平成7年9月 和歌山県議会定例会会議録 第5号(松本貞次議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

○議長(橋本 進君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 25番松本貞次君。
 〔松本貞次君、登壇〕(拍手)
○松本貞次君 おはようございます。
 和歌山県知事・仮谷知事を百八万県民はどのような目で見ているのでしょうか。県民の父、かたい人、賢い人、雲の上の人。
 私は、昭和六十二年に初めて知事とお会いする機会を得ました。知事のイメージは、行政マン一筋、石部金吉のように融通のきかないかたい人、雲の上の人、そう思っておりました。だが、この八年間、仮谷知事とともに県政にかかわり、知事の人間としての温かさ、懐の深い、おやじのような思いやりに数度となく触れる機会を得ました。特に平成元年、カナダに同行し、あのナイアガラの滝で知事がポロシャツにかっぱを着た姿を今も思い出します。仮谷知事のあの姿を思い出すと、人間味あふれた隣のおっちゃん、そういう親しみを感じます。私は、百八万県民一人一人に、もっともっと人間・仮谷知事を知ってもらいたかった、そういう思いがしてなりません。
 知事、今日の混迷する知事選挙を見て、あなたが出馬しておればこういう現象が起きなかったのではないか。私は、もう一度この場であなたに出馬の要請をしたい。いかがですか。もう一度チャレンジをしてほしかった、こう思うのは私一人でしょうか。
 もっといろいろと私の思いを語りたいのですが、後日、二十年を総括して思い出を語っていただけるそうですから、私はこの辺で本題に入らせていただきます。
 同和行政二十年の総括と今後の方向をお聞かせ願いたい。
 仮谷県政二十年の総括の大きな柱は、同和行政二十年だと私は思います。二十年前の県下の部落の実態は、雨が降れば傘も差せない狭い道路、共同便所、共同井戸、六畳一間に五人家族、多くの難問題が山積しておりました。
 昭和四十年、同和対策審議会の答申が出され、昭和四十四年、同和対策事業特別措置法が制定されました。昭和五十年に仮谷知事が初当選したころが、各市町村ともどもに一番数多くの事業着手のときだったと思います。
 私も、昭和五十年に湯浅町の議員として同和行政一筋に邁進してまいりましたので、折に触れ、時に触れ、仮谷知事の同和行政への熱のこもった姿を見てまいりました。仮谷知事の同和対策における功績は大であります。「真の民主主義の確立は同和問題の解決なくしてあり得ない」との基本認識を常に堅持し、同和行政の推進役としてみずから地域に出向き、住民との心の触れ合う施策の推進と実践に努め、同和問題の早期完全解決に向け取り組まれてきました。
 昭和五十年十二月、国の諮問機関である同和対策協議会の委員として内閣総理大臣より各都道府県の代表として唯一任命され、極めて職務多忙の中、協議会には積極的に出席し、国の行政の責務を明らかにするとともに、国の行政施策の方向等についても数多く意見具申を出していただきました。
 中でも、昭和六十一年十二月、地域改善対策協議会で当時の玉置総務庁長官と国の責務について議論されたこと、また平成三年七月、中間意見具申を取りまとめる際に三点について意見を申し入れ、その趣旨を取り入れていただいたこと、とりわけ平成三年十二月十一日、県議会開会中にもかかわらず、県議会の皆様にご賛同賜り地対協に出席、「法的措置を含め何らかの適切な措置を検討する必要があろう」とあるが、「何らか」を削り「必要がある」と強調してはどうかと強く申し入れをされ、今日の地対財特法の制定になった。知事は常に崇高な哲学のもと、同和問題解決の将来的展望を見きわめながら明確な指針を打ち出していただきました。
 また、本県の同和対策事業実施面においては、昭和四十四年から平成六年まで、生活改善事業では五千六百二十五億九千六百万、社会福祉関係では八百億三千六百万、農林水産関係では九百六十一億七千八百万、商工関係では三百八十二億八千六百万、教育関係では五百九十億七千万、その他の事業として二千四百五億六千四百万、合計一兆七百六十七億三千万の巨額を投じ、同和対策事業を県行政の最重点施策として掲げ、実態面は言うに及ばず、心理面においても大きな成果をおさめてきたところであります。
 仮谷知事、あなたの卓越した哲学のもと、同和問題解決に将来的展望を見きわめながら対応された功績は県民ひとしく認めているところであり、同和問題の早期完全解決を目指す上に果たした功績は大であります。
 そこで、同和行政二十年を総括する意味で、あなたの、知事の思いをお聞かせ願いたい。
 また、今日的課題として、同和行政の歴史的転換期に立っていると言われております。本年六月の地対協総括部会の小委員会報告では、平成五年度実態調査の分析、評価の視点については弱点はあるものの、従来の対策を漫然と継続していたのでは同和問題の早期解決に至ることは困難であり、同和問題について人権問題の本質から整理し直し、その解決に取り組む新たな段階に入っているものと考えるとの報告がありました。また、さきの第百三十二通常国会では、同和問題の抜本的早期解決のあり方について法的措置、行財政的措置の必要性を認めつつ、六月九日、内閣閣僚懇談会で村山富市総理は「人権尊重は村山内閣の重要使命であり、政府・与党一体で協力していきたい」と部落解放基本法を念頭に新規立法に前向きの姿勢を示したと、六月十日付の各社の新聞報道がありました。また、社会党は部落差別撤廃基本法案、新進党は同和対策基本法案を党内で決定いたしました。また、世界人権宣言における人種差別撤廃条約の批准は年内に必ず、こう言われております。
 ところで、人種差別撤廃条約は、その名のとおり人種差別の撤廃を主眼とするものであって、同じ民族内の差別である部落差別の撤廃とはニュアンスが違うのではないか、そう考えておられる方がいるかもしれません。しかし、この人種差別撤廃条約の第一条に「人種差別の定義」として、「この条約において、『人種差別』とは、人種、皮膚の色、門地又は民族的若しくは種族的出身」云々とあります。この「門地」が、部落問題と密接にかかわってくるのであります。「門地」とは、血統、家柄、家格の意であり、まさに出生、出自の問題であります。部落問題とのかかわりは明確であります。
 憲法第十四条に、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とあります。今から四十九年前に公布されたこの憲法の条文の精神を具体化するためにも、人種差別撤廃条約の批准は当然のことであります。どちらかと言えば、遅きに失した感がいたします。
 その主たる要因は、この条約の第四条の「人種的優越主義に基づく差別・煽動の禁止」との関連において、表現の自由や結社、集会の自由が保障されている憲法に抵触する、すなわち国内法の整備が困難であるとの理由から、今日まで歴代政府はこの条約の批准を怠ってきたのであります。つまり、国民の知る権利や表現する権利を明らかにし保障したことは評価すべきですが、「差別する自由」はあってはなりません。国内法の整備こそ急ぐべきことであり、我が国の差別撤廃、人権確立の大きな柱になります。また、一九八四年三月十日、国会においても人種差別撤廃条約について活発な論議がされました。当時の佐藤地域改善対策室長が「同和問題についても含まれておると承知いたしております」と答弁をしております。
 このように、中央政界においても、また世界においても、人権は政治の中心となっております。二十一世紀に向けた新たな同和行政のあり方も、今求められております。
 仮谷知事、あなたの二十年の経験を我々に一言ご提言していただき、部落差別撤廃のよき日の達成のためにも方向をお示ししていただきたい。人種差別撤廃条約については、総務部長から今日の現状を答弁願いたい。また、人種差別撤廃条約と同和問題の関連について私の意見を述べましたが、民生部長のお考えをお示し願いたい。
 次に、教育について質問をいたします。
 今、学校教育のあり方について大きな社会問題となっています。いじめや校内暴力、登校拒否等々。新しい学校教育のあり方を求める声は日増しに強く、学校の現場では日々改善、創造を工夫し、苦悩し努力する学校の先生の活動に、冒頭に心から敬意を表したいと思います。
 先日、ある保護者からこのような相談を受けました。「私の子供は小さいときから電車が好きで、和歌山駅から新宮駅まで駅名を漢字でしっかり覚えています。でも、易しい問いかけにもピントがずれ、何か教えてもすぐに忘れてしまって定着しません。また、虫が好きで、その知識は相当なものです。ところが、運動会の話をしても、遠足の話をしても、すぐに虫の話になります。学校の先生も、当初は虫のことになるとよく話をする子供だなと思っていたのですが、たび重なるうちに『絶対に虫の話をするな』と約束をさせてしまいました。虫のことを話すと先生にしかられ、今は虫のことに限らず、何をしても学校の先生をいらいらさせてしまう。クラスの仲間も、『A君は変な子や』、『おかしなやつだ』と、今は仲間外れにされています。学校の先生に相談に行くと『A君に問題があるのでは』と、むしろ私の育て方に問題があるように言われます」、このような話でした。興味のある事柄については人一倍関心を示し、ほかのことは全くという児童。
 ことしの三月二十七日付の朝日新聞の夕刊に、「知的障害とは区別、学習障害(LD) 文部省初めて定義を示す」というような記事を見ました。「LD」、「学習障害児」、余り聞きなれない言葉なので何だろうと思いました。「LD」とは、英語でラーニング・ディスアビリティーの略語だそうです。「ラーニング」とは学ぶこと、学習、「ディスアビリティー」とは能力障害、病気か事故で能力を欠くこととあります。「ラーニング・ディスアビリティー」とは、学習不能、神経障害などにより読み書きや計算ができないこと、その児童となっています。だが、我が日本でのLD、学習障害はちょっと違うところもあるようです。
 一九七九年、養護学校の義務化以来、それまで「就学免除」という言葉があったように、教育の光が当たりにくかった重度障害の子供まで、つまりすべての子供たちに教育のチャンスが与えられるようになった。しかし、このすばらしい前進が、一方では養護学校、特殊学級における対象児童の重度化の傾向になってはいないだろうか。また、健常児と障害児教育の差を一層広げてしまってはいないだろうか。
 学校教育法第二十二条の二項に、特殊教育諸学校(養護学校)への定義が書かれております。小・中学校の特殊学級の定義はまた、その谷間で数多くの児童が「ぼくのことをわかって」と小さな体で、声で叫んでいる子供たちがいないだろうか。今、学校教育における要望は多種多様であります。先生と生徒、子供と家庭、個々における指導の重要性は言うまでもないと思います。今、もう一度考えてみたい。
 学習障害児・LDとはどのような子なのか。LDの概念についての定義はあいまいですが、自閉症も、精神障害も、言語障害も、情緒障害も、すべてLDの児童にしてしまうという批判があります。LDと診断する際には、一つは知能的に大きなおくれがない、二つ目は学力の習得や行動面に幾つかの発達的な特有の問題症状が見られる、三つ目は環境的な要因でなく子供自身の脳の働きに関係する原因が推定される、この三点が考えられると言われております。また、一九八一年にアメリカのLDに関する合同委員会は、「学習障害児・LDとは、聞く、話す、読む、書く、推論する、計算するなどの能力を習得したり用いたりすることに著しい困難を示すさまざまな障害を包括する用語である」と書かれています。
 確かに、小・中学校での基礎学力は今日の教育の中心的課題であります。だが、私はこの保護者の訴えを聞く中で、障害児教育を進める中での多種多様な取り組みの必要性を感じました。
 そこで、教育長にお尋ねをいたします。
 学習障害・LDについて、文部省の機関として初めて独自の定義を公表いたしました。この文部省初等中等教育局特殊教育課より出されました学習障害児に対する中間報告について、県の教育委員会としてどのように受けとめ、対応していくのか、教育長のご所見をお伺いしたいと思います。
 以上でございます。
○議長(橋本 進君) ただいまの松本貞次君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
 〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 松本議員にお答え申し上げます。
 同和対策事業二十年の総括と今後の方向でございますけれども、私は、昭和五十年十一月に知事に就任して以来五期二十年、小野先生、大橋先生の後を受けて、常に「同和問題の解決なくしては真の民主主義の確立はあり得ない」との基本認識のもとに、県政の最重点施策として同和行政の推進を行ってきたところでございます。
 ただいま、議員の質問の中で、私が同和行政に携わってきた経過などを聞いておりますと、過大な評価もございますけれども、そのときどきのことが思い出されて、ひとしお感慨深いものがございました。中でも、国の地域改善対策協議会の委員をしておった平成三年七月、中間答申を出すに当たり、いろいろもめたわけでございます。本県や他府県の現状を踏まえて、同和問題の解決は国の責務である、今後の重要課題は啓発である、そして残事業の問題の三点を提案して、私の意見に他の委員も賛同していただき、この趣旨を取り入れていただいたわけでございますけれども、当時はやはり、一番の「国の責務である」という認識が各委員には薄かった感じがしたわけでございます。こうしたことなども、思い出の一つでございます。
 また、私が知事に就任したころは同和対策特別措置法の時代でございまして、県内の同和対策事業はハード面に重点を置いておりました。そして二十年が経過した今日、実態的差別の解消については相当な成果を上げてまいっておると思っております。また、心理的差別を解消するため「県民みんなの同和運動」を初め諸施策を積極的に推進してきたところ、明るい展望が開けつつあると思うわけでございまして、私も大きな期待を持っておるところでございます。このように成果を上げてこられたのも議員初め県民の皆さんのご理解とご協力のたまものと、感謝しているところでございます。
 今後の心理的差別の解消を初めとする残された問題の解決を図るためには、教育啓発を中心とした取り組みが以前にも増して重要であると思っております。先ほども話ございましたように、世界は今、人権尊重への大きな流れの中にあるわけでございまして、さらに県民挙げて心理的差別の解消を図るために大きなうねりをつくり上げていかなければならないのではないかと考えております。
 私は、部落差別の存在する限り同和対策を続けていかなければならないことを基本としながらも、今また、地域改善対策協議会で時代の流れの中で検討を進めておるわけでございます。これらの論議を踏まえ、今後の同和対策のあり方を十分議論してその方向を示していくべきであると考えており、差別のない社会を早急につくるべきであると考えておるところでございます。
 以上です。
○議長(橋本 進君) 総務部長木村良樹君。
 〔木村良樹君、登壇〕
○総務部長(木村良樹君) 人種差別撤廃条約の批准の現況についてのご質問でございます。
 人種差別撤廃条約は、一九六五年の国連総会で採択されて以来、現在三十年が経過する中で、本年の四月現在、百四十三カ国が条約締結国となっているところでございます。
 我が国がこれまで批准できなかった最大の障害は、お話の中にありましたように、差別思想の流布や差別、扇動などを法律で処罰するよう求めたこの条約の第四条と、表現の自由等、日本国憲法の保障する基本的人権との関係をどのように調整するかという点にあったわけでございますけれども、政府内では、この臨時国会への上程を目指して検討がなされているというふうに聞いているところでございます。
○議長(橋本 進君) 民生部長木村栄行君。
 〔木村栄行君、登壇〕
○民生部長(木村栄行君) 人種差別撤廃条約と同和問題のかかわりについては、議員お説のとおり、人種差別撤廃条約をめぐり、各方面においてそれぞれの立場でいろいろな見解のあることは承知いたしております。また、この条約の第一条第一項に言う「門地」についても、さまざな解釈がございます。
 いずれにしても、現在、国においてこの条約に関して日本国憲法との関係等について協議中であると聞いており、この条約のあらゆる形態の差別を撤廃するとの趣旨については理解のできるところでございます。
 以上でございます。
○議長(橋本 進君) 教育長西川時千代君。
 〔西川時千代君、登壇〕
○教育長(西川時千代君) 学習障害についてお答えをいたします。
 この学習障害については、平成七年三月、文部省の調査研究協力者会議の中間報告において、文部省の機関として初めて定義づけがなされたところであります。
 その定義によると、学習障害とは、基本的には全般的な知的発達におくれはないが、読み、書き、計算する、聞くこと、さらに話すことなど、特定の能力の習得と使用に著しい困難を示すさまざまな障害を指すものとされてございます。調査研究協力者会議では今後さらに調査研究を継続し、二年後に最終のまとめを出す予定と伺っております。
 教育委員会としては、学校教育の重要な課題の一つとしてとらえ、庁内において論議するとともに、県特殊教育協議会においてこの学習障害児の教育についても審議をいただいているところであります。さらに、学習障害児についての理解を広めるため、この中間報告書を地方教育事務所長会議、特殊教育諸学校の校長会等において配付し、説明したところでございます。
 学習障害児の示す特性や学習上の困難は、さまざまであると考えられます。このため、一人一人の実態の把握について慎重を期するとともに、個に応じた指導を適切に行うよう工夫することが重要となります。今後、文部省の調査研究協力者会議の中間報告及びその後の審議の経過を踏まえ、県特殊教育協議会で審議を深めていただきながら、学習障害児に対する適切な指導や教育相談のあり方などについて研究してまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(橋本 進君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(橋本 進君) 再質問がございませんので、以上で松本貞次君の質問が終了いたしました。
 これで、午前中の質疑及び一般質問を終わります。
○議長(橋本 進君) この際、暫時休憩いたします。
 午前十一時三十七分休憩
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