平成2年2月 和歌山県議会定例会会議録 第3号(小林史郎議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

○議長(門 三佐博君) 質疑及び一般質問を続行いたします。
 45番小林史郎君。
 〔小林史郎君、登壇〕(拍手)
○小林史郎君 きのう井出議員から質問がありましたが、私も日の丸・君が代の問題を中心にして、教育関連の問題で質問させていただきます。
 御承知のように、昨春、十年ぶりに学習指導要領が改訂・告示され、その内容をめぐっては、発表以来、国民各層の中にさまざまな議論の起きているところであります。
 例えば、「軍神・東郷平八郎」の登場を初め、低学年への詰め込みの問題、中学校での早期選別や高校での教科解体など、子供たちの実態や親と教師の願いを無視した一方的な教育改革に対して多くの批判が出され、とりわけ、この四月から学校や子供たちへの指導が強制されようとしている日の丸・君が代の問題をめぐっては、卒業式や入学式を間近に控え、各地の学校現場ではかつてない緊張と混乱が起き始めています。
 そこで、私は、日の丸・君が代を国旗・国歌として学校教育に押しつけることは思想・信条の自由と国民の主権にかかわる重大問題としてその不当性を追及する中で、このことに対する県教育委員会の指導が適正さを欠いたり行き過ぎることのないよう、強く望みたいのであります。
 ところで、日の丸・君が代を国旗・国歌とすることについては国民の間で大きく意見が分かれているのでありますが、それは、日の丸が余りにも過去の侵略戦争の忌まわしきイメージと結びついており、しかも今日においてもなお右翼団体などによって軍国主義復活、天皇賛美のシンボルとして盛んに利用されているからであります。また君が代については、その歌詞が天皇の治世をたたえるもので、国民主権の民主主義国家にとって全くふさわしくない内容であるからであります。
 戦前の各学校には天皇・皇后の写真を安置する奉安殿なるものがあって、私たちは儀式のたびにこれに最敬礼をささげてきました。
 例えば国民学校令施行規則では、祝日儀式について、一、職員及び児童は君が代を合唱する、二、職員及び児童は天皇陛下・皇后陛下の御影に対し奉り最敬礼を行う、三、学校長は教育に関する勅語を奉読する、四、学校長は教育に関する勅語に基づき聖旨のあるところを誨告す、五、職員及び児童はその祝日に相当する唱歌を合唱すと決められていました。
 今でも、モーニング姿で威儀を正した校長先生が奉安殿から教育勅語の巻物を恭しくささげ持ち出すときの様子が目に浮かびますが、学校におけるこれらの儀式そのものが「国体に対する信念」や「尽忠報国の精神」を培う実践の場として位置づけられていたのであります。
 そこで、私自身がこうした学校教育によってどのような影響を受けていたかを考えてみたいのでありますが、私の父は水平社運動の活動家でありましたので、小さいときから、天皇は神様ではなく私たちと同じ人間であって、そこには何らの差別のないことを折に触れ教えられてきました。しかし、だんだんと洗脳教育に侵されてきたのか、中学生のころには、天皇は同じ人間だと思いつつも、神を敬う「敬神」と祖先を敬う「崇祖」が我が国においてどうして一致するのかという国体論についての試験問題には満点の答案が書けるようになっていましたし、公民科で、共産主義とは国体を破壊する大変な危険思想だという講義を受けても、それほど違和感を持ちませんでした。そして卒業を前にするころには侵略戦争の本質を何一つ理解するのではなく、真珠湾攻撃の戦果などを報道するラジオの「軍艦マーチ」には胸を躍らせ、大本営の発表のたびに、シンガポール、ジャカルタ、ラングーンなどと次々と広がっていく東南アジアの占領地域の地図をつくり、そこに日の丸の小旗を書き入れては喜んでいたことを思い出します。本当に教育の力というものは恐ろしいものですね。
 私たち吉備町庄地区の青年は敗戦の翌昭和二十一年二月に新生社なる組織をつくり、部落解放運動を始め、その八月には湯浅町で第一回和歌山県部落解放人民大会を開いていますが、その日の午後、有田地方の校長先生方に集まってもらい、同和教育についての懇談会を行っています。その開会に当たって、当時十九歳の青年であった友人の亀井千寿君が行ったあいさつの記録が今も残っており、当時の私たちの心情をよくあらわしていると思いますので、その要旨を紹介させていただきたいと思います。途中を読ませていただきます。
 戦時中、悲壮と言ひませうか、崇高と言ひませうか、あの国民的感激を以て送つた特攻隊にしても、教育の力がなかったなら到底実現し得なかつたでありませうが、今私達がふりかへつてみます時に、教育と申しますものは、特定の国家理念と言ふものをつくりあげ、その型にはめるべく、個性の嬌正を目的としたものであって、時の支配者の御都合主義の御用教育にすぎなかったのであります。
 その教育は、軍国主義的な立場からみれば、成程驚嘆すべき効果を挙げ、その努力と偉大さとに対して、敬意を払ふ事を決して惜しむものでは有りませぬが、しかしこの個性製造業とも言ふべきあやまれる教育のお陰で、我々部落民がいはれなき現在の地位に甘んじさせられて来た事実を認識願ひたい。(中略)
 申し上げるまでもなく、眞の教育は普遍的個性の完成と、正しき批判力の凾養に在ります。即ち各自の個性を存分に伸ばし自主自律の精神を養ひ以て正しき批判力へと到達すべきものであり、国家理念も又この線に沿って構成各分子の個性を生かし、而も各人の総意を代表するものでなくてはなりませぬ。
 然る時、この過去の教育をふりかへってみますれば、この眞理を歪めた貴方方教育者の余りにも無節操なりし過去に対し、痛烈なる反省を請ふ次第であります。
 時代はポツダム宣言と共に一変して人間性を至高とする民主時代となったのであります。今こそ教育者は、深く内省し、曽ての己がなした罪を認識すべき時ではないでせうか。誤まれる教育理念を根本的に是正して、民主日本の再建に努めるべき義務と責任を明確に自覚して頂きたいんであります。(中略)
 教育者の皆様
 かつての自己の姿を充分に反省願ひたい。今後の義務の所在をはっきりと自覚願ひたい。そして吾々は、この反省と義務遂行を強要する権利と決意を有する事を宣言してはばからないものであります。
 こういう激しい口調になっておりますけれども、しかしこんな若僧にここまで言われても、天皇陛下のために命をささげることを教育し、多くの教え子たちを戦場に送ってきた当時の校長先生方にとっては、何一つ反論できなかったのであります。
 だから、戦後の教育は、このような国家教育に対する根本的な反省から出発したのであります。そして、子供たちが学校へ行って勉強するのは何のためかと言いますと、それは、戦前のように国のためや天皇陛下のためにではなく、一人一人の子供が人間として、主権者として成長発達できるようにするためであります。ここが戦前の教育と根本的に違うところであり、このことが教育基本法第一条によって明確に位置づけられています。
 さらに、同法第十条は第一項において、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」と規定し、その第二項においても「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」と規定するなど、国や特定の政治勢力が教育の内容へ介入することを厳しく戒め、戦前のような国家教育への逆戻りを許さないよう、強い歯どめをかけているのであります。その結果、文部省に対しても監督や命令のできる指揮権を認めず、文部省、都道府県教育委員会、市町村教育委員会、学校の関係も、上下の関係でなく、それぞれが独自性と権限を持つ分権化された関係に置かれているのであります。
 くどいようでありますが、これらの措置は、すべて戦前のような中央集権的なお国のための人づくり教育を許さないという強い決意のあらわれであります。
 ところで、今度の学習指導要領の改訂で日の丸と君が代を学校に強制しようとしているのでありますが、文部省のこの根拠についての説明は、一、政府が日の丸・君が代を国旗・国歌だと認めている、二、国旗・国歌を学校教育でどう扱うかは文部省の所管だ、三、したがって学習指導要領でこれを決めても当然、という三段論法にすぎません。しかし、これは何一つ合理的な説明になっていません。
 第一に、日本には法律で決めた国旗・国歌のないことは、これまでの国会における政府答弁を見ても明白ですし、一歩譲って「慣習として定着している」という論法を認めるとしても、君が代は天皇主権制をたたえる内容のものであるから、国民主権制をとる現行憲法と根本的に対立するゆえをもって慣習法として成立し得ないというのが法の常識であって、たとえ時の政府が憲法や法律上の根拠もなしに国旗・国歌だと認めたとしても、それは国民や学校に強制できるような法的根拠になり得ないのであります。
 第二に、国旗・国歌を学校教育でどう扱うかは学校の教育活動、教育内容にかかわるものでありますから、本来、各学校で自主的、民主的に話し合って決めるべき事柄であって、文部省が学習指導要領などで事細かに決めてこれを強制するようなことは、さきに指摘した教育基本法第十条の第一項並びに第二項の精神に明白に違反しています。
 結局のところ、文部省が今やろうとしていることは、学校とは時の政府が一方的に決めた教育内容などを上から国民に教え込むところだという戦前の「お国のための教育」に逆戻りさせることであって、このような考え方こそ、戦後の国民主権の憲法と教育基本法制のもとで根本的に相入れないものとして否定されてきたのであります。
 ここで改めて強調しておかねばならないことは、すべての国民に保障されている憲法上の権利は児童生徒にも当然保障されなければならないという原則であります。むしろ、大人に比べて権利侵害に対する対抗手段を持たない子供に対しては、一層慎重に手厚い保護が加えられなければなりません。
 かつて、教育学者の宗像誠也東大教授は、一九五八年の学習指導要領の改訂によって君が代を歌わせることが「望ましい」とされたことに対し、「私は、私の子供の価値観を文部省という役所に、告示で、どうでもお決めくださいとお任せする約束をした覚えはないのだが」と、問題の本質を鋭く指摘したことがあります。この点では、子供自身の思想・信条の自由や親の子供に対する保護権を侵害してまで日の丸・君が代を国旗・国歌として尊敬させることを強制することが子供の成長発達に積極的な意義があるとは到底思えませんし、逆に教育基本法の第一条が求めている「心理と平和を希求する人間」「平和的な国家及び社会の形成者」の育成を目指す学校教育の中では到底許されることではなく、むしろ子供の自由な成長発達を保障する上からも、絶対に避けねばなりません。また教師にとってみれば、このような強制を子供にすることは、体罰と同様に、絶対にしてはならないことであります。
 以上の論点に立って、まず教育長に質問いたしますが、校長を中心にした職員会議の話し合いの結果として、本年四月以降の入学式、卒業式などにおいて日の丸を掲揚したり君が代を斉唱しない事態が起きた場合、そのことだけで処分の対象と考えていかれるおつもりかどうかを伺いたいのであります。
 何ゆえにこのようなお尋ねをするかと申しますと、有田地方のある学校の校長先生が、このことについての職員との話し合いの席上、「四月から何としてもやってもらわんと困る。もしやってもらわなんだら、私が処罰される」云々という、おどしとも泣き落としともとれる発言を行う事例が起きているからであり、また、いつか読んだ「日本教育新聞」には、日の丸を掲揚したり君が代を斉唱するよう指導しなかったことが学習指導要領違反で処分の対象となるのではなく、指導するという校長などの命令に反した職務命令違反の行為があって初めて処分の理由になるという意味の記事があったと思いますので、念のため、この辺のことについて御確認をいただきたいのであります。
 続いて、今後の指導のあり方について質問いたします。
 過ぐる昭和六十年九月議会において中川前教育長は、この問題について、「今後、教育関係のあらゆる機会をとらえまして、強制、命令ではなく、納得させ理解させて、心から国旗を敬愛して掲げるよう、また国歌を歌うように指導を強く進めてまいる」との答弁を行っていますが、この方針は今日においても変わりがないのか、それとも問答無用式に、職務命令をもってしてでも、しゃにむに実施させようとされるお考えであるのかどうかを伺いたいのであります。
 私見を申し上げて恐縮に存じますが、私としては、教育委員会や校長などが日の丸・君が代の掲揚・斉唱を行うようにと教職員を指導するという場合でも、本来、教育における指導助言は、中川前教育長の答弁にもありますように、道理に基づく説得と納得によることが原則であり、職務命令などによる行政権力の介入は断じて避けるべきだと思います。
 ここに、昨年六月十四日付の毎日新聞の社説があります。私の共感できる内容でございますので、紹介さしていただきます。途中だけ読ませていただきます。
 「もともと、日の丸と君が代を国歌、国旗ときめているのは、文部省の規定だけで、そういう法律はどこにもない。 学校教育を通じて、日の丸と君が代を国旗、国歌に定着させようと努力してきたのは、文部省だった。しかし、その点について、学校や教員、親の合意ができているとはいいがたい。しかも、日の丸と君が代では、国民の間の理解にも差がある。日の丸への違和感が消えたわけではないし、君が代への反感は少なくない。(中略) 学習指導要領の規定だからといって、一方的に強制するのはどうかと思う。教育活動は、説得を基本とすべきで、法規をたてに押しつける態度は不快だ。日の丸と君が代がどうしても教育上、必要なことなら、子どもに強制する前に、学校の現場で活発な議論を行い、道理をつくしてその実現に努力すべきだろう。指導要領の講習に当たって、その点を注文しておきたい」、こういう趣旨の社説であります。
 最後に、総務部長にお尋ねします。
 昨年の国会において西岡文部大臣が、私立学校の場合、必ずしも強制できないという意味の答弁をされているようでありますが、知事部局として、私立学校に対し、この強制にかかわる問題でどのような指導を行うおつもりかどうかを伺いたいのであります。
 次の問題に入ります。教育職員にかかわる過労死対策の問題で質問いたします。
 今や「過労死」という言葉が世界を駆けめぐるほど我が国の労働者の働き過ぎの問題が注目を浴びていますが、県下の教職員の間でも、この問題がかなり深刻な事態になってきています。
 有田地方を例にとりますと、昨年末、三十歳前後の若い三名の教員が相次いで他界し、ここ一年半の間に五名の教職員が死亡するという悲しい事態が起きています。県下でも、この五年間に小・中・高等学校の教職員で七十名もの方が現職のまま亡くなっていますし、しかも、その三分の一弱に当たる二十名が四十歳未満の若い人たちであります。つまり、今日、教育界には複雑で困難な課題が山積してきていますが、この中で教職員の皆さんの精神的、肉体的疲労はその限界に近づいてきているということでないでしょうか。また、自分の体の健康破壊が進んでいるにもかかわらず、学校の忙しさの中で満足に検査や治療を受けられないまま勤務を続け、そのために大事に至るというケースも多く見られ、まさに教職員の皆さんの大きな犠牲と懸命の努力の上に今日の学校教育は成り立っているとさえ言えると思います。
 ここに、こうした実態についてうかがい知ることのできる資料として、職場で突然死されたある教師の父親からの聞き取り記録がありますので、その要点を読ましていただきたいと思います。
 この方は、長柄起司子さんという三十五歳のお母さん教師で、六十二年四月に有田市の保田小学校に転勤し、その年の五月に学校のトイレの中で心不全のため亡くなっています。
 以下、お父さんからの聞き取りでございます。
 四月から(保田小学校へ転勤してから)
 学校の先生にとって、職場が変わるということは、精神的にも肉体的にも大きな負担がかかるということが、四月の起司子の生活と態度を見て感じていました。
 それまで起司子は、学校から帰ってきたら、すぐ台所に飛び込んでいって、「お母さん、バトンタッチすらよぅ」と、母親の仕事を変わってやるのが常でした。
 ところが、四月以降、帰宅時間も遅くなり、家事もいままでのように快くするというわけでなく、動作も重たいような気がしていました。日曜日は、グッタリと寝転んでいる姿が目につき、気になっていました。(中略)
 五月(家庭訪問を前にして)
 家庭訪問が近づいてくると、帰宅時間が遅くなり、夜も家事が終わってから学校の仕事をする時間が増えていました。家庭訪問の準備(子どもさんの様子だけでなく、転勤したばかりで、初めての土地ということもあって地図をながめ、家を探すのにも時間がかかっていたようです)、それが終わると採点などもしていたのでしょうか、深夜に及ぶことがよくありました。「先生という仕事はほんまに大変やなぁ。」と母親がこぼしていたのはそのころです。
 私たちは、それまでも起司子に、よく「そこまでせなあかんかぇ」と言ったものです。起司子は、「子どもさんを預かったかぎりは、ちゃんとせなあかんの」と言い、私たちは、周りの先生方のおかげで立派な先生になっている我娘をたくましく思ったものでした。
 亡くなる直前
 亡くなる一週間程前から、非常に疲れた様子でした。口数が少なくなり、父親の私でさえ心配で、「おまえ、身体の調子が悪そうやの。学校休ませてもらって医者へ行ってこい。」と言ったほどでした。その時起司子は、「今、家庭訪問やさけ、休めやんの。家庭訪問終わったら、医者へ行ってくらよ。」と、疲れた身体にムチ打って出かけていきました。その後姿には元気がなく、私は、「大丈夫やろか。学校の先生という仕事はほんまに大変やな……」と感じたものでした。(中略)
 当日(五月十四日)の朝
 調子の悪い起司子の様子を見ながら、「早く家庭訪問が終わってほしい」と祈るような日が続き、その日は、やっと家庭訪問が終わる日。親の気持を察してか、出かける前、起司子は母親に、「お母さん、今日で家庭訪問終わるんやで。やっと医者へ行けるよ。」とほほえみながら言ってくれました。母親を安心させるための言葉、起司子にしてみれば、自分自身を励ます言葉だったと思います。これが私たちへの最後の言葉になってしまいました。(中略)
 最後に
 私の知るかぎり、学校の先生方は、ほとんど起司子と同じような状態で働いているのではないだろうかと考えています。昔と違って、先生の仕事が大変になっているような気がします。学校ではとても忙しく、家へ帰っても夜遅くまで机に向かっているのが、今の先生方の普通の姿であろうと考えます。私はそういう先生方のおかげで、今の学校教育があるんだなと最近つくづく考えるようになりました。起司子の死をきっかけにして、起司子のやっていた仕事の尊さがわかるようになりました。そして、親として、「この仕事がもっと楽だったら……」と叫びたい気持ちも出てきました。(後略)
 こういう記録でございますが、本議場の皆さんも、このお父さんの叫びを十分聞いてやってほしいと思います。
 いま一つの例は、昨年十二月、三十二歳の若さで突然亡くなられた湯浅中学校の田中達也先生の場合であります。
 この学校は、教師と父兄が一体となって生徒の非行問題などに取り組んでいる教育困難校の一つでありますが、田中先生は昨年四月から生徒指導を担当し、補導された生徒たちの悩み事相談に熱心に取り組み、帰宅が深夜に及ぶことの連日でした。しかも、毎朝校門に立って「おはよう」とやさしく生徒たちに声をかけるなど、非行に走ったり突っ張ったりする子供たちがクラス全体に溶け込めるような忍耐強い指導を続けていました。しかし、過労が重なり、急性心不全のため、自宅で突然亡くなられたのであります。
 いつも自分たちの側に立って指導してくれていたことを知っている生徒たちは追悼会を提案して開催しましたが、この日の会場はこれまでと打って変わって時計の音が聞こえるくらいの静けさで、生徒会長の「田中先生が私たちに何を言おうとしていたのか。先生の気持ち、思いをかなえることが、今、私たちにできることであり、田中先生への恩返しだと思います」と締めくくった言葉が非常に印象的だったと言われています。
 このように、教育困難校での取り組みには言い知れぬ厳しさがあります。また、教師という仕事には、ほかの人には味わうことのできない喜びがある反面、全体としてストレスのたまりやすい職場であって、この一年半の間に有田地方で亡くなった五人のうち二人までが自殺であります。
 そこで、教育長に質問いたします。
 次代を担うすぐれた若者を育てるためには、教職員の皆さんが心身ともに健康で生き生きと働き続けられることが何よりも大切と思いますが、こうした視点で教育長は、若い教師が過労死で倒れていく今日の現状をどう認識しておられるのか、その対策を含め、お示し願いたいのであります。
 続いて、健康管理の緊急対策としてまずお願いしたいのは、全員対象の検査項目の中に、貧血検査、肝機能検査、血中脂質検査、心電図検査を新たに加えていただきたいということでございます。特に受診に当たっての三十五歳時と四十歳以上という対象年令の制限については、若い教師の死亡例の多い現状から見て、この撤廃をお願いしたいのであります。
 また、最近、有田で肺がんで亡くなられた教師があり、現行の胸部エックス線検査がもし直接撮影であったら早期発見ができて助かっていたのではないかという声が上がってきておりますので、現行の間接撮影を直接撮影の検査へ変更していただきたく、これらの点で御答弁をお願いいたします。
 続いて条件整備の問題でお尋ねしますが、私は、初任者研修などに使う予算があるならば、まず学級定数の改善、すなわち小中学校の三十五人学級と高校の四十人学級を実現してほしいという思いに駆られています。また教育困難校に対しては、既に特別加配など、いろいろと御配慮くださっていることは存じていますが、それでもなお現状は悪戦苦闘の連続になっておりますので、学級定数やこれらの事態改善のためにどのような決意と見通しを持っておられるかを伺いたいのであります。
 最後に週休二日制の問題でございますが、働き過ぎ対策として、県下でも金融関係を初め幾つかのところで実施され、また県庁など、これへの移行措置をとっているところも少なくないようであります。
 そこで、学校の場合、これを実現するためには授業時間数などの少なからぬ問題点があろうかと思いますが、これらを克服していつごろまでに完全週休二日制をとっていくつもりか、そのプログラムをお示し願いたいのであります。
 以上で、第一回目の質問を終わります。
○議長(門 三佐博君) ただいまの小林史郎君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 総務部長斉藤恒孝君。
 〔斉藤恒孝君、登壇〕
○総務部長(斉藤恒孝君) 私立学校と学習指導要領の関係に関する御質問でございます。
 学校教育法第二十条、第三十八条、第四十三条、これらはそれぞれ小学校、中学校、高等学校でございますが、この規定で、学科及び教科に関する事項は、私立学校を含めて、監督庁すなわち文部大臣がこれを定めるとされているところでございます。
 昨年三月十五日に、御指摘のような新しい学習指導要領が告示されたところでございます。私立学校に対しましては、その建学の精神に基づく独自の校風のもとでの自主性を尊重し、健全に発展していくことを常々期待しているところでございます。
○議長(門 三佐博君) 教育長高垣修三君。
 〔高垣修三君、登壇〕
○教育長(高垣修三君) まず、日の丸・君が代に関するお答えを申し上げます。
 去る平成元年の三月に新しい学習指導要領が告示をされたことは、御承知のとおりでございます。その中で、国旗・国歌の指導のあり方が明確にされたわけでございます。
 学習指導要領は、憲法、教育基本法に基づく学校教育法にのっとって文部大臣が告示をすることになっており、各学校においては、これを準拠して教育課程を編成することになってございます。
 学習指導要領に基づいて計画され実施される学校行事等について学校長の職務命令に従わないような場合が仮にあるとすれば、それは処分対象となります。
 現在の学習指導要領が「国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましい」と規定していることを踏まえ、その指導の重要性や必要性を強調しながら「理解と納得」という表現を用いてきたわけでございますが、新しい学習指導要領では、「国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導する」ということが明確にされてございます。
 県教育委員会といたしましては、各学校において国旗・国歌を指導する意義や背景などを十分研究し、学校における教育課程の編成や実施が円滑に行われるよう、伝達講習会等を通し、各市町村教育委員会へ学校に対して指導するよう求めてきたところでございます。
 次に、教師の過労死の問題についてお答えを申し上げます。
 現職教員の直接の死亡原因は、ここ数年にわたり、悪性の新生物、つまりがんでございますが、最も多くなってございます。続いて心疾患、脳血管疾患となっており、過労死かどうかということの判定は極めて難しい問題ではございますが、いずれにしても、本人の家族や子供たち等に対して大きな影響がございますから、この事実を真剣に受けとめて私どもはいろいろと検討をしておるところでございます。
 今後とも、事例分析等をなお一層重ね、専門家の意見を聴取して総合的に検討するとともに、職員の健康診断等の充実を図り、日常の自己健康管理に留意をするよう指導の充実を図ってまいりたいと考えてございます。
 次に、教職員の定期健康診断につきましては、学校の設置者が学校保健法に基づいて行うこととなってございます。しかし、昨年、中央労働基準審議会の答申に基づいて労働安全衛生規則の一部改正がなされ、教職員についても、貧血の検査、肝機能検査、血中脂質検査、心電図検査を三十五歳時と四十歳以上の教職員を対象に追加して実施することになったわけでございます。
 また、文部省におきましても、これらに連動し、学校保健法施行規則の中においてこれらの検査項目を含めるよう、その改正の準備が進められているところでございます。したがいまして、県立学校につきましては、対象年齢の教職員については平成二年度から実施をしたいと考えてございます。
 市町村立学校等につきましては、市町村教育委員会等を通じ、可能な限り早期にこれらの検査が実施されるよう、既に規則の改正等について説明をいたしているところでございます。
 県教育委員会といたしましては、今後さらに国や他の府県の動向を見きわめながら、関係機関、団体等を通じ、機会あるごとに対象年齢の拡充について国に働きかけてまいりたいと考えてございます。
 また、胸部レントゲン間接撮影につきましても、学校保健法施行規則に基づいて実施をいたしてございますけれども、技術の進歩により、機能的には直接撮影との差が少ないという医学的な証明もなされており、集団検診には全国的にその方法が採用されているところでございます。
 次に、四十人学級等の実施についてお答えをいたします。
 学級編制基準の改善については御承知のとおりでございますが、児童生徒一人一人に対し、行き届いた、しかもきめの細かい指導の実践、さらにまた教師と生徒の人間的な触れ合いを一層密にして教育全体の効果を高めること、さらには勤務の改善につながることなどの観点から、好ましいというふうに考えてはございます。
 こうしたことから、小学校、中学校においては、平成三年度完成をめどにし、四十人学級を実施しているところでございます。その後の改善につきましては、義務教育費国庫負担法とのかかわりもございますので、各府県の教育長協議会等を通じて国への強い働きかけを続けてまいりたいと考えてございます。
 また、高等学校の四十人学級につきましては、国の動向を見きわめながら、平成二年度以降の生徒数の減少を踏まえ、研究課題としているところでございます。
 また、いわゆる教育困難校につきましては、市町村教育委員会、教育事務所長等との十分な連携の中で、特に必要な場合は特別加配を従前とも行ってきたところでございます。今後とも、教育事務所長等の意見を聴取しながら、それぞれの学校の実態を踏まえて検討をしてまいりたいと考えてございます。
 次に学校の週休二日制についてでございますが、現在、国が調査研究協力者会議を設置して研究を続けているところでございます。
 県教育委員会といたしましては、国の動向を見きわめながら、児童生徒の教育水準の維持向上や家庭及び地域社会における児童生徒の生活環境、生活行動とのかかわり等について研究を続け、今後の研究課題といたしたいと考えてございます。
 また、週休二日制に至る一つの方策としての教員の四週六休についてでございますが、人事委員会の勧告を踏まえ、市町村教育委員会等の意見を聴取しながら新たな方途を探るべく、現在研究を続けているところでございます。
 以上でございます。
○議長(門 三佐博君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 45番小林史郎君。
 〔小林史郎君、登壇〕
○小林史郎君 再質問させていただきます。
 今、教育長から答弁をお伺いいたしましたが、なかなか答弁しにくいのか、何か挟まったような感じのする印象を受けました。それで、あえてもう答えていただきませんけれども、私の考えていることを強く指摘して要望しておきます。
 一つは、私が質問申し上げたのは、職務命令なしで、いわゆる校長を含めた話し合いの場で君が代を斉唱しない、あるいは日の丸を上げないという行動や事態が結果として起きてきた場合に、それでも処分の対象になるんですかとお聞きしたわけですが、これについては、仮に職務命令を聞かないという事態が起きた場合には処分の対象になるというお答えだったと思うんです。このことは言いかえたならば、職務命令がない限り処分の対象にはならないというぐあいに受け取れるわけで、私としてはそういうふうに理解して、ここで確認しておきたいと思います。
 それからもう一点、今後の問題です。「理解と納得」ということの経過を踏まえてやるんだけれども、しかし今度は義務規定になったから、それに準拠してやってもらわな困る、その進め方については、それに必要な背景とか理由などを十分話し合って混乱が起きないようにしてやっていきたいという意味のことで、直ちに職務命令を出してすぐやるというようなことではなしに、前教育長からの「理解と納得」を踏まえての方向を基本としながらも進められるというように感じましたので、私もそういうぐあいに受け取らしていただきます。
 しかし、そういう点から考えましたときに、やはり教育というのは何よりも理解と納得、合意というものが非常に大事であり、基本であって、いわゆる処分とか職務命令、あるいはそういう強制的な行政権力をなるべく避けなければならないということを重ねて要望しておきたいと思います。
 それから、いま一つ、過労死の問題に関連してでございます。
 職場の精神的、肉体的疲労は限界に近づいてきておるということを申し上げたわけでございますけれども、そのことは、君が代の問題とか日の丸の問題でいろいろと職場において混乱が起きるということになれば、学校の先生方の負担というのはまた非常に大きくなってくるんじゃないかという側面もありますし、また教育基本法第十条の四項から見た場合に、要件整備をしていくというのが教育行政の大きな責任であるということから、何よりも学級定数の削減とか、あるいはいろんな環境条件を整備していく、労働条件を整備していくという点で格段の努力をしていただきたい。このことが、教育基本法の立場から見ても、今後の学校の先生方の教育を円滑に進めさす上でも大変重要なことだと考えますので、その点を強く要望いたしまして、私の再質問を終わらしていただきます。
○議長(門 三佐博君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で小林史郎君の質問が終了いたしました。
 これで、午前中の質疑及び一般質問を終わります。
○議長(門 三佐博君) この際、暫時休憩いたします。
 午前十一時五十六分休憩
 ────────────────────

このページの先頭へ