平成29年2月 和歌山県議会定例会会議録 第3号(中 拓哉議員の質疑及び一般質問)


平成29年2月 和歌山県議会定例会会議録

第3号(中 拓哉議員の質疑及び一般質問)


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 質疑及び一般質問を続行いたします。
 24番中 拓哉君。
  〔中 拓哉君、登壇〕(拍手)
○中 拓哉君 皆さん、こんにちは。この意義ある旧県会議事堂におきまして質問の機会をいただきました議長を初め、先輩、同僚、皆さんに、まずもって御礼申し上げます。
 勉強すれば、ここでは夏目漱石が「現代日本の開化」と称して、内発力、エンパワーメント、諸外国留学、イギリスのときの自分の神経衰弱を踏まえて、日本人のそういうよさを訴えてくれたところやと思います。そういう意義ある場所であるということをかみしめながら、私もしっかり県民のために質問していきたいと思います。
 それでは、順次質問に移らせてもらいたいと思います。公明党県議団、中拓哉でございます。
 「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず」、老中・間部詮勝、号を松堂と号す。幕末、嘉永6年(1853年)、軍艦4隻を率いてペリー提督が浦賀にあらわれ、フィルモア大統領の国書で開国を迫られた折の幕府の困惑を茶化した狂歌として広く人口に膾炙したもので、皆さんも御存じかと思います。
 この議事堂の完成が明治31年(1898年)ですから、当時の県会議員らがこの議場で富国強兵、文明開化の議論を交わしていたころのつい45年前、つまり彼らの少年期の出来事となっております。私60ですから、先ほど来お話しになりました万博、ちょうどそれが45年ぐらい前かと思います。そういった、その当時の江戸幕府の鎖国政策が1604年の糸割符に始まるとすれば250年ぶりの国策の変更であり、開国がやがて尊皇攘夷、討幕運動につながり、封建社会は終わりを告げました。
 ここに1冊の新書版の「明治の夜明け」と称する評論社の本がございます(本を示す)。昭和50年3月の発行なので、私がちょうど高校を卒業し、創価大学に入学するに際して、産経新聞社の奨学金を借りて住み込みで働き始めたころ、その「産経新聞」の広告面で見つけたのです。
 何と、その著者が小関洋治という海南高校で3年生の私の担任の先生で、開学5年目の創価大学への進学を「新しい大学で頑張ってこい」と私を励ましてくれました。その恩師の一言が不安な私に勇気を与え、進学を決めたのでした。
 小関先生は、その後、教育委員会に配属され、文部省にも出向し、教育長も務められました。知事も桐蔭高校で歴史を教わったようにお聞きしました。今回の質問の準備の中で、40年前に読んだこの本も参考に思索が続きます。
 文部科学省は、このほど次期学習指導要領の改訂案を示し、小中学校の社会科で「鎖国」の表記を「幕府の対外政策」に改めるとし、近年の歴史研究では長崎の出島だけでなく、薩摩、対馬、松前でも外交と貿易ありとの学説が定着しているからだと説明しています。
 小関先生の本の後書きに「歴史は中央や権力の立場からだけでなく、地方や民衆の視点から具体的に描こうと意図した」とありますので、その教え子としても恩師のわだちに続き、地方や民衆の立場で、今までの常識だった鎖国が改まるのであれば、串本に寄港し貿易を迫ったケンドリックのレイディ・ワシントン号、グレイス号の史実を世に知らしめ、今日の日米同盟の嚆矢は我が和歌山の串本なのだと宣言しようではありませんか。
 外務省の「外交史料Q&A幕末期」には、儒学者・林復斎の史料集「通航一覧」、その中に1791年(嘉永3年)、南海道紀伊国の大島浦に2隻の異国船が漂着とあり、「マサチューセッツ海事史」初め多くの歴史書において、1791年、ボストン船籍レイディ・ワシントン号、ニューヨーク船籍グレイス号、南日本の港に寄港し、これを米国人が最初に日本を訪問した事例とし、串本町には日米修好記念館ありと、このように記載しております。
 また、東京大学史料編纂所の横山伊徳教授、この方が第103回史学会でレイディ・ワシントン号来航を取り上げ、「江戸幕府の異国船対策である寛政3年令が従来慣習として行われていた異国船に対する取扱法を成文として幕閣より公布した最初」とする田保橋潔説の背景にはこのレイディ・ワシントン号の来航がある、アメリカ独立革命後の米中貿易の展開の中にレイディ・ワシントン号来航を考えるべきとあります。
 本議会議場においても、平成4年2月議会で堀本隆男氏、また旧臘14日の12月議会では前芝先輩が取り上げ、また、衆議院でも玉置公良代議士が予算委員会等で質問しております。
 今回の質問に際し、仁坂知事も読まれたと前芝さんの質問の答弁にございましたが、「わが名はケンドリック」という佐山和夫氏の著作、3部作ございまして、「新版 わが名はケンドリック 来日米人第一号の謎」、また「ペリーよりも62年も前に」といった本を手始めに、濵健吾氏の「紀伊大嶋」、また現役の桐蔭高校の弓倉弘年先生ら6人で著作による「和歌山県の歴史」、また学びの丘所長や県和商の校長も務めた稲生淳氏の「熊野 海が紡ぐ近代史」、そして何より今回の新発見、グレイス号の航海日誌を研究するスコット・リドレー氏と櫻井敬人学芸員の小冊子、さらには、古文書ですけれども、「大庄屋文書」「津荷文書」「田辺万代記」「南紀徳川史」「外国通覧」「紀南遊嚢」といった古文書に行き着くのであります。
 本県にも、博物館には学芸員もいらっしゃれば、古文書を扱う文書館もあります。そして何より、文化及び学術の振興を任務とする文化学術課がございます。これら米国船の串本来航の事実を、またケンドリック司令官らの交易の申し入れのこういった事実を、日米外交史の嚆矢とすべく取り組まれるお考えはございませんか。知事の御見解をお尋ねいたします。
○議長(浅井修一郎君) ただいまの中拓哉君の質問に対する答弁を求めます。
 知事仁坂吉伸君。
  〔仁坂吉伸君、登壇〕
○知事(仁坂吉伸君) レイディ・ワシントン号が串本町の大島に寄港した史実につきましては、「南紀徳川史」を初めとする歴史資料に記載がありますけれども、交易史としては大変意義のあるものだと思いますが、外交史ということではどうもないかなというふうには、私たちは思っております。
 串本町が平成27年よりアメリカにおいて調査研究を進めていたところ、当時の様子を記した航海日誌が発見されたことは御指摘のとおりであります。現在、この資料についてはアメリカの歴史学者とともに研究が進められておりまして、今後その研究成果が明らかになる予定と思っております。
 県では、このような成果を踏まえ、速やかに資料をもちろん入手するとともに、引き続き串本町が行う調査研究の成果もあわせて、今の御指摘にありましたような交易申し入れに関する新たな史実の発見などがないかどうかとか、そういうようなことを考えていき、調査をしていきたいと考えております。
 私も、佐山和夫さんの本などを読んで結構これは勉強していたのでございますけれども、当時の紀州藩の行動とか村の人たちの対応を見ても、エルトゥールル号のようないい話がなかなか書けない、描けないという恨みがあります。エルトゥールル号の場合は、和歌山の本当に心の美しいところがいっぱいありまして、これを世界に宣伝というか、言いまくってやるぞというような気持ちが大いに湧きまして、ある意味では大いにはしゃぎまして、それで、映画づくりのためにも一生懸命頑張りましたし、寄附金も集めたんですけれども、このレイディ・ワシントン号については、どうもそういう手がかりがないということで、しかし、史実はきちんと整理しておかなけりゃいけないということは大事なことだと思いますので、その上でまた考えてまいるということではないかと思います。
○議長(浅井修一郎君) 中 拓哉君。
  〔中 拓哉君、登壇〕
○中 拓哉君 ありがとうございます。確かに、そういう人道的ないいお話ではないんですけども、年柄が1791年といいまして、アメリカの独立が1776年ですから、本当にまだアメリカ政府すらできてない、そういうときにケンドリックさんが、当時の東海岸の有力者たちがお金を出し合って──まあ貿易ですね、そういったことを考えたと。
 そのときに、第1代、初代大統領のワシントンさんの奥さんの名前を尊敬する意味でレイディ・ワシントンという船をつくって、今までなし遂げたことのない、アルゼンチン、チリのホーン岬をめぐって西海岸に出て、広東を目指したんだそうです、勉強すれば。中国の広東へ行って、毛皮が売れなんだもんで帰りに寄ったという形ですけど、史実を読んでいけば、当時この造船にお金を出した方々も、日本という国があるからそこへも寄ってこいよと、こういうことのアメリカの手紙も出てますし、全然まるっきりインチキでも何でもないもんですから、ここはひとつ頑張って事実を──ペリーが来たときの、アメリカの大統領の国書を持ってないことは間違いありませんから、そこには及びませんけども、日本を訪ねた、あるいは日本をノックした、それがやっぱり串本だった、そこから今に至る日米の歴史が始まるんだ、そういう研究はしていってほしいなと。
 というのは、長屋門の存続にしても、あるいは南葵音楽文庫にしても、さほどの動機がなかったんやと思いますけど、やっぱり仁坂さんのリーダーシップで頑張っていけば、こうやって文化的なことも残っていくもんですから、ひとつ力入れていただければなあ、こういうことで質問に取り上げさせてもらいましたんで。また、引き続き私も勉強してまいります。
 次に移りますけども、屋外広告物の規制のことについてお尋ねします。
 手元に、平成27年9月修正の魅力ある美しいまちづくりというこういうパンフレットがあるんですけども(資料を示す)、つらつら見てまして、良好な景観の形成と風致の維持、公衆に対する危害の防止を目的に、違反すれば罰則のある条例をもって無秩序な看板などの広告を規制するということなんです。広告物の設置する場所によって規制の強弱がありまして、自分のおうち、自分の会社に表示するときは自家用あるいはそれ以外の広告か、また、禁止区域か、1種・2種・3種の許可区域か、また、当然ですけど、道路交通の安全を阻害するおそれのあるものはだめですし、掲示場所もガードレールや分離帯などには設置できません。
 ややこしいのは、適用除外の規定なんですね。屋外広告物条例では、県内全域を禁止区域か許可区域のいずれかに区分しておきながら、しかし、適用除外であれば禁止区域でもオーケーですよ、設置できますよ、こういう立て分けになっております。
 和歌山県は、平成27年10月に違反広告物対策強化として、県景観条例に基づく特定景観形成区域の世界遺産周辺と和歌山城周辺の適正化に取り組みました。一定の成果もあって、違反事例も取ってくれたり、あるいは今も指導中かと思います。
 そうした中で、昨年7月26日、知事さんが、高速道路の沿道における屋外広告物の規制の見直しと違反広告物の是正指導に取り組むとして、これまで審議会を開き、パブリックコメントを求め、屋外広告物専門委員会を4回開催するなど、精力的に推進されてきております。
 顧みれば、42年も前、私がちょうどまだ海南高校の3年生で、卒業の写真を、できたばかりの高速道路、まだ通ってない高速道路の上で写真撮ったことの思い出があるんですけども、そのころの条例で、高速道路や自動車専用道路の300メーター沿いを禁止区域としておきながら、長年にわたって放置してきたのは何でかな。今ごろになって新たな基準で認める、300メーターの中は新しい基準で認めると言うんですけど、どんな理由からかな、県土整備部長、お答え願います。
○議長(浅井修一郎君) 県土整備部長森戸義貴君。
  〔森戸義貴君、登壇〕
○県土整備部長(森戸義貴君) 高速道路の沿道における屋外広告物の規制について御質問を頂戴いたしました。
 本県では、良好な景観形成等を目的とした屋外広告物法に基づき、和歌山県屋外広告物条例を定め、他府県と同様に、高速道路等の沿道における広告物の設置を原則として禁止してまいりました。
 しかしながら、こうした規制は必ずしも遵守されず、また県もこれに対して十分な措置を講じてこなかったことなどから、高速道路等の沿道において無秩序に広告物が設置されている箇所が存在しているところであり、さきの9月議会でも御答弁申し上げましたとおり、県といたしましては、この点を真摯に反省しているところでございます。
 今回の取り組みは、高速道路等の沿道に設置を認める広告物の基準を策定し、この基準に適合しない広告物の是正を通じて、本県の観光振興を一層推進するとともに、高速道路等の整備効果を最大化しようとするものでございます。
 このため、京奈和自動車道や紀勢自動車道の整備が進められ、これらが和歌山ジャンクションで接続されることとなるこの年度末のタイミングを捉え、実施することとしたものでございます。
○議長(浅井修一郎君) 中 拓哉君。
  〔中 拓哉君、登壇〕
○中 拓哉君 ありがとうございます。秋月さんも9月議会でお聞きしてて、同じような答弁やったかなと思うんですけど、きのうも京奈和自動車道を往復しました。そんな目で注意して見たら、確かに紀勢道ほどの看板はございません。だから、これから出てきたら悪いんでやろうかということもわからんではないです。
 また一方、世界遺産の高野山ですよとか丹生都比売神社ですよという案内は、国土交通省がつけてくれてます。そうなってきたら粉河寺はどうよ、根来寺はどうよと、こうなってくるんですけども、国土交通省は立ててくれないということになってくるわけですね。
 そうなってきたときに、いろんな観光の看板立てるときに今度の新しいルールになりますとどういったことが起こるかな、非常に、不公平とまでは言いませんけど、ぎこちないんじゃないかな、こんなことを思ったりします。
 また、そもそも300メーター禁止やと言うておきながら、実はこういう色で、こういうデザインで、こういうピクトグラムで、こういうロゴでと、こういった形で県のルールに基づいたら許してあげると言うんやけど、表現の自由を侵すということになりませんか。この点もあわせてお答えください。
○議長(浅井修一郎君) 県土整備部長。
  〔森戸義貴君、登壇〕
○県土整備部長(森戸義貴君) 高速道路沿道における屋外広告物の表示内容等の規制について御質問いただきました。
 和歌山県屋外広告物条例は、良好な景観を形成し、もしくは風致を維持し、または公衆に対する危害を防止することを目的とした屋外広告物法に基づき制定したものでございます。同条例では、屋外広告物法第5条の規定に基づきまして、こうした法目的を実現するため、必要があると認めるときは広告物の形状、面積、色彩、意匠等の基準を定めることができることとされております。
 今回の取り組みは、良好な景観を形成し、もしくは風致を維持し、または公衆に対する危害を防止する、この観点から、高速道路等の沿道において、周辺景観と調和しつつ、わかりやすく統一感のある一定の案内広告物に限って、その設置を認めようとするものでございます。
 議員御指摘のとおり、表示を認める内容、大きさ、色彩等に一定の基準を設ける方向で検討を進めており、判例では、こうした規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限であると解されていると認識をしてございます。県といたしましては、広告主等の関係者の皆様に対し、引き続き丁寧に御説明し、本取り組みに対する御理解を得ながら対策を進めていく所存でございます。
○議長(浅井修一郎君) 中 拓哉君。
  〔中 拓哉君、登壇〕
○中 拓哉君 統一した形でやっていくのは、きれいになることやし、いいことやと思うんですけど、今、紀南向いて走っていったら、アドベンチャーワールドであるとか、とれとれ市場であるとか、あるいは中田食品さんの梅干しであるとか、いろいろそれぞれ皆工夫してやってます。
 この条例の担当者に聞きますと、観光関係の施設のことやったらええんやということなんですね。じゃあ、泊まる松林渡船はどうよって、固有名詞で渡船屋さんはあかんのや、旅館はあかんのやと、こういうことなんですね。非常に複雑と申しましょうか、統一性が難しいんじゃないかな、そんなことを思ったりして、混乱を呼ぶんではないかなという心配をしております。
 ところで、そうやってこれから、今立ててる業者さんや広告主に対していろいろ指導していくんですけど、県庁の正面にきいちゃんが「ようこそ和歌山へ!」という、大きな看板がございます。これは和歌山市は第3種地域、お城のところの近くで、お城の真近くはあきませんけど、県庁は第3種地域で30平米までということに和歌山市の条例になってるんですけど、この県庁の看板はどれぐらいの大きさがあって、何で置けてるんかな、総務部長、教えてください。
○議長(浅井修一郎君) 総務部長浦上哲朗君。
  〔浦上哲朗君、登壇〕
○総務部長(浦上哲朗君) 県庁正面広場の看板につきましては、平成23年3月に紀の国わかやま国体・紀の国わかやま大会への県民の機運の醸成を図ることを目的に設置したものでございまして、大きさは横7.7メートル、縦5.7メートル、面積は43.89平方メートルでございます。
 この看板につきましては、和歌山市の屋外広告物条例第9条第2項第8号に規定します「国又は地方公共団体が公共的目的をもって表示する広告物又はこの掲出物件」に該当しまして、許可、それから禁止地域等の規定の適用を除外されておりますので、表示面積につきましては特段の規制がございません。
○議長(浅井修一郎君) 中 拓哉君。
  〔中 拓哉君、登壇〕
○中 拓哉君 適用除外で面積の規制ないさかいええということなんですけど、やっぱり法律の目的、条例の目的に照らしたら、景観の維持とか、危なさをよけるとか、必要最小限だと言って民間の方にはいろいろ規制するわけですよね。その一方で役所やからええわと、これがなかなか私には理解できません。
 いろいろ調べてたら、これは和歌山市長さんの権限ですから、和歌山市長さんにどうぞ言うてくださいと、こんなことになるわけですね。あるいは、先ほど来、沿道の問題にしても、結局、事務は市町村なんですよ。県は、この看板屋さんの業者登録の事務は県がしますけど、実際にあんたの違反ですよ、どけませんか、やり直しませんかというのは、市の事務なんですけど、それを県ができるとする根拠というものがもしありましたらお示しください。
○議長(浅井修一郎君) 県土整備部長。
  〔森戸義貴君、登壇〕
○県土整備部長(森戸義貴君) ただいま議員から、県と市町村で役割分担をしていることについて御質問を頂戴しました。
 和歌山県では、住民に身近な行政はできる限り身近な市町村が担うことが望ましいという考え方のもとで、県と市町村の協議により合意が得られた事務について権限移譲を進めてきたところでございます。
 その結果でございますが、屋外広告物に関する事務については、住民の利便性の向上などの観点から、市町村が広告物の設置に係る許可や違反広告物に対する措置命令などの事務を行っていただいてございます。
 なお、県は、広域調整の観点から、制度の根幹となる条例や基準の改廃、業登録などの事務を行っているところでございます。
○議長(浅井修一郎君) 中 拓哉君。
  〔中 拓哉君、登壇〕
○中 拓哉君 今、部長言うてくれましたね。やっぱり市町村の事務なんですよ。だから、県の書類で事前審査するから先に県に持ってこいというようなことは、表現としては間違ってます。やっぱりどこまでも事前審査というか審査権は市町村にあるわけですから、問題あってこれええんかの、悪いんかのという基準になってきたら、県はそうやなと言って一緒に考えるのはあると思いますよ。市町村ずっとつながっていきますからね。あそこでこれがよかって、隣のまち行ったらあかんというようなことは不統一やから、県が相談に乗るということはいいかわかりませんけども、どこどこの書類で事前審査は県がするから言うてこいみたいなことは越権やと思うし、総務部長にお願いしたいのは、規制がないからええということではないと思うんですよ。あれ見てもうたらわかるように大きな看板で、裾のほうはバベで見えませんわ、大きさからしたらね。だから、30平米を守ろうと思うたら上の広さだけでも十分維持できるんですから、一度再考していただけたらなと、これはお願いでございます。よろしくお願いします。
 次に、地域共生社会の実現に向けてお尋ねいたします。
 平成21年2月議会の一般質問で、自殺予防、さまざまな相談業務の充実として、誰ひとり見捨てない相談員、担当者の設置を提案いたしました。当時の原副知事から、職員の意識改革に努める旨の答弁がありましたし、専門員の設置についてはさらに勉強するということでした。その後、知事は「一人も見捨てない和歌山県政」との表現でエッセイも書かれたりしておりました。
 あれから8年たちました。このほど国は、「我が事・丸ごと」地域共生社会実現本部を設置し、行政の力では対応し切れない複合的、重層的、包括的、総合的な支援、ダブルケア、トリプルケアの必要なケースが増加してくる少子高齢社会への対応として、公的支援の縦割りから丸ごと支援に、制度のはざまで見捨ておかれる、そういった人ごとから我が事として解決する仕組みを構築しようとしております。8年前の私の提案がようやくにして見えてきました。
 お互いさまで支え合い、困ってる人には大きな親切、大きなお世話、大きなおせっかいをお互いし合う社会が必要じゃないかなと思います。結婚のお世話、仕事探しのお世話、養子縁組あるいは里親のお世話、よその子のお世話、認知で徘回するお年寄りの見守りのお世話などなどです。
 今は他人事でも、あすは我が事なんです。それを丸ごと引き受けて最終の解決まで面倒を見る仕組みを構築すべきであると考えますが、最近の国の動向も踏まえて、県のお考えを福祉保健部長、お述べください。
○議長(浅井修一郎君) 福祉保健部長幸前裕之君。
  〔幸前裕之君、登壇〕
○福祉保健部長(幸前裕之君) 地域共生社会の構築についてお答え申し上げます。
 従来、公的な福祉サービスは、高齢者、障害者、子供といった対象者ごとのニーズに対し専門的なサービスを提供することで福祉の向上を図ってきたところですが、高齢化などによる地域の変容により、新たな複合的な、あるいは境界的な課題が生じています。
 このため、国においては、地域住民や地域の活動団体、社会福祉法人等が我が事として地域の生活課題を丸ごと受けとめ、公的機関と協働しながら、制度の垣根を越えて丸ごと支援していくという理念のもと、地域共生社会の実現に向け、社会福祉法や介護保険法等の改正案が通常国会に上程されています。
 具体的な施策としては、平成29年度において、複合的な課題にもワンストップで応じる分野横断的な相談体制の構築についてモデル事業が考えられており、また、高齢者と障害者に同一の事業所でサービスを提供する共生型サービスの創設についても改正案に盛り込まれているところです。
 そのほか、福祉や医療の専門資格を持つ人材の確保に向け、1人の人材が複数の資格を取りやすくなるよう共通の基礎課程の設置に向けた検討が進められるなど、今後5年間をめどにさまざまな制度改革が段階的に実施されていく予定です。
 県といたしましては、同じような問題意識を持ち、これまでも高齢者、障害者、児童福祉等の各専門分野でのきめ細かい相談支援を行う上に、支え合いのネットワークづくりとして、県及び市町村において福祉に関する総合相談窓口を設置するほか、民生委員、児童委員や地域見守り協力員等による重層的な見守り体制の構築等に努めてきたところです。
 今後、法改正が行われた際には、市町村に対し、地域共生社会の理念や市町村の役割などを十分周知するとともに、施策の実施に向けて働きかけ、引き続き地域共生社会の実現に取り組んでまいります。
○議長(浅井修一郎君) 中 拓哉君。
  〔中 拓哉君、登壇〕
○中 拓哉君 ありがとうございます。どうしても住民に一番近いところが市町村やから、そういうことになるんかわかりませんけども、私ら議員しててもいろんな相談を受けて、あっちこっちへ御相談に乗ってもらいます。
 しかし、それでその方が解決したかどうかということが、後でまたこうやったと言うてくれたらわかりますけども、ややもすると何かもう紹介することだけで終わってるような感じを受けますから、そうじゃなしにやっぱり、私も心しますけども、行政の方も相談を受けたら、相談乗ったけどどうやったんかなあ、こういう気持ちで、解決したかなあ、そういう気持ちで行政にお互い携わっていければなあ、こんなことを思いましたんで、お尋ねしたことです。「我が事・丸ごと」って非常にいい言葉やと思いますんで、心してやっていきたいなと思います。
 続きまして、総合診療科の設置についてお尋ねいたします。
 テレビ番組で興味深く見るものの1つに、NHKの「総合診療医ドクターG」というのがございます。新米の研修医が病名を診断するまで、迷ったり間違ったりそういうことをしながら、最終的には正しい診断に行き着く病名推理のエンターテインメントです。
 私自身も、15年前に急激に体重が落ちてきて、足に力が入らんと不安な日々を過ごしました。かかりつけのお医者さんに診てもらい、整形外科にも通い、いろいろ検査も受けました。ネットで調べたら、いろんな難病と言われるものの病気の症状に合致するもんですから非常に不安でございました。
 そういった折、整形外科の先生の紹介で県立医大の神経内科を紹介されて検査を受けたんですけど、そのうちに四肢が麻痺する決定的な症状が出まして、甲状腺機能亢進症、いわゆるバセドウ病との診断で、そのときの先生から「死ぬ病気ではないよ、薬で治る。私が診た患者の中には完治したプロ野球選手もいてるよ」、こうやって教授に言われたことが非常に救いとなり、安心したものでした。
 その後、内分泌代謝内科の先生のもとで投薬で完治いたしました。そんな経験から、この番組を見ていますと、ベテランの総合医の病名解明へのプロセスに引き込まれ、若いお医者さんたちが次々と気づいていく姿に思わず頑張れと声援を送りたくなります。
 最近の先進医療の進歩は目覚ましく、それはそれでいいことだと思いますけども、専門分野が細分化され過ぎて弊害も指摘されております。聞けば、患者さんが前に座っていても、パソコンの画面や映し出される血液検査の数値、MRI、CTの画像を見入るばっかりで患者を診ないお医者さんもいるやに仄聞します。
 最近、千葉大学や奈良医大を初め多くの大学病院にもこの総合診療部門を設置しておりますが、本県でもこういった多角的に診察してくれる総合診療医の、これからお医者さんの育成やら総合診療科の設置を推進すべきと考えますが、福祉保健部長、お答え願います。
○議長(浅井修一郎君) 福祉保健部長。
  〔幸前裕之君、登壇〕
○福祉保健部長(幸前裕之君) 総合診療科の設置についてお答えします。
 総合診療とは、特定の臓器や疾患に限定せず、日常的に頻度が高く幅広い領域の疾病等について、総合的な視点で診療を行うことです。医師の質の一層の向上を図ること等を目的として平成30年度から開始が予定されている新専門医制度の中でも、新たな専門領域として検討されるなど、総合診療を担う医師の必要性が認識されており、県内の病院でも総合診療医の研修プログラムの準備をしているところです。
 高齢者は複数の疾患を抱える場合が多く、高齢化が進む本県では総合診療医の需要が高くなることが見込まれ、今後、関係医療機関などと協議を行い、総合診療医の育成とともに総合診療科の設置について検討してまいります。
○議長(浅井修一郎君) 中 拓哉君。
  〔中 拓哉君、登壇〕
○中 拓哉君 ありがとうございます。検討していただいた上で、実施が進むことをこいねがいます。
 次に、集団食中毒についてお尋ねいたします。
 去る1月25日、御坊市給食センターで調理した給食のいそあえが原因で、800人余りの園児、児童、生徒、教職員らが下痢、嘔吐、発熱の症状を訴え、ノロウイルスGⅡによる集団食中毒事件が発生しました。関係機関の適切な指導で、その後の感染拡大もなく、きのうから給食も再開されたとのことでございます。
 一方、東京立川市でも1098人に及ぶ集団食中毒が発生し、直近のニュースでは大阪のノリ業者の刻みノリが原因ということが判明しましたけども、心配は絶えません。
 県内には、共同調理方式を採用している小中学校が167校もあり、油断はできません。食品・生活衛生課の食品衛生班としては、2月21日付で知事名で厚生労働省に対し、大量調理施設衛生管理マニュアルのただし書きの削除、すなわち調理従事者の調理食品の喫食の禁止を要望しました。あわせて、環境生活部長名で、県内保健所長に対しても同様に、調理従事者は当該施設で調理された食品の喫食を禁じました。あとは、教育委員会が学校給食衛生管理基準の運用を改めることで食中毒のリスクは低減すると思います。
 きょうもあしたも生徒の皆さんは給食を食べております。一刻も早く対応すべきと思慮しますが、教育長にお伺いいたします。
○議長(浅井修一郎君) 教育長宮下和己君。
  〔宮下和己君、登壇〕
○教育長(宮下和己君) 県教育委員会では、これまで安全で安心な学校給食を提供するため、文部科学省が定める学校給食衛生管理基準に基づき、食中毒発生や感染性胃腸炎の感染拡大の防止等について市町村教育委員会を指導してきたところですが、今回の食中毒が発生したことについては大変遺憾であります。
 今回のことを受けて、直後に再発防止のため、各市町村教育委員会に学校給食における衛生管理等について改めて徹底するよう通知いたしました。また、食中毒の原因究明を行うことが再発防止につながるという観点から、2月21日付で環境生活部が各保健所に発出した大量調理施設における調理従事者の調理食品の喫食についての通知を受けて、大量調理施設に当たる学校給食施設においては、調理従事者が調理した食品を喫食しないこととし、調理に従事しない栄養教諭等が喫食するよう指導してまいります。また、対象とならない学校給食施設においても、可能な限り運用できるよう指導してまいります。
 なお、本日、各市町村教育委員会の学校給食関係者を集め、調理従事者の喫食の取り扱い等、対策についての周知を行っております。さらに、今月末に調理従事者を含めた衛生管理研修会を開催し、衛生管理のより一層の徹底を図ってまいります。
○議長(浅井修一郎君) 中 拓哉君。
  〔中 拓哉君、登壇〕
○中 拓哉君 教育長、ありがとうございます。
 私もそうですけど、私のせがれなんかもやっぱり給食を楽しみにしてますんで、より安全な形でできればとお願い申し上げたいと思います。難しいとこあるかわかりませんけど、県のほうで喫食禁止という方向に踏み込んだんであれば、やっぱり学校の給食も300食以上のそういう調理施設ということになるわけですから、同じように歩調を合わせてやっていくべきじゃないかなと思いましたんで、お尋ねした次第でございます。
 次に、県中学校運動部活動指針と部活動の指導員についてお尋ねいたします。
 「盛岡の中学校の露台の欄干に最一度我を倚らしめ」、この碑は石川啄木の句でございます。
 私自身の中学時代の邂逅に思いをいたせば、「海南の中学校の剣道場 窓辺に最一度我を倚らしめ」、馥郁と漂うタチバナの香りに癒やされながら剣道の稽古に汗を流す毎日でございました。小学校の仲よしグループ連れ立って、一緒に剣道部に入ろらということで入部し、20人を超す希望者とともに、当時女の子の入部も2人ありましたことから、珍しいとのことで新聞にも掲載されました。
 初めて握る竹刀に胸躍らせたのもつかの間、3年生の先輩の激しいしごきにさらされて、骨折、打撲で重傷者続出の暴行事件となりました。このときの剣道の先生、非常に悩んでおりました。みんな次々と退部し、結局5人が残るだけで、何とか5人の団体戦には出場できましたけども、また私も何とか踏ん張って無事初段まではとることができました。
 この後、高校でも3年間剣道を続けましたが、やはり中学校のクラブ活動のあのしんどかったことが後の私の人間形成に大きな影響を与えましたし、あの当時の仲間との友情は今でも続いております。事ほどさように部活動の意義は深いものがあり、充実させる必要性は論をまちません。
 このほど県教育委員会では、中学校の運動部の指針をまとめ、中でも注目は休養日の設定と外部指導者導入の予算措置かと存じます。その内容をお示しの上、新入生や現役生、さらには保護者への周知徹底方、教育長、お答えいただけたらと思います。
○議長(浅井修一郎君) 教育長。
  〔宮下和己君、登壇〕
○教育長(宮下和己君) 和歌山県中学校運動部活動指針は、各中学校において、運動部活動が適正に行われるとともに、運営や指導方法のより一層の向上を図り、充実発展させるため作成したものです。
 この中で、特に生徒のバランスのとれた生活や思春期における健全な成長を確保するため、原則土日のどちらか1日は休養日とすることや練習時間の設定の徹底を初め、体罰の根絶とハラスメント等不祥事の防止、運営に係る経費の適正な執行、生徒が常に安全に活動できるよう指導管理体制を構築することなどを明確に示しております。
 本指針の周知につきましては、既に市町村教育委員会を訪問し、説明を行い、市町村教育委員会教育長会議や公立小中学校長会においても趣旨説明を行ってまいりました。県中学校体育連盟においても、本指針を受け、郡市の中学校体育連盟に対して周知徹底がなされております。
 また、県教育広報誌等に本指針の内容を取り上げ、保護者への啓発を行うとともに、各中学校には、入学説明会や各運動部ごとに生徒、保護者に説明し、理解を得るよう指導しております。本年4月以降は、各中学校の取り組み状況を把握した上で、必要に応じて市町村教育委員会を通じて指導し、定着させてまいります。
 さらに来年度は、退職教員等、地域で学校教育に理解があり、専門的な知識を持っている方々を部活動指導員と位置づけ、県内の約160の運動部に配置する事業として、現在予算をお願いしているところであります。このことにより教員の負担軽減を図るとともに、より安全かつ効果的な活動の確保を目指してまいります。
 このような取り組みにより、生徒の生涯スポーツにつながる礎を築くとともに、体力及び競技力の向上に努めてまいります。
○議長(浅井修一郎君) 中 拓哉君。
  〔中 拓哉君、登壇〕
○中 拓哉君 ありがとうございました。学力も大事ですし、体力も大事ですし、いろんな活動が大事やから、そのたびたびに私ら議員として教育のことにいろいろ意見を申し上げるわけですけども、教育の現場からしたら、そう一遍にいかんよ、なかなか難しいよ、そういうことが多々あろうかと思います。
 しかし、そういった中でも、今回、外部の指導員を置いてくれたり、週に1回休みやで、こういう指針が出たわけですから、何とか定着して浸透していってほしいなあ。というのは、やっぱり熱心な親にかかると、休まさんとどんどん練習させよというようなことにもなりかねませんし、また、別に休みら要らんよ、頑張りたいよ、こんなこともあるかもわかりません。
 しかし、その中で、あくまでも学校教育という一環の中でのクラブ活動だと、こういうことであれば、やはり生徒の将来、あるいは生徒の今の健康、そういったことも含めて結論出たんでしょうから、徹底してもらえたらな、かように思いますんで、よろしくお願い申し上げたいし、また私らも協力していければなあ、かように思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 当初、時間足らんかなと思って随分早口になったんですけど、まだ時間があるようなんで、最後に訪中の報告だけさせてもらいます。
 昨年10月23日から29日までの1週間、中華人民共和国広東省政府からの招聘を受け、何忠友副省長との面談、あるいは広東省人民対外友好協会成立60周年回顧と展望セミナーに参加するとともに、広東省公共外交協会との友好協力締結に関する覚書を交わしました。
 また、第3回広東21世紀海上シルクロード国際博覧会の開幕式に出席し、ローマからトルコ、中東、インド、タイ、ベトナムを経て広州に至る海のシルクロードの交易や文化の交流の歴史を学んでまいりました。この海上シルクロードの圏域の交流、これは今日のTPPやらいろんな貿易交渉なんかも見てましても、今日これからの発展については海のシルクロードという観点もまた新たな観点で大事になってくるんじゃないか、そんなことの啓発を受けましたし、考え、思索にふける経験を積んでまいりました。今後とも、ささやかではございますが、日中友好発展にこの身をささげてまいりたいと思います。
 また、冒頭、文化的なと申しましょうか、串本への寄港の問題を取り上げましてお尋ねさせてもらいました。おっしゃるように、まだまだ史実は少ないんかわかりませんけども、やはり研究を進めていく中で、本を読めば、当時のアメリカの関係者、出資者、指導者は、ケンドリックに日本とも交易してこいよというお手紙を出してますし、あるいはあの当時はほとんどがスペイン領だったもんですから、スペイン領にたどり着いたらこのアメリカの文書を見せてやっていけよ、あるいは拿捕できることがあったら拿捕していいよというような権限も与えております。そういった中でメダルも渡しております。そのメダルも出てきたら次の史実の解明につながるんではないか、そんなことを思います。
 何より、私も佐山さんの本を読んで感動したのは、キャプテン・ケンドリックではない、コマンダー・ケンドリックと書いている。ただ単なる船長ではなしに、軍の司令官の任務も経た上でのこの寄港であったということを学びましたんで、今後とも引き続き頑張ってまいりたいな、かように思います。
 以上をもちまして、この立派な議場での質問といたします。ありがとうございました。(拍手)
○議長(浅井修一郎君) 以上で、中拓哉君の質問が終了いたしました。
 これで、本日の質疑及び一般質問を終わります。
 明日は定刻より県庁の県議会議場において会議を開き、質疑及び一般質問を続行いたします。
 本日は、これをもって散会いたします。
  午後3時0分散会

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