平成7年9月 和歌山県議会定例会会議録 第5号(全文)


県議会の活動

議 事 日 程 第五号 平成七年九月二十八日(木曜日)
   午前十時開議
 第一 議案第百四号から議案第百三十七号まで(質疑・委員会付託)
 第二 一般質問
 第三 請願付託
会議に付した事件
 一 議案第百四号から議案第百三十七号まで(質疑・委員会付託)
 二 一般質問
 三 請願付託
 四 休会決定の件
出 席 議 員(四十七人)
 1 番 大 沢 広太郎
 2 番 木 下 善 之
 3 番 小 川  武
 4 番 吉 井 和 視
 5 番 下 川 俊 樹
 6 番 井 出 益 弘
 7 番 藁 科 義 清
 8 番 門  三佐博
 9 番 永 井 佑 治
 10 番 新 島  雄
 11 番 向 井 嘉久藏
 12 番 佐 田 頴 一
 13 番 和 田 正 一
 14 番 阪 部 菊 雄
 15 番 西 本 長 弘
 16 番 馬 頭 哲 弥
 17 番 長 坂 隆 司
 18 番 井 谷  勲
 19 番 高 瀬 勝 助
 20 番 上 野 哲 弘
 21 番 堀 本 隆 男
 22 番 宇治田 栄 蔵
 23 番 宗  正 彦
 24 番 橋 本  進
 25 番 谷  洋 一
 26 番 玉 置 公 良
 27 番 東 山 昭 久
 28 番 尾 崎 要 二
 29 番 野見山  海
 30 番 木 下 秀 男
 31 番 町 田  亘
 32 番 中 山  豊
 33 番 山 下 直 也
 34 番 鶴 田 至 弘
 35 番 森  正 樹
 36 番 村 岡 キミ子
 37 番 新 田 和 弘
 38 番 平 越 孝 哉
 39 番 森 本 明 雄
 40 番 神 出 政 巳
 41 番 松 本 泰 造
 42 番 冨 安 民 浩
 43 番 飯 田 敬 文
 44 番 中 村 裕 一
 45 番 松 本 貞 次
 46 番 大 江 康 弘
 47 番 和 田 正 人
欠 席 議 員(なし)
説明のため出席した者
 知 事 仮 谷 志 良
 副知事 梅 田 善 彦
 出納長 中 西 伸 雄
 知事公室長 野 見 典 展
 総務部長 木 村 良 樹
 企画部長 藤 谷 茂 樹
 民生部長 木 村 栄 行
 保健環境部長 鈴 木 英 明
 商工労働部長 中 山 次 郎
 農林水産部長 日 根 紀 男
 土木部長 山 根 一 男
 企業局長 中 村 協 二
 以下各部次長・財政課長 
 教育委員会委員長
   岩 崎 正 夫
 教育長 西 川 時千代
 以下教育次長
 公安委員会委員 高 垣  宏
 警察本部長 青 山 幸 恭
 以下各部長
 人事委員会委員長
   若 林 弘 澄
 人事委員会事務局長
 代表監査委員 天 谷 一 郎
 監査委員事務局長
 選挙管理委員会委員長
   谷 口 庄 一
 選挙管理委員会書記長
 地方労働委員会事務局長
職務のため出席した事務局職員
 事務局長 岩 垣  孝
 次 長 中 西 俊 二
 議事課長 松 田 捷 穂
 議事課副課長 佐 竹 欣 司
 議事班長 松 谷 秋 男
 議事課主査 山 本 保 誠
 議事課主事 長 尾 照 雄
 総務課長 岡 山 哲 夫
 調査課長 柏 木  衛
 (速記担当者)
 議事課主任 吉 川 欽 二
 議事課主査 鎌 田  繁
 議事課速記技師 中 尾 祐 一
 議事課速記技師 保 田 良 春
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 午前十時五分開議
○議長(橋本 進君) これより本日の会議を開きます。
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 【日程第一 議案第百四号から議案第百三十七号まで】
 【日程第二 一般質問】
○議長(橋本 進君) 日程第一、議案第百四号から議案第百三十七号までを一括して議題とし、議案に対する質疑を行い、あわせて日程第二、一般質問を行います。
 12番佐田頴一君。
 〔佐田頴一君、登壇〕(拍手)
○佐田頴一君 それでは、議長からお許しをいただきましたので質問に入りたいと思います。
 その前に、知事さんに一言お礼を申し上げたいと思います。
 人にはだれでも出会いがあると同時に、また別れがあります。仮谷知事さんにとっては、五期二十年の長きにわたり本県の飛躍発展のため「まごころ県政」を推進され、今日に至っておりますが、いよいよ退任する日も迫ってまいりました。本当にご苦労さまでした。深く敬意と感謝を申し上げます。今後は健康に留意され、県政、県民のご意見番としてさらにご指導、ご鞭撻を賜りますよう心からお願い申し上げて、一般質問に入らせていただきます。
 那賀郡東部那賀・粉河・大阪府南部貝塚・岸和田幹線道路の新設についてであります。
 那賀町、粉河町における最重点課題であり、長年の懸案である大阪府南部への幹線道路の早期実現でありますが、ご承知のとおり、両町は県内紀の川筋にあって、経済、人口等横ばいの傾向で、沈滞ぎみの谷間現象が生じている地域であり、これに歯どめをかけ再浮上するためには、大阪府岸和田・貝塚市から那賀・粉河町への直結道路の整備が急務であると考えます。そのため、和歌山県から大阪府へ最短距離をもって貫通する道路の経済効果を期し、去る昭和五十三年三月、両町の町長、町議会、区長会全員と各種団体長をもって大阪府南部・和歌山県那賀郡東部府県道整備促進期成同盟会を設立し、目的達成すべく今日まで努力を続けてまいりました。
 少しその経過を申し上げますと、平成二年度は六月十三日、和歌山県副知事、土木部長に事情説明と陳情、七月十八日、岸和田土木事務所所長に、八月十日、大阪府土木部長、道路課長に、平成三年度は十一月十九日、大阪府緑の環境整備室長と本県農林水産部の井戸林務長に、平成四年度は二月二十八日と五月六日に、大阪府緑の環境整備室長と本県林政課長と岸本元県議が府県間道路について協議。これに対する回答は、平成二年二月、和歌山県議会で、粉河町・貝塚市の府県間道路については地方的な幹線道路網を構成するなど検討事項が数多くなり、今後、大阪府と当路線の方向づけについて協議してまいりたいと磯村土木部長が答弁をしています。大阪府の回答は、道路の位置づけ問題等について、道路課、企画室等を含めた府庁内の検討調整をまず進めたい、さらに、府県間の協議を進めながら、最終的には阪和開発連絡協議会における阪和間交通のアクセスの議題の一つとされる方向で取り組んでいきたい、また現在、大阪府企画室長と緑の環境整備室との間で道路の位置づけ問題等について調整中となっている。これが現在までに知り得た内容であります。
 地元期成同盟会が今日まで約二十年間にわたりこの問題に取り組んできた経過でありますが、距離は、粉河町西川原の起点より貝塚インターチェンジまでの全長十三キロで、和歌山県側の改修は三キロ、葛城山トンネルは二・五キロ、大阪府側は二・二キロメートルで、府県道岸和田牛滝山貝塚線を経て近畿自動車道松原線、大阪外環状線、国道百七十号線に至る幹線道路となり、紀北中心部から大阪へと結ぶ通勤・通学の最短距離となるため、昭和三十年ごろより府県道整備が一番の急務と考え、真に京阪神経済圏に対する表の玄関口としての役割を果たしながら紀の川流域の産業振興の拠点となることを期して、今日まで頑張ってきたのであります。
 今、大阪府は関西国際空港に関連して南部地域に力を入れ、大阪南部の地域開発プロジェクトだけでも、大小合わせて百数十あると言われています。大規模なものだけでも、和泉中央丘陵新住宅市街地開発事業、和泉コスモポリス計画、岸和田コスモポリス計画、泉佐野コスモポリス計画、阪南丘陵新住宅市街地開発事業など、大規模な開発プロジェクトが二十一世紀に向けた住宅開発、町づくり計画を力強く推進しています。
 一方、和歌山県側はどうなっているのだろうか。本県における主なプロジェクト、重点事業及び各市町村において計画されている主なプロジェクト構想は、和歌山定住圏内に那賀郡が入り、御坊定住圏、橋本定住圏、田辺定住圏、有田定住圏、新宮定住圏となっているが、那賀地方を生かした定住圏が見当たらないのはなぜか。まず、それを聞きたい。定住圏の目的は、それぞれの圏域が持つ自然、歴史、文化等を最大に生かしながら、交通基盤の整備、産業の振興、都市機能の充実に努め、活力と潤いのある定住圏づくりを推進し、地域の活性化と若者の定住を促進するとある。那賀郡は、和歌山定住圏ではなく、なぜ独立したこれら地区に該当しないのかであります。
 私たちは、近畿自動車道、京奈和自動車道、紀淡海峡ルート第二国土軸の大規模プロジェクトによる二十一世紀への県土づくりも大変重要な課題であると思いますが、それよりも増して、今我々が生活している身近なこの道路の早期実現を待ち望んでいるのであります。
 大阪南部の町づくり計画と紀の川地域の町づくり計画をこの道路で直結し、京阪神一千万人と結ぶことによって、どれだけ和歌山県が活性化するか。奈良県の奈良盆地の発展ぶりと本県を比較すると明確であり、はかり知れないほどの効果があると確信します。まず、この道路についての知事のご所見を承りたいと思います。
 続いて、関係部長にお尋ねします。
 一、第五次長期総合計画策定に着手すると聞くが、現第四次長期総合計画の中にこの道路はない。今後新たに、人口、経済の動向調査等の基礎調査、審議会への諮問が実施されるが、平成九年度の審議会答申、新長期総合計画の中にこの道路をぜひ入れてほしいと思います。
 二、和歌山県と大阪府における諸課題の解決と事業の促進について両府県が連携調整及び協議を行う阪和開発連絡協議会があるが、この那賀郡東部・大阪府南部府県道の新設道路を協議事項として提出できないかどうか。
 三、半島振興法を活用した道路整備が行われ、昭和六十三年度から平成五年度まで六年間で、補助事業、単独事業を含めて九百二十二億円の事業が実施されているが、半島振興法が充実延長されたこの機会に、この制度を最大限に活用してこの府県間道路の事業に着手できないかどうか。また、この半島振興法の適用がない大阪府側はこの場合どうなるかを聞きたい。
 四、この府県間道路は何十年先に完成されても、今生きて生活している我々にとっては余り意味がないと考えます。早期に着工・完成させるためには有料道路で完成することも検討に値すると思うが、有料道路での建設はできないかどうか。
 五、昭和六十三年度に両府県で紀の川利水に関する協定書を締結し、府県間道路五地区を指定して道路整備を図られているが、これ以外の道路として新規にこの道路を追加できないかどうか。
 六、財団法人紀の川水資源地域対策基金交付金いわゆる分水協力金に基づく地域整備事業については、平成二年度から地元に適した地域整備を推進するため、紀の川流域の市町村が実施する事業を対象に助成制度を設けて実施しているが、この資金を活用してこの道路の建設を推進できないかどうかであります。お教えいただきたいと思います。
 続いて、紀伊半島内陸部の横断道路計画推進についてであります。
 道は、人や荷物を運ぶのみならず経済、人口、文化をも運び、道路なくして地域の発展は望まれません。今後は、本県の面積の八〇%を占める紀伊半島内陸部の緑豊かな奥地開発を行い、均衡のとれた県土づくりがぜひ必要であります。具体的に申し上げますと、粉河町の国道二十四号線から紀の川を渡り、紀中、紀南へと延びる横断的な道路計画を推進しなければなりません。
 大阪泉南地方から粉河を経由して、現在調査費が計上されている新しい竜門橋を渡り、鞆淵地区へ直結するトンネルを龍門山に掘り、さらに南下して海草郡美里町長谷宮の国道三百七十号線に接し、花園村の国道四百八十号線へと結ぶ横断道路を新設することによって、現行で粉河まで約五十二キロあるこの道路は約二十二キロに短縮され、距離で二分の一以下、時間にすると三十分で現在の三分の一程度となり、有田方面や高野龍神スカイラインに直結し、紀中、紀南から大阪大都市圏及び関西国際空港まで、海岸線を使用せず、内陸部のみの最短距離となります。
 幸い、今、花園村と美里町では、両町村を結ぶ町村道花園長谷線が通り、地蔵峠の中腹にトンネルを掘る構想を立て、花園村梁瀬の国道三百七十号線と美里町長谷宮の国道四百八十号線を結ぶ延長十一・九キロメートルを現在の三十分から約十分に短縮すべく、「地蔵トンネルの貫通を目指そう」と、花園村梁瀬にトンネル実現を訴える大看板が設置されているし、粉河町でも「粉河・鞆淵・美里・花園への道路の早期実現へ」というような立て看板が多く掲げられて、促進期成同盟会も発足し、地元の熱気は大変盛り上がっているのが現状であります。
 紀伊半島の奥地より林産物、農産物の搬入搬出も容易となり、南は高野龍神スカイラインを往復する観光客にも大変便利となり、奥地開発への活性化につながっていきます。そのためにも、紀伊半島内陸部横断新幹線道路と位置づけてこの構想をぜひとも実現させ、大阪大都市圏と紀北、紀中、紀南を結ぶ、大動脈となる横断道路の実現を要望するものであります。これこそ紀伊半島振興につながると確信しますが、この構想についての知事及び関係部長のご所見を承りたいと思います。
 続いて、JR和歌山線の複線化と京都、奈良、名古屋への乗り入れダイヤの復活についてであります。
 県勢の発展には、道路とともに鉄道の輸送力も地域にとって重要な課題であり、積極的に取り組まなければならない事柄であります。鉄道の持つ機能や役割を改めて見直し、鉄道による利便性の向上に今後とも対応していくことが地域の活性化を促進していく上でぜひとも重要であると考えます。
 関西国際空港の開港や、豊かな自然資源と歴史、文化などを生かしたリゾート開発などの推進により、今後さらに旅客需要の増加が見込まれる本県の鉄道網の整備は、輸送力の増強、利便性の確保に対し、懸命に取り組まなければならない問題であります。
 既に本県の幹線鉄道であるJR紀勢本線は、高速化と快適性の向上を目指して紀勢本線活性化促進協議会も設立され、紀伊半島へのミニ新幹線の導入に意欲的な提案も行われ、スピードアップによる時間短縮、車両の改善も含めて、紀勢本線高速化等の事業に対する関心度が非常に高まりつつある昨今でありますが、一方、JR和歌山線の整備については現在どのような形で改善の計画を立てているのか、伺っていきたいと思います。
 JR和歌山線沿線の那賀郡は、関西国際空港より三十キロ圏内、大阪市内からでも六十キロの至近距離に位置し、将来は本県の京阪神の表玄関になるとも目されている地域で、泉南地域と紀北地域を含めた新しいエリア、第四の百万都市にふさわしい鉄道網の整備も今から準備していかなければなりません。これからの問題であります。
 これまで、JR和歌山線の複線化を含む改善は地域の切実な要望として陳情してまいりましたが、現在の状況はどうなっているのか、真剣に考えてみたい。五十年前の戦前と同じように、平たんな土地に二十四号線の国道と単線の和歌山線が並んで走っているだけで、常に、この和歌山線は何とかならないのだろうかと、紀北地域の最重点課題だという問題意識を持って和歌山線の現状を見詰めています。県においても、鉄道交通の著しく不便なこの地域住民の利便性を考慮していただき、一日も早く複線化を推進し、沿線開発や観光開発などの地域開発ともあわせ促進する観点から質問します。
 一、紀勢本線と異なり和歌山線の距離が短く、和歌山・橋本間でも五十キロ前後のため、乗客が少なく収入も少ないため不採算路線として改善投資はできないという意見もあるが、この和歌山線と桜井線、奈良線を結び、東に延長すれば何百キロにも延長できる。この和歌山線も、昭和三十年代、我々学生時代には先人たちの努力により和歌山・東京間に夜行列車が走り、急行列車も奈良、京都、名古屋に乗り入れていたのであります。和歌山線を早期に複線化し、桜井線、奈良線と結ぶことはできないのかどうかであります。
 二、関西国際空港開港により昭和の時代と比較できないほど発展している二十一世紀の紀北地方は、大阪のベッドタウン化が進んで、この地方からより早く大阪へ、より早く奈良や京都や名古屋へ特急・急行電車を走らせよとの地域や乗客の要望も強くなってくると思われます。京奈和自動車道の建設も大変重要な課題でありますが、この実現には長い時間がかかります。我々は、この高速自動車道よりも増して鉄道の改善、すなわち新規ではなく昭和三十年代のダイヤの再復活を強く要望してまいりたいと思います。桜井線、奈良線の大阪・奈良または京都・奈良を経て和歌山を経由し、関西国際空港へと、また紀南方面へと、紀州路快速や関空快速電車を北回りではなく南回りルートで導入する計画を推進できないか、県の考え方をお聞きしたいと思います。
 続いて、紀の川井ぜき改修と周辺地域の環境整備についてであります。
 紀の川流域の和歌山県側は、橋本市より和歌山市までの二市九町に及び、その豊かな水量は紀の川平野に住む県民の農業や工業、都市用水にも分水され、大きな恵みを与え、紀の川の水は血の一滴にも値すると言われるほど、流域に住む六十万人の母なる川として今日に至っています。
 先日、朝日新聞で、「川面の風そびえる大堰」というタイトルで、紀の川の流れがとまり、行き場のない水が池のようにたまる、那賀町の藤崎井堰にとめられた流れは幅二百十メートルのせきから約三メートル下に流れ落ちる、そこから再び流れが動き始める、両岸にはコンクリート製の水門四基が立つ──これが写真入りの記事の内容でありますが、こののどかな井ぜき地帯も、農業の利水面については、土地改良区の皆さんの懸命の努力により紀の川平野の農業地帯に水を供給し、最大の恩恵を与えていますが、このコンクリート井ぜきがあるために過去幾度か大災害も受けています。私自身の家も水害で流され、現在も流れない風呂など、その残骸をさらしています。この母なる川も、この井ぜきが現在もなお多くの人たちに災害を与えて、何十年の長きにわたり悩み続けさせており、井ぜき付近に住む多くの人たちの一日も早い改修の声には切ないものがあります。
 今、和歌山市有本に紀の川大堰の建設が進み、大阪への分水等を目的とした最大級のせきが建設中でありますが、この紀の川流域に終戦まで八カ所あった井ぜきが、四十二年前の大洪水ですべて流失しています。これを機会に、以後、新しい巨大なコンクリート固定ぜきが登場し、小田頭首工、藤崎頭首工、岩出頭首工、新六箇頭首工の四カ所に集約したのでありますが、井ぜきはいずれも紀の川の川幅が極端に狭い場所を選び建設したため、大台ケ原を含む、台風の常襲地帯を流域に持つ紀の川では、井ぜき周辺に水害を発生させてこの付近の人たちを困らせています。
 紀の川治水工事が今から約七十年前から開始され、洪水の実績をもとに築堤、河道掘削、護岸などの改修工事が実施されているが、井ぜきのあるこの周辺地域住民の生活権を守るためにも、水害予防の対策改善がぜひ必要であります。
 洪水流下の障害となっている新六箇井堰は紀の川大堰の建設に当たり全面撤去され、新たに紀の川大堰より取水して、農業用水、工業用水、上水道の各取水の施設を設置すると聞いているが、小田、藤崎、岩出の頭首工の井ぜき改修についての対策をまず聞きたい。
 現在、那賀町の藤崎井堰は、農業用水などの取水を目的として昭和二十年代後半に現在の形に改築されたものであり、このせきはコンクリート固定部が現河床から約三メートルも突き出た半固定ぜきで、洪水流下のときの大きな障害となっています。この井ぜきは、私たちが子供のころ、竹で箱をつくり、これに岩石を入れてつくったもので、洪水が出ると災害が生じないよう流れてしまう方法をとり、流れをとめる障害にならない井ぜきをつくっていたのであります。
 そこで、関係部長にお尋ねします。
 一、小田、藤崎、岩出の井ぜきから取水している農業用水等の取水施設を残しながら現在の固定式井ぜきを撤去し、新たに可動式井ぜきに変更して、洪水時には障害物を受けず安全に流下し、洪水流下の妨げにならないように移動式ゲートを堤防の高さまで引き上げられる構造に改善できないかどうか。
 二、紀の川流域の頭首工は、農業用水関係者すなわち土地改良区の組合に関係あると思うが、この改修には莫大な資金が必要であると思われます。この責任は、県か、建設省か、農林水産省か、土地改良区か、その所在が明確ではないが、どこにこの改善を求めていったらよいか、教えてほしい。
 次に、周辺環境整備の問題についてであります。
 那賀町、かつらぎ町の境界に紀の川の中州・船岡山がありますが、この上流の萩原、西渋山地区は、洪水ごとに船岡山がせきの役目を果たし、常に台風洪水時の遊水地帯であったが、これを解決するため船岡山の南側を取り除き、洪水の流れをよくしたため、今では遊水地ではなく、橋本伊都公共下水道終末処理場に生まれ変わっています。藤崎井堰の上流にも、紀の川の真ん中に中州があります。那賀町藤崎、後田、西脇、北湧地区、粉河町荒見地区は、この島を取り除くことにより流れの障害がなくなり、船岡山と同じような現象が起こるのではないかと思いますが、この中州を撤去できないかどうか。
 最後に、和泉葛城山系の国定公園編入計画と青少年健全育成の宿泊研修センターの建設についてであります。
 和歌山には、瀬戸内海国立公園、吉野熊野国立公園、高野龍神国定公園があるが、平成四年度、五年度ころに、隣のかつらぎ高野山系県立自然公園と紀仙郷県立自然公園とともに、金剛生駒国定公園に区域拡大計画を進めて編入し、新たに金剛生駒紀泉国定公園に指定する計画を既に発表されております。我々地元住民は、葛城山系の保護か開発かのいずれにも重大な関心を持ち、その成り行きを見詰めているところでありますが、国定公園化については、全くと言っていいほどその内容は知らされていないのが現状であります。
 この拡大計画は、昭和四十五年、和歌山県側から大阪府に呼びかけて進められ、両府県で国に陳情、昭和四十六年には環境庁自然公園審議会の答申に和泉葛城山系を国定公園に編入することにより、和歌山県側は橋本市、伊都郡、那賀郡の計四千ヘクタールを、大阪府はブナ林の自然林を含む三千ヘクタールの拡大計画を策定されたと聞く。その後、和歌山県は、拡大を予定していたこれらの区域は新関西国際空港から二十ないし三十キロ圏内と近く、県北部に残された、大規模開発が可能な数少ないこの地域を国定公園区域に入れれば、自然公園法で住宅造成やゴルフ場、マンションなどの建設に県の許可が必要となり開発行為が制限されるが、既に約四千ヘクタールのうち関西国際空港に一番近い約千ヘクタールの開発が進んでいるので国定公園にする価値がないとして、県みずからが見送ることを決めたという。
 このように、国定公園の計画では、大阪府側が数少ない緑を確保するために国定公園化に積極的なのに対し、和歌山県側は、最近開発の足かせになるとしり込みをしているのが現状であると言われています。
 そこで、関係部長にお尋ねします。
 一、将来和歌山県側の開発が可能な、期待できる地域に国定公園化で網をかぶせてしまうと、関西国際空港や大阪南部の都市との接点がなくなることになると思うが、県側が開発の足かせとして取り除いた千ヘクタール及び国定公園化を予定している三千ヘクタールの地域は、那賀郡、伊都郡地域のどの場所を指すのか教えてほしいこと。
 二、国定公園化を予定されている三千ヘクタールの中に紀泉高原スカイラインも含まれていると思うが、眼下に関西国際空港を望み、波及的効果を一番受けやすいこの地域が開発規制区域となると、葛城山ろくの南斜面の、太陽のよく当たる、最も発展が期待できる場所が開発規制区域となり、開発をできなくすることに反発する地元の声もある。地元や関係者に、国定公園になるとどのようなメリットがあり、どのようなものを新規に計画するのかを説明し、了解を求めているかどうか。指定だけでは全く意味がありません。
 三、編入に当たって、「和泉葛城山系国定公園編入促進協議会」(仮称)を県及び橋本市、高野口町、かつらぎ町、那賀町の一市三町で設置し、促進を図っていくと言うが、関係市町の了解があれば、平成七年度中に県の自然環境保全審議会及び土地対策審議会に諮問を行い、平成八年には国の審議会にかけていく予定と聞く。今後の進め方を教えてほしい。
 四、紀泉高原の整備は県のご協力によりだんだんと進んでいるが、豊かな葛城山系の森林資源を生かした森林レクリエーション基地づくりを目指すため、森林の景観を楽しみ、散歩したり、関西国際空港や大阪、神戸方面の百万ドルの夜景や淡路島、四国を望める山頂に、青少年の野外活動の場所として、スポーツ施設や宿泊研修施設を備えた、青少年がいつでも利用できる総合文化スポーツ施設として青少年県民宿泊研修センターをぜひ建設したいと思いますが、知事のご意見をお伺いいたしたいと思います。
 以上で、一般質問を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。
○議長(橋本 進君) ただいまの佐田頴一君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
 〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 佐田議員にお答え申し上げます。
 私のことにつきまして、ご丁重なお言葉をいただき、どうもありがとうございました。
 さて、大阪府岸和田・貝塚市から粉河・那賀町への直結道路の整備についての基本的な考え方はどうかということでございます。
 関西国際空港を初め京阪神圏へ連絡する府県間道路の整備につきましては、道路整備の重点課題として取り組んできているところでございまして、昭和六十二年に紀の川利水に関する覚書の府県間道路整備計画の中で、和歌山市加太の岬加太港線から橋本市の国道三百七十一号までの間で六路線が位置づけられており、両府県が協力してその整備促進に努力していこうということになっております。
 ご提言の粉河・那賀から貝塚・岸和田に至る新設道路につきましては、まず道路としての位置づけが必要でございますが、県道とする場合においては、地方的な幹線道路網の構成などについて検討事項が数多くあるわけでございます。そのために、まずこれを整理することが必要でございまして、今後の将来の道路網の中での課題として承ってまいりたいと思っております。
 次に、大阪大都市圏と紀北、紀中、紀南の国道を結ぶ、大動脈となる横断道路の新設の考え方でございます。
 お話ございました紀北、紀中、紀南を結ぶ横断道路につきましては、竜門橋の架橋位置並びに美里・花園間のルートの検討を現在行っているところでございまして、まず第一にこれらの整備に努力してまいりたいと思います。詳細については、土木部長から答弁申し上げます。
 次に、和歌山線の複線化の問題でございます。
 昭和五十九年十月に電化されるとともに、その後のダイヤ改正によって粉河・和歌山間に快速列車が新設される等、一定の利便性が向上されました。
 ご提言の和歌山線の複線化につきましては、国に対し要望を行うとともにJR西日本に対して働きかけを行っておりますけれども、旅客需要の問題や用地買収など巨額の投資が必要とされることなど、多くの課題があると聞いているわけでございます。複線化に当たっては利用客の増加が前提となりますが、地元の皆さんと一緒に利用促進を図るとともに、また話ございましたように発展する地域でございますので、そうした点において今後とも努力を続けてまいりたいと思います。
 また、今年度実施する県内の旅客需要調査の中で和歌山線の旅客需要を把握し、今後の和歌山線の利便性の向上施策を検討するとともに、JR西日本等、関係機関への働きかけを沿線市町村ともども続けてまいりたいと考えておるところでございます。
 次に、和泉葛城山系の国定公園編入計画とともに、そこへの青少年県民宿泊研修センターの建設についてでございます。
 葛城山系の森林資源を生かした森林レクリエーション施設としての青少年の県民研修施設の整備でございますけれども、国定公園内の適正な公園利用施設として位置づけることができると思います。
 ただ、青少年の宿泊研修センターにつきましては、近くに紀北青年の家があり、現在、この利用の拡大を図るとともに施設の整備充実に努めておりまして、葛城山系全体の利用計画の中で、スポーツ施設等、そうしたいろいろな施設について今後十分検討してまいりたいと思っております。
 他の問題は、部長から答弁いたします。
○議長(橋本 進君) 企画部長藤谷茂樹君。
 〔藤谷茂樹君、登壇〕
○企画部長(藤谷茂樹君) 佐田議員にお答え申し上げます。
 主要プロジェクト定住圏における那賀郡の役割でありますが、那賀郡は、昭和四十五年に設定された広域市町村圏制度のもとで、関係市町との協議を経て、和歌山市を中心都市とする和歌山周辺広域市町村圏として位置づけられ、圏域として一体的に整備が進められてまいりました。第四次長期総合計画の策定段階におきましても、住民の生活圏、経済圏、文化圏を総合的に勘案した結果、一つの圏域ととらえることが適当であると考え、地帯別計画を作成したところでございます。しかしながら、今日の那賀郡は、関西国際空港に近接し、また道路網の整備や住宅地の開発等により人口も増加しており、高い発展ポテンシャルを持った地域であると認識してございます。
 新たな第五次長期総合計画の圏域設定につきましては、その後の人口動態等に伴う都市化の状況、地域住民の生活圏、経済圏の動向、また道路交通網や情報通信網の整備の進展等により、さまざまな分野で交流が活発化し広域化しているといった、新たな視点からの検討を行う必要があると考えてございます。
 次に、那賀郡東部から大阪府南部への直結幹線道路の第五次長期総合計画への位置づけについてでございますが、第五次長期総合計画につきましては、現在、平成九年度に計画決定できるよう策定準備を行ってございます。個別具体的な事業に対する計画への位置づけについては今後の作業でございまして、本路線の位置づけについても、全体の道路網の中で、道路として整備を行う上での問題点や阪和間の道路構想等、種々勘案しながら検討、判断してまいりたいと存じます。
 次に、この道路を阪和開発連絡協議会で整備に向けて協議されている府県間道路に追加できないかという議員のご提言でございますが、これまでの同協議会の協議経過から、大阪府との間で解決せねばならない問題も多々残されており、当該道路の位置づけ、計画の熟度等を考えますと、協議事項に追加するということは現段階では難しいものがあると考えてございます。
 また、この道路を半島振興法により新たな道路として適用してはどうかというご質問でありますが、半島振興法の適用による道路整備につきましては、新たな路線としての整備は難しく、当面は採択された路線の整備に全力を傾注してまいりたいと考えてございます。
 次に、府県間道路の整備につきましては、紀の川利水に関する協定書等により、国道三百七十一号を初めとする六路線が対象となってございます。県といたしましては、対象六路線の整備について全力を傾注しているところでございまして、議員ご要望の、新規路線の新たな追加は難しいと考えてございます。
 次に、紀の川流域整備振興事業につきましては、紀の川流域関係十五市町を対象として、それぞれの市町が実施する地域振興に資する事業に対して県が補助しているものでございます。補助総額につきましても、関係市町との協議のもとに決定したものでございますので、ご理解を賜りたいと存じます。
 次に、JR和歌山線経由、奈良、京都、名古屋への乗り入れダイヤの復活につきましては、JR西日本によりますと、旅客需要の多様化等による利用旅客の減少により、現時点において実現が難しいとのことであります。しかしながら、和歌山線沿線の紀の川流域は、関西国際空港の臨空圏域としてこれからますます発展していく地域であると認識してございまして、県といたしましては、議員ご提言の乗り入れ問題も含めて、今後とも和歌山線の利便性の向上に向けて、地元の市町村とともに積極的に取り組んでまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(橋本 進君) 土木部長山根一男君。
 〔山根一男君、登壇〕
○土木部長(山根一男君) 佐田議員にお答えいたします。
 まず、阪和間事業の促進方法としての有料道路についてでございます。
 一般的に有料道路として事業を行う場合、道路法の対象となる一般有料道路と、道路法の対象とならない一般自動車道としての有料道路がございます。これらの事業主体には、地方道路公社、バス会社、鉄道会社などがあります。その場合、有料道路としては採算性が前提となりますが、ご提言の那賀・粉河の那賀郡東部から大阪府南部の貝塚・岸和田へ直結する幹線道路の新設については、近くに県道泉佐野打田線と国道四百八十号などの計画もあるため、採算性等の面で、当該新設道路の解決すべき課題は大きいのではないかと考えております。
 次に、粉河から鞆淵・美里・花園に通ずる道路についてでございます。
 県道荒見粉河線の竜門橋につきましては、幅員が狭小でございますので、かけかえする必要があると考えているところでございまして、現在、周辺の道路網並びに架橋位置等の概略調査を行っております。
 粉河町から美里町の間につきましては、現在、県道、町村道等がなく、また地形的にも険しく、膨大な事業費も要しますので、現在のところ、将来の検討課題とさせていただきたいと考えております。
 美里町と花園村の間には町村道長谷花園線があり、それぞれの町村において補助事業として順次整備を進めているところでございますが、権原取得等の条件が整えば県道としての位置づけも検討したいと考えているところでございます。
 さらに、このうち地蔵峠付近につきましては、トンネルを含めたルート、整備手法及び事業主体について、地元町村とともに検討を進めているところでございます。
 次に、紀の川の井ぜき改修と周辺地域の環境整備についての三点についてでございます。
 紀の川の治水対策といたしましては、現在、大滝ダム、紀の川大堰等の建設事業が建設省によって鋭意実施されているところでございます。
 議員ご指摘の、小田・藤崎・岩出井堰の改築の技術的な可能性につきましては、上下流の治水バランスや緊急性を勘案しながら、さらには建設箇所における地質等の諸調査に基づき判断することとなりますが、せき本体の改築に限って考察いたしますと、紀の川大堰と同様の工法で、取水機能を残しながら可動ぜきへの改築は可能と思われます。
 井ぜき改修の責任者につきましては、ご質問の三井ぜきは農林水産省の所管となってございます。したがって、せきの改築に当たりましては、施設の老朽化等、所有者側の理由による場合は農林水産省の所管として行われることとなります。一方、治水上の理由による場合は、建設省と農林水産省が協議の上、事業主体が決定されるために、農林水産省、建設省の双方が関係してまいります。
 次に、水害予防対策に関するご質問についてでございますが、船岡山の開削工事におきましても、下流に対する影響等、治水バランスを考慮の上、掘削断面を検討し実施されたものであり、藤崎井堰上流の中州の撤去についても、下流における流下能力等、船岡山と同様の検討が必要と考えられます。
 いずれにいたしましても、建設省において進められている紀の川大堰等の事業進捗を勘案しながら検討を進める必要がございますが、県としては、議員のご趣旨を農林水産省、建設省の双方に伝えてまいります。
 以上でございます。
○議長(橋本 進君) 商工労働部長中山次郎君。
 〔中山次郎君、登壇〕
○商工労働部長(中山次郎君) 和泉葛城山系の国定公園編入計画についてお答え申し上げます。
 まず、葛城山系の国定公園編入の諸問題でございますが、議員お話しのとおり、和泉葛城山系の国定公園化につきましては、昭和四十五年二月に大阪府、和歌山県の両府県で厚生大臣あてに陳情してございます。その後、昭和四十七年三月に和歌山県案が決定されておりましたが、大阪府の地元調整が難航して国定公園化が中断してございました。昭和六十一年には県の長期総合計画においても国定公園への編入を位置づけるなど、取り組んできたところでございますが、大阪府側も国定公園化の検討を再開し、本県も既存の県立自然公園を中心に大阪府と一体となった指定に向けて、地元市町とともに、事務レベルの説明会等、作業を進めているところでございます。
 県の長期計画に位置づけた段階では、公園編入区域が粉河町、打田町、岩出町を含む四千ヘクタールで検討された経緯がございますが、種々の事情を勘案し、現在計画しているのは、既存のかつらぎ高野山系県立自然公園の和泉山脈沿いに位置する地域と紀仙郷県立自然公園の一部の葛城山地域で、市町で申しますと、橋本市、高野口町、かつらぎ町、那賀町で、面積は約二千七百ヘクタールでございます。
 次に、国定公園化に伴う規制とメリットについてでございますが、規制は現在も県立自然公園であり、国定公園化されても規制の内容は一切変わりなく、許認可等の権限は県知事でございます。
 また公園は、すぐれた自然環境の保護とともに、広く国民、県民の利用も大きな目的でございます。自然公園の適正な利用施設、例えばキャンプ場の整備や園地、展望施設、駐車場などの施設整備、あるいはブナ林の復元施設などの施設整備が国費の対象となります。魅力ある利便設備の整備をなお一層推進することができます。利用計画についても、地元の意見を聞きながら進めてまいりたいと存じます。さらに、国定公園化によって葛城山系の全国的なPR効果が期待できるとともに、本県の観光についてもプラスとなると考えてございます。
 また、促進協議会の設置でございますが、いずれにいたしましても、地元市町の意向なくして推進できるものではございません。公園区域の対象地域である一市三町の連携、協調を図ることからも、協議会を設置してまいりたいと考えてございます。
 今後の作業手順といたしましては、地元市町長に対する意見照会、国の関係機関との調整等の後、県自然環境保全審議会、県国土利用計画地方審議会のご意見をお聞きし、環境庁長官に国定公園化の申し出を行い、国の自然環境保全審議会を経て決定・告示されることとなります。
 なお、一昨年、環境基本法が制定されるなど、環境保全、自然保護など、環境問題に対する行政の積極的な姿勢が求められております。皆様のご理解を得ながら国定公園化についても努力してまいる所存でございますので、よろしくお願い申し上げたいと存じます。
 以上でございます。
○議長(橋本 進君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 12番佐田頴一君。
○佐田頴一君 一つ、定住圏問題ですけれども、先ほど、那賀郡を今度一人前に取り扱ってやると、こういうことでございます。
 医療圏については、飯田先生も申しましたとおり──例えばこんなことがあるんです。那賀郡に病院をつくるということになります。そうすると、和歌山市と一緒ですので病院ができない。ベッド数の制限がある。那賀郡だけでしたらできますが、和歌山市にたくさん病院があるから那賀郡でできない。こういうことでございます。医療圏から早く外してくださいというのは、もう何年か前に私が那賀病院の副管理者をやっていたときから言うております。だから、もう早く外してやってほしいなと思うんです。それが一点です。
 それから、府県間の道路、鉄道の問題ですが、もっとたくさんつくってほしいというのが私の希望でございます。
 ちなみに、私は和歌山県と奈良県をよく比較するのですが、ちょっと申しますと、生駒山の国道に幾つトンネルを掘っているかというと、六つ掘っているんです。調べてきたんですけれども、時間がありませんから。それで、和歌山県はどうか。これも、皆さんよく知っていますから言いません。鉄道も、近鉄だけでも四つのトンネルを掘っているんです。それがどうなってきているかと言いますと、和歌山県の昭和三十年の人口が百万六千八百十九人であります。奈良県が、わずかに七十七万六千八百六十一人でございます。それがことしの平成七年三月末現在ではどうなっているかと言いますと、和歌山県が百七万四千三百二十五人でございます。それに対して奈良県は百三十七万五千四百八十一人でございます。この差は、和歌山県が昭和三十年から現在まで増加したのは六万七千五百六人、奈良県が五十九万八千六百二十人でございますから、約十分の一しか和歌山県は人口がふえていない、こういうことでございます。この理由はやっぱり道と鉄道にあると思いますので、今いろいろお話をいただきましたけれども、もっともっとこれからも研究して頑張ってほしいなと思うわけでございます。
 それから、要望でございますので、もう一つだけお願いしたいのですが。
 今、国定公園のお話をしていただきましたが、私がこの話を聞いたのは、地元から聞いたわけでございます。どうなっているんかというお話でございましたが、私は全然聞いておりませんと、こういうことでございます。
 ちなみに、この三月九日に県は、まず私の那賀町へお話に行ってあるんです。まず町へ行って、町議会へ説明して、竜王共有団の組合へ説明して、そして私ですね。だから、四番せんじでございます。別の人は、二、三日前に教えてもらったので五番せんじに聞かせてもらったと。こういうことになりますと、県議会としての立場というのは大変苦しいんです。何にも知らんのじゃないかと、こういうふうに言われますので。
 これからは、町村長へいろんなことを教える場合には、済みませんけど──新宮のことを教えてくれとは言わないんですよ。地元のことだけぐらいは、やっぱり地元の県会議員さんにお教えいただきたい。でなかったら、今言いましたように説明がつかないんです。だから私は質問したんですけれども。
 そういうことで、何事もそうでございますが、市町村長さんに──私、町長の経験があるんです──説明するのであれば、やっぱり三番せんじや四番せんじで教えてくれないように、一番せんじで教えていただくように要望して、これで終わります。ありがとうございました。
○議長(橋本 進君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で佐田頴一君の質問が終了いたしました。
○議長(橋本 進君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 25番松本貞次君。
 〔松本貞次君、登壇〕(拍手)
○松本貞次君 おはようございます。
 和歌山県知事・仮谷知事を百八万県民はどのような目で見ているのでしょうか。県民の父、かたい人、賢い人、雲の上の人。
 私は、昭和六十二年に初めて知事とお会いする機会を得ました。知事のイメージは、行政マン一筋、石部金吉のように融通のきかないかたい人、雲の上の人、そう思っておりました。だが、この八年間、仮谷知事とともに県政にかかわり、知事の人間としての温かさ、懐の深い、おやじのような思いやりに数度となく触れる機会を得ました。特に平成元年、カナダに同行し、あのナイアガラの滝で知事がポロシャツにかっぱを着た姿を今も思い出します。仮谷知事のあの姿を思い出すと、人間味あふれた隣のおっちゃん、そういう親しみを感じます。私は、百八万県民一人一人に、もっともっと人間・仮谷知事を知ってもらいたかった、そういう思いがしてなりません。
 知事、今日の混迷する知事選挙を見て、あなたが出馬しておればこういう現象が起きなかったのではないか。私は、もう一度この場であなたに出馬の要請をしたい。いかがですか。もう一度チャレンジをしてほしかった、こう思うのは私一人でしょうか。
 もっといろいろと私の思いを語りたいのですが、後日、二十年を総括して思い出を語っていただけるそうですから、私はこの辺で本題に入らせていただきます。
 同和行政二十年の総括と今後の方向をお聞かせ願いたい。
 仮谷県政二十年の総括の大きな柱は、同和行政二十年だと私は思います。二十年前の県下の部落の実態は、雨が降れば傘も差せない狭い道路、共同便所、共同井戸、六畳一間に五人家族、多くの難問題が山積しておりました。
 昭和四十年、同和対策審議会の答申が出され、昭和四十四年、同和対策事業特別措置法が制定されました。昭和五十年に仮谷知事が初当選したころが、各市町村ともどもに一番数多くの事業着手のときだったと思います。
 私も、昭和五十年に湯浅町の議員として同和行政一筋に邁進してまいりましたので、折に触れ、時に触れ、仮谷知事の同和行政への熱のこもった姿を見てまいりました。仮谷知事の同和対策における功績は大であります。「真の民主主義の確立は同和問題の解決なくしてあり得ない」との基本認識を常に堅持し、同和行政の推進役としてみずから地域に出向き、住民との心の触れ合う施策の推進と実践に努め、同和問題の早期完全解決に向け取り組まれてきました。
 昭和五十年十二月、国の諮問機関である同和対策協議会の委員として内閣総理大臣より各都道府県の代表として唯一任命され、極めて職務多忙の中、協議会には積極的に出席し、国の行政の責務を明らかにするとともに、国の行政施策の方向等についても数多く意見具申を出していただきました。
 中でも、昭和六十一年十二月、地域改善対策協議会で当時の玉置総務庁長官と国の責務について議論されたこと、また平成三年七月、中間意見具申を取りまとめる際に三点について意見を申し入れ、その趣旨を取り入れていただいたこと、とりわけ平成三年十二月十一日、県議会開会中にもかかわらず、県議会の皆様にご賛同賜り地対協に出席、「法的措置を含め何らかの適切な措置を検討する必要があろう」とあるが、「何らか」を削り「必要がある」と強調してはどうかと強く申し入れをされ、今日の地対財特法の制定になった。知事は常に崇高な哲学のもと、同和問題解決の将来的展望を見きわめながら明確な指針を打ち出していただきました。
 また、本県の同和対策事業実施面においては、昭和四十四年から平成六年まで、生活改善事業では五千六百二十五億九千六百万、社会福祉関係では八百億三千六百万、農林水産関係では九百六十一億七千八百万、商工関係では三百八十二億八千六百万、教育関係では五百九十億七千万、その他の事業として二千四百五億六千四百万、合計一兆七百六十七億三千万の巨額を投じ、同和対策事業を県行政の最重点施策として掲げ、実態面は言うに及ばず、心理面においても大きな成果をおさめてきたところであります。
 仮谷知事、あなたの卓越した哲学のもと、同和問題解決に将来的展望を見きわめながら対応された功績は県民ひとしく認めているところであり、同和問題の早期完全解決を目指す上に果たした功績は大であります。
 そこで、同和行政二十年を総括する意味で、あなたの、知事の思いをお聞かせ願いたい。
 また、今日的課題として、同和行政の歴史的転換期に立っていると言われております。本年六月の地対協総括部会の小委員会報告では、平成五年度実態調査の分析、評価の視点については弱点はあるものの、従来の対策を漫然と継続していたのでは同和問題の早期解決に至ることは困難であり、同和問題について人権問題の本質から整理し直し、その解決に取り組む新たな段階に入っているものと考えるとの報告がありました。また、さきの第百三十二通常国会では、同和問題の抜本的早期解決のあり方について法的措置、行財政的措置の必要性を認めつつ、六月九日、内閣閣僚懇談会で村山富市総理は「人権尊重は村山内閣の重要使命であり、政府・与党一体で協力していきたい」と部落解放基本法を念頭に新規立法に前向きの姿勢を示したと、六月十日付の各社の新聞報道がありました。また、社会党は部落差別撤廃基本法案、新進党は同和対策基本法案を党内で決定いたしました。また、世界人権宣言における人種差別撤廃条約の批准は年内に必ず、こう言われております。
 ところで、人種差別撤廃条約は、その名のとおり人種差別の撤廃を主眼とするものであって、同じ民族内の差別である部落差別の撤廃とはニュアンスが違うのではないか、そう考えておられる方がいるかもしれません。しかし、この人種差別撤廃条約の第一条に「人種差別の定義」として、「この条約において、『人種差別』とは、人種、皮膚の色、門地又は民族的若しくは種族的出身」云々とあります。この「門地」が、部落問題と密接にかかわってくるのであります。「門地」とは、血統、家柄、家格の意であり、まさに出生、出自の問題であります。部落問題とのかかわりは明確であります。
 憲法第十四条に、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とあります。今から四十九年前に公布されたこの憲法の条文の精神を具体化するためにも、人種差別撤廃条約の批准は当然のことであります。どちらかと言えば、遅きに失した感がいたします。
 その主たる要因は、この条約の第四条の「人種的優越主義に基づく差別・煽動の禁止」との関連において、表現の自由や結社、集会の自由が保障されている憲法に抵触する、すなわち国内法の整備が困難であるとの理由から、今日まで歴代政府はこの条約の批准を怠ってきたのであります。つまり、国民の知る権利や表現する権利を明らかにし保障したことは評価すべきですが、「差別する自由」はあってはなりません。国内法の整備こそ急ぐべきことであり、我が国の差別撤廃、人権確立の大きな柱になります。また、一九八四年三月十日、国会においても人種差別撤廃条約について活発な論議がされました。当時の佐藤地域改善対策室長が「同和問題についても含まれておると承知いたしております」と答弁をしております。
 このように、中央政界においても、また世界においても、人権は政治の中心となっております。二十一世紀に向けた新たな同和行政のあり方も、今求められております。
 仮谷知事、あなたの二十年の経験を我々に一言ご提言していただき、部落差別撤廃のよき日の達成のためにも方向をお示ししていただきたい。人種差別撤廃条約については、総務部長から今日の現状を答弁願いたい。また、人種差別撤廃条約と同和問題の関連について私の意見を述べましたが、民生部長のお考えをお示し願いたい。
 次に、教育について質問をいたします。
 今、学校教育のあり方について大きな社会問題となっています。いじめや校内暴力、登校拒否等々。新しい学校教育のあり方を求める声は日増しに強く、学校の現場では日々改善、創造を工夫し、苦悩し努力する学校の先生の活動に、冒頭に心から敬意を表したいと思います。
 先日、ある保護者からこのような相談を受けました。「私の子供は小さいときから電車が好きで、和歌山駅から新宮駅まで駅名を漢字でしっかり覚えています。でも、易しい問いかけにもピントがずれ、何か教えてもすぐに忘れてしまって定着しません。また、虫が好きで、その知識は相当なものです。ところが、運動会の話をしても、遠足の話をしても、すぐに虫の話になります。学校の先生も、当初は虫のことになるとよく話をする子供だなと思っていたのですが、たび重なるうちに『絶対に虫の話をするな』と約束をさせてしまいました。虫のことを話すと先生にしかられ、今は虫のことに限らず、何をしても学校の先生をいらいらさせてしまう。クラスの仲間も、『A君は変な子や』、『おかしなやつだ』と、今は仲間外れにされています。学校の先生に相談に行くと『A君に問題があるのでは』と、むしろ私の育て方に問題があるように言われます」、このような話でした。興味のある事柄については人一倍関心を示し、ほかのことは全くという児童。
 ことしの三月二十七日付の朝日新聞の夕刊に、「知的障害とは区別、学習障害(LD) 文部省初めて定義を示す」というような記事を見ました。「LD」、「学習障害児」、余り聞きなれない言葉なので何だろうと思いました。「LD」とは、英語でラーニング・ディスアビリティーの略語だそうです。「ラーニング」とは学ぶこと、学習、「ディスアビリティー」とは能力障害、病気か事故で能力を欠くこととあります。「ラーニング・ディスアビリティー」とは、学習不能、神経障害などにより読み書きや計算ができないこと、その児童となっています。だが、我が日本でのLD、学習障害はちょっと違うところもあるようです。
 一九七九年、養護学校の義務化以来、それまで「就学免除」という言葉があったように、教育の光が当たりにくかった重度障害の子供まで、つまりすべての子供たちに教育のチャンスが与えられるようになった。しかし、このすばらしい前進が、一方では養護学校、特殊学級における対象児童の重度化の傾向になってはいないだろうか。また、健常児と障害児教育の差を一層広げてしまってはいないだろうか。
 学校教育法第二十二条の二項に、特殊教育諸学校(養護学校)への定義が書かれております。小・中学校の特殊学級の定義はまた、その谷間で数多くの児童が「ぼくのことをわかって」と小さな体で、声で叫んでいる子供たちがいないだろうか。今、学校教育における要望は多種多様であります。先生と生徒、子供と家庭、個々における指導の重要性は言うまでもないと思います。今、もう一度考えてみたい。
 学習障害児・LDとはどのような子なのか。LDの概念についての定義はあいまいですが、自閉症も、精神障害も、言語障害も、情緒障害も、すべてLDの児童にしてしまうという批判があります。LDと診断する際には、一つは知能的に大きなおくれがない、二つ目は学力の習得や行動面に幾つかの発達的な特有の問題症状が見られる、三つ目は環境的な要因でなく子供自身の脳の働きに関係する原因が推定される、この三点が考えられると言われております。また、一九八一年にアメリカのLDに関する合同委員会は、「学習障害児・LDとは、聞く、話す、読む、書く、推論する、計算するなどの能力を習得したり用いたりすることに著しい困難を示すさまざまな障害を包括する用語である」と書かれています。
 確かに、小・中学校での基礎学力は今日の教育の中心的課題であります。だが、私はこの保護者の訴えを聞く中で、障害児教育を進める中での多種多様な取り組みの必要性を感じました。
 そこで、教育長にお尋ねをいたします。
 学習障害・LDについて、文部省の機関として初めて独自の定義を公表いたしました。この文部省初等中等教育局特殊教育課より出されました学習障害児に対する中間報告について、県の教育委員会としてどのように受けとめ、対応していくのか、教育長のご所見をお伺いしたいと思います。
 以上でございます。
○議長(橋本 進君) ただいまの松本貞次君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
 〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 松本議員にお答え申し上げます。
 同和対策事業二十年の総括と今後の方向でございますけれども、私は、昭和五十年十一月に知事に就任して以来五期二十年、小野先生、大橋先生の後を受けて、常に「同和問題の解決なくしては真の民主主義の確立はあり得ない」との基本認識のもとに、県政の最重点施策として同和行政の推進を行ってきたところでございます。
 ただいま、議員の質問の中で、私が同和行政に携わってきた経過などを聞いておりますと、過大な評価もございますけれども、そのときどきのことが思い出されて、ひとしお感慨深いものがございました。中でも、国の地域改善対策協議会の委員をしておった平成三年七月、中間答申を出すに当たり、いろいろもめたわけでございます。本県や他府県の現状を踏まえて、同和問題の解決は国の責務である、今後の重要課題は啓発である、そして残事業の問題の三点を提案して、私の意見に他の委員も賛同していただき、この趣旨を取り入れていただいたわけでございますけれども、当時はやはり、一番の「国の責務である」という認識が各委員には薄かった感じがしたわけでございます。こうしたことなども、思い出の一つでございます。
 また、私が知事に就任したころは同和対策特別措置法の時代でございまして、県内の同和対策事業はハード面に重点を置いておりました。そして二十年が経過した今日、実態的差別の解消については相当な成果を上げてまいっておると思っております。また、心理的差別を解消するため「県民みんなの同和運動」を初め諸施策を積極的に推進してきたところ、明るい展望が開けつつあると思うわけでございまして、私も大きな期待を持っておるところでございます。このように成果を上げてこられたのも議員初め県民の皆さんのご理解とご協力のたまものと、感謝しているところでございます。
 今後の心理的差別の解消を初めとする残された問題の解決を図るためには、教育啓発を中心とした取り組みが以前にも増して重要であると思っております。先ほども話ございましたように、世界は今、人権尊重への大きな流れの中にあるわけでございまして、さらに県民挙げて心理的差別の解消を図るために大きなうねりをつくり上げていかなければならないのではないかと考えております。
 私は、部落差別の存在する限り同和対策を続けていかなければならないことを基本としながらも、今また、地域改善対策協議会で時代の流れの中で検討を進めておるわけでございます。これらの論議を踏まえ、今後の同和対策のあり方を十分議論してその方向を示していくべきであると考えており、差別のない社会を早急につくるべきであると考えておるところでございます。
 以上です。
○議長(橋本 進君) 総務部長木村良樹君。
 〔木村良樹君、登壇〕
○総務部長(木村良樹君) 人種差別撤廃条約の批准の現況についてのご質問でございます。
 人種差別撤廃条約は、一九六五年の国連総会で採択されて以来、現在三十年が経過する中で、本年の四月現在、百四十三カ国が条約締結国となっているところでございます。
 我が国がこれまで批准できなかった最大の障害は、お話の中にありましたように、差別思想の流布や差別、扇動などを法律で処罰するよう求めたこの条約の第四条と、表現の自由等、日本国憲法の保障する基本的人権との関係をどのように調整するかという点にあったわけでございますけれども、政府内では、この臨時国会への上程を目指して検討がなされているというふうに聞いているところでございます。
○議長(橋本 進君) 民生部長木村栄行君。
 〔木村栄行君、登壇〕
○民生部長(木村栄行君) 人種差別撤廃条約と同和問題のかかわりについては、議員お説のとおり、人種差別撤廃条約をめぐり、各方面においてそれぞれの立場でいろいろな見解のあることは承知いたしております。また、この条約の第一条第一項に言う「門地」についても、さまざな解釈がございます。
 いずれにしても、現在、国においてこの条約に関して日本国憲法との関係等について協議中であると聞いており、この条約のあらゆる形態の差別を撤廃するとの趣旨については理解のできるところでございます。
 以上でございます。
○議長(橋本 進君) 教育長西川時千代君。
 〔西川時千代君、登壇〕
○教育長(西川時千代君) 学習障害についてお答えをいたします。
 この学習障害については、平成七年三月、文部省の調査研究協力者会議の中間報告において、文部省の機関として初めて定義づけがなされたところであります。
 その定義によると、学習障害とは、基本的には全般的な知的発達におくれはないが、読み、書き、計算する、聞くこと、さらに話すことなど、特定の能力の習得と使用に著しい困難を示すさまざまな障害を指すものとされてございます。調査研究協力者会議では今後さらに調査研究を継続し、二年後に最終のまとめを出す予定と伺っております。
 教育委員会としては、学校教育の重要な課題の一つとしてとらえ、庁内において論議するとともに、県特殊教育協議会においてこの学習障害児の教育についても審議をいただいているところであります。さらに、学習障害児についての理解を広めるため、この中間報告書を地方教育事務所長会議、特殊教育諸学校の校長会等において配付し、説明したところでございます。
 学習障害児の示す特性や学習上の困難は、さまざまであると考えられます。このため、一人一人の実態の把握について慎重を期するとともに、個に応じた指導を適切に行うよう工夫することが重要となります。今後、文部省の調査研究協力者会議の中間報告及びその後の審議の経過を踏まえ、県特殊教育協議会で審議を深めていただきながら、学習障害児に対する適切な指導や教育相談のあり方などについて研究してまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(橋本 進君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(橋本 進君) 再質問がございませんので、以上で松本貞次君の質問が終了いたしました。
 これで、午前中の質疑及び一般質問を終わります。
○議長(橋本 進君) この際、暫時休憩いたします。
 午前十一時三十七分休憩
 ─────────────────────
 午後一時六分再開
○議長(橋本 進君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。
○議長(橋本 進君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 10番新島 雄君。
 〔新島 雄君、登壇〕(拍手)
○新島 雄君 「アレキシス・カレル(仏、一九一二年、ノーベル生理学・医学賞を受賞)の言葉に、『われわれは大理石であるとともに、彫刻家でなければならない。自分の本当の顔を作るために、自分という素材に大きな“のみ”をふるえ』と、あります。わたしは(中略)先人の方々の、自分のふるう“のみ”の厳しさ、するどさに心をうたれ、大きな教訓を得るおもいです」。
 知事、この文章を覚えておられますか。これは、平成三年、和歌山県が発行いたしました「和歌山の先人たち」という本の中にあります仮谷知事のあいさつ文の一部であります。知事も、和歌山県という自然豊かな素材にいろんな思いでのみを振るってきたんだろう、そのように考えております。本当にお疲れさまでございました。
 それでは、お許しをいただきましたので、質問に入らせていただきます。お昼の休憩が終わりまして、おなかの皮が突っ張りますと、どうしても目の皮がたるんでまいります。子守歌にはならないと思いますが、いましばらくご辛抱をいただけたらと、お願いを申し上げます。
 栗本義彦、一八九七年、海草郡の四箇郷村──今の和歌山市四箇郷地区でありますが、彼はそこに生を受けました。彼の名前を知らない人が大変多いかと思いますが、当時で言いますと日本の一流のマラソンランナーでありました。彼は、和歌山県師範学校、そして東京高等師範学校を卒業後、文部省の課長、それから日本体育大学の学長、そして体育団体の各会長の要職を務め、東京でオリンピックを開くために尽力をなさった人であります。
 昨年、広島ではアジア大会が開催をされました。そして、ことしは福岡でユニバーシアードが行われました。また、二〇〇二年、大阪がワールドカップ大会に名のりを上げております。また、もっと大きなところでは、長野でオリンピックが開催されようとしているのであります。ここらで和歌山も、そう感じるのは私だけでしょうか。
 この十月一日から、世界体操選手権というのが開かれます。福井県の鯖江市という人口六万四千人の小さな都市であります。和歌山はリゾート博を立派にやり遂げたではないですか。県民が一つの目標に向かって進んでいく、そんな国際大会の開催計画や招致運動が今から始まってもよいのではないか、そのように考えます。今、そんな考えをお持ちでありましたら、また、全然ないのか、これから検討できるのか、できないのか、ご答弁をお願いしたいと思います。
 また、それに関連しまして、国際大会や全国規模の大会を開催しようと考えますと、施設が必要になってきます。そうでなくても、国体以来、和歌山県の施設は大変古くなっているように感じます。全国的に見ましても、私は十年前、富山県を訪れることがありまして、その折に県営の五十メートルの室内プールを見学させていただきました。プールの底が上下をするわけであります。ですから、どんな水泳の競技にも利用ができる、そんな施設がもう十年前に富山県にできておりました。現在、和歌山県にはその五十メートルの室内プールすらありません。
 また、全国で夜間照明つきの野球場のないのは、たしか和歌山県だけではないでしょうか。テニス場、サッカー場、ラグビー場、スポーツを愛する県民はいろんな要望を持っております。知事も武道家でありますから、その辺の声は届いていると思うのですが、限られたパイの中でその予算をどう使うか。いろんな理由で、現在に至っていると思うのであります。
 しかし、私としましては、もっともっと教育やスポーツというものに対して予算を使っていただきたい、そのように考えます。このたび、和歌山操駅のところに多目的ホールができますが、県立体育館や武道館、そういう建物も古くなってきております。ここらで一新して、総合的な施設の充実が必要ではないかと考えます。
 ただ、スポーツ施設となると総合運動公園といったものを発想するわけですが、ここからは私案でありますけれども、例えば野球公園、またはサッカー公園といったお考えがあってもよいのではないか。サッカー公園では、一つのグラウンドでシニアの方々が試合をしている。またもう一つのグラウンドでは、ジュニアの子供たちが試合をしている。そしてメーンスタジアムでは、県の高校の決勝戦が行われている。そして、子供からお年寄りまでサッカーを通じて交流ができ、サッカー好きがそこへ行けばいろんな交流が持てる、そんな場所であったらいいなとも考えます。また、野球公園なんかでは、少年野球専用の野球場があったり、サブグラウンド、室内練習場、はたまたプロ野球が立派に開催できる球場、そのほかにも、そこへ行けば野球の歴史や変遷が一目でわかる野球博物館のような施設、そんな施設が一つのところに集まった、そんな野球公園がこれから求められるのではないかな、そのようにも考えます。
 これからのスポーツ施設を充実していく中で、総合的に、そして中長期的に計画を推進していく時期だと考えます。お考えをお答え願います。またそれと並行して、スポーツの振興、強化というものに対しての施策をお聞かせください。一流競技者を生み、施設を充実し、県民一体となった振興、強化策が必要と考えます。
 和歌山には、観光やリゾートという切り口がよく使われます。私は、健康や教育、福祉をも含んだスポーツという切り口がこれからの和歌山にとって大変重要だと考えます。何としてでもスポーツ王国・和歌山を創造したい、そう思い、今その一歩を踏み出していただけないものか。すばらしい答弁を期待しております。
 次に、本年創立五十周年を迎えました県立医大でありますが、昨年十二月、紀三井寺の競馬場跡地に、附属病院を併設した移転工事が始まりました。平成十年度には移転が完了すると聞いております。となると、現在地には一・七ヘクタールの更地があらわれます。和歌山市の真ん中、お城のそばであります。この土地の利用計画についてお尋ねをいたします。
 私は、この場所は和歌山の顔になり得る条件を備えていると思います。高度な都市機能を備えた、人々が集い、にぎわい、文化的、教育的、そして心安らぐ施設であり、また国際的にも通用する施設でなくてはならないのです。平成九年完成予定の多目的ホールとの兼ね合いもありますが、例えば、国際会議場を備えた観光の拠点となり得る都市型ホテル、また芸術性豊かな文化施設なども考えられると思いますが、いかがですか。この土地を生かすか殺すか、和歌山の顔づくりには大きな意味を持つものと考えます。
 この跡地利用につきましては、今年度予算に都市型高度複合施設整備調査事業として一千余万円が計上されておりますが、この事業のこれからの進展タイムスケジュール等をお聞かせいただくとともに、スムーズに跡地利用が行われることを願っております。
 もう一点、その跡地のすぐそばであります。また跡地ができます。和歌山市役所そばに約六百五十坪の西警察署があります。この土地も、平成九年中には更地となってまいります。この土地に関しては私有地と県有地とが混在し、ややこしくなっておるのですが、利用計画等、現時点でのお考えをお聞かせください。また、利用計画につきましては、和歌山らしさというものを忘れず有効利用をお願いしたいと思います。
 なお、新しい県立医大並びに附属病院については、十分かつ高度な設備を備え、学ぶ学生にとっても、患者の皆さんにとっても、また和歌山県の福祉、医療という観点からも、立派な誇れる施設ができることを要望しておきます。
 最後に、今議会の知事の説明の中、紀淡連絡道路をこれまでの可能性調査から平成十年度事業着手に向けての事業化調査へ切りかえとあります。この問題につきましては、先輩議員が太平洋新国土軸として質問をなさっておりますが、私のふるさと・加太にも関連をしておりますので、お許しをいただきたいと存じます。
 十年の事業化となりますと、夢のかけ橋が夢でなくなってまいりました。ぜひとも早期実現を望むものであります。大阪湾環状経済圏を創造し、人、物、金が流通する、ワイズマン博士が提唱しました太平洋新国土軸ですが、今、日の目を見ようとしており、次代への心のかけ橋として大きな期待をしております。
 そこで、お尋ねいたします。
 知事は、何年ごろ橋がかかるとお考えですか。希望的観測も含めてお答えをいただきたい。また、この道路がこれからどのような経過を経てつくられていくものなのか、お教えをいただくとともに、和歌山県としてなぜこの橋が必要であり、どれだけの波及効果をもたらすものなのか、またこの道路と並行して進めていかねばならないものは何なのか、わかりやすくご答弁をいただきたいと思います。
 今、国民や県民に夢を与えることができるのは、政治であり、行政であると考えます。これからの和歌山県の発展と日本の夢を議論し、創造し、そして子供や孫に引き継いでいく、そんな思いを込めて一般質問をさせていただきました。
 夢あふれる答弁を期待し、質問を終わります。ありがとうございました。
○議長(橋本 進君) ただいまの新島雄君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
 〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 新島議員にお答え申し上げます。
 スポーツの問題については教育長から答弁いたしますけれども、教育の分野においてスポーツがいかに重要かということを私も十分認識しておりまして、人間形成の上において非常に重要な問題だと思っております。
 それから、紀淡連絡道路でございます。
 これについては本会議でも答弁しているところでございますけれども、平成五年から、県としてもこの橋をかける調査費を兵庫県、建設省とともに協力し合って出しておりまして、また今回の追加予算においても計上させていただいておるわけでございます。
 事業を進める上において最も肝心なことは、県並びに地元の熱意がどんなものかということではないかと思ってございます。そのことは、和歌山県のみならず、近畿府県の状況、また財界の状況、この熱意というものが決定していくのではないかと思っております。
 そうした意味において、関係府県と連絡をとりながら国への要望活動を積極的に推進していくため、紀淡海峡交流会議、大阪湾環状紀淡連絡道路建設推進協議会をつくったところでございまして、また、本年五月には経済界において、その実現を進めるために紀淡連絡道路建設フォーラムというのを設立していただいて、応援をしていただいております。また、こうした形を進めるとともに、国の五全総の中に取り入れられることが最も肝要なことでございますので、行政関係、議会関係、そしてまた財界等、地元を挙げての早期実現へ向けての活動が絶対必要であると思っておるわけでございます。
 いつできるかということでございますけれども、私は、平成十年には着工にかかっていただきたいと思います。明石海峡が十二年かかってできるわけでございます。明石海峡よりもちょっと大きゅうございますので、やはりもう少しかかると思うわけでございます。はっきりなにはできにくいですけれども、二十一世紀の早期の段階においてこれを完成していただきたく、努力してまいりたいと思っておるところでございます。
○議長(橋本 進君) 企画部長藤谷茂樹君。
 〔藤谷茂樹君、登壇〕
○企画部長(藤谷茂樹君) 新島議員ご質問の、県立医科大学移転後の跡地の利活用についてでございます。
 現医大のある地域は和歌山市の中心部に位置し、けやき大通りを隔てて和歌山城や美術館、博物館にも近く、歴史、文化の豊かなすぐれた景観に恵まれたところでございます。したがって、関西国際空港に近接した二十一世紀の国際都市にふさわしい、人・物の交流や高度情報化時代への対応、また県民の憩いの場となるような空間の創造など、導入すべき諸機能や事業手法等についてこれまで職員によるワーキンググループで検討してまいったところでございますが、本年度は一定の方向を導き出すべく、議員ご提言の趣旨をも踏まえ、本格的な調査検討を進めてまいりたいと考えてございます。次年度以降は、その検討結果をもとに有識者や関係各位のご意見を伺いながら計画を具体化し、移転完了後の速やかな事業化に向けて努めてまいりたいと考えてございます。
 次に、紀淡連絡道路による波及効果についてでございます。
 紀淡海峡部は、大阪湾環状道路はもとより、関西大環状道路網及び太平洋新国土軸の要衝部に当たり、ここに紀淡連絡道路が整備されると和歌山は広域的な国土軸や東西交通結節点上に位置することとなり、また関西国際空港への南からの進入ルートともなることから、半島性からの脱却や本県の今後の飛躍的な発展を期す上で必要不可欠なプロジェクトであります。
 この紀淡連絡道路は、観光、リゾートの振興に大きく貢献することはもちろんでありますが、新たに居住や商業、物流、アミューズメントなどの都市機能の立地を促し、本県にはかり知れない経済効果を及ぼすものと予想されます。本県としては、この波及効果を的確に受けとめ、より大きく拡大させるために、物流拠点の形成や交流施設の整備、快適な居住空間の形成などに取り組んでいるところであります。
 今後とも、紀淡連絡道路を県勢発展の最重要プロジェクトとして、一日も早く実現できますよう、県議会の皆様のご協力を得ながら懸命の努力を払ってまいりたいと存じます。
 以上でございます。
○議長(橋本 進君) 総務部長木村良樹君。
 〔木村良樹君、登壇〕
○総務部長(木村良樹君) 和歌山西警察署の移転に伴う跡地利用についてでございますが、この用地については、現在のところ具体的な利用計画は決定されておりません。
 今後、将来の利用計画等について十分協議しながら有効利用を図ってまいりたいと考えております。
○議長(橋本 進君) 土木部長山根一男君。
 〔山根一男君、登壇〕
○土木部長(山根一男君) 新島議員の紀淡連絡道路についてのご質問にお答えいたします。
 紀淡連絡道路は、昭和六十二年に第四次全国総合開発計画において大阪湾環状交通体系の一環として位置づけがなされ、また平成五年度を初年度とする第十一次道路整備五カ年計画において「地域の活性化施策の推進とあわせて事業の具体化を図る」と明記されているところでございます。
 このため、平成三年度から建設省による調査が開始され、平成五年度からは和歌山県、兵庫県、建設省が共同で現地調査を開始しておりますが、平成六年十二月には紀淡連絡道路調査委員会が開催され、学識経験者の方々から紀淡海峡大橋については技術に十分可能であるという意見が出されております。今後、大阪湾ベイエリアの開発等の活性化施策を推進するとともに、地域の熱意を国に伝えることが必要であると考えております。
 これからのスケジュールでございますが、今後、紀淡連絡道路の海峡部及び陸上部のルートの環境現況調査や長大橋の技術的な検討などに加え、事業主体、事業手法等についての検討を深めた後、事業化の運びとなると考えてございます。
 また、本州四国連絡橋の明石海峡大橋は昭和六十一年四月に着工し、平成十年春の完成まで十二年かかる予定となっておりますが、今後の長大橋については、事業費を圧縮するためにも工期の短縮が必要であると言われているところでございます。このため、工期についてはできるだけ短期間となるよう国等と連携しつつ検討を深めるとともに、県議会のご支援をいただきながら、早期実現に向け国に強く働きかけてまいりたいと考えております。
 以上でございます。
○議長(橋本 進君) 教育長西川時千代君。
 〔西川時千代君、登壇〕
○教育長(西川時千代君) スポーツ振興方策、三点についてお答えいたします。
 スポーツ活動は、県民の心身の健康保持・増進はもとより、好ましい人間形成のために極めて有意義であり、従来より普及振興に取り組んできているところであります。特に、選手がオリンピック大会を初め各種の競技大会で活躍する姿は、県民に大きな勇気と感動と夢を与え、スポーツ活動への意欲をかき立てるものでございます。
 このため、関係団体のご努力により、本年五月に体操競技の世界選手権日本代表決定競技会を初め、昨年は、ヨット競技の世界選手権大会、バスケットボール競技の第二十八回日本リーグ和歌山大会など、国際競技大会や全国大会などを積極的に誘致、開催をしてまいりました。今後は、平成九年完成予定の多目的ホールを視野に入れ、二十一世紀をも展望した中で、ビッグイベントの誘致開催に向け努力いたしてまいりたいと考えます。
 また、ビッグ大会の開催や日常のスポーツ活動の拠点となる施設の整備については、スポーツ施設の現状と和歌山県スポーツ振興審議会の答申を踏まえ、二巡目国体の開催等を展望しながら、関係部局と連携を図り、総合的な観点から検討してまいりたいと考えております。
 なお、競技スポーツの振興、選手の育成強化については、県体育協会と連携して進めている企業スポーツクラブへの補助、中学校・高等学校の優秀スポーツクラブ及び選手の指定、指導者の資質向上を図る講習会など、各種の競技力向上事業の充実を図りながら、中長期的な展望に立った強化をなお一層推進してまいりたいと考えます。
 以上でございます。
○議長(橋本 進君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(橋本 進君) 以上で、新島雄君の質問が終了いたしました。
○議長(橋本 進君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 46番大江康弘君。
 〔大江康弘君、登壇〕(拍手)
○大江康弘君 お許しをいただき、本定例県議会最終の本会議一般質問に当たりまして、そのまた最終の登壇を与えていただきました。とりわけ平越議運委員長には格段のご高配を賜りましたこと、この場をかりて厚くお礼を申し上げたいと思います。
 きょうは、答弁を仮谷知事にも求めさせていただいております。しかし、都合で答弁はいい場合もあるかもわかりませんので、その点はひとつご理解をいただきたいと思います。
 その前に、私も久しぶりの登壇でありますから──過去十七年、うち、きょうまでに十三回登壇をさせていただきました。県会議員というのは、お互い政治家であると同時にそれぞれ地域代表でありますから、やはり地域のいろんなこと、また自分を支えてくれる県民や住民の皆さんのいろんな悩みをたくさん打ち明けられるわけであります。そして、議会においてそのことをただし、また当局の姿勢をそこで改めて問いただす、これが我々議員としての大きな役目であろうかと思います。
 それだけに、今回も私なりに幾つかの質問を抱えておったわけでありますが、私が今与えられておるこの最終の立場ということを考えますと、そういうことは別の機会にゆだねてもいいんじゃないかと、実はこういう結論に達しました。いろいろと問題のある部局もあるわけですが、きょうはその部局の部長さんは、どうか知事に感謝をしてほしい。これがきょう知事さんが最終でなかったら、いろいろ──とりわけ木村部長、それから商工労働部長、土木部長。民生部長は、最近一生懸命やっておられるので、二月議会ぐらいまでは辛抱できるんですけれども。
 まあしかし、ただ一点、お礼も込めてこの際、冒頭に申し上げておきたいと思います。
 私も、自民党の皆さんにいろいろお世話になって、しかし、政治家半ばで志新たに自民党を飛び出しました。自民党の皆さんとともにいろいろと県政を語り、そして仮谷県政を支えたときが大変懐かしい。それだけに、二年半、俗に言う野党生活というものを経験いたしまして、十七年前を振り返って、随分自分でも変わったなと。いい意味ではないと思いますが、自分なりに変わったように思います。
 今、議会の有志の皆さんと一緒になって日華議員連盟というものをつくらせていただきまして、不肖・私が会長をさせていただいております。この目的は何か。一九七二年にニクソンが中国を訪問して周恩来と会い、劇的な米中会談が行われた。その後、田中角栄さんが中国へ飛んだ。我々は当時、中国を代表する政府は中華民国であるという思いのもとで今日までやってきたわけであります。今も、その思いは変わりません。
 しかし、私は先々週、今まで訪れたことのなかった中国・上海へ訪中させていただく機会を得ました。いろいろ政治家として悩み、自分の政治信念と葛藤したわけでありますけれども、冷戦以後、世界はどんどん変わっていっておる。もちろん、我が日本の政治も変わってまいりました。それだけに、もしかしたらこの機会が自分の政治家としての見方を新たに変えてくれるチャンスかもわからない、実はそういう思いで中国へ行ったんです。決して「中国へ、中国へ」となびくような、そういう安易な気持ちで行ったつもりはありません。
 四日間という短い滞在期間でありましたが、初めの二日間は、本当に、言葉は適切ではありませんが、皆さん、わずか上海から二百数十キロ離れたところでも、行く道建っておる家々は、━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━そういうところに━━━━━━━━━暮らしをしておるところがある。三日目に上海に戻ってきて、それも日本におる自分を取り戻せたのはホテルに帰ってきたときでありました。上海も一歩外に出れば、経済特区という中国の中での特別な権限を与えられておりますけれども、今発展の途上であり、とても日本と比較のできるようなものは、正直言って何もありません。
 ただ、不透明な今日の時代の中で、「もし行き詰まったら歴史を振り返れ」という言葉がありますけれども、日本が将来にわたってどのような国を目指すのか、どのような方向に行くのか、我々地方政治家も含めてなかなか答えの出ない今、この中国を一つの歴史としてとらえて振り返ってみることもまた我々にとっては大事なことではなかろうかなと、こういうことを実は四日間の滞在の中で感じました。
 国際交流とは何ぞや。お互いの心の通じ合いであります。もし皆さん一人一人がお互いの国に信頼関係を持ったら、これほど日本という国を理解してもらえるチャンスはない。これほど正しく日本という国をまじめに見てもらえるいい機会はないわけであります。それだけに、私は今、わずか四十二万人という徳清県という淅江省にある県──来年は市に昇格をするそうでありますが──を通じて中国の皆さんとの友好を深めてまいりたい、そういう思いをしておるのであります。
 翻って二年前、我々は気候も風土も大変似通ったアメリカのフロリダ州に行ってまいりました。当時、仮谷知事に、なぜ今我々がフロリダに行かなければいけないのか、なぜ今フロリダかということを、十分ではありませんが説明を申し上げて、知事さんの親書をいただき、そしてフロリダを訪れたのが二年半前。来月の四日には、和歌山県とフロリダ州とが友好提携を結んでいただけるという。我々が広い世界の国々との国際交流を求めてきた中で、アメリカのわずか一つの州でありますけれども、今こうして和歌山県が手をつなぎ合って未来永劫に友好を深めていくという決断をしていただいた仮谷知事さんに、心から厚くお礼を申し上げたいと思います。
 また、昨年、フロリダ州の知事選挙において現知事が再選を目指し、当選されました。当時議長であった平越現議運委員長も、お祝いに駆けつけていただいた。もう二年前から友好の第一歩が始まっておったわけでありまして、今、感激も新たに四日を待ち望んでおる一人であります。
 そこで、一つだけ公室長にお願いを申し上げたい。我々郷土の誇る南方熊楠翁が、実は明治十九年に渡米をし、明治二十四年から約一年間、フロリダに行っておるわけであります。ジャクソンビルという小さな市で、中国人が経営する店で働きながら現地で研究をし、語学を深めた。そして、ずっとフロリダを回ってキー・ウェストという──先般、たしか知事さんがヘミングウェーの「老人と海」に触れて、「あの本に出てくる魚釣りは和歌山県・紀州から出たものだ」というようなことを言われたと思いますけれども、もう既に百四年前から和歌山県とフロリダとが目に見えない糸で結ばれ、南方翁によって友好が深められておった。これもまた奇しき縁ではないかなと思いましたとき、どうかひとつ、フロリダの地において何か記念になるような、南方公園とでもいうようなものを我が和歌山県が、今回のこの締結を機に考えていただけないものか。これは、きょうは要望だけにさせていただきたいと思います。
 けさ知事さんに質問をされた松本議員から、「答弁漏れがあった」と。「今日混迷する知事選挙の責任は、知事あなただ。あなたが知事選に出ることがこの問題を解決する一番の方法だが、いかがか」と言ったが、その答弁をもらっておらないということで、私に「再度その答弁を要求しろ」ということでありました。しかし、先日来、多くの議員さんがそれぞれの立場で、知事さんとの人間関係を大事にしながら、また時には政治家としての対峙をしながら、いろんな思いを語られました。
 私も、昭和五十四年にこの議場に送っていただいて、振り返って十六年、あなたの知事生活の五分の四、先輩や同僚の皆さんと一緒に県政の一端を担わせていただきました。とりわけ、中央では野党でありますが、我々は少数であっても、仮谷県政与党の立場を忘れたことは一日たりともありませんでした。
 「死生命あり、富貴天にあり」、これは「論語」の言葉でありますけれども、すばらしいことは自分が追い求めてもなかなか簡単に手に入るものではない、それは思いがけないときに天の方から無造作に差し出してくれるんだという意味だそうであります。
 昭和五十年九月二十九日に、あなたは大橋県政当時の最後の副知事として就任をされたわけであります。その六日後の十月四日に、大橋知事は急逝をされた。そして十月二十五日、既にあなたは次期知事選への出場を、決意も新たに議場で申し上げておられるわけであります。わずか一カ月足らずの副知事就任期間。全国の副知事在任期間を数えてみますと、恐らくこれは記録の一つではなかろうかなと思うわけであります。
 二十六年の職員生活、また今日まで二十年の政治生活──私は先日、あなたが一番好きだという和歌山県のある場所に行ってまいりました。これは私が知事から直接聞かされたわけではありませんから、本当にその場所が知事さんにとって心の安らぎの場所なのか、政治家として自分を見詰め直す場所なのか、そのことは今ここで聞く由もありませんが、和歌山県には、知事さんのふるさとである有名な潮岬も含めて、八十一の灯台があります。その中に、梶取埼という灯台が東牟婁郡の太地町にあります。ここが仮谷知事さんが一番好きな場所だということを聞かせていただいて、私は先日そこに行ってまいりました。
 ここに立って、あなたは一体何を思ったのか。ここに立って、あなたは一体何を悩んだのか。そして何を自問自答したのか。そういうことを、私なりにいろいろとその場に立って考えたものでありました。大変きれいなところであります。これが知事さんの好きなところか、これがあなたが二十年間思い続けた場所であったのか、そういうことを思いましたときに、私も大変感激を覚えたわけであります。「梶取の岬に立ちて振り返る我が人生に今も悔いなし」、私は自分なりにこういう思いを込めて、知事さんの気持ちの一端をのぞかせていただいたわけであります。
 「政治は政治なきを理想とする」という言葉があります。本当は政治なんかない方がいいんだ。政治なんかない方がいい社会なんだ。しかし、お互い生きとし生ける人間社会にあって、人間としての本能から出てくるいろんな欲望もある。また、みずから求める向上心もある。そういうことがこの人間社会でいろいろとぶつかり合って摩擦が起こる限り、どうしても世の中に政治というものが必要になってくる。政治の究極の理念は、いかに公正か、いかに公平か、いかに平等か、私はこの三つの実践ではなかろうかなということを感じてきた一人であります。
 それだけに、この政治を続けていくということは大変難しいことであります。ただ、私がうれしいのは、二十年も知事の座にありながら、決してあなたがプロに見えない。これは別に、二十年やってきて、経験がないとか、実行力がないとか、あるいは決断がないとかという意味ではないんです。私は五回選挙を戦って、また各種の選挙に政治家の立場で参画をしてまいりましたが、選挙ほど怨念を生むものはない。どんな小さな選挙でも、好むと好まざるとにかかわらず、怨念というのが生まれてくるんです。こんな世界に入っていなかったら、もっといろんな人と楽しくやれたのに、こんな道を歩まなかったら、もっとお互いわかり合えたのにと、そういうことを反省しながら私も十六年やってまいりました。しかし、二十年やった知事さんと十六年地方政治に携わった私との大きな差は、やはり人間性であります。
 私が今「うれしい」と申し上げたのは、どこに行っても、あなたの人間性を悪く言う人はいない。私は、このことは大変うれしいなと感じました。政治家でありますから、あなたが進めてきたいろんな施策、またそれぞれの地域にあって解決のでき得なかったいろんな問題、そのことに対する不平不満はあっても、それはあくまでも政治家・仮谷志良に対しての評価であって、人間・仮谷志良に対する評価というのは、今日まで七十三年間あなたが生きてきた人生の中で、しかも二十年間どろどろしたこの政治の世界を生きてきた中で、本当にいつまでも純粋に、いつまでも清く、二十年を積み重ねてこられたということ。私は、そのことを県民の一人として大きな喜びとしたい、こういうふうに思っておるわけであります。
 今、二十年を振り返ると、あなたは絶えず答弁で「『まごころ』を信条として県民のために尽くしたい。公正な県政をつくり上げていきたい」と。出る言葉はすべて、あなたの気持ちの中から出た言葉であったように思います。
 人生にはいろいろと別れはありますけれども、知事さんとはまだ、ここで最後の別れではないわけでありますから、私はあえてこの場所でこれ以上のことを申し上げることは差し控えますけれども、今日まで、行政の長として、また和歌山県の政治家のトップとして、二十年間いろんな思いを込めて頑張ってこられたあなたに、最後に心からお礼を申し上げたいと思います。
 政治生活二十年。この二十年を長いと見るのか、また短いと見るのか、それはそれぞれ判断の異なるところでありますけれども、今、送る我々も、また送られるあなたも、お互い政治という人間生活の営みの中で最も基本のきずなの部分で今日までつながってきたわけであります。それだけに、我々が思うこと、あなたが思うことは、これからの和歌山であり、あすのふるさとである、こういうお互いの気持ちであろうと思います。
 先日来、あなたの最後の雄姿を議場で見せていただきました。いろいろと、「知事さん、寂しそうやな」というふうに思う人もおられるでしょうが、私はむしろ、一つの大きな決断をされて、今その経験の中から新たな人生を歩み出そうとしておる、何か新鮮な、本当に新しいものを見るような思いで今議会のあなたを見詰めてまいりました。
 私もこの十六年の間、知事さんにはいろいろと、時には厳しいご指導もいただきました。しかし、十六年と一口に言っても、起きたら十六年目になっておるわけではありません。一年一年のそれぞれの積み重ねが大変長いようにも感じられました。当時、18番の議席のところから始まって、10番、12番、22番、38番となって、今は46番、「シロウ」であります。これも何かの奇しき縁かなと、実はそういうふうに先日から思いながらあのいすに座っておりました。
 本当に、知事さん、ありがとう。心からお礼を申し上げて、私の知事に対する最後の質問にかえさせていただきたいと思います。
 前段にも申し上げましたように、もしあなたが県民の皆さんに何か語りかけたいことがあれば、今語っていただきたい。なければ結構であります。
 そして願わくは、議場における先輩同僚の皆さん、最終日において議長の力強いご配慮で感謝の決議がされるということであります。一部の議員の方には立場の違いがあろうと思いますけれども、どうかひとつその立場の違いを乗り越えて、苦労してくれたこの知事に対して、お互い同じ気持ちでひとつ送り出してあげたい、こういうふうに思うわけであります。心から議員各位にお願いを申し上げまして、私の質問といたします。
 ありがとうございました。
○議長(橋本 進君) ただいまの大江康弘君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
 〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 本日は、本会議一般質問の最後の日でございます。そしてまた、二十年前、私の副知事選任に議会の皆さんが同意していただいた日でございます。
 ただいま、大江議員から過去を振り返っていろいろとありがたい言葉をいただいて、ありがとうございました。
 また、今議会中、議員の皆さん方から私への丁重な言葉をいただいて、ただただ感謝でございます。追って、改めてまたお礼を申し上げたいと思います。
 どうもありがとうございました。(拍手)
○議長(橋本 進君) 以上で、大江康弘君の質問が終了いたしました。
○議長(橋本 進君) お諮りいたします。質疑及び一般質問は、以上をもって終結することにご異議ございませんか。
 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(橋本 進君) ご異議なしと認めます。よって、質疑及び一般質問はこれをもって終結いたします。
○議長(橋本 進君) 次に、議題となった全案件のうち、議案第百三十七号平成六年度和歌山県公営企業決算の認定についてを除くその他の案件は、お手元に配付しております議案付託表のとおり、それぞれ所管の常任委員会にこれを付託いたします。
 ─────────────────────
 【日程第三 請願付託】
○議長(橋本 進君) 次に日程第三、請願の付託について申し上げます。
 今期定例会の請願については、お手元に配付しております請願文書表のとおり、それぞれ所管の常任委員会にこれを付託いたします。
○議長(橋本 進君) 次に、お諮りいたします。明二十九日は各常任委員会審査のため休会といたしたいと思います。これにご異議ございませんか。
 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(橋本 進君) ご異議なしと認めます。よって、九月二十九日は休会とすることに決定いたしました。
○議長(橋本 進君) この際、各常任委員会の会場をお知らせいたします。
 職員から、これを申し上げます。
 〔職員朗読〕
 ───────────────────
 総務委員会 第 一 委 員 会 室
 厚生委員会 第 二 委 員 会 室
 経済警察委員会 第 三 委 員 会 室
 農林水産委員会 第 四 委 員 会 室
 建設委員会 第 五 委 員 会 室
 文教委員会 第 六 委 員 会 室
 ───────────────────
○議長(橋本 進君) 次会は、十月二日再開いたします。
○議長(橋本 進君) 本日は、これをもって散会いたします。
 午後二時十三分散会

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