平成17年6月 和歌山県議会定例会会議録 第5号(中村裕一議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

 質疑及び一般質問を続行いたします。
 三十二番中村裕一君。(拍手)
  〔中村裕一君、登壇〕
○中村裕一君 通告に従いまして、順次、一般質問を行ってまいります。
 まず最初は、関西電力御坊第二発電所の建設中止についてであります。
 関西電力が今春三月二十八日発表した電力供給計画によりますと、平成十二年三月以来、毎年建設計画を先送りしてきた御坊第二火力発電所がついに建設中止となりました。すぐさま御坊市長は、「スタート地点に戻るとは大変遺憾だ。それなりの穴埋め、補償をしてもらう」とのコメントを発表されました。また、地元の経済関係者を代表して御坊商工会議所の吉田擴会頭が「考えてもいなかった。会議所としても補償請求などを検討していく」と、ただでさえ不況で苦しい商工業者のあきらめ切れない声を代弁されました。それらの声を聞いて木村知事は、「関西電力株式会社には地元御坊市などに今回の件に関し十分説明し、理解が得られるよう最大限の努力を要望する」と、地元関係者を心配してのコメントを出されました。
 発電所の建設については、御坊市議会が平成六年三月に誘致決議をしたのが始まりで、県議会も平成九年七月に建設促進決議を行い、前後して隣接四町、関係漁協の同意が出そろい、七月三十日の第百三十五回電源開発調整審議会において計画承認されたのでありますが、決して平たんな道を歩んだわけではありません。
 県知事の同意に添付された既設御坊発電所三号機に脱硫装置を設置することや梅の生育不良など十二項目に及ぶ意見は、まさに産みの苦しみを物語るものでありました。特に困難な場面では、当時、関西電力初め推進団体は、「地域との共生」という言葉を掲げ、発電所の建設で地域が経済的に発展すると盛んに宣伝しておりました。共生──「共に生きる」と書きますが、そのとき私は「共生」という言葉にすばらしい響きを感じました。とにかく、西口知事を初め多くの関係者のおかげで発電所は建設へ向けて動き出したのでありました。そして、いよいよ平成十二年二月五日には起工式がとり行われ、発電所建設費一兆二千億円、御坊市への電源三法交付金が七十二億六千万円、建設に伴う経済波及効果は県内全体に五千億円程度、うち御坊市域で二千億円、税収も固定資産税として御坊市に十年間で三百六十億円程度、法人事業税として県へ十年間で三百億円、さらに雇用も、建設中平均千二百人、ピークで三千九百人、運転開始後通常時五百人、定期検査時ピークで千五百人という巨大な経済効果に大きく夢を膨らませたのでありました。
 ところが、起工式からわずか一カ月余りで事態は急変し、よもやの建設中断でありました。その後、毎年計画を先延ばしで、「地域との共生」という言葉を信じ先行投資をした地元商工関係者は大いに困ったのであります。また、御坊市においても、準備事業に着手し、市民に多くの約束をしているのであります。結果的に、あのときに言った関西電力の「地域との共生」は全くのうそで、逆に関電はひとり自分だけの身を守ったのであります。もはや電源開発は国策ではないということがはっきりしたのであります。
 そこで、知事にお尋ねをいたします。
 まず、今回の御坊第二発電所の建設について、どのようにお考えでしょうか。また、御坊市や地元経済関係者が建設に向けて先行投資をしていましたが、今回の中止で全くむだになり、御坊市や商工会議所は関西電力に補償を求めています。それに対して今のところ関西電力は具体的に何もこたえていませんが、知事はどのようにお考えでしょうか。お聞かせをください。
 二番目は、災害医療についてであります。
 去る四月二十五日に起きたJR福知山線の列車脱線事故は、死者百七名、負傷者四百六十名と、高度成長期以来最悪の事故となりました。また、電車が衝突したマンションや住民まで入れると、被害は莫大なものになると予想されます。一方、今回の事故では、阪神・淡路大震災の経験を生かして災害医療がスムーズに行われたことや事故直後から近所の工場の人たちが救援に出てくれたおかげで多くの人命が救助されたとも伺っております。その活躍ぶりは、兵庫県庁ホームページに詳しく報告されております。また、今回の事故で鉄道事故というものは一たび起これば甚大な被害が出ることが改めて明らかになり、災害予測をする場合の係数が見直されるということも報道されております。
 この際、亡くなられた方々の御冥福をお祈り申し上げ、被害に遭われた皆様方にお見舞いを申し上げるものであります。
 しかし、私は今回の事故を通して思うことは、一つは技術革新の時代に生きる私たちは、何でも便利になっていく世の中を見て安全も同時に担保されているかのような錯覚をしておりますが、決してそうではないということが明らかになりました。実際、今回の事故や新潟中越地震の新幹線脱線事故では、旧型の重い車両の方が実は安全であったと言われています。むしろ便利さや効率性を追求することは、逆に危険度を増すことさえあり得るのです。
 次に、うまくいったと言われる災害医療についてでありますが、今回発生したのは単発的な事故で、この種の事故が同時に多発的に起きる大災害、とりわけ和歌山県が今後予想される東南海・南海道地震などでは、果たして災害医療は機能するのかという疑問であります。
 さきに中央防災会議が想定した東南海・南海地震に係る被害は、関東から九州までの広い範囲で発生し、建物被害は全壊棟数が最大で約六十三万棟、人的被害は死者が最大で二万人、経済被害については最大で約五十七兆円と推定されております。和歌山県では、全壊棟数約七万六千五百棟、死亡者数約五千人と推定されています。果たしてそれだけで済むのかという思いもありますが、国は被害を半減させるべく政策を掲げ、強気の姿勢で取り組むとのことであります。
 しかし、この中には負傷者数が明らかにされておりません。しかし、県内では数万人単位で負傷者が出るのではないかと予想をいたします。そのおびただしい数の負傷者を果たしてだれがどうやって助け出すのか、クラッシュ症候群のような負傷者は現場ですぐさま点滴などの医療行為が必要になりますが、それをだれが行うのか、また、助け出した後、だれがどこへ何を使って搬送するのか、重篤負傷者は災害拠点病院へ搬送することになっていますが、病院の建物は果たして大丈夫か、もし崩壊は免れたとしても、停電の中、病院の機能は維持できるのか、それより、災害拠点病院は地域の中核病院で日ごろから満床に近い状態にあり、大勢の負傷者を病院の一体どこへ収容するのか、また、そのためのマンパワー、医薬品、医療器材はそろっているのかなどなど、心配すれば切りがないほど不安材料があります。
 そこで、私なりに災害医療の分野でこんなものが必要ではないかと、三点提案をいたします。
 まず、災害救護資格の創設であります。
 災害時は、阪神・淡路大震災のときで明らかなように、助けてくれる人は近所の人ですから、近所に自主防災組織が必要なことは論をまちません。そして、そこには救助用具が必要になります。しかし、これらは遅くても今後そろっていくでしょう。ところが、先ほどから申し上げておりますように、近所の人に助けてもらうにしても、クラッシュ症候群のように救出時から点滴が必要な場合は、果たしてだれが手当てをするのか。また、医療スタッフに比べて圧倒的多数の負傷者が出現する大震災では、医師などの医療関係者だけでは人命は救えません。
 そこで、最近法律の改正で除細動器が講習を受ければだれでも使えるようになったと聞きますが、同様に災害時は特有のけがに限定して医療行為を行えるような災害救護資格というようなものを創設する必要があると思いますが、どのようにお考えでしょうか。
 二番目に、応急処置を施した負傷者は最寄りの診療所などの医療救護所へ搬送するわけですが、重篤患者はさらに災害拠点病院へ自動車、トラック、何でもいいわけですが、どうしても乗り物で搬送しなければなりません。ところが、災害拠点病院は市街地に多く、災害時は、病院周辺はただでさえ交通困難地域になるのに、あちこちから負傷者が搬送されてきて混雑をきわめることになります。そういう意味では、災害拠点病院というのは郊外の広い道路に囲まれところに防災に強い町づくりの一環としてつくっておかなければ、いざというときに役に立たないと思うのであります。
 病院の建物そのものは、これだけ世間が騒がしくなれば、さすがに耐震補強をするので倒壊をするということはないでしょう。しかし、病院の機能を損なうことなく動かすだけの自家発電を備えた病院は、果たしてどれだけあるのか。もしあったとしても、おびただしい負傷者をどこへ収容するのか。まさかロビーで手当てを行うのか、はたまた駐車場へテントを張るのか。およそ文明国とは言えないような戦場のようなことになるのではないでしょうか。そうならないためには、災害拠点病院の隣接にはヘリポートにもなる広い駐車場を備えた体育館が必要で、大勢の負傷者が収容できる施設を災害のためだけにつくるのではなく、町づくりとしてあらかじめつくっておく必要があります。そして、そこへ医療器材や医薬品、場合によっては棺おけも備蓄しておくべきでありましょう。
 以上のように、災害拠点病院を単に指定するだけではなく、日ごろより町づくりの視点での充実が必要でありますが、どのようにお考えでしょうか。
 三点目は、それでも足りないとき、収容し切れない地域、そしてまた甚大な被害が出た地域へは、それこそ病院船が必要ではないかと思います。
 我が国は最近まで外国へ自衛隊を送らない国でありましたから、病院船などは論外であったわけですが、これからは国際貢献のためにも、また国内大災害のためにも病院船が必要であると考えますが、御見解を伺います。
 三番目に、米国フロリダ州との姉妹提携十周年を迎えてについて伺いたいと思います。
 今春四月、愛知万博アメリカ館のフロリダの日に来日された米国フロリダ州知事夫人、コルンバ・ブッシュさんが音楽を学ぶ高校生とともに来和されました。四日間の短い日程ではありましたが、夫人が推進されている高校生の芸術支援事業のため、和歌山高校、和大附属小学校を訪問、子供たちと交流を深められたほか、和歌山商工会議所女性会の皆さんとともに懇談されました。また、世界遺産に登録された高野・熊野地域を訪問なさいました。
 私は久しぶりにフロリダ関係の報道に接し、交流が脈々と続いていることに感激したのであります。顧みれば、ことしはちょうど姉妹提携十周年という記念すべき年であります。
 平成二年、県選出の二階俊博代議士が運輸政務次官当時、観光ミッションでフロリダ州を訪問された際、若き日の南方熊楠が滞在した町があり、気候も温暖で柑橘の栽培が盛んな観光地、しかも半島であるなど共通点の多いことを知り、当時の仮谷知事に姉妹提携を提案されたのが始まりで、これまでの十年余りの間に──知事もフロリダへはいらっしゃったと思いますが──和歌山からフロリダへは実に三十四回、フロリダから和歌山へは二十八回の訪問がありました。特に平成七年十月の姉妹提携以降は役所や文化交流が盛んになり、続いて平成十一年十月、和歌山大学と西フロリダ大学が交流協定を結び、翌年春から留学生を交換することになりました。また、世界リゾート博、南紀熊野博でも代表団やアーチストを送ってくれました。私も一員としてリゾート博への参加依頼、そして姉妹提携答礼と二度訪問いたしましたが、経済交流なくして長期交流なしとの思いもありました。しかし、今日まで順調に続いているのは、さすがに先進国同士の余裕であると思います。
 今日、日本人のフロリダ観は、押しなべてディズニーランドやカリブ海クルーズといったリゾート地のイメージですが、実は最近二回の大統領選挙では激戦で有名になった政治的にホットな州でもあります。かつて民主党の金城湯池だったフロリダ州を天下分け目の関ヶ原と目し、わざわざ実弟を州知事に送り込んで大統領選挙に臨んだジョージ・ブッシュは、結果的に大もめにもめたあの有名な選挙トラブルを見事におさめ、フロリダで勝利し、劇的に大統領選挙に当選したのであります。
 交流と選挙は関係ありませんが、今、フロリダとおつき合いすることは、単なる地方政府同士のおつき合いというよりアメリカ合衆国の政治の中枢近くとおつき合いしていることになり、まさに国際交流のお手本であると思います。
 さて、本年十周年を迎え、知事はどのような御感想をお持ちでしょうか。また、今後の展開についてお聞かせをいただきたいと思います。
 以上で私の質問を終わりますが、一般質問のトリといたしまして知事初め県当局に申し上げたいと思います。
 この議会でも十六人の議員が登壇をいたしまして、県政各般にわたり熱い議論を展開したわけでありますが、議員は日ごろから県下を駆けめぐり、県民の皆さんと交わり、本当の声を聞いてきて、ここで質問させていただくわけであります。そういう意味におきまして、この質問の答弁につきましては、ぜひとも実現方努力をしていただきたい、そういうふうに要望申し上げまして、一般質問を終わらしていただきます。ありがとうございました。
○議長(小川 武君) ただいまの中村裕一君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事木村良樹君。
  〔木村良樹君、登壇〕
○知事(木村良樹君) 関西電力の御坊第二発電所建設計画の中止についてでございますが、電力需要の低迷など社会経済情勢の変化に加え、燃料であるオリマルジョンの供給停止という国際エネルギー環境の変化に伴うやむを得ないものと受けとめてはおりますが、今お話にありましたように、発電所の建設に伴う地元への経済波及効果が大きく期待されたことから、地元の振興へかける期待も非常に大きなものがあっただけに、このたびの引き延ばした後での建設計画の中止ということについては、私としても大変残念に思っているところでございます。
 関西電力については、御坊市や経済関係者などを含む地元の声、いろいろ上がっているわけですので、これを十分聴取し、理解が得られるよう誠意を持って対処することを心から望んでいるところでございます。
 次にフロリダ州との交流ですけども、私も行ってきました。そして、今、御質問の中にもありましたように、ブッシュ知事、そしてコルンバ夫人──特にコルンバ夫人との関係が非常にあれになってきているんですが、これはアメリカで言えばファーストファミリーというのか大統領御家族の御一統様ということで、そこと和歌山県が今、非常に関係があるということは、これはある意味では始めたころと比べても随分大きな意義が出てきていると思います。しかも、この間も西フロリダ大学の元学長御夫妻とか芸術家の人なんかが来たり、こちらからも芸術家の人が行ったり、いろんな形で非常にいい交流が続いてきているので、これをもう少し厚みのあるものにこの十周年を機にしていくことができたら地方と地方──あちらの場合は合衆国だから国みたいなもんですけども──との交流というふうなことで、非常にいい関係の国際交流ができるんではないかと、このように思っております。
○議長(小川 武君) 福祉保健部長嶋田正巳君。
  〔嶋田正巳君、登壇〕
○福祉保健部長(嶋田正巳君) 災害医療に関連しての三点の御質問についてお答えを申し上げます。
 まず、災害救護資格の創設についての御提案でございます。
 医療行為につきましては医師でなければ行ってはならないことが医師法に定められてございまして、看護師や救命救急士などについては、個別法の規定により、医師の指示に基づき診療の補助行為が認められております。しかしながら、議員御指摘のように、近年では救命救急士による気管内挿管の実施や自動体外式除細動器の使用が一般の住民の方にも認められるなど、緊急時における医療行為の取り扱いが見直されていることから、本県におきましても、災害発生時などに備えて、心肺蘇生法の講習会などを通じて指導者の養成や一般県民への普及啓発を行っているところでございます。
 災害時においては同時多発的に多数の負傷者が発生することが予想されることから、負傷者の救護などには近隣住民の協力が必要不可欠と考えられます。県といたしましても、議員御提案の災害時に限定した救護活動を行える制度の創設について研究するとともに、その可能性について国とも協議してまいりたいと考えております。
 次に、災害拠点病院の充実についてでございます。
 本県では、二カ所の総合型災害拠点病院、六カ所の地域型災害拠点病院を指定し、災害発生時に必要な医療を提供する体制を整備しております。
 災害拠点病院につきましては、災害時における機能を維持するため、耐震構造やヘリポート、備蓄倉庫など国の指定基準に沿った設備等を備える必要がございます。
 本県においても、災害拠点病院はこうした構造設備を備えるとともに、多数の患者を受け入れられるよう、簡易ベッドや医薬品などの確保を初め、救急処置が迅速に実施できる体制の整備を図っているところでございます。
 議員御指摘のように、災害時には多数の負傷者を収容する必要があることから、災害拠点病院としての整備や機能のより一層の充実とあわせて、学校や体育館など近隣施設との連携を図るなど、災害に強い町づくりを市町村とともに考えていく必要があると考えております。
 次に、病院船の導入、必要性についてでございます。
 災害発生時には市町村が医療救護所を設置し、医師会などとの協定に基づき、医師、看護師など六名のスタッフで編成する医療班が派遣され、負傷者のトリアージによる判別を初め、応急処置や受け入れ可能病院への搬送等を行うことになってございます。また、この際、広域災害救急医療情報システムにより、災害の規模に応じて県外の医療機関への受け入れ要請を行うなど、被災地域の災害拠点病院などへ負傷者が集中しないような体制づくりも行っているところでございます。
 議員御提案の病院船につきましては、海上保安庁などでその機能の一部を付与した船舶を保有している例も聞いておりますので、今後の国の災害医療対策の動向を見きわめながら、貴重な御意見として研究をしてまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(小川 武君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
  〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(小川 武君) 以上で、中村裕一君の質問が終了いたしました。
 お諮りいたします。質疑及び一般質問は、これをもって終結することに御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(小川 武君) 御異議なしと認めます。よって、質疑及び一般質問はこれをもって終結いたします。
 次に日程第三、議案等の付託について申し上げます。
 ただいま議題となっております全案件は、お手元に配付しております議案付託表のとおり、それぞれ所管の常任委員会にこれを付託いたします。
 次に日程第四、請願付託の件について報告いたします。
 今期定例会の請願については、お手元に配付しております請願文書表のとおり、それぞれ所管の常任委員会にこれを付託いたします。
 なお、常任委員会の会場はお手元に配付しておりますので、御了承願います。
 お諮りいたします。六月二十四日及び二十七日は常任委員会審査のため休会といたしたいと思います。これに御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(小川 武君) 御異議なしと認めます。よって、六月二十四日及び二十七日は休会とすることに決定いたしました。
 次会は、六月二十八日定刻より再開いたします。
 本日は、これをもって散会いたします。
  午後二時二十二分散会

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