平成27年2月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(向井嘉久藏議員の質疑及び一般質問)


平成27年2月 和歌山県議会定例会会議録

第4号(向井嘉久藏議員の質疑及び一般質問)


汎用性を考慮してJIS第1・2水準文字の範囲で表示しているため、会議録正本とは一部表記の異なるものがあります。

正しい表記は「人名等の正しい表記」をご覧ください。

 それでは、質疑及び一般質問を続行いたします。
 28番向井嘉久藏君。
  〔向井嘉久藏君、登壇〕(拍手)
○向井嘉久藏君 待ちチョロせんようにせな。もう長いこと待っていただきました。
 私、議会に送っていただいたのが、県会では平成5年でございました。自来、22年たちました。また、橋本市政では市議会で昭和55年に当選させていただいて、都合36年、この道で自分なりに頑張らしていただいたのでございます。
 当初から御支援いただきました支持者の方々、また私を陰から支えていただいた方々、また私にいろんなお教えをいただいた先輩諸氏、それから県にあっては、仮谷知事のときからでございました。以来、4人の知事と一緒に過ごさしていただいた。本当に思い起こせば感慨無量のことがございます。
 議員って一体何やろかと考えたときに、当局が出されたいろんな課題について、賛成、反対という意思表示をしとってええんやろうか、議員という仕事はただそれだけでいいんやろうかというふうにも思えて、自分なりにも個人的にいろんなことをさしていただいております。
 初めて市議会に当選さしてもらった昭和55年、そのときの同僚でございました県議会の先輩・塙坂さんが市長選に出るんやというお話でございました。若かったんでしょう。やろうかと言うて振り返ったら、市会議員が私1人でございました。しかし、そんな中で、自分なりに一生懸命応援さしていただいた。
 そして、塙坂さん、見事当選しました。そのときに、「塙坂さん、あなたを応援さしていただくんやけど、橋本には野球するとこがないんよ。何とかこれをつくってもらえれへんか。そしたら一生懸命やりますよ」というふうなことで、紀の川の中の河川敷を国交省から──前の建設省ですが──お借りして、面積が12万平方メートルありましたが、そこをお借りして、今、南馬場河川敷の運動公園として、橋本の野球、それからサッカーの競技に使っておりますが、ここが、ことし秋に開かれます国体のソフトボールの会場になるというふうなことでございます。
 また、私、平成5年に県議会へ初めて当選さしていただいて──中途半端なときでしたが、補欠選挙でございましたんで、そのときに当選さしていただいて、そしたらすぐにその夏に全国都道府県の議員野球がございまして、徳島で大会がありまして、そのときに図らずもバッテリーを組んだのが、今、国会議員しております石田真敏君でございました。そのときに、きょう選管の委員としてそこに座っておられます下川さんもメンバーでございまして、強力なメンバーで──私が入ったからというんじゃないですが──優勝さしていただいた。そのときに知事が、ようやってくれたということで、議員会館で祝勝会をやってくれたんです。それで、そのときに知事が、「向井さん、何ぞ最高殊勲選手賞をやらなあかんな」と、こう言うてくれたんで、「悪いけど、橋本に体育館をくれへんか」と言うたのが始まりでございました。
 そして、平成12年9月に県立橋本体育館が竣工いたしました。今、この体育館が橋本・伊都地方の文化とスポーツの発信基地になっております。この体育館が、またこの国体でバレーの会場となるわけでございます。夢を持って何事も当たれば夢は実現するんやなあということを初めて知りました。自来、私は、しっかりと夢を見ながらこの県政に携わってきたつもりでございます。
 平成8年でございました。今、もうベテランの議員の方しか記憶にないと思うんですが、橋本で産業廃棄物の大変なダイオキシン問題の絡んだ問題が起こりました。私は、この議場で、毎回──8年間、質問を続けました。
 当初、私は、和歌山県の施政に物すごく不満を持っておりました。担当の部長は、「貴重な血税を使って、こういうことの解決に向けて金を使うつもりはありませんよ」、ここまで発言されたんです。しかし、8年間、地元の皆さん方と一緒に、毎月1回、顧問弁護士の勉強会にも出席し、頑張らしていただいたつもりでございます。
 廃掃法という法律がございました。私は、1回目の質問のときに当局から答弁されるんですが、言葉の意味がようわからなんだ。そんな中で、勉強会に出席して勉強さしていただいた中で、ベテランの議員から、「実は、向井さん、俺とこの近所で、今度、産廃場をするっていうんやけども、おまえ、講師に来てちょっと話してくれへんか」と言われたことがございまして、行ってきました。そして、いろいろお話をさしていただいた。
 そんな中で、だんだんだんだん当局の皆さん方の御協力を得て、平成16年、解決を見たのでございますが、その場所は依然として迷惑な施設としてあるわけです。毎年、県も水質検査をずっと行っていただいております。そこが、今、ソーラーの発電システムの場所として太陽光発電の設備ができてるというのを思えば、年月というのは早いもんやなあというふうにも思うわけでございます。
 しかし、いずれにしましても、議員ていうのは本当に夢を持って頑張らないかんなという思いでございます。私、近く、今任期をもって引退さしていただくんですが、本当に大勢の皆さんに御迷惑をかけながら、また御指導いただきながら、22年間、県議会の議員の一員としてこられたことを厚く御礼申し上げたいと存じます。
 このお話をするに当たって、私、いろいろ、どんなことを申し上げてええんかなというふうなことを思っておりました。しかし、私の22年間、また市議会を入れると36年の思いを聞いていただいて、「そうや、向井も頑張ったんやから俺らも頑張ったらいけるよ」、「あいつがやれたんやからやれるよ」という思いをもう1つ持っていただけたら幸いかというふうに思うのでございます。
 私、当初申し上げましたように、議員というのは賛成したり反対したりしとったらええんかなという思いで、何かまちのお役に立ちたいというふうに思っておりました。私、議員になった当初から、私のキャッチフレーズというんですか、それは「ふるさとの元気が一番」ということでございまして、これは何事にも通じるもんやないかなというふうに思っております。
 もう10数年前でございましたが、橋本は何にも名所のないとこやと、そやから名所をつくったらええん違うかという思いで、橋本桜一万本の会というNPO法人を立ち上げさしていただいた。去年で4500本の桜の植栽が終わりました。
 もう1つは、もっとまちの中にホタルが飛んだらええなあというふうなことで、まちの、橋本の中を流れる橋本川にホタルを飛ばそうということで、同志相寄ってホタルの養殖から始めました。今、まだホタルが乱舞するというとこまではいきませんが、来ていただいたら、ホタル飛んどるなあというとこまでこぎつけました。ホタルの餌でありますカワニナ、これも育てて毎年放流しております。そういうことが自分自身の気持ちで橋本市の役に立っとん違うんかいな、立たしていただいてるん違うかなと、こういう思いでございました。
 もう1つ、最近やったのはFMラジオでございました。これとても自分のためじゃない。私を支援していただくいろんな方、また東京へ出ている方々にお話しさしていただいたら、「これは、向井さん、絶対やらなあかんで。地元の発展にきっとつながるもんやから、しんどても一生懸命やりよ。応援するで」、こういう温かい言葉をいただいて、一昨年開局して、FMはしもと、816で電波を流さしていただきました。おかげさまで何とか2年、もうじき経過するわけでございますが、潰れやんと済むぐらいになってきました。枝葉が伸びて、根がしっかり張ってきたんかなというふうに思っております。しっかりと地元の情報、ニュースを伝え、また1つ、大変な災害が起こったときには、本当に地元の皆さんに適切な情報をしっかりと伝えていきたい、そういう思いで立ち上げたものですから、和歌山県と防災協定をさしていただいた、またNHKと防災協定をさしていただいた、それから地元の自治体、橋本、かつらぎ、九度山と防災協定をさしていただいた。それで、防災協定したからには、一朝事あるときにはスムーズに情報を届けたいということで訓練もさしていただいてる。「備えあれば憂いなし」でございます。そういうことで、しっかりしたものにしていきたいと思います。
 私は、きょう、和歌山県の県の施策についてというふうに、知事に1問だけ申し上げております。本来なら、各関係の部長さん、また教育長さんにお伺いするわけでございますが、余りに長くなってはいけませんので、知事にお伺いしたいと思っております。
 今、NHKの大河ドラマで「花燃ゆ」という、吉田松陰の妹さんの文さんの話でございますが、この中で、吉田松陰の言葉──名言、格言、いろいろございますが、その中で、私、一番好きな言葉を皆さんに御披露さしていただきたいと思うんです。こういうことを吉田松陰は言っております。「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。ゆえに、夢なき者に成功なし」、こういう言葉を吉田松陰が言っております。
 私は、和歌山県に、夢を持って県民に夢を見せる、そういう施策をしっかりとやっていただきたい、こういうふうに思うんです。国が決めたから、和歌山県としてその決めたものを新しい施策としてやる、これも大事でしょう。しかし、どこも考えてないけども、国を動かしてでも和歌山県独自のものをつくるんやということをぜひやっていただきたいというふうに思うのでございます。
 新しく事業を起こすというのは、国の予算づけがない事業というのは非常に苦しいもんでございますが、しかし、和歌山県独自の、和歌山へ行ったらこんな勉強できるやないか、こういう施策をぜひお願いしたいと思うのでございます。特段、これをやってもらいたい、あれをやってもらいたい、今、私にはもう思いつきませんが、ぜひそういう意味の新しい施策を打ち出していただきたいというふうに思います。
 朝、少し話が出たんですが、この間、2月の20日の金曜日、NHKのテレビを見ておりますと、「プロフェッショナル」という番組がございます。私は、もうこれが好きで、録画してずうっと見てるんですが、その中で特に印象に残ったのが、この20日に「もてなしの心、どこまでも」ということで放送されておりました。
 これ、阿部佳さんという超一流の東京のホテルのコンシェルジュ──これ、どこの言葉か知りませんが、フランス語かいなと思うんやけど──まあ言うたら1人のホテルの受付におるいろいろ案内する人ですね。このテレビの放送内容を見ますと、ほとんどが外国人相手ですね。ごらんになった方も大勢おられると思うんですが、中に、富士山へ登りたいとか、それから、お風呂にバラいっぱいを浮かべてその中につかりたい、そういうお風呂に入りたいというふうないろんな、1日に300件ほどの話があるらしいです。
 普通、富士山に登りたいと言ったら、ああ、富士山へ行くにはこうです、ここまでだと思うんですが、その方は、時間を見て、富士山へ行くのは日程的に無理やから富士山をよく見れる箱根へどうですか、そしたら箱根のここのホテルへどうですか、車の用意はこういうふうに整えさしていただきます、こういうことをやってるらしいです。このコンシェルジュは、この阿部さんは、世界的に認定された日本に1人しかいない方だそうでございます。
 この方の言うてくれとるのは、「ようこそ日本へ、よう来てくれました」と。だから心からのもてなしをします。しかし、普通、どこでも心からのもてなしはしとるわけでございます。それ以上の、相手の心を読む、先々読んで、こういうことをさしていただいたら喜んでいただけるんじゃないかという、相手の身になった提案をされるらしいです。それと攻めのおもてなし。次に森礼子さんがおもてなしについて質問されるようでございますが、攻めのおもてなし。ただもてなしたんじゃなくして、その方に本当に喜んでもらえるもてなしをする、こういうことが大事ですよというふうにおっしゃってます。
 私は、県政を預かる者、また施政を預かる者の本当の職員としてのあり方というのは、県民、市民、町民、村民の心を先にわしづかみにしてしっかりと応対する、人と人とのつながりをしっかり持つ、それが一番大事であって、要望があっても、できてもできなくても一生懸命取り組んでいただける姿を見せることによって住民は十分満足していただけるんではないか、こういう部分もあるんではないかというふうに思ってございます。
 そういう意味で、知事に、県民にしっかりと夢を持ってもらえるような新しい施策をどんどん打っていただきたい。もう1つは、もてなしの心、これは行政にも言えることです。相手の心にもう1つ踏み込んで対応していただく、これこそが県民と一体になった行政ではなかろうかというふうに思うわけでございます。
 私、こういうことを言うておこがましいんでありますが、最後に去る者の言葉やというてお許しいただきたいというふうに思うのでございます。
 最後になりますが、本当に私の36年間の政治生活をお支えいただきました皆さん方、また関係の各位に心からなる御礼を申し上げます。
 また、議場におられる同士の皆さん方に1つだけお願い申し上げておきます。
 和歌山県は野球王国です。その野球王国、どうぞ、議会から、もう野球をやめとこうやということを言わんといてほしい。負けてもいいじゃないですか。弱てもええやないの。しっかりと全国大会に出て、やっぱり和歌山県は野球王国やなあ、出てくるやん、頑張っとるやん、こういう姿を見せていただきたい。これを最後にお願い申し上げときたい。これ、私の遺言みたいになりますけども、どうぞかなえていただきますようにお願い申し上げます。
 長いこと、皆さん方にいろいろとお世話になりました。本当にありがとうございます。いろいろ御迷惑かけたこともあろうと思いますが、どうぞ去り行く者のたわ言ということでお許しいただきたい、このように思います。まことに辛抱して聞いていただきましてありがとうございます。どうぞ今後とも皆さんの御活躍、心からお祈り申し上げまして、私の一般質問とさしていただきます。ありがとうございました。(拍手)
○議長(坂本 登君) ただいまの向井嘉久藏君の質問に対する答弁を求めます。
 知事仁坂吉伸君。
  〔仁坂吉伸君、登壇〕
○知事(仁坂吉伸君) 全国のモデルとなるような和歌山独自の施策を考えて、夢を語って取り組んでほしいとの御質問でございました。私の考えるところを申し上げさしていただきたいと思います。
 私は、和歌山が必要としてることはやったらよいので、それほど、独自でなければいけないとか、あるいは一番先にやらなきゃいけないとか、そういう野心を持ってるわけではありません。しかし、国が言うからそうしようだけの県政では余りにも情けないというふうに思います。国とは役割の異なる県政を県民に託されているのでありますから、自分で夢を見て、そして自分で考えて、そして県政をやりたいと、そういうふうに思っております。
 和歌山県は、とりわけ少子高齢化、過疎化、都市の再生など、多くの課題を抱えておりまして、これらは多少とも日本共通の課題ですけれども、しかし、一番先鋭化された形であらわれているというのが和歌山県ではないかというふうに思います。
 そういう意味で、私は、例えば紀伊半島大水害からの迅速な復興など、危機に見舞われたときに発揮された強靱な県民の精神力、また進取の気風に富む県民性などを生かし、何よりも現場で問題に直面されている方々とともに問題解決の方向性を全国に先駆けて見出していこうと考えております。
 例えば過疎地域の活性化につきましては、地元住民の方々が寄合会で話し合って、主体性を持ってみずから決めた活性化の取り組みを県や市町村が支援をする過疎集落支援総合対策事業を県単独で始めましたが、今ではその成果が評価され、総務省の支援事業として全国展開されるようになりました。
 また、県民の安全につきまして、現在、大きな社会問題となっている危険ドラッグの規制を県で先鞭をつけた危険ドラッグ対策条例は、他府県の条例の見本となっただけではなくて、今回の薬事法改正による規制強化につながったものと考えております。
 防災面では、県独自の避難勧告などの発令基準や津波の際のリスク別の避難場所指定基準が国の全国的な基準に取り入れられました。
 このほか、廃屋の撤去条例など、和歌山発の全国モデルと呼ばれるようなものがふえてきております。
 また、これはこれからでございますけども、都市の再生というのが立派にできますれば、これはまた新しい和歌山モデルになっていくんじゃないか、そういうふうにも思っております。
 今後も、このような県独自の政策を進めていくとともに、国の施策等はもちろん使えるものは活用して、県の財政の節約に努めて、これらと組み合わせていくことで課題解決に向けて頑張りたい、県民の代表たる県議会の皆様方と一緒になって和歌山をさらに元気にするために取り組んでまいりたいと思います。
 向井議員は、今期で引退の御意向でありますけれども、私の知事就任以前から、そして就任をしてからは、特に温かい心で御指導いただきました。私が就任さしていただいたときに議長を務めておられたというふうに思います。本当に感謝しております。長い間の県政への御尽力、まことにありがとうございました。
 県政の改革は、これからも続きます。向井議員におかれましては、健康に留意され、今後とも県政の御意見番として、どうぞ引き続き御指導くださいますようにお願い申し上げます。
○議長(坂本 登君) 以上で、向井嘉久藏君の質問が終了いたしました。

このページの先頭へ