平成6年12月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(木下秀男議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

○副議長(富田 豊君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 40番木下秀男君。
  〔木下秀男君、登壇〕(拍手)
○木下秀男君 たびたびの質問をいたしますので今議会は一休みと思っておりましたが、どうしてもこの場で質問をして知事の所見を聞かなくてはならないことが起こりましたので、通告して質問に入りたいと思います。
 まず、地震災害予防対策でございます。先ほど門議員は水害を中心にされましたが、私は地震と津波を中心にいたします。
 私がこの議会議場に席を得てから、この間、数多くの提言や質問が繰り返されてまいりましたけれども、地震に関する質問は中村裕一議員一人だったように記憶いたしてございます。そこで皆さんに、地震災害、津波について喚起するために質問する次第でございます。
 私は、常々、地震と津波に強い関心を持っております。海岸べりを通るときや山間部の険しい谷道を通るとき、ここで地震が起きたらと、そういう気持ちをいつも持ってございます。それは、一九四六年十二月二十一日、終戦の明くる年でありますが、南海道地震の体験からであります。そのとき私は十歳でありましたが、子供心に地震はどうして起こるのだろうか、津波はなぜ来るのだろうかという関心を持ったのであります。余震が終わって二、三日後であったと思いますが、先生に引率され、被災した家へ二日間、勤労奉仕ということでお手伝いに行ったことも、津波による災害の情景も、鮮明に残ってございます。
 自来、世界各地で起こる地震災害等に関心を持ちながら本や資料を集め、今日に至っておりますが、ごく最近の地震で強い関心を持ったのはサンフランシスコの地震と北海道で起きた南西沖地震であります。サンフランシスコは近代都市での災害であり、一方、南西沖地震は離島でありますが、火災と津波であります。
 以前、県道路建設課に在任中、工学博士の学位を取られた元田良孝氏が、現在、建設省筑波土木研究所へ転任されて地震の研究をされておりますので、いろいろの資料や雑誌等を送っていただいて読んでおりますが、少し地震学というものに触れてみたいと思います。
 古代ギリシャやローマ時代の人々も地震現象に大変強い関心を持ち、著名な哲学者がそれぞれの原因説を立てておりますが、いずれも思考のみであり、自然科学的根拠に乏しいものでありました。一七五五年十一月一日、ポルトガルの首都リスボンを一瞬にして壊滅せしめ、世界最大と言われた地震を機にヨーロッパ各地に大地震が頻発し、各国で地震への関心が強まりましたが、当時の状況は科学的知識は皆無で、地震は神が下す刑罰だという思想があったそうであります。日本で申しますならば、地下のナマズが暴れるというところでしょうか。これをきっかけに、十八世紀後半ごろからヨーロッパ各国で地震現象について考究する自然科学が始まったということであります。
 一九○六年、カリフォルニア州大地震が起こり、火災による大被害がありましたが、これを機にアメリカに地震学の研究が進展し、機械による観測が始まり、地震現象は物理学的な量によるエネルギーという観点から新しい研究部門が広まったのであります。
 地震国日本の地震学は、一八八○年(明治十三年)に日本地震学会が設立され、その主たるメンバーの研究者はほとんど政府が招聘したヨーロッパの大学教授を中心とした学者であったそうであります。一八五五年(明治十八年)、当時の内務省に地理局験震課を設置し、地震報告を行っております。そして、今いう地震計のはしりの計器を発明したのは、当時イギリスから日本に招聘されていたユーイング教授だそうであります。一九二三年(大正十二年)の関東大震災を機に東京大学に地震研究所が設立され、大学や気象台でも研究が盛んに行われるようになり、昭和初期には急速に進歩したが、太平洋戦争末期から戦後の数年間は停とんしたということでございます。
 一九六○年ごろから、世界六十数カ国が参加して多くの部門で研究が始まり、中でも広範囲にわたる海洋底の調査観測での海底大山脈やリフト(割れ目)の発見によって地震学が大きく進展したと言われてございます。もう一つ、このころに科学者の間で地震予知研究が始まり、防災という点で大いに期待されるところでございますが、現時点では確たる成果は上がっていないのが実情であります。
 我が和歌山県の地震の最も古い記録は、四一六年七月十四日、河内を中心とした和泉紀伊地方の地震──「地震」と書いて「なゐふる」と読むそうでございますが、「日本書紀」に書かれているのが初めてと言われてございます。
 日本は「地震列島」と古くから言われ、全国各地で大小さまざまな地震が起こり、多くの人命と財産に甚大な被害をもたらしております。比較的近い時代では、一八五四年(安政元年)十二月二十四日の安政地震のマグニチュード八・四と、一九四四年(昭和十九年)十二月七日の東南海道地震のマグニチュード七・九と、一九四六年、先ほど申しました南海道地震のマグニチュード八・○は津波の惨害を与えております。当時の家屋はほとんどが木造平屋建てであり、海岸は石積みか少しコンクリートで護岸がつくられ、河川に至ってはほとんど石積みであったために、地震による被害より津波による被害の方が多かったと記録されてございます。
 しかし、昨今の状況を見ますと、人家は木造二階建てまたは鉄筋二階建てぐらいでありますが、鉄筋コンクリートづくりのビルが林立し、高層住宅や高層オフィスが各地に建ち並んでございます。河川や海岸はすべてと言ってよいほどコンクリートで固められ、浜や遊水地帯がなくなり、海岸べりや河口周辺に人家が密集しております。この状態を見て、今、南海道地震のようなマグニチュード八程度の地震が起こったならいかがなることだろうと思っただけでも恐ろしくなります。ここ数年の新聞を見ると、東大や京大の学者が──これは近畿に向けてでありますが──「紀伊半島沖地震の動向注意を」とか「活断層沿い要警戒」という記事がたびたび載ってございます。「人生は経験」と申しますが、南海道地震を体験した人は少なくなりました。
 県は、毎年防災訓練を各地で行っております。参加者の徹底はできましょうけれども、不参加者の一般県民への防災意識の徹底が必要と考えるものであります。避難、食糧、衣料、医・治療と看護、通報、交通、輸送、燃料等々の対策を講じるべきと考えるのでありますが、県としての今後の取り組みについてお伺いいたします。
 特に、まず人命を守るという点から避難場所ということになりますが、ハザードマップを全県下に徹底することが急務であろうと思います。そういう意味で、総務部長と土木部長のご答弁をお願いいたします。
 次に主要県道二十三号、これは御坊土木管内でございますが、御坊湯浅線の整備促進についてお伺いいたします。
 この県道は、御坊市を起点に、日高町、由良町、広川町を経由して湯浅町を結ぶ主要県道二十三号であります。一部国道四十二号線と重複するところもございますが、国道渋滞時にはバイパス的な役割を果たしている、交通量の多い路線でございます。
 路線延長十八キロメートル余りでございますが、私の調査した時点で改良済みが七・七キロ、未改良延長が十・五キロ、内訳は湯浅町で○・五キロ、広川町で二・七キロ、由良町で七・三キロメートルとなってございます。今年度の事業発注でもう少し改良されておるかとも思います。
 このうち、由良町阿戸地内を通って国道と結ぶ間の改良促進が急務でございます。由良港阿戸地区にセメントのSS施設が二社ございます。砂、砂利の土場があり、有田、日高地方の建設資材のすべてがここに荷揚げされて各地に供給されております。この資材を運ぶのに、ダンプカーが一日に二百三十回から二百五十回、セメント用タンクローリー車が三十回、自家用ダンプカーが三十回、一般自動車が百回ぐらいと、このように交通が激しいところでございます。
 今、高速道路の御坊市までの完了を急いでおりますが、この自動車道の建設資材もすべてここから搬送されてございます。また、今秋発表された近畿自動車道御坊─南部間の資材も、この道を通らなくてはなりません。現在の道ではパンクするでしょう。道幅は狭く、対向は不可能で、曲がりくねった道であり、事故も多い悪路であります。御坊土木事務所も重点地域として取り組んでいただいておりますけれども、一向にらちが明かないのが現状でございます。来年度の予算編成時期になりましたが、この取り組みについて土木部長の答弁を求めます。
 最後に、和歌山刑務所改築についてであります。
 これは、私が九月議会に和歌山県多目的ホール──仮称でございますが──の建設について質問すべく調査中に知った件であります。そのときは調査未完了ということで、引き続き今日にまいりましたが、それについて質問をしたいと思います。この和歌山刑務所改築ということが突如発表され、現地再開発と聞いて驚いたわけでございます。
 この和歌山刑務所は、昭和七年五月の建設と聞き及んでおりますから、既に六十有余年を経過したものであります。当時は、海草郡四箇郷村の松林の中に建てられ、今日まで一つの歴史を刻んでまいりました。この刑務所を舞台にして映画化された「女囚とともに」は、当時、田中絹代、高峰秀子、浪花千栄子等々の豪華スタッフで大ヒットし、万人の紅涙を絞らせ、世に和歌山刑務所の姿を一躍知らしめたのであります。当時の三田庸子女史は、全国初の女性刑務所長としてその名はあまねく知れ渡るところとなり、その後は全国各地に講師として招かれ、三田女史の女囚に対する大きな愛は多くの人々に感動と感銘を与え、その声望はいやが上にも高まったことなど、今さらに思い出すものであります。
 しかし現時点では、本刑務所の周辺を見ると、今や開け行かんとする和歌山市東部開発の中心地であります。関西国際空港開港を機に、世界に向けた国際都市和歌山市づくりに県市民挙げて取り組んでいるときに、同刑務所の現地再開発が行われることは、到底承知できないものであります。全国各地で刑務所や収容所の移転問題が起こっているとき、市のど真ん中に再開発などと考える政府役人の人間としての感覚を疑うものであります。法務省にすれば百年の計であるかもしれませんけれども、和歌山県とすれば百年の誤りとなるでありましょう。このことが、和歌山市発展の大きな阻害となることは、必定であります。中央、地方を問わず、現下の政治の目指す方向は、中央集権を拒否する国民世論によって、ようやく地方の時代到来を予測する時点に立っているものと思います。
 私が理解できないのは、中央官庁わけても法務省の本件の決定に至るプロセスが、極めて非民主的、独善的に行われたということであります。県民無視であります。
 もう一つの疑問は、人権の問題であります。不幸にして、本刑務所に収監されている人々の心に触れる情操教育はあくまでも現在の市街地のど真ん中が適地とするのであれば、私は法務官僚の良識を疑うものであります。これこそ、中国の言葉である非人間的「法匪」のなせるわざと言わなければならないのであります。
 本会議においては、昭和五十八年六月定例議会で旅田卓宗議員──現在の和歌山市長でありますが──と、昭和六十年九月には渡辺勲議員が、本刑務所の移転による東部開発の質問をいたしてございます。その議事録の一部を紹介してみますと、旅田議員は「和歌山市の四箇郷地区にある刑務所については、女囚の刑務所とはいえ、市街地の真ん中にあり、著しく地区環境を害しているのであります。折しも、刑務所が建てられてから五十年という耐用年数に達した時期でもあり、この際、地元住民としては、刑務所をほかの地に移転していただき、その跡地を公共用地として有効利用してもらいたい」と、それから渡辺議員は「都市再開発に関連してでありますが、(中略)例えば、和歌山市駅付近では県営競輪場の敷地、東の方では、既に手狭になっている県立体育館、少し離れますが四箇郷の刑務所、南では紀三井寺の競馬場敷地等々であります。(中略)このような施設は将来、思い切って適地への移転を図り、跡地の高度利用を図るべきだと考える」と、こう質問されてございます。
 そして知事は、「刑務所の問題については、かねてから市民からも意見を言われておるわけでございまして、過日、知事会でパーティーがあったときに法務大臣にその話も申し上げたわけでございます。そうしたパーティーの席でございましたから確たる話はなかったわけでございますが、各地域から、刑務所を移してくれという要望が多いという話でございました」、こういう答弁をいたしてございます。
 そこで、私は改めて知事にお伺いいたしますが、この現地再開発の件をどこまで事前に承知されていたのか明らかにされるとともに、今のお考えをお伺いするものであります。
 もう一点、この事業費は約六十億と聞いてございます。このような大プロジェクトでありますから、地元の同意というものが必要であろうと思いますが、地元同意の状況はいかがなっておるのか、この点もあわせてお聞かせ願います。
 以上で、私の質問を終わります。ご清聴ありがとうございました。
○副議長(富田 豊君) ただいまの木下秀男君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
  〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 木下議員にお答え申し上げます。
 和歌山刑務所の改築についてでございますけれども、知事はどれほど知っておったかということでございます。
 私は、事前に通告は受けておらなくて、知ったのは二、三日前でございます。そして、その実情を法務省にお尋ねいたしますと、もう工事にかかっておるということでございました。建築関係についての法的問題として建築基準法があるわけですけれども、建築基準法の改築についての許可の問題は市で行うことになっておるわけでございまして、県へ上ってきていないということでございます。私だけではなしに、県の各部局においてもそのことを知らないというのが現状でございました。
 法務省の見解といたしましては、付近の地元の自治会と話し合いをやった、そして市にも連絡したということでございました。
 以上です。
○副議長(富田 豊君) 総務部長木村良樹君。
  〔木村良樹君、登壇〕
○総務部長(木村良樹君) 大地震やこれに起因する津波の恐ろしさ、一たび起これば筆舌に尽くしがたい甚大な被害を与えること、議員ご指摘のとおりでございます。
 県といたしましても、この点を重視しておりまして、昭和五十七年には県防災会議に地震部会を設けるとともに、県地域防災計画に地震編なるものを策定し、県、市町村、公共機関等が一体となって災害予防及び復旧などの対策に取り組んでいるところでございます。
 具体的な施策といたしましては、テレビ、県広報紙等を利用した啓発を初め、地震啓発パンフレットの配布、啓発ビデオや起震車の貸し出し等により県民の理解を深めるとともに、河川、道路、海岸、港湾の整備や地すべりの防止、電気、ガス、水道等いわゆるライフラインの災害に対する防御策を災害予防計画として定めているところでございます。さらに、地震による被害の拡大を防御し、応急的救助等を行うための災害応急対策計画や施設の緊急復旧についての災害復旧計画を定めており、これらを基本といたしまして、ご質問の中にもありましたように、毎年、防災総合訓練を実施し、防災関係機関の連携と応急対策の整備の強化、及び県民の防災意識の高揚を図っているところでございます。
 なお、地震及び津波時の避難場所については、これは非常に大切であることから、災害対策基本法により市町村において災害時に安全かつ速やかに避難できるよう、あらかじめ地域ごとに定めて広報紙による周知や避難誘導標識、案内板の設置を行っているところでありますけれども、これからもより一層この問題についての徹底を図ってまいりたいと考えております。
○副議長(富田 豊君) 土木部長山根一男君。
  〔山根一男君、登壇〕
○土木部長(山根一男君) 木下議員にお答えいたします。
 まず、土木部における津波対策についてお答えいたします。
 地震に伴う津波から人命や財産を防護するための施設としては、湾の入り口部に防波堤を設置することや、海岸線や河口部に防潮堤などを整備することが基本であり、県内においてもこれまでに文里湾においてチリ地震津波後に防波堤の整備を実施しております。他の港や海岸においても、高潮対策として防潮堤や水門などを整備してきており、これらが津波に対しても相当の効果を有していると考えておりますが、さらに万全を期するために、現在、新たな対策の必要性等について検討しているところであります。この検討は、当面湯浅広湾を対象として行っておりますが、津波被害のあった他の地区についても今後必要な検討を行ってまいりたいと思っているところでございます。
 次に、県道御坊湯浅線整備についてでございますが、ご提言の区間につきましては、大型車の交通量が増大しておりますので、由良町阿戸地内の交差点から国道四十二号までの約七百メートル間の改良工事に着手しており、鋭意、用地買収を進めてきたところであります。
 本年度で、阿戸地内から約五百メートル間の用地取得が終わりましたので、来年度から本格的な工事が行えるよう予算の拡大に努力してまいりたいと思っております。残る国道四十二号付近の約二百メートル間については交差点計画の見直しを行っておりますが、一部用地取得が困難な状況でございます。今後、交差点計画を固めることを急ぐとともに、早期に用地取得ができるよう、手法等についても検討してまいります。
 以上でございます。
○副議長(富田 豊君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 40番木下秀男君。
○木下秀男君 ただいまの知事さんの答弁でわかりましたが、ここでもう一度念を押しておきます。
 この和歌山刑務所の現地再開発について、知事は事前には全然知らなかった、ごく二、三日前に知ったと、こういうことであります。
 もう一点は、それではだれが再開発を承認した結果──既に入札済み、一部工事着工ということでございますが、新聞に発表されたのはその後であるということであります。地元のだれが再開発の承認をしたためにそういうことが進められたかということであります。
 これらのことが不明のままでは、県民、市民としては納得はできないと思います。私は、そういう意味でこの問題をあえて取り上げた次第であります。
 知事さん、過ぐる九月議会に六選不出馬の意向を表明され、進退について明言されたことに敬意を払っておりますが、事この刑務所再開発問題は推進を容認した──あえてその名は申し上げませんけれども、その人物たる者は県政に対する挑戦と受けとめております。県政を担う最高責任者として、知事はこうした反県民的な行為に強い指導力を発揮するように強くここで要望して、私の質問を終わります。
○副議長(富田 豊君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で木下秀男君の質問が終了いたしました。
 これで、本日の質疑及び一般質問を終わります。
 次会は十二月十二日再開し、質疑及び一般質問を続行いたします。
○副議長(富田 豊君) 本日は、これをもって散会いたします。
  午後二時二十一分散会

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