平成5年12月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(上野哲弘議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

平成五年十二月十日(金曜日)

  午後一時三分再開
○副議長(町田 亘君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。
○副議長(町田 亘君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 18番上野哲弘君。
  〔上野哲弘君、登壇〕(拍手)
○上野哲弘君 通告に基づきまして、一般質問を行います。
 まず最初に、地域振興における県の発想についてお聞きしたいと思います。
 近年、地方分権あるいは国土の均衡ある発展が叫ばれ、地方の時代と言われてから久しくなりました。今、地方において何を求め、何に期待すればよいか、暗中模索の状態と言わざるを得ません。それぞれの地方は必死になってその対応策を考えていると思いますが、日本全体が過疎過密の構造から抜け切れないため、抜本的対策が見出せないまま、全国至るところ過疎がますます進行しているのが現状かと思います。和歌山県もその例外ではありません。そのような中で、県が全国のモデルとなるような地域振興施策を行っていただくことを期待したいところであります。今、県において熊野地域の活性化についての施策を検討中であり、また地域選出の議員の皆さんもそれぞれ提案され、一致して策定策に期待しているところでもあります。ここでは具体案について申し上げませんが、地域の一住民として県の考え方について質問いたしたいと思います。
 まず、国が日本全体の過疎過密の状態を根底からぶち壊す施策をしない限り基本的には解決しないと思いますが、単に国の施策を待っているだけでは能のない話であり、地域住民に対し無責任と言わざるを得ません。全国から金も人も物も都会へ集中し、地方がますます疲弊していく中で、地方は何でもって都市に対抗できるか。私は、地域の特性を生かす発想しかないと思っております。人間それぞれ価値観が違うように、地方の価値観というものをより多くの人たちに理解していただき、その人たちのニーズにこたえる施策、すなわち現在の社会の矛盾にメスを入れ、大胆な発想による施策を打ち出すことが、地方が小さいながらも生き抜いていけることになるものと考えます。そのような観点から、知事の考え方についてお伺いいたしたいと存じます。
 なお、それに関連して、今年度開通いたしました水上栃谷線について、どのような発想により計画決定されたのか、またそのような発想が今後の県行政に生かされていくものか、企画部長にお伺いいたします。
 次に、均衡ある県政と施設の分散についてお伺いいたします。
 国においては、東京一極集中を是正するため、国会移転を初め官公庁の分散、あるいは遷都を考えられているようでありますが、当和歌山県においてもその必要性があろうかと考えます。我々が各地方を視察する中で、地方都市においても県立の文化施設等が多々見受けられます。和歌山県として、均衡ある県政のためにそのような施設の分散も必要と考えますが、企画部長にお伺いいたします。
 次に分散に関連して、県庁舎の建てかえについて私見を申し上げたいと思います。さきの議会で尾崎要二議員が一般質問されておりますので、私は視点を変えてみたいと思います。
 県庁の建設は、普通ならば現在地に高層にして建てかえるか、もしくは和歌山市内の適当な場所に移転することになろうかと思いますが、ともに日照権あるいは敷地面に難点があるようであります。私は、従来の発想を大きく転換し、大胆な決断もおもしろいと考えております。そのような視点から、県庁の建設は特に自然の多い美山村か龍神村あたりに移転したらどうか。そうなれば、全県下の中心となり、過疎対策の一助となり得るものと考えます。東牟婁や高野山から通勤可能となり、大自然の中で県政を行い、その中から二十一世紀の価値観の指標が生まれてくるのではないか、そのような思いがいたします。
 ここで、東京都庁を参考にしたいと思います。日本一の繁華街の新宿で超高層の都庁がそびえております。一時間ないし二時間も満員電車に揺られ、常に歌舞伎町のネオンにさらされた都庁職員を考えますと余り感心しません。和歌山県が大自然の中での県庁舎を取り入れることになれば、全国の注目を浴び、価値観の違いを日本全国に知らしめることになるのではないか。とっぴな発言と思われるかもしれませんが、我が国の郡県制度はたかだか百二十年の歴史であり、将来の日本を考える上で十分検討できるものと考えます。
 また第二案として、野上町の生石高原あたりもおもしろいと考えます。(「金屋町や」と呼ぶ者あり)特に地域の交通機関である野上鉄道の廃線が決定されたようでありますが(「決まってないぞ」と呼ぶ者あり)──失礼しました。そのようなうわさがあります。県庁が移転になれば、鉄道の復活も夢ではありません。要は、東京のミニ化を図るより、地方からの逆転の発想が大事かと考えます。県当局の斬新な発想に期待するところでありますが、この件については答弁は結構であります。
 第三点の、観光地における道路とその整備についてお伺いいたしたいと思います。
 ご存じのように、熊野地域は観光産業が重要な生活基盤となっており、その役割を担う上で道路の整備が必要不可欠な要素となっております。しかしながら、新宮・東牟婁管内における道路整備率が県下で一番低く、また一本道あるいは行きどまりの県道等がいまだ見受けられるところであります。熊野地域活性化を図る上で道路整備が重要課題であり、観光産業の育成のためにも地域の願いであると思いますが、今後、整備を進める上で観光地における道路行政について土木部長にお伺いいたします。
 第四点目、民間活力における三重県との対比とその対応策についてお伺いいたします。
 先日、半島振興過疎対策特別委員会にて三重県の伊勢、鳥羽を視察し、当該地の民間活力の導入について見聞したところであります。よその花は赤いということもありますが、その活性化は相当進んでいるようでもあります。「伊勢へ七たび、熊野へ三たび」と古くから言われておりますが、現在、伊勢と熊野の活力の差は、素人目にしてもますます広がりつつあると想像されます。それは、立地条件が大きく左右していると言えばそれまでですが、それにしても民間資本の導入には目をみはるものがあります。ちなみに、伊勢戦国時代村三百億円、赤福もちのおかげ横丁百四十億円、近鉄の志摩スペイン村六百億円とメジロ押しの投資がされているところであります。
 熊野地域の活性化を図る上で、民間資本の導入について当該地が投資の対象にならないのか、それとも将来期待できるのか、企画部長にお伺いしたいと思います。
 特に、関西新空港が開港になり、将来、高速化、多極化が進む中で熊野地域をどのようにとらえておられるか、期待できる民間企業の対応についてお伺いいたします。
 五点目、熊野古道の整備状況と県の考え方についてお伺いいたします。
 さきの議会で熊野古道について質問いたしましたが、その後の整備状況についてお伺いいたします。
 この古道は、ご存じのとおり、京都から大阪を通り和歌山県全域を貫いているといってもいいほどの中世の幹線道路であり、熊野の歴史に大きくかかわってきたところであります。
 質問の趣旨は、県において熊野古道をどのようにとらえておられるか、この古道に対する全体的構想と、関西財界における歴史街道推進協議会で熊野古道がメーンルートになり得なかった理由はどこにあったのか、この歴史的古道の将来像を企画部長と教育長にお伺いいたします。
 次に、新宮市と那智勝浦町における海岸線の古道整備がいまだ全然されていませんが、両自治体がどのように考えておられるか、また県はどのような指導をされているのか、教育長にお伺いいたします。
 六点目、熊野学の定義とその具体策についてお伺いいたします。
 梅原先生を初め熊野に関心のある中央の先生方は、熊野について、再生の場、蘇生の場、心をいやす場所であると定義されておりますが、抽象的表現で漠然としているところであります。我々を含めて行政としては、この熊野学が地域振興にかかわるとすれば、その定義に基づいて具現化しなければなりません。
 熊野地域が再生の場、蘇生の場という観点から、一つは、現代病に対するストレス解消や心身の鍛錬等、東洋医学を併用した施設が考えられるのではないか。二つは、亡くなられた中上健次氏が蘇生の場所という意味で本宮にて都はるみを歌手へのカムバックを演出したように、人生に挫折した人をよみがえらせる施設も考えられます。また、今議会、登校拒否児の請願書が提出されておりますが、この社会問題に対し熊野学は真正面から取り組める定義を包含していると思っております。
 読売新聞の十二月一日付の「社説」は、次のようになっております。「登校拒否の児童・生徒、その親、在籍する小中学校の三者を対象にした文部省の聞き取り調査は、さまざまな点で参考となるべきものを含んでいる。 一向に減る気配を見せない登校拒否問題は、すでに、学校制度の根幹にもかかわる社会病理の域にあると言っていい。 そうした中で『生の声』が、これほど組織的に集められたのは、初めてのことである。今後の予防的な対応や、再登校の子の迎え方などの面で、生かしていきたい。(中略)登校拒否問題について文部省は、一昨年来『どの子にも起こり得るもの』とし、本人の性格傾向に起因するとしていた従来の視点を、大きく転換した。 この認識の下に、学校に連れ戻せばイコール解決とはいかない、肝心なのは、子供の自立を支援することだ、そのためには学校を、子供が自己の存在を実感できる『心の居場所』にするとともに、民間を含めた学校以外での一時的な『回り道』を認めるとの方向を打ち出している」。
 熊野学が現代病対策に有効に作用するならばそれなりの位置づけができるのではないか、そのような思いもします。熊野学について人間の精神面も含めていろいろと考えていきますと、宗教的要素も大きくかかわってくるように思います。熊野地域全体を熊野宗教の本山とみなし、梅原先生などの中央の先生方を教祖として日本全国一億二千万人を檀家と見て多くの衆生に救いの手を差し伸べる、そのようなことを考えることもできます。また、熊野三山の末社が三千三百という他の神社仏閣に見られないような形で日本全国に散らばっておりますが、まさしく熊野社は森の鎮守様であり、日本のふるさとになるのではないか、そのような感じもいたします。この熊野学については、地域振興を考える上で、あらゆる形での本山参りを具現化されることを期待するところであります。
 熊野学という漠然とした問題のため今回は答弁をいただけないようなので、次回はぜひ梅原先生の立場に立っていただいての部長答弁をお願いいたしまして、この項の質問を終わります。
 それに関連して、これもなかなか難しい話なので検討が要ると思いますが、県事務所の取り組みについて要望いたしたいと思います。
 知事初め県の皆さん方が真剣になって地域振興に努力されており、非常に感謝しております。そういう面で、この計画をぜひ実のあるものにしていただきたい。そういう願いを地域の議員の皆様は持っていると思います。地元の県事務所においても、ぜひそのような体制で有意義なものにしていただきたいと思います。
 熊野ばかり申し上げて申しわけないんですが、これが和歌山県全域の地域振興にぜひ影響あるように願いまして、一般質問を終わります。ありがとうございました。
○副議長(町田 亘君) ただいまの上野哲弘君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
  〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 上野議員にお答えいたします。
 地域振興における県の発想ということでございます。
 現在のような非常に厳しい時代の中で、やはり大胆な発想が必要ではないかということ、総論として賛成でございます。
 特に、熊野地域の活性化についてのご意見がございましたけれども、現在、調査費を計上させていただいて、各界の学識経験者の皆さんからいろいろ検討してもらっている段階でございます。地域のすばらしい資源、特色を駆使して郷土の発展を図るということが最も肝要なことでございます。熊野地域は、今まで交通が不便であったために、かえってすばらしい自然や文化財等があるわけでございます。こうした残された資源の活用ということが極めて重要な課題ではないかと思っておるわけでございます。
 そのためには、やはり何と申しましても交通網の整備が必要でございます。道路、鉄道、海路、ヘリコプターによる空路の問題等々あるわけでございますけれども、特に鉄道については、現在、もう少し速くできないかということで調査を進めている段階でございます。また道路については、話ございましたように、水上栃谷線についてはふるさと事業の形をとらしていただいて短期間にやったということで大変喜ばれていると思います。そうしたふるさと事業とともに、半島振興という意味で、道路の整備、公共事業の整備を土木と農林がお互いに連携してやったというところにも大きな意義があると思います。
 そうした点から、東牟婁地方、熊野地域は非常に交通が不便で、交通網が十分ではありませんので、特に林道、県道、国道、市町村道の連携を図って進めてまいりたいと思っておるわけでございます。今後とも、なお一層発想を新たにして努力してまいりたいと思っております。
○副議長(町田 亘君) 企画部長佐武廸生君。
  〔佐武廸生君、登壇〕
○企画部長(佐武廸生君) 熊野地域活性化についてのご質問にお答えいたします。
 まず、水上栃谷線の整備についての考え方でございますが、先ほど知事から答弁がございましたように、新しい発想による施策のあり方としては、地方の特性や資源を生かした独自の発想と知恵で、主体的かつ柔軟に取り組むことが必要であるとの認識から、ふるさとづくり特別対策事業という事業手法を適用したものでございます。この結果、県内二時間交通圏の確立に向けて大きな効果が得られたと認識をしてございます。今後とも、こうした事業手法を積極的に活用することにより、県土の均衡ある発展を図ってまいりたいと考えてございます。
 次に、均衡ある県政と施設分散についてでございます。
 県の施設については、それぞれの行政目的に応じて種々の施設が県内各地に設置されてございますが、議員ご指摘のように、均衡ある県政の推進のためには、現有施設の適切な配置は重要な要素であろうと存じます。
 従来より、各種プロジェクト等地域開発計画の策定に当たっては、こうした考え方を基本に取り組んでいるところでございますが、今後とも地域の特色や資源を生かし、財政負担や地域の立地環境等をも考慮しながら、活力と潤いのある地域を形成するという観点から施設の整備を進めるなど、県勢の均衡ある発展を図ってまいりたいと考えてございます。
 次に、民間活力の対応策についてでございます。
 熊野地域は、現状では都市部からの時間距離の問題や平地が少ないという地勢上の制約等から、民間企業の進出が活発とは言いがたい状況であると認識してございます。しかしながら、本地域は、良好な自然資源や熊野三山を核とした文化資源など、時代の要請に適した豊富な資源を有してございまして、これら地域固有の資源を活用して熊野らしさを生かした整備を図るため、今回、熊野地域活性化計画を地元の皆様と緊密な連携を図りながら策定中でございます。こうした取り組みを通じて地元企業の活力を生かすとともに、民間企業参入の条件整備を図ることにより、観光、リゾート産業を中心とした企業進出や地域の活性化が期待できるものと考えてございます。
 また、期待できる民間企業への対応についてでございますが、企業活動は経済情勢や利用者のニーズ等の変化に伴い変動するものであることから、その把握に努めるとともに、それに柔軟かつ機動的に対応するため、関係部局と十分連携をとりながら適切に対処してまいりたいと考えてございます。
 いずれにいたしましても、熊野地域に民間企業の参入を促進していくためには高速交通体系の整備や交通手段の多様化は不可欠の要因でございますので、今後ともその整備に積極的に取り組んでまいりたいと考えてございます。
 次に、熊野古道の整備状況と県の考え方についてでございます。
 歴史街道計画については、当初、経済界を中心に検討が進められ、またその内容もメーンルートのみを取り上げたものとなっておりました。その後、行政機関も加わった構想推進を図る組織である歴史街道推進協議会が設立されたところでございます。本県も、平成三年の協議会発足から参画し、近畿一円にわたる歴史資源の集積を強く主張いたしてまいりました。そうした結果、同計画における対象ルートは、古代から現代に至る各時代を代表する歴史文化をできるだけ短い日数で無理なく探訪するメーンルートに加え、各地に幅広く点在する魅力ある歴史文化を特定のテーマに基づきネットワークするテーマルートとで構成するものとなりました。
 議員お話しの熊野古道は、同協議会が策定したマスタープランにおいて、大阪から高野山、熊野三山をめぐる高野熊野もうでルートとしてテーマルートの一つに位置づけられているところでございます。さらに熊野古道については、本宮、那智勝浦、新宮、高野山、紀の川エリアとともに、去る十月、構想推進の拠点となる地域として歴史街道百選に選ばれたところでございます。
 なお、本県といたしましては、こうした恵まれた県内の歴史文化資源を結ぶルートを県独自に紀の国歴史文化街道として位置づけ、歴史街道計画と連携をとりつつ、その活用方策の検討を進めているところでございます。
 以上でございます。
○副議長(町田 亘君) 土木部長山田 功君。
  〔山田 功君、登壇〕
○土木部長(山田 功君) 観光地における道路とその整備率についてお答えを申し上げます。
 新宮・東牟婁地域は、地形が急峻なために、その単位面積当たりの道路延長は、他と比較して少ないという事実がございます。反面、豊かな自然、史跡など豊富な観光資源に恵まれております。観光地の場合、わかりやすく、安全で快適な道路整備を行うことが重要であると考えております。
 当地方でも、主要な観光地を結ぶ道路として、国道四十二号の那智勝浦道路、百六十八号の桧杖工区、熊野川本宮工区、百六十九号の宮井工区、大沼工区のほか、建設省直轄代行事業の奥瀞道路、国道三百十一号の本宮三工区、本宮一工区、中辺路五工区、四工区、上富田二工区などで整備の促進を図っております。これらの道路の整備が進みますと、熊野那智大社、熊野速玉大社、熊野本宮大社、瀞峡、川湯、湯ノ峰温泉などが、さらには白浜温泉、高野山などとも有機的に結ばれることとなります。また、快適でわかりやすい道づくりとして、道路標識の整備、さらに道の駅などの設置も検討中でございますが、その中には観光案内板というようなものもつくっていきたいと考えております。
○副議長(町田 亘君) 教育長西川時千代君。
  〔西川時千代君、登壇〕
○教育長(西川時千代君) 熊野古道の整備状況と県の考え方についてお答えいたします。
 熊野参詣道は、京都府、大阪府を経て本県の熊野に至ってございます。このことから、それぞれの府県において古道の調査を実施してきているところでありますが、京都、大阪の古道のほとんどは現在、生活道路となっていることから、文化財としての整備は困難な状況にあると伺ってございます。
 本県では、昭和五十二年度から六カ年計画で熊野参詣道や高野山参詣道などを歴史の道調査の一環として実施したところであります。この調査においては、熊野参詣道を、和歌山市の雄山峠から田辺市に至る間を紀伊路ルート、田辺市から熊野三山に至る間を中辺路ルート、田辺市から海岸沿いに那智勝浦町の那智に至る間を大辺路ルートの三つのルートに分けてございます。
 まず紀伊路ルートについては、その大部分は現在生活道路となっており、全ルートを整備することが困難でございますが、旧状がよく残され整備が可能な箇所としては、海南市と下津町の藤白峠、下津町と有田市の蕪坂峠、広川町と日高町の鹿ケ瀬峠などがあります。現在、これら関係する市町と総合的な整備について協議を進めているところでございますが、そのうち既に説明板等の設置については県の補助事業等により実施し、古道の活用に努めているところであります。
 次に中辺路ルートについては、昭和五十三年度から平成元年度の間において、このルートのうち延べ約五十八キロメートルについては整備済みでありますが、残りの未整備区間には高野坂などのように旧状を残している部分もありますので、かねてより県教育委員会と事業主体である新宮市や那智勝浦町とそれぞれ協議を重ねてきているところであります。今後、整備計画を具体化し、早期に実施するよう、より一層指導してまいりたいと考えております。
 なお、大辺路ルートについては、中辺路ルートと紀伊路ルートの整備が完了後着手したいと考えております。
 以上でございます。
○副議長(町田 亘君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 18番上野哲弘君。
○上野哲弘君 企画部長に。今、熊野古道の文化財としての整備ということで答弁を受けたわけですが、京都から熊野までということで、道路というものは細切れやなしに続いているものだと思うんです。その中で、生活道という形で文化財的なものがなくなってきたということで、教育の方はその辺対応できませんが、やはり道ですので、単にそこを観光バスで行くだけではなしに、生活道になっても何かの考え方で一本につなげるような形をぜひとっていただきたい。ある県職員の方が、京都からか、大阪からか、ずっと歩いたというような話をしていました。そういう面で、文化財としては細切れになっているけれども、一つの道として整備方考えていただきたいと思います。
 それと、熊野のことについてですが、地元のPR不足ということで、これから県の方で見ていただきたいなと思います。これは田辺市さんに関係があるので余り言うと怒られますが、実は弁慶のことなんです。今、弁慶は田辺ということで全国的にPRされ、それが定着しています。それは結構なことですが。新宮の方も、吉川英治が「新・平家物語」で三輪崎のだれだれの子供であるとか、それと、義経と衣川で死ぬときまで、これはおじさんに当たるんですが、新宮出身の新宮十郎行家と一緒だったんですが、その中で、弁慶も一緒に従者として歴史的に残っているみたいです。地域のそういう歴史もあるんですが、何せPRが下手なので、これは田辺市にぜひ頑張っていただきたいと思います。そういうPR不足という面も地域の特性として考えていただきたい。
 それと、徐福の問題もあります。これも、全国にいろいろあります。徳川頼宣が徐福の墓をつくらせたということで新宮はその地位を占めているんですけれども、特に今、佐賀あたりが非常に積極的に中国本土へ行き、その体制をどんどんつくっているような状態です。口を酸っぱくしていろいろ言うているんですが、地域のPRが下手なので、そういう面も県の方としてぜひバックアップしていただきたい。
 それとPRということで、先ほど三重県のことを申し上げましたけれども、伊勢の二見の夫婦岩ですか、今まで見た中であれほどがっかりした名所はないと。ああいうものでも本当に名所になるんだなあという気がしまして。
 今、情報化社会ですから、これからはそういう面も踏まえて、ぜひ県の方でいろんなメディアを通じて全国の人にPRしていただきたいと思います。これを要望にかえて終わります。
○副議長(町田 亘君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で上野哲弘君の質問が終了いたしました。

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