平成17年2月 和歌山県議会定例会会議録 第7号(全文)


県議会の活動

  午前十時二分開議
○議長(小川 武君) これより本日の会議を開きます。
 日程第一、議案第一号から議案第十九号まで、議案第三十九号から議案第九十一号まで及び議案第九十三号から議案第百三十二号まで、並びに知事専決処分報告報第三号から報第五号まで及び報第七号を一括して議題とし、議案等に対する質疑を行い、あわせて日程第二、一般質問を行います。
 二十五番前川勝久君。
  〔前川勝久君、登壇〕(拍手)
○前川勝久君 おはようございます。早いもので、きょうでもう一般質問最終日でございます。ひとつ元気を出して進めますので、よろしくお願いをいたします。
 議長のお許しを得ましたので、早速、一般質問をさせていただきます。
 私が議席を得させていただいてもう既に二年たつわけですけども、この二年間に本会議場で正面から議論されたことはございませんし、また私の記憶でも、ここ当分この本会議場で議論されたことがなかったと思います。そういうことで、今回は特に私にとっては地域密着型の課題であります過疎問題について質問をさせていただきます。
 議員になって二年、時折というか再々ですけども、一人で車を運転して山間部の集落を回りますけども、一時間も二時間も対向車に出会わない、あるいは本当にもう途中で車が故障したらどうしようか、また、あらかじめあこそまで行ったらもう暗くなるんで途中で引き返して帰ろうと、そんなことを常時思いながらその山間部を回っているわけでございます。
 戦後六十年、我が国の近代化攻勢は、有史以来我が国社会の基盤、根源であった山村、農山村を音を立てて崩壊させ、いよいよその終着駅に導こうとしているのであります。昨今、心の底から、今日社会のあらゆるところで起きているいろんな混乱の遠因は案外こんなところ、いわゆる農山村の崩壊にあるのではないかとさえ思うのでございます。そして、私自身も役所におったら恐らくこうした実感はわいてこなかったと思いますし、ましてや都会の過密の中で生活する人、あるいは書斎にこもってたとえ万巻の書を読破する人であっても、このような実感はわいてこないのでございます。
 さて、去年の年末に私はふるさと日置川上流の二十戸ほどの集落を訪れて、七十中ごろの老人ひとり住まいの家を尋ねてみました。この家は私の母方の遠戚に当たり、久しぶりにと思ったこともありますし、尋ねるのは私が高校のとき以来ですから、約四十年ぶりぐらいでございました。驚いたことに、家のたたずまいが四十年前とほとんど変わっていないのであります。玄関は昔どおり──昔、田舎では玄関は障子のドアでございました。この家もいまだに障子戸で、開けて入ると土間が奥まで続き、突き当たりに台所、その横に板張りの居間、全体として薄暗いといった、もうその昔のままのたたずまいで、どこを見渡しても新しい造作を加えたというような跡もないわけであります。
 その老人いわく、「連れ合いも亡くなって現在はひとり暮らしやし、子供らも町へ出て行ってそれぞれの世帯を持ち独立している。将来この家へ返ってくることもない。今さらこの家を直したら、将来、子供たちが町の家とこの家の両方を維持管理せなあかんことになって子供に負担をかける。この家はわしで終わり。わしが死んだら取り壊したらええんや」とのことでございました。なるほど、こんな考えもあるんかなと感心したわけでありますけども、実はその前には、「まあちょっと家でも直して快適な生活をしたらどうよ」と言おうと思ったんですけども、これを聞いてもう言うことができませんでした。
 このようにして、過疎地では住人が一人欠け、二人欠けし、彼らが細々とでも耕してきた田畑も荒れ放題、見る影もない光景を至るところで目にするのであります。この集落では小学校も十数年前に既に廃校となり、朽ちかけた校舎がかつての面影を残しているのみであります。このままでは、早晩、紀南の山村が消える、農村が崩壊するとの危機感を強くするのでございます。
 そこで、今回は古くて新しい課題である過疎問題について、さきにも言いましたとおり、今この時期に再認識しておくことが極めて重要であるとの立場から、この問題について幾つかの問題を取り上げてみたいと思います。
 古い話で恐縮でありますが、昭和四十一年八月十一日付の「京都新聞」投書欄に掲載された投書は、「辺地の行く末を案ずる」というものでございます。投書の主は、当時四十一歳の団体職員であります。その投書いわく、「私の住む広河原地区──これは京都の北側らしいんですけども──では、辺地に見切りをつけた若い人が次々と町に出て行く。七十戸ある中で二十代の男は一人というありさまで、子供と壮年、老年層の地区になった。京都の辺地にも、現在、日本のゆがんだ社会の縮図が見られる。今は年寄りたちが頑張って山や田を守っているが、二十年後はどうなるのか。祖先から受け継いだ財産の荒廃は必至だ。個人の富ひいては国家の富が損なわれようとしているのに、手をこまねいている今の政治を遺憾に思う。時の流れとあきらめろというのか。中心部、大きく言えば表日本に集中した開発しかされていない。しかも、裏日本、辺地の犠牲に立脚したものだ。政治は弱者、日の当たらない場所にこそ目を向けるべきで、そのためには公営企業の地方分散、辺地の産業振興に尽くしてほしい。今のままでは、若者どころか壮年、老年層にさえ魅力のないふるさとになってしまう」。
 昭和四十一年のこの投書は二十年後はどうなるのかと懸念をしているわけでございますが、この投書からことしで既に三十九年たつわけですが、今まさに正真正銘、この投書に言う「若者どころか壮年、老年層にさえ魅力のないふるさと」が我が紀南のあちこちに出現しているのでございます。
 自然志向、健康志向の高まりの中で、現代の多くの若者たちはこうした過疎と呼ばれる地域をハイクいたしますし、またあるいはその一隅でキャンプも張ります。しかし、その場所とその場所の持つ意味については何も気づかず、無責任な傍観者的態度でしか見ることができず、行きずりの一地点としての記憶さえ定かではないのではないでしょうか。しかし、表面的にはのどかで一見何もないように見えるこれらの地域に、実は大変なことが起きているのであります。とりわけふるさと紀南地方の農山村は、病んでいる、悩んでいる、そして恐るべき危機に直面しているのであります。
 さて、「過疎」あるいは「過疎問題」という言葉が公式に登場した昭和四十二年十月の国の経済審議会地域部会報告では、当時まだ辞書にも百科事典にも取り上げられていない「過疎」という言葉の定義について、「都市への激しい人口移動は人口の減少地域にも種々の問題を提起している。人口減少地域における問題を過密問題に対する意味で「過疎問題」と呼び、「過疎」を人口減少のために一定の生活水準を維持することが困難になった状態、例えば、防災、教育、保健などの地域社会の基礎的条件の維持が困難になり、それとともに資源の合理的利用が困難となって地域の生産機能が著しく低下することと理解すれば、人口減少の結果、人口密度が低下し、年齢構成の老齢化が進み、従来の生活パターンの維持が困難となりつつある地域では過疎問題が生じ、また生じつつあると思われる」とあり、今日でもおおむねこの解釈がとられているわけでありますが、ここで明確にしておかなければならないことは、人口減少イコール過疎ではないということであります。確かに人口減少は過疎をもたらす最大の要因でありますが、この報告にもあるように、人口減少に伴って従来の地域生活のパターンが維持できなくなった状態ないしはなりつつある状態を言うということでございます。この点が従来の辺地、僻地とは基本的に違うところであります。
 ただ、旧過疎地域活性化特別措置法及び現行の過疎地域自立促進特別措置法においては、これらの地域について総合的かつ計画的な対策を実施するために必要な措置を講ずる必要から、過疎地域を基本的に人口減少率をもって明確に数字であらわしています。そこでは昭和三十五年国勢調査人口が基準とされ、現行自立促進特措法では平成七年国勢調査までの三十五年間人口減少率を基本に、平成七年国勢調査の六十五歳以上の比率、同じく十五歳以上三十歳未満の比率の組み合わせの方法がとられ、その結果、和歌山県では現在、十九町村が過疎地域指定を受けている状況であります。そして、これら過疎地域を覆う過疎がもたらしたもの、その社会的影響は、今日ではもはや惨たんたる状況であると言っても過言ではありません。
 一番の関心事は人口の流出、特に若年層の地域からの脱出によって引き起こされた居住住民の高齢化、つまり老人問題であります。この老人問題は、都会、田舎を問わず一般的に提起されている社会問題でもありますが、特に過疎地域では、既に若年層の流出による高齢化現象や地域の農作業労働力において婦人のウエートが格段に高まっていること等、あらゆる面に深刻な問題を投げかけているのであります。そして、今や、過疎とまでは至っていない農村地域でも後継者を確保することの難しさが大きな問題となっているのであります。
 過疎地域における老人問題は、その生活環境がますます悪化していることを考えると、都市部でのそれとは比較にならないほど深刻であります。さらに、紀南地域の過疎地域は山間部における戸数二十から三十戸未満の小集落が点在するという形態が多く、人口構成の老化と若年層の急激な減少は、地域社会における通常の社会生活、生産活動すら困難にし、行き着く先は地域社会として衰退、崩壊するところが相当に発生すると危惧せざるを得ないのであります。
 現行の過疎地域自立促進特別措置法では昭和三十五年国勢調査人口を基準にしていると述べましたが、そもそも山間地域からの人口流出は昭和三十年ごろからわずかずつ始まり、昭和三十五年以降、本格的に民族の大移動と呼ぶべき流出が始まったからでございます。
 昭和四十年代前半には、過疎地域における老人の悲惨な最期を扱った地方新聞の特集が数多くございますが、その中の一つ「中国新聞」の特集では、自殺老人の心境を「結核を苦にして死んだ六十四歳の老人の場合、水田五十アール、山林二十アールで部落では中流どころ。医者通いをしていた老人は、医療費がかさむのを苦にして医療扶助を役場に頼んでいた。しかし、資産があるというので扶助はもらえなかった。また、中風などの半身不随の体では、付き添いでもなければ入院治療もできない。しかし、それほど経済的に余裕のある家庭は少ない。老人ホームもそうした重症の患者は入れてくれないのだ。体の不自由な老人を家に残しては、働きにも行けない。といって、医療費や生活費はかさむ。その板挟みに苦しむ家族を見かねて老人は死を選ぶ。生活の底が浅い山村では、働き手の夫や息子を失うと、たちまち生きる望みを失う」という推測をしてございます。
 四十年たった今日、なるほど老人福祉施設や介護保険等のいろんな制度の整備が進んでおりますが、過疎地域におけるこうした状況が格段に改善されているでしょうか。それどころか、なお最重要課題は、過疎地域に取り残された、あるいは残らざるを得なかった、そしてその社会的影響を一番強く受けている老人への配慮、対策であることは論をまちません。国も自治体も我々も、過疎地域に住む老人の末路をただ傍観しているだけでよいのでしょうか。
 第二の関心事は、医療問題であります。
 かつては、働ける間は都会で働き、定年後、老後は田舎へ帰ってということが言われたものですが、私たちの周りでは文字どおりそのとおり実行している人は案外少ないのであります。その理由は単純明快、医療の問題でございます。自分で車を運転してどこへでも行く達者な間はともかく、そうでなくなったときに果たして遠くの医療機関にどうして通院するのか、何とか公共交通機関を利用して通院するとしても、一人で通院できるのか、月のうち何日も通院できるのか、その交通費もばかにならない、不安ばかりが先立ち、逆に老後はとても田舎に住めないということになるわけであります。
 過疎地域は大部分が従来の辺地、僻地と言われてきたところと重なるわけでございますが、これらの地域における医者不足、医者確保の困難さは今に始まったことではなく、無医村の悲劇はこれまで嫌というほど聞かされてきたところでございます。また、医者の側からすれば、私的医療機関は中心部に集中していますし、辺地に行きたがらない理由として、生活環境が悪い、研究の機会に恵まれない、子供の教育に不便、勤務が不規則等が挙げられ、都市への魅力は何としても大きいのであります。この分野でも、行政の配慮、対策が極めて大きいのでございます。
 これに関連して島根県は、いよいよ団塊の世代が退職時期を迎えるので、知事名で「定年後、ふるさとで暮らしませんか」という手紙を出すということが十日ほど前の新聞に載っておりました。これなんかも、発想はいいんですけど、今申しましたように、果たして老後、山村で生活ができるかどうか、極めてクエスチョンな部分がかなりあると思うんで、この島根県の取り組みもまた何年か先の結果を注目して見ておきたいと思います。
 第三の関心事は、教育問題であります。
 教育問題は、老人、医療問題と並んで過疎がもたらす大きな社会問題であります。かつては、たとえ辺地、僻地であっても、我らの小学校あるいは分教場があり、元気な子供たちの声が聞こえ、秋の運動会は村じゅうのみんなが参加するといったように、学校が地域社会存立の中心的な役割を担ってきたのであります。それだけに、学校が廃校になる、分教場が本校に統合になることが現実となったときの地域の落胆は想像にかたくないのであります。しかも、人口流出の激しい山村、農山村の人たちがなぜ離村したかという転出理由の中でも「子供の教育のため」という理由が常に上位を占めているのであります。皮肉なことに、このことがまた地域の過疎化に拍車をかけたのであります。
 学校がなくなった地域の子供たちの教育の問題についても、現実の問題となると、通学の方法、保護者の経済的負担、町村財政等、難しい問題がいろいろと提起されますし、また現在も過疎地域に存する学校の問題を考えても、恵まれない教育環境をどのように整備するか、学力水準をどうして向上させるか、ベテラン教員をどう定着させるか、苦しい地方財政の中で教育施設を充実させる方途は等、多くの難題に直面しているのであります。しかし、いかに厳しい環境の中にあっても、小・中学校の教育は義務教育であり、これを無視、軽視することは許されないのであります。国はもとより地方公共団体にとっても、その財政がいかに厳しくとも、事教育に関する限りあらゆる方策を講ずる最大限の努力が要請されるところでございます。
 第四の関心事は、防災であります。今日的課題として過疎がもたらす社会的影響の大きな問題として、防災への影響があります。
 山村、農山村の過疎地域ではほとんどが消防活動を消防団に依存しているのでありますが、問題なのは、過疎化に伴って団員の数が年々減少していることと高齢化を来していることであります。消防団員の年齢構成も年々高齢化の傾向にあり、このことは逆に若年層の流出に起因する若い消防団員を確保することの困難さを示しているのであります。
 これも新聞報道ですけども、瀬戸内海の島々を結んで「過疎の島々アート悠遊」というこの記事もごく最近載っておりました。この中で見ますと、この一つの島で人口が、志々島は三十四人、消防団副分団長を務めるのは北野さんという八十二歳。「みんな年金暮らし。若い者はおらんし、いずれ無人島になってしまうんかなあ」というコメントを出しています。和歌山県には恐らく八十代の消防団長さんはおらんと思うんですけども、私の知る限りでも七十中ごろの消防団長さんは何人かございます。地域の消防団の現状もそういうところでございます。そして、そのことが過疎の農山村の消防・防災能力の低下を来しているのであります。
 また、これらの地域では、消防団員は単に消防活動にとどまらず、防災活動、治安活動等、地域の安全・安心の中心として幅広い活動を担うだけに、地域社会にとって消防団の弱体化は看過できない問題であり、大きな課題を投げかけているのであります。
 以上、過疎問題について述べてまいりましたが、もとより過疎化は、昭和三十年代以降の我が国社会のあらゆる現象、要素を巻き込んで起きた現象であり、多くの事柄について、それが解決のために本県独自であるいは町村独自でどうこうできる問題ではないということも十分承知をしておりますが、それでもなお今日、行政、マスコミ等において過疎が論じられることがめっきり少なくなったことに危機感を持つがゆえに、改めて過疎問題は過去の問題ではなく現在進行形の問題であることを再認識していただき、県行政においても格段の配慮を求めるものでございます。
 そこで、まず知事に過疎問題、過疎対策に対する今日的な認識を、農林水産部長に、現行の過疎地域自立促進特別措置法は平成二十二年三月三十一日まで効力を有するわけですが、例えば過疎指定の日置川町と指定外の白浜町が合併して新白浜町が誕生した場合、新白浜町の旧日置川町エリアには引き続き当該措置法が適用されるのかどうか、福祉保健部長に老人問題と医療問題について、危機管理監に消防・防災について、教育長に教育問題について、過疎地域における対策の現状と今後の取り組み方針についてお伺いをいたします。
 次に、南紀白浜の観光振興に関連して若干質問をいたします。
 第一点は南紀白浜空港の名称についてでありますが、よく考えてみますと、白浜へ来られる観光客の大多数は白浜という土地へ来るのではなくて白浜温泉へ来るのだと思います。だとすると、我々は白浜温泉を売る、アピールすることをまず考えるべきだと思いますが、いかがでしょうか。
 そこで、いっそのこと南紀白浜空港を「南紀白浜温泉空港」あるいは「白浜温泉空港」と名称を変え、白浜温泉にある空港ということを強調したらと思うんですが、いかがでしょうか。現に、先日も高知県へ行きましたら、高知は「高知龍馬空港」というように呼んでおりますし、去年行かしていただいた中国北京では「北京空港」と言わずにわざわざ「北京首都空港」と呼んでおります。高知へ来たらやっぱり龍馬ですぞ、北京は首都ですぞというのが強調されていて非常におもしろいと思ったんで、白浜空港の名称についても提案します。
 第二点は、南紀白浜空港管理事務所について。
 この事務所は、県の機構の上では県土整備部に属しています。しかし、空港建設時あるいは完成後間もない時期ならともかく、もう既に開港九年を迎える今日においては、この空港にとって一番必要なこと、やらなければならないことはポートセールス、いわゆる空港の利用促進活動であります。現行の管理事務所にはこの機能がほとんどなく、また職員も二年から三年で異動するので、この方面の腰の据えた取り組みができていないとの意見もございます。
 現行の機構では、ポートセールスいわゆる利用促進活動については本庁の港湾空港振興局で対応するということだと思いますが、利用促進活動等は地元の行政、各種団体、住民との日常的な緊密な連絡があって初めて効果が期待できるものであると思います。したがって、この点も考慮し、ポートセールス体制を強化し、組織も企画部か観光局を所管する商工労働部に移管することを提案いたしますが、どうでしょうか。
 第三点は、旧空港跡地の活用について。
 既に九年が経過し、このまま何の手だてもなく放置することはできません。千二百メートルの滑走路を備えた遊休地は、全国広しといえどもここ白浜だけでございます。何とかこの点を生かした利活用の方法がないものか、そばを通るたびに思います。跡地活用に向けての検討の現状と今後の取り組みについての考えはいかがでしょうか。
 第四点は、以前に本議場で白浜駅や空港に着いてからの二次交通の問題に関連して泉都白浜をめぐる周遊バス構想を提案させていただきましたが、県は昨年、国の地域再生構想を実現するために必要な支援措置の提案募集に応じてコミュティーバスによる来訪者の有償輸送の容認の提案を行いましたが、その結果はどうでありましたか。
 第一点、第二点は県土整備部長に、第三点、四点は企画部長に答弁をお願いいたします。
 以上で、終わります。御清聴ありがとうございました。
○議長(小川 武君) ただいまの前川勝久君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事木村良樹君。
  〔木村良樹君、登壇〕
○知事(木村良樹君) 過疎問題についての御質問でございます。
 過疎問題は、決してこれはもう古い問題じゃなくて、はっきり言って日本の国の地方が今もう崩壊の危機に瀕しているというふうなことだと。しかも、人が年をとるのは──百歳以上生きる人は余りいないわけですから、割と短期間のうちにそういう状況が来るというふうなことで。ところが、今御質問にもありましたように、これはもう三十年前から問題になっていて、しかもほぼ全く改善されていないという難しい問題でもあるわけです。
 そういうふうな中で、和歌山県も多くの過疎地域を抱える県として、一発逆転のホームランというふうなことはなかなか難しいと思うんですけれども、例えば緑の雇用事業で都市から若い人を呼び込むことをやりました。五百数十人の人が今、家族とともに移り住んで、子供も生まれて、久しく赤ん坊の声を聞くことがなかった地域に元気が出てきているというふうなこともあります。ただ、これ五百数十人で事が足るというふうな単純な問題でないところがこの問題の難しいところで、島根県の団塊の世代を呼び戻すような政策についても、僕は和歌山県で定年後帰住政策というのをこれから打ち出していきたいと思っていますし、それからまた、今ようやく農業とか漁業とか林業とか、こういうふうな第一次産業に対する考え方が変わってきています。国の方も変わってきている。そういう機をとらえて、この一次産業と、それから物を売っていくという流通の三次産業を合わせた新四次産業というふうなものを興して、都会へ出た若い人、そして、都会で十分順応した人はいいんだけども、やはり帰ってきてみたいなと思う人が帰りやすいような状況をつくっていくというふうなこともしていきたいと思っております。
 そういうふうなことをやっていく中で、去年、世界遺産に登録されたのを機に、例えば、今御質問にありました日置川町でも「大好き日置川の会」という会を地域の人がつくって多彩な活動を繰り広げるようになってきているというふうなこと、それから同じような地域で言うと「大辺路刈り開き隊」ですか、大辺路をもう一回切り開いて道をつくっていこうというふうな動き、それから津波に対して自分たちで道をつくっていこうというふうな動き、いろいろな地域で自分たちで元気になっていこうという動きも出てきております。
 県としては、こういうふうな動きも大いに力づけてもっと活性化するようにしていきながら、何とか和歌山県の持っている、「過疎性」と言うと悪い言葉になりますけども、自然の豊かさと、それから落ちついたお年寄りが多いというふうなことを逆に売り物にしていくような状況にしていきたいと思うんですが。ただ、都会から来た人に農地とか住宅とかをあっせんしようとしてもなかなか貸し手がないというふうな問題であるとか、非常に難しい問題もありますので、そういうふうな意識の改革。
 ある町長が、実はお年寄りに新しい屋敷を建てろという話をしているんだと。お年寄りの人は、先ほどの話じゃないけど、自分の代で終わるからもう建てないと言っているんだけども、建てろと。建てると必ず、そのお年寄りが仮に亡くなっても息子とかが帰ってくるというふうなことで、これはまあ非常に逆説的な話だけども、こういうふうなことも一つのアイデアかもしれません。いろんなことをやって地域の崩壊をとめていくというのが県の責務だと、このように考えております。
○議長(小川 武君) 農林水産部長阪口裕之君。
  〔阪口裕之君、登壇〕
○農林水産部長(阪口裕之君) 市町村合併の場合の過疎地域自立促進特別措置法の適用についてでございますが、過疎地域とは同法に規定する人口要件及び財政力要件に該当する市町村とされており、現在、本県では十九町村が過疎地域となってございます。
 過疎地域が市町村合併した場合は、人口や財政力等、市町村の状況により、その新市町村の全域が過疎地域になる場合と合併前の町村の区域だけが過疎地域となる場合がございます。
 議員御質問の日置川町と白浜町が合併して新白浜町が誕生した場合は、合併後の新白浜町全域が過疎地域として国から公示されると判断しております。
○議長(小川 武君) 福祉保健部長嶋田正巳君。
  〔嶋田正巳君、登壇〕
○福祉保健部長(嶋田正巳君) 過疎地域における老人問題と医療問題についてお答えを申し上げます。
 高齢者の方々が住みなれた地域で安心して暮らしていくためには、医療、福祉、介護などの必要なサービスができるだけ身近で受けられるような体制づくりを推進することが重要でございます。県としましては、高齢者地域ケアネットワーク事業としまして、介護、医療など関係機関による連携体制の構築等を行う市町村に対し支援をしているところでございます。
 また、今国会に提出されております介護保険法改正法案には、介護予防や総合相談窓口の設置等、地域における総合的なマネジメントを担う中核機関として、各市町村に、仮称でございますが、地域包括支援センターの設置が盛り込まれております。今後とも、県としましては、このような地域包括ケア体制づくりを市町村とともに推進してまいりたいと思います。
 また、医療につきましては、現在十九市町村が三十九カ所に僻地診療所を開設・運営しており、十三診療所に常勤医師が配置され、残りの診療所は地域の公立病院などから派遣される医師により診療が行われている状況でございます。県としましては、過疎地域において安定的に医療が提供されるよう、医師確保が困難な診療所や公立病院に自治医科大学卒業医師の派遣を行っているのを初め、僻地診療所や医師派遣を行っている公立病院に対する運営補助等の支援を行っているところでございます。今後とも、新たに創設するドクターバンク制度等を活用しながら、地域の高齢者等に対して必要な医療が提供されるよう取り組んでまいりたいと考えております。
 以上でございます。
○議長(小川 武君) 危機管理監白原勝文君。
  〔白原勝文君、登壇〕
○危機管理監(白原勝文君) 過疎地域における消防・防災についてお答えいたします。
 現在、本県の消防団の状況でございますが、約一万二千人の団員がございます。団員の皆さんは、火災や災害等から住民の生命、財産を守るため、昼夜を問わず御活躍いただいております。また、東南海・南海地震等、発生が危惧される中、今後も果たす役割はますます大きくなっております。
 しかし、議員御指摘のように、団員数は全国的にも、また本県においても減少傾向にあります。とりわけ過疎地においては深刻な状況にあります。こうした課題に対応するためには、市町村を初め消防本部等となお一層連携を深め、女性やサラリーマンなども視野に入れた新たな団員の確保により消防・防災能力の維持に努めてまいりたいと考えております。
 以上です。
○議長(小川 武君) 県土整備部長酒井利夫君。
  〔酒井利夫君、登壇〕
○県土整備部長(酒井利夫君) 南紀白浜空港の名称についてでございます。
 空港の名称は、議員御指摘のように、地域の特色をあらわしてアピールするという役割を担っております。「南紀白浜空港」という名称は、紀南地方の空の玄関口として紀南の広い地域を踏まえたものであり、温暖で南国の香りが高い地域、美しい山々、黒潮躍る海岸線、熊野古道を初めとする歴史や文化、自然環境に恵まれた温泉、海の幸・山の幸、温かい人情などなど、数え切れない魅力をイメージした大変いい名称だと考えております。
 今後、このような紀南地域のさまざまな魅力をさらに全国にアピールし、より一層空港の知名度を上げ、観光振興にもつなげてまいりたいと思います。
 次に、ポートセールス体制の強化についてでございます。
 これまで県、周辺市町村、地元民間団体で組織する南紀白浜空港利用促進実行委員会で継続的に利用促進を図ってまいりました。一方、空港の管理運営業務は利用客に対する安全確保とサービス向上が第一であり、そのため、施設の維持管理や大規模地震等を初めとする危機管理への対応から、県土整備部が所掌することが円滑な空港運営につながると考えております。
 今後、観光という観点からより一層の利用促進を図るため、従前の南紀白浜空港利用促進実行委員会の活動に加え、平成十七年度より企画部、商工労働部、県土整備部による庁内横断的な連絡組織を設置し、連携しながら世界遺産、体験型観光等のPRなどに取り組んでいくこととしております。
 その際、他の地方空港のように、地元の皆様がみずから自分の地域の魅力をより一層磨き上げ、地域の皆様と行政とが一体となって利用促進を図っていくことが何より大切だと思っております。いずれにしても、関係者連携しながら総合力でポートセールスに努めてまいります。
○議長(小川 武君) 企画部長高嶋洋子君。
  〔高嶋洋子君、登壇〕
○企画部長(高嶋洋子君) 議員御質問の二点についてお答えを申し上げます。
 まず、旧南紀白浜空港跡地の恒久的な利用につきましては、地方公共団体や民間企業を取り巻く厳しい経済・財政状況の中、現時点では具体的な事業計画はございませんが、一方で、その暫定的な利用に関しては平成十五年度実績では延べ百十五日間利用されております。
 例えば、この広い土地を利用しました全国の工業高校の生徒による電気自動車競技会や大阪府立大学の人力飛行機の試験飛行などが毎年恒例の行事として定着するほか、駐車場としても利用されるなど、さまざまな用途に有効活用されているところでございます。
 当該跡地は紀南地方の貴重な財産であることから、その活用方法につきましては、幅広く御意見をちょうだいしながら、地元とも十分連携の上、引き続き検討してまいりたいと考えております。
 次に、コミュニティーバスによります観光客等の輸送についてでございますが、コミュニティーバスにつきましては、市町村が交通空白地域を解消し地域住民の福祉向上を図ることを目的として運行されるものであり、地域住民以外の観光客等を輸送することは従前認められていませんでした。しかし、昨年度、県が地域再生構想の中でコミュニティーバス等による観光客等の輸送について提案いたしまして、国から認められたところでございます。
 現在、白浜町におきましては路線バス以外に白浜温泉旅館協同組合による宿泊者の送迎用の無料シャトルバス等が運行されておりますが、コミュニティーバスは運行されておりません。昨年議員から御提案のありました白浜町の周遊バス構想につきましては、白浜町の公共交通体系改善協議会において協議されているものの、進展していないと聞いておりますが、今後、白浜町から地域住民の生活交通の確保はもちろんのこと、観光客等の利便性向上の観点も含めコミュニティーバス等の運行について協議がありましたら、既設路線との調整等の課題もございますが、県としましても積極的に協力してまいります。
○議長(小川 武君) 教育長小関洋治君。
  〔小関洋治君、登壇〕
○教育長(小関洋治君) 地域の過疎化が進む中で児童生徒数が減少したため適正な規模での十分な教育が難しくなってきていることは、議員御指摘のとおりであります。
 過疎地域にある学校では、近隣の学校と合同で学習する機会をつくったり遠隔地の学校とテレビ会議システムを活用して授業や交流を行うなど、さまざまな工夫をして社会性やコミュニケーション能力を身につけるための取り組みが行われております。また、家族的な雰囲気の中できめ細かな個別指導や充実した複式指導を行うことによって、学力面についても都市部の学校との間に格差は見られません。
 今後とも、過疎地域にある学校で学ぶ子供たちに確かな学力とふるさとを愛する心を育てる教育の充実に努めてまいります。
○議長(小川 武君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
  〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(小川 武君) 以上で、前川勝久君の質問が終了いたしました。

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