平成16年12月 和歌山県議会定例会会議録 第5号(木下善之議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

 質疑及び一般質問を続行いたします。
 二十七番木下善之君。
  〔木下善之君、登壇〕(拍手)
○木下善之君 ただいま議長のお許しを得ましたので、発言の機会を与えていただきましたこと、深く御礼を申し上げます。
 私は今議会最後の一般質問の発言者となりますが、本日までの四日間、それぞれ各議員の皆さん方が本県の将来像あるいは県民福祉向上のために活発な議論をされ、また知事を初め当局の答弁に大きな期待を寄せた一人であります。
 それでは、質問に入らせていただきます。
 さて、私は、在伯和歌山県人会連合会及びBC州和歌山県人会からの招請を受け、木村知事、小川議長、門議員、尾崎太郎議員、東議員、浦口議員及び県職員五名の方々とともに、去る十月二十八日から十一月六日までブラジル、カナダを訪問してまいりましたので、その報告と若干の質問をさせていただきます。
 十月二十八日、十六時十五分にエア・カナダ三六便で関西空港を出発し、カナダ・バンクーバー空港、トロント空港を経由し、十月二十九日の朝、ブラジル・サンパウロ空港へ到着いたしました。空港では、在伯和歌山県人会の皆さんが横断幕を持って多数出迎えてくださいました。三十時間近いフライトでしたが、一瞬にして疲れが吹っ飛んだようでございました。その後、白バイ六台の先導により市内のイビラプエラ公園に移動し、公園内にある開拓戦没者慰霊碑に献花を行いました。ブラジル日本都道府県連合会の田畑副会長から慰霊碑について説明を受けましたが、大志を抱いてブラジルの地へ渡られた先人の方々へ敬意を持って参拝をさせていただいたところであります。
 その後、サンパウロ州官邸を訪問し、儀典局長のアルーダ女史にサンパウロ州の概要等について教えていただきました。ブラジルの国土は日本の約二十四倍、人口は約一億七千八百万人、首都はブラジリアでありますが、サンパウロ市は世界第四番目の千百万人の大都市で、産業、経済、文化の中心となっております。ブラジルは、アメリカとともに世界一の食料生産国でありますが、石油ショック時代はわずか一〇%の石油自給率であったものが、近年、油田開発により一〇〇%に近い自給率の確保が可能と言われております。また、IT大国とも言われ、既に十年前より電子投票が実施され、全国五千五百カ所の自治体の長及び市議選の結果が大都市においても二時間以内で確定され、「税務申告、納税、免許証など、ほとんどの行政事務がインターネットで実施できます」と言われておりました。
 十月三十日には、サンパウロ市から約五十キロメートル離れたモジダスクルーゼス市を訪問し、御坊市出身の大江さんが経営する大規模なラン園を視察させていただき、立派な邸宅を拝見しました。また、後継者である二十七歳の息子さんは、日本へ二カ年間、がんの研修に来られたとのことで、頼もしく感じた次第であります。
 次に、モジ市から約五十キロメートル離れたビリチーバミリン市を訪ね、古座町出身の南さんが経営する南農機工場を視察させていただきました。六十人の雇用で、製品は、野菜栽培の大型農機を初め、現在はホームセンターの陳列棚の製造も手がけておられました。
 その後、在伯県人会の中でもとりわけ結束の強いモジダスクルーゼス支部主催の歓迎昼食会に出席し、ブラジル・ミナス州の郷土料理をいただきながら県人会の皆様七十名と懇談をしてまいりました。モジ地方では野菜の集約栽培が主で、葉菜類が多い地帯、また富有柿の栽培が盛んで、戦後、県移民課の職員が穂木を持って接ぎ木されたようで、相当なカキ園がありました。現在満開でございます。収穫は三月から四月のころと言われておりました。
 その後、サンパウロ市内に戻り、リベルダーデ地区の日本人街を視察し、続いてサンパウロ日本国総領事館において石田総領事夫妻より日伯国交の現状などの話を聞き、大変参考となった次第であります。
 十月三十一日は、午前十時から開催された在伯和歌山県人会連合会創立五十周年記念式典に出席をさせていただき、先般の九月十五日、小泉総理が涙を流されたのと同じ会場であるブラジル日本文化協会講堂には、ブラジル各地から県人の方々約八百三十名が集まりました。木村知事、小川議長、門議員が祝辞を述べ、県人会の方々を激励いたしました。知事、議長から高齢者の方々への表彰や県人会活動に功績のあった方々への表彰があり、地元サンパウロ州ジェラルド知事や南カリフォルニア県人会の上原会長、ペルー和歌山県人会小坂会長などの祝辞も行われ、上原南カリフォルニア県人会会長からは、「和歌山県人がこれだけ海外で活躍されているのは大きな財産であり、世界和歌山県人会大会を開催してはどうか」との提言もありました。私は、この式典の中で、本県で九カ月間農業分野の研修を受けた西川アンドレ三世君の謝辞に特に感銘を受けた次第であります。和歌山のすばらしさ、そして人情味の豊かさ等切々と申され、私も改めて和歌山の魅力を見直してまいりたいと思います。最後に私が万歳三唱の音頭をとらせていただき、記念式典が大盛会のうちに終了し、その後、祝賀会が行われ、尾崎議員の発声による乾杯の後、県人の皆様と御苦労されたお話などを聞かせていただき、ゆっくりと懇談をさせていただきました。
 この祝賀会で、偶然、八十三歳で極めて元気そうな岡田さんとおっしゃる方と話す機会がありました。岡田さんは県人会副会長を過去に務められた方で、出身は橋本市吉原と言われ、びっくりしました。岡田さんは、太平洋戦争の復員後結婚され、夫婦で昭和二十年代にブラジルに渡り、英語が得意でしたので通訳として重宝がられ、今では子供三人と多くの三世に恵まれ、皆さん立派に活躍されておるとのことでありました。帰国後は、早速岡田さんの関係宅を訪問し、岡田公生様との出会いを報告した次第であります。
 また、かつらぎ町東渋田出身の六十歳代の女性、東浦テルミさんは門議員の紹介でお会いいたしました。東浦さんは昭和三十年代に県移民課の紹介で花嫁としてブラジルに移住された方で、結婚相手はブラジルにいる鳥取県出身の青年でした。写真一枚で結婚を決断したと言われ、神戸港よりブラジル丸に乗っての五十三日間、親、多くの兄弟とも別れ、長い船旅と不安で涙もかれてしまったと言っておりました。しかし、苦労はあったものの今では幸せで、六人の子供は立派に成長し、三世の孫も多く誕生していると話されており、感無量でありました。
 また、現在サンパウロ在住の八十八歳の県人の松原寿一氏より、台風二十三号に対する和歌山県への義援金として一千ドルの寄附申し出が木村知事にありました。思い起こせば昭和二十八年、我が和歌山県が大水害に襲われ、これらの被害に遭った人たちを救済するため、県がブラジルへ移住を計画・実行したこと、またこれに対して在伯和歌山県人会が受け入れに多大な貢献されたことを思いますと、大きな感慨を覚えました。
 引き続き記念アトラクションが開催され、サンバショーや県人会の方々の熱唱が披露されました。サンバショーでは、東議員が八百人の観客のステージに上り、地元ダンサーにまじりダンスを披露し、県人会の方々より大きな拍手喝采を浴びました。
 その後、ブラジルでの最後の行事である県人会主催のお別れ会が、五年前に改築された和歌山県人会館一階サロンで県人会代表六十名の参加のもと、夕刻より開催され、さらに懇親を深めたところであります。
 また、ブラジル滞在の三日間、本県からの進出企業であるノーリツブラジル社の鳴神社長がおつき合いをくださいまして大変心強く、感謝いたしております。
 その夜、在伯県人会の方々に見送られ、サンパウロ空港を出発。機中泊の後、十一月一日、カナダ・トロント空港経由にてカルガリー空港へ到着し、世界遺産であるカナディアンロッキー山脈自然公園群入り口であるバンフに到着いたしました。
 バンフではバンフ国立公園管理事務所を訪問し、広報担当のアン・モロー女史よりバンフ国立公園の保護と管理、また利用促進について説明を受け、意見交換をしてまいりました。特にクマ、シカ、あるいは多くの小動物を含め、保護に対するすばらしい取り組みがされ、広い車道は常に動物が優先とし、リスなど小動物の横断にも「細心の注意を」と記載されておりました。また、天然に育った針葉樹林の密生はどうするのかと聞くと、「間引きはしない。枯れ木、倒木も除去しない。すべて自然体のままにしておくことが自然公園である」と言われました。
 十一月二日は飛行機にてバンクーバー空港へ到着いたしましたが、ここでもサンパウロ同様、横断幕を掲げたBC州和歌山県人会の方々の出迎えを受けました。バンクーバーは本県日高郡美浜町、当時の三尾村出身の工野儀兵衛翁が明治二十一年(一八八八年)にカナダへ渡り、「フレーザー川にサケがわく」と現地の様子をふるさとに伝え、その後、多くの村民を呼び寄せたところであります。移住された方々は主に漁業に従事し、現地で稼いだ金はふるさとに送られ、やがて村の財政を潤していくこととなりました。最初は出稼ぎの形態であったが、長期移民へと変わっていき、現地には三尾村人会が結成され、カナダに第二の三尾村がつくられていった歴史がございます。三尾の人たちは政府など行政の援助を受けることなくみずからの意思で海外へ雄飛して行ったところであり、同郷であるという人々のきずなの強さに驚かされたのであります。帰国した人たちは洋風の家を建て、生活も洋式で暮らしていたので、三尾は「アメリカ村」と呼ばれるようになったわけであります。今でも県人会のメンバーの多くは三尾出身の方でありました。
 翌日の十一月三日はリッチモンド市へ移動し、カナダ移住の先駆者である工野儀兵衛翁を顕彰して和歌山県人の手によりつくられた公園である工野ガーデンで行われた第五回桜の木植樹祭に出席し、塩害に強いアケボノという品種の桜の木を植樹してまいりました。この植樹により、永遠の友好と強いきずなを誓い合うことができました。リッチモンド市は和歌山市と友好姉妹都市の締結を一九七三年に行われておるようであります。
 その後、近くのフレーザー川周辺を視察し、かつて多くの県人が働いていた元缶詰工場を改装して博物館にしたガルフ・オブ・ジョージア資料館、日系関係者が二〇〇二年に建立した日系漁師像を見学しました。この像は、BC州漁業史に多大な貢献をした日系漁師の功績をたたえた像であり、BC州和歌山県人会も建立に大きな役割を果たされたものと言われておりました。
 夕刻からは県人会主催の歓迎会が開かれ、知事、議長のあいさつ、浦口議員の乾杯の後、リッチモンド市長マルコム・ブローディー氏や在バンクーバー総領事の多賀敏行氏らの来賓を交えながらBC州和歌山県人会の約七十名の方々と交流をいたしました。私と同席した方で林栄造氏は、本宮市の出身でありました。BC州和歌山県人会の役員で、このときの総合司会をいただいたわけでありますが、私のちょうど後輩でございまして、農業大学校を昭和四十二年卒業の五十八歳、造園業を手広くなされておる方でございまして、積もった話がたくさんございました。このことを帰国後、農業大学校の熊谷校長にも報告したところであります。
 十一月四日にはバンクーバー島のビクトリア市を訪ね、年じゅう花が咲き誇り、年間百万人の観光客が訪れるブッチャートガーデンを視察するとともにBC州政府観光局を訪問し、観光施策について説明を受けるとともに意見交換を行ってまいりました。カナダは五月から九月の観光客は年々増加しているようで、私もぜひもう一度ゆっくりと訪れたいと存じます。
 翌日の十一月五日にバンクーバー空港を出発、十一月六日、関西空港へ帰着した次第でありますが、長時間のフライト、時差、そして特に大変であったのが気候の変化で、ブラジルは日中の温度が三十度でありましたが、カナダのバンフは零下五度、一夜明けると二十センチの積雪がございまして、私も、コートがなかったんでジャンパーを買うた次第です。三十五度から四十度ほどの温度差が記憶にありまして、びっくりいたしました。
 こうした大変ハードな日程でありましたが、充実した海外視察訪問を無事終えることができました。全行程の中、知事、議長は七回相当のあいさつする機会があり、知事の心のこもったあいさつ、議長からは紀州弁を取り入れたユーモアたっぷりのあいさつは、その場を和やかな雰囲気にさせ、大変よい結果となりました。また私は、ほとんど日本語がどこへ行きましても通じましたので、大変安心して勉強をさしていただきました。
 大志を抱いて海外へ雄飛した和歌山県人が数々の困難を乗り越え、各国でたくましく活躍されていますのを拝見するとともに、県人会の方々が次世代を担う若い人たちと母県との交流について大きな期待をされていることを実感した次第であります。県人会の役員の方々からは、より一層の交流をと、特に現在実施されております技術研修員の受け入れ事業についての強い要望を受けました。
 そこで、知事に、海外県人会との交流を今後どのように進められていくのか、お伺いいたしたいと思います。
 以上で、ブラジル・カナダ訪問の報告を含め、一般質問といたします。御清聴ありがとうございました。
○議長(小川 武君) ただいまの木下善之君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事木村良樹君。
  〔木村良樹君、登壇〕
○知事(木村良樹君) ただいまの木下議員の御報告を聞きながら、もう大分日がたちましたので、私も改めてもう一度この間の訪問のことを思い出させていただきまして、本当にありがとうございました。
 この訪問、先ほどもありましたように、ブラジルの県人会の五十周年ということで、大体三十周年、四十周年、五十周年と──門先生は三回ともずっと行かれているということでしたけども、五十周年ということで、私、そして議長を団長にして行ってきたわけでございます。
 現地の皆さん方は非常に喜んでくださったんですけども、何分、このブラジルなんかも一世、二世の時代から三世、四世の時代へ入っていて、こちらの方々は皆、和歌山県のことを「母県」というふうな言い方をして非常に親しみを持って毎日暮らしておられるようですし、そしてまたNHKの衛星放送なんかも見られているんで、非常に日本のことにも詳しいというふうな状況にあり、いろんなことをこちらも教えていただいて非常に参考になりました。
 そしてまた、先ほどの中の話にもありましたけれども、小泉総理がちょっと前に行かれて大変話題になりましたけども、くしくも同じ会館に八百名の方がブラジル各地から集まって大会を開かれ、そこに我々も参加したわけですけども、これも本当に非常な盛り上がりで、皆さんの和歌山県に対する気持ちの強さを改めて感じるとともに、また和歌山からブラジルへ渡った方、そしてまたその後行きましたカナダへ渡った方々は、大体その地において非常に指導的な地位につかれている方が多いというふうなことで、海外での和歌山県出身者の活動に非常に心強い思いがしたわけでございます。
 そういう中で、このブラジルの方々の希望でも非常に強かったのが、だんだんと子孫といいますか自分たちの子供や孫の代になると関係が薄れてくると。そういう中で、和歌山県へ交流で来ている新しい世代がそういう活動の中心になって非常に頑張ってくれているので、こういうものをもっと強化してほしいというふうな話がありました。予算の問題がありましてちょっと減らしたりしましたが、これは非常に有効なことだということが改めて感得されましたので、またこれは力強く進めていかなければならないと思います。そしてまた、その他の方面においても、この方々の和歌山県に対する思いを大切にして、またこちらでもこの方々の活躍ということを県民の方々に広く知らせることによって和歌山県に元気をつける一つの方策にしていきたいというふうに思っております。
 カナダでもバンクーバー──これはまた三尾の方から行かれた方が中心になって非常に和やかな夕食会など開かれ、そしてまた横断幕を持って何回も何回も出迎え・見送り・出迎え・見送りと、本当に頭の下がる思いでした。あちらへ渡られた方の心温かい歓迎に接して本当に久しぶりに心が洗われるような思いがしたわけでございます。これからもこういうふうな地域との交流を力いっぱい進めてまいりたいと思います。
 以上でございます。
○議長(小川 武君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
  〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(小川 武君) 以上で、木下善之君の質問が終了いたしました。
 お諮りいたします。質疑及び一般質問は、これをもって終結することに御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(小川 武君) 御異議なしと認めます。よって、質疑及び一般質問はこれをもって終結いたします。
 次に日程第三、議案等の付託について申し上げます。
 ただいま議題となっております全案件は、お手元に配付しております議案付託表のとおり、それぞれ所管の常任委員会にこれを付託いたします。
 次に日程第四、請願付託の件について報告いたします。
 今期定例会の請願については、お手元に配付しております請願文書表のとおり、それぞれ所管の常任委員会にこれを付託いたします。
 なお、常任委員会の会場はお手元に配付しておりますので、御了承願います。
 次に日程第五、和議第三十一号「北朝鮮による日本人拉致問題の早期全面解決を求める意見書(案)」及び和議第三十二号「北朝鮮による日本人拉致問題の早期解決を求める意見書(案)」を一括して議題といたします。
 案文は、お手元に配付しております。
 お諮りいたします。本案については、いずれも提出者の説明等を省略し、これより直ちに採決いたしたいと思います。これに御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(小川 武君) 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決定いたしました。
 これより採決に入ります。
 まず、和議第三十一号を採決いたします。
 本案を原案のとおり決することに賛成の諸君は、御起立願います。
  〔賛成者起立〕
○議長(小川 武君) 起立少数であります。よって、本案は否決されました。
 次に、和議第三十二号を採決いたします。
 本案を原案のとおり決することに賛成の諸君は、御起立願います。
  〔賛成者起立〕
○議長(小川 武君) 起立全員であります。よって、本案は原案のとおり可決されました。
 お諮りいたします。十二月十四日及び十五日は常任委員会審査のため休会といたしたいと思います。これに御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(小川 武君) 御異議なしと認めます。よって、十二月十四日及び十五日は休会とすることに決定いたしました。
 次会は、十二月十六日定刻より再開いたします。
 本日は、これをもって散会いたします。
  午後二時二十二分散会

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