平成7年9月 和歌山県議会定例会会議録 第5号(大江康弘議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

○議長(橋本 進君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 46番大江康弘君。
 〔大江康弘君、登壇〕(拍手)
○大江康弘君 お許しをいただき、本定例県議会最終の本会議一般質問に当たりまして、そのまた最終の登壇を与えていただきました。とりわけ平越議運委員長には格段のご高配を賜りましたこと、この場をかりて厚くお礼を申し上げたいと思います。
 きょうは、答弁を仮谷知事にも求めさせていただいております。しかし、都合で答弁はいい場合もあるかもわかりませんので、その点はひとつご理解をいただきたいと思います。
 その前に、私も久しぶりの登壇でありますから──過去十七年、うち、きょうまでに十三回登壇をさせていただきました。県会議員というのは、お互い政治家であると同時にそれぞれ地域代表でありますから、やはり地域のいろんなこと、また自分を支えてくれる県民や住民の皆さんのいろんな悩みをたくさん打ち明けられるわけであります。そして、議会においてそのことをただし、また当局の姿勢をそこで改めて問いただす、これが我々議員としての大きな役目であろうかと思います。
 それだけに、今回も私なりに幾つかの質問を抱えておったわけでありますが、私が今与えられておるこの最終の立場ということを考えますと、そういうことは別の機会にゆだねてもいいんじゃないかと、実はこういう結論に達しました。いろいろと問題のある部局もあるわけですが、きょうはその部局の部長さんは、どうか知事に感謝をしてほしい。これがきょう知事さんが最終でなかったら、いろいろ──とりわけ木村部長、それから商工労働部長、土木部長。民生部長は、最近一生懸命やっておられるので、二月議会ぐらいまでは辛抱できるんですけれども。
 まあしかし、ただ一点、お礼も込めてこの際、冒頭に申し上げておきたいと思います。
 私も、自民党の皆さんにいろいろお世話になって、しかし、政治家半ばで志新たに自民党を飛び出しました。自民党の皆さんとともにいろいろと県政を語り、そして仮谷県政を支えたときが大変懐かしい。それだけに、二年半、俗に言う野党生活というものを経験いたしまして、十七年前を振り返って、随分自分でも変わったなと。いい意味ではないと思いますが、自分なりに変わったように思います。
 今、議会の有志の皆さんと一緒になって日華議員連盟というものをつくらせていただきまして、不肖・私が会長をさせていただいております。この目的は何か。一九七二年にニクソンが中国を訪問して周恩来と会い、劇的な米中会談が行われた。その後、田中角栄さんが中国へ飛んだ。我々は当時、中国を代表する政府は中華民国であるという思いのもとで今日までやってきたわけであります。今も、その思いは変わりません。
 しかし、私は先々週、今まで訪れたことのなかった中国・上海へ訪中させていただく機会を得ました。いろいろ政治家として悩み、自分の政治信念と葛藤したわけでありますけれども、冷戦以後、世界はどんどん変わっていっておる。もちろん、我が日本の政治も変わってまいりました。それだけに、もしかしたらこの機会が自分の政治家としての見方を新たに変えてくれるチャンスかもわからない、実はそういう思いで中国へ行ったんです。決して「中国へ、中国へ」となびくような、そういう安易な気持ちで行ったつもりはありません。
 四日間という短い滞在期間でありましたが、初めの二日間は、本当に、言葉は適切ではありませんが、皆さん、わずか上海から二百数十キロ離れたところでも、行く道建っておる家々は、━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━そういうところに━━━━━━━━━暮らしをしておるところがある。三日目に上海に戻ってきて、それも日本におる自分を取り戻せたのはホテルに帰ってきたときでありました。上海も一歩外に出れば、経済特区という中国の中での特別な権限を与えられておりますけれども、今発展の途上であり、とても日本と比較のできるようなものは、正直言って何もありません。
 ただ、不透明な今日の時代の中で、「もし行き詰まったら歴史を振り返れ」という言葉がありますけれども、日本が将来にわたってどのような国を目指すのか、どのような方向に行くのか、我々地方政治家も含めてなかなか答えの出ない今、この中国を一つの歴史としてとらえて振り返ってみることもまた我々にとっては大事なことではなかろうかなと、こういうことを実は四日間の滞在の中で感じました。
 国際交流とは何ぞや。お互いの心の通じ合いであります。もし皆さん一人一人がお互いの国に信頼関係を持ったら、これほど日本という国を理解してもらえるチャンスはない。これほど正しく日本という国をまじめに見てもらえるいい機会はないわけであります。それだけに、私は今、わずか四十二万人という徳清県という淅江省にある県──来年は市に昇格をするそうでありますが──を通じて中国の皆さんとの友好を深めてまいりたい、そういう思いをしておるのであります。
 翻って二年前、我々は気候も風土も大変似通ったアメリカのフロリダ州に行ってまいりました。当時、仮谷知事に、なぜ今我々がフロリダに行かなければいけないのか、なぜ今フロリダかということを、十分ではありませんが説明を申し上げて、知事さんの親書をいただき、そしてフロリダを訪れたのが二年半前。来月の四日には、和歌山県とフロリダ州とが友好提携を結んでいただけるという。我々が広い世界の国々との国際交流を求めてきた中で、アメリカのわずか一つの州でありますけれども、今こうして和歌山県が手をつなぎ合って未来永劫に友好を深めていくという決断をしていただいた仮谷知事さんに、心から厚くお礼を申し上げたいと思います。
 また、昨年、フロリダ州の知事選挙において現知事が再選を目指し、当選されました。当時議長であった平越現議運委員長も、お祝いに駆けつけていただいた。もう二年前から友好の第一歩が始まっておったわけでありまして、今、感激も新たに四日を待ち望んでおる一人であります。
 そこで、一つだけ公室長にお願いを申し上げたい。我々郷土の誇る南方熊楠翁が、実は明治十九年に渡米をし、明治二十四年から約一年間、フロリダに行っておるわけであります。ジャクソンビルという小さな市で、中国人が経営する店で働きながら現地で研究をし、語学を深めた。そして、ずっとフロリダを回ってキー・ウェストという──先般、たしか知事さんがヘミングウェーの「老人と海」に触れて、「あの本に出てくる魚釣りは和歌山県・紀州から出たものだ」というようなことを言われたと思いますけれども、もう既に百四年前から和歌山県とフロリダとが目に見えない糸で結ばれ、南方翁によって友好が深められておった。これもまた奇しき縁ではないかなと思いましたとき、どうかひとつ、フロリダの地において何か記念になるような、南方公園とでもいうようなものを我が和歌山県が、今回のこの締結を機に考えていただけないものか。これは、きょうは要望だけにさせていただきたいと思います。
 けさ知事さんに質問をされた松本議員から、「答弁漏れがあった」と。「今日混迷する知事選挙の責任は、知事あなただ。あなたが知事選に出ることがこの問題を解決する一番の方法だが、いかがか」と言ったが、その答弁をもらっておらないということで、私に「再度その答弁を要求しろ」ということでありました。しかし、先日来、多くの議員さんがそれぞれの立場で、知事さんとの人間関係を大事にしながら、また時には政治家としての対峙をしながら、いろんな思いを語られました。
 私も、昭和五十四年にこの議場に送っていただいて、振り返って十六年、あなたの知事生活の五分の四、先輩や同僚の皆さんと一緒に県政の一端を担わせていただきました。とりわけ、中央では野党でありますが、我々は少数であっても、仮谷県政与党の立場を忘れたことは一日たりともありませんでした。
 「死生命あり、富貴天にあり」、これは「論語」の言葉でありますけれども、すばらしいことは自分が追い求めてもなかなか簡単に手に入るものではない、それは思いがけないときに天の方から無造作に差し出してくれるんだという意味だそうであります。
 昭和五十年九月二十九日に、あなたは大橋県政当時の最後の副知事として就任をされたわけであります。その六日後の十月四日に、大橋知事は急逝をされた。そして十月二十五日、既にあなたは次期知事選への出場を、決意も新たに議場で申し上げておられるわけであります。わずか一カ月足らずの副知事就任期間。全国の副知事在任期間を数えてみますと、恐らくこれは記録の一つではなかろうかなと思うわけであります。
 二十六年の職員生活、また今日まで二十年の政治生活──私は先日、あなたが一番好きだという和歌山県のある場所に行ってまいりました。これは私が知事から直接聞かされたわけではありませんから、本当にその場所が知事さんにとって心の安らぎの場所なのか、政治家として自分を見詰め直す場所なのか、そのことは今ここで聞く由もありませんが、和歌山県には、知事さんのふるさとである有名な潮岬も含めて、八十一の灯台があります。その中に、梶取埼という灯台が東牟婁郡の太地町にあります。ここが仮谷知事さんが一番好きな場所だということを聞かせていただいて、私は先日そこに行ってまいりました。
 ここに立って、あなたは一体何を思ったのか。ここに立って、あなたは一体何を悩んだのか。そして何を自問自答したのか。そういうことを、私なりにいろいろとその場に立って考えたものでありました。大変きれいなところであります。これが知事さんの好きなところか、これがあなたが二十年間思い続けた場所であったのか、そういうことを思いましたときに、私も大変感激を覚えたわけであります。「梶取の岬に立ちて振り返る我が人生に今も悔いなし」、私は自分なりにこういう思いを込めて、知事さんの気持ちの一端をのぞかせていただいたわけであります。
 「政治は政治なきを理想とする」という言葉があります。本当は政治なんかない方がいいんだ。政治なんかない方がいい社会なんだ。しかし、お互い生きとし生ける人間社会にあって、人間としての本能から出てくるいろんな欲望もある。また、みずから求める向上心もある。そういうことがこの人間社会でいろいろとぶつかり合って摩擦が起こる限り、どうしても世の中に政治というものが必要になってくる。政治の究極の理念は、いかに公正か、いかに公平か、いかに平等か、私はこの三つの実践ではなかろうかなということを感じてきた一人であります。
 それだけに、この政治を続けていくということは大変難しいことであります。ただ、私がうれしいのは、二十年も知事の座にありながら、決してあなたがプロに見えない。これは別に、二十年やってきて、経験がないとか、実行力がないとか、あるいは決断がないとかという意味ではないんです。私は五回選挙を戦って、また各種の選挙に政治家の立場で参画をしてまいりましたが、選挙ほど怨念を生むものはない。どんな小さな選挙でも、好むと好まざるとにかかわらず、怨念というのが生まれてくるんです。こんな世界に入っていなかったら、もっといろんな人と楽しくやれたのに、こんな道を歩まなかったら、もっとお互いわかり合えたのにと、そういうことを反省しながら私も十六年やってまいりました。しかし、二十年やった知事さんと十六年地方政治に携わった私との大きな差は、やはり人間性であります。
 私が今「うれしい」と申し上げたのは、どこに行っても、あなたの人間性を悪く言う人はいない。私は、このことは大変うれしいなと感じました。政治家でありますから、あなたが進めてきたいろんな施策、またそれぞれの地域にあって解決のでき得なかったいろんな問題、そのことに対する不平不満はあっても、それはあくまでも政治家・仮谷志良に対しての評価であって、人間・仮谷志良に対する評価というのは、今日まで七十三年間あなたが生きてきた人生の中で、しかも二十年間どろどろしたこの政治の世界を生きてきた中で、本当にいつまでも純粋に、いつまでも清く、二十年を積み重ねてこられたということ。私は、そのことを県民の一人として大きな喜びとしたい、こういうふうに思っておるわけであります。
 今、二十年を振り返ると、あなたは絶えず答弁で「『まごころ』を信条として県民のために尽くしたい。公正な県政をつくり上げていきたい」と。出る言葉はすべて、あなたの気持ちの中から出た言葉であったように思います。
 人生にはいろいろと別れはありますけれども、知事さんとはまだ、ここで最後の別れではないわけでありますから、私はあえてこの場所でこれ以上のことを申し上げることは差し控えますけれども、今日まで、行政の長として、また和歌山県の政治家のトップとして、二十年間いろんな思いを込めて頑張ってこられたあなたに、最後に心からお礼を申し上げたいと思います。
 政治生活二十年。この二十年を長いと見るのか、また短いと見るのか、それはそれぞれ判断の異なるところでありますけれども、今、送る我々も、また送られるあなたも、お互い政治という人間生活の営みの中で最も基本のきずなの部分で今日までつながってきたわけであります。それだけに、我々が思うこと、あなたが思うことは、これからの和歌山であり、あすのふるさとである、こういうお互いの気持ちであろうと思います。
 先日来、あなたの最後の雄姿を議場で見せていただきました。いろいろと、「知事さん、寂しそうやな」というふうに思う人もおられるでしょうが、私はむしろ、一つの大きな決断をされて、今その経験の中から新たな人生を歩み出そうとしておる、何か新鮮な、本当に新しいものを見るような思いで今議会のあなたを見詰めてまいりました。
 私もこの十六年の間、知事さんにはいろいろと、時には厳しいご指導もいただきました。しかし、十六年と一口に言っても、起きたら十六年目になっておるわけではありません。一年一年のそれぞれの積み重ねが大変長いようにも感じられました。当時、18番の議席のところから始まって、10番、12番、22番、38番となって、今は46番、「シロウ」であります。これも何かの奇しき縁かなと、実はそういうふうに先日から思いながらあのいすに座っておりました。
 本当に、知事さん、ありがとう。心からお礼を申し上げて、私の知事に対する最後の質問にかえさせていただきたいと思います。
 前段にも申し上げましたように、もしあなたが県民の皆さんに何か語りかけたいことがあれば、今語っていただきたい。なければ結構であります。
 そして願わくは、議場における先輩同僚の皆さん、最終日において議長の力強いご配慮で感謝の決議がされるということであります。一部の議員の方には立場の違いがあろうと思いますけれども、どうかひとつその立場の違いを乗り越えて、苦労してくれたこの知事に対して、お互い同じ気持ちでひとつ送り出してあげたい、こういうふうに思うわけであります。心から議員各位にお願いを申し上げまして、私の質問といたします。
 ありがとうございました。
○議長(橋本 進君) ただいまの大江康弘君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
 〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 本日は、本会議一般質問の最後の日でございます。そしてまた、二十年前、私の副知事選任に議会の皆さんが同意していただいた日でございます。
 ただいま、大江議員から過去を振り返っていろいろとありがたい言葉をいただいて、ありがとうございました。
 また、今議会中、議員の皆さん方から私への丁重な言葉をいただいて、ただただ感謝でございます。追って、改めてまたお礼を申し上げたいと思います。
 どうもありがとうございました。(拍手)
○議長(橋本 進君) 以上で、大江康弘君の質問が終了いたしました。
○議長(橋本 進君) お諮りいたします。質疑及び一般質問は、以上をもって終結することにご異議ございませんか。
 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(橋本 進君) ご異議なしと認めます。よって、質疑及び一般質問はこれをもって終結いたします。
○議長(橋本 進君) 次に、議題となった全案件のうち、議案第百三十七号平成六年度和歌山県公営企業決算の認定についてを除くその他の案件は、お手元に配付しております議案付託表のとおり、それぞれ所管の常任委員会にこれを付託いたします。
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 【日程第三 請願付託】
○議長(橋本 進君) 次に日程第三、請願の付託について申し上げます。
 今期定例会の請願については、お手元に配付しております請願文書表のとおり、それぞれ所管の常任委員会にこれを付託いたします。
○議長(橋本 進君) 次に、お諮りいたします。明二十九日は各常任委員会審査のため休会といたしたいと思います。これにご異議ございませんか。
 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(橋本 進君) ご異議なしと認めます。よって、九月二十九日は休会とすることに決定いたしました。
○議長(橋本 進君) この際、各常任委員会の会場をお知らせいたします。
 職員から、これを申し上げます。
 〔職員朗読〕
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 総務委員会 第 一 委 員 会 室
 厚生委員会 第 二 委 員 会 室
 経済警察委員会 第 三 委 員 会 室
 農林水産委員会 第 四 委 員 会 室
 建設委員会 第 五 委 員 会 室
 文教委員会 第 六 委 員 会 室
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○議長(橋本 進君) 次会は、十月二日再開いたします。
○議長(橋本 進君) 本日は、これをもって散会いたします。
 午後二時十三分散会

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