平成3年6月 和歌山県議会定例会会議録 第3号(森 正樹議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

 午前十時五分開議
○議長(山本 一君) これより本日の会議を開きます。
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○議長(山本 一君) 日程第一、議案第八十四号から議案第百九号までを一括して議題とし、議案に対する質疑を行い、あわせて日程第二、一般質問を行います。
 42番森 正樹君。
 〔森 正樹君、登壇〕(拍手)
○森 正樹君 おはようございます。
 輝かしい伝統と長い歴史を誇ります和歌山県議会議政壇上に立たしていただきますことをまことに光栄に存じますとともに、発言の機会を与えていただきました先輩並びに同僚議員を初め、多くの皆様方に感謝申し上げます。
 私、もとより浅学非才の身でございまして、中国東晋の田園詩人・陶淵明の詩に「盛年重ねて来らず、一日再び晨なり難し、時に及んでまさに勉励すべし、歳月は人を待たず」とございますように、学ぶべきは先輩議員の皆様に習い、一刻一刻を大事にし、和歌山県勢の発展と県民福祉の向上のために誠心誠意努力する覚悟でございます。どうか皆様、この若輩者にご指導、ご鞭撻のほどをよろしくお願い申し上げます。
 まず初めに、関西国際空港に係る諸問題についてお尋ねをいたします。
 昭和四十三年、運輸省が泉南沖、神戸沖、阪和県境、淡路島など八カ所を対象として関西における新国際空港の候補地の調査を開始して以来、実に二十六年にして平成六年に開港の運びとなるのであります。思えば短いようでもあり、また実に長い年月でもございました。
 この間、昭和五十七年八月には、和歌山県が関西国際空港計画の具体化に同意する旨運輸省に回答するという歴史的転回点を迎えたこと、皆様ご承知のとおりでございます。思いますに、この間には神戸市が神戸沖案に反対するという僥倖──私はあえて「僥倖」と申し上げましたが、これは歴史的な必然であったのかもしれません。よくぞ神戸市は反対してくれたと申し上げておきたいと思います。この昭和五十七年の本県の関西国際空港計画の同意への転換こそ、和歌山復権の原点であり、出発であると思います。
 この間の経緯については、この当時、県議会の関西国際空港特別委員長を務めておりました渡辺勲前県議から裏話やエピソードを加えて何度も聞かされておりまして、よく存じているつもりでございます。何事もそうでございますが、歴史を変えるような決断、方針変更には大変な精神力、忍耐力が必要となるのでありまして、そのような思いを込めまして、同意への転換を決断された当局及び県議会の良識に対しまして深甚の敬意を表するものでございます。
 今、世界の主要な国際空港は二十四時間運用の国際ハブ空港として機能しております。ボーダーレス時代とも言われます今日、世界じゅうの国々が網の目のように航空路線によって結ばれ、人、物、情報がますます盛んに行き来する時代となってきております。また、今以上にさらに人や情報や文化の交流を頻繁に行うことが、無用の摩擦や誤解をなくし、世界平和を現実のものとする近道であると思いますし、ほとんどすべての地球人はそう願っていると信じるものでございます。
 ところで、我が国の現状に目をやりますと、三つの国際空港は夜間の離着陸が禁止され、大阪空港の場合、一日十時間、年間三千六百五十時間、日数に換算しますと百五十二日、空の玄関、門戸を閉ざすわけでございまして、いわば年間のうち四二%、鎖国状態に置かれているのと同じようなものでございます。全くもって異常な事態と言わざるを得ません。地球は丸いのでありまして、我が国が夜でも世界じゅうの多くの国は昼であり活動しているのでございます。一日も早くこのような異常事態の解消を図らなければなりません。すなわち、関西国際空港の開港が待たれるゆえんでございます。
 さて、本題に入ります。我が和歌山県にとりまして、関西国際空港は今世紀最後にして最大のビッグプロジェクトでございます。これが本県勢の活性化のためにどうあるべきかは、今さら議論の余地はございません。すなわち、全体計画の一日も早い実現と国内便の大幅確保に尽きるのでございます。
 本県を挙げて関西国際空港全体計画促進協議会が発足したのは、つい先ごろのことでございました。また、関西においては、関西国際空港全体構想早期実現既成会という組織も発足を見ました。昨年八月二十四日、航空審議会の中間報告が発表されました。そして今年秋には、いよいよ第六次空港整備五箇年計画が決定を見るわけでございます。
 そこで、仮谷知事にお尋ねをいたします。さきの中間報告の内容と、これを受けての運輸省の大蔵省に対する五箇年計画の策定要求、それに今年二月の閣議了解から今秋の正式決定までの間に、全体計画の実現と国内便の大幅確保について何らかの進展が見込まれるのでありましょうか。現時点でつかんでおられる感触等について、お聞かせをいただきたいと思います。
 ところで、振り返って見ますと、一九七四年(昭和四十九年)、運輸省が関西国際空港の位置並びに規模を答申したとき、「当面、国際空港として最小の単位となる長さ四千メートル滑走路二本と長さ三千二百メートル以上の補助滑走路一本を加えたものとすることが望ましい」と明記されたのでございます。また、一九八〇年(昭和五十五年)の第二次答申では、「四千メートル滑走路二本と三千四百メートルの補助滑走路を同時に整備すること」を打ち出したのであります。
 しかしながら、その後の社会経済情勢の変化などにより、いつの間にか全体計画は全体構想にトーンダウンし、一九八五年二月に開かれた第二回関西国際空港関係閣僚会議では、「全体構想を踏まえて段階的に整備を図ること」とされてしまったのであります。
 ところで、昨日、仮谷知事あなたは、今秋に予定されている知事選への五選出馬をこの壇上において表明なさいました。そして思い起こしますと、同じ壇上におきまして、私の先輩であります渡辺前県議の質問への回答の中で仮谷知事は、「全体計画の実現のために毅然たる態度で臨む」と言われ、「国内便の大幅確保に政治生命をかけて取り組む」と言明されたことを思い起こします。
 知事選も、六空整正式決定も今秋でございます。これも何かの因縁と思っていただきまして、今秋に予定されている第六次空港整備五箇年計画の正式決定まで、一便でも多く国内便を確保するためにどのような取り組みをなさっていくおつもりであるのか、できるだけ具体的にお答えを賜りたいと思います。
 次に、関西国際空港関連地域整備問題についてお尋ねをいたします。
 和歌山県から二十キロメートルの至近距離に、我が国初の二十四時間運用の国際スーパーハブ空港が平成六年に開港するわけでありますが、我が国の現行の国際空港は、前段でも申し上げましたとおり、成田、羽田、大阪の三つともすべて夜間の離着陸が禁止されており、欠陥空港と言わざるを得ないわけでございます。このような現状の中で、関西国際空港が開港すれば関西のみならず我が国の空の玄関として機能することについて、大きな期待が寄せられているのも当然であると思います。
 しかしながら、大きな期待を持って待たれている関西国際空港が開港しても、我が和歌山県が手をこまねいていたのではほとんど何のメリットもないというのは、多くの県民共通の認識と申せましょう。積極的な受け皿づくりを進めていってこそ初めて関西国際空港が本県にとって意味のあるものとなり、大きなインパクトをもたらしてくれるものと信じるものでございます。
 なお、関連地域整備と申しましても、非常に多岐にわたりますので、今回はそのうち幾つかの問題について取り上げてみたいと思います。
 まず初めに、道路についてでございます。
 関西国際空港へのアクセスとなる近畿自動車道紀勢線松原─岸和田間と空港連絡道の工事の進捗状況と供用開始の見通しについて、また京奈和自動車道橋本道路、紀北道路の現状と今後の見通しについて報告をいただきたい。主要幹線道路中、国道二十四号和歌山バイパスについて、平成四年度暫定二車線供用開始の当初の方針に変更はないか、お答えをいただきたい。
 また、近畿自動車道、京奈和自動車道が交わる地点に、将来、当然のこととしてジャンクションの設置が予定されると思いますが、ここに(仮称)和歌山北インターチェンジを設置すべきであると私は考えております。また、和歌山市南部の出入口として(仮称)和歌山南インターチェンジもしくはランプウエーを新設する考えはないか、お答えをいただきたい。なお、これらの工事を行う場合、日本道路公団による立てかえ制度の活用を図ることが得策と考えますが、いかがでありましょうか。
 以上、いずれも関係部長の答弁を求めたいと思います。
 次に、鉄道についてお尋ねをいたします。
 南海電鉄和歌山市駅から和歌山港駅を経て水軒口駅まで、軌道敷が伸びていることは皆さんよくご存じだと思いますが、この線をさらに延長して、和歌浦を経由し、JR紀勢線紀三井寺駅に接続することによりまして和歌山市内環状線が完成するのであります。この新線の実現により、紀三井寺競馬場跡地に移転される県立医科大学のアクセスとなり、和歌浦一帯の観光地のアクセスともなるばかりではなく、慢性的な市内の交通渋滞の解消にもつながると思います。過去にも橋本議員初め提案があったように伺っておりますけれども、県立医科大学の移転という情勢の変化の中で、この問題について取り組む意思がおありかどうか、第三セクター等、可能な方式を探るなど検討の余地ありと思いますが、いかがでありましょうか、お答えをお聞かせいただきたいと思います。
 第三に、関西国際空港は我が国初の二十四時間空港として開港するわけでありますが、これにつれて本県においてもその対応が求められることになろうと思います。そこで、二十四時間都市としての受け皿づくりが課題となってくるのでありますが、本県としてはどのような対応をなさるおつもりであるのか、具体的なお答えを賜りたいと思います。
 大型のシティホテルと連動したシティ・エア・ターミナル(CAT)の機能が必要になってくるのではないか、この点について担当部長のご所見を承りたい。
 なお、最近、県都和歌山市において大手ホテルグループが進出を計画するという動きがありましたけれども、巷間伝えられるところによりますと、地元の反対等により立ち消えになったという情報を聞いております。このことについて、商工労働部長は事実関係をつかんでおられますでしょうか。もし掌握しておられるのであればお聞かせをいただきたいと思います。
 あわせて、近年落ち込みの激しい和歌山市を初めとする県下の各商店街の振興策について、どのように今後取り組んでいくおつもりでありましょうか、具体的なお答えをいただければ幸いでございます。
 第四に、都市景観の向上についてであります。
 県都和歌山市から二十キロメートルのまさに目と鼻の先に国際空港が開港するわけでありますが、和歌山市を筆頭に、本県においてもいや応なく国際化への対応が迫られること、火を見るよりも明らかであります。現に和歌山市は、「国際都市わかやま」と称し、ビューティフル和歌山と銘打った運動をこの平成三年度より始めていると聞いております。
 和歌山市の現状を眺めてみますと、公共下水道網普及率は全国平均を大きく下回り、普及率わずかに六・七%。これは、人口四十万規模の類似都市中最低、全国四十七都道府県庁所在都市中でも最低でございます。また、市内を流れる内川は真っ黒な水がよどみ、汚濁は目に余るものがございます。本市の表玄関であり、また本県の表玄関とも言うべきJR和歌山駅前の美園商店街のアーケードは、ご承知のとおりトタンぶきでございまして、ところどころ腐食をしております。雨の日には傘を差して歩かなければならない状態でありまして、全国どこのアーケードを歩いても、傘を差して歩かなければいけないところは一つもないと思います。
 道路に目をやりますと、中央分離帯の植栽の中には空き缶や空き瓶が散乱をしております。公園に行ってトイレを使おうと思いますと、汚れるに任せ、また中には便器が壊れたものもございまして、使用に耐えるような状態ではない姿をよく見かけます。観光地には雑草が生い茂っております。
 あげつらえば切りがございませんが、思いつくままに数点申し上げますと以上のていたらくであります。このままでは、観光都市和歌山とは言いがたい、観光和歌山の名が泣くと思うものでございます。
 ところで、司馬遼太郎の「街道をゆく」という本──これは「週刊朝日」に連載されているものを単行本にしたものでございます。現在まで三十五巻発刊されておりまして、その第二十六巻に興味深い話が出ておりますので、少々長くなりますが、ここで紹介申し上げたいと思います。
 時代がさがり、鎌倉の世になった。このとき、嵯峨好きの天皇が出た。後嵯峨天皇(一二二〇~七二)である。
 〔中略〕
 後嵯峨天皇は上皇になってから、この地に広大な別荘を営んだ。山の名にちなんで、 「亀山殿」 とよばれた。あるいは嵯峨殿ともよばれた。私どもは、亀山殿の跡で湯豆腐を食べていることになる。
 亀山殿は庭園を中心としたいわば仙居で、その広大さや壮麗さについては、古図や文章史料が多い。文章史料のなかには『徒然草』や『増鏡』といった文学作品もある。亀山殿は、法輪寺橋の北畔に展開していた。橋は、いまの渡月橋よりやや上流にあったらしい。
 後嵯峨天皇の子が、亀山天皇(一二四九~一三〇五)である。このひとが、嵐峡の空をわたる月をながめて、あたかも橋が天上の月を渡しているようだ、として橋に「渡月橋」の名をあたえた。
 漱石も、この橋名をほめている。
 天竜寺の門前を左へ折れゝば釈迦堂で右へ曲がれば渡月橋 である。京は所の名さへ美しい。(『虞美人草』)
 対岸の嵐山にはもともと桜がなかった。
「あの山に、花があれば」
 と、後嵯峨上皇が吉野山から桜をとりよせて植えさせた。すでに鎌倉の世とはいえ、景観を芸術化するという王朝の伝統はなお濃厚に生きていたのである。これら有名無名のひとびとの美的な営みが、明治以前の日本に数すくない「公園」を成立させた。
 時代が、さらにさがる。
 明治初年における大久保利通(一八三〇~七八)のことである。日本の近代国家の基礎と性格が、明治元年からかれの死の同十一年までにできあがったといっていいが、その主導的な役割を大久保利通が果たした。
 〔中略〕
 大久保は欧米を見て、日本が絶望的なほどに遅れた国であることを知っていた。冒険よりも近代化に大方針をすえるべきだと考えていた。
 が、革命の元勲として大久保と西郷は双璧とされている。
 もし両人が正面から衝突すれば、せっかくの太政官国家そのものをうしないかねないことも大久保は知っていた。かれは反征韓論のために、在京の薩摩系開明派に対し十分の根まわしをしたあと、自分自身は東京を去った。
 この政略家は、賜暇をえて京・大阪を漫遊したのである。
 この漫遊は、いわば世間の底を知る上でも役に立った。たとえば堺付近の白沙青松の海岸松原が“士族授産”という他愛もない企画のもとで伐採されつつあるのをやめさせた。
 大久保は自分たちがやった明治維新が善であったことに確信をもっていたが、しかし革命が一面、玉石ともに砕くものであることも、この時期気づきはじめたようである。
 かれはこの漫遊で、徳川幕府が二百七十年かけて営みつづけてきた国土保全が、幕府瓦解のために保全システムまで崩壊し、このため林野が荒れはじめていることを知った。
 漫遊は、一カ月余りである。嵐山にもきた。
 かれは幕末、京で奔走していたころ、ここで舟遊びをしたことがある。
 そのときさすがに天下の名勝だと感心したのだが、維新後わずか六年のあいだにすっかり面変わりしてしまっていた。
 大久保はおどろき、土地の故老にきくと、山水というものは自然にそこにあるだけで美しいというものではないのです、人間の手が入りつづけて美観を保っているのです、旧幕のころは嵐山の保全のためにどういう組織があり、とりきめがあり、これだけの金がおりていました、などといったので、大久保は政治の何たるかを教えられる思いだったという。
 東京に帰り、念のため、旧幕臣の勝海舟にきいた。
「そこさ」
 勝は、旧幕府のために溜飲のさがる思いで、旧制度の仕組みやそのよさについて語ったといわれる。
 以上でございます。
 この話には、私は二つの教訓が含まれていると思います。一つは、嵐山あるいは嵯峨野という我が国を代表する名勝の景観を守るために、実に長い年月にわたって莫大な予算と労力が注ぎ込まれているということ。言いかえれば、気の遠くなるような時間と金と人手がかけられてこそ、初めて景観の維持は可能だということ。二つ目には、美しい景観、豊かな景観が豊饒な文化を生むということ。私たちは、この事実を歴史に学ばなければなりません。
 ところで、関係部長にお尋ねをいたします。
 平成六年の関西国際空港開港をめどとして緊急の課題でございます公共下水道網の飛躍的な普及についてどう取り組んでいかれるのか、また、内川の汚濁防止と真っ黒な水の脱色対策がここ数年の焦眉の急を要する問題であると思いますが、これが克服のためにどのような取り組みをなさるおつもりであるのか、お聞かせをいただきたい。
 第五に、農林水産部にお尋ねをいたします。
 本県農業は、オレンジ自由化の影響を初め、さまざまな要因によりって不振をきわめております。今さら言うに及びませんが、このようなマイナス材料をはね返し、活性化へつなげていくことが望まれているわけであります。
 そこで、臨空農業への転換が叫ばれ、県としても和歌山県長期総合計画「新世紀の国21」の中でいろいろとうたっておられます。特に、和歌山市及び紀の川沿川において花卉及び野菜の需要の増大が見込まれる中で、都市近郊農業、臨空農業への大胆な転換が望まれていますが、この点について具体的な取り組みのタイムスケジュールをお示しいただきたい。
 第三番目に、燦黒潮リゾート構想についてお尋ねをいたします。
 我が国は近年、世界各国から経済問題についてさまざまな指弾を受けてまいりました。欧米諸国は特に厳しく、いわゆる貿易摩擦を引き起こしているのであります。私は、これら欧米諸国の言い分にすべて賛成するつもりもございませんし、指摘されていることのうち幾つかについては反論を持ち合わせておりますが、ここではそのことは主題にそれるので触れません。ただ、指摘を受けている中で、日本人は働き過ぎという点については事実であり、認めざるを得ないと思います。
 ある試算によりますと、西暦二〇〇〇年までの間に我が国国民の総余暇時間が約二五%ふえると言われております。また、国民の年間労働時間は二千百時間から千九百時間へと、約二百時間も短縮されるという数値が出ております。
 それから、例えば、これは内閣総理大臣広報室の調査でございますが、複数回答でありますけれども、「三日以上の連続休暇があれば何がしたいか」という資料には、ほぼ半分近い四五・五%の人が「宿泊旅行」と答えております。それから、「宿泊旅行の目的」という日本観光協会の調査資料を見ますと、昭和三十年代から四十代全般にかけては「慰安旅行」とか「見物行楽」というのが多数を占めておりましたけれども、昭和五十五年から五十六年を境にいたしまして、「リゾート」──いわゆる保健休養とかスポーツレクリエーションを総合して「リゾート」と言っておるわけですけれども──が逆転をいたしまして一番多くなっております。以後、もちろんふえ続けておりまして、「見物行楽」とか「慰安旅行」が長期低落傾向の中で、数字が伸び続けているわけであります。
 また、一方では国民の中に物質至上主義への反省から心を充実する時代へという流れの中で、ゆとりのある生活を実現したいという要求もだんだん強くなってきております。余暇時間の増大と国民のライフスタイルの変化によりまして、余暇の過ごし方、旅行の形態が変化しているわけでございます。すなわち、短期周遊型から長期滞在型への流れがそうであります。
 我が国におけるリゾート先進県は沖縄であります。私は、一昨年までの数年間、四度にわたり沖縄のリゾート等を視察いたしました。対象地は恩納村初め那覇等々でございました。島で言いますと本島以外では西表島、竹富島、石垣島等々を見てまいりました。
 ところで、これら沖縄のリゾートについての研究論文がありまして、その著者の株式会社地域システム総合計画研究所代表取締役・六角裕治さんは、リゾート開発が抱える問題点として四つの項目を挙げておられます。一、雇用の確保に欠ける、二、地場産品の消費に貢献しない、三、地元への直接的効果が少ない、四、環境破壊に対する不安であります。
 第一点、雇用の問題でございますが、私、この視察の中で恩納村にありますサンマリーナというところへ行ってまいりました。ここは比較的新しいリゾートホテルでございますが、従業員二百十名中、実に二百八名が地元採用でありまして、本土から行っている人が支配人を含めてわずか二名ということでございます。ほかのリゾートホテルも大体同じような比率だったと思います。もちろん、このような地元採用に関して沖縄県当局の強い行政指導があったことは当然でございます。
 第二点、地元産品の消費問題でございますが、押しなべて沖縄のリゾートホテルは、約八割を本土から空輸しています。これは、ニガウリを代表として沖縄の農産品、魚もそうですが、非常に特徴的なものがありまして、大方の日本人の舌には合わないというところがあります。そういう意味で全体の二割しか供給されていない。その点、和歌山は海の幸、山の幸、大変豊富でございますし、日本人の口に合うものばかりでありますから心配はないと思います。
 第三の地元への直接的効果でございますが、万座ビーチホテルとかサンマリーナ等々、いずれもホテルの周辺に商店街やいろんなガラス工場とかいったものが立地しておりまして、さまざまな形で地元への経済的な波及効果をもたらしているということが言えると思います。
 四番目の環境への影響でございますが、六角さんの意見ですけれども、「地元との調整、説明が不十分であることへの不満が、リゾート開発は環境破壊、汚染を引き起こすといった固定観念を生み出している」と言っておられます。地元への十分な説明、調整、アプローチ等があればこうした問題は未然にかなり防止できるんではないかと思われます。
 また一方、フランスの地中海沿岸に有名なリゾートとしてラングドック・ルシヨンというものがございます。地中海沿岸のピレネー山脈とローヌ川の間、約二百キロメートルに及ぶ海岸線でございますが、多種多様のリゾートが立地しておりまして、フランスはもとよりヨーロッパ各地からの観光客で大変なにぎわいを見せるそうでございます。早くからフランス政府が計画を立案して地価の凍結を図るなど、国家的なプロジェクトとして取り組んできておりますので、本県の燦黒潮リゾート構想との単純な比較はできませんけれども、このラングドック・ルシヨンには、一家四人が一週間、四万円で泊まれるところがあると聞いております。そうした意味で、いわゆる庶民向けの安価で安心して利用できるリゾートということが言えると思います。
 前段で申し上げましたように、短期周遊型から長期滞在型へと若者世代、シルバー世代を中心に余暇の過ごし方が変化している中で、大多数の庶民が安心して安価で滞在できるリゾートの立地を望んでおります。そうしたものの立地がぜひとも必要となってくることは火を見るよりも明らかでありますし、こうした流れへの対応が望まれているのであります。
 また、全国各地でリゾートが次々と名のりを上げ、一部では乱立を心配する声も上がるほど数多くのリゾートが展開されておりますけれども、燦黒潮リゾート構想の各リゾートにつきまして、それぞれどのような特色、特徴を持たせるのか、この点が成否の分かれ道となってくると思います。この点について、企画部長のお答えを賜りたいと思います。
 最後に、紀淡海峡トンネル構想についてお伺いをいたします。
 私、この紀淡海峡トンネルについては、ぜひとも架橋方式で、すなわち紀淡海峡大橋として実現する方が望ましいと考え、昭和六十年九月に和歌山市議会本会議の一般質問の中で初めてそういう提案をさしていただきました。当時、今は亡くなられました宇治田市長が「その答弁と知事へ言うのだけは勘弁してくれ」と、あの独特の和歌山弁で答弁されたことを思い起こしますが、以来七年になりますけれども、この間、何度も紀淡海峡大橋の実現を主張してまいりました。
 本県議会におきましては浦先生が数年来大橋方式を言われておったと聞いておりますが、つい先日、六月二十九日付の一般紙には一斉に、本格調査の開始へ建設省が意欲を表明しているという記事が報道されております。この中では、橋、トンネルの両方式が取り上げられておりまして、二十一世紀へのビッグプロジェクトとして大きく夢の膨らむ、久々の明るい話題だったと思います。
 蛇足でございますが、私が架橋方式を提案する理由は、橋そのものが観光資源となること、国立公園の景観を橋の上から楽しめるということ、途中の友ケ島を活用できるということ、両岸の取りつけ部分がトンネルに比べて短くて済むということ等々であると思います。
 以上申し上げてきた諸条件を考慮して、県当局として今後架橋方式を視野に入れて取り組みをなさっていくおつもりはないか、お示しをいただきまして、質問を終わります。ありがとうございました。
○議長(山本 一君) ただいまの森正樹君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
 〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 森議員にお答え申し上げます。
 関西空港の全体構想の見通しについての質問でございます。
 昨年の八月に航空審議会が開かれまして、その中間取りまとめが行われたのでございますけれども、その中で、事業費の抑制の問題、また地元負担のあり方、開発利益の還元等、さまざまな条件がつけられながらも、段階的な整備を図ることとして事業着手の方針が示されたのでございます。
 先ほど来、森議員がおっしゃっておりましたように、この見通しについては非常に厳しいものがございます。国の態度の問題、またすべての政党が中部新国際空港の設置について強力な運動を展開しているのが実情でございます。そうした状況を見詰めるときに、非常に厳しい段階にあると私も思っておるところでございます。
 また、秋の閣議決定の問題がございます。ここにおいて明確な決定をしてもらわなければならない、それに対する知事の態度ということでございます。
 県議会の皆さん方のご支援をいただき、そしてまた和歌山県だけではなしに、やはり近畿の大阪、兵庫など、関係府県の政治家すべてを動員して、また財界を動員して当たらなければならないんではないかと思っておるわけでございまして、そうした面においての格段のご支援をお願い申し上げたいと思います。
 それから、国際、国内の基幹空港として問題の、国内便の確保でございますけれども、国内、国際空港としての機能が十分発揮できるように、県民の利便性の問題、また空港の機能性の問題の立場から、東京便並びに国内の主要便等についてなお一層努力してまいりたいと思います。これについてはまだ決定はしておりませんが、今後とも努力してまいる所存でございます。
 他の問題については関係部長から答弁させていただきます。
○議長(山本 一君) 土木部長磯村幹夫君。
 〔磯村幹夫君、登壇〕
○土木部長(磯村幹夫君) お答えいたします。
 関西国際空港関連地域整備問題についてでございます。
 まず近畿自動車道の松原─岸和田間については、美原北インターから岸和田和泉インターの間約十九・五キロメートルが未開通でございまして、工事等の進捗率は用地買収が九四%、工事が七七%であります。このうち、美原北インターから堺南インター間が本年末の供用予定であり、堺南インターから岸和田和泉インター間が平成四年度末供用予定と聞いております。
 また、空港連絡道路の進捗率については、平成三年四月末現在、用地買収が九九・五%、工事発注率は全体の約九〇%であり、供用予定は空港開港までの早い時期と聞いております。
 京奈和自動車道については、元年度に橋本市─高野口町間の橋本道路が事業化され、平成三年度には用地買収に着手することとなっております。残る高野口町─和歌山市間については、平成二年十一月に基本計画が決定され、整備計画に必要な概略調査が行われているところでございます。
 さらに、国道二十四号和歌山バイパスについては、当初計画どおり平成四年度末に暫定二車線で供用を図ることを目途に、現在、鋭意用地買収及び本工事が進められております。
 近畿自動車道紀勢線のインター増設については、現行制度上では開発インター方式による設置が考えられますが、これによると、技術的な基準に適合することはもとより、設置費用は開発者が負担しなければならないことになっており、さらに採算性の確保など厳しい条件があり、新たなインター設置は極めて困難な状況であります。しかしながら、将来、近畿自動車道紀勢線に接続が予定されている京奈和自動車道の計画策定に当たっては、地域にとって利便性の高いインター配置を検討するよう建設省に働きかけてまいります。
 なお、道路公団による立てかえ制度については、インターアクセス道路に適用されており、今後、インターの事業化にあわせ、検討してまいりたいと思います。
 次に、都市景観の向上についてでございますが、内川は、和歌山市の市街地中心部を流れる河川であり、議員お話しのとおり、都市景観上、また都市防災上、大変重要なものであります。
 内川の浄化に対する取り組みについては、これまでに河川内の対策として和歌川、市堀川においてヘドロのしゅんせつ、直轄事業による紀の川本川からの浄化用水導入、県事業による和歌浦湾からの浄化用水導入等を行っております。また、流域内対策としては、和歌山市が事業主体となって公共下水道事業を実施しており、和歌川終末処理場は昭和五十九年十一月から、中央終末処理場は昭和六十二年十一月からそれぞれ供用を開始し、目下、処理区域の拡大に努めているところでございます。
 平成三年度を初年度とする第七次下水道整備五箇年計画では、普及率を約三五%と目標設定して整備促進に取り組んでいるところであり、今後とも県都和歌山市の目的達成に支援してまいりたいと考えております。
 近年、和歌川の水質は昭和四十年代に比べて格段に改善されてまいりましたが、現在、水の色は依然黒褐色を呈しており、水質はほぼ横ばいの状態であります。今後、色の問題を含む水質の改善を図るためには、和歌山市が実施する下水道の整備はもとより、工場排水の規制強化、不法投棄の防止等、行政と市民、企業が一体となって取り組むことが不可欠であると考えます。県においても、これらの問題について全庁的に取り組むべく、内川浄化対策推進協議会において具体的な検討を進めており、今後なお一層、和歌山市と十分な連携を図りつつ、内川の水質改善のため努力してまいります。
 以上でございます。
○議長(山本 一君) 企画部長川端秀和君。
 〔川端秀和君、登壇〕
○企画部長(川端秀和君) まず、関西国際空港関連地域整備問題に関連するご質問にお答えを申し上げます。
 第一点は、南海水軒口駅からJR紀三井寺駅までの新線の建設についてでございます。
 和歌山港支線の和歌浦南伸とJR紀勢本線との接続による市内環状線については、和歌浦地域の振興や市内の公共交通機関の充実といった観点から、大きな効果が期待できるものと考えます。しかしながら、新線の建設には巨額の投資が必要となるなど、実施にはなかなか難しいものがあろうと存じますので、今後、長期的な展望に立って検討すべき課題であると考えてございます。
 第二点は、二十四時間都市としての対応のあり方、CAT(シティ・エア・ターミナル)の設置についてでございます。
 関西国際空港に対応した二十四時間都市としての受け皿づくりでございますが、本県においては、関西国際空港の立地に伴う波及効果を積極的に活用し、県勢の活性化を図るために関西国際空港関連地域整備計画を関係部局と連携をとりながら推進しているところでございます。
 そうした中、インテリジェントシティの指定を受け、情報基盤整備の方策を検討しているところでございます。また、二十四時間機能を備えた商業、業務機能の集積についても、今後、関係部局との連携のもと、和歌山市や経済界等に働きかけながら、臨空都市の形成に向け努力してまいりたいと考えます。
 また、議員ご指摘のCATについては、事業主体、事業採算性等、困難な課題もございますが、利用客にとって利便性の高い施設でもあり、今後、関係機関等へ働きかけてまいりたいと考えてございます。
 次に、燦黒潮リゾート構想における各地域の特色についてでございます。
 燦黒潮リゾート構想は、民間活力の導入を主体としたリゾート法に基づくものであり、その特色については、恵まれた自然の保全と活用を基調に、黒潮と遊ぶリゾート空間の創出をテーマとする海洋性リゾートゾーンの形成を図ることとしてございます。このゾーンを構成する七つの重点整備地区については、観光集積の高い田辺・白浜地区を中心に、北部地区には都市型施設、南部地区には自然活用型施設を配置してございます。
 これら各地区ごとに特色を持たせるため、関西国際空港、温泉、ミカンや梅の産地、あるいは熊野三山などの地理的、文化的特性や計画内容などを勘案しながら、田辺・白浜地区では「学ぶ、働く、鍛える、憩う総合的なリゾート空間」、北部の加太・紀泉地区では「国際交流型リゾート空間」、和歌浦湾地区では「海洋都市型リゾート空間」、西有田・白崎地区では「味覚体験型リゾート空間」、南部の枯木灘地区では「農林漁業体験型リゾート空間」、潮岬地区では「太陽とたわむれるリゾート空間」、勝浦・太地地区では「人間回復型リゾート空間」の形成を図ることをコンセプトとしてございます。
 また海岸域では、航海の安全性を確保するとともに、特徴ある地域を楽しみながら航海できるよう、和歌浦湾、由良港、田辺湾、袋港、新宮港など、約五十キロメートルごとにマリーナを整備し、クルージングネットワークの形成を図り、さらには紀伊半島、東海南海といった広域的なクルージングネットワークの一角を担ってまいりたいと考えてございます。
 さらに、新鮮な農林水産物の提供、地域の歴史、文化資源の活用、地域産業の参画、快適なサービスの提供など、ソフト面においても特色あるリゾート地の形成を図り、家族、高齢者、若者など、多様なニーズにこたえる魅力的なリゾート空間を目指してまいる所存でございます。
 最後に、紀淡海峡の架橋構想についてのご質問でございます。
 県としては、これまで国土軸上に本県を位置づけるべく、紀淡海峡トンネル構想を提唱し、昭和五十八年から日本鉄道建設公団において地質調査等が進められてきてございます。また、四全総(第四次全国総合開発計画)においては大阪湾環状交通体系が盛り込まれ、昨年は関係二十五団体による第二国土軸構想推進協議会が設立されるなど、広域的な連携のもとにその推進に努めているところでございます。
 近年、このような状況の中で、架橋についても、専門家による技術的可能性や景観等の面から架橋が望ましい等の議論が活発にされているところでございます。また先日、大阪湾圏域整備協議会において、大阪湾環状交通体系の形成がぜひとも必要であるとの本県からの強い要望にこたえ、建設省が紀淡海峡連絡道路の調査に本格的に着手するとの発表がなされたところでございます。
 県としては、国や関係機関のご指導のもと、広域的連携の中で紀淡海峡ルートについてさらに積極的に対応してまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(山本 一君) 商工労働部長中西伸雄君。
 〔中西伸雄君、登壇〕
○商工労働部長(中西伸雄君) 森議員にお答えをいたします。
 まず、ホテルグループの進出計画については、以前そうした動きがあったことは承知しておりますけれども、県には接触はございません。
 次に商店街の振興についてでございますが、近年、商店街を取り巻く環境は、車社会の進行、大型店の出店等、社会経済の変化とともに、関西国際空港の開港を控え、新たな対応を求められております。
 県としても、商店街の振興を図るために、アーケードの設置、カラー舗装、駐車場整備等のハード面、また情報化社会に対応したシステム開発、集客力を高めるための実験的な事業、さらには長期の低利融資等、ソフト両面にわたった支援施策を講じているところであります。
 今後とも、商店街が安全性、利便性、快適性、文化性、情報性等を有する地域住民の憩いの場としての魅力ある町づくりを、地元商店街、地元市町村の皆さん方とともに推進してまいりたいと存じます。
 以上でございます。
○議長(山本 一君) 農林水産部長若林弘澄君。
 〔若林弘澄君、登壇〕
○農林水産部長(若林弘澄君) お答えいたします。
 関西国際空港開港に向けての近郊農業への転換についてのご質問でございますが、関西国際空港開港に伴う農産物の需要については、議員お話しのように、周辺地域の人口増等、新たな需要の増加に加え、空輸機能を生かした販路の拡大などが見込まれるところであり、この機会を生かした臨空農業への取り組みは、本県農業の活性化にとって極めて重要であると考えております。
 このため、既に関西国際空港地域整備計画に位置づけ、和歌山市を含めた紀の川流域に高品質、周年生産を目指した野菜、花卉、果樹による施設園芸タウンの育成を計画しているところでございまして、これまで計画面積百二十ヘクタールに対して約六〇%の進捗となってございます。
 その内容については、野菜ではトマトの養液栽培やイチゴ、ショウガなどが四十二ヘクタール、また花卉では菊、バラ、カーネーションなどが十一ヘクタール、さらに果樹では桃、柿、ブドウなどが十九ヘクタールと、それぞれ施設化が進みつつある状況でございます。
 さらに、開港時の達成を目指し、長期総合計画の第二次中期実施計画に臨空農業の推進を位置づけ、施設栽培の推進を中心とした高収益農業への転換を図るとともに、試験研究機関における高度技術の開発や円滑な供給体制の整備等も含め、活力ある産地づくりを進めてまいる所存でございます。
 以上でございます。
○議長(山本 一君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 42番森 正樹君。
○森 正樹君 簡単に、数点について再質問を申し上げます。
 まず、関西国際空港の全体計画と国内便の大幅確保でございますが、これから選挙戦、大変お忙しいと思いますが、ひとつこの国内便の大幅確保につきましても全力を挙げて取り組んでいただきたいことをまず申し上げておきます。
 それから、(仮称)和歌山北インターの問題でございますが、これは私、和歌山の将来のことを考えますと、ぜひとも必要であると。特に京奈和自動車道と近畿自動車道紀勢線が交わるところでございますし、ジャンクションは絶対できるわけでございますから、その際にインターを併設するように強く働きかけをしていただくことをお願いしておきたいと思います。
 それから、内川の問題。
 外から和歌山にお見えになった方が和歌山に入ってまず目につくのが、あの内川でございます。都市というのは大変イメージが大事でありまして、「観光和歌山」、「国際都市」と言いながら、和歌山に来られた方があの内川をごらんになってどういう印象をお持ちになるか。これが非常に重大でございます。どう考えても、あの内川を見た方にいい印象を持ってもらえるはずはないのでありまして、この数年の和歌山にとって、ということは要するに和歌山県にとって、イメージという意味で、何としてもこの内川の脱色対策、浄化対策を進めなければならない。ある意味では、私、最重要緊急課題だと思います。そうした意味で、あの内川の脱色対策、汚濁防止の諸対策に取り組んでいただきたいということをお願いしておきたいと思います。
 それから、市内環状線の問題でございます。
 実は、その昔、関西の五大私鉄が一斉に狭軌から標準軌──今JRは狭軌でございますけれども、新幹線のレールの幅が標準軌になるわけです。俗に広軌と申しておりますが、正式には標準軌──に変えたときに、南海電鉄だけがよう踏み切らんかったことがございます。まあ、あの企業の体質を物語っていると私は個人的には思っているんですけれども、現時点では、その狭軌のまま置いておいたことが、JRと同じでございますから、非常に有利というか、都合がいいわけでありまして、水軒口と紀三井寺駅を結ぶことにより市内環状鉄道ができるわけであります。大変難しいことは私もよく存じております。しかし、将来の問題として、ぜひとも実現へ向けて取り組みを進めていただきたいということを要望しておきたいと思います。
 それから、ホテルの問題。
 一つ例をご紹介したいと思います。大阪の御堂筋にホテル日航大阪というのがございますが、昔、大阪市内の人の流れというのは、御堂筋を挟んで東側にしか行かなかった。当時、「美人座」というキャバレーが西側にありまして、年配の方はご承知かと思いますが、そこへ行く人しか御堂筋を渡らないと大阪では言われておりました。
 ところが、あのホテル日航大阪ができたことによりまして、そういう定説を覆して御堂筋の西側へ人が渡るようになりました。もちろん、その前段には──当時、昔はあそこは木場でございまして、木材の倉庫とか置き場がたくさんあったんですけれども、大阪港の方へ全部移転した跡があいておりました。それに目をつけたある若者が、アメリカなどから古着を買ってきまして、それを売るガレージセールみたいなことをやり出したんです。要するに、心斎橋には店を出せませんから。若者ですから、少ない資本で店を持とうとすると、仕方なしにそういうところへ持っていったわけです。
 ところが、それが発祥になりまして、今では「アメリカ村」、「ヨーロッパ村」ということで、あの御堂筋の西側は、砂糖にたかるアリのように若者が集まるわけです。そういう下敷きがありましたけれども、いずれにしても、ホテル日航大阪があそこにできることによりまして、御堂筋を越えて人の流れが変わったと言われております。
 我が和歌山市を振り返りますと、かつて日本青年会議所(JC)が全国大会をやられました。あのとき、一万人の参加者を予定されておられましたけれども、和歌山市の宿泊能力は七千二百と言われておりました。それには、カプセルホテルも、木賃宿、あるいは商人宿といったものも全部入っての数であります。したがって、実際には半分以上が泊まっていただけなかったという経緯があるわけですけれども、これからは二十四時間都市ということも考え合わせまして、大型都市型ホテル、大きなベッド数を持ったホテルがぜひとも必要であります。それがまた人の流れを変え、また人を呼ぶ起爆剤になりますし、先ほど申し上げました内川なんかの問題とも関連してきますけれども、その都市を代表する顔として、イメージとして非常に大事な問題でありますから、何としても──CATの機能とあわせ持ったものがあれば一番いいと思いますけれども──努力をしていただきたい。お願いしておきます。要望といたします。
 以上でございます。ありがとうございました。
○議長(山本 一君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で森正樹君の質問が終了いたしました。

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