇君、登壇〕
○知事(西口 勇君) 上野議員にお答えをいたします。
 振興局長制度についてのご質問であります。
 本県は、ご承知のように県域が南北に大変長く、それぞれの地域の持つ特性、あるいは行政課題に対応する必要がございます。こういったことから、今回の行政改革での目標の一つとして、地域ごとの実情に応じた施策を総合的に展開できる体制を検討してきたところでございます。その結果、本年四月の組織改正に合わせて、地域における地方機関の組織横断的連携を強化いたしまして、各行政分野ごとの施策の総合調整を図ることを目的として振興局長を各地域に配置し、地域の課題に対応した総合行政を推進してまいりたいと考えておるところであります。
 以上でございます。
○議長(町田 亘君) 農林水産部長平松俊次君。
 〔平松俊次君、登壇〕
○農林水産部長(平松俊次君) 上野議員の地域振興における県の取り組みについてのうち、集落の振興策についてお答えをいたします。
 山村過疎地域の活性化のため、国においては昭和四十年に山村振興、四十五年には過疎地域活性化特別措置法が制定されました。県といたしましても、山村過疎地域の振興を県政の重要な課題と位置づけ、生産基盤整備や生活環境整備、集落再編整備など、国庫補助事業並びに県単独事業を実施し、地域特性を生かした地域振興対策に積極的に取り組んでまいったところでございます。しかしながら、山村の集落においては若者の流出と高齢化が現在も進んでいるところでございます。今後も、地域関係者の自主的、主体的な地域づくりの取り組み等を支援しながら、山村過疎地域の振興施策として、国庫補助事業や平成八年度に新たに創設した県単独事業の山村21創造事業などを活用し、若者のU・J・Iターン者の定住対策、地域資源を活用した都市との交流施設の整備、地域特産品の産地化等の促進と複合経営の推進、特色ある地域づくりなどを重点的に実施し、さらに関係部局と連携を図りながら地域の活性化に総合的に取り組み、住んでよかったと思える魅力ある地域づくりを積極的に進めてまいります。
 次に、公共施設の木材利用についてでございます。
 公共施設の木材利用については、従来、体育館などの学校施設や治山事業など、公共事業への木材使用を推進してきたところでございます。さらに去る一月二十七日、庁内関係部局を横断的に網羅した木の国プロジェクト推進会議を設置し、木材協同組合など関係業界の供給体制との連携のもと、各種公共施設、公共事業への紀州材を中心とした木材の利用推進を、より強力かつ具体的に進めることといたしてございます。また九年度においても、木造建築物設計マニュアルの作成や特許技術を生かした新しい商品の開発など、既成の観念にとらわれない木材の使い方を積極的に提案してまいりたいと考えてございます。
 一般的に、建築物は、それぞれの時代の文化、人々の感性、産業構造などが絡み合って具現化したものでございますが、自然、本物志向の潮流が見られる今日、時代を先取りした公共木造施設を先導的に建設促進し、紀州木の国の統一イメージの発信と、人に優しい木の文化の復権を目指してまいりたいと考えてございます。
 続きまして、中山間地域における土地利用についてでございます。
 地域農業の担い手育成の観点や、地域経済の活性化の上からも重要な課題であると認識してございます。議員お話しのとおり、山間地の農地については、担い手の減少や高齢化の進行と土地に対する資産的保有意識が強いことなどから利用調整が進みにくく、耕作放棄地が増加の傾向にございます。
 このため県においては、市町村、農業委員会、土地改良区など関係者が一体となって行っている、いわゆる農地銀行による農地情報の収集や貸借の仲介、また県農業公社が行う農地あっせん事業による担い手農業者への円滑な農地集積など、農地流動化の推進を指導しているところでございます。
 今後とも、農家の意識改革と地域における粘り強い農用地利用の推進活動を行い、地域の実態に合った土地基盤の整備や農地の利用集積、市民農園などへの活用を図るとともに、地域特産品の生産振興や新たな担い手の参入も視野に入れた土地利用対策に取り組んでまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(町田 亘君) 総務部長中山次郎君。
 〔中山次郎君、登壇〕
○総務部長(中山次郎君) 広域行政についてお答えします。
 地方公共団体が多岐にわたる行政施策を効率的に実施していくためには、市町村の区域を超えた広域行政の推進ということが今後ますます重要となってくるものと考えてございます。地方公共団体が広域行政を推進する手法といたしましては、これまで一部事務組合や協議会等の制度の活用が図られてきたところでございますけれども、平成六年の地方自治法の改正によって、より独自性の強い広域連合制度が創設されたところでございまして、広域行政推進体制も多様化しているところでございます。
 県といたしましては、それぞれの地域の状況を勘案しながら、より効果的な広域行政が展開されるよう、ブロックごとに検討会や講演会を開催するなど、市町村に情報の提供や助言を行い、適切な指導を行ってまいりたいと考えてございます。
○議長(町田 亘君) 生活文化部長中村協二君。
 〔中村協二君、登壇〕
○生活文化部長(中村協二君) 上野議員にお答えをいたします。
 地域振興における県の取り組みについてのうち、ボランティアの育成についてでございます。
 阪神・淡路大震災を契機として、ボランティア活動を初めとする市民活動の重要性が認識され、市民活動促進法いわゆるNPO法案が国会においても議論されております。お互いに相手のことを思いやり、だれもが住みよい社会を形成していくためにも、地域振興の面からも行政とボランティアが新しいパートナーシップを築き上げていくことが不可欠な時代になってまいりました。
 今後、ボランティア等社会活動への参加促進のための基本方針づくりに取り組むとともに、ボランティアガイドブックの作成等による情報提供を積極的に進めてまいりたいと存じます。
 なお、本年一月に県職員がボランティア活動に積極的に参加できるようボランティア休暇制度が創設されたところでございますが、この制度を活用してロシアタンカー事故による重油除去ボランティア等に百名を超える職員が参加したところでございます。今後とも、ボランティア活動への参加機運の醸成、参加の機会づくりに努めてまいりたいと存じます。
 以上でございます。
○議長(町田 亘君) 企画部長藤谷茂樹君。
 〔藤谷茂樹君、登壇〕
○企画部長(藤谷茂樹君) 上野議員にお答え申し上げます。
 熊野地域活性化計画の経過と現状についてでございます。
 この計画については、平成四年に基礎調査、平成五年から六年にかけて計画策定、平成七年に体験プログラムを実施し、今年度は計画の中核をなす活性化組織の設立に向けて関連施策と整合を図りながら、地元市町村等関係団体と調整を進めてきているところでございます。
 次に人材と情報についてでございますが、議員ご指摘のとおり、熊野地域活性化計画において、かなめとなる従来の行政を一歩踏み出した活性化事業を展開するためには、地域活性化のための情熱とノウハウを持った人材が不可欠と考えており、そうした人材の育成や参画を念頭に置きながら施策を進めてまいりたいと考えてございます。
 またこの熊野地域活性化計画は、新宮定住圏を対象とし、市町村の行政枠を踏み出して広域的な活性化を図るものであり、三重県、奈良県の周辺地域にとっても活性化につながるものと考えてございます。
 三重、奈良、和歌山の三県の連携については、昨年五月の知事会議での合意を受け、紀伊半島の広域的な振興を図るため、三県境が接し、特に半島性が強い吉野・熊野地域において三県が共同して実施できる具体的事業や協力体制について調査検討を行っており、実現可能なものから平成九年度事業として実施することといたしてございます。
 次に南紀熊野体験博(仮称)については、去る二月十七日に第一回会議を開催した南紀熊野体験博準備委員会において基本計画案をご検討いただいているところでありますが、平成十一年四月から九月までの約六カ月間を会期とし、熊野の歴史や文化を背景にして、和歌山県全体の魅力を全国に向けてより一層アピールできるような各種のイベント展開を行ってまいりたいと考えています。
 議員ご指摘のように、この博覧会は紀南地域を直接対象地域、紀北、紀中及び三重、奈良両県を関連地域とする広域的な展開を特徴としておりますが、こうした形態のイベントをジャパンエキスポとして開催するのは全国でも初めての試みであります。
 具体的なイベントといたしましては、全国的な情報発信力を持つテーマイベントの展開、地域の既存イベントを生かしつつ新たな魅力を創出するイベントを加えた地域ネットワークイベントの展開、常設型のイベント会場としてのシンボルパークの展開、熊野古道を中心としたシンボル空間の展開、対象地域の市町村がそれぞれの地域の魅力を生かして実施するリゾート体験エリアの展開といった五つのタイプのイベントを効果的に組み合わせてまいりたいと考えております。
 しかし、これらのイベントの成功には、全国から和歌山を訪れる多くの皆さんを温かくもてなし、迎え入れ、喜んでいただくという、それぞれの地域の皆様方による積極的な取り組みが何よりも重要であろうと存じます。このため、今後の計画づくりや実施体制の整備に当たっては、できる限り地域の皆様方の意見を取り入れてまりいたいと考えてございます。
 なお今後のスケジュールについては、新年度には実施母体となる実行委員会を設立するとともに、その事務局として推進組織を庁内に設置し、実施計画及び各種個別事業計画の策定、シンボルパーク等の会場設計、各種広報宣伝活動などに取り組んでまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(町田 亘君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 20番上野哲弘君。
○上野哲弘君 ただいまご答弁をいただきました。それぞれ質問内容は、すべて地域振興に関するものであります。その基本的スタンスは広域行政の推進であり、同時に地域を構成する海岸部、山間部を含めた集落についても十分検討すべきものであると思っております。また、過疎が著しい地域の振興については、知恵と発想の転換が特に必要であろうかと思っております。耕作放棄地対策や農地等の集約化が絶対条件になるのではないかという感じを持っております。
 話は変わりますが、阪神のグリーンウェルという選手が、母国アメリカで八十平方キロの土地を所有していることが新聞に出ておりました。その数字は、新宮市の面積とほぼ同じであります。アメリカとは比較になりませんが、今後のことを考えると、できるだけ集約化を行い、時代に応じた第一次産業の構築と脱皮が求められるのではないかと思っております。
 また、一昨日の朝日新聞に、「人も地域も育てる『Iターン』」という見出しで、「地域活性化フォーラム」の特集が記事として出ておりました。地域にとって参考になる意見が出されておりましたので、ちょっと紹介したいと思います。
 その中で、富山市在住の早稲田大学教授の宮口氏が、「東京が合う人ばかりではない。自然とゆとりを求める人に、これまでもて余してきた地方の空間が、価値と可能性を持ち始めた」、さらに「なんで楽しい山村が壊れていくのか、関心をもった。前向きに考えると、地方は新しいセンスで新しい生活づくりを考える人には、新しい可能性を持った土地だ」、こういうようなことを述べられております。これに対して、受け入れ側となる自治体について少し厳しい意見があります。これらのいわゆる故郷探しファアにおいて、その土地に対する情報をどこから手に入れたかという問いに対し、最も多い回答は転職情報誌だったということです。そういう面で、自治体の評価は非常に低いということがうたわれております。これから、それを基礎にして、地域間協力と競争で新しい動きに期待したいと出ております。
 そういう意味で南紀熊野体験博は、これらの人たちのニーズにこたえるグッドタイミングな企画であったと思っております。また、この体験博を開催する意義もさることながら、それに至る過程が真の地域振興になるのではないかという感じを持っております。今後二年間、地元自治体はもとより、地域住民も意欲を持って行動できるよう、県当局の対応に万全を期していただき、またそれらを要望いたしまして一般質問を終わりたいと思います。
○議長(町田 亘君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で上野哲弘君の質問が終了いたしました。
○議長(町田 亘君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 33番中山 豊君。
 〔中山 豊君、登壇〕(拍手)
○中山 豊君 何よりも、十三番目ともなると、先に立たれた議員の論戦に触発もされ啓発もされるところであります。あの論戦にもっと時間を与えてほしかったなという感じさえするような四日間、それにも負けず、議会の風格と品位をさらに一層高めるために努めながら質問をさせていただきます。重なりもあろうと思うけれども、中山ならではの視点と観点で申し上げるので、当局の答弁はそれに見合うようお願いをして、続けます。
 本年一月二日未明、ロシアのタンカーが沈没、流出した重油が日本海沿岸九府県に漂着しました。二カ月余りも海域の汚染、沿岸の汚水、漁業や住民への打撃及び生態系への影響、これに対応する人々の心労等ははかり知れないものがあったと思われます。
 これを取り上げて加藤周一氏は、二月十九日の朝日新聞夕刊の文化欄に、「沿岸の漁民が小舟を出し、小さな柄杓で海面の重油をかき集める──これは『経済大国』日本、『技術大国』日本において、ほとんど信じ難い。 思えば昔、一九四五年の早春、『万邦無比の国体』と『無敵の陸海軍』を備えた大日本帝国では、木造家屋の都会に降りそそぐ焼夷弾の雨に対して、各戸の門前に置かれた棺おけほどの『防火用水』から、バケツで水を汲む以外に対抗する手段がなかった」と回想しています。
 海中に沈んだ船からの重油の回収は、まだこれからどれだけかかるかもしれません。何はともあれ、災害対策に取り組まれる様子を見ていて、他県のこととは思えないのみか、冬は日本海は荒れやすいという条件はあるにせよ、初動のおくれ、組織的対応のまずさはもどかしく思えてならなかったわけであります。あれが、もし和歌山県沿岸や沖合、紀伊水道で起こっていたらどうなったのかと考えざるを得なかったわけであります。タンカーの事故のみならず、和歌山北部はタンクが林立している地域であります。タンカーの衝突事故や地震によるタンクからの流出等を考え、備えはどうなっているのでしょうかとただしたいのが本質問の趣旨であります。
 それにつけ思い出されるのは、一九九四年十月、下津町戸坂沖で発生したタンカーの衝突による重油流出事故であります。ナホトカ号積載重油量一万九千キロリットルのうち六千二百キロリットル流出に比べれば、この事故は五百七十キロリットルの流出量で十分の一にも満たないとはいえ、タンカー重油流出事故対策上で幾つかの教訓を得たはずであります。また、この種の事故はいつ起こるかもしれません。そのことから、事故への備えはどうなのか。北部沿岸は都市に接近していることを考えればなおさらのことであります。
 例えば、事故発生から終結までの対応はどうなのか、指揮系統組織はどうなのか、初動がおくれて広範囲に及び、ひしゃくでくみ上げるという方法に頼らざるを得ないことにならないようにするにはどうするか。岸に流れ着く前に海上で回収するのが最上策だと、専門家は指摘しています。回収船は下津保安署に一隻配置していると言うけれども、大型回収船の常時配置を考えておくべきと思う。どうでしょうか。
 日本国内の大規模重油流出事故は、環境庁の資料によっても明らかにされているように、一九七一年十一月、新潟沖でジュリアナ号事故が発生しております。一九七四年十二月に三菱石油水島製油所、岡山・倉敷沖で大変なことになっております。また国際問題になるような流出事故は、平均して年ごとに発生していると言われます。中でも、大西洋上の事故が際立って多いわけであります。これらから、事故対策の手法は国際的にも国内的にも確立していたはずであります。ところがナホトカ号事故に何ら生かされていなかったのは、残念でならないのであります。また、備えは大型回収船初め皆無に等しい状態と見てよいのではないでしょうか。政府初め地方自治体の横断的に対応する組織のなさは目に余るものがありました。
 これを見て加藤周一氏は、国民と国家の関係は戦前に逆転したようであり、国民が主権者である今日の日本国であるにもかかわらず政府は国民の安全保障に敏感でなかったと言うほかはない、政府は真に国民の安全に目を向けていないとも言っているわけであります。
 安全保障は、単に外敵から国を守るというだけではありません。事故や自然災害の危険に備えて安全保障しなくてはならない確率はさらに高いわけであります。漂着する重油にひしゃくと素手で立ち向かわざるを得ない一方で、シーレーン防衛のためとして八〇年代から五兆円近い金をつぎ込んで軍事力増強に血道を上げる政府のあり方は、逆立ちしているのではないかと言わざるを得ません。これをまともな状態にすることこそ安全保障ではないかと言いたいわけであります。今日までの姿は、まことに残念なことであります。
 さきにも述べたように、一九七一年、二十六年前、新潟沖で座礁したジュリアナ号の重油流出に伴って、高波と強風に舞い上げられた原油は風下の市街地に降り注ぎ、引火、火災の恐怖にさらされた住民はパニック状態になったとも報じられておりました。その翌七二年、海上保安庁が事故報告書を出しています。そして、その序言に同庁長官は、第一に事故が発生した場合における油防除のための技術的手法及び資機材の開発、改良を促進すると述べておられるわけであります。約三十年前にそのような経験をして、このように長官が述べられているところから見ると、もう既にナホトカ号のあの事故に対しては、的確に初動において成果を上げ、横断的な組織で対応できるようになっていたはずだとさえ思えてならないわけであります。安全保障は、単に外敵から国を守るということだけではありません。こう考えてみると、和歌山県政はいささかもこのような態度であってはならないと考えるわけであります。
 前段で少し触れたことに加えて、戸坂沖事故対策は効果的に取り組まれたという評価もされていることから、次のことをお聞きしたいわけであります。
 初動から終結までの間に、対策の指揮系統組織はどのようにされたのか。
 二つ目には、資材の種類とそれの調達はどのようにされたのか。
 次に、流出した重油の量がさほどでなかったということから、大きな教訓をそこから導き出せなかったとはいえ、ナホトカ号の事故とのかかわり合いで大型回収船の必要がさらに求められているのではないか。一隻しかない大型回収船が名古屋港から日本海へ四日もかけて出たというようなお粗末な状態では、何が起こるかもわからない状況下で十分な備えだとは言えないのではないか。このようなことからも回収船の配置状況、特に大型回収船の設置は欠かせないところであります。これに対して、断固たる要求を政府に向かってすべきではないかと考えるわけであります。
 次に、事故発生防止こそ最大の対策と言われております。事故発生防止の海域警戒体制はどういうことなのかと考えてみれば、県政の及ぶところにないということがわかってまいりました。事故発生があった場合、海上保安庁の指示に基づいて県行政が対応するという仕組みになっているわけです。海洋、海域における事故発生を厳しく監視し警戒することは、国の行政機関にゆだねられているとするわけであります。いたし方のないこととはいえ、まさにそのようなところで手抜きをされたりサボられたりするというようなことになって、事故が発生してそのしわ寄せだけを我々がかぶらなくてはならないという、こういう国政上の問題も問われなくてはならないだろうと思います。事故発生防止の海域警戒体制は、人のすることだからと言って黙って見ているわけにはいかないので、足らないところは国に向かって厳しく要求するということがあってしかるべきだと思います。
 さらに、従来行われている防災防火訓練は承知しているけれども、海上での重油流出事故に備えての訓練は余りされていないのではないかと思います。思い違いをしているようであれば教えていただきたいと思うわけであります。
 和歌山県石油コンビナート等防災計画というのがあります。海上での重油流出事故は、特にタンカーの事故によるものですけれども、これに規定したものは余りないのであります。七十一ページ、第三節、「石油等流出想定」の第二で書かれている「初期拡大防止が必要」とされているところだけが私の質問に答えている部分であります。しかも、海上での流出事故に対する記載はその一点だけだとお見受けしているんですけれども、事ほどさように、海上での流出事故というのは国政とのかかわりで保安庁からの指示に基づいて動くというのが建前になっているようですので、このあたりの足らないところも漸次補いをつけていくような取り組みをしなくちゃならないのではないかと思います。とりもなおさず、予防が最大の防止策だと言われることから、特にそこに視点を当てて答弁を願いたいわけであります。
 二番目の問題に移りたいと思います。
 漆器試験場を初め地方の機関を見直そうとのことでありますが、仮谷知事就任時は、財政危機に見舞われ苦労されたことから、出先機関などの統廃合を進めたり組織改正をなさっています。それに次ぐ西口知事の取り組みと見ることができるのですが、社会の変化、それに伴う県民の暮らし向きの変化、それに対応する県行政のあり方を見直す必要はありましょう。時代の変化からくる行政改革の必要がありましょう。しかし、地域の事情等を十分に検討され、県政の公平化と地域の特殊事情等を十分考慮されなくてはなりません。
 わけても二年前、出先機関の所在について私は議会で質問をさせていただきました。そのとき、「地方機関のあり方については、県民へのサービスを考え、管轄区域や機構の見直しも含め、幅広く検討してまいりたい」と当局が答弁をなさっています。あの答弁以来、これの是正のためどのように具体化されるのか、ひそかに注目してきたところです。ところが、今回当局が取り組まれようとしている内容は何たることかと申し上げたいわけであります。県民へのサービスを考えるとした答弁内容と異なり、逆行した取り組みではないかと申し上げたいわけであります。これはいただけません。いかなる困難な事情があり理由があっても、直ちにとは言わないにしても、答弁内容とは逆行する方向を固定化するような進め方はどういうことかとお尋ねしたいわけであります。
 地元に出先機関がないのは、県下で海南、海草だけであります。この公平性、妥当性の欠如について、すべからく関係自治体の長を初め住民は問題だと指摘しているところであります。知事が議会の冒頭で、身近な問題は身近なところで処理されるよう組織体制を目指すと申していることをそのまま実行されたいわけであります。違いますか。この知事の県政にかける信条はどこでゆがめられたのでしょうか。疑わざるを得ない。その昔、和歌山市を海南、海草が取り巻いていたころは、その中心にある県庁に出先機関があっても不自然ではなく、皆が納得したところでした。町村合併が進められ現在に至って、事務所の存在は長年そのままで、しかも今日それが修正されず、改められずに固定化しようとするかのように見えるやり方は、県政サービスの公平化どころか県政の後退と言うほかはないのではないかと問いたいわけです。
 加えて、和歌山市は四月から中核都市へと進みます。まさに、行政権限が拡大され、ますます大きくなっていくわけであります。これに海南、海草を加えようというのか。分権どころか権力の集中に県が加担するとしか見えないわけであります。言い過ぎでしょうか。県政上、和歌山市が大きくなっていくことのかかわりで喜ばしいことばかりだと手放しではおれないのではないかと見ているのは、私一人ではなかろうと思います。海南が和歌山市に合併したらと申される話が飛び出すような話の種を残してほしくないのです。この機会にこそ、和歌山市をより大きくする方途をとるべきでないことを声高々に叫びたいわけであります。言及は避けるが、県政の将来に好ましからざることになるような話は進めてもらいたくない。
 福祉事務所と保健所の所管地域を一致させることはよいとしても、具体的には県事務所、土木事務所等の出先機関を地元へ移して県民サービスの公平化を図るべきです。移転場所は、海南、海草の地元にありますよ。
 また、地方機関を統合整備する職を設けるとしているけれども、海南・海草地域にあっては地元に移してからにしてください。県税事務所の効率化として、税務課を統合し所管区域を拡大するようでありますが、さきにも指摘したように、海南・海草住民を和歌山に吸収するということに通ずる方途は避けるべきです。
 和歌山県長期総合計画中間報告──これです。地域計画、圏域の設定に大いに意見のあるところです。海南、海草を和歌山圏域に含めて独自性を損なうかのような設定、このような行政改革の手法が生まれてくる根源はここにあるのではないかと疑われてもいたし方ないのではないでしょうか。(「怒っているのか」と呼ぶ者あり)──怒ってないのや。強調しているのや、強調を。この考え方が県政の基底に座っていて行政機構を見直されようとすることは、我々にとってはおもしろくないと言いたいわけであります。町村合併を進めようというような声もないではありません。財政、予算の効率化などということを唱えながら町村合併ということを高らかに叫ばれたりすることもあるけれども、その一面だけで物を見ては困る。大きくなるほど住民を寄せつけないという行政機構が成り立っていくことも、我々は痛いほど知ってきているわけであります。そのような傾向に流されるものにくみするわけにはまいらない。知事が申されたように、住民の声が県庁に届きやすいようにしてください。身近な問題は身近なところで処理される組織体制を構築してください。海南・海草地域にあっては、今回のあり方は住民の声が県庁に届きにくいものにするだけです。何ゆえ、このような状況を長年放置されてきたかということも問いたいわけであります。
 漆器試験場を工業技術センターに統合するにしても、漆器の町黒江のシンボルを取り除くようなものにはしてほしくなかったわけです。極端のそしりは免れないが、当局答弁、知事初登庁の折のあいさつ、今議会での知事の所信表明に照らして、将来に向けて踏み込んだ答弁を願いたいわけであります。
 次に、熊野体験博に事寄せてという、ちょっと心の問題にかかわるような話をさせてください。
 ことしに入って二月になろうとするあるとき、先輩議員から、「中山よ、道のこともいいけれども、鈴木邸のことをちょっと取り上げよ」と申されました。地元にいながら、余りかかわりのないような存在でおったことを恥じました。それで今、藤白王子、鈴木屋敷跡とは何なのかということを考えてみたわけであります。
 昔、藤白は、平安時代から鎌倉時代にかけてアリの熊野もうでと言われるほど熊野三山への信仰が盛んで、人の往来が激しかったと言われています。霊験あらたかとされたわけであります。これにより、歴史的にも重要な位置を占めたと言われております。このころの時代背景から熊野三山はどのような意味があったのかということはさておいて、この地から三山を遙拝し、それで済ませて都へ引き返した人々、ここにとどまる人々、さらに険しい山を越え、谷を渡って熊野へと歩を進める人々があり、藤白は単に通過点ではなく都との文化交流の場であったとも言われているわけであります。当時、京の都から淀川を下り、難波から道程を経て藤白へ。この藤白は五体王子と言われ、特に格式が高く、境内は東西二キロに及んだとも言われています。東約一キロメートルの地点に大鳥居跡があり、熊野への入り口とされ、ここから熊野の聖域とされたとしているわけです。この一の鳥居から熊野の聖域だと言われたんです。
 世界リゾート博、テレビドラマ「吉宗」の放映等、和歌山が全国的にアピールされたことは承知しております。今また、熊野体験博の開催に向け、知事を会長に準備委員会を発足されたようであります。そして、熊野についての再評価、積極的情報発信による和歌山の全国的知名度の向上を目指すとされています。これについて考えるとき、全国に二百万人を超える鈴木姓の方々、並びに熊野信仰を広めるために設けられた全国三千余の熊野神社があると言われていますが、これらを抜きに考えられないのではないか。
 藤白神社の境内の表示板に、「平安末期から室町のころ、熊野信仰最も華やかな時代には、皇族、公卿を初め二千余の人々が毎日ここ藤白王子から熊野三山に往還した」と掲示されております。その当時、あの一角に毎日二千人余の人々が往来をしたということを考えてみたら、想像を絶するものがあります。
 昔の時代華やかなりし状態を熊野体験博を通して今日に再現するとしたらどういうことになるのか。和歌山の知名度を全国的に向上させるために情報発信するとしても、今日、熊野は私たちにとって何なのかを明らかにしないで済まされないと思うわけであります。
 ちなみに、紀勢線那智駅の前に浜ノ宮という砂浜があります。この間、この質問をする資料を整えるために、ちょっとあちらの方へ行ってきました。おり立ってみました。海岸環境整備事業の名のもとに、あのあたりは一変しているんですね。我々が海岸を想像するときには、海があり、波打ち際があり、砂浜があり、その背景に松原がある、このような海岸の環境状況を想定するわけですけれども、自然な環境の姿を変えていくというのが環境整備事業かと思わざるを得ないような形に一変しているのに驚きました。ことしの予算を見ると、さらにそれを続けようという形で億に余るようなお金をつけておりますね。こういうような形で熊野体験博を通して人を呼ぶとするならば、熊野とは何ぞやということをもう一度尋ねてみなければならんのではないかとさえ思うような次第でした。これに対する見解を当局から求めようとは思いません。
 熊野三山への信仰は、古代人が祖霊の住む大自然、山や水、滝や巨石に抱く畏怖心からのもので、世の乱れから、人々の生命の安全、心の安らぎを求めたところからのものであったのではないかと思います。熊野を問いたい。熊野とは、アリの熊野もうでとは何だったのかという、その意味合いを今日的に尋ねるとするならば、そのようなことに気がつくわけです。
 世紀末の今日において、改めて熊野は私たちにとって何なのかを整理してとらえ、世の人々の心に響くものとして位置づけてこそ発信し得る情報となるのではないか。また熊野体験博は、単に熊野にだけ視点を当てるのではなく、藤白王子、鈴木邸はもちろん、藤白の一の鳥居をもって熊野聖域の入り口とされたという歴史事実に基づいて取り組まれたいのが私の心持ちであります。
 熊楠賞選考委員長であった上田正昭教授は、第一回熊野学シンポジウム基調講演で、「中心は本宮、新宮、那智、いわゆる熊野三山ですが、三山ナショナリズムだけでは広がりません。広く構想の中で位置づけてほしい」と述べています。加えて、県文化財に指定をされている藤白王子、鈴木屋敷跡の整備が求められてなりません。主体的には、海南市及び関係者等によって進められることでしょうが、鈴木屋敷跡に鈴木氏関係の資料館もしくは顕彰のやかたぐらいは設けて体験博を迎える、こういうふうなことにしていただきたいわけであります。
 地元が取り組みを進め、関係者が協力をするとなれば県はどのように対応なさるのか、強力な支援を求めながらお尋ねしたいわけであります。
 この項については、まだ申し上げたいことがたくさんありますが、時間の関係でここで打ち切ります。四十分という時間は、本当に論戦をすることを保障しているとは私には思えないわけであります。今までの間で、あれこれと先輩議員たちの論戦を聞いておって、もっと時間を与えてほしいなとさえ思う節々もたくさんあったことからも思うわけであります。
 次に、道路問題について。中山ならではという課題や。
 高度化資金の導入により、店舗の集団化、工場の集団化を図ろうと、和歌山県漆器商業団地、和歌山県漆器工業団地が造成され、協同組合が組織され、今日に至り、はや二十年が経過しました。経済の変動があり、社会情勢の変化があり、必ずしも順調に発展してきたとは言えない状態であります。二十年を経て今にしてみるとき、単に社会や経済の移り変わりのみに原因して今日の閉塞したかのような状況が続いているとばかりには見られないわけであります。この団地を地域産業の集積地として形成し運営していく産業政策を持たぬまま来たことに、閉塞状況を起こした大きな原因があるのではないかと思うわけであります。トラックの出入りさえ事欠くような道路事情では、それが発展を阻害した大きな原因とだれもが認めるところです。機会あるごとに県道岩出海南線ほか道路問題を取り上げて整備方を求めてきたのも、理由はここにあったわけであります。「中山よ、道路だけではなくて」と言われても、この中山が道路問題を続けて取り上げてきた理由がここにあるとしてご理解いただきたいわけであります。
 海南市の市街地と船尾山、城山などで閉ざされていて孤立しているかに見える岡田の団地は、海南市の町づくり、構想にもかかわることですが、市街地と一体化した形をつくり、和歌山市と連携して活性化を考えるべきところです。大型トラックや観光バスが容易に往来できるアクセスを構想し、完成させることが何よりも大切です。よそから来た訪問者が和歌浦に泊まって、漆器団地を見学したいとバスを依頼したところ、バスの乗り入れができないということで見学を断念されたというような話は幾らもあるわけであります。
 和歌山海南都市計画街路岡田大野中線が決定されましたが、これは既に和歌山市で決定されている松島本渡線につないで設定された計画街路であります。和歌山市中部、海南市中部の南北線として極めて重要視されている路線であります。これを直ちに具体化してほしいというのが一つです。
 岡田大野中線の着工などを考えながら漆器試験場の見直しをされるのならまだ理解できるんですがということをつけ加えて、これの具体化を求めるわけであります。かつて、木材工業部がとられたように、やがて漆器試験場も消滅・廃止されることになりかねないような移転の仕方も問題があるのではないかとさえ思うわけです。
 岡田漆器団地に地場産業の集積をさせることにして、アクセス整備の充実の上から支援されたいわけであります。また、この地域と海南都市部を結ぶ幹線道がありません。JRの紀勢線日方トンネルの側道に沿わせてトンネルを抜いて岡田地域に道をつけたらどうかということを熱心に考えている市民の関係者も幾らもあるわけであります。直ちにとは言わないけれども、将来に向けてこの考えを強くご支援いただくことをお願い申し上げて、再質問の時間を残して終わります。
 ご清聴ありがとうございました。
○議長(町田 亘君) ただいまの中山豊君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 総務部長中山次郎君。
 〔中山次郎君、登壇〕
○総務部長(中山次郎君) 日本海重油流出事故にかかわっての四点と行政組織の改正に関する一点についてお答え申し上げます。
 まず、応急対策の指揮系統組織でございます。
 海洋で船舶の事故等があった場合は、海上保安庁の指示によりまして、海上災害防止センターが中心となり、応急措置を講じることとなってございます。しかし、沿岸海域に油などが漂着するなど重大な影響を及ぼすおそれがある場合には、県地域防災計画に定めるところによりまして県災害対策本部を設置するとともに、海上保安部が中心となり、防災関係機関による事故連絡調整室を設置して機関相互の連絡調整を図り、効率的、円滑な応急対策を講じることといたしてございます。
 また事故防止対策につきましては、海上保安部において毎年海難防止運動を実施するほか、巡視艇職員による一般船舶への訪船指導が行われているところでございます。今後なお一層、事故発生防止にご尽力いただきますよう申し入れをしてまいりたいと考えてございます。
 次に油流出等防災資機材の保有状況につきましては、県所有分といたしましてオイルフェンス約一万七千メートル、油吸着マット約一万九千枚、油処理剤約二キロリットルを保有してございまして、全国でも有数の保有でございます。
 また、運輸省港湾局、海上保安庁及び海上災害防止センターなどでは、県有資機材と同様の資機材のほか、油回収船を和歌山県沿岸に四隻、そのほかに大阪湾海域においても配備されているところでございます。また、大災害等により県内で資機材が不足する場合には、相互応援協定により、近畿府県はもとより全国各府県から調達できる体制となってございます。
 次に、大型回収船の国への要望でございます。
 油回収船の配置につきましては、今お答え申し上げましたとおり、和歌山県及び周辺沿岸に第五管区海上保安部、海上災害防止センター及び運輸省第三港湾建設局において配備されております。しかし、これらはいずれも小型の油回収船であり、大型油回収船といたしましては、今回、日本海重油流出事故に出動した運輸省第五港湾建設局の清龍丸が名古屋港に一隻配備されているだけでございます。紀伊水道及び大阪湾海域で今回のような大規模な油流出事故が発生した場合を考えると大型油回収船が必要と考えられることから、近隣府県とも調整を図りながら国へ要望してまいりたいと考えてございます。
 次に、海上での訓練状況でございます。
 油流出を想定した防災訓練につきましては、第五管区海上保安部が中心となってございますが、国、府県、市町、その他民間団体等で構成する大阪湾流出油災害対策協議会が昭和五十年以来、毎年一回実施しているところでございます。とりわけ、昨年十一月二十九日に行った近畿府県合同防災訓練の際にも、和歌山下津港内でタンカーの衝突事故が発生し、負傷者並びに油が流出したという想定で訓練を実施したところでございます。このほか、本県のコンビナート地域においても、昭和四十二年以降、和歌山県石油コンビナート等総合防災訓練を毎年十一月に実施しているところでございます。今後も、訓練を通じて県民のご理解をいただくよう啓発活動を行うとともに、防災体制の確立に努めてまいりたいと考えてございます。
 次に、行政組織の改正についてでございます。
 県においては、平成七年十一月に策定した行政改革大綱に基づき、県民サービスの向上と簡素で効率的な行政体制づくりの両面から、地方機関のあり方について検討を行ってまいりました。
 この結果、本年の四月からは、議員のご質問にありました組織機構の改革を行いたいと考えてございます。本庁と地方機関の業務分担の見直し、決裁権限の移譲による事務処理の迅速化などを通じて地方機関の機能充実に努めてまいるとともに、今後とも所管区域や機構あるいは県民サービスのあり方について検討を重ねてまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(町田 亘君) 企画部長藤谷茂樹君。
 〔藤谷茂樹君、登壇〕
○企画部長(藤谷茂樹君) 中山議員にお答え申し上げます。
 南紀熊野体験博(仮称)についてでございますが、このイベントは、全国に誇るべき熊野の歴史や文化を活用して和歌山県全体を国内外に広くアピールすることを基本理念とするもので、熊野をテーマとするさまざまなイベントの開催を企画してございます。
 議員ご指摘の藤白王子の周辺地域は熊野もうでにおける重要拠点であり、また有間皇子終えんの地として広く知られているところから、この博覧会においても、こうした史実を生かした拠点の環境整備やテーマイベントの一つである十万人の熊野もうでなどに関連したイベントの実施等について、地元市町村等との協議のもとに、関係部局とも連携を密にしながら検討してまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(町田 亘君) 土木部長長沢小太郎君。
 〔長沢小太郎君、登壇〕
○土木部長(長沢小太郎君) 道路問題についてお答えします。
 まず岡田大野中線についてでございますが、この路線は、ご質問の漆器団地のある岡田を通過しており、和歌山市域の松島本渡線とともに和歌山市と海南市を結ぶ重要な道路でございます。
 海南市域で事業中の海南駅連続立体交差事業や築地阪井線、和歌山市域で事業中の湊神前線や南港山東線などの東西幹線道路の進捗状況を踏まえて、今後、和歌山市、海南市とも連携をとりながら事業主体や望ましい整備のあり方について取り組んでまいりたいと考えております。
 また、ご提言の海南駅連続立体交差事業の日方地区の側道から岡田地区への道路については、基本的には海南市で検討すべき課題であると考えておりますが、今後、海南市の意向を踏まえて研究してまいりたいと考えております。
 以上でございます。
○議長(町田 亘君) 教育長西川時千代君。
 〔西川時千代君、登壇〕
○教育長(西川時千代君) 藤白王子、鈴木屋敷跡の整備についてお答えいたします。
 いにしえより、日本人の心のふるさと、あるいは心のよりどころとも言われる熊野への参詣道は、九十九王子で知られ、古代から中世、近世を経て連綿と受け継がれ、現在に至っております。
 昨年十一月には、文化庁の歴史の道百選にも選ばれたところでございます。貴重な文化遺産である熊野古道の整備につきましては、昭和五十三年度から中辺路ルートを中心に、延べ五十八キロの区間について整備を完了してございますが、田辺市以北が未整備となってございます。
 議員ご質問の藤白王子は、熊野古道の五体王子の一つとして歴史的にも重要な位置を占めております。県教育委員会では、現在、熊野古道全域の保存と活用のためのマスタープランの策定作業を進めております。このプランに沿った具体的な整備計画が海南市を初め関係市町村から提出されれば、十分協議してまいりたいと存じます。
 以上でございます。
○議長(町田 亘君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 33番中山 豊君。
○中山 豊君 県へお願いすると、地元からのという話がよくあるので、地元へ帰って、それなりに県の方へ申し上げてくれということを言わなくちゃならない課題が新たに降り注がれてきたような、自分の吐いたつばが自分のところへ返ってくるような感じもないではありませんけれども、今後、懸命に地元の皆さんに働きかけて県のお力をかりるように頑張りたいと思います。その節にはよろしくお願い申し上げて、二つだけ意見を述べて終わりたいと思います。
 一つは、防災の問題にかかわっての話です。
 県も一生懸命やられていると言いながらも、手の届かないところで強化、整備していただかなくちゃならない課題があります。例えば、大型回収船やオイルフェンスの問題です。ナホトカ号のときに日本海へ和歌山県から運んだという話は聞いておるわけなんですが、もう既にアメリカでは、日本海の十メートル以上の高波にさえ耐えられ、しかも効果を発揮できるオイルフェンスなどが開発されて使われているという話もあります。フランスでは、大型回収船などはもう既に建造して現場で大いに活躍しているという話であります。それも、何隻も建造されたという話でもあります。それに比べてみたら、先ほども登壇して申し上げましたように、新潟沖のジュリアナ号の事故からでももう三十年近くになりますから、何かそういうことに対する施策があってしかるべきだと思います。また、事あるごとにということもさることながら、知事会議等の機会を通じてだけではなくて、積極的に問題提起をし、それへの行政施策を国にとらせるということを強くお願い申し上げたいと思います。
 二つ目には、機構改革の問題です。
 総務部長から答弁いただきましたが、それで私が納得して引き下がるわけではありません。まだ論戦をしたいところですけれども、申し合わせの時間が来たので引き下がるだけの話なんです。引き続き要求し、論戦を挑みたい。問題解決へお互いに努力し合いたいということを申し上げて、終わります。
 ありがとうございました。
○議長(町田 亘君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で中山豊君の質問が終了いたしました。
 これで、午前中の質疑及び一般質問を終わります。
○議長(町田 亘君) この際、暫時休憩いたします。
 午前十一時三十分休憩
 ─────────────────────
 午後一時三分再開
○副議長(下川俊樹君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。
○副議長(下川俊樹君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 4番吉井和視君。
 〔吉井和視君、登壇〕(拍手)
○吉井和視君 それでは、有田の活性化関係について質問をさせていただきます。
 昨年十二月、国幹審におきまして近畿自動車道海南湯浅道路の四車線化が整備計画に格上げされ、二年後ぐらいに国の施行命令が出る見通しであります。これは大変喜ばしいことで、関西国際空港の開港による紀中地域の活性化を本格的なものにするステップ・ジャンプにつながりそうであります。
 先日、吉備町において有田川流域活性化シンポジウムが開催されました。山下副知事の地域づくりの講演もあり、大変有意義なものでありました。有田川流域一市五町がお互いのプロジェクトを連携させ、地域の発展ポテンシャルを生かしながら有田川流域ゾーンの活性化を創造すべく、有田川流域活性化計画策定委員会が西口県政の有田対策としてスタートいたしました。有田の活性化はもとより、地方分権をにらんだ有田地方の二十一世紀のあるべき姿を模索する上でも大変有意義な、なおかつ広域自治体に向けた歴史的な意味を持つ有田対策であると評価したいと思います。
 その連携プロジェクトを推進するための基盤整備とも言うべき道路整備についてでありますが、県内陸部を縦貫する国道四百二十四号から高速への連結線は県道吉備金屋線であります。有田地方において、国道四十二号、国道四百八十号、国道四百二十四号、高速道路と、それぞれをつなぐ大変重要な道路であります。下川副議長も、たびたびこの道を自分で運転され、新宮から県庁に来られるそうであります。吉備町付近の停滞が大変気になるようでありまして、委員会の発言において、この吉備バイパスの早期完成を県政の最重要課題として取り組んでいただきたいという要望をされておりました。まさに、これは有田地方だけの道ではなく、県の最重要課題にしていただくべき重要な道路であります。
 現在、この吉備バイパスは三工区、一千百五十三メートルが平成元年より着工され、平成八年にようやく開通いたしました。今までの工事のスピードでは、高速道路と連結させるには二十年程度かかるのではないかと考えられます。二十年もかかるようであれば、さきに申し上げました有田川流域の活性化計画というものも、その程度のものになってしまうわけであります。県内の内陸道路のグレードアップと有田川流域活性化推進のためにはどうしてもこの県道バイパスの早期完成が必要であると考えますが、知事のご見解をお伺いいたします。
 また、事業費が高速までの連結を含め、あと百億円程度必要とされております。その一割が町負担ということになりますと、早期完成が町の財政を圧迫することは必定であります。県政の最重要課題という認識のもとに町負担のない事業としての位置づけをお願いしたいと考えますが、県の今後の方針をお聞かせください。
 続きまして、教育関係の質問に移らせていただきます。
 その前に一言、御礼と要望をさせていただきたい。というのは、長年親しんでまいりました県立吉備高校が、今春から校名も新しく「有田中央高校」という名前でスタートすることになりました。新しい名前、また新しい制服、そして新しい総合学科──総合学科というのは、和歌山県が全国に先駆けて開設した学科でありまして、全国でも先進県というところであります。そういう意味で、有田ミカン、有田という名前を浸透させるために、有田中央高校というのは、本当に平凡な名前でありますけれども、大きな夢を含んだ名前であると私どもも喜んでおります。
 ところで要望でありますが、吉備高校という名前が有田中央高校になって、そして新しい制服、新しい学科、新しい校名で、三つの新しいそういうスタートの中で、地域住民、そしてまた広く県民の期待にこたえられるような学校にしていっていただきたいということを要望させていただきます。
 続きまして、教科書問題について今から質問をさせていただきます。
 昨年十月三日、横浜市で、「きょうの出来事」でおなじみのジャーナリスト・櫻井よし子さんが講演の中で、「平成九年度から中学校の社会科教科書の中で慰安婦の連行について一斉に記述されているが、軍による強制連行を裏づける資料はなかったと思われる。また、敗戦後、日本は東京裁判で裁かれ、日本人は自分たちすべてが間違っていたといういわゆる東京裁判史観を植えつけられてしまった。だからこそ、従軍慰安婦の問題も強制連行かどうか断定できないにもかかわらず謝ってしまう。日本人は、もう少し自分たちの歴史について事実関係を中心に見る努力をしなければいけない」、以上のような要旨で、横浜市内の小学校、中学校の教職員二百人程度の人を対象に講演を行ったところ、各方面の組織から謝罪を要求されたり、予定していた商工会あるいはまた教育関係等の講演が中止されたということが起こっているようであります。殊に、人権団体である組織が「歴史の歪曲である」、「重大な差別発言」などとして大変反発し、一人のジャーナリストの発言を抑圧するということが起こっております。
 このような動きに対して当の櫻井よし子さんは、「非常に残念の一言」とした上で、「人権団体の方々が正しいと思って従軍慰安婦問題について言っている気持ちはわかります。しかしそれは、それぞれが正しいと思えることを主張できる場をお互いに確保しておいた方が社会は健全なのではないでしょうか」と主張いたしております。人権を振りかざして人権を抑圧することはあってはならないという意見は、私も正しいものであると思います。フランスの啓蒙思想家ボルテールの言葉に、「私はおまえの言う意見には反対だ。だが、おまえがそれを言う権利を私は命をかけて守る」という言葉があります。これこそ、成熟した民主主義の姿であると思います。
 さて、この従軍慰安婦の問題でありますが、ことしの中学校社会科教科書に、強制連行あるいは政府、軍が関与して外国人慰安婦を戦地に随行させたという記述が、教科書会社七社すべての教科書に初めて登場するわけであります。
 平成九年度から県内でも使用する教科書が決定されております。例えばその中で、海草・那賀・日高地方の中学校が使用する日本書籍の教科書の記述は、次のようになっております。「朝鮮、台湾にも徴兵制を敷き、多くの朝鮮人、中国人が軍隊に入れられた。また、女性を慰安婦として従軍させ、ひどい扱いをした」という記述であります。また、伊都・有田・東牟婁地方が使用する大阪書籍の内容は、次のようになっております。「朝鮮からは約七十万人、中国からも四万人を強制的に日本へ連行して、鉱山などで働かせました。また、朝鮮などの若い女性たちを慰安婦として戦場に連行しています」、こういう記述であります。また、一番多い和歌山市が使用する東京書籍は、「国内の労働力不足を補うため、多数の朝鮮人や中国人が強制的に日本に連れてこられ、工場などで過酷な労働に従事させられた。従軍慰安婦として強制的に戦場に送り出された若い女性も多数いた」となっております。
 このように、教科書会社が一斉にこの従軍慰安婦強制連行ということを教科書に取り上げたことについて、各方面から議論が起こっておるのであります。櫻井よし子さんの件についても、この問題の是非についての一部であります。
 また、東京大学の藤岡信勝氏や漫画家の西林のりお氏等のさまざまな分野の人たちが、「従軍慰安婦」という言葉はもともとなく、ある作家が使い始めた不適切な言葉であるという事実や、政府や軍による強制連行を裏づける資料がないことを調査・発表いたしております。また、事実かどうか判明していない事象を殊さら教科書に載せ、自分の国に誇りをなくさせたり自虐的にさせたりするような事柄を中学生徒に教えることは間違った教育で、悪意に満ちた教育であると主張し、教科書の正しい記述を求める運動を展開しているようであります。
 また一方、地方議会、岡山県議会でも教科書から従軍慰安婦の記述を削除する意見書を提出するようある団体から陳情され、県議会におきましてこの陳情を賛成多数で採択いたしております。その陳情理由は、正しい教科書をつくる運動を続けておる藤岡氏らと同じような内容で、次のようになっております。一、当時、従軍慰安婦という存在はなく、その言葉もなかった。明らかな通俗用語であり、歴史教科書には不適当である。ほとんどの教科書が従軍慰安婦は強制連行された印象を与えているが、現在、強制連行の事実は何一つ判明していない。二、中学生という性教育の中途な時期に従軍慰安婦について社会科の授業で教えることは、教育的配慮を欠くばかりか、その影響ははかり知れないものがある。内地でも公認で営業されていたことや外国の軍隊にも同様の施設があったことを書かないで、戦前の日本の軍隊のことだけを取り上げ、今日の価値判断で糾弾することほど理不尽なことはない。三、外国の人々に比べ、日本人だけが好色、淫乱、愚劣な民族であったかのような印象を中学生の脳裏に刻み込まれる。以上のような理由で陳情がなされました。
 私はこの間、テレビの番組でこの従軍慰安婦問題について、「朝まで生テレビ」というのがありまして、長時間の番組であったわけですが、それを一晩じゅう見させてもらいました。この中で、中学校の教科書に載せるのが適当であるかどうかの議論が興奮の中でなされておりました。賛否両論、双方納得することなく終了したのでありますが、慰安婦の強制連行があり、日本人が謝罪を今もってし、そのことを歴史教育の中ではっきりしていかなきゃならないといった意見等、さまざまな意見がありました。
 事実として、慰安婦の存在があったのは確実であると思います。これは日本の軍隊だけではなく、およそ戦争で戦地に赴いた軍隊にはほとんど存在していたようであります。
 それでは、なぜ日本の歴史教科書だけがこの従軍慰安婦の記述を載せるのかという疑問があります。それは、元慰安婦の証言による補償問題──これは、「朝鮮に侵略」という教科書の記述内容を「進出」という言葉に変えられたという新聞社の誤報事件がありまして、そのことから政府の対応により教科書検定の規則が変更されました。すなわち、近隣諸国条項という追加により、教科書会社全社が一斉にこの従軍慰安婦連行ということを記述し、検定を通過したようであります。
 この近隣諸国条項は、政府の謝罪談話から来ているようであります。その文言は、「近隣のアジア諸国との間に、近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること」という簡単なものでありますが、事実確認はともかく、朝鮮、中国に対して謝罪することが基本になったものであるということは間違いありません。
 ちょうど、私にも中学生の娘がおります。この教科書で学び、日本軍がアジア諸国に侵略し、慰安婦まで強制連行したという歴史を学ぶのであります。どのように理解するのかが心配であります。そして一番考えたいことは、テレビの討論の中にもなかったことでありますが、慰安婦の相手はだれであったかということであります。そのことを考え、慰安婦問題を取り上げたものであります。
 新聞の中に載っていた佐藤欣子という弁護士の表現をかりますと、慰安婦の相手は「それは若くして明日なき戦場に赴く兵士たちであり、空に散った特攻隊員ではないか。誰が春を買った兵士を責められるのか。春を売った売春婦のみが哀れなわけではない。それはあまりにも悲しい睦みであったのであろう」とあります。
 私が気になりますのは、国のために死んでいった人々の暗い悲しい部分をどうして歴史教科書に登場させなければいけないのか。国難に殉じた精神は、私たちの誇りではないかと思うのであります。いつまでも謝罪と自虐だけを繰り返し、本当に心の底から近隣諸国が喜んでくれるのかどうか。政治的な外交のためや日本の近代史を頭から否定する勢力のために利用されるのは、愚かなことであると思います。
 新聞の「談話室」という欄に「公娼制度学ぶ教育現場憂う」という投書がありました。次のような意見であります。多くのことを語っております。
 「慰安婦という言葉が来年度から教科書に記載される。若い先生が果たしてその昔の公娼制度を正確に生徒たちに伝えられるか、心配でなりません。 私は二歳と少しで両親を亡くし、十五歳、十三歳、十一歳の姉と六歳の兄と私が残されました。現在、六十歳を超える人たちなら、三人の姉たちの行く末を推測できることでしょう。 姉たちは当時でいう女郎(慰安婦)となり、両親の療養費を返済し、幼い弟たちを守ったのです。昭和十年代は当然のことながら社会保障の制度など無きに等しく、これ以外に私たち兄弟が生きる術はなかったと聞いております。 ある日突然に見知らぬ人がきて、叔父夫婦がお金を受け取り、ふろしき包み一つを持った姉たちは、その見知らぬ人に連れていかれました。着いたところは遊廓(ゆうかく)です。姉たちは一円のお金も受け取らず、自分がいくらで売られたかも知りません。ただ、自分が売られた事実はわかっていました。 当時、この世界に身を置けば、借金返済のために体を売り、死ぬまで働くのが普通です。この境遇から抜け出すのはほとんど無理でした。『売られた』と分かっていても、望んでいくものなどいません。『無理やり連れていかれた』と思うのが大方でしょう。 残された家族もつらかったのです。私は小中学校時代は、『女郎の弟』といじめられ続けました。中学校を卒業して、就職の面接を受けると、両親を早くに亡くし、姉が三人いると答えただけで、相手の態度は一変しました。 売春が合法であった時代、体を売り家族を支えた多くの人たちがいたのです。親の庇護(ひご)のもとで大学に通い、昔の売春制度の実態を知るよしもない若い先生たち。従軍慰安婦、強制連行という言葉だけを知り、人道主義を振りかざして、この問題を歴史として子供たちに教えることが果たして正しいことなのか。不安に思うのはわたしだけでしょうか」とありました。実に多くのことを語っているように思います。
 そこで、教育長に質問いたします。
 まず教育長の歴史認識でありますが、この慰安婦の強制連行というのは歴史的事実でないという意見があり、まだ決着がついていないと考えますが、どのように思われるのか。
 二、中学生徒に対してどのような教育的効果があるのか、どのような影響があると考えているのか、また子供の理解度はどうか。
 三、現場の教員に対して教育方針としてどのように指示するのか、指導要領はあるのか、どのように教えるのか。
 以上、三点をお伺いいたします。
 ご清聴ありがとうございました。
○副議長(下川俊樹君) ただいまの吉井和視君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事西口 勇君。
 〔西口 勇君、登壇〕
○知事(西口 勇君) 吉井議員にお答えをいたします。
 吉備バイパスについてでありますが、吉備バイパスは有田川流域圏の活性化等にとって欠かせない重要な道路であると認識をしてございます。一部は既に供用されておるわけでありますけれども、残る未整備の区間につきましては、海南湯浅道路の四車線化の供用に合わせて完成ができるように努力をしたいと思います。
 なお、町負担金の軽減についてでありますけれども、それにつながる国庫補助事業の採択等について国に強く要望してまいりたいと思っております。
 以上であります。
○副議長(下川俊樹君) 教育長西川時千代君。
 〔西川時千代君、登壇〕
○教育長(西川時千代君) 教科書問題、三点についてお答えいたします。
 従軍慰安婦の記述に対する歴史認識についてでございますが、このことに関する教科書の記述についてさまざまな意見があることは十分承知してございます。しかし、これらの教科書は、文部大臣が諮問した教科用図書検定調査審議会の審議を経てつくられたものであり、このことについての歴史認識を教育長としての立場で申し述べることは差し控えるべきであると考えますので、ご理解願います。
 社会科の授業では、国際社会に生きる民主的、平和的な国家、社会の形成者としての公民的資質を培うために、我が国と近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象を理解することが求められてございます。
 子供の理解度について、文部省の見解では、新聞等で頻繁に取り上げられており、また中学生の心身の発達状況や学校での性に関する学習等における指導などを総合的に勘案すれば、中学生が理解することは可能であるとしております。したがいまして、各学校においては、生徒の実態等を十分に考慮し、歴史的事象にはさまざまな見方があることも含め、学習指導要領の趣旨に基づき、適切に理解されるよう指導してまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○副議長(下川俊樹君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 4番吉井和視君。
○吉井和視君 吉備バイパスについては、早期実現についてよろしくお願いいたします。
 それから、教育長から答弁をいただきましたが、文部省の教科書検定を通っておるんだから仕方がないという感じに受け取られるわけであります。
 この教科書検定というのは、本来であれば政治状況に左右されずに審議会で審議されるのが当然であると思います。にもかかわらず、今回の強制連行あるいは従軍慰安婦の問題につきましては謝罪談話──そういう謝罪外交といいますか、まあ土下座外交、そういったものから来たように思います。それで、検定の中で、野球で例えるならば暴投でもストライクというような状況の中で通ったようなものであります。
 ですから、教育長がおっしゃったように、さまざまな意見があるということを踏まえて現場で教えるということですけれども、それについて県の教育委員会から、これについてはさまざまな意見があるからというようなことを現場の先生に十分趣旨徹底できるような──文書で通達していただきたい。そのことを要望いたしまして、この質問は終わらせていただきます。
 以上です。
○副議長(下川俊樹君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で吉井和視君の質問が終了いたしました。
 これで、本日の質疑及び一般質問を終わります。
 明日も定刻より会議を開き、質疑及び一般質問を続行いたします。
○副議長(下川俊樹君) 本日は、これをもって散会いたします。
 午後一時二十九分散会

このページの先頭へ