平成17年9月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(尾崎太郎議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

  午後一時二分再開
○副議長(大沢広太郎君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。
 質疑及び一般質問を続行いたします。
 二番尾崎太郎君。
  〔尾崎太郎君、登壇〕(拍手)
○尾崎太郎君 議長の許可を得ましたので、一般質問をいたします。
 教科書の採択作業が終わりました。本県においても、関係各位の御努力により、さしたる混乱もなく採択が行われたことに感謝申し上げる次第であります。結果につきましては、私どもにとりまして決して満足できるものではありませんでしたが、四年後に向け、決意を新たにしているところでございます。
 さて、六月議会におきまして、雑賀議員が扶桑社の歴史教科書に関連して、靖国神社の歴史観の是非を論じられました。議員間の議論が深まることはよいことだと思いますので、本年は戦後六十年の節目の年でもあります、私もこの場をおかりして論じてみたいと思います。
 ことし出版された高橋哲哉氏の「靖国問題」は、この種の本としては珍しく版を重ねているようであります。高橋氏は、靖国神社は感情の錬金術のシステムであり、戦死者の遺族の悲しみを喜びに変えてしまうのが靖国信仰であるとしています。靖国神社は、国民が進んで国家に命をささげるような戦死者を顕彰する施設だったとするのです。さらに、この本の結論は、私なりに要約すれば、そんな一種のトリックである追悼などは新たな戦争につながるからやめましょう、軍事力を持つことも戦争につながるからやめましょうとなるのです。何たる脳天気でありましょうか。戦争や紛争、犯罪は存在するという厳然たる事実を受けとめられずして、何の男子でありましょうや。
 私は以前の一般質問で、警察官や自衛官といった、時には生命を賭して任務に当たらねばならない人々に対しては、感謝と畏敬の念を抱くべきだと主張しました。およそ社会というものは、彼らのような存在なくしては存立し得ないのは自明の理だからであります。
 高橋氏の理屈は、命をかける警察官や自衛官がいなければ犯罪も戦争もなくなるのにと言っているようなものであります。だれでも死にたくはないし、自分をだれよりも愛してくれる親もいれば、自分がだれよりも愛している我が子もいる。妻も、あるいは恋人もいるでしょう。しかし、さまざまな思いに何とか折り合いをつけ、あえて喜んでと運命と任務を引き受けるますらおに我々は涙するのです。それを感情の錬金術のシステムだと言えば言えなくもないでしょうが、高貴なる精神を余りにも冒涜した物言いであります。
 靖国信仰とは、我が国古来の神社崇拝、独特の生死観、習俗に立脚した追悼、顕彰の様式を明治政府が近代国家として引き継いだものであり、決して一朝一夕にできたものではありません。であればこそ、日本人は靖国神社にお参りしたときに英霊の存在を感じることができるのです。
 国立追悼施設というようなものをつくろうとする動きがありますが、全くのナンセンスであります。墓地ですらない施設などという無機質なものにどんな物語があるというのか、そんなところでどうして死者と魂の交流をすることができるというのか、全く理解に苦しみます。そもそも、一体だれのための施設だというのでしょうか。
 英国の保守思想家であるチェスタトンは、縦の民主主義を説きました。これは、先祖であればどう考えるであろうかという見地を入れた民主主義であり、言いかえるならば死者の民主主義であります。そして、それこそが伝統を重んじるということとしました。
 我々の生は我々だけで成り立っているのでもなければ、我々だけのものでもありません。文明の本質は継承であります。我々の都合だけで物事を決め、死者の声なき声に耳を澄ますことができぬようでは、早晩、日本文明は衰亡を余儀なくされるでありましょう。
 靖国神社に参拝することは問題ない、A級戦犯が合祀されていることが問題なのだとする意見があります。しからば、A級戦犯を裁いた極東軍事裁判、いわゆる東京裁判とはいかなる裁判であったのでしょうか。一言で言って東京裁判とは、勝者による敗者に対する復讐劇以外の何物でもありません。
 A級戦犯とは、平和に対する罪という当時の国際法には存在していなかった罪により起訴され、東京裁判で裁かれ有罪とされた方々を、通常の戦争犯罪を犯したとされた方々、いわゆるB・C級戦犯と区別して呼んだものであり、罪の軽重で区別したものではありません。ちなみに、B級戦犯とは捕虜の虐待や民間人の殺害などを命令したとされた方々、C級戦犯は命令を受けて実行したとされる方々であります。
 東京裁判の本質とは、インドのラダ・ビノード・パール判事の次のような言葉がよくあらわしております。「勝者によって今日与えられた犯罪の定義に従っていわゆる裁判を行うことは、敗戦者を即時殺りくした昔と我々の時代との間に横たわるところの数世紀にわたる文明を抹殺するものである。かようにして定められた法律に照らして行われる裁判は、復讐の欲望を満たすために法的手続を踏んでいるかのようなふりをするものにほかならない。それは、いやしくも正義の観念とは全然合致しないものである」。
 昭和二十二年五月十三日開廷、第四日の公判で、日本弁護団副団長清瀬一郎弁護人が提出した裁判所の管轄権──この場合は、平和に対する罪を裁く権限のことですが──をめぐる動議に対しウェッブ裁判長は、その理由は将来に宣告するとし、ついにこれを宣告することはありませんでした。というより、宣告することができなかったと言った方がよいかもしれません。実はウェッブは、裁判長に就任する前、東京裁判について、「国際法に基づく厳密なやり方をあきらめて、特別法廷で蛮行とも言える見せ物的な公開裁判を行うべきではない」と主張していたのです。罪刑法定主義、法の不遡及は法学のイロハ以前であります。
 また、清瀬弁護人は冒頭陳述において、満州事変、支那事変、大東亜戦争の原因は同じではないということを力説し、検察官の主張する一九二八年から一九四五年に一貫して我が国がアジアを侵略して支配下に置くためにA級戦犯たちがなしたとされる共同謀議を否定しました。しかし、この共同謀議史観は、その後、左翼思想家たちのリニューアルにより、十五年戦争史観となって我が国を呪縛し続けています。共同謀議と言いますが、この間、一体どれだけの内閣が入れかわっているのか。高校の歴史教科書でもひもとけばわかりそうなものであります。
 我が国は、今も戦前も立憲君主国であり、憲法の定めるところにより国会は機能していたのであり、東条英機内閣ですら議会の反発により総辞職に追い込まれております。
 A級戦犯とされた方の一人、荒木貞夫陸軍大将は、「軍部は突っ走ると言い、政治家が困ると言い、北だ、南だと国内はがたがたで、おかげでろくに計画もできずに戦争になってしまった。それを共同謀議などとはお恥ずかしいくらいのものだ」と述べています。仮に共同謀議なるものが存在していたならば、我が国ももう少しましな戦争遂行ができたことでありましょう。
 最近、共同謀議、十五年戦争史観を払拭する上で大変重要な本の完訳が出版されました。満州国皇帝となる清朝最後の皇帝、宣統帝溥儀の家庭教師であったレジナルド・ジョンストンが書いた「紫禁城の黄昏」です。大ヒットした「ラストエンペラー」という映画の原作であります。
 東京裁判では、溥儀自身が真実の記録であるとする序文を寄せた本書をアメリカ人弁護人ブレークニー少佐が弁護側資料として提出していますが、理不尽な理由で却下されています。この完訳本の監修者である渡部昇一先生は前書きで、「この本が東京裁判で証拠書類として採用されていたら、あのような裁判は成立しなかったであろう」と書いています。私も一読してみて、その意味がよく分かりました。
 満州族は漢民族とは違った民族であり、清は満州族が中国を征服して建てた王朝で、清朝は漢人が満州に入ることを禁じていました。一方、力の衰えた清は満州を管理できず、日露戦争前には満州はほとんどロシアの影響下にあり、もし日露戦争に日本が勝たなければ満州全土がロシアの一部になっていたということは全く疑う余地はない。日本はロシアからかち取った権益や特権は保持したものの、領土はロシアにもぎ取られた政府の手に返してやったのであり、その政府とは満州王朝の政府である。ところが、いつの間にか満州は中国の領土とされてしまいます。そこでジョンストンは、「遅かれ早かれ、日本が満州の地で二度も戦争をして獲得した莫大な権益を支那の侵略から守るために積極的な行動に出ざるを得なくなる日が必ず訪れると確信する者は大勢いた」と書くのです。要するに、日本が満州を侵略したのではなく、歴史的に見て決して中国の領土ではない、当時、ノーマンズランド、無主の土地と欧米では呼ばれていた満州の地に日本が確立した権益を中国が侵略したと言うのです。目からうろこが落ちるとは、このことであります。さらにジョンストンは、「支那人は、日本人が皇帝を誘拐し、その意思に反して連れ去ったように見せかけようと躍起になっていた。だが、それは真っ赤なうそである」とも書いています。果たして、単純に日本が満州を侵略したと言えるのでしょうか。
 パール判事の判決書の最後の部分は、「時が熱狂と偏見を和らげた暁には、また理性が虚偽からその仮面をはぎ取った暁には、そのときこそ正義の女神はそのはかりを平衡に保ちながら過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するであろう」という、まさに歴史的名文であります。
 既に、極東軍事裁判所条例という行政命令を出し、東京裁判を根拠づけたマッカーサー自身が、一九五一年、昭和二十六年五月三日、米国上院軍事外交合同委員会において、「Their purpose,therefore,in going to war was largely dictated by security.(したがって、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです)」と証言しています。みずから東京裁判は誤りであったと認めたようなものであります。にもかかわらず、サンフランシスコ講和条約で日本は国際社会に復帰した、その十一条には日本は東京裁判を受け入れると書いてあるとする意見が、残念ながら流布しているようであります。これに対して、この条文は「Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East」であり、日本は「accepts the judgments」、すなわち諸判決を受け入れたにすぎないのであって決して裁判全体を認めたわけではない、「judgments」を「裁判」と訳すのは誤訳である、この条文の趣旨は、日本が独立回復後、刑の執行を勝手に停止して戦犯を釈放してしまわないようにするためのものだとする、非常に説得力のある解釈が出てきております。
 昭和二十七年の独立回復後、四千万人を超える署名を背景に、受刑者の釈放を求める国会決議が何度も可決されております。昭和二十七年十二月九日の衆議院本会議においては、発議に当たり、社会党の古屋貞雄議員は、「敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追究するということは、正義の立場から考えましても、基本的人権尊重の立場から考えましても、公平な観点から考えましても、私は断じて承服できないところであります」「世界人類の中で最も残虐であった広島、長崎の残虐行為をよそにして、これに比較するならば問題にならぬような理由をもって戦犯を処分することは、断じてわが日本国民の承服しないところであります」と主張し、圧倒的多数で可決されております。さらに翌年、昭和二十八年には、A級戦犯も含めてすべての戦死者を国に殉じた戦没者として認め、その遺族には等しく扶助料、恩給を支給することを全会一致で可決しております。これらのことを見れば、当時の我が国議会や国民は、東京裁判の正当性を受け入れたとは到底言えないのではないでしょうか。
 我が国は昭和二十七年十月十一日、A級戦犯十二名を含むすべての戦犯の赦免を条約に基づき関係各国に勧告し、昭和三十三年五月三十日までに全員が釈放されております。A級戦犯とされていた重光葵は鳩山内閣の外務大臣となり、同じく賀屋興宣は池田内閣の法務大臣となりました。彼らはA級戦犯ではなくなりました。当然であります。しかし、処刑された七名は、何ゆえいまだにA級戦犯とされ続けなければならないのか。七名は、それぞれ政府や軍の指導的立場の人たちでありました。したがって、未曾有の惨禍をもたらしたさきの大戦の結果責任を問う声があることは理解できますし、A級戦犯以外の指導的立場にあった人も含めて、それは必要なことでもありましょう。ただ、彼らはその責任を深く自覚していたであろうことは間違いありません。「戦争に敗れたる責任、罪、万死に値す」、これは板垣征四郎が獄中で日記に記した言葉です。また東条英機は、東京裁判の宣誓供述書において、「敗戦の責任については、当時の総理大臣たりし私の責任であります」と明言しております。
 また、B・C級戦犯としては、九百一名がずさんきわまりない裁判の結果、処刑されており、病死、自決などの死者を加えると、B・C級戦犯の死者は実に千五十四名にもなります。A級戦犯の死者十四名と合わせて、このことを我々はどのように受けとめるべきなのでありましょうか。あのような大戦争の後で和平を開くためには、勝者にはこれほどの命をささげなければならなかったのかもしれません。そうであるならば、我が国の人柱となられた方々には靖国にお鎮まりいただき、我々はただただ感謝の誠をささげるのみであります。
 時は過ぎ、熱狂は冷めました。平成十三年には横田空軍基地の将校会や在日米軍太平洋軍司令官が靖国神社を参拝しておりますし、最近ではブッシュ大統領に参拝の意向があったと仄聞しております。今ごろになって、ためにする反日の熱狂に取りつかれている国におもねり、靖国の英霊にこうべを垂れることにちゅうちょする必要は全くないのであります。
 「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した」、タイ、ククリット・プラモート元首相。「大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」、インドネシア、モハメッド・ナチール元首相。「この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた」、インド、ラダ・クリシュナン大統領。「往時、アジア諸民族の中で日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として仰ぎ見た」、スリランカ、J・R・ジャヤワルダナ大統領。「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない」、ビルマ、バー・モウ元首相。
 日本が無謬であったなどとは言いません。当時も、そして今も、無謬であるはずがありません。反省すべき点はあります。それでもなお、帝国主義全盛の時代、アジアの東の端の小国が怒濤のような世界史のダイナミズムに翻弄されながらも懸命にみずからの独立を保とうとした営み、それが我が国の近代史であります。その営みの上に我々の今があることを忘れてはならないのです。ちなみに、ことしの八月十五日には、実に二十万五千人を超える国民が靖国神社に参拝しております。
 以上申し述べましたことから、靖国神社の歴史観は必ずしも誤ったものであるとは言えず、それはそれで尊重すべきものであると考えます。ただし、私が読んだ限りでは、扶桑社の歴史教科書は靖国神社の歴史観とはかなり隔たりがあるように思います。しかし、共通しているものは、祖国日本に対する温かいまなざしではないでしょうか。私は、それこそを大切にしたいと思います。
 さて、冒頭申しましたとおり、教科書の採択作業は終わりました。よりよい採択環境の構築に向けて、県民の皆様から寄せられました声をもとに、幾つかの提言、質問をいたします。
 文部科学省は、新規採択のための検定済み教科書の展示会を各都道府県教育委員会の責任で開催するよう指示いたしております。その際行われておりますアンケートについては、各都道府県教育委員会の自主性に任されているところであります。まず、このアンケートについてお尋ねいたします。
 第一点、本県はいかなる目的でこのアンケートを行っているのか。
 第二点、このアンケートは表題が「教科書展示に関するアンケート」となっております。このアンケートは、単に教科書の展示の仕方に対する意見だけを聞くためにするのでしょうか。せっかく教科書を読み比べていただくわけですから、教科書の内容についての御意見という欄を設けてはどうなのか。
 第三点、回答者のところは一般と教育関係者に分かれ、教育関係者のみさらに五種類に分類されているのはどういう意図からであるのか。
 第四点、より有用なアンケートをふやすため、「無記名でもよい」と明記の上で署名欄を設けてはどうか。
 第五点、アンケートはナンバリングの上、会場名を入れてはどうか。
 第六点、個人情報保護の点からも、アンケート回収箱はかぎつきのものにしてはどうか。
 次に、教科用図書選定資料についてお尋ねします。
 本県では、この資料は採択作業終了まで非公開となっています。しかし、せっかく教科書の展示会を行っているのですから、一般県民の皆様にも教科書を比較検討する上で参考になる教科用図書選定資料を参照していただくことは極めて有意義であると考えます。ちなみに、東京都教育委員会は採択作業前に公開しております。教科用図書選定資料は教科書展示会場に備えるべきだと思うが、いかがか。
 次に、平成十四年八月三十日付文部科学省初等中等教育局長通知の「第二部 教科書採択の改善について」、第三項「その他」は、「保護者や地域住民の教科書に対する関心は、採択によって終わるものでなく、実際に教科書が学校で使用され始めてからも引き続き高いものである。また、教員や児童生徒にとっても、自ら使用している教科書のみでなく、他の種類の教科書や異学年・異学校種の教科書を手に取ることは、教員による教材研究や児童生徒による学習の深化・発展に資するなど、大変意義のあることである。 このため、保護者や教員、児童生徒が、採択の時のみならず、常時、様々な種類の教科書を手に取り得る環境を整備していくことが大切であり、各教育委員会は、今後、各学校の図書館や公立図書館に多数の教科書を整備していくよう努めていくことが必要である」となっておりますが、現実にはなかなか実現に至っておりません。そこで、教育委員の方々に採択作業のために配布されている見本本の有効利用を考えてみてはどうでしょうか。
 そこで、お尋ねします。
 これらの見本本は、検定作業後、どのような取り扱いになっているのか。県教育委員会が音頭をとって各学校の図書館や公立図書館にこれらの見本本を整備できるよう働きかけることはできないものなのか。最後に、展示会場は本県の広さに比して数が少な過ぎたのではないでしょうか。特に合併地区などは旧市町村等へ配慮すべきだと思うが、いかがか。
 以上、教育長にお尋ねして、質問といたします。
○副議長(大沢広太郎君) ただいまの尾崎太郎君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 教育長小関洋治君。
  〔小関洋治君、登壇〕
○教育長(小関洋治君) 尾崎議員の教科書採択に関連した御質問にお答えします。
 まず、各地の教科書展示会場で実施いたしましたアンケートは、県民の教科書に対する関心にこたえるとともに、教科書の内容等について広く意見をいただくために実施いたしました。今後、教科書採択事務や教科書展示会の運営等に反映させていくため、議員御指摘のアンケートの様式や内容、さらに回収方法のあり方等について検討してまいります。
 次に、教科書を採択するため作成した教科用図書選定資料は、本年度から教科書採択の事務終了後、県情報公開コーナーで閲覧できるよう改善したところであり、より有効な活用についてさらに検討してまいります。
 次に、教科書の見本本は、多くの人たちに見ていただくため、展示期間が終了した後も引き続きほとんどの会場にそのまま置かれており、教員の教材研究などにも利用されている実態がございます。今後、教員や児童生徒、さらに多くの地域住民が学校や図書館でさまざまな種類の教科書を手にとって見ることができるよう、各市町村教育委員会に働きかけてまいります。
 最後に、教科書の展示会場は、本年度は二十カ所──固定会場十七カ所及び移動会場三カ所に設置したところであります。今後、さらにこの会場数をふやすよう努めてまいります。
○副議長(大沢広太郎君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 二番尾崎太郎君。
○尾崎太郎君 まず、教科書展示会場におけるアンケートについてでありますけれども、答弁で、このアンケートは教科書の内容等について広く意見をいただくという答弁がございました。もし教科書の内容についていろんな県民の皆様の御意見をいただくという目的であるならば、やはりその目的に合ったアンケートの様式を考えるべきだと提案をさしていただきたいと思います。これは提言であります。
 それから、教科用図書選定資料。これは、専門家でも何も持たずにいろんな種類の教科書を読み比べるということは、現実にはこれはかなりの手間暇がかかりまして、何のガイドブック、指針もなしに教科書を比較するということはなかなかできないわけであります。ですから、一般の県民の皆様にも展示会場に足を運んでいただいたときに、ぜひとも指針となるガイドブックを備えつけていただかなきゃいかん。そのガイドブックとして一番いいのが、せっかく教育委員会がつくっていただいたこの教科用図書選定資料だと思います。それを見ながらいろんな教科書を比較・検討していただく。これをぜひ実行していただきたいと思います。
 それから、見本本の有効活用についてでありますけれども、現在は、今答弁の中にありましたが、教員の教材研究に利用されていると、こういうことでありました。しかし、この有効利用という観点から、本来、文部省の通達にもありましたけれども、児童や一般の方々にいろんな種類の教科書を見ていただく機会を多くせよと、こういう趣旨の通達であったわけですから、教員の皆さんのみならず、できるだけ多くの児童生徒や一般県民の皆様方に教科書を見ていただかなきゃいけない。それは採択の時期云々というんじゃなくて、常にそうあるべきだと思いますので、これはぜひ教育長にお考えいただいて。もったいないですから。この「もったいない」という言葉が最近流行語になるというようなこともありましたけれども、見本本を、採択事業が終わったら見本本としてもういいわと思って置いとくんじゃなくて、それを、検定済みの教科書とほとんど内容は変わらないわけですから、それぞれの学校や図書館や、それから公立の図書館に配置できるように、これはぜひとも教育委員会が音頭をとっていただきたいと思います。
 以上、これ要望を申し上げまして、質問といたします。
○副議長(大沢広太郎君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で尾崎太郎君の質問が終了いたしました。
 これで、本日の質疑及び一般質問を終わります。
 明日も定刻より会議を開き、質疑及び一般質問を続行いたします。
 本日は、これをもって散会いたします。
  午後一時三十六分散会

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