平成3年2月 和歌山県議会定例会会議録 第6号(西本長浩議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

○議長(岸本光造君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 31番西本長浩君。
 〔西本長浩君、登壇〕(拍手)
○西本長浩君 浜口梧陵翁記念館──仮称でありますが──建設について質問いたします。
 憲政の理想に燃え、民衆とともに歩み、我が日本の議会政治の父と仰がれた「尾崎行雄翁のしおり」が私の手元にございます。いつも大切にしていますが、それには、「日本には政治家の記念物がない。尾崎行雄先生なら超党派で話がまとまるから記念館を建てよう」と、昭和二十九年十月、築地本願寺で行われた翁衆議院葬の後、だれからともなく国会議員の間で話が出て、間もなく国会議事堂前、元陸軍省参謀本部跡を敷地とし、国民に広く建設費を呼びかけ実現したのが、あの憲政記念館であります。この記念館に、上京の際、寸暇を割いて時々勉強に訪れますが、近代日本の民主主義を確立した翁の大きな足跡に非常な感激を覚えるのであります。
 今は昔、私が若き日、インド一周の旅をし、マハトーマ・ガンジーやネルーの記念館をも訪れて、異国の指導者の偉大な姿に敬服したのも遠い日のよき思い出であります。また最近では、近代日本の黎明期における偉大な先達、坂本龍馬の生誕百五十年を記念して龍馬歴史館が高知県野市町にオープンされたとも聞いてございます。
 このように、いずこの時代、いずこの国も偉大な人物をたたえ、記念館を通じて大きな教訓を後世に残し、伝え行くのもまた、後に生きる我々の大切な義務だと思うのであります。本県でも、南方熊楠記念館、佐藤春夫記念館が建てられ、近く華岡青洲記念館も建設されると聞いております。大変すばらしいことだと、御尽力賜っている方々に深く敬意を表し、大いに期待を申し上げているところであります。
 そこで私が強くお訴え申し上げたいのは、黒潮躍る有田の旧広村に生まれ、黒潮にはぐくまれ、祖国と和歌山県に大きく羽ばたいた浜口梧陵翁は、私たち和歌山県民の限りなき最高の誇りであります。それは、全国の人々、世界の人々も知る「稲むらの火」の梧陵翁、中央、地方において活躍、傑出した政治家・梧陵翁、人づくりこそ国づくりと人材を育てた偉大な教育家・梧陵翁、私財で大堤防を建設するなど多くの人々から崇拝され「生き神」と仰がれた梧陵翁、我が和歌山県会初代議長、我々の大先輩・梧陵翁、勝海舟らと交わって世界に広く知識を求めた梧陵翁と、数え上げれば枚挙にいとまがありませんが、まさに「梧陵の先に梧陵なし、梧陵の後に梧陵なし」と強く思うのであります。
 また、梧陵翁の崇高な防災の精神は、今でも遠くカナダ国において教材となり、地元広川町でも今なお、毎年、翁の御遺徳をしのび、児童の皆さんの参加を得て津波祭りが盛大かつ厳かに行われております。梧陵翁の残した遺徳は時代を超え、あるときは銅像として、あるときは記念碑として、またあるときは物語として広く人々の間に引き継がれておりますが、それに加えて、この翁の貴重な史資料による記念館は、後世の我々に、またこれからの世にすばらしい財産、教訓の贈り物となるのではないでしょうか。
 そこで知事に求めたいのは、この偉大な我々の大先輩・浜口梧陵翁の記念館を、この際、ぜひ広川町と連絡をとって県費で建設してほしいと強く思うのであります。知事の御所見を承りたい。
 この翁の経世済民の精神、強い奉仕の精神、炎と燃えた人材育成の精神、この翁の六十六年のすさまじい生涯が必ずやあすの日本を担い、あすの和歌山県を担い、二十一世紀を担う若い魂、次代を担う少年少女の胸を打つことは間違いありません。このように、翁の教訓によって国と民を強く思う精神を少しでも養うことができるなら、県費の十億、二十億、いや百億でも安いものであると、私は強く思うのであります。
 次に、旧県会議事堂の移築について質問いたします。
 根来寺の一角に保存されている一乗閣、つまり旧県会議事堂については、昨年九月の定例会、十二月の定例会本会議において中村博議員が詳しい資料をもとに質問されましたので、私から内容に触れる必要はありませんので差し控えます。
 〔議長退席、副議長着席〕
 この一乗閣について、きのう、根来寺の総務部長さんに聞いてみましたら、「この敷地に他の建物を建てたいという希望もあって、今苦慮しています。他の場所に移して保存していただければ大変ありがたい」と申しておられます。歴史的価値の高い旧県会議事堂は、由緒ある全国唯一の木造建築物でありますだけに、先ほどお願いいたしました広川町の浜口梧陵翁の歴史館と同敷地内に移築されればと強く考えるものであります。
 先日、私は、石原広川町長さんにこの旧県会議事堂の移築についてお願いを申し上げましたら、予定している天州の浜の埋立地あるいは浜口山を一度考えてみるという大変ありがたい話でございました。根来寺様側に長く御迷惑をかけないためにも、知事、建設的な御答弁をお願いいたしたい。
 仮谷知事の英断をいただき、移築された暁には、旧県会議事堂を空っぽにしておく手はない。そこで、先人、先輩、歴代県議会議員、または現職の方の由緒ある貴重な資料、また県当局側の歴代知事、そして現在の仮谷知事などの由緒ある貴重な資料をも併設すれば、和歌山県の政治の歴史がすべてわかり、すばらしい和歌山県政資料館になると存じます。和歌山県民のためにも、知事の御決意をお伺いいたしたい。
 次に、農業近代化について質問いたします。
 この四月一日、オレンジの輸入が自由化され、また来年の四月からはオレンジジュースも自由化されます。今、かんきつ産地では、来るべき国際化時代に向けて勝ち残るべく、味、品質で勝負できるミカンづくりに懸命の努力がなされております。
 このような状況の中で、農村地域では、農業者の高齢化の問題、後継者の確保の問題など、多くの問題が山積しております。また、農業者の作業中の事故や過酷な労働、農薬による健康上の問題についても、多くの話を各方面より伺っております。
 昨今の若者を中心に、「きつい」、「危険」など、三Kという言葉があります。私も、学校を出てから農業に従事いたしましたが、その労働の厳しさは大変なものであります。急傾斜地でなくても、かんきつ園での農作業は、真夏の農薬散布を初め、寒さ厳しい真冬の土壌改良、そして年末年始の収穫など、どれ一つとってみても楽なものはありません。若者に希望と魅力を持たせる第一として、安定した収益を確保することが極めて大事であることは申すまでもありませんが、三Kの解消もまた非常に重要な課題であります。急傾斜地での諸問題の解決には限界があることも承知しておりますが、国際化時代、産地間競争の激化などにも対応した生産コストの低減対策としてもぜひ必要であると考えるものであります。
 最近、吉備町では、農業用無人ヘリコプター──リモコンでありますが──を実験的に購入して、傾斜地を含めて、かんきつ園での農薬散布をどの程度まで行うことができるかの実験実施に取り組む動きがあります。非常に時宜を得た取り組みであると思います。
 そこで、農林水産部長にお伺いいたします。
 農業近代化、農薬散布の質的軽減策の一つとして無人ヘリコプター導入の課題と将来への見通しについて率直にお答えいただきたい。
 次は、全国一の桜名所づくりについて質問いたします。
 私が、先輩、同僚議員の温かい御推挙によって議長に就任させていただいたのは、忘れもしない昭和六十三年七月でありました。以来、各位に深く感謝を申し上げているところでありますが、就任から二カ月たった九月十二日、地元紙のある編集長さんからインタビューを受け、「西本さん、議長の間に歴史に残る仕事を考えていないんですか」と質問されました。私は、毎年、大峰山修業に参り、あのすばらしい吉野の桜に大変魅せられてございましたので、即座に、「この有田地方と花園村、高野山にかけた広大な地域、山野に吉野をしのぐ桜を植えて、日本一の桜の名所にしたい」と提言を申し上げたのでございます。そのときの九月十三日付の「有田タイムス」が、知事初め皆さんのテーブルの上にコピーとして出されております。
 桜が我が国の国花であることは申し上げるまでもありませんが、先ほどの尾崎行雄翁が東京市長時代、つまり一九一二年の春──明治四十五年でありますが──アメリカの我が国への経済援助の恩義に報いるため、また我が国とアメリカの友好のシンボルとしてワシントンに三千本の桜を贈ったことは余りにも有名な話であります。そして、今なおワシントンのポトマック河畔の桜は、アメリカばかりでなく、世界じゅうの名物となっております。同時に一層、我が国とアメリカ国家との友好親善の礎とさえなっているのであります。
 私は、吉野はもちろん、京の嵐山など、全国の桜便り、花便りを聞くにつけ、私の提唱した植樹事業が日の目を見ず、さっぱり進まないなあ、まだ努力が足りんなあと思っていたところへ、平成二年一月三日付の「神戸新聞」、大新聞各社の桜の記事を見て、正直、びっくりいたしました。それは、私の提言より二年三カ月遅いものでありましたが、兵庫県が十年かけて日本一の桜並木をつくるというものであります。
 この計画は、日本海側から瀬戸内海に至る、実に百七十キロ、一市十四町に及ぶ壮大なプランであります。円山川、武庫川などの河川沿いに平成二年から予算一億七千万円でスタート、本年度は予算五億円で本格的に植樹を始めるというものであります。事業推進には、建設省の補助事業である桜づつみモデル事業、ラブ・リバー制度などの導入を積極的に図るほか、関係市町村にいろいろな記念植樹を呼びかけているものであります。この兵庫県民の憩いの場づくりの準備段階で既に兵庫県民の関心が非常に高く、予定より案外早く実現するのではないかと同県では見ておられます。
 そこで、農林水産部長並びに土木部長にお伺いいたします。
 本県では、昨年、農林水産部及び土木部を先頭にして有田県事務所及び有田市の一市五町、同時に伊都県事務所及び花園村、高野町などでサクラライン推進委員会なるものをつくってくださいということで、日本一の桜名所づくりにかけていただいておりますが、今後の取り組みをお聞かせいただきたい。また、前述いたしましたように、兵庫県では二カ年だけで七億円に近い巨費を投じておりますが、今後のお取り組み、事業費についてもぜひお聞かせいただきたい。
 次に、二川ダム下流の渇水地区の解消について質問をいたします。
 「温故知新」とよく言われます。忘れもしない昭和二十八年七月十八日、和歌山県を襲った未曾有の大水害は、広大な有田川流域を総なめにし、大きなつめ跡を残しただけでなく、多くのとうとい人命を奪い去りました。
 当時、私は中学二年生でありましたが、今、あの水魔、あの荒れ狂う濁流を思い出すとき、あの大きな悲しい出来事は、だれもが筆舌にあらわすことのできないほどの大惨状でありました。あれから、はや十年の歳月が流れましたが、時は幾月流れようとも、今なお多くの犠牲者と殉職者の方々に心から御冥福を祈らずにはおられません。そして、かけがえのない家族、肉親、多大な財産を失うという大きな衝撃を受けながらも、流れ果て、荒廃し、泥沼の郷土の中で奮い立ち、不屈の精神で乗り越えてこられた当時の先人・先輩のとうとく、たゆまぬ御努力のおかげをもって、わずかながらつめ跡を残しながらも、ふるさと有田は立派に復興して、今、二十一世紀に向けてさらなる飛躍に邁進しているところであります。
 この間、再びこの有田が大水害に見舞われることのないよう、国、県の英断によって有田川総合開発事業の一環、つまり防災を中心とした多目的ダム、二川ダム建設は、長い間の計画、調査とともに、地元住民の御理解と御協力を得るために長い時間を要しましたが、幸い昭和四十一年、総事業費約四十億円の巨費を投じて見事に完成され、下流有田住民の災害への不安は一気に解消されたのであります。ここに改めて、父祖伝来かけがえのない黒き大地と緑豊かな山林、そして長い間、住みなれた家屋などを湖底に沈めながら御協力を賜った多くの清水町民の方々、母なる清水町の未来を思い、ダムの安全、ダムの公害の憂いなきを強く叫んだ地元二川地区の皆さん、関係各位、清水町当局、県当局、国に対し、衷心より深く感謝を申し上げます。
 しかし、その間の二川地区住民のダム建設反対の中で、最後まで後世の環境に憂いを持ちながら粘り強く交渉してきたのは「ダム直下の二川地区を渇水とせず、常に清き水を流せ」でありました。その二川地区ダム対策委員会の方々が、昭和三十四年八月、二川区民大会において「二川宣言」なる次の内容を最後のとりでとしております。
 それは、「防災ダムについてはやむなく容認するけれども、発電については、せめても最後のただ一つの願いとして、ダム直下に自然流水を存置するよう直下式発電に限る」との絶対線とした基本態度を満場一致で確認しているのであります。しかし県当局は、調査当初から、二川地区住民との約束である「建設実施の場合は住民と十分話し合い、納得の上で決定する」という確約を破棄し、話し合いを持たず、しかも二川住民の悲願、ただ一つの要求である直下式発電、つまり義務放流をあっさりはねのけ、昭和三十三年十月、非情にも、二川ダムの発電方式は水路式によって建設することを地元に一方的に発表したという経緯を、私は最も信頼でき、良識のある地元の方より詳しく聞いてございます。
 地元住民の「二川区を流れる河川を渇水にするな」という悲願は、ついに消え去りました。「県の水路式岩倉発電所の実現を想定するとき、我々は長い長い歴史、父祖伝来の心の友として、生活の友として親しんできた母なる有田川の清流が姿を消したなら、つまり濁水による有形無形のあらゆる障害が予測され、極度の危惧を持ち続ける」、以上は、地元住民の「二川宣言」を撤回した当時の条件闘争なる措置要求の中にも明確に記録されております。
 そして、九年の歳月を要して昭和四十二年、ようやく二川ダムが完成し、あれからはや二十四年の月日が流れ、今日、二川ダム対策委員会の方々が危惧していたとおり、渇水地区の環境はまさに劣悪そのものと申し上げても過言ではありません。
 夏はやけつく河川の照り返しで暑い毎日、その上、各家庭の下排水がよどみ、悪臭が漂い、ハエ、蚊などが発生し、非衛生そのものであり、またその上に水が流れないので雑草が生い茂り、しかも願わないことでありますが、万が一の火事の場合でも目前の川は水のない川であり、極めて遺憾な状態であります。「ウサギ追いしかの山」には後継者が少なくなり、「小ブナ釣りしかの川」に水はなく、かつて豊かだった母なるふるさとから人が減っていく。これはすべて、政治、行政の責任と言わざるを得ない。
 そこで知事にお訴えを申し上げますが、私の調べた岡山県の湯原ダムは、昭和三十年に完成したダムであります。ダム下流の二川地区よりごく少ない民家二十戸、旅館五軒の流域を渇水地区としないよう配慮し──ここ、よう聞いておいてくださいよ、部長、知事も──ダム完成当時は毎秒○・三トン、現在は○・四トンを義務放流しつつ、水路式とあわせて直下発電を行っております。これを比べてみますと、当時の二川地区住民に対する行政姿勢と岡山県のその姿勢とに、全く天と地の開きを感じるのは私だけではないでしょう。ダムへの協力を賜った住民の方々への心のこもったこの湯原ダム直下方式をなぜ和歌山県は模範として見習わなかったのかと、私は不思議でなりません。
 以上、申し上げた点で、二川ダム反対運動が盛んであったあのころ、たまたま下流住民であった私は金屋町青年団協議会の会長でもございましたので、みずからの勉強のため、役員、友人の方々と単車にまたがり、新宮を経由して国道百六十八号、いわゆる五新線を北上し、新宮川水系の北山川、七色ダム、十津川水系の二津野ダム、風屋ダム、猿谷ダムを視察してきた経緯があります。
 知事は、平成二年より、真心込めてその渇水地区の河道整備に約七億円を投じていただいております。また知事は──ちょっと表現が悪いですが、ようやく重い腰を上げ、渇水を解決するため、昨秋、二百三十万円で調査を始めていただいておることに深く敬意を表しているところであります。知事、男らしく、県政の最高責任者らしく、この際、明確に「二川渇水地区に水は必ず流す」と、温かい御答弁を願いたい。
 また、追い打ちをかける気はありませんが、あの二川ダム周辺には県政の行き届いていない点が多々あります。
 例えば、昨年、土木部長にも見ていただいておりますけれども、県道有田高野線の網掛隧道はダム建設関係でつくった隧道でありますが、極端な急カーブで死傷者が数多く出ておる状態でございます。また、二川地区の中央部、左岸、右岸を結ぶ県道橋の二川橋も、老朽化の上、幅員が極めて狭く、軽四と軽四が行き違えません。あの大きな体の川原町長さんがその橋を歩くと、余計狭く見えるのであります。全くお粗末な橋梁で、これまた右岸側の県道側での事故発生が極めて多いのであります。二川住民に渇水で大きな迷惑をかけていながら、一体このような状態をいつまで放置しておくのか。この二川橋と網掛隧道を超特急で改良すべきと強く思いますが、知事並びに土木部長の御決意をお伺いいたしたい。
 結びに、知事初め当局の方々に申し上げておきたいと思います。
 孟子の教えの中に「仁政」という言葉がございます。仁は「仁義」の仁でありますが、また、仁は「人の心」、「愛の心」でもあります。字引を引いて詳しく見てみましたら、「慈しみ、慈しむ、哀れむ、思いやり、情け、潤い、恵み与える、有徳の人」とあります。「仁政」は、すなわち「愛の心の政治」、「情け深き政治」、「慈悲深き政治」、「恵み深き政治」、「思いやりの政治」です。「仁政」とは、民を愛する情の心を持つ政治にほかならず、早く言えば父母が子供に対するような純粋な愛の心を持つ政治を行うことが「仁政」と書いてございます。
 孟子はまた、「王道」というのを説いています。「王道」は孟子の政治理念であって、「愛の心を持つ政治を行うこと、これすなわち王道である」とあります。「王道」の精神は──聞いておいてくださいよ──「偏らず、私心なく、中正の生き方をしなさい」とあります。
 まごころ政治と申しましても、口先の不実行の政治は「仁政」「王道」の精神に反するというもの。やはり、政治は心なり、愛の心でもって実行する仮谷知事の「まごころ県政」で、県民のために愛の心の御答弁をお願い申し上げ、以上をもって私の質問を終わります。ありがとうございました。
○副議長(橋本 進君) ただいまの西本長浩君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
 〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 西本議員にお答え申し上げます。
 第一点の、浜口梧陵翁の顕彰でございます。
 御提言のとおり、本県の歴史、文化を築いてこられた先人の皆さんを顕彰し、後世に受け継いでまいることは非常に有意義なことだと考えております。
 お話もございましたが、現在、白浜町に南方熊楠記念館、新宮市に佐藤春夫記念館が設立されてございます。また近年、田辺市において南方熊楠翁、那賀町では華岡青洲翁など、ふるさとの偉人を顕彰していこうという動きが地元を中心に活発になっておるわけでございまして、こうした運動には私も大変感謝している次第でございます。
 御提言の浜口梧陵翁については、初代の県議会議長でもあり、「稲むらの火」として世界に紹介された本県の誇れる偉人の一人であると存じておるわけでございます。翁の顕彰については、今後、地元の意向を踏まえながら対処してまいりたいと思っております。
 また、旧県議会議事堂の問題については、今後、建築様式、構造など、建物の実態を教育委員会で調査する計画でございますので、御提言の趣旨については十分承り、また議会とも相談させていただきたいと思っております。
 次に、二川ダムでございます。
 二川ダムは、昭和四十二年に完成して以来、多目的ダムとしてその効果を発揮して、下流の流域住民の方々の生命と財産を守り、また産業の発展に寄与しているところでございます。しかし、話ございましたように、ダムの直下は水路式発電所のため約四キロの減水区間を生じており、この二川地区にお住まいになっておる方々のお気持ちは私は十分承知しておるわけでございます。私も、現地を調査させていただき、その実態を十分把握してございまして、まことに気の毒に存じておるところでございます。
 現在、減水区間において家庭排水がよどまないように、河川環境を考慮した河道整備事業を実施しているところでございます。また電気事業においても、地元の振興に寄与するために補助金を交付しているところでもございます。
 議員御質問の常時放流については、現在、関係部局から成る有田川問題検討協議会で放水方法等の技術的な検討を進めているところでございます。今後、常時放流のための具体的な方法等について、早期に検討結果をまとめて地元の方々の御要望を実現すべく取り組んでまいります。
 なお、網掛トンネルの改良と二川橋については、部長から答弁いたします。
○副議長(橋本 進君) 農林水産部長安田重行君。
 〔安田重行君、登壇〕
○農林水産部長(安田重行君) お答え申し上げます。
 農業の国際化、産地間競争がますます進んでいく中で、生産コストの低減はもとより、作業条件の改善は農村の担い手の育成、後継者対策の上からも極めて重要な課題であると考えてございます。そのため、従来から傾斜地かんきつ園を対象に、モノラック、モノレールなどの運搬作業の機械化、スプリンクラーによる農薬散布技術など省力化技術の開発、園内作業道や農道など生産基盤の整備を図り、生産コストの低減や労力の節減対策に取り組んできたところでございます。
 議員お話しのリモコンヘリコプターによる農薬散布防除でございますが、防除作業の効率化と質的軽減など、将来に大いに期待される防除方法であると考えてございます。
 現在、農林水産省を中心に農林水産航空協会等の関係機関が一体となって実用化に向け検討をされてございまして、本県でも平成元年度から試験研究機関などで実証試験に取り組んでいるところでございます。それらの結果、平たん地の水田では空中散布用の登録農薬があることから、近くこれが実用化される見通しとなってございます。
 しかしながら果樹園については、傾斜地等の複雑な地形条件であるだけに、安全性、防除効果、経済性の確認に加え、空中散布用の登録農薬がございませんので検討すべきことが多く、目下、試験段階にある状況でございます。今後、これらの検討事項の解決に向け、農林水産省と協調しながら取り組んでまいりたいと考えてございます。
 次に、全国一の桜の問題でございます。
 有田川流域の桜修景については、これまでも日本さくらの会と宝くじ協会の苗木の寄贈を受けまして、沿線の八市町村並びに地元住民の御協力によりまして、六十三年度より六千本程度の桜を植栽してまいったところでございます。それまでの分と合わせて、この沿線には一万本強の桜の木があることになり、平成三年度においても新たに千本程度の植栽を予定いたしております。
 議員御提言の全国一の桜名所づくりについては、潤いと個性あるふるさとづくりに寄与するものと存じますが、大規模なものは用地等の難しい問題もあろうかと思います。したがいまして、農林水産部といたしましては、これまでの事業を積極的に継続実施するとともに、流域市町村の意見を聞きながら、さらに土木部を初め関係部局と協議をして対処してまいる所存でございます。
 以上でございます。
○副議長(橋本 進君) 土木部長磯村幹夫君。
 〔磯村幹夫君、登壇〕
○土木部長(磯村幹夫君) お答えいたします。
 全国一の桜名所づくりについてでございます。
 御質問の有田川沿い、並びに高野山系に至る沿線の桜の植栽については、地元の推進協議会あるいは関係市町村と十分協議をしてまいりたいと思います。
 なお、桜づつみモデル事業等の導入については県と市町村の共同事業となりますので、関係市町村と協議の中で検討してまいります。
 次に、網掛隧道の改良と二川橋のかけかえについてでございます。
 網掛トンネル前後の曲線部の線形改良については、直線化することにより距離が短くなるため、道路の縦断勾配が基準値を超えること、清水老人憩の家の施設の一部が道路用地として必要となること等、解決すべき課題がありますので、交通の実態も踏まえ、今後、対応策について検討してまいりたいと考えております。
 また二川橋は、車道部幅員が三メートルで両側に一メートルの歩道が添架されており、またトラス形式であるため、構造的に拡幅、隅切り等の対策を講ずることは困難であります。
 しかしながら、今後、地域の交通需要や県道ネットワークの中で、安全かつ円滑な交通が確保できるよう二川橋整備のあり方を十分検討してまいります。
 以上でございます。
○副議長(橋本 進君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○副議長(橋本 進君) 以上で、西本長浩君の質問が終了いたしました。
 これで、午前中の質疑及び一般質問を終わります。
○副議長(橋本 進君) この際、暫時休憩いたします。
 午前十一時五十二分休憩
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