平成6年12月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(全文)


県議会の活動

議 事 日 程 第四号 平成六年十二月九日(金曜日)
  午前十時開議
  第一 議案第百二十一号から議案第百四十八号まで(質疑)
  第二 一般質問
会議に付した事件
 一 議案第百二十一号から議案第百四十八号まで(質疑)
 二 一般質問
出 席 議 員(四十二人)
 1  番  小  川 武
 2  番  吉  井  和  視
 3  番  井  出  益  弘
 4  番  和  田  正  一
 5  番  町  田 亘
 6  番  尾  崎  吉  弘
 7  番  岡  本 保
 8  番  藁  科  義  清
 9  番  向  井 嘉久藏  
 10  番  佐  田  頴  一
 11  番  阪  部  菊  雄
 12  番  堀  本  隆  男
 13  番  平  越  孝  哉
 14  番  富  田 豊
 15  番  門  三佐博  
 16  番  西  本  長  弘
 17  番  高  瀬  勝  助
 18  番  上  野  哲  弘
 19  番 宇治田  栄  蔵
 20  番  尾  崎  要  二
 21  番  中  村  利  男
 23  番  山  本 一
 24  番  馬  頭  哲  弥
 25  番  鶴  田  至  弘
 26  番  飯  田  敬  文
 27  番  村  岡 キミ子  
 28  番  松  本  貞  次
 29  番  下  川  俊  樹
 31  番  宗 正  彦
 32  番  橋  本 進
 33  番  浜  田  真  輔
 34  番  冨  安  民  浩
 35  番 上野山  親  主
 36  番  中  村  裕  一
 37  番  和  田  正  人
 38  番  大  江  康  弘
 40  番  木  下  秀  男
 42  番  森 正  樹
 43  番 野見山   海
 44  番  新  田  和  弘
 45  番  浜  本 収
 46  番  森  本  明  雄
欠 席 議 員(一人)
 39  番  中  西  雄  幸
 〔備 考〕
 22  番  欠  員
 30  番  欠  員
 41  番  欠  員
 47  番  欠  員
説明のため出席した者
 知 事 仮  谷  志  良
 副知事 西  口 勇
 出納長 梅  田  善  彦
 知事公室長 中  西  伸  雄
 総務部長  木  村  良  樹
 企画部長  宮  市  武  彦
 民生部長  南  出  紀  男
 保健環境部長  江  口  弘  久
 商工労働部長  中  山  次  郎
 農林水産部長  野  見  典  展
 土木部長  山  根  一  男
 企業局次長 味  村 勝
  以下各部次長・財政課長 
 教育委員会委員 上  野 寛
 教育長 西  川 時千代  
  以下教育次長
 公安委員会委員長
 西  本  貫  一
 警察本部長 西  川  徹  矢
  以下各部長
 人事委員会委員長
 水  谷  舜  介
  人事委員会事務局長
 代表監査委員  天  谷  一  郎
  監査委員事務局長
 選挙管理委員会委員長
 鈴  木  俊  男
  地方労働委員会事務局長
職務のため出席した事務局職員
 事務局長  岩  垣 孝
 次  長  中  西  俊  二
 議事課長  松  田  捷  穂
 議事課副課長  佐  竹  欣  司
 議事班長  松  谷  秋  男
 議事課主事 長  尾  照  雄
 議事課主事 松  本  浩  典
 総務課長  岡  山  哲  夫
 調査課長  柏  木 衛
 (速記担当者)
 議事課主任 吉  川  欽  二
 議事課主査 鎌  田 繁
 議事課速記技師 保  田  良  春
  ──────────────────
  午前十時五分開議
○議長(平越孝哉君) これより本日の会議を開きます。
 ──────────────────
○議長(平越孝哉君) 日程第一、議案第百二十一号から議案第百四十八号までを一括して議題とし、議案に対する質疑を行い、あわせて日程第二、一般質問を行います。
 35番上野山親主君。
  〔上野山親主君、登壇〕(拍手)
○上野山親主君 おはようございます。
 それでは、一般質問を進めさせていただきます。
 最初に、有田川の改修につきましてご質問をさせていただきます。
 「山遠く こえこしかひも 有田川 見渡し清き 瀬々の白波」──これは、ちょうど今から二百年前、一七九四年十月二十六日に本居宣長が有田を訪れた際に有田川を見て詠んだ句であります。
 人々は、川のほとりで文明と文化を生み、長い間その営みを続けてまいりました。ふるさとの歴史と川の流れとは、切っても切れないものがあります。しかし、私たちに生活の恵みを与え、心の安らぎをもたらす母なる清流も、時として悪魔と化すことがあります。
 昭和二十八年七月十七日夜半から十八日未明にかけて、県北中部を梅雨前線が移動し、有田川、日高川の上流地域に集中豪雨をもたらしました。この間の雨量は、有田地方、日高郡東部、奈良県南部にかけて五百ミリ以上、龍神村で四百五十ミリ、八幡村で四百三十ミリを記録し、そのほとんどが極めて短時間に降り、奥地では山津波を起こし、おびただしい土砂や立木、材木を交えた濁流が鉄砲水となって有田川を下向し、両岸の堤防を破壊し、橋を壊し、人家を総なめにして流域一帯を激流化し、未曾有の大惨事となったのであります。県下の被害は、死者六百十五人、行方不明四百三十一人、重軽傷者六千六百人、家屋の流失全壊五千六百戸、被災者実に二十五万人にも上ったのであります。
 全国的にも類例のない大惨事は、全く突然に、しかも想像を絶する大規模の被害となって、私たちのかけがえのないふるさとを悲惨のどん底に突き落としてしまったのであります。一瞬にして一面河原と変わり果て、どろ沼の中に傾いた家々、悪臭を放つ家畜の死骸、我が子を探し求めさまよう肉親の悲惨な姿等々、すべてが生々しくきのうのことのように、今なお住民の間に語り継がれてまいりました。
 生活のすべてを奪い去られた大水害から復興への厳しい闘いは言語に絶する苦難と障害の中で続けられ、その結果かつての惨事を思い起こすものは全く見当たらないまでに復興されたことは、血と汗の結集であり、郷土愛と生活のすべてをかけた厳しい闘いでありました。ダムが建設され、切断された堤防は復旧され、立派に舗装もされ、堤防決壊という悲惨なことは昔日の話題となりましたが、二度と再びあの悲惨な出来事を繰り返してはなりません。
 有田市では、毎年七月十八日には水難者の追悼慰霊祭がとり行われています。あの大惨事を繰り返してはいけない、あの大惨事から得た教訓を後世に伝えていこうという、流域に住む人々の一念の思いが込められているのであります。
 私の県議会での最初の質問は、昭和六十一年九月議会での有田川の河川改修と河川敷の有効活用であったと記憶しております。現在、知事初め県当局の皆さんのご指導により、ふるさとの川モデル事業の指定を受け、低水護岸の整備工事が着々と進んでおります。近い将来、河川敷を活用し、遊歩道や多目的広場、多目的グラウンド等の施設が整備される日を心待ちにしているところであります。今日までのご尽力に心より御礼を申し上げる次第であります。
 昭和二十八年の大水害後、国、県、市、地域挙げて復興に最大限の努力を注いできた結果、今日のふるさとの繁栄を見ておりますことは紛れもない事実でありますが、あの大惨事から四十有余年の歳月が流れております。また、余りにも緊急で短期間に実施した復旧工事でもあったわけであります。流域に住む人々の堤防への不安感は、今なお取り去られてはおりません。昭和五十四年以来、有田川の改修計画を立て、堤防強化に取り組んできたところではございますが、再度、堤防の老朽化、河川内の土砂堆積、雑木の繁殖等の現状を認識いただき、さらに事業枠の増額に努められ、事業促進を強く求めるものであります。土木部長のご見解をお伺いいたします。
 次に、紀淡海峡ルートについてお伺いいたします。
 去る十月十八日、午後一時三十分より、三重県伊勢市の観光文化会館大ホールにおきまして、第六回太平洋新国土軸シンポジウムが関係十七府県、八経済団体のもと盛大に開催されました。我が国の経済発展を支えてきた一軸一極型の国土、すなわち東京一極集中型の国土構造が東京圏の巨大化、地方圏の活力低下をもたらし、もはや国土の再構築を行うことなくして解決できないほどの深刻な問題を引き起こしていることは、既にご案内のとおりであります。このシンポジウムも回を重ねるごとに充実し、関係府県間、関係団体間の連携が密になってきていることはまことに心強い限りであります。国際化が進み、国民の価値観が多様化してくるに伴い、新しい時代、二十一世紀のニーズに対応できる国土形成が今ほど求められているときはないのではないでしょうか。
 国土の多様化あるいは国土軸の複数化という観点に立って我が国の国土を眺めてみると、東海から紀伊半島を経て四国、九州に至るラインが今後の国土軸として形成されるべきラインの一つとして浮かび上がってまいります。瀬戸内海を中心として、歴史的に見て古くから政治、経済、文化の交流実績が蓄積され、また関西国際空港の開港、中部国際空港あるいは九州で今議論されている国際ハブ空港の構想が進んできますと、多くの国際的機能が立地し、国際軸としての基盤が整う地域となり得るものと思われます。しかしながら、伊勢湾、紀淡海峡、豊予海峡という三つの海峡によって地域間のつながりが寸断されているため、交流条件の抜本的な改善が必要になってきている地域でもあります。
 二〇二五年を目標に世界都市関西を形成するための大阪湾ベイエリア開発整備のためのグランドデザインにも、紀淡海峡ルートの重要性が位置づけられております。また、近畿の創生を目指すすばるプランにも、大阪湾を取り巻く淡路島を含んでの明石海峡大橋、紀淡海峡ルートを含めて大阪湾の環状都市構想をうたい上げています。特に紀淡海峡ルートは、太平洋新国土軸の連結をつくっていくという国土レベルでの要請とともに、大阪湾を取り巻く紀淡海峡の経済交流圏をつくり上げていくという二つの意味で、極めて重要なルートとして位置づけられています。
 紀淡海峡ルートは、我が和歌山県にとりまして二十一世紀の本県のビジョンづくりの基本となる重要なプロジェクトであります。紀淡海峡ルートの実現によって、瀬戸内海地方、四国、そして九州にも及ぶ経済と文化の交流圏が形成され、我が県にとりまして大きな展望が開けてくるわけであります。このビッグプロジェクトを通じて本県の将来ビジョンを模索し、そのためには何をなすべきなのか、あるべき姿はどうなのか、決して時期尚早ではないと思います、今から検討されてはいかがでしょうか。企画部長のご所見をお伺いいたします。
 徳島県の地元紙の十月二十五日付の記事に、徳島県の圓藤知事の談話が掲載をされております。一部ご紹介をさせていただきます。
 発行所、徳島市南沖洲二丁目八番地七─四、四国正治新聞社──決して怪しい新聞ではありません。「太平洋新国土軸問題で知事は道路橋が有望だとされているようですが、紀淡海峡交流会議全体の考えと若干、ニュアンスが違うのではないでしょうか」という記者の質問に対しまして、圓藤知事は以下のように談話を発表しております。
 「国土軸として今、日本海軸とか、太平洋新国土軸とかが言われています。でも非常に大事なことですが、その概念というのはまだはっきりしていません。『第二国土軸、第二国土軸』と盛んに使われているけれども、例えば、それが道路なのか、鉄道なのかなどといった具合にはっきりしていません。 また、四国の中に入ったらどれを第二国土軸というのかということもはっきりしていません。あいまいな概念のままなのです。 太平洋新国土軸として、鉄道と道路の両方あるのに越したことはありません。しかし、私が言ったのは、道路と鉄道ではどちらの可能性が高いかという観点からのものです。 鉄道の場合は財源問題でいつも苦労するのです。鉄道整備基金という基金はできたけれども、その皮袋はりっぱなものですが、つくった私が言うのもなんですが、中身は一兆円しかないのです。──圓藤知事は運輸省出身の方です──その基金は整備新幹線と言ってすでに計画が決まっている青森までの新幹線、北陸新幹線、九州新幹線に使ったら財布はからになってしまうので、それをあてにするわけにはいかないのです。 確かに紀淡海峡トンネルで鉄道にしたら事業費は安くつくでしょう。しかし財源問題を解決しない限りなかなか難しい問題です。財源問題となれば、一地方公共団体の力ではとても解決できません。建設省とか運輸省とか全体で取り組む問題で、すぐに解決する見通しはないと私は思うのです。 したがって、『道路の方ができやすいでしょう』という意味の発言になったのです。要は事業の難易度に対する判断の一つであって太平洋新国土軸に鉄道も道路も両方必要だということについては、その通りだと思います」、こういう談話を圓藤徳島県知事が発表をされております。
 そこで、知事にお伺いをいたします。この圓藤知事の談話をお聞きになってどう感じられますか、率直なご意見をお伺いさせていただきたいと思います。
 第二国土軸構想策定基礎調査では、「新しい海峡交流圏」をキーワードとして提供しています。近くの都市同士がお互いに交流を深めるのはごく自然のことであります。しかし現状では、近畿ブロックの中だけで計画がつくられるが、徳島県は考えられない。また逆に、徳島県を含む四国ブロックだけで計画がつくられて、その中には近畿圏とのつながりが全くないというふうに、海峡が阻害しており、お互いの交流がなくなってしまっている現状であります。
 平成四年九月四日に関係府県、和歌山、大阪、兵庫、奈良、徳島、香川、高知の七府県の知事と関係九経済団体により紀淡海峡交流会議が設立されておりますが、現在、具体的にどのような議論がされているのか、お聞かせをいただきたいと存じます。
 また、同様に昭和六十三年に伊勢湾口道路建設促進期成同盟会が設立され、平成五年、豊予海峡ルート推進協議会が設立されておりますが、紀淡海峡交流会議と両者との交流はあるのか、あるのであればその活動状況をお聞かせいただきたいと存じます。もし三者による交流の場が持たれていないのであれば、ぜひ実現していただくよう強く要望するものであります。
 七十二日間にわたり県民の総力を挙げて取り組んだ結果、二百九十八万人にも及ぶ人々が全国各地より来場した世界リゾート博は、大成功のうちに幕を閉じました。このビッグイベントに直接従事された関係者の皆さんは、企画部門から具体的な実施運営まで大変な努力を払われたものと存じます。そのご労苦に対し、県民の一人として敬意と感謝を表したいと思います。
 まず最初に、世界リゾート博の開催が本県に与えた経済効果はどうであったのか、どのように分析されているのか、知事公室長にお伺いをいたします。
 リゾート博の大成功の要因は、関西国際空港の開港や湾岸道路等高速道路の開通、PRの効果はもちろんでありますが、体験型という気軽に参加できるそれぞれのイベント企画がすばらしかったのも一つの要因であります。リゾート博の成功により、経済面や施設面について大きな波及効果があったのは言うまでもありませんが、特にソフト分野について大きな財産を残せたのではないかと思います。この財産をいかに活用し、風化させることなく次の時代に継続させていくかは重要な問題であります。
 本県は、大きなイベントを開催するたびに、何か企画をするたびに、大手のコンサル会社に依存する傾向にあるように思われます。リゾート博の開催によって貴重な経験をし、そのノウハウがフィードバックされたわけであります。この際、この財産を大きく育て、県独自で対応できる分野を確立し、何もかも外部発注という姿勢は正していかねばなりません。
 まず人材の問題でありますが、リゾート博協会、推進局で活躍された職員の皆さんは、近々他の部署に異動されると思います。この点、基本的な方針を総務部長にお伺いいたします。
 もう一点は、ソフト面のノウハウの継続と活用の問題であります。リゾート博の大成功の足跡、あるいはその要因やそれぞれのイベントの具体的方策等、一つのものにまとめ上げたものを作成してはいかがでしょうか、ご所見をお伺いするものであります。
 以上で、第一回目の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
○議長(平越孝哉君) ただいまの上野山親主君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
  〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 上野山議員にお答え申し上げます。
 紀淡海峡ルートに関する質問でございます。
 紀淡海峡ルートは、お話ございましたように、大阪湾の環状交通網、また太平洋新国土軸の要衝部に属するわけでございまして、今後の関西はもとより、西日本の発展のために大いに重要なことだと思ってございます。これについては鉄道と道路の双方とも必要であると考えてございまして、そのため平成四年に四国や近畿の各府県に働きかけて紀淡海峡交流会議を設立し、代表理事として関係知事とともに早期具体化について国等に強く働きかけておるところでございまして、今月の五日にも国土庁長官、また建設技監、運輸省の次官、大蔵の次官等とも折衝してまいったわけでございます。
 昭和五十四年に私が紀淡海峡トンネルを提唱した当時、架橋は技術的に非常に厳しい状況でございました。しかし、明石海峡大橋に見られるように、長大橋の技術は最近非常に進歩してまいってございまして、最近、建設省が道路に対する取り組みを強めていただいている現況でございます。このことは非常に心強く、本県としても平成五年度に一億五千万、平成六年度に二億七千三百万の調査費を計上して積極的に取り組んでおるところでございまして、今後とも道路と鉄道による紀淡海峡ルートの一日も早い実現化を目指してまいる考えでございます。
 話ございました徳島県知事の紀淡海峡ルートは道路橋が有望だという考えについては、私もその点においては同感でございます。その後、そうした点は共通だけれども、やはり橋もトンネルもともにやろうじゃないかということでは一致しておりまして、交流会議におきましてもその点は一致しているわけでございます。
 ただ、まだ橋にするかトンネルにするかというところまでは現在は至っておりません。双方やっていこうじゃないかということになっておるのが現状でございます。
○議長(平越孝哉君) 土木部長山根一男君。
  〔山根一男君、登壇〕
○土木部長(山根一男君) 上野山議員にお答えいたします。
 有田川の堤防強化と河川改修対策についてでございます。
 有田川については、議員ご指摘のとおり、昭和二十八年七月十八日の大水害を初め、多くの水害を受けている河川であり、重要な河川と認識してございます。
 現在進めている治水対策としては、昭和五十七年より、中小河川改修事業により河口から金屋橋の間の十五キロメートルについて改修計画を策定し、これに基づき、河道の拡幅、無堤部の対策、さらに支川処理対策等の促進を図っております。また、親しまれる潤いのある河川とするため、地元市町村と一体となり、ふるさとの川モデル事業などの整備もあわせて進めているところでございます。
 一方、河川を適切に維持管理するため、堤防の安全点検等を適宜実施し、得た情報に基づき、雑木の除去、漏水対策及び老朽堤防の応急対策を、緊急性を勘案しながら積極的に対応しているところでございます。
 今後とも、さらにいろいろな事業手法も活用しながら、河川の整備、管理について鋭意努力してまいりたいと考えております。
 以上でございます。
○議長(平越孝哉君) 企画部長宮市武彦君。
  〔宮市武彦君、登壇〕
○企画部長(宮市武彦君) 上野山議員にお答えいたします。
 紀淡海峡ルートについての将来ビジョンについてでございますが、議員お話しのように、紀淡海峡ルートを活用した将来ビジョンの策定は大変意義深いものと存じます。そのため、紀淡海峡交流会議において、平成五年度より三カ年をかけて紀淡海峡交流圏将来ビジョン策定基礎調査に取り組んでおり、本年度は交流圏域の将来ビジョン及びそれに合わせた地域振興策等について検討を行っているところでございます。この調査を通じて、紀淡海峡ルートを生かした、本県を含む紀淡海峡交流圏の活性化方策を提言してまいりたいと考えてございます。
 それから、交流会議の議論と海峡三者による交流の二点についてお答えいたします。
 紀淡海峡交流会議についてでございますが、当交流会議では、紀淡海峡ルートの早期実現及び活力あふれる交流圏の形成を目指し、関西ブロックと四国ブロックが一体となって関係府県が力を合わせ、将来のビジョンの策定、シンポジウムの開催や地元市町村、経済団体との意見交流会などに取り組んでいるところでございます。
 また、海峡三者による交流についてでございますが、伊勢湾口道路建設促進期成同盟会、豊予海峡ルート推進協議会と紀淡海峡交流会議とは太平洋新国土軸構想推進協議会の場を通じて連携、交流を深めてございまして、共同でパンフレットの作成、関連調査の実施、シンポジウムの開催、国等への要望活動などに取り組んでございます。
 今後、紀淡海峡ルート及び活力ある紀淡海峡交流圏の実現に向けて、これら協議会の活動を中心に、関係府県がより一層連携を密にしながら取り組んでまいる所存でございます。
 以上でございます。
○議長(平越孝哉君) 知事公室長中西伸雄君。
  〔中西伸雄君、登壇〕
○知事公室長(中西伸雄君) 上野山議員にお答えいたします。
 世界リゾート博の波及効果については社会効果と経済効果がございますが、議員ご指摘の経済効果については、これを明らかにすべく、現在、博覧会会場内において来場者に対して実施した消費支出等のアンケート調査結果の分析を急いでいるところでございまして、各出展企業、また営業参加者等に対し支出実態調査を行っているところでございます。
 アンケート調査結果の概要でございますが、まず来場者の居住地域では、県外からの来場者が四六%を占めてございます。全国的にも関心を呼んだ博覧会であった結果であると思ってございます。
 来場者の消費支出については、交通費、宿泊費、飲食、買い物等がありました。一人平均一万六千円を超える結果となってございます。そのうち、県内での支出は約八〇%、実数にして三百八十億円程度となり、うち博覧会場内における消費額は二百五十億円程度と推定しているところでございますが、これらと博覧会関連投資額を合わせると相当の経済波及効果を本県にもたらしたものと考えてございます。
 なお、アンケート調査の詳細な分析、また出展企業等の支出実態調査がまとまり次第、経済波及効果報告として明らかにしてまいりたいと考えてございます。
 次に、リゾート博大成功の要因やおのおののイベントの具体的方策等を一つのものにまとめ上げてはとの提言でございますが、このことについては、議員ご提言のとおり、ソフト面のノウハウを生かしていく上からも大変重要であると考えてございます。したがって、現在、博覧会協会で準備を進めている公式記録集、またビデオの制作に当たっては、七十二日間の記録のみではなく、開幕までの道のりやイベント計画、広報宣伝計画等、博覧会開催に至るまでの具体的な計画についてもまとめ上げていくため、現在作業を進めているところでございます。
 以上でございます。
○議長(平越孝哉君) 総務部長木村良樹君。
  〔木村良樹君、登壇〕
○総務部長(木村良樹君) リゾート博関係職員の人事異動についてのご質問でございますが、リゾート博関係に従事した職員が従来の県職員では蓄積できない貴重な経験や知識を身につけたことは、議員のご指摘のとおりだと考えております。
 県としては、この貴重な経験や知識を個人としてではなく組織の財産として今後も県政の中に生かしていけるよう、適正な配置を行ってまいりたいと考えているところでございます。
○議長(平越孝哉君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
  〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(平越孝哉君) 以上で、上野山親主君の質問が終了いたしました。
○議長(平越孝哉君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 2番吉井和視君。
  〔吉井和視君、登壇〕(拍手)
○吉井和視君 おはようございます。
 通告に従いまして、一般質問をさせていただきます。
 まず初めに、私の生まれ育った吉備町を通る吉備バイパスの問題についてお伺いさせていただきます。
 和歌山県は県土の多くを山間部に覆われた半島性を持つ中、仮谷知事は県勢浮上の最重点施策として道路整備の促進に全身全霊をささげられ、内外からは「道路の仮谷」とまで言われるほど積極的に道路整備に取り組まれております。また最近では、世界リゾート博を開催し、これに合わせて県内の道路整備に取り組まれ、その結果、世界リゾート博も大成功をおさめた次第であります。
 県内の道路網の整備促進に伴って、我が有田郡には金屋町と美山村を結ぶ白馬トンネルが本年五月三十一日に完成し、またさきには水上栃谷トンネルや新逢坂トンネルなどが立派に完成し、和歌山県の持つ半島性といった問題点も着実に解消される方向に向かってきております。今では和歌山─新宮間が、乗用車では吉備インターをおりてから国道四百二十四号、四百二十五号、三百十一号を経由することにより約三時間で結ばれるという利便性の高い道路網が整備されつつあります。また、近々国道三百十一号線中辺路四工区も竣工される予定とお聞きしており、和歌山市と新宮間がますます近くなってまいります。この反面、現在のJR紀勢線の和歌山─新宮間が電車で三時間余りもかかっている現状であります。今後、和歌山─新宮間は車を利用しての人の往来というものがますます増加してくるものと思われます。
 そこで、吉備町ではこれらの道路の整備促進の効果もあり、県道吉備金屋線を中心に交通量が著しく増加いたしております。特に県道吉備金屋線については、以前は吉備町を起点に金屋町、清水町、それに花園村など、伊都郡や那賀郡の町村の人たちも利用する重要な生活道路としての役割を果たしてきたところであります。しかし、先ほど述べましたように、県内の内陸部の基幹道路が整備されることによって交通量がますます増大し、吉備町の徳田地区、藤並地区を中心に朝夕の通勤時間帯では著しい交通渋滞が起こっているのが現状であります。
 しかも、この県道沿いには幼稚園を初め小・中・高校、それに病院などがあり、多くの児童や生徒が通学道路として利用しております。この区間は片側一車線ずつの道路でありますが、一部では歩道がない場所や歩道が極端に狭いところもあり、私の近所に住む人たちも子供の通学方法に関しては口癖のように「とにかく車に気をつけなさい」と注意を呼びかけているのが現状であります。また、交通事故の発生件数も以前に比べて大変増加していると聞いております。
 幸い、県当局におかれましては、交通の円滑化の促進のため吉備バイパスの建設促進に取り組まれています。この事業は、国道四十二号から国道四百二十四号までのおよそ五キロメートルの区間を県単独事業として整備するものであり、三工区を設定し、一期工事分は来年度完成、供用とお聞きしており、大変ありがたく思っている次第であります。しかし、残りの工区についてはかなりの年月を要するものと聞いております。さきに述べましたように、県道吉備金屋線は交通事故が多発し、交通渋滞が頻繁に生じているといった劣悪な交通環境にあるという現状を踏まえた上で、土木部長にお尋ねいたします。
 「道の仮谷」とまで言われる仮谷知事の政治姿勢を十二分に踏まえていただいて、吉備バイパス全線の早期完成に向けての取り組みや熱意をお聞かせ願いたいと思います。
 続きまして、五稜病院の問題についてお尋ねさせていただきます。
 昨年六月議会において精神障害者対策についてお伺いいたしましたが、その後、平成五年十二月に心身障害者対策基本法が抜本改正され、障害者基本法が制定されました。この改正により対象範囲に精神障害者も含まれ、また基本理念に「社会参加の促進」が盛り込まれたところであります。県におきましても、本年三月、紀の国障害者プランを策定して、その中で精神障害者に対する施策も社会復帰対策を中心に充実を図るとともに、本年度は精神障害者福祉工場の建設に着手されるなど積極的な施策の展開をされており、高く評価するものであります。
 そこで、県の精神保健医療の中核となる県立五稜病院に対する取り組み状況についてお伺いしたいと思います。
 まず、県立精神病院は、精神保健法により都道府県の義務として設置されるべきものとされております。このことから、県立の精神病院は民間の精神病院とはおのずから性格を異にするものであり、県立病院においては、まず精神医療水準の向上のため県下精神病院の指導的役割を果たさなくてはなりません。次に、特殊高度な医療で採算をとることが大変困難であると認められる医療や民間では対応が困難と認められた重症患者についても、責任を持って取り組む必要があるわけであります。これらの観点から、県立精神病院である五稜病院においては当然、県立病院として今述べたような機能を果たさなければならない使命があるわけであります。
 県では、来る二十一世紀を展望した五稜病院整備を積極的に推進するため、庁内に五稜病院整備委員会を設置して検討を加えていると伺っておりますが、五稜病院が県立精神病院としての使命を果たすためには将来いかにあるべきだと考えておられるか、ご所見をお伺いいたします。
 昨年の六月議会において、五稜病院で今後取り組むべき機能等について、老人痴呆対策等、何点か提言させていただいたところでありますが、再度お伺いしたいと思います。
 今日の急速な高齢化社会が進展している中において、社会構造の変化とともに疾病構造にも大きな変化が生じてきております。特に、高齢化に伴う寝たきり老人の問題や老人性痴呆性疾患患者の増大等が精神保健対策を考える上でも今後大きな社会問題となってくることが予想されます。また精神保健行政の分野においては、精神衛生法が改正され、昭和六十三年七月の精神保健法の施行に伴い、入院医療中心の医療体制から地域におけるケアを中心とする治療体制へと移行する状況にあります。精神科医療の最終目標は、言うまでもなく、患者が社会に適応して生活していけるような治療を行い、患者に対して必要な援助を行うことであります。入院患者の場合は、長期の入院によって社会性が失われることのないように配慮する必要があり、院内の社会復帰対策(作業療法、デイケア)を充実することが大切であると思います。
 ことしから紀南総合病院新庄別館に老人性痴呆疾患センターが設置されましたが、県立精神病院として五稜病院においても早急に設置する必要があると考えます。また、社会復帰対策のうち作業療法や応急体制の整備は、現病院施設においても若干の施設整備や専門職員の確保により早急に対応すべき分野であると考えておりますがいかがか、お伺いいたします。
 平成六年度において五稜病院基本計画策定調査に着手され、着実な進捗を図られておりますが、施設の現状は、病室の構造、鉄格子の窓など、「個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利」になじまず、このような状況は患者に対する偏見を温存することになり、精神障害者に対する理解と認識を深めることに支障を来すと思われます。また、改築後二十数年経過して老朽化も著しくなってきており、現在の精神保健法が目指しているところの精神医療に十分対応できる施設とは言えない状況にあると思います。現在の精神医療に十分対応できる、利用者にも快適で精神病院としてのイメージを一新するような設備を強く要望いたします。
 そこで、基本計画策定調査はいつ完了するのか、またその調査報告に基づく全体計画を策定すべきと思いますが、県としてはどのように考えているのか、お伺いをさせていただきます。
 次に、我が国は来年、戦後五十年と大きな節目の年を迎えます。そこで、戦後五十年についての質問をさせていただきます。
 私の家庭では毎朝、連続テレビドラマのチャンネルを常にかけっぱなしにしておりまして、家族がそのドラマの進行を毎日楽しみに見ております。このNHKの連続テレビ小説は毎回のシリーズとも高い視聴率でありまして、この十月からは「おしん」の橋田壽賀子さんの脚本による「春よ、来い」というタイトルのドラマが放映されております。今週は、ヒロインの高倉春希という女性の戦争という時代での生きざまを初め、戦争中の国民生活の描写、それに敗戦を迎えた状況などがドラマ化され、放映されております。さきの戦争というものが、視聴者の心に改めてさまざまな思いを投げかけているところであります。また、敗戦国日本の私たちにとっては、「戦後」という二文字は絶対忘れてはならないものであります。
 去る八月の終戦記念日の全国戦没者追悼式で村山首相は、さきの大戦について「深い反省」と「不戦の決意」を表明するとともに、「戦後の諸課題への対応にも力を尽くさなければならない」と、戦後補償について触れました。また、このあいさつは昨年八月の追悼式での細川元首相の「国境を越えて哀悼の意を表したい」との式辞より戦後補償では踏み込んだ内容であったと、新聞等で伝えられております。
 この細川元首相は、就任後の記者会見でさきの戦争について「私は侵略戦争であると認識している」と発言しております。また、戦争責任発言では、桜井新元環境庁長官ら、これまで何人かの閣僚が発言を行い、辞任などの措置がとられ、新聞やテレビなどで大きく取り上げられ、あわせて各方面の方々の意見も取り上げられております。この中で、「侵略戦争を認めないのはおかしい」や「桜井元長官らが言葉足らずのためにきちんと意が伝わらなかった」などのコメントも、わずかながら紹介されておりました。
 いずれにしろ、これらの出来事は、私たち国民が戦争というものを再認識させられる機会を与えていただきました。私は、こういった戦争発言の現象面だけを取り上げるのではなく、さきの戦争そのものの問題点を深く取り上げて国民に伝えてもらえる新聞記事やテレビ等のニュースは、余り数多くないと感じておる一人であります。
 ところで、終戦後の東京裁判──極東国際軍事裁判でありますが──については、インド代表判事であるパル博士の「戦勝国が敗戦国を国際法にのっとらずに報復的に裁いた」、「不正裁判は原子爆弾の被害よりも甚だしい」との指摘や、キーナン首席検事の「東京裁判は失敗であった」との発言もあります。それに、マッカーサーの上院議会での「日本の第二次世界大戦は安全保障のためであった」との証言もありますが、こういった別の側面から戦争をとらえた報道が私たちの日常生活にかかわってくるケースが余り見受けられなくなったのが昨今であります。
 そこで私は、侵略戦争を肯定するためにこの議場で発言させていただいているものではないということを前提に、話を進めたいと思います。
 毎日新聞の「日曜論争」というページに、評論家の松本健一氏のインタビュー記事が掲載されておりました。その中で松本氏は、「敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が、あの戦争を『デモクラシーの米国がファシズムの日本を破った』と総括し、(中略)このGHQの戦争観が戦後日本の国民に定着していった」、「GHQにより、アメリカ民主主義が絶対化され、天皇制に統合された日本のアイデンティティーは『全体主義』として『悪』とされた。そのあおりで日本の伝統文化も軽視された」、「敗戦によって、日本人は農村共同体的な『公』の精神を失った」、「『個』の価値を認める民主主義の世になったのは良かったが、私益や個人の自由ばかりが主張されることになった」、「敗戦は日本人に『戦争は悪』という認識を定着させた。しかし『戦争はいや』と言うだけで『なぜ、あの戦争が起こったか』『どう戦ったのか』『どこが間違っていたのか』さえ考えようとしなくなって、歴史が忘れ去られた」等の紹介がされており、私はこの記事に大変注目した次第であります。
 細川元首相が「あの戦争は侵略戦争であったと認識している」と歴代首相の中では初めて簡単に侵略行為を認めたのはどうかという各方面からの指摘もあったように、私は松本氏が指摘されたような戦後五十年の原点を見直すために、祖国の安泰と繁栄を願ってとうとい命を国家、民族にささげた英霊に対する慰霊並びに遺族の方々の高齢化ということも勘案し、来年の戦後五十周年の節目の年に向けて県は一体どのような形で記念事業に取り組まれるのか、知事並びに部長のご意見をお伺いいたしたいと思います。
 また、戦傷病者の方々に対する援護対策でありますが、戦争から半世紀を経過した中、こうした方々が高齢化や核家族化といった社会現象の中で日々生活を送られているのは大変なことだと思います。このような戦傷病者の方々に対する援護対策について県は今後どのように考えておるのか、お伺いしたいと思います。
 ご清聴ありがとうございました。
○議長(平越孝哉君) ただいまの吉井和視君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
  〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 吉井議員にお答え申し上げます。
 戦後五十周年に向かっての記念事業についてでございます。
 さきの大戦において多数のとうとい生命が失われましたことは、まことに悲しむべき遺憾なことであったと思ってございます。私も青春時代を戦争の中で過ごした一人といたしまして、ひしひしとその感がするわけでございます。
 この悲惨な戦争体験を教訓として、二度と戦争の惨禍を繰り返すことのないように、恒久平和を願い、本県としても五十周年の記念事業を通じて戦争の歴史を考察していく機会をつくってまいりたいと考えておりまして、そうした事業の実施については、準備会の設置も含めて検討してまいりたいと思っております。
 詳細については、部長から説明させていただきます。
○議長(平越孝哉君) 土木部長山根一男君。
  〔山根一男君、登壇〕
○土木部長(山根一男君) 吉井議員にお答えいたします。
 吉備バイパスの建設促進についてでございます。
 国道四百二十四号、白馬トンネルの開通などに伴う県道吉備金屋線の交通量の増大に対応するため、国道四十二号から国道四百二十四号までの延長約四千九百四十メートルの整備について積極的に取り組んできたところでございます。そのうち、徳田バイパスとして国道四百二十四号から鷹巣池までの延長約千百五十メートルを半島振興道路事業で平成元年度に事業着手し、平成七年度供用の予定でございます。
 二期工区としては、吉備町の新庁舎との関係もございますので、吉備インターチェンジの交差点付近から吉備町新庁舎付近までの延長約千七百メートルを考えており、平成七年度に事業着手できるよう調整中でございます。中間部の延長約二千九十メートルについても早期事業化に向けて努力してまいります。
 以上でございます。
○議長(平越孝哉君) 保健環境部長江口弘久君。
  〔江口弘久君、登壇〕
○保健環境部長(江口弘久君) 吉井議員ご質問の県立五稜病院の整備に関して、今後のあり方についてでございます。
 五稜病院については、議員ご指摘のとおり、県立精神病院としての使命と役割を果たし、県民の期待にこたえていかなければならないと認識しており、真に患者が社会に適応して生活していけるような社会復帰促進のための精神医療に取り組んでいかなければならないと考えてございます。
 なお、その具体的な内容については、公営企業としての経済性に配慮しながら、引き続き五稜病院整備委員会で検討を進めてまいりたいと考えてございます。
 次に、早期に機能付加すべき分野についてでございますが、社会復帰促進のための院内作業療法の実施、保護者の同意が得られない場合に必要な応急入院のための体制整備、そして老人性痴呆対策としての老人性痴呆疾患センターの設置等を考えており、現在、その具体化に向け積極的に取り組んでいるところでございます。その他、機能付加すべき分野並びに看護体制の改善についても、引き続き検討してまいりたいと考えてございます。
 続いて全体計画の策定についてでございますが、今年度において病院経営の現状分析調査並びに病院の機能規模策定のための調査を実施しており、今後は施設整備計画等について調査する予定でございます。この調査結果を踏まえ、今後、県立精神病院としての使命を積極的に果たしていくために、できるだけ早い時期に全体計画を策定していきたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(平越孝哉君) 民生部長南出紀男君。
  〔南出紀男君、登壇〕
○民生部長(南出紀男君) 吉井議員の戦後五十周年記念事業と戦傷病者援護対策についてお答え申し上げます。
 戦争で亡くなられた方々に対し追悼の意をささげ、あわせて平和の意義を伝えるため戦没者追悼式を行うとともに、戦争と平和に関する県民の意識を高揚していくため、先ほど知事からも申し上げましたとおり、準備会を設置し、広く遺族の方々を初め、県民の参加を得られるような事業内容の検討をしてまいります。
 次に戦傷病者援護対策でございますが、福祉事業として、戦傷病者の方々の高齢化に伴う傷病の重度化や新たな傷病の発生に対処するため、自宅においても健康管理、機能回復訓練等に努めていただけるよう健康対策事業への助成を行っておりますが、これが助成のさらなる充実を検討してまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(平越孝哉君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 2番吉井和視君。
○吉井和視君 吉備バイパスについては、積極的なご答弁をいただきまして大変感謝いたしております。
 第二工区につきましても、これから用地買収とかに大変ご苦労されると思いますし、大変時間がかかると思うわけでありますが、できるだけ早い時期に完成していただけますよう、よろしくお願いいたします。そしてまた、完成までの旧県道の補完道路といった面についてもひとつご検討していただけますよう、要望させていただきます。
 次に県立五稜病院の件でありますが、私も五稜病院の職員の方々といろんな話をさせていただく機会が多いわけでありますが、率直に申し上げて、大変施設が古くなってきております。これは私の感想でありますが、一たん五稜病院で火災などの災害が起こった場合、果たして患者を安全に救えるかどうか、疑問に思います。もしそういう事態が起こって被害者が出るということになれば、私はそれは人災だと思うわけであります。ですから、非常に近いうちに、災害に耐え得るように部分的または全面的改修について早急にご検討いただいたら非常にありがたいと思います。
 最後の戦後五十周年の問題につきましては、私は当初、知事さんに知事が多感な青春時代を送られたこの戦争についての歴史観といったものをお聞きしようと考えたわけなんですけれども、知事も公の立場の人でいらっしゃいますし、そういうことについてはまたいずれひそかにお聞きしたいと考えております。
 私は、この五十周年というのは、若い人たちやみんなが今こそ歴史というものを考える機会ではないかと思うわけであります。左右の考え方がございます。しかし、そういった左右の考え方を考える機会をつくっていただくことは大変いいことではないかと思います。
 これは竹下総理だったと思うんですけれども、戦争に対する歴史観については後世の歴史家が判断することだろうということで、大変な物議を醸したことがありました。しかし我々は、今こそ語り合い、そういう意見というものを若い者こそ持たなけりゃいけない、そういうふうに感じている次第でありますので、いろんな機会を与えていただきますことを強く要望させていただきまして、私の一般質問を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
○議長(平越孝哉君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で吉井和視君の質問が終了いたしました。
 これで、午前中の質疑及び一般質問を終わります。
○議長(平越孝哉君) この際、暫時休憩いたします。
  午前十一時七分休憩
  ──────────────────
  午後一時四分再開
○副議長(富田 豊君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。
○副議長(富田 豊君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 15番門 三佐博君。
  〔門 三佐博君、登壇〕(拍手)
○門 三佐博君 平成六年十二月定例議会の本会議において、先般訪問してまいりましたブラジル視察報告と一般質問をさせていただく機会を得ましたことを、心から感謝申し上げます。
 本日までに質問に立たれた同僚議員の皆様方の質問内容を伺いながら、県政全般にわたり多種多様な課題が山積し、県議会、県当局への期待が一層大きく、私どもの責任が重要であることを改めて痛感した次第でございます。
 私は、昭和五十年四月に初当選させていただいてから、はや五期二十年の任期を来春迎えさせていただくことになりましたが、私が県会議員として働かせていただく以前から、青年運動などを通じていろいろとご指導を賜っていた仮谷知事さんの生き方、人生観に引かれるものがありまして、常々尊敬していた次第であります。その理由は、常に清潔、公平であり、庶民性を持っておられる方であるからでございます。また行政面においては、部下を信頼され、組織を大切にして、責任の所在をはっきりされる点であり、決断と実行の人だとも評価できると思います。去る十月十四日、九月定例県議会の本会議最終日において今任期満了でご勇退なさる旨の決意の表明がありましたが、リゾート博の成功など県勢浮揚のために大変ご尽力いただき、数多くの業績が残っておるわけでございます。多くの県民のご支持を集め、六選出馬の要請がある中で、政治家の出処進退はみずから決めるとの信念のもとでの潔い決断は、まさに深い見識と哲学を持った政治家としての生きざまであり、感慨ひとしおで聞かせていただき、敬意を表するとともに、今日までのご労苦に対し深く感謝申し上げ、今後、県勢伸展のためにご健康でご活躍されますことをお祈りする次第でございます。
 さて、去る十一月三日から十日まで、ブラジル和歌山県人会創立四十周年記念式典出席のために海外出張いたしましたので、この機会に簡単に報告と質問をさせていただきたいと思います。
 十一月三日夕刻、仮谷知事、平越議長、西本県議、田島秘書課長、岡山議会総務課長、県職員の方々の総勢十四名、開港直後の関西国際空港に集合。自宅から一時間足らずで行ける本当に身近な空港という感じで、関空より十七時四十五分、JAL六○便で出発、ロサンゼルス空港まで九時間余、ロスで乗り継ぎのため約五時間休憩後、再びJAL六四便でサンパウロに向かい十二時間三十分、通算二十一時間三十分余の空の旅を終え、ブラジル・サンパウロ空港に十一月四日、午前九時四十分に到着、味村利光ブラジル県人会会長ほか多数の役員の方々が空港荷物到着口まで出迎えてくれ、西功サンパウロ州知事特別補佐官らのご配慮によりまして、税関はフリーパスで入国させていただきました。直ちに、白バイ五台の先導によりサンパウロ市のイビラプエラ公園内に建立されている開拓先没者慰霊碑にお参りし、仮谷知事が献花され、全員焼香黙祷いたしました。この慰霊碑は、ブラジル日本都道府県人会連合会の手により、今から約二十年前の一九七五年八月二十二日に、ブラジル移民始まって以来、亡くなられた日系人のみたまのご冥福を祈って建立されたものであり、当時の田中角栄総理大臣が題字を黒御影石に揮毫されております。地下霊廟内には観世音菩薩像、平和慈母観世音菩薩像などが安置され、ブラジル在住の日系人の心のよりどころであり最も慕われているところだと、管理責任者である山梨県人会長で都道府県人会連合会会長の網野弥太郎氏がお出迎えしてくれ、知事の参拝のお礼とこうしたことについて詳しく説明をしてくれました。その後ホテルに入り、県人会役員会による懇親会に移り、味村会長さんからは、リゾート博成功のお祝いの言葉やリゾート博訪問の際にご親切なご歓迎を受けたお礼などで歓談いたしました。
 十一月五日、熊野川町出身の二世、橋詰真八郎氏経営の農場を視察。チョウセンアザミ(アーティチョーク)という食用植物など百ヘクタールほどの耕作と釣り堀、ワイン工場なども経営されている方でございます。その後、近くのバラ園の視察。また、田辺市出身で電気器具製造業の古家瑞代氏の立派な邸宅での歓迎夕食会や海南市出身の二世で宣伝会社経営の宮下恵加さん宅でのパーティーなど、県人会有志の方々ともども大歓迎を受けました。その後、中北史郎県人会顧問のご案内でブラジリア、リオデジャネイロにも訪問いたしました。
 そこで、印象に残っている幾つかの事項についてご報告させていただくとともに、質問をさせていただきます。
 ブラジルは、ラテンアメリカ最大の工業国であります。外国資本や技術を導入し、積極的に工業化を進め、その結果、急速に経済が成長し、ほとんどの工業製品が国内で生産されるようになったわけであります。また、鉄鉱石、すず、ボーキサイトなど鉱物資源にも恵まれており、特にコーヒー豆の生産と輸出は世界第一位であります。私は、ブラジル訪問は十年前と今回で二回目ですが、サンパウロ空港におり立って車でホテルに向かう途中で感じたことは、車が大変多く、よく動いているということであります。多民族国家と言われるだけあって、あらゆる人種が一体となって生き生きと活動しているのであります。私たちの乗っているバスを見ると、向こうから明るく手を振ってくれる人もありました。とにかく底抜けの明るさがあって、底辺の広い庶民層が、私たちが主役でこの国を支えているのだというエネルギーの力強さを感じたわけであります。また、片側四車線も五車線もある道路を車がぎっしりとつながって走っております。ラッシュ時になるとかなり渋滞するらしいのですが、とにかく車があれほど多いということは経済が非常に活発であるということではないかと思います。一千三百万人の人口を持つサンパウロという活気ある立派な都市をつくり、また世界三大美港の一つと言われる、カーニバルで世界的にも有名なリオデジャネイロという大きな都市から原野の中にブラジリアという新しい首都を築くという大事業をやるだけあって、ブラジルという国は非常にエネルギッシュであり、若々しく未来のある国だという印象を強く受けてまいりました。
 さて十一月六日、ブラジル和歌山県人会連合会創立四十周年記念式典が日伯文化協会で行われましたが、大変な盛況で、九百名以上の方々が参加され、中には五百キロ、一千キロと遠くマットグロッソなどからも参加されていると聞きました。仮谷知事から親しみを込めたごあいさつと高齢者に賀寿状、平越議長、西本議員からは岡本保日伯議員連盟会長にかわり、それぞれごあいさつがあり、県と県議会から助成金の贈呈、参加者全員に県と県議会から記念品を渡し、久しぶりにふるさとの香りに触れた長老たちの目に涙が浮かんでいたのがとても印象的でございました。記念式典の後、演芸会や参加者全員との懇談会が開かれ、味村会長さんを初めできるだけ多くの方々とお話をする機会をつくりました。
 県からのブラジル移民は大正六年ごろから始まり、戦時中と戦後は一時中断していましたが、昭和二十七年ごろから再開し、戦後だけでも一千六百十五人余りが大志を抱いてブラジルへ渡っておられます。戦前は農業移民が中心でしたが、戦後は工業部門への進出が目覚ましく、農業や経済の発展に多大の貢献をしているということでございます。当初の移住には非常に困難が伴ったと聞いていますが、日系人は刻苦勉励、営々と努力を重ね、今日ではブラジルの政・官・経済界、医師、弁護士などあらゆる分野に進出して成功をおさめておられます。また、日系人の平素の行いが長きにわたってブラジル国民の中に溶け込み、大変信頼されていると聞き、非常にうれしく、また誇りに思った次第であります。国際化時代の中で我が日系人がこのように認められて重要視されていることは、まことに大きな意義を持つものと考える次第であります。
 しかしながら、これらの成功者の陰には、和歌山県出身の二世でブラジルでは大変著名な竹中正氏が昨年まで会長をして発展させてきた現地の相互扶助組織である援護会という組織がありますが、この援助を受けている方も相当あるようでございまして、こうした現地援護会の活動があることを忘れてはならないと思います。ブラジルで在住し活動されている県人会との相互交流を通じ、日本の約二十三倍の広大な国土と豊富な資源を持つブラジルとの経済文化の交流を深めることは、移住した県民のためにも、また和歌山県勢の発展にとっても非常に意義が深いものと考えます。
 そこで、国際交流について二点ほど質問したいと思います。
 まず第一点は、関西国際空港も無事開港し、また本県においても一大イベントであった世界リゾート博覧会も大成功をもって終了し、本県の国際化が既に始まっていると考えますが、本県の国際化のための人材育成についてどのように推進しておられるのか、知事の考えをお聞かせ願いたいと思います。
 第二点は、研修生の受け入れは、ブラジルだけでも既に六十六名の方の研修が終わり、帰国後は研修成果を生かして各界において活躍が目覚ましく、大きな期待が寄せられております。先ほど申し上げたように、ブラジルは国土が広く、しかも北から南へと地域差があるため、どんな作物でも生産できると言われ、その重要な担い手は日系人であります。農業を初め幅広く技術協力を深めることによって、ブラジルと本県はお互いに大きな利益をもたらすのではないでしょうか。そこで、知事さんから技術研修生の受け入れなど今後どのように進めていかれるのか、お伺いいたしたいと思います。
 次に、道路整備と拡充について質問いたしたいと思います。
 今年九月開港された関西国際空港による本県への社会経済の波及効果は、将来的にもはかり知れないものがあると思います。とりわけ、空港より三十キロメートルに位置する伊都地方、那賀地方の地域発展には、道路網整備の充実こそが発展のかなめと考えております。既に、紀の川筋東西を縦断する高規格幹線道路である京奈和自動車道が、平成元年度に橋本道路として十一・三キロメートル、紀北東道路として高野口町─打田町間十六・九キロメートルが平成五年度に事業化され、また紀北西道路として第十一次五箇年内事業着手が予定されており、現在、各種調査、用地買収が行われていることに対し、知事を初め関係各位のご尽力にお礼を申し上げたいと思います。しかし、関西国際空港を中心とした泉南地方の経済圏と伊都地方との一体化をなす府県間道路の整備促進も重要な課題であると思います。
 そこで、平成六年度に事業化された国道四百八十号の平道路、並びに主要地方道堺かつらぎ線の両府県間の整備状況、今後の整備方針をお伺いいたします。
 次に、河南地方の幹線道路である大門口大橋より高野町へ通じる四百八十号の改修計画と国道二十四号の交通渋滞対策についてお伺いいたします。
 四百八十号の星山─志賀工区については既に完了いたしましたが、高野山までの間で一部線形不良があり、梨子木峠付近については勾配もきつく、特に冬季においては凍結もあって通行に支障を来しているところであり、早期整備が必要であると考えますので、今後の改修計画についてお伺いいたします。
 和歌山市内と直結する国道二十四号線については、昨年岩出町より和歌山市まで和歌山バイパスが供用開始され、打田町黒土まで貫通いたしましたが、打田町から粉河町に向かう道路は特に朝夕の通勤時の交通渋滞がひどく、交通緩和対策として国道二十四号線のバイパスの計画が地元の皆さんより強く要望されておりますので、こうしたことについてお伺い申し上げたいと思います。
 次に、高野龍神スカイラインを経由した紀北地方と紀南地方の道路網構想についてお尋ねいたします。
 伊都地方には四百八十号を幹線とした道路体系がありますが、那賀郡粉河町、海草郡美里町、伊都郡花園村を経由して紀南地方へ結ぶ新たな道路網を形成することは、観光や経済発展のためにぜひ必要であると思います。既に、阪部議員、佐田議員もこの議場を通じて指摘されておりますし、地元選出の岸本光造代議士もこのことについて力説されております。その計画の地図を私らでつくっておりますので、知事さんに見ていただきたいと思います。
 具体的に申し上げますと、国道二十四号粉河地点を起点とし、紀の川を渡る竜門橋をかけかえ、龍門山をトンネルで貫き、粉河町鞆淵地区で県道かつらぎ桃山線と結び、さらに南へツツジ峠を貫き、美里町長谷宮地区で国道三百七十号と結ぶルートを新設し、町村道長谷花園線の峠をトンネルを含めた二車線道路で改修を行い、花園地区で国道四百八十号と結ぶ縦貫道路であります。現行路程で約五十二キロメートルが半分以下に、時間にして約二時間が三十分程度と短縮され、関空までの所要時間が三時間ほどかかるものが一時間圏内となると考えられます。県の長期総合計画にある南北三軸、東西五軸、すなわち三─五軸広域幹線道路網の整備と密接な関係があり、特に第二県土軸の橋本ルートの橋本から新宮を結ぶルートを補充する広域的な幹線道路となると信じます。また、このことにより関空と世界の霊峰高野山が直結するとともに、高野龍神スカイラインにも通じ、山村過疎等、中山間地域が持つ森林、自然、景観等を生かした森林文化リゾート、木の国グリーンゾーンの振興、都市住民との交流にも大きな役割と期待がかけられるのものと確信しています。このルートは、事業費も相当かさむものと考えられますが、関空から紀北地域を経て紀中、紀南の中山間地域へのアクセスとしてほぼ直線に近く、広域的な面、また関空の経済波及効果を県内に最大限に取り込むことを考えたとき、山間地域を結ぶ大動脈として事業効果も倍加されるものと推定されることから、長期的な計画として位置づけを強く要望するものであります。
 以上述べたことをご賢察いただき、ぜひとも知事のご英断をもって実現されることを切望いたしますが、ご決意のほどを知事並びに土木部長からお聞きしたいと思うものであります。
 次に、ダム放流による災害防止と紀伊丹生川ダム建設についてお尋ねいたします。
 先般、当地方を通過した台風二十六号がもたらした豪雨による紀の川の増水についてお伺いいたします。
 「川を治める者は国を治める」とのことわざどおり、治水事業の重要性はとりもなおさず県民の生活を支える第一義だと、私は常々思っているところでございます。私の地元である伊都郡かつらぎ町においても、幾度となく台風あるいは集中豪雨によりまして大きな被害をこうむってまいりました。特に記憶にあるのは、昭和二十八年の集中豪雨による未曾有の大被害であります。また、昭和三十四年の伊勢湾台風では、県内において死者・行方不明は十七名、昭和三十六年の室戸台風においても、死者・行方不明十六名という忌まわしい被害が記憶にございます。
 ご承知のとおり、近くを流れる紀の川は、母なる川、聖なる川として地域住民が親しみ、多大の恩恵を受けてまいりました。しかしまた紀の川は、住民のとうとい生命、財産をも一瞬のうちに奪い去る不安もあわせ持っております。といいますのは、上流にある奈良県川上村に昭和四十八年、農林水産省管轄である大迫ダムが流域住民の理解と協力によって完成をいたしました。大迫ダムは、農業用水取水のためのダムであると伺ってございます。
 台風二十六号、すなわち本年九月二十九日におけるデータによりますと、大迫ダムでの最大流入量が二千四トン、これに対して最大放流量が一千九百七十三トンであります。この放流によりまして、下流域である私の地元かつらぎ町においては紀の川流域の水位が急激に高くなり、地域住民の不安が一気に高まったのでございます。
 住民不安の一例を挙げてみますと、紀の川沿いにおいてアユなどの養殖を営んでいる知人がいるわけでありますが、紀の川の溢水により養殖のアユが全滅することにでもなれば全財産を失うことになり、すなわちこうした業者の方々の死活問題ともなります。当日の紀の川の水位の上昇を見ておりまして心から心配したのは、私一人だけではなかったろうと思います。
 ダム操作は、上流域の雨量をもとに、ダムへの流入量を下流へ調節して放流する仕組みになっているはずであると思います。この数字を見ると流入量と放流量がほぼ同じであり、ダムゲート操作は下流域住民が不安にならないような操作をすべきであると思います。また、ゲート操作は何を根拠に、何に基づいて行っているのか、こうしたことをお尋ねしたいと思います。
 次に、災害時の異常出水に際し、紀の川流域の樋門操作の不備により思わぬ災害が発生したり危険が伴うことが数々あり、不安にかられた住民もあるのであります。今後、このような際には、県と建設省が連携をよく深めて十分な対応策をご検討していただきたいことを要望しておきたいと思います。
 次に、橋本市、九度山町において紀伊丹生川ダム建設のため、建設省で実施計画調査がされていると聞いておりますが、完成後においては、大迫ダムの放流にさらに紀伊丹生川ダムからの放流が重なり、洪水が増幅されて災害が発生するとの懸念を持つ多くの住民からの声があります。紀伊丹生川ダムは多目的ダムと聞いておりますが、県当局のご見解をお伺いいたしたいと思います。
 次に、紀の川流域下水道についてお尋ねいたします。
 ゆとりと豊かさが実感できる住民生活の質の向上を目指して、それぞれの地域の特色を生かした自主的、主体的な地域づくり、都市の生活環境整備など、生活関連社会資本の整備充実を図ることを目的とした街路、公園緑地、下水道等、住民生活に密着した公共施設の整備を県としても積極的に推進されていることと思います。その中で、現在、紀の川上流、伊都郡内で進められている紀の川流域下水道事業についてお尋ねいたします。
 下水道事業に多額の費用がかかるということは、建設にも相当の期間がかかるということでございます。下水道整備は、生活環境の改善のみならず、河川等の公共用水域の水質を保全するためにも大変重要な施設、事業であります。母なる川・紀の川でも、水質の悪化が進みつつあります。このような状況の中で、紀の川流域下水道の早期供用開始が望まれているわけでありますが、十数年経過している現在でも終末処理場の建設には至っていません。最近、処理場用地の取得も進みつつあると聞いておりますが、いずれにしても用地取得等に全力で取り組んでいただき、一日も早い終末処理場の建設をお願いし、現在の進捗状況をお尋ねいたします。
 次に、紀北地方の看護婦養成所の設置についてお尋ねいたします。
 近年の医学、医療の高度化に伴い、看護業務内容も質的に変化し、看護職員はより専門的な知識、技術、能力が要求されるとともに、高齢化の進展に伴う在宅ケア、訪問看護等のニーズが増大し、看護職員のマンパワーの確保がますます大きな課題となってきております。
 本県においては、看護短大初め紀南地方への看護婦養成所の設置や各看護学校への運営費の助成、定員増に取り組むなど、看護職員の充足に努力されているところでありますが、紀北地方においても、今後の人口増等、地域需要を考えると、看護婦養成所を紀北地方に設置することがぜひ必要であります。このことは、去る九月県議会において請願が提出され、採択されていますが、紀北地方への看護婦養成所設置についてどのような対策をとっておられるのか、県当局のご見解をお伺いいたしたいと思います。
 これで、私の質問を終わらせていただきます。ご清聴どうもありがとうございました。
○副議長(富田 豊君) ただいまの門三佐博君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
  〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 門議員にお答え申し上げます。
 話ございました国際化のための人材育成ということ、これは非常に重要な課題でございまして、県においても各種取り組みを行っているわけでございます。
 まず県職員に対しては、県の職員に採用されたとき、そしてまた採用後四年たったとき、英会話並びに国際情勢等についての研修をさせることにしております。また、民間へ委託して語学等の研修も長期、短期を行っておりまして、現在まで十九名の職員が受けているわけでございます。また海外研修に対して、補助制度を設けて研修する制度をやっておるわけでございます。これも、昭和六十三年以来、七十一名の職員が海外へ行っておるわけでございます。県職員に対して、開港を契機になお一層積極的に進めてまいりたいと思います。
 また、県民の皆さんについても、昭和四十三年から青年海外派遣事業を実施しているわけでございます。また、婦人の海外派遣や近畿の知事会で青年洋上大学を毎年実施しております。さらに、農業分野においても農業士の海外派遣、労働関係の海外派遣、教育関係においては星林、那賀両校において国際科が設置されております。また、県の教育委員会に英語指導助手として二十六人の外国人青年に来ていただいておりますし、市町村の教育委員会に二十三人の外国人英語指導助手が来ていただいておるわけでございます。このように、国際化に対応する人材育成は重要な課題でございまして、今後ともなお積極的に進めてまいりたいと思っております。
 それから、ブラジル等の研修員の受け入れでございます。
 私も議員とともにブラジルを訪問させていただいた際に、和歌山県人の皆さんと十年ぶりにお会いしたわけでございまして、皆さんが元気で活躍されている姿を見て、非常に力強くうれしく存じた次第でございます。
 その際においても、昭和五十三年度から実施している海外技術研修員制度に基づき本県へ来た人たちとも懇談をさせていただいて、彼らがブラジルへ帰っていかに活躍しているか、その姿、考え方を聞かしていただいたわけでございます。皆さん方が本県へ参った最初はコンピューターとか機械技術等を覚えたわけでございますけれども、ブラジルへ帰り、その技術を生かしてブラジル社会の中で活躍している姿を見るとともに、もう少し人をふやしてほしい、また期間ももうちょっと長くしてほしいという意見等々があったわけでございます。来年は、日本とブラジルとの修好百周年の記念だそうでございます。この制度をなお一層画期的にふやしていきたいと思っておるわけでございます。
 それから道路整備の問題で、粉河町、美里町、花園村の貫通道路の新設でございます。
 話ございましたように、国道三百七十一号、四百八十号、泉佐野岩出線の府県間道路の整備、また紀の川沿いには和歌山橋本線等、各所で整備を行っておるわけでございます。
 内容等については部長から答弁いたしますけれども、当面の道路のうちの竜門橋については、現在、架橋位置等の検討を行っております。また、美里町と花園村の間の町村道・長谷花園線においては、それぞれ補助事業として整備を進めているところでございますけれども、峠付近ではトンネルを含めたルートの検討、整備手法、事業主体について、県も一緒になって検討を進めておるところでございます。問題は粉河町─美里町間でございまして、現在、県道も町村道もなく、地形的にも険しく膨大な事業費を要しますので、将来の検討課題として承っておきたいと思います。
○副議長(富田 豊君) 土木部長山根一男君。
  〔山根一男君、登壇〕
○土木部長(山根一男君) 門議員にお答えいたします。
 まず、道路の整備と拡充の四点についてお答えいたします。
 第一点の、国道四百八十号線平道路についてでございます。
 国道四百八十号の和歌山県側については、県道那賀かつらぎ線の交点から府県界まで約五・七キロメートルを平道路として今年度事業化し、現在各種の調査、用地測量等を行っているところでございます。また、大阪府側についても既にルートの決定がなされており、トンネル等の調査が行われておりまして、県といたしましても早期に事業化が図られるよう大阪府に働きかけてまいりたいと思っております。
 次に、主要地方道堺かつらぎ線の整備についてでございます。
 主要地方道堺かつらぎ線については、山岳道路で幅員も狭く、全線の改良は膨大な事業費が必要なため、当面の対策として、線形改良、待避所の設置、防災対策工事等を行っているところでございます。また大阪府側についても、府県界より国道百七十号までの間の公図訂正を進めるとともに、現道拡幅や待避所の設置が進められております。県といたしましても、今後とも府県間協議を緊密に行いながら、早期整備が図られるよう努力してまいります。
 次に、国道四百八十号、かつらぎ町志賀から高野町間の整備についてでございます。
 国道四百八十号のうち国道二十四号から下志賀までは、本年度中に改良工事が完成することとなっております。残る花坂までの未改良区間についても引き続き積極的に取り組んでおり、県道かつらぎ桃山線との交点から東に向けた志賀バイパス約一キロメートルを平成七年度に事業化すべく国に要望中でございます。また、これに引き続く梨子木峠付近についても、現在、概略設計を行うなど調査を進めているところでございます。
 次に、国道二十四号線打田町以東のバイパス計画と渋滞対策についてでございます。
 国道二十四号の打田町以東については、現在、建設省において国道二十四号のバイパスとして京奈和自動車道の整備に取り組んでいるところでございます。県といたしましても、この予算の増額を強く国に要望しているところでございます。また、二十四号バイパスとしての機能を持つ和歌山橋本線の整備を鋭意進めているところでございます。また、農林水産部の事業ですが、河北及び河南の広域農道の整備も進められてきたところでございます。なお、現道の渋滞対策については、今後、建設省とともに十分検討してまいりたいと思っております。
 次に、ダム放流による災害防止と紀伊丹生川ダム建設についてでございます。
 大迫ダムは、農業用水のための利水専用ダムで治水目的ではございませんが、ダム操作をするに当たっては洪水時の放流が流入量を上回らないように行うこととなっております。また、放流に際しては下流域への十分な情報伝達を行い、防災体制をとることとしておるところでございます。
 なお、ご承知のように、ことしの異常渇水時には本ダムから放流することにより、渇水対策上、大きな役割を果たしたところでございます。
 紀伊丹生川ダムの建設についてでございますが、紀の川支川・紀伊丹生川に治水と利水を目的としたダムとして平成元年度より実施計画調査が行われているところでございます。
 本ダムの計画諸元は、現時点においてはアーチ式コンクリートダムとして検討されており、高さが約百三十四メートル、総貯水容量は四千七百四十万トンでございます。計画では、流入した毎秒千五百トンの洪水流量のうち約九○%をダムでためることにより、下流の洪水が大幅に低減されることとなります。このダム建設により、治水効果が発揮され、沿線住民の生命、財産を洪水から守るとともに、安定した取水ができることとなり、地域社会にも大きく貢献すると考えております。県といたしましても、早期建設に向け、地元関係者のご理解とご協力が得られるよう、今後とも努力してまいります。
 最後に、紀の川流域下水道についてでございます。
 紀の川流域下水道伊都処理区については、現在、幹線管渠工事で平成五年度末には十三・六キロメートルのうち七・二キロメートルが完成いたしまして、進捗率は五三%でございます。
 一方、終末処理場の用地取得の状況ですが、地元の地権者の方々と精力的に話し合いを進めており、現在、全体面積十九・○ヘクタールのうち十・七ヘクタール、また一期計画分として七・○ヘクタールのうち四・九ヘクタール、七○%の買収を済ませてございます。今後、一期計画の区域内を中心として用地買収に全力で取り組み、平成十年四月、一部供用開始を目途として終末処理場の建設に取りかかれるよう努力してまいりたいと思っております。
 以上でございます。
○副議長(富田 豊君) 保健環境部長江口弘久君。
  〔江口弘久君、登壇〕 
○保健環境部長(江口弘久君) 門議員ご質問の、紀北地方の看護婦養成所の設置についてお答えいたします。
 紀北地方へ看護婦養成所を設置することについては、現在、県立高等看護学院将来構想の中で検討を進めてございます。平成八年の県立看護短期大学の開校に伴い、和歌山市内での実習病院の確保が困難となること、また現在地が狭小で施設整備ができないこと等から新たな環境のもとで整備を考えていく必要があり、紀の川筋への移転を含め検討中でございます。今後は、学習するにふさわしい環境等を考慮し、検討してまいりたく考えてございます。
 以上でございます。
○副議長(富田 豊君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
  〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○副議長(富田 豊君) 以上で、門三佐博君の質問が終了いたしました。
○副議長(富田 豊君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 40番木下秀男君。
  〔木下秀男君、登壇〕(拍手)
○木下秀男君 たびたびの質問をいたしますので今議会は一休みと思っておりましたが、どうしてもこの場で質問をして知事の所見を聞かなくてはならないことが起こりましたので、通告して質問に入りたいと思います。
 まず、地震災害予防対策でございます。先ほど門議員は水害を中心にされましたが、私は地震と津波を中心にいたします。
 私がこの議会議場に席を得てから、この間、数多くの提言や質問が繰り返されてまいりましたけれども、地震に関する質問は中村裕一議員一人だったように記憶いたしてございます。そこで皆さんに、地震災害、津波について喚起するために質問する次第でございます。
 私は、常々、地震と津波に強い関心を持っております。海岸べりを通るときや山間部の険しい谷道を通るとき、ここで地震が起きたらと、そういう気持ちをいつも持ってございます。それは、一九四六年十二月二十一日、終戦の明くる年でありますが、南海道地震の体験からであります。そのとき私は十歳でありましたが、子供心に地震はどうして起こるのだろうか、津波はなぜ来るのだろうかという関心を持ったのであります。余震が終わって二、三日後であったと思いますが、先生に引率され、被災した家へ二日間、勤労奉仕ということでお手伝いに行ったことも、津波による災害の情景も、鮮明に残ってございます。
 自来、世界各地で起こる地震災害等に関心を持ちながら本や資料を集め、今日に至っておりますが、ごく最近の地震で強い関心を持ったのはサンフランシスコの地震と北海道で起きた南西沖地震であります。サンフランシスコは近代都市での災害であり、一方、南西沖地震は離島でありますが、火災と津波であります。
 以前、県道路建設課に在任中、工学博士の学位を取られた元田良孝氏が、現在、建設省筑波土木研究所へ転任されて地震の研究をされておりますので、いろいろの資料や雑誌等を送っていただいて読んでおりますが、少し地震学というものに触れてみたいと思います。
 古代ギリシャやローマ時代の人々も地震現象に大変強い関心を持ち、著名な哲学者がそれぞれの原因説を立てておりますが、いずれも思考のみであり、自然科学的根拠に乏しいものでありました。一七五五年十一月一日、ポルトガルの首都リスボンを一瞬にして壊滅せしめ、世界最大と言われた地震を機にヨーロッパ各地に大地震が頻発し、各国で地震への関心が強まりましたが、当時の状況は科学的知識は皆無で、地震は神が下す刑罰だという思想があったそうであります。日本で申しますならば、地下のナマズが暴れるというところでしょうか。これをきっかけに、十八世紀後半ごろからヨーロッパ各国で地震現象について考究する自然科学が始まったということであります。
 一九○六年、カリフォルニア州大地震が起こり、火災による大被害がありましたが、これを機にアメリカに地震学の研究が進展し、機械による観測が始まり、地震現象は物理学的な量によるエネルギーという観点から新しい研究部門が広まったのであります。
 地震国日本の地震学は、一八八○年(明治十三年)に日本地震学会が設立され、その主たるメンバーの研究者はほとんど政府が招聘したヨーロッパの大学教授を中心とした学者であったそうであります。一八五五年(明治十八年)、当時の内務省に地理局験震課を設置し、地震報告を行っております。そして、今いう地震計のはしりの計器を発明したのは、当時イギリスから日本に招聘されていたユーイング教授だそうであります。一九二三年(大正十二年)の関東大震災を機に東京大学に地震研究所が設立され、大学や気象台でも研究が盛んに行われるようになり、昭和初期には急速に進歩したが、太平洋戦争末期から戦後の数年間は停とんしたということでございます。
 一九六○年ごろから、世界六十数カ国が参加して多くの部門で研究が始まり、中でも広範囲にわたる海洋底の調査観測での海底大山脈やリフト(割れ目)の発見によって地震学が大きく進展したと言われてございます。もう一つ、このころに科学者の間で地震予知研究が始まり、防災という点で大いに期待されるところでございますが、現時点では確たる成果は上がっていないのが実情であります。
 我が和歌山県の地震の最も古い記録は、四一六年七月十四日、河内を中心とした和泉紀伊地方の地震──「地震」と書いて「なゐふる」と読むそうでございますが、「日本書紀」に書かれているのが初めてと言われてございます。
 日本は「地震列島」と古くから言われ、全国各地で大小さまざまな地震が起こり、多くの人命と財産に甚大な被害をもたらしております。比較的近い時代では、一八五四年(安政元年)十二月二十四日の安政地震のマグニチュード八・四と、一九四四年(昭和十九年)十二月七日の東南海道地震のマグニチュード七・九と、一九四六年、先ほど申しました南海道地震のマグニチュード八・○は津波の惨害を与えております。当時の家屋はほとんどが木造平屋建てであり、海岸は石積みか少しコンクリートで護岸がつくられ、河川に至ってはほとんど石積みであったために、地震による被害より津波による被害の方が多かったと記録されてございます。
 しかし、昨今の状況を見ますと、人家は木造二階建てまたは鉄筋二階建てぐらいでありますが、鉄筋コンクリートづくりのビルが林立し、高層住宅や高層オフィスが各地に建ち並んでございます。河川や海岸はすべてと言ってよいほどコンクリートで固められ、浜や遊水地帯がなくなり、海岸べりや河口周辺に人家が密集しております。この状態を見て、今、南海道地震のようなマグニチュード八程度の地震が起こったならいかがなることだろうと思っただけでも恐ろしくなります。ここ数年の新聞を見ると、東大や京大の学者が──これは近畿に向けてでありますが──「紀伊半島沖地震の動向注意を」とか「活断層沿い要警戒」という記事がたびたび載ってございます。「人生は経験」と申しますが、南海道地震を体験した人は少なくなりました。
 県は、毎年防災訓練を各地で行っております。参加者の徹底はできましょうけれども、不参加者の一般県民への防災意識の徹底が必要と考えるものであります。避難、食糧、衣料、医・治療と看護、通報、交通、輸送、燃料等々の対策を講じるべきと考えるのでありますが、県としての今後の取り組みについてお伺いいたします。
 特に、まず人命を守るという点から避難場所ということになりますが、ハザードマップを全県下に徹底することが急務であろうと思います。そういう意味で、総務部長と土木部長のご答弁をお願いいたします。
 次に主要県道二十三号、これは御坊土木管内でございますが、御坊湯浅線の整備促進についてお伺いいたします。
 この県道は、御坊市を起点に、日高町、由良町、広川町を経由して湯浅町を結ぶ主要県道二十三号であります。一部国道四十二号線と重複するところもございますが、国道渋滞時にはバイパス的な役割を果たしている、交通量の多い路線でございます。
 路線延長十八キロメートル余りでございますが、私の調査した時点で改良済みが七・七キロ、未改良延長が十・五キロ、内訳は湯浅町で○・五キロ、広川町で二・七キロ、由良町で七・三キロメートルとなってございます。今年度の事業発注でもう少し改良されておるかとも思います。
 このうち、由良町阿戸地内を通って国道と結ぶ間の改良促進が急務でございます。由良港阿戸地区にセメントのSS施設が二社ございます。砂、砂利の土場があり、有田、日高地方の建設資材のすべてがここに荷揚げされて各地に供給されております。この資材を運ぶのに、ダンプカーが一日に二百三十回から二百五十回、セメント用タンクローリー車が三十回、自家用ダンプカーが三十回、一般自動車が百回ぐらいと、このように交通が激しいところでございます。
 今、高速道路の御坊市までの完了を急いでおりますが、この自動車道の建設資材もすべてここから搬送されてございます。また、今秋発表された近畿自動車道御坊─南部間の資材も、この道を通らなくてはなりません。現在の道ではパンクするでしょう。道幅は狭く、対向は不可能で、曲がりくねった道であり、事故も多い悪路であります。御坊土木事務所も重点地域として取り組んでいただいておりますけれども、一向にらちが明かないのが現状でございます。来年度の予算編成時期になりましたが、この取り組みについて土木部長の答弁を求めます。
 最後に、和歌山刑務所改築についてであります。
 これは、私が九月議会に和歌山県多目的ホール──仮称でございますが──の建設について質問すべく調査中に知った件であります。そのときは調査未完了ということで、引き続き今日にまいりましたが、それについて質問をしたいと思います。この和歌山刑務所改築ということが突如発表され、現地再開発と聞いて驚いたわけでございます。
 この和歌山刑務所は、昭和七年五月の建設と聞き及んでおりますから、既に六十有余年を経過したものであります。当時は、海草郡四箇郷村の松林の中に建てられ、今日まで一つの歴史を刻んでまいりました。この刑務所を舞台にして映画化された「女囚とともに」は、当時、田中絹代、高峰秀子、浪花千栄子等々の豪華スタッフで大ヒットし、万人の紅涙を絞らせ、世に和歌山刑務所の姿を一躍知らしめたのであります。当時の三田庸子女史は、全国初の女性刑務所長としてその名はあまねく知れ渡るところとなり、その後は全国各地に講師として招かれ、三田女史の女囚に対する大きな愛は多くの人々に感動と感銘を与え、その声望はいやが上にも高まったことなど、今さらに思い出すものであります。
 しかし現時点では、本刑務所の周辺を見ると、今や開け行かんとする和歌山市東部開発の中心地であります。関西国際空港開港を機に、世界に向けた国際都市和歌山市づくりに県市民挙げて取り組んでいるときに、同刑務所の現地再開発が行われることは、到底承知できないものであります。全国各地で刑務所や収容所の移転問題が起こっているとき、市のど真ん中に再開発などと考える政府役人の人間としての感覚を疑うものであります。法務省にすれば百年の計であるかもしれませんけれども、和歌山県とすれば百年の誤りとなるでありましょう。このことが、和歌山市発展の大きな阻害となることは、必定であります。中央、地方を問わず、現下の政治の目指す方向は、中央集権を拒否する国民世論によって、ようやく地方の時代到来を予測する時点に立っているものと思います。
 私が理解できないのは、中央官庁わけても法務省の本件の決定に至るプロセスが、極めて非民主的、独善的に行われたということであります。県民無視であります。
 もう一つの疑問は、人権の問題であります。不幸にして、本刑務所に収監されている人々の心に触れる情操教育はあくまでも現在の市街地のど真ん中が適地とするのであれば、私は法務官僚の良識を疑うものであります。これこそ、中国の言葉である非人間的「法匪」のなせるわざと言わなければならないのであります。
 本会議においては、昭和五十八年六月定例議会で旅田卓宗議員──現在の和歌山市長でありますが──と、昭和六十年九月には渡辺勲議員が、本刑務所の移転による東部開発の質問をいたしてございます。その議事録の一部を紹介してみますと、旅田議員は「和歌山市の四箇郷地区にある刑務所については、女囚の刑務所とはいえ、市街地の真ん中にあり、著しく地区環境を害しているのであります。折しも、刑務所が建てられてから五十年という耐用年数に達した時期でもあり、この際、地元住民としては、刑務所をほかの地に移転していただき、その跡地を公共用地として有効利用してもらいたい」と、それから渡辺議員は「都市再開発に関連してでありますが、(中略)例えば、和歌山市駅付近では県営競輪場の敷地、東の方では、既に手狭になっている県立体育館、少し離れますが四箇郷の刑務所、南では紀三井寺の競馬場敷地等々であります。(中略)このような施設は将来、思い切って適地への移転を図り、跡地の高度利用を図るべきだと考える」と、こう質問されてございます。
 そして知事は、「刑務所の問題については、かねてから市民からも意見を言われておるわけでございまして、過日、知事会でパーティーがあったときに法務大臣にその話も申し上げたわけでございます。そうしたパーティーの席でございましたから確たる話はなかったわけでございますが、各地域から、刑務所を移してくれという要望が多いという話でございました」、こういう答弁をいたしてございます。
 そこで、私は改めて知事にお伺いいたしますが、この現地再開発の件をどこまで事前に承知されていたのか明らかにされるとともに、今のお考えをお伺いするものであります。
 もう一点、この事業費は約六十億と聞いてございます。このような大プロジェクトでありますから、地元の同意というものが必要であろうと思いますが、地元同意の状況はいかがなっておるのか、この点もあわせてお聞かせ願います。
 以上で、私の質問を終わります。ご清聴ありがとうございました。
○副議長(富田 豊君) ただいまの木下秀男君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
  〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 木下議員にお答え申し上げます。
 和歌山刑務所の改築についてでございますけれども、知事はどれほど知っておったかということでございます。
 私は、事前に通告は受けておらなくて、知ったのは二、三日前でございます。そして、その実情を法務省にお尋ねいたしますと、もう工事にかかっておるということでございました。建築関係についての法的問題として建築基準法があるわけですけれども、建築基準法の改築についての許可の問題は市で行うことになっておるわけでございまして、県へ上ってきていないということでございます。私だけではなしに、県の各部局においてもそのことを知らないというのが現状でございました。
 法務省の見解といたしましては、付近の地元の自治会と話し合いをやった、そして市にも連絡したということでございました。
 以上です。
○副議長(富田 豊君) 総務部長木村良樹君。
  〔木村良樹君、登壇〕
○総務部長(木村良樹君) 大地震やこれに起因する津波の恐ろしさ、一たび起これば筆舌に尽くしがたい甚大な被害を与えること、議員ご指摘のとおりでございます。
 県といたしましても、この点を重視しておりまして、昭和五十七年には県防災会議に地震部会を設けるとともに、県地域防災計画に地震編なるものを策定し、県、市町村、公共機関等が一体となって災害予防及び復旧などの対策に取り組んでいるところでございます。
 具体的な施策といたしましては、テレビ、県広報紙等を利用した啓発を初め、地震啓発パンフレットの配布、啓発ビデオや起震車の貸し出し等により県民の理解を深めるとともに、河川、道路、海岸、港湾の整備や地すべりの防止、電気、ガス、水道等いわゆるライフラインの災害に対する防御策を災害予防計画として定めているところでございます。さらに、地震による被害の拡大を防御し、応急的救助等を行うための災害応急対策計画や施設の緊急復旧についての災害復旧計画を定めており、これらを基本といたしまして、ご質問の中にもありましたように、毎年、防災総合訓練を実施し、防災関係機関の連携と応急対策の整備の強化、及び県民の防災意識の高揚を図っているところでございます。
 なお、地震及び津波時の避難場所については、これは非常に大切であることから、災害対策基本法により市町村において災害時に安全かつ速やかに避難できるよう、あらかじめ地域ごとに定めて広報紙による周知や避難誘導標識、案内板の設置を行っているところでありますけれども、これからもより一層この問題についての徹底を図ってまいりたいと考えております。
○副議長(富田 豊君) 土木部長山根一男君。
  〔山根一男君、登壇〕
○土木部長(山根一男君) 木下議員にお答えいたします。
 まず、土木部における津波対策についてお答えいたします。
 地震に伴う津波から人命や財産を防護するための施設としては、湾の入り口部に防波堤を設置することや、海岸線や河口部に防潮堤などを整備することが基本であり、県内においてもこれまでに文里湾においてチリ地震津波後に防波堤の整備を実施しております。他の港や海岸においても、高潮対策として防潮堤や水門などを整備してきており、これらが津波に対しても相当の効果を有していると考えておりますが、さらに万全を期するために、現在、新たな対策の必要性等について検討しているところであります。この検討は、当面湯浅広湾を対象として行っておりますが、津波被害のあった他の地区についても今後必要な検討を行ってまいりたいと思っているところでございます。
 次に、県道御坊湯浅線整備についてでございますが、ご提言の区間につきましては、大型車の交通量が増大しておりますので、由良町阿戸地内の交差点から国道四十二号までの約七百メートル間の改良工事に着手しており、鋭意、用地買収を進めてきたところであります。
 本年度で、阿戸地内から約五百メートル間の用地取得が終わりましたので、来年度から本格的な工事が行えるよう予算の拡大に努力してまいりたいと思っております。残る国道四十二号付近の約二百メートル間については交差点計画の見直しを行っておりますが、一部用地取得が困難な状況でございます。今後、交差点計画を固めることを急ぐとともに、早期に用地取得ができるよう、手法等についても検討してまいります。
 以上でございます。
○副議長(富田 豊君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 40番木下秀男君。
○木下秀男君 ただいまの知事さんの答弁でわかりましたが、ここでもう一度念を押しておきます。
 この和歌山刑務所の現地再開発について、知事は事前には全然知らなかった、ごく二、三日前に知ったと、こういうことであります。
 もう一点は、それではだれが再開発を承認した結果──既に入札済み、一部工事着工ということでございますが、新聞に発表されたのはその後であるということであります。地元のだれが再開発の承認をしたためにそういうことが進められたかということであります。
 これらのことが不明のままでは、県民、市民としては納得はできないと思います。私は、そういう意味でこの問題をあえて取り上げた次第であります。
 知事さん、過ぐる九月議会に六選不出馬の意向を表明され、進退について明言されたことに敬意を払っておりますが、事この刑務所再開発問題は推進を容認した──あえてその名は申し上げませんけれども、その人物たる者は県政に対する挑戦と受けとめております。県政を担う最高責任者として、知事はこうした反県民的な行為に強い指導力を発揮するように強くここで要望して、私の質問を終わります。
○副議長(富田 豊君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で木下秀男君の質問が終了いたしました。
 これで、本日の質疑及び一般質問を終わります。
 次会は十二月十二日再開し、質疑及び一般質問を続行いたします。
○副議長(富田 豊君) 本日は、これをもって散会いたします。
  午後二時二十一分散会

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