平成29年2月 和歌山県議会定例会会議録 第6号(立谷誠一議員の質疑及び一般質問)


平成29年2月 和歌山県議会定例会会議録

第6号(立谷誠一議員の質疑及び一般質問)


汎用性を考慮してJIS第1・2水準文字の範囲で表示しているため、会議録正本とは一部表記の異なるものがあります。

正しい表記は「人名等の正しい表記」をご覧ください。

 質疑及び一般質問を続行いたします。
 4番立谷誠一君。
  〔立谷誠一君、登壇〕(拍手)
○立谷誠一君 本日4番目の登壇です。大変皆さんお疲れのことと存じますが、今回は簡潔に質問をいたしますので、おつき合いのほど、どうぞよろしくお願いいたします。
 まず、韓国・果川市と江原のIRを視察させていただきました。この報告からさせていだたきたいと思います。
 去る2月1日、2日の2日間にわたりまして、私を含め4名の議員で韓国は果川市と江原を行政視察してまいりました。朝一番の仁川行きの大韓航空で向かい、仁川には通訳と車の用意をお願いしておりました金さんの出迎えを受け、早速、金さんの車で果川市に向かいました。
 果川市では、総務課長ほか職員の出迎えを受けまして、果川市市長室へと案内をしていただきました。果川市は、8年余り前、和歌山県当局の紹介を受け、白浜町と友好都市提携をさせていただき、その後、白浜町との交流が続いているところでございます。市長とは大変有意義な懇談をさせていただきました。懇談の中で最後に、果川市はもう1カ所、北海道内のまちと友好都市提携ができないか考えており、もしよいまちがあれば御紹介をいただきたいとの宿題ももらった次第です。
 2時間足らずの訪問を終えて、次の目的地である江原に向かいました。高速道路を100キロ余りの速度で走り続けること約4時間、ようやく江原に到着いたしました。しかし、時間はもう夕方6時過ぎです。今夜は江原のホテルに泊まり、翌日9時ごろよりIRの視察でございます。
 IRの建物に入ると、依存症対策室の職員3人が迎えに出てくれており、玄関近くの部屋に通されました。その部屋は、江原ランド中毒管理センターです。説明によると、江原IRは2000年度開設で、来場者は1日平均約6000人から9000人で、年間約300万人とのことでございます。なお、6対4の割合で男性が多いとのこと。また、年間売り上げは1兆5000億ウォン、1日では約50億ウォン、利益は年間4000億ウォンとのことです。
 働いている方は、正職員3500人、臨時職員等は2500人であり、51%が政府の出資で、全員政府投資機関の職員である。また、政府がやっているのでやくざなどは入れないとのことでありました。さらに、民間の運営は危ないとのことでありました。また、来場者の1割が依存症になるとのことで、依存症になれば再び入場はできないようにしている。依存症対策として年間売り上げの約1割、1500億ウォンをかけているとのことでありました。
 ちなみに、いただいた「責任あるギャンブルって何?」とプリントされました依存症対策のパンフレットには、次のように書かれています。パンフレットを用意いたします。こういうパンフレットをいただいたんですが、(パンフレットを示す)この2つのパンフレットの中から朗読をさせていただきたいと思います。
 まず1つ目に、「あなたは、ギャンブルで失っても構わない金額以上のお金をギャンブルで使ったことがありますか。 あなたは、ギャンブルで負けたとき、負けたお金を取り戻そうとして次の日にまたギャンブルをしたことがありますか。 あなたは、自分がギャンブルをすることに対し問題になると感じたことがありますか。 あなたは、ギャンブルが原因でストレスを受けたり不安になるなど、健康に問題があると感じたことがありますか。 あなたがギャンブルをすることで、本人や家族に経済的な問題が生じたことがありますか。 あなたは、自分がギャンブルをすることやその結果生じたことに対して罪悪感を感じたことがありますか」。
 さらに、「損したお金は気分転換に使ったと思ってください。そして、もうけたお金はボーナスをもらったと思ってください。 ゲームの制限時間を決めて、その制限時間を超えないようにしましょう。勝っても負けても決めた制限時間を超えたらすぐその場を離れましょう。 ゲームで負けるのは当たり前のことだと考え、その結果を受け入れるようにしましょう。 家族、友達、仕事よりもゲームを最優先してはいけません。 損したお金を取り戻そうと考えてはいけません。ほとんどの場合、損したお金を取り戻そうとしても、もっと多くのお金を失う結果になります。 ゲームであなたの心の傷や身体的な苦痛を癒やしたいとか、満足感を得たいと思わないでください。 あなた自身に深刻な問題がある可能性を認めましょう。 もしゲームをこれ以上娯楽として楽しむことができないなら、あなた自身に問いかけてみましょう。どうしてあなたがまだここにいるのか」。
 また、こんなことも書かれています。
 「インディアンが立ちどまる理由。 北アメリカのインディアンは、馬に乗って走り、どこかに矢のように走りながらも、ある瞬間になると一度馬をとめては後ろを振り返るそうです。なぜかといえば、矢のように走っていると私の魂が追いつかない、道を忘れ迷うかもしれないということなのです。 速く走る馬が最善ではありません。今、何かをするために一生懸命に走っていますか。それならば私の魂がついてきているのか、取りそろえなければならないときなのです。一度ぐらいは、自分がどこに行っているのか、きちんと行っているのか、深く考えてみるべきなのです。速度より重要なことは、方向だと思います。 誰よりも速く走るのも重要ですが、どこに走っているかが事実もっと重要です。全ての力を投入して走って望まないところに到達したり後悔する結果になると、それ自体、残念な人生になってしまうからです。御自身と御自身の身の回りを今見詰めてみましょう」、こう書かれています。
 申し上げておきますが、以上のことは私が考えたことではありません。国会で法律ができていますので、県政与党の党員の1人としましても、私自身は今現在ニュートラルな位置に置いておきたいと考えています。
 なお、日本からの江原ランド視察団は多く、既に千葉、大阪、北海道など20カ所から来られておられまして、当日も私たちの後、10時40分には大阪から議員団が来られ、説明を受けることになっているとのお話でありました。
 その後、せっかくなので帰りの飛行場までの時間を考え、1時間ほどIR内に入場させていただくことになり、自分の人生で初めて賭博場なるとこへ入りました。もう会場はスロットマシンやトランプカードの前に座っている方など、びっしりの人、人、人でいっぱいです。せっかくなので1000ウォンほど参加してみようと思いましたが、死んでしまったおやじやおふくろの了解ももらっていないので、思案をしている間に1時間ほどの時間が過ぎ、初体験することもなく会場を後にいたしました。
 あとは高速道路をぶっ飛ばしてもらい、帰るだけです。2日間、秘書兼運転手を務めていただきました地元の金さんにお礼を言い、韓国・仁川空港を後にいたしました。
 以上、韓国・江原ランド視察の報告とさせていただきます。
 それでは、一般質問に入らせていただきます。
 まず、エコミュージアム構想についてお尋ねをしたいと思います。
 エコミュージアムとは、1960年代にフランスから入ってきた思想というか考え方だと伺っているところです。エコミュージアムとは時間と空間の博物館であり、屋根のない博物館とも言われています。また、地球全体が博物館であり、住民全てが学芸員とも言われています。そして、環境と人間とのかかわりを探る博物館システム、研究、保存、展示を行う常設の組織であり、こうした取り組みを通じて、当該地域社会の発展に寄与することを目的とする新しい理念を持った博物館である云々と定義づけをされています。
 こうした理念を踏まえまして、今回、和歌山県の南部に位置する田辺市、上富田町、白浜町にわたる田辺湾とその周辺地域と社会をエコミュージアムに選定をしていただき、地域社会のさらなる発展に結びつけることを願い、提言をいたします。
 さて、その根拠たるたくさんの田辺湾の文化や歴史の中から、その一部を御紹介いたします。ちなみに、湾と位置づけられてる場所は、県内には田辺湾と和歌浦湾の2カ所しかございません。田辺湾の北端に位置するところにはナショナルトラスト運動の先駆けとして有名な天神崎があります。少し東に移動すれば安藤城主が築いた屋敷町が広がり、ここは弁慶生誕の地でもあります。
 市内には、昨年世界遺産に追加登録された鬪鶏神社があり、鬪鶏神社は源平合戦の折、紅白の7羽の鶏を戦わせ、その結果、源氏につくことになり、この田辺湾から熊野水軍を出陣させたと言われているところでございます。
 その隣の文里港は、昭和21年に引揚者援護局が設置され、さきの大戦で敗れ、傷ついた軍人や軍属、家族の皆さん20万人余りが南方から輸送船に乗り、傷心の身で帰還し、上陸した地でございます。近くの田辺市民総合センター3階には、引揚港田辺資料室がありました。
 また、磯間にはといしの切り出し山があり、長い年月にわたり地場産業として栄えてまいりました。その碑が建立されています。さらに奥には、大正年間に上富田町朝来の新川から大きな山をくり抜き、田辺湾へ田畑の水を排出するための暗渠がつくられています。
 さらに東に行くと、内之浦に大きな干潟公園がつくられていて、市民の憩いのスポットとなっています。その向かいの鳥の巣には、さきの大戦時、敵艦に体当たりし撃沈させるための特攻隊が設置され、その船を敵から隠すため、岩場に穴を掘り隠した洞窟が残されています。現在は鳥の巣公園がつくられ、保全をされているところであります。
 田辺湾は広く深いリアス式海岸であり、湾内にはたくさんの小さな島が点在していますが、点在する島のなぎさの白砂を伝馬船に載せ、大阪方面にガラスの生産に必要な石英として出荷していた時代がありました。その向かいの島が神島です。
 「一枝も心して吹け沖つ風わが天皇(すめろぎ)のめでましし森ぞ」、この歌は昭和4年6月1日、昭和天皇が御召艦で旗艦である戦艦長門と従艦7隻を従え田辺湾へ入港します。そして水雷艇に乗りかえ、当時の瀬戸鉛山村──今の白浜町ですが──綱不知にある桟橋から上陸し、徒歩で当時の京都帝国大学臨海研究所へ出向かれ、さらに御座船に乗りかえて円月島、四双島、塔島などで海洋生物の調査を楽しまれた後、紀州徳川家の所領でした畠島にも上陸し、その後、南方熊楠が待機する神島に上陸され、熊楠から御進講を受けられています。
 その天皇陛下の神島への上陸を記念して南方熊楠が詠んだ先ほどの「一枝も」というくだりの歌は、そのときに詠んだ歌なのでございます。その石碑が神島に建立されています。
 その入り江最深部には古賀浦、そして太刀ヶ谷地区があります。太刀ヶ谷には太刀ヶ谷神社がございまして、神武天皇の太刀を御神体にしています。その昔、神武天皇が統制のため、なにわの都から船に乗り熊野地方に向かう途中──今の三重県の方向だというふうに聞いています──しけに遭い、難を逃れようと田辺湾奥深く逃げ込んでまいります。この湾の奥は綱不知と言われるほど、大きなしけでも波1つ立つことのないリアス式海岸の入り江だったのです。
 しかし、3日たっても4日たっても沖の波がおさまりません。神武天皇はいらだち、腰に携えていた太刀を海に投げ込まれます。するとどうでしょう、ほどなくして波はおさまり、軍団は出立することができました。村人は、海へ投げ入れたその太刀をいただき、太刀ヶ谷神社の御神体としているのでございます。そして、この太刀ヶ谷神社は、白浜町無形民俗文化財の第1号の認定を受けているところであります。
 臨海近くには熊野三所神社があり、その鳥居近くに7世紀ごろにつくられた火雨塚古墳があります。臨海の丘には南方熊楠の記念館が設置されており、熊楠に関するたくさんの資料が保管され、展示されています。
 その麓にある大正11年に開設された京都帝国大学臨海研究所では、今日までも海洋生物の研究が続いており、研究員の久保田准教授が研究されているベニクラゲは、5年ほど前に「ニューヨークタイムズ」の報道を受けてから一気に世界中に知られるところとなり、今日では世界中で報道のされない日がないほどでございます。注目されているポイントは、ベニクラゲが不老不死の生き物であることにあります。地球上に生き物は144万種類があると言われていますが、全ての生き物は命の来る日が来ます。寿命の日が来ないのはこのベニクラゲだけであるというふうになってございまして、この研究を続けている方でございます。
 教授自身も、ベニクラゲの1つの個体の観察を続けること数十年、この間、14回も若返りを繰り返すことに成功しています。地元では、今、和歌山県でノーベル賞に一番近い男と言われています。先生は、定年後もこの地に住み続けたいと言います。それは、田辺湾がベニクラゲやイサギ、ボラ、エイ、タチウオ、ウニ、エビ類など、多様な海洋生物がすむ水中生物の宝庫だからです。
 さらに、田辺湾はいろいろな船や飛行機が行き交う時代がありました。明治の時代から、白浜の桟橋から田辺の大浜を往復する巡航船が就航していました。私たちの時代は、玉姫丸、豊姫丸が1時間に1本、田辺湾を往復しており、高校の通学時に利用していたころは100トン未満の木造船に150名ほどが乗り、鈴なり状態で運航されていました。さらに、空からは畠島近くに大阪の堺市から5~6人乗りの水上飛行機が飛来しており、田辺湾での着水や離水の姿は、青い海とべたなぎの水面が絵になって、見ている者の目を楽しませてくれました。
 そのころ、戦後の経済が落ちついてきたのか、当時のソ連の沿岸州にあるハバロフスクよりたくさんの木材を載せた5000トンクラスの船が毎日のように停泊し、田辺湾に、いわゆる当時「外材」と言われていた木材を投げ込み、タグボートがそれを集めて新庄の製材所へ運んでいました。
 以上のように田辺湾沿岸の歴史は切りがありませんので、これぐらいにしておきます。
 有史以来、生をうけてから寿命を終えるその日まで、この地に住むたくさんの人々が高尾山や槇山、分領山など牟婁の山並みに抱かれた田辺湾の幸をいただき、鏡を伏せたように動かない田辺湾に癒され、心豊かな生活を重ねてきました。これからもこの地に住む人々は、田辺湾とともに笑い、怒り、叫び、そしてあるときは涙を流し、次の世代、その次の世代へと引き継がれていきます。そんな歴史や文化深い田辺湾を守り、午前中の片桐議員の発言にもございましたが、陸奥宗光や地域の先達を顕彰し、活用していくことが今を生きる我々の世代の務めであると考えます。
 さて、今の時代です。田辺湾一帯をエコミュージアム、先ほども冒頭で発言させていただきましたが、屋根のない博物館と位置づけ、県行政のリーダーシップのもと、守り活用することにより、さらに地域が豊かになるべく取り組んでいただけることを提言いたします。当局の御見解をお伺いいたします。
○副議長(服部 一君) ただいまの立谷誠一君の質問に対する答弁を求めます。
 教育長宮下和己君。
  〔宮下和己君、登壇〕
○教育長(宮下和己君) エコミュージアムにつきましては、平成19年に国の文化審議会文化財分科会において、文化財に対する人々の理解の増進のためにエコミュージアムの取り組みの必要性についても議論された経緯がございます。県外では、市町村や民間団体が主体となって、自然遺産を核にした環境教育や地域の伝統的な生活スタイルの公開などに取り組んでおり、いずれも地元住民が参加した事例として成果が報告されております。
 議員御案内のとおり、県内には貴重な自然と多くの有形、無形の文化財があり、田辺湾周辺にも、重要文化財であり世界遺産に追加登録された鬪鶏神社や、国立公園並びに国名勝南方曼荼羅の風景地を構成する天神崎や神島がございます。さらに、その近隣にはジオパークを構成し国名勝である円月島や千畳敷など、多くの価値の高い地域資源が存在してございます。
 県教育委員会といたしましては、1つ1つの文化財について国指定等に向けて取り組むとともに、県立博物館や自然博物館などの既存の研究施設による教育、普及に努めてまいります。
 今後、田辺湾周辺の文化財の保存と活用を積極的に推進するため、その学術的な価値づけを行うとともに、その成果についても子供たちや地域の方々が誇りに思えるよう、市町の教育委員会と連携・協力して取り組んでまいります。
○副議長(服部 一君) 立谷誠一君。
  〔立谷誠一君、登壇〕
○立谷誠一君 ありがとうございます。もう少しエコミュージアムのことをちょっと御報告させていただきましたら、目的、理念、機能、任務、こんなふうに色分けをされている中で、まず理念のところですが、この理念はこういうふうになっています。行政と住民が一体となって発想し、形成し、運営していくとりでである、行政側は専門家と力を合わせて施設や資金等を提供し、住民はアイデア、ビジョン等を提供する、それから、エコミュージアムとは、住民の心を写す鏡である、展示や活動の中に住民の心を反映しなければならない、そんなふうなことをいろいろとうたわれております。
 この質問に先立ちまして、この田辺湾周辺に民間の皆さん方で、町民の皆さん方で、こうしたことに対する条件が整ってるか、そういう団体がどの程度あるかというふうなところをちょっと調べてみましたら、白浜でしたらコマンドクラブであったりとか、いろいろ田辺のほうにもたくさんのそうした団体があることがわかりました。内之浦湾を良くする会、南紀生物同好会、そんな団体がたくさんあることがわかりましたので、ぜひそうした団体の皆さん方にもお力添えをいただいて、これから田辺湾一帯をエコミュージアムとして取り組んでいただければ、我々が本当に次の世代のためにそうした資源を引き継いでいけるんではないかなと思いますので、ぜひどうぞよろしくお願いいたします。
 次に、2点目の質問に移らせていただきます。
 過日配付いただいておりました和歌山県の長期総合計画に、クルーズ船の誘致活動を推進しますとなってございます。これに関連いたしましてお伺いいたします。
 白浜町桟橋、ホテル川久近くに、昭和40年代後半から昭和50年代に就航していました神紀フェリーの桟橋がその後使われずに現在も残されています。桟橋は、当時、数千トンクラスの船が出入りをしておりまして、客船等が入港し、この桟橋から下船することができれば、歩いて数分で関西一の温泉街に到達いたします。この神紀フェリーの桟橋を再活用してクルーズ船等が寄港できれば、高速道路から、そして南紀白浜空港から、さらに海路から紀南地方へ訪れることができ、さらなる地域の振興等、大きな弾みがつくと考えられます。ぜひ再活用していただきたいと考えるのですが、県当局の御見解をお願いいたします。
 あわせて、クルーズ船の田辺・西牟婁地方への誘致についての当局の御見解もお願いをしたいと思います。
○副議長(服部 一君) 県土整備部長森戸義貴君。
  〔森戸義貴君、登壇〕
○県土整備部長(森戸義貴君) 白浜町内の既存の桟橋を再活用したクルーズ船等の寄港について御質問を頂戴をいたしました。
 まず、クルーズ船の誘致につきましては、昨年11月に庁内横断のクルーズ船誘致チームを立ち上げまして、国内外で開催される商談会等への参加や船会社等を直接訪問するなど、プロモーション活動を積極的に実施しているところでございます。
 近年、クルーズ船は大型化する傾向にございまして、今まで和歌山県に寄港実績があるクルーズ船でさえ、大型岸壁が整備されていない白浜町周辺の港湾では直接接岸することは難しいと考えてございます。串本などにおきましては、岸壁に直接接岸せずに、沖どめをした船から乗客が小型船に乗りかえて、小型岸壁から上陸した例がございます。
 議員から御紹介のございました桟橋は、白浜町、地元の漁業協同組合及び民間企業の3者で共有される施設のため、白浜町周辺にクルーズ船を沖どめして、これを活用する場合には、この3者とともにまず検討させていだたく必要がございます。現時点では、この桟橋が使用可能かどうかの情報も持ち合わせておりませんので、まずは桟橋の現状調査等を行いたいと考えております。
 本県へのクルーズ船の誘致に当たりましては、白浜が本県を代表する観光地であることから、今後とも魅力ある白浜をオプショナルツアーの目的地として、引き続き積極的なPR活動を行ってまいりたいと考えてございます。
○副議長(服部 一君) 立谷誠一君。
  〔立谷誠一君、登壇〕
○立谷誠一君 今、県土整備部長からそのような答弁をいただきました。ちょっとおさらいをさせていただきましたら、白浜周辺の港湾への寄港は現時点では難しいが、クルーズ船が大型化になってるということで、ただ、沖どめによる小型船の上陸ということは不可能ではないと、そういう答弁をいただいたところです。ぜひいろんな知恵を使って、すばらしい観光資源がたくさんある地域でもありますので、御努力をいただきたいなと思います。
 それから、桟橋ですが、実は昭和50年2月3日に私は家内と一緒になりまして、この船に乗りまして神戸まで行ったんですが、当時、乗り込む乗用車も100台、200台と載っておりましたし、もちろん乗客の立場でも大勢の人が乗っておりました。活用の方法さえ成り立てば、十分まだまだこの桟橋、使えるんではないかと思います。そういった意味で、情報もないためというお話でしたので、ぜひ情報をとっていただいて現状調査をしていただきまして、何とか、ないもんをつくれというのは難しいですが、あるもんを利用してもらうという提案ですので、一度深く御検討いただきたいとお願いを申し上げます。
 それから、白浜をオプショナルツアーの目的地としても御検討いただけるということで、これにつきましてもお願いを申し上げておきたいと思います。
 最後の質問をさせていただきます。
 3点目に、道路の交差するところ、我々は交差点というような表現しか言葉知らないんですが、交差点はほとんど信号つけられていますが、3年ほど前でしたか、マスコミ報道によりましたら、政府は今後ロータリー方式を取り入れるとの内容でありました。
 白浜町内でも、皆さん御存じかもわかりませんが、5本の道路が交差する交差点がございます。地元の人は丸公園、丸公園と言いまして、丸公園交差点といいます。その昔からロータリーになっておりまして、信号は設置されていませんが、白浜一の随一の交通の要所でもありますが、私も運転免許を取って50年近く車に乗っていますが、そのロータリーの交差点で渋滞に遭遇したことがありません。いつも車両はスムーズに流れるように進みます。その上に大切なことは、交通の要所でありながら事故がほとんど発生してないことです。政府も、ロータリー方式の交差点のその効果と結果に着目をしているのではないかと考えます。
 さて、交差点のロータリー化に向けた国の取り組みの本気度を、新しく就任をいただきました県警本部長にお伺いしたいと思います。
○副議長(服部 一君) 警察本部長宮沢忠孝君。
  〔宮沢忠孝君、登壇〕
○警察本部長(宮沢忠孝君) 平成26年9月1日に施行された改正道路交通法において、1つの交差点とみなせる環状構造の交差点について、道路標識により車両がその部分を右回り、時計回りに通行することが指定される環状交差点に関する規定が設けられました。
 従前は、環状構造の交差点に関する通行方法が規定されていなかったので、議員御指摘の白浜町丸公園交差点のように右左折方法の指定と一時停止の組み合わせであったりとか、あるいは指定方向外進行禁止や環状部分の一方通行などの複数の交通規制を組み合わせることにより通行方法を示すなど、その規制方法は統一されていませんでしたが、この規定により環状交差点の通行方法を1つの標識で包括的に示すことが可能となったところであります。
 一方で、交通量が極めて多い交差点では、交通がふくそうし、渋滞の原因になるといった問題もあることから、この規定による交通規制を実施するに当たっては道路構造上の対策が不可欠であるため、警察庁と国土交通省道路局とが十分な調整を行った上で策定された交通規制基準が示されております。
 この改正道路交通法に基づく環状交差点は、全国で平成28年12月末現在、19都府県で61カ所が整備されていますが、警察庁としては、その現実の効果などについて全国に発信しつつ、道路管理者との連携のもと、ふさわしい場所への導入が計画的に推進をされるよう都道府県警察を指導していく方針である、そういうふうに承知をしております。
 当県においては、現時点、未整備でありますが、信号機設置の必要がないことから災害発生時に停電等の影響を受けないというメリットがあるほか、待ち時間の減少、交差点内の車両速度の低下による高速度での出会い頭といった重大事故の減少、こういったことが見込まれるものというふうに考えております。
 現在まで、全国で設置された環状交差点においては、死亡事故の発生がなく、混乱なく利用されているというふうに聞いておりまして、災害対策、交通安全対策、また信号機や停電時の電力供給のための発電機等の設置及び維持管理費用等の削減にもつながるものというふうに期待をしているところでありまして、今後、環状交差点の整備運用について、道路管理者と緊密な連携を図ってまいりたい、こういうふうに考えております。
○副議長(服部 一君) 立谷誠一君。
  〔立谷誠一君、登壇〕
○立谷誠一君 次に、あわせまして、具体的な取り組みの検討の現状を県土整備部長にお伺いしたいと思います。
○副議長(服部 一君) 県土整備部長。
  〔森戸義貴君、登壇〕
○県土整備部長(森戸義貴君) 県内におけます環状交差点の導入に向けた取り組み状況等について御質問を頂戴いたしました。
 和歌山県における環状交差点の導入に向けた検討につきましては、平成26年の道路交通法改正以降に公安委員会と調整を始めたところでございます。環状交差点の導入について検討を重ねた結果、田辺市龍神村柳瀬地内の県道田辺龍神線と県道龍神中辺路線との交差点において協議が調い、平成27年度に事業化いたしました。現在、測量及び設計が完了し、地元関係者と調整を行っており、早期完成を目指して事業を推進してまいりたいと考えてございます。
 今後も、公安委員会と連携し、交通量や構造等に一定の基準が設けられていることを踏まえながら、沿道の利用状況や近接交差点の状況等を勘案し、期待される効果が十分に発揮できる箇所について導入を検討してまいりたいと考えてございます。
○副議長(服部 一君) 立谷誠一君。
  〔立谷誠一君、登壇〕
○立谷誠一君 ただいま県土整備部長から、田辺市龍神村柳瀬地内の交差点で事業化に向けて取り組みを進めていただいてるというお話をいただきました。ぜひ、これが完成した折には、地元の皆さんだけじゃなくて、県の広報を通じて流布をしていただきたいなと思います。
 もう大変楽しみです。道路って、車を運転して快適な道であるということも重要ですが、また道路自体を我々はドライバーとして楽しんでみたいと、こう思います。そういった意味で、このロータリーのある道路、すごく楽しみの1つでもございます。ぜひ、そういった意味でこれからも積極的な取り組みをいただけますことを要望いたしまして、一般質問を終わらしていただきます。御清聴ありがとうございました。(拍手)
○副議長(服部 一君) 以上で、立谷誠一君の質問が終了いたしました。
 これで、本日の質疑及び一般質問を終わります。
 明日も定刻より会議を開き、質疑及び一般質問を続行いたします。
 本日は、これをもって散会いたします。
  午後2時25分散会

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