平成8年2月 和歌山県議会定例会会議録 第7号(西本長弘議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

平成八年三月十九日(火曜日)

 午後一時四分再開
○議長(橋本 進君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。
○議長(橋本 進君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 15番西本長弘君。
 〔西本長弘君、登壇〕(拍手)
○西本長弘君 まず、新知事の目指す本県の新しい全体像について質問いたします。
 「政を為すはその人にあり」──西口知事は、「真」の政治信念とその手腕が多くの県民から強く支持され、見事栄冠をかち取られ、本県の新しい知事となられたのであります。私はここで改めて心からおめでとうを申し上げ、我々の期待する斬新で思い切った県政を全力投球で推進され、全国に存在感のある、もっと誇れる和歌山県を創造されるよう、まず切望するものであります。
 さて、新世紀を見据えて本県は、高速交通体系の整備を初め、経済浮上、福祉の向上、過疎対策、高齢者対策、さらに若者定住等々、課題を多く抱えておりますが、この解決・実現は何と申しましても新知事の情熱、先見力、創造力、そしてリーダーシップにかかっておりますし、また四千二百余人の県職員の意欲いっぱいの努力、さらに百八万県民の深い理解と協力がなければなりません。すなわち、新知事を先頭にして全県民挙げて「さらに住みよい和歌山県」をつくっていかなければならないと思うのであります。
 まず、新知事にお伺いをいたしたい。
 この定例会は、新知事にとりましては申すまでもなく知事就任後初めての当初予算の議会であります。そこで新知事は、知事のいすに座られ、五千五百四十三億円を超す予算編成に当たって最も決意されたのは何か、また、選挙の際のスローガン「輝けわかやま・変革の県政」とは、どのように和歌山を変え、またどのような新しい和歌山をつくるのか、知事の目指す新しい全体像を我々県民にわかりやすくお示しいただきたい。
 次に、親切日本一・和歌山県の構築についてであります。
 我が国は戦後五十一年目、経済の時計が休みなく刻んでいますが、日本の政治の時計がとまったまま大変な時期を迎えています。昨年九月の新聞によりますと、世界銀行の新たな三つの尺度による我が国の富は、オーストラリア、カナダ、ルクセンブルク、スイスに次ぐ第五位となっております。しかし我が国は、公債残高つまり七年度末の累積赤字二百二十二兆円を超す極めて悪い財政状態でありながら、新年度案における政府の途上国援助(ODA)は実に一兆一千四百五十二億円、国民一人当たり九千百二十円であります。そして、本年も世界一の援助額であります。
 また、これとは別に、途上地域の人々に贈る郵政省のボランティア貯金は、国民の深い理解と協力に支えられ、平成七年七月現在、一千八百万人の人々から善意の寄附が民間海外援助団体を通じて世界六十一カ国のほかさまざまな地域に、食糧、医療衛生、教育、技術指導、農村開発など三百五事業に二十八億円が役立てられています。このほか民間におけるさまざまな援助は陰に陽に行われていますが、この国及び国民の心のこもった対外援助は孟子の説く仁、すなわち日本国民の愛の心、思いやりだと、私は深く敬意を表している次第であります。
 私は、昭和五十九年でありましたが、半島振興法制定運動のさなか、当時衆議院議員でありました浜田幸一先生が私に語った次の言葉が忘れられないのであります。「西本さん、我が国が開発途上国に対し、最近欧米に負けぬ援助を行い、それらの国々から非常に感謝され、信頼されています。さらに我が国が世界の人々からの信頼の度が増すことによって、戦争をしかけられることもない上に、より豊かな国づくりが続けられ、世界平和に貢献できるんです」との趣旨を力説されたのをきのうのように記憶しているのであります。
 つまり、私に言わしむれば、我が国が金もうけばかりに走っていると世界の人々からよく思われず、世界の孤児となることは明白であり、しかも資源の少ない我が国の開発途上国援助は結果的に自国の安定した繁栄と平和の維持となり、将来にわたって極めて大切なことであるということであろうと思います。そこで私は、平和で豊かな我が国の開発途上国を助け支援する行為は、国際社会での当然のマナー、親切であろうと思うのであります。
 また、昨年の阪神大震災における多くの若者を中心にしたあのボランティア活動は、被災地の方々だけでなく全国民が感銘を受けました。さらに先月二日、日本海側が大雪に見舞われ、福井県敦賀市の国道八号線では渋滞が何と四十四キロにも及んだそうでありますが、敦賀市当局ではいち早く職員の皆さん五十人が立ち往生したドライバーたちにパン三千三百個、ジュース一千六百個ほか、あったかいおにぎりなどを配り続けたと、敦賀市民の善意、親切をテレビ、新聞が一斉に報じております。この敦賀市民の予期せぬ親切をドライバーたちは生涯忘れられないことでしょうし、「親切・敦賀市」が心に焼きついていると思うのであります。
 さらに続けさせていただきますと、去る二月八日の日経新聞夕刊の「あすへの話題」という欄に、日立造船の藤井義弘会長さんが寄稿されています。これも福井県の話ですが、「某日、福井県の芦原温泉で一夜を過ごした。駅から車で十分ほど走った瀟洒(しょうしゃ)な旅館に泊まる。宿のどの部屋にも、鍵(かぎ)が付けられていなかった。いまどき珍しい。 そればかりではない。風呂や食事など諸々のサービスに心憎いばかりの礼節と親切が行き届いている。いかにも日本的な風情である。そのベースに幸せな県民風土がうかがえる。 同地の事情を尋ねてみた。共働きが六五%、県民一世帯当たりの貯蓄額は千三百十四万円で、共に国内トップの実績をつくり上げている。県単位の進学率は全国ランク三位だという。勤勉さと治安のよさが両立している感じである。──中略──ともあれ越前の旅館に、ひと時、心温まった。今度は仕事抜きで、もう一度この『鍵のない旅館』を訪ねてみたい、と思っている」。以上、原文のままであります。私は、この日立造船会長さんの心を打った福井県の旅館の方々の行き届いた礼儀、親切、サービスぶりが目に浮かんでくるのであります。
 その反面、極めて残念なことでありますが、二月十六日の同じ日経新聞夕刊の「鐘」という欄に、「『人にほほ笑みかけても、ほほ笑みが返ってこないことにも慣れ、ふり返ってもらいたい時に無視されることにも慣れてしまう』(シャルレス・テツオ・チグサ編 『期待はずれのニッポン」)。読んでみます。
 「私はブラジルのファンである。(中略)だから先日友人の日系ブラジル人が『日本は人間の住むところではない』と故国へ帰ってしまった時はがっかりした。 日本には二十万人近い日系人が出稼ぎにきている。ポルトガル語新聞に掲載された投書が本になったが、それを読んで友人の気持ちがわかった。部屋が狭いことも、労働が厳しいことも彼には問題ではなかった。 我慢できなかったのは日本人が『冷たい』ことだった。祖父母たちから聞いたすばらしき日本。その古き良き時代を知る彼らの視点は、ここ半世紀で日本が失ったものをくっきり浮かび上がらせている。 訳者の小高利根子さんがあとがきに記している。『サンパウロに住んだが、一度もよそ者扱いをされた覚えがない。到着の日から受け入れられた』。(稀)」と寄稿されています。
 私は一昨年の秋、ブラジル国を訪問させていただきましたが、当地の明るい警察官や陽気なタクシーの運転手さんの親切を思い出しながら、この原文をやり切れない気持ちで読みました。世界一の援助国である我が国が、日系ブラジル人から「日本人は冷たい」と酷評されているのであります。信じたくないのですが、この話がもし本当なら、私は一日本人として大変悲しく、恥ずかしく思うのであります。
 去る九日付で発表した総理府の意識調査によりますと、社会意識に関する世論調査では、日本が悪い方向に向かっていると答えた人は初めて五〇%を超え五四%、また、よい方向に向かっていると答えた人は四人に一人にも満たないとなっています。過般亡くなられた作家の司馬遼太郎さんも、お元気なころに「日本人をやめたくなった」という痛切な言葉を残され、晩年はいつも「我が国の行く末を案じて」と、みどり夫人が語られています。
 私は申し上げたい。物から心の時代を迎えつつある今日、金さえあればいい、自分さえよければよいという時代ではなく、互助・共栄の時代であります。見知らぬ町で気持ちよく道を案内してくれた親切、座席を譲ってくれた電車での親切、ショッピングを楽しくしてくれる笑顔を絶やさぬ店の親切、曽根一郎歌手の流行歌にあった若いお巡りさんの親切、私は大病を患いましたが、病気したときの病院の親切等、また道路標識や案内板などの行政の親切など、人はだれでも親切にしてくれた人への感謝、自分が困ったとき助けてくれた人への感謝は、いつになっても忘れられないものであります。
 人に親切にするということは、人を思いやり、また人権を重んじることになり、温かさと優しさに満ちた明るい地域社会を築くことになると私は思うのであります。「人皆心あり」と聖徳太子が説き、「真」を新知事は政治哲学とされています。「人は心」であります。私は、そうした意味から、途上国援助、福井県の親切に学びながら、それらをここで私たち自身の親切に置きかえてみたいのであります。
 私は農民の一人でありますが、ちょっとした私たちの「親切物語」とでも言いましょうか、以下例えてみますが、農業の場合、ミカンや花を心を込めてつくり、都会の消費者の方々に親切に出荷すれば、「ああ、和歌山のミカンや花はすばらしい。また和歌山の花、ミカンを買おう」ということになります。タクシーの場合、乗客に笑顔で応対し、観光客を親切に案内すれば、「ああ、和歌山の運転手さんは実に親切だ。またあのタクシーで和歌山を旅しよう」ということになります。児童の場合、よく学び、よく遊び、いつも仲よく親切にし合えば、「ああ、友達みんなが親切だ。だから毎日学校が楽しい」ということで、いじめ、登校拒否も少なくなると思います。観光地のホテルの場合、観光客に心を込めてサービスし、親切にすれば、「ああ、和歌山県は気候も自然も温泉もすばらしい。また山の幸、里の幸、川の幸、海の幸、みんなおいしい。それ以上に、みんなが非常に親切でいい観光県だ。紀州路を旅して本当によかった。また次も連れもてすばらしい和歌山県を旅したい」ということになります。さらに県職員の場合、県民の立場に立って親身に親切にすれば、「ああ、何といい県職員だ。知事も幹部もいいからだろう。また次の知事選も西口勇知事に投票しよう」ということに必ずなります。
 このように、私たちお互いが人との出会いを大切にし、親切にし合い、また、県外から、海外から本県を訪れる人々みんなに明るい笑顔で親切ができれば、お互い幸せであります。こうした何も求めない、人に優しい心のこもった親切の積み重ねが人々の心をつかむのであります。
 かつてそれは、昭和三十七年でありましたが、東大・茅誠司総長が「小さな親切運動」を提唱され、国民の大きな関心を呼びました。そして二年後行われた東京オリンピックは、競技面だけでなく、ごみのない美しい東京、マナーのよい親切な日本人というすばらしい印象を世界の人々に与え、大成功をおさめたのであります。
 道をつくり、橋をかけ、施設をつくるだけが政治ではありません。本県が社会資本の整備、つまり物質面を幾ら立派に整備したとしても、精神面すなわち心の面で豊かさがなければ真の住みよいふるさとが生まれないのであります。
 ここで私が提案いたしますのは、笑顔と親切で人の輪を、親切日本一・和歌山県の構築を目指すソフト和歌山、県民みんなの親切運動の展開であります。
 孔子は、「近き者説び遠き者来る」と説いています。それは、自分たちの地域の中が活性化し豊かさが実感されるところであれば外から人も来る、地域内に住む人々が喜ばないところにどうして人々が集まってくるだろうかということですが、そこから考えて、だれからも押しつけられることのない、あくまでも自主的な親切運動が私たちの郷土社会にどうしても必要と思うのであります。そして、私の提案するこの親切運動が、幸い今議会に提案されている新県民運動基本大綱の策定に最も適していると、私は強く強く思うのであります。
 国際時代、高齢時代、福祉の時代を迎えている今日、私たち県民みんなの親切運動によってもっともっと和歌山県をイメージアップし、もっともっと和歌山県の印象をよくすることが今ほど必要なときはありません。一昨年のリゾート博の成功、昨年の吉宗ブームに見られた温かい和歌山の心、これを今はやりの言葉で言えばソフトウエアによる県勢浮上、これこそ今、新世紀へ飛躍しようとしている本県に最も必要でふさわしいことではないでしょうか。
 知事は全国や世界の人々の関心を集める存在感のある和歌山県を築く目標を立てておられますが、知事の決断とリーダーシップ、そして県民お互いの愛の心によって親切運動が実を上げれば、本県の新しい魅力となり、県外からも海外からも人々が集まり必ず県益を増す、結果的に精神面、経済面でふるさと和歌山県をより明るくし、さらに視点を変えて広く考えれば、体の不自由な方々、高齢の方々など社会的に弱い立場の方々を心からいたわり心から励ますぬくもりのある社会環境、また、新世紀を担う本県の宝・子供たちを健やかにはぐくむ教育環境をつくることはもちろん、人に対してだけではなく、小鳥や自然を愛し、花や緑を大切にする心を養うすばらしい自然環境をつくることになります。
 最後にお断りしておきますが、私がこの親切運動の展開を申し上げるのは、本県が親切な県でないとか、県民性として不親切であるとか申しているのでは決してありません。多くの県民は親切であり、長い歴史と伝統の中で培われてきた県民性は温和で、かつ人に優しい人間性を基本として、風光明媚なふるさととともに今日の和歌山を築いてきたのであります。この愛する紀の国・和歌山をみんなのハートでさらにさらに住みよくし、「ああ、和歌山って本当に人情が豊かでムードのいい、気風のいい県だなあ」と皆から思われ、また県民自身も自信を持って「ああ、この和歌山に生まれ育ち、住んで本当によかった」と誇れるために申し上げたのであります。その点、誤解のないようにお願いしておきます。
 また、この運動は決してだれからも押しつけられるものではなく、あくまでも自主的な親切運動でなければなりません。念のため申し添えておきます。
 ここで、改めて具体的に申し上げれば、一、親切日本一・和歌山県を構築することを本県の基本とする、一、県庁に親切運動推進本部を設置する、一、この親切運動を県内市町村など行政機関初め交通機関、教育機関、さらに医療機関等、すべての公共機関はもとより、ホテル、百貨店、会社、家庭など、県内津々浦々へキャンペーン、推進大会の開催など、自主的、積極的に推進していただくことをあらゆる方法で働きかける、一、標語の募集、親切の日、親切週間など、詳細についてはさまざまな角度から検討する検討委員会を設ける、一、必ず予算措置を講じる。
 西口知事のその明るい笑顔と「真」のお人柄で、テレビ、新聞、「県民の友」等あらゆる方法で百八万県民に優しく呼びかけていただければ、人情豊かな県民は必ず受けとめてくれると、私はかたく信じるのであります。また、この新しい運動が民・官一体で実践されれば、少ない経費で知事の目指す輝きのあるふるさと・和歌山新時代の創造となり、物心両面にわたって風格のある和歌山、日本一住みよい、日本一住みたい和歌山県を構築することに必ずなると思います。知事の積極的なご答弁、教育長の教育的見地からのご答弁をいただきたい。
 次に、新半島振興法についてであります。
 私は、敬けんな気持ちで、法の制定に命をかけてご尽力賜った、今は亡き玉置和郎先生のあの豪快なご活躍のありし日をしのび、心から謝意をささげつつ、昨年の春、充実・延長されました新半島振興法について、ごく簡単に質問をいたします。
 同法は、政府及び自由民主党を初め全政党の深いご理解のおかげをもって内容の充実と十年の延長をしていただき、私は関係各位に対し深く謝意を表する次第であります。
 さて、本県はこれまで旧法を活用して、一千億円の道路整備、五十社の企業誘致をしていますが、法改正ではこの二点のほかに新たに情報・通信体系の充実、高齢者福祉の増進、伝統文化の保存・活性化のソフト面の三点が加わり、旧法に比べて大きく充実されております。
 そこで、私は向こう九年間の期限内にこの充実された新半島振興法を最大限に活用し、ダイナミックチェンジ、他府県に負けぬ半島振興、県土振興に全力を挙げるべきであると強く思いますが、知事はこの新法をどう活用し、ふるさと紀伊半島をどう振興していくのか、その積極的なご決意を具体的にお聞かせ願いたい。
 最後は、夢のかけ橋についてであります。
 今は昔、すぐれた土木技術者でもあった香川県の大久保じん之丞という議員は、「塩飽諸島を橋台となし、山陽鉄道に架橋を連絡せしめば、常に風波の憂いなく、南来北行、東奔西走、瞬時を費やさず、それ国利民福これより大なるはなし」として、備讃つまり本州と四国間に橋をかけよと、明治二十二年五月、地元の鉄道開通式の祝辞の中で、当時としてはだれでも腰を抜かすほどの大構想を我が国で初めて堂々と提唱したのであります。
 あの提唱から計画まで八十年、着工から完成まで十八年、合わせて九十八年という実に長い長い歳月と一兆一千億円余の巨費を投じて、昭和六十三年四月、待望百年、夢の瀬戸大橋が開通を見たのであります。
 その間、「笑わしゃんすな百年先は、財田の山から川舟出して、月の世界へ行き来する」と、まきをたいて走る鉄道がやっと開通した時代に現在の宇宙開発時代を予言してつくった大久保議員の都々逸調のこの端うたからは、この本四架橋がいつかは必ずできるんだというかたい信念と心意気が、今なお私の胸にひしひしと伝わってくるのであります。
 また、こんな話があります。青森県津軽半島の龍飛岬に立って「北海道までトンネルを掘れ」と海に向かって毎日叫んでいた男が一人いたという話をだれかに聞いたことがあります。次に申し上げる人物と同一人物かどうか知るよしもありませんが、太平洋戦争勃発の前年のころ、桑原弥寿雄という鉄道省路線選定の大家が津軽海峡にトンネルを掘って北海道と本州を陸続きにせよと威勢よくぶち上げていたと言われます。あの提唱から計画まで二十五年、着工から完成まで二十五年、合わせて五十年という長い歳月と六千六百億円の巨費を投じて昭和六十三年三月、待望五十年、世界最長の青函鉄道トンネルが見事開通したのであります。
 その間の話ですが、戦時中の真っただ中、大蔵省の役人から「人口が減るばかりの北海道へ津軽海峡トンネルを掘っても意味がない」と言われているのを知った彼は、「トンネルをむだだと言っているやつをぶった切ってやる」と激怒して建設局の中で日本刀を振り回すなど、すごい熱血漢であったのだろう、皆から「ほらやす」と悪口をたたかれたという話が伝わっています。
 このように、瀬戸大橋、青函トンネルの提案当時の話を聞くにつけ、皆から「そんなものができるものか」とばかにされ一笑に付されたと思うとき、次の世代、子々孫々の時代、百年先まで深く考えて、だれが何と言おうと夢の大構想を提案するのは、よほどの先見性、信念、勇気の要ることであり、私はそれら提唱者に心から尊敬の念をささげている次第であります。
 一万円札の福沢諭吉翁は我が国の歴史上の偉大な教育者であるが、その福沢諭吉でさえ明治のごく初頭にはいろいろ批判を浴び、「ほらを福沢、うそを諭吉」と、駄じゃれで悪口をたたかれ、またコペルニクスの地動説を認めて投獄されたガリレオは、驚くなかれ死後二百年たってその説が認められたのであります。
 余談であります。私は幼少のころ母を病気で失い、厳しい父子家庭に育ったのでありますが、今はもうこの世におりませんけれども、父親から「長弘よ、決して人から笑われるような人間になってくれるなよ」と、よく諭されました。しかし、皆から大いに笑われ批判されても仕方がないと覚悟を決めて提唱した、二十年前の全国ミカンの三割減反、十四年前の半島振興法、九年前のJR広川駅等々ありましたが、前知事初め関係各位のおかげをもっていずれも実現していただき、全国のミカン生産県や半島地域、そして本県発展にいささか役立っていることを私はありがたく思っております。
 坂本龍馬は「世の人は われをなにとも ゆはばいへ わがなすことは われのみぞしる」と申しておりますが、十一年前の昭和六十年二月定例会では、日ノ御埼・徳島県阿南市蒲生田岬間の南国ルート、つまり紀伊水道を橋でまたげと提唱いたし、私は早速、小さな漁船をチャーターし、伊島への上陸はもちろん、友人と一緒に海上視察をしてきたのであります。
 私がなぜ、あえて皆から笑われ批判覚悟の上でこうした夢のかけ橋を提唱したかと言いますと、半島性からの脱却を願う私には私なりの、紀伊半島の振興にかける男の夢とロマンであるからであります。そして、我々は常に豊かなあす、豊かな未来に向かって何かをしなければ県民は決して納得しないと思うからであります。そんなものができるものかと笑われ批判されるかもしれませんが、本県に私のような男が一人ぐらいあってもいいのではないかと常に思っております。さきの大久保議員と同じ心境であります。
 太平洋新国土軸の一環をなす紀淡連絡道路が実現すると、四国四県が大きく躍進し、京阪神がさらに栄えます。それによって、我が県北部も大きく発展するのが目に見えています。しかし、もう既に、紀淡連絡道路を通過し四国を横断する四国新幹線の基本計画ができています。そういうことをよく考えてみると、先日、町田議員の質問にありましたが、すばらしい自然資源、人的資源がありながら人口がますます減っていく紀南地域、本県南部のあすの姿が一体どうなるのかということを、県民みんなが真剣に関心を持つべきだと私は強く思うのであります。
 ここで私は、日本列島のごく一部の通過県の交通体系を簡単に考えてみるのですが、例えば、静岡県と愛知県は東海道の通過県、広島県と岡山県は山陽道の通過県として大きく栄えております。この四県は、私に言わしむれば、通過県という地理的好条件が、高速道路にしても新幹線にしても、極論すれば、たとえ要望せず、たとえ反対しても関係なく、我が国の重要なプロジェクトとして必ず建設されるのであります。反面、本県は通過県でない半島という地理的悪条件なるゆえ、他府県以上に官民一体となって努力に努力を重ねても成果は少なく、例えば高速道路は二十二年前に開通したわずか二十四・四キロのままであり、全国ワーストスリーであります。申すまでもなく、海南以南は一般有料道路であって、遅々として高速道路は中紀への延長、紀南への延長がされないばかりか、新幹線の計画はいまだに何もありません。
 いつも比べてみるのですけれども、本県と同じ半島の青森県は、その北に五百五十六万人を超す人々が住む北海道があるために、今申し上げた四県と同じように通過県となり、盛岡まで開通している東北新幹線は北の八戸まで現在建設中、さらに八戸から青森を経由して札幌まで計画中であり、さらに旭川まで基本計画ができています。さらに日本海ルートで新潟から青森まで、つまり青森へは、太平洋側ルート──東北新幹線です──と合わせて二つのルートの新幹線が走ることになります。そして、青函鉄道トンネルは今JR在来線一つでありますが、二本目となる新幹線、三本目となる自動車道のトンネルが間もなく計画されると思うのであります。こうして見ると、青森県は北に北海道があるために、さきに述べた四県と同じようにさらに大きく発展することが予想されるのであります。
 しかし、同じ半島である本県の南には何もなく、海、海、海。はるか遠く、インドネシアまで続いています。そうした本県の地理的条件を思うにつけ、本県のすぐ南に何百万人も住む陸続きの府県か北海道のような大きな島があったらなといつも思うのですが、それは絶対にかなわぬ夢。しからば隣の四百十七万人の住む四国を本県の南に寄せればいいのだが、これもそんな神わざはできるはずがありません。それかといって、さきに申し述べた東北、四国のどんどん発展しているそのさまを我々は黙って見ているわけにもまいらず、私が先年あえて提唱した中紀から阿南への南国ルート、仮称・紀伊水道大橋構想の推進を再度、強く訴えるものであります。
 「そんなものができるはずがない」と、百年前、明治の時代と同じ考えの人も多いと思いますが、十年一昔、今は一年一昔であります。何でも実現できる時代となっております。世界には、我が国に見られない長い橋、長いトンネルなど、大きなプロジェクトが幾らでもあります。二、三挙げてみますと、アメリカ・ルイジアナ州のポンチャートレーン湖にかかる橋は三十八キロ、最近できたサウジアラビア本土からバーレーンへかかる橋は二十五キロ、パリ・ロンドン間の海底トンネルは海底部分が三十七キロの世界一、一昨秋走ってきたブラジルのニテロイ橋は十五・五キロであります。
 去年の九月二十五日、勇退直前の仮谷知事から、「西本さん、あんたが提唱しているあの日ノ御埼から蒲生田岬へ橋をかける構想が今、建設省で注目され始めたよ」と聞かされ、びっくり仰天、その夜は興奮して眠れないほどでした。そして私は、十一年前にこの構想を思い切って提唱しておいて本当によかったと感激しております。そして、二十一世紀を担う人々によって必ず実現してくれるものと信じております。
 もし私のこの構想が橋かトンネルで新世紀中に建設されるならば、名古屋から紀南を通り、中紀を経由して南徳島へのルート、また大阪から和歌山、中紀を経由して南徳島へのルート、北と南から美浜・阿南ルートが確立されるだけでなく、兵庫、大阪、和歌山、徳島の四府県の環状交通体系ができ、さらに環紀伊水道経済圏が構築される。そして、本県と四国との人的・物的交流が盛んになるとともに、本県は必ず高速道路が一気に伸び、必ず新幹線が走るのであります。
 最後に、知事に申し上げたい。
 「遠慮なければ近憂あり」、これは孔子の教えであります。申し上げるまでもなく、これは目先のことばかり考えて将来のことを考えないでいると必ず急な心配事が起きるということであります。人間が科学の力で月に立ち、また我が国の新幹線はフランス、ドイツのそれよりも速く走るのが目前であり、また東京・ニューヨーク間を三時間で結ぶ、コンコルドより速い超音速ジェット機の国際共同開発が、我が国も参加して始まっています。
 このように、我が国はアメリカとともに世界のトップにありますが、ここに至るまでの我が国の長い長い歴史の中で、日本民族の英知とそして先人、先輩の命を顧みない血のにじむ必死の努力があったればこそ、今日のすばらしい日本が実現しているのであります。我々はこの先人、先輩に深く敬意と謝意をささげると同時に、また目先だけでなく近未来、はるか未来をよく見詰め、さまざまな構想を持って新たな歴史の創造に英知の限りを尽くしていくことが、今この世に生き、我が和歌山県政を担っている我々に課せられた当然の使命であると私は思うのであります。
 知事は、我が国の遠い昔の先人、先輩のように、本県の次の世代、はるかな未来にどのような夢やビジョンをお持ちでしょうか。また知事は、私が再度提唱した紀伊水道大橋あるいは紀阿トンネルに夢をはせ調査研究に取り組む用意があるかどうか、ご所見をお聞かせいただきたい。
 「深謀遠慮」と申します。百八万県民のかけがえのないふるさと和歌山の未来に、夢とロマンに満ちた知事のご答弁をお願いいたしたい。間もなく桜が咲き、すべてが伸びる陽春であります。知事初め当局各位、先輩・同僚議員各位のいよいよのご健勝とご活躍をご祈念申し上げ、私の質問を終わります。
 ありがとうございました。
○議長(橋本 進君) ただいまの西本長弘君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事西口 勇君。
 〔西口 勇君、登壇〕
○知事(西口 勇君) 西本議員にお答えをいたします。
 大変高邁な格調の高いご提言、ご質問をいただきまして、順次、お答えを申し上げたいと思います。
 まず、予算編成に当たっての決意でございます。
 私は今回、県政の総責任者である知事の立場で平成八年度の予算編成に当たったわけであります。改めて責任の重大さを痛感いたしまして、身の引き締まる思いの中で編成作業を行ったところでございます。
 私は、昨年約一年間、県内をくまなく歩き、県民各層の率直なご意見をじかにお聞きしてまいりました。その経験を踏まえまして、県民の皆さんにわかりやすい、県民の皆さんのニーズにかなう予算編成に努めたところでございます。あわせて、個性の光る魅力ある地域づくり、和歌山づくりにも力点を置いたところでございます。
 次に、どう変革し、どう創造するのかについてでございます。
 昭和六十年に制定された半島振興法につきまして、この法律は西本議員さんからご提案をいただいたものであり、制定に向け、県議会の皆さんを初め、総力を挙げて取り組んでいただいたところでございます。これにより道路網初め本県の基盤整備は大きく前進をいたしまして、関西国際空港の開港、阪和自動車道の全通、特急くろしおの新大阪乗り入れなどによって国際軸、国土軸への直結が図られました。また、本年三月九日にはジェット化した南紀白浜空港が開港いたしました。本県を取り巻く交通環境は大きく進展をしておるわけでございます。
 また、世界リゾート博の成功から考えましても、ゆとりと豊かさを求める時代にあって、本県の持つ豊かな自然、歴史、文化に対する期待はますます大きくなってくるわけでございまして、今まさに本県は、これまで積み上げてきた基礎の上に立って、こうした追い風に乗って飛躍するときを迎えている、つまり変革と発展のときにあると確信をしておるわけであります。
 私は、輝きのあるふるさと・和歌山新時代の創造を掲げておりますけれども、具体的には、紀泉地域に関西第四の都市圏を形成する和歌山百万都市圏構想、自然と共生するふるさとリゾートを中心とした和歌山全県リゾート構想、海上輸送や海洋開発などを含めた海洋立県構想、さらには県内を二時間で往来できるダイナミックネットワークの構築など、地域が産業が活力にあふれ、県民一人一人が生き生きと暮らせる躍動感あふれる和歌山県を築いてまいりたいと考えておるわけであります。
 次に、ご提案のございました県民みんなの親切運動であります。
 議員ご指摘のように、行政に限らず、私たちの社会生活におきましても、人に対して、あるいは自然に対して親切にする、優しくするといった、人として最も大事な心のあり方が問い直される時代となっておりまして、そうした認識の上に立ち、私の政治信条も「真」を標榜してきておるわけであります。「真」とは誠実で偽りのない心のありようを言うわけでございまして、人を大切にした、人に優しい心を持った県行政を展開しようという思いを込めた私の政治哲学を表現した言葉が「真」でございます。
 私は、県民が和歌山に誇りを持ち、「住んでよかった」と思えるふるさとづくりを目指して懸命に取り組んでまいる所存でございまして、具体的には、豊かな郷土づくりとともに、心通う県政の構築を施策の柱として設定をしておるところでございます。
 平成八年度におきまして、新しい県民運動のあり方を求めて新県民運動基本大綱を策定することにしておりますけれども、その過程の中で幅広く県民の皆様方のご意見をお聞きすることといたしてございますので、この作業を通じて、議員から大変力強いご提言をいただきました親切日本一・和歌山県づくりの趣旨を十分に反映をし、県民運動の推進に積極的に取り組んでいきたいと考えております。
 次に、新半島振興法についてでございます。
 西本会長さんを初めとする県議会半島振興議員連盟の皆さん方、あるいは関係各位のご努力をいただきまして、内容の充実と十年間の延長が図られたわけであります。改めて、この場をおかりして厚くお礼を申し上げたいと思います。
 議員のお話にもございましたように、新法には、従前に加えて新たな支援措置が講じられております。県としては、従来の道路整備を中心とする交通基盤の整備、企業立地の推進等の産業振興などとともに、移動通信サービス基盤の整備、高齢者生活福祉センターの建設、地域文化の保存・活用という新たな支援措置にかかわる事業、さらには生活環境の整備、保健・医療・福祉の増進等を盛り込んだ紀伊地域半島振興計画を策定し、昨年十二月に内閣総理大臣の承認を得たところでございます。
 私は、平成十六年度を目標年次とするこの計画を達成することが半島性を脱却することであると考えておりまして、計画に盛り込みました各プロジェクト等の進捗状況を把握しながら紀伊半島の振興に最大限の努力をしてまいりたいと考えております。
 次に、夢のかけ橋等についてであります。
 まず夢と展望についてでございますが、私は、はるか未来ということではございませんけれども、近未来といいますか、二十一世紀初頭の本県のあるべき姿として、昨年知事選に立候補する際に輝け和歌山・新時代構想を提案いたしまして、幾つかの具体的なプロジェクトを掲げさせていただいたところでございます。
 「政治家として必要なものは先見性と情熱だ」と、ドイツの学者マックス・ウェーバーも言っておるところでありますけれども、私はこの先の変化の厳しい不透明な時代にあっては、先見性を持って夢を目標にして気力と知力で事に当たることが実現への道筋だと思っております。
 議員お話しのように、私たちは夢を語る勇気を失ってはならないと思います。私が夢を語り、実現に向けて努力することによって、県民の方々にも夢と希望を持っていただけるものと確信をしております。議員各位を初め県民の皆様方とともに、輝く二十一世紀に向かって前進をしてまいりたいと思っております。
 最後に、仮称の紀伊水道大橋あるいは仮称の紀阿トンネルについてでありますが、紀伊半島の沿岸部は、来るべき大交流時代に向け、大阪湾岸地域にかわり新たに二十一世紀をリードする地域であると考えられております。議員がかねてからご提言をされております日ノ御埼と蒲生田岬を結ぶ紀伊水道大橋は、本県と徳島県のさらなる発展、ひいては関西圏全体の飛躍を図る上で大変大きな意義を持つ大構想であろうと思います。
 現在、和歌山県と徳島県を結ぶ道路といたしましては、紀淡連絡道路の計画がございます。仮谷前知事が昭和五十四年に──当時、私は知事公室長でありましたけれども──新春の記者会見で、初夢として紀淡海峡トンネル構想を提唱されました。当時は遠い将来の夢物語であると考えられておりましたけれども、その後、地元における調査研究あるいは要望活動に加え、技術的進歩も相まって、平成五年には第十一次道路整備五カ年計画に位置づけられました。建設省、兵庫県、本県により現地調査が開始されており、紀淡連絡道路の計画が実現に向けて着実に前進をしているところでございます。
 紀淡連絡道路の例から明らかなように、常に斬新な発想を心に抱き、真に和歌山県の発展につながると確信の持てるものについては確固たる信念を持って実行に移していくという大胆さが、あすの和歌山の飛躍につながると確信をしておるところでございます。県におきましては、本県と徳島県が大阪湾の玄関口に位置するという地理的条件を生かし、相互連携を深めることにより紀伊水道の沿岸部をベイフロンティア地域と位置づけまして、平成八年度から地域の将来像や開発整備のあり方などについての検討を行っていきたいと考えてございます。
 今後とも、議員ご提言の趣旨を踏まえ、時代の先を見越した夢とロマンを持ちながら基礎的な関係資料の収集などの研究を行いまして、長期点視点に立って県勢のさらなる発展を担う構想の一つという認識のもとに取り組んでまいりたいと考えております。
 以上であります。
○議長(橋本 進君) 教育長西川時千代君。
 〔西川時千代君、登壇〕
○教育長(西川時千代君) 親切日本一を目指す取り組みについてお答えいたします。
 今日の社会は、与えられるものの過剰、獲得するものの過少というように言われておりますように、身の周りには物があふれ、生活がより効率化して便利になりましたが、人や地域社会に対する思いやり、さらに自然や受け継いできたすばらしい文化や伝統への心配りなど、人間としての生き方や社会の一員としての役割が今、改めて私たちに問い直されてございます。
 二十一世紀は心の時代と言われていますし、議員のご提言にございますように、人に優しい心のこもった親切は明るく潤いのある社会をつくる基であります。さりげない心遣いや親切は、いつでもどこでも、自分のできるところから始められるものだと考えております。
 個人的な体験ではございますが、数年前、アメリカのニューオーリンズの図書館で、一人の小学校の女生徒に会いました。その女生徒が、私たちに向かって「質問がありますか」と。私たちはそのことに対して「いい生徒だな」というふうに言いましたが、その生徒はさらに「お手伝いすることがありましたら私にさせていただきたい」、こういったことを話しかけてまいりました。全く面識のない外国人の私にさりげなく親切な態度をとったこの少女の優しさに、私は大変感激いたしました。このような行為は、小さいころからの家庭や学校での生活の中で身につくものであると考えます。
 学校では、優しさや親切についての話し合い、心の触れ合いを深めるあいさつ運動や小鳥の飼育などを通して、また地域では子供とお年寄りの交流活動やボランティア活動などを通して、人を思いやる心や自然に優しい心を育て、みずから進んで実践する態度を身につけるよう努めてございます。こうした取り組みが、今日の深刻な問題となっているいじめ、さらには登校拒否の解決にもつながるものであると考えてございます。
 今後とも教育の面におきまして、議員ご提言の趣旨を踏まえ、親切日本一を目指した取り組み、心豊かな人づくりを一層推進する中で、さりげない心遣いや親切な行為が自然に生まれてくるような気風を学校、地域で育てるよう努めてまいる所存でございます。
 以上でございます。
○議長(橋本 進君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(橋本 進君) 以上で、西本長弘君の質問が終了いたしました。
○議長(橋本 進君) お諮りいたします。質疑及び一般質問は、以上をもって終結することにご異議ございませんか。
 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(橋本 進君) ご異議なしと認めます。よって、質疑及び一般質問はこれをもって終結いたします。
○議長(橋本 進君) 次に、ただいま議題となっております全案件は、お手元に配付しております議案付託表のとおり、それぞれ所管の常任委員会にこれを付託いたします。
 ─────────────────────
 【日程第三 請願付託】
○議長(橋本 進君) 次に日程第三、請願の付託について申し上げます。
 今期定例会の請願については、お手元に配付しております請願文書表のとおり、それぞれ所管の常任委員会にこれを付託いたします。
○議長(橋本 進君) 次に、お諮りいたします。三月二十一日及び三月二十二日は、各常任委員会審査のため休会といたしたいと思います。これにご異議ございませんか。
 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(橋本 進君) ご異議なしと認めます。よって、三月二十一日及び三月二十二日は休会とすることに決定いたしました。
○議長(橋本 進君) この際、各常任委員会の会場をお知らせいたします。
 職員から、これを申し上げます。
 〔職員朗読〕
 ───────────────────
 総務委員会 第 一 委 員 会 室
 厚生委員会 第 二 委 員 会 室
 経済警察委員会 第 三 委 員 会 室
 農林水産委員会 第 四 委 員 会 室
 建設委員会 第 五 委 員 会 室
 文教委員会   第 六 委 員 会 室
 ───────────────────
○議長(橋本 進君) 次会は、三月二十五日再開いたします。
○議長(橋本 進君) 本日は、これをもって散会いたします。
 午後二時三分散会

このページの先頭へ