平成元年12月 和歌山県議会定例会会議録 第5号(小林史郎議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

 午前十時五分開議
○議長(門 三佐博君) これより本日の会議を開きます。
○議長(門 三佐博君) 日程第一、議案第百三十一号から議案第百四十九号まで、並びに知事専決処分報告報第十一号を一括して議題とし、議案等に対する質疑を行い、あわせて日程第二、一般質問を行います。
 45番小林史郎君。
 〔小林史郎君、登壇〕(拍手)
○小林史郎君 まず、文化関連の問題で質問いたします。
 これまで余り取り上げたことのない文化の問題でこのたび質問させていただくわけでありますが、それは先日ある会合で先輩に当たるある友人から化石の話を聞かされ、その展示施設について要望を受けたことに始まります。
 その友人は、校長先生を務められた退職教員の方で門田英夫さんと申しますが、教職の傍ら、化石の採集と研究に力を注ぎ、今ではその半生にわたる努力の結晶としての数々の貴重な収集品が家の中に大切に保存されています。その彼が申すには、「有田地方は化石の宝庫であって、学問的に価値の高い化石を求めて、金屋町の鳥屋城山、広川町の天皇山、湯浅町の方津戸、吉備町の水晶山などへは、近畿地方だけではなく東京、鹿児島など全国各地から人がやってくるほど、余りにも有名です。しかも、苦労してこつこつと集めたこの宝物も、私にもしものことがあった場合、子供たちにとっては猫に小判であって、到底大切に守ってくれるとは考えられず、この貴重な財産もいずれは散逸してしまうであろう。それが心配でたまらない気持ちです。史郎さん、何とか有田の地にこの貴重な資料を保存、展示できる資料館のようなものをつくってもらいたい」ということでの強い訴えでした。
 何分私は、化石のことについてはずぶの素人ですので、後日改めてお宅にお伺いして勉強させていただきましたが、この貴重な収集品の値打ちがそこで初めて理解できたわけであります。皆さんは十分御存じかと思いますが、化石とは遠い昔の生物の遺骸であって、これを見れば地球の歴史やその地域の気の遠くなるような大昔の様子がわかってくるのであります。
 話は、中生代──白亜紀という約一億年前の昔にさかのぼるわけでありますが、その当時は日本海はまだ陥没しておらず、日本列島はアジア大陸にくっついていたと言われ、そして有田地方はその南端部分に位置していて、しかも深い入り江のような地形を構成していたがゆえに、この時代の海と陸の生物化石をあわせて数多く残すことができたのだと考えられています。
 この白亜紀という年代は、恐竜など爬虫類の全盛時代であり、海辺ではアンモナイトという貝やウニなどが激しく動き回り、植物界では、シダ類やソテツ、イチョウなどの裸子植物が我が世の春をうたっていました。そして、空を飛ぶ鳥たちの先祖が爬虫類から分かれて初めてこの世の中に出現し始めていた時代でもありました。
 万葉や吉野ケ里古墳のロマンにもすばらしい魅力がありますが、私はそれに劣らず一億年前のこのロマンに心が躍り、心が引きつけられていくのであります。しかも、このロマンは地球の歴史という科学によって裏づけられているだけに、一層その迫力を増します。
 そこで、皆さんにとって少々退屈なことになるかもしれませんが、有田の化石のすぐれた特徴についてお伺いしたことを二、三紹介させていただきたいと思います。
 まず、湯浅町方津戸にある郡民体育館の横の北山ですが、ここが湯浅湾埋立工事の土取り場になった関係で、先ほどの門田さんが工事現場でキカデオイデアというソテツの花の化石を発見しました。このキカデオイデアの幹の部分の化石については、既に金屋町の鳥屋城山で採取されていましたが、この花の化石の発見は日本では初めてということで、当時の学界で注目を集める重要な出来事となりました。そして、このような古いソテツやシダなどの植物化石は、有田地方では有田市高田、広川町天皇、吉備町水尻の水晶山、金屋町の鳥屋城山等で数多く産出されており、しかもこれらの地域では、植物化石だけではなく、トリゴニアというサンカクガイやアンモナイト、イノセラムス、さらにウニやヒトデといった貴重な動物化石が豊富に産出されており、また広川町津木地区から採取されているホウサンチュウの化石は実に八十種類に及び、この中には地質年代を決めるのに役立つ示準化石が数多く含まれています。したがって、有田地方の化石は約一億三千年前の白亜紀を探ることのできる日本における数少ないモデル地域として広く認められているのであります。
 約百年前の明治二十七年には、早くも横山又次郎博士がその著書で「和歌山の南方約七里の町、湯浅を踏査したとき、湯浅湾の北岸水谷で植物化石を十三種発見し、それを記載した」云々と書き、自来、数多くの学者や研究者が有田地方を訪れ、日本列島の地質構造発達史、特に白亜紀を解明していく上で数多くの学術論文がこの有田地方の化石をもとに書かれているのであります。しかも、最近は地質学の研究も一段と飛躍し、今までの知識になかった新事実が化石の採集、研究を通じて次々と発見されつつあり、この中で多くの研究者の間では有田地方についての再検討や研究が一段と進み始めています。
 例えば、西広海岸の名南風鼻や有田川両岸に分布する秩父古生層の問題、また広川町津木から金屋町修理川を経て清水町清水に至る中生代未詳区の問題、さらには湯浅から吉備町奥にかけての有田層や鳥屋城層の問題等についての研究が今大きな関心の的になってきているのであります。そして、こうしたことの反映か、最近は学校や子供会のクラブ活動の一環として鳥屋城山などで化石を採集する現地学習会の例がふえてきています。
 以上のように、私は有田地方の化石の重要性について知ることができましたが、ここでまず考えたことは、本県のこうした化石資料の保存、研究はどうなっているのだろうかという問題でありました。同時に、県外視察のときに見せていただいた秋田などの博物館で、太古の地質時代から現在に至るまでの郷土にかかわる地質と人類の歴史が、会場を一巡するだけで大方に理解できるようになっていた構成が目に浮かびました。
 そこで、県立博物館に化石が保存されているのかなと思い出かけてみましたが、ここは書画骨とうが中心で化石は置いていないということでした。多分、琴の浦の自然博物館にあるのではないかと言われましたので、ここにも伺ってみましたが、アンモナイトの化石を一つか二つ置いているだけでした。念のため紀伊風土記の丘にも行ってみましたが、ここの資料館は古墳関係のものが中心で、化石は全くありませんでした。
 つまり、本県においては、これまで訴えてまいったような有田の化石が持っている学術的意義もその歴史的ロマンも全く評価の対象にすらなっていないということであって、本当に心寒い思いに駆られました。そして、このことは単に化石の評価の問題にとどまらず、本県の博物館行政そのものの基本的な姿勢と申しますか、その底の浅さを映し出していると考えざるを得ませんでした。
 例えば、琴の浦の自然博物館をとってみましても、狭い一室に貝の標本と昆虫の標本が展示されているものの、それ以外はすべて水族館の施設であって、これでは料金を取って子供を遊ばせる動物園の水族館と大変わりがなく、自然博物館という名の看板が泣いてしまうと思いました。
 言うまでもなく、自然博物館というものは、見せるだけのものではなく、貴重な標本の展示を通して県民の自然科学に対する関心を高め、その研究の手助けをする施設だと思います。したがって、他府県の本格的な博物館では、価値ある標本を集めるためには相当な予算をかけますし、その標本、資料を安全に展示、保存するための施設にも金を惜しみません。また、研究のスタッフには大学の教授クラスの専門家を幾人も配置しているところもあり、このための研究予算もそれなりに配分されています。
 ところが、本県の場合、水族館関係を除けば、昆虫と植物の研究職員がそれぞれ一名あるだけです。欲しい標本があってもそれを買い集める予算がほとんどなく、寄付してもらうか研究職員自身が採集に出かける以外に方法がないという実情のようであります。この点について、風土記の丘でもお城公園の県立博物館でも尋ねてみましたが、いずれも同様の状況であって、年々のマイナスシーリングによって義務的に必要な管理費を除く事業予算や研究予算は先細りするばかりで、およそ年間五百万円前後しかないように見受けられました。これでは、看板にふさわしい仕事は到底できないと思います。
 そこで、私は本県の自然博物館の設置条例を見てみましたが、設置目的を規定する第一条には、「自然科学に関する資料を収集し、保管し、又は展示して一般公衆の利用に供するとともに、これに関する調査研究及び事業を行い、もつて学術及び文化の向上に資するため」云々と書いています。
 まず教育長にお尋ねしますが、これまで指摘してきたような現状であっても、この設置目的を十分に満たしているとお考えかどうかを伺いたいのであります。
 御承知のように、本県には紀伊風土記の丘を含めて三つの博物館があって、それぞれが特色を発揮した運営が行われていると言えます。
 例えば、先ほど動物園の水族館と大差がないと酷評させていただいた自然博物館には年間九万人近い児童生徒が訪れていますし、紀伊風土記の丘は史跡公園として県民に親しまれ、年間十万人以上の方が利用されています。また、県立博物館で最近開かれた紀州東照宮特別展が大変好評で六千人近い人を集めたことを聞いて、その地道な努力ぶりに感謝をしているところであります。しかし、この博物館の資料購入などの事業予算が八百万円程度と聞いてびっくりしました。今日では、多少名の通ったつぼを一つ買えば何千万円もかかるわけで、これではとても県民の要望にこたえられそうもありません。
 私は、人をたくさん集めているからといって、即それが特色ある博物館として単純に是認できるものでないと思います。博物館は見せ物でなく、あくまでも学術及び文化の向上に資するためのものである以上、価値ある資料収集への飽くなき執念と専門的研究の積み重ねがその基本姿勢の中に貫かれていなければならないと思います。
 少々くどくなりましたが、以上申し上げてきた問題点について、教育長はどのような認識を持ち、どう改善していくおつもりかを伺いたいのであります。
 続いて、これまで訴えてきた化石研究の重要性についてですが、白亜紀の化石は有田以外にも和歌山市加太や日高郡由良町などにも見られ、白浜町では新生代の化石が多く産出されています。そして、これらはふるさと和歌山の美しい自然がいかに生み出されてきたかを解き明かしていく上で欠かすことのできない材料であります。
 私の生まれ育った吉備町の町誌をひもといてみますと、「氷河時代の吉備町」とか「吉備町にアンモナイトが栄えていた時代」とか「長峰山脈のおいたち」といった見出しのもとに、郷土の代表的な化石の意義についての説明があって、思いを太古の昔に寄せることができるようになっています。その点、県史の場合、大変な労作としてその御苦労を感謝申し上げているのですが、残念ながら考古資料編から始まっていて、化石の時代が対象になっていません。私は、県史の場合はともかく、少なくとも自然博物館の分野では化石研究は絶対に欠落させることのできない課題だと考えるのでありますが、教育委員会としてこの化石研究の位置づけをどのようにされているのか、そして県下の化石資料を収集し、それを展示していく考えがあるのか、今、有田地方へ化石の資料館をという要望が出されているが、これを検討していただけるのか、もしそれができないならば、これら化石の保存、展示、研究のためにどんな対応策が考えられるのか等々について御答弁を願いたいのであります。
 ところで、このことに関連して、二、三の提案を行いたいと思います。
 その一つは、有田への化石資料館建設の問題です。
 県単独で難しいのであれば、有田の一市五カ町と話し合っていただいて、共同のふるさと創生事業の一つとして取り組めるような道を探れないかという提案であります。
 その二つは、化石、古墳時代及びそれ以降の出土品を対象としたいま一つの博物館建設の問題です。
 最近のように県下各地で道路などの開発が進むにつれて、今後も遺跡の発見や出土品の発掘が急速にふえてくることが十分に考えられますが、現在の紀伊風土記の丘の資料館は古墳関係が中心で、その展示能力に限界があります。また、市町村段階でも多くの出土品を抱えてその保管に困っているところも少なくありませんし、県の文化財センターもパンク寸前の状態であります。そこで、こうした膨大な資料を保存、整理し、展示、研究するための第二の博物館を建設することを提案したいと思います。そして、このことが難しい場合、近く移転、新築の話が出ているという新しい博物館建設の中で、この課題をぜひ解決していただきたいのであります。
 その三つは、民間で所有されている貴重な諸資料の調査、登録の問題であります。
 自然博物館にあります植物標本は、そのほとんどが小川コレクションの寄贈によるものと聞いています。私の友人にもすばらしい昆虫の標本をたくさん持っておられる方がおりますが、民間の同好者の中には専門家以上の方も少なくなく、書画骨とうや古文書にしても、動植物の標本にしても、めったに手に入らないような金で買えない立派なものが大切に所蔵されていると思います。
 先日の紀州東照宮特別展の展示品も大部分がお借りしたものではなかろうかと推察いたしますが、これら貴重な展示資料を買い集める予算がないならば、最小限これらの方に寄附をお願いしたり、あるいは一定期間お借りして展示していくということを追求していかなければなりません。そのためには、県下のどこのお寺に何があって、だれそれさんが何の標本を持っているということが一目瞭然にわかるようなシステムが必要でなかろうかと思います。こうしたことの調査は既に実施されているのかもしれませんが、それが部分的であったり不十分であるならば、この際、一定の予算をかけて全面的、総合的な調査事業をやってくださることをお願いしたいと思います。
 提案は以上でございますが、これらのことについて御所見のほどをお伺いしたいのであります。
 次に、新美術館建設の問題でお尋ねします。
 この四月には新美術館建設の基本構想が発表されておりますが、それによりますと、和大教育学部跡地の二万三千平米の敷地に建設面積四千平米の二階建てが建設されることになっています。そして、この内部施設や周辺の環境整備についても相当に論議を尽くされた跡がうかがえて歓迎しているところでありますが、建設に当たっての二、三の要望を申し上げ、教育長の所見を伺いたいのであります。
 その一つは、これまでの県民文化会館の間借りの愚を繰り返さないためにも、この際、美術館というものはその周辺環境を含めて美術館であるという理念のもとに、相当思い切った構想を立て、美しい自然に溶け込んだすばらしい美術館をつくってほしいのであります。
 この点で、今度の予定地に何の不満もありませんが、ただ一つ、同じ敷地内に博物館の建設も予定されているという話が心配になります。現在の図書館と博物館が和歌山城公園の片隅にくっついた形で並立しているのを見ますと、広くて美しい周辺の風景と全く切り離されてしまって、何となくせせこましくて、みすぼらしい印象を受けます。今度の予定地は風致地区だけに、スペースをどこでも自由にとれるとは思われず、たとえ計算の上で二つを建てられることになっていても、実際に建ててみれば、現在のようなみみっちい印象のものになる危険が多分にあります。したがって、私はここに建てるのは美術館だけにして、博物館の敷地は別に求めていただきたいのであります。
 その二つは、美術館は単なる画廊ではなくて、あくまでも県民の文化的教養を高め、本県の文化振興に寄与することが目的であることを明確に貫いた運営方針を確立してほしいのであります。
 その三つ目には、この基本構想の策定に当たって、三つの委員会を設置し各界の代表の意見を聞いていただいていることは承知いたしておりますが、今度建てると相当長期間にわたって再建築が考えられないのですから、念に念を入れる立場から、着工までの適当な時期に広く県民の意見を聞くために公聴会のようなものを開くべきだと考えますので、教育長のお考えを伺うとともに、新美術館をいつごろまでに完成させるおつもりかをお答え願いたいのであります。
 次に、古文書の関係です。
 図書館等の建設基本構想によれば、新しい図書館には文書館が設けられ、古文書の調査、収集、整理、保存に努めてくださるようであり、うれしく思います。
 そこで、図書館がこれまで郷土資料として保管していた古文書関係の資料はこの文書館に移管されるのか、また先ほど大変な労作と評価させていただいた県史でございますが、この編さんのためには相当な資料が集められていると推察いたしますので、これらの資料は新しい文書館との関係でどのような扱いになるのかを御報告願いたいのであります。
 この問題の締めくくりとして、知事に質問いたします。
 本県の文化施設行政のあり方について、いろいろと愚見や希望を申し上げてきましたが、これらはすべて予算を伴うものであり、知事の考えておられる文化政策にかかわるところが大きいと思われますので、この機会に、本県文化の振興と文化施設行政の水準を高めるためにどのような姿勢と意欲を持っておられるかをお示し願いたいのであります。
 最後に、広川町に新設される中紀養護学校についてです。
 私たちが長年にわたって要望し続けてきたこの学校も、いよいよ建設の段階を迎えて、その喜びひとしおのものがあり、ここに教育委員会並びに知事の英断に対し厚く御礼申し上げます。
 さて、建設の運びとなりますと、この学校に対する私たちの期待が大きいだけに、より立派な学校にしてほしいという願いから、たくさんの要望が関係者の間から出されてきていますので、それらの点で要望を申し上げ、教育長の御所見を伺いたいのであります。
 その第一点の要望は、この学校は県内で唯一の海辺にある養護学校となり、近くには天皇、白木の浜などのすばらしい景勝の地がありますので、この美しい自然にマッチした校舎をつくっていただくとともに、磯遊びなどを教育に取り入れるため、近隣道路には安全対策を講じた歩道を設置してほしいし、とりわけ入り口の道路は県道御坊湯浅線のバイパスとして新設されたもので、近く広湾の埋立工事も想定されている中で、今後、交通量が飛躍的にふえてくると思われますので、入り口付近に信号灯をつけるなど、校地内の危険箇所を含めてその安全対策に万全を期してほしいのであります。
 要望の第二点は、校舎の床、壁等は最大限に木材を使ってくださること。木の香りは心を和ませ、床のふき掃除は大切な教育活動の教材となります。
 第三点は、スクールバスの問題ですが、通学時間を一時間以内に限っても、広い校区を回り切れるだけの必要な台数を確保していただきたいのであります。また、定数外の介添え職員についても、可能な限り数多く配置してほしいと思います。
 第四点は、寄宿舎の問題であります。家庭からの通学を原則とし、そのためにほぼ郡市単位に養護学校を設置してくださっている経過を承知いたしておりますが、何分にもこの校区は広範囲であり、父母などの病気の折の緊急避難措置としても、また肥満傾向の子供や基本的生活習慣を身につけていない子供への対応のためにも寄宿舎教育の必要性があろうかと思われますので、校舎完成の段階でぜひ寄宿舎の建設を検討していただきたいのであります。
 要望の第五点として、工事入札の以前に、設計図に基づいて現場の教師や父母、地元関係者の意見を聞く場をつくってほしいと思います。
 この学校が、地域に支えられ、地域の教育センターとして発展していくためにも、こうした方向での対応はどうしても必要かと思われますので、よろしくお願いしたいのであります。
 以上で、第一回目の私の質問を終わります。
○議長(門 三佐博君) ただいまの小林史郎君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事仮谷志良君。
 〔仮谷志良君、登壇〕
○知事(仮谷志良君) 小林史郎議員にお答え申し上げます。
 文化施設の運営問題に関連して、知事の文化行政に対する基本姿勢ということでございます。
 私は、常々、地域に密着した文化の高揚に気を配し、文化行政を積極的に推進しているつもりでございます。
 また、県の長期総合計画においても「活力と文化あふれるふるさとづくり」の理念のもとに、創造を目指しての長期計画をつくっておるわけでございまして、現在のような国際化、情報化の激しい時代の中で、これに対応する文化行政を進めなければならないわけでございます。
 ただいま、県の現在の文化施設についての話があったわけでございます。現在、県民の文化に対する要望には非常に大きいものがございます。そうした面から、美術館──相当費用が要るわけでございます。また、現在の国有地もまだ値段が決まっておりませんし、非常に高い値段も言われておりますが、都市公園も兼備した形の美術館の建設ということに十分配意しておるわけでございます。
 また、博物館、さらには図書館を経済学部の跡地につくらなければならないということで、厳しい県の財政状況だけれども、県議会の皆さんの協力を得て、こうしたものを積極的に進めてまいる所存でございます。
 お話ございましたように、県だけの文化行政ではいけないと思います。ことしも有田市において歴史資料館というものができたわけでございまして、各地域においてそうした歴史資料館がつくられつつあり、各地域に根差した文化遺産の発掘は非常にありがたいことだと思います。そうした協力も得なければならないし、特にまた、話ございましたように民間の皆さんの協力ということ、美術館、博物館に寄託していただくということも大事でございます。
 その調査の問題でございます。私も、もう少し和歌山にはあるんじゃないかという感じがするわけでございますけれども、そうした古い文化資産というものが案外目につきにくいのが現状でもあるわけでございます。個人の資産との関連もあるわけでございますが、そうした民間の皆さんの協力を得て、これからの文化行政に努力していかなければならないと思います。
 また、予算の問題については検討してまいる所存でございます。
○議長(門 三佐博君) 教育長高垣修三君。
 〔高垣修三君、登壇〕
○教育長(高垣修三君) 文化施設の運営等の問題、さらにまた中紀での養護学校の問題についてお答えを申し上げます。
 まず、博物館関係についてでございます。
 お話ございましたように、県立博物館、紀伊風土記の丘、自然博物館は、それぞれ領域別の博物館として建設をしたものでございます。特に自然博物館は、黒潮にはぐくまれた海洋生物を中心として、山野の動植物の生態を展示し、自然に親しむ機会と学習の場として県民の利用に供しているところでございます。
 これら三つの館については、それぞれの館の特徴を生かすために、予算を効率的に運用し、創意工夫を凝らして、県民サービスに努めているところであります。
 今後、県民のニーズを踏まえて、生涯学習の観点にも立って、だれもが親しめる館の運営に努めてまいるとともに、さらに専門分野における調査研究を進めまして、幅の広い収蔵品等を収集することがこれからの課題であると考えてございます。
 お話のございましたアンモナイト等の化石については、古生代から新生代に地球上で生息していた生物の進化を知る上で意義があるものと考えてございます。
 現在、この化石の一部を自然博物館において収蔵しておりますので、有田地方で採集された化石を含めて展示等を検討してまいりたいと考えてございます。
 また、民間で収集した貴重な貝類、さらにまた植物の標本については、寄贈等を受けて、現在、収蔵、展示いたしているところでございます。
 今後、総合的な民間の収蔵品調査については、関係者の意思をお聞きしながら調査方法等を研究してまいりたいと考えてございます。
 次に、新博物館の建設についてでございます。
 今後、基本構想を策定する過程で、既存の領域別博物館を生かしながら、御提言をいただきましたことを含め、総合的に研究をしてまいりたいと考えてございます。
 次に、新美術館建設についてでございます。
 建設に当たっては、学識経験者等で構成する新美術館建設懇談会を設置し、その基本的なあり方について御意見をいただいたところでございますが、その中の主な御意見といたしましては、まず最初に、個性のある特色を持った美術館、二つ目に、文化活動の中心となる場として、そしてまた県民の憩いの場として活用できる美術館、三つ目には、国際化に対応できる美術館などといった内容でございます。
 その基本となる考え方といたしましては、二十一世紀を目指した新しい文化創造の核となるよう位置づけ、本県の文化の振興に寄与することのできる美術館、また広く県民に開かれ、親しまれる美術館を目標としております。
 これらの基本的な考え方をさらに反映させるため、新美術館建設検討委員会を設置し、具体的な基本構想づくりをお願いし、本年の四月に答申をいただきましたが、懇談会でいただきました貴重な御意見が反映された内容であり、今後とも答申の趣旨を尊重してまいりたいと考えているところでございます。
 なお、現在、平成四年度末完成をめどに、新美術館の建設に向かって内容の具体化を図るための作業を進めている中で、館の運営方法についても十分検討してまいりたいと考えているところでございます。今後は、県民の期待にこたえられる美術館となり得るよう努力をしてまいる所存でございます。
 また、建設用地についてでありますが、近年、他府県で建設されている文化施設の多くが郊外の公園敷地内にあるといった状況でございますが、周辺環境や交通の便など立地条件のよい場所で、都市型の文化施設の用地としては貴重でございますので、この用地の配分等、有効的利用を図るため、設計の段階で具体的に検討をしてまいりたいと考えてございます。
 次に、図書館の郷土資料と県史編さん事業で収集した資料とのかかわりでございます。
 現在、図書館で保存されている郷土資料には図書資料と古文書としての資料がございますが、今回、新設予定の文書館では、県史編さん事業として集められた古文書等の資料と図書館で保存されている古文書をあわせて継承保存していく考えでございます。
 最後に、中紀養護学校についての御質問でございます。
 広川町に建設を計画しております養護学校については、現在、関係の方々の御意見をいただきながら、いろんな準備を進めているところでございます。
 御要望をいただきました校舎の建設に係る諸点、歩道や信号灯設置等の校舎内外の安全対策、スクールバスの配置、教職員定数の確保などの教育環境の整備については、引き続き関係者と十分話し合い、また通学の方法については、御指摘のとおり自宅からの通学を原則として養護学校の適正配置を進めているところでございまして、現在のところ寄宿舎等の建設については計画いたしてございませんので、御理解をいただきたいと思います。
 以上であります。
○議長(門 三佐博君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 45番小林史郎君。
○小林史郎君 誠意のある御答弁をいただき、ありがとうございました。私のいろんな要望をまともに受けとめていただいて、懸命の答弁をいただいたということを感謝申し上げます。
 しかし、まだどこか食い足りない感じもいたします。私が何を尋ね、何を求めているかということについて、もう少し深く受けとめてほしいなという気持ちもあるわけです。
 と申しますのは、化石の問題について、有田に資料館を建ててもらえないか、あるいは自然博物館に展示をしていただけないか、こういうことをお願いしたわけでありますが、そのことの裏には、やはり自然博物館のあり方を本当に変えていってほしいという願いを込めておるわけです。
 そういうことで、単に資料館を建ててほしいということだけではありませんので、資料館ができない、難しいという答えだけでなしに、あるいはいろいろ考えて展示をさせていただきますという答えだけでなしに、本当に博物館のあり方を今後真剣に考えていきたいという積極的な意欲が映るような答弁が欲しかったなという気がいたします。まあ、これは多少ぜいたくかもしれませんが。
 例えばこの化石の問題で、せんだって門田さんに聞きましたら、どんな文化施設か知りませんが、京都の博物館に展示しておるそうです。そこの方が見えられて、大方一日かけてあらゆる角度から写真を撮って、資料をつくって帰られた。余りにも姿勢が熱心であったので、ほだされまして、化石の一つを差し上げて大変喜ばれたと、こう言われておりました。
 私の質問に対して、訴えに対して、門田さんに限りませんけれども、そういう人をとらえて、資料館はできないけれどもどういうふうに保存しようか、展示していこうかというような相談をしに行くというぐらいの姿勢がいただけらなと思っております。
 先ほどちょっと触れました、昆虫の標本を持っておる友人の話ですが、僕はその友人に、「もし、県の自然博物館が立派なものに建てかえられるような場合は、あなたの持っている資料、標本を寄附していただけますか」と聞いたら、「私は、寄附ようせん」と言うんです。「それは、なぜよ」と言うたら、「私たちにとっては、一つ一つの標本が金やダイヤモンドより値打ちがあるもんや。しかし、今の県の博物館行政の姿勢では、これが大切に守られる、保存され通すという信頼をよう持たん。例えば、日本にもすばらしい標本がたくさんあった。しかし、それが第二次世界大戦の戦火の中でほとんど失われてしまった。しかし、ベルリンやロンドンの場合、相当な惨禍を受けたが、こういう標本は現在まで守り抜いておる。そこに価値観の違いがあるんやないか。こういう姿勢が日本の博物館行政あるいは県の行政の中にまだ私たちはよう読み取らんので、今の心境では寄附するとよう言わんよ」と、こういうような話でありました。
 このことに端的にあらわれていますように、飽くなき執念というんですか、価値観というんですか、いまひとつ踏み込んだ姿勢でこの博物館行政の問題について検討していただきたい。このことを要望申し上げておきます。
 それから調査事業については、そのやり方について研究していただくということでございます。それほど金のかかる問題でもないと思いますので、やり方は難しい面があろうかと思いますが、ぜひこれを実現していただくようお願い申し上げておきます。
 特に、こういう資料とか展示、あるいは学問的な研究について、執念のようなものを持ってほしいというのが僕の願いなんです。そうでなければ、財政課から、今度おまえとこはシーリングで何割減やと言われたら、けんかをようせんのやないかと思います。絶対シーリングはどうもならん、ふやしてもらわんならんというけんかをやるのは、執念がなければできんと思うんです。そういう点でひとつお願いしておきたいと思います。科学を愛し、真理を愛する心を求めておるのでございます。よろしくお願いいたします。
 それから、上野教育委員長に特にお願いしたいんですが。
 上野教育委員長は有田の出身でございますので、この有田の化石についていろいろ関心も御理解もいただいておると思うわけですが、県の文化行政の中でこうした問題について、価値にふさわしいような取り扱いができる対応策をいろいろと考えてくださることをお願い申し上げておきます。特に、有田の一市五カ町の資料館の建設等の問題について、できる限りのお力添えを賜りたいと思っておるわけでございます。
 それから、知事へ御要望申し上げたいと思います。
 紀伊風土記の丘へ行かしてもらって、立派な史跡公園が残されたということに本当にうれしく思いました。
 あれは大橋知事の時代だったと思うんですけれども、六十万平米あると聞きましたが、あの広大な土地を買うてなかったら、今あの辺はもう開発され、住宅団地がいっぱい建っておるようなことになっておるんやないかと思います。そうした意味で、文化に理解を持った英断というのは後世に非常に大事な役割を果たすということを感じるわけです。
 美術館の問題で、知事も相当積極的に構想を考えてくださっておるようですが、先ほど申し上げましたように、いい場所であるけれども、二つ建ってみみっちいな、みすぼらしいなという感じが絶対ないように、「いろいろと効果的な敷地の配分」という表現の答弁でございましたが、その辺、最大限に考えていただいて、こうしておけばよかったなあという悔いが後世へ残らないように万全を期していただくことをお願い申し上げておきます。
 最後に、養護学校の寄宿舎の問題です。
 こういう予定がないということ、計画に入っていないということはわかっておるわけです。経過もあってそういうことになっておることはわかっておるわけです。しかし、完成して運営が始まった段階で、もし必要が感じられる──多分そういう問題が出てくるんじゃないかと思うんです。そうした場合にはこれについて十分検討していただくことをお願いして、要望ばかりでございますが、私の再質問を終わらせていただきます。
○議長(門 三佐博君) ただいまの発言はすべて要望でありますので、以上で小林史郎君の質問が終了いたしました。

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