平成16年6月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(尾崎太郎議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

  午後一時二分再開
○副議長(吉井和視君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。
 質疑及び一般質問を続行いたします。
 二番尾崎太郎君。
  〔尾崎太郎君、登壇〕(拍手)
○尾崎太郎君 議長の許可を得ましたので、一般質問をいたします。
 まず、教育問題についてであります。
 小・中・高とも一度も優等生であったこともなく、やんちゃくれの代名詞であったような私が教育行政を論じるのはいささか口幅ったい気もいたしますが、保守政治を標榜する者の端くれとして昨今の教育のあり方は看過できないものがあり、吉井和視先生を会長とする教育を考える議員連盟で私も末席を汚しつつ、この問題に取り組んでいるところであります。
 先日も、御近所の高校生と話す機会がありました。その子は高校を受け直したというので理由を聞くと、前の学校はとてもじゃないが勉強できるような環境じゃなかったと言うのです。男女を問わず、白昼堂々とくわえたばこで下校し、路上に直接あぐらをかいてたむろする生徒たち。教師を全く無視し、崩壊していく学級。社会問題化する引きこもり、キレる子供たち。今や、こうしたことは我が国の日常の光景とさえなってしまっています。一体我が国の教育はどうなってしまったのか。何かが根本的に間違っていたのではないか。今日の教育行政は、人とはどういう存在であるかといった根源的な問いかけをすることからやり直していかなければならないのではないでしょうか。
 社会主義国家は、人間の本性に対する無知ゆえに、あるいは無邪気なまでの理性への妄信ゆえに、現実から遊離した抽象的な理念に基づく経済政策を推し進め、破綻しました。経済におけるマルクスの誤謬は今や明らかになったわけですが、我が国では教育の世界で巧妙にその姿を変えながら勢力を拡大してきた、その結果が現在の教育の荒廃であると我々保守は考えます。浅薄な観念体系としての理想社会をつくろうと、子供たちを教育されてはたまりません。
 我々保守政治を標榜する者は、現実社会の成り立ちをまずは肯定しようと構えます。そして、現実社会は先人たちの営みの上に積み上げられてきたものですから、過去、歴史もまたできる限りこれを肯定的にとらえていこうと努めます。我々は、日常的で身近なもの、慣習、伝統、文化、過去、歴史を大切にし、知性、理性についてはそれがすばらしいものであり、人間にとって必要不可欠なものであることは認めつつも、時にはそれが人をして過激な行動に走らせることを恐れるのです。
 トクヴィルの言葉をかりるならば、知性には健全な枠をはめなければならないのであり、枠とは悠久の時の流れの中で醸成されてきた慣習、伝統であり、またそれらに根差した道徳であるのです。事ここに至って、ようやく道徳教育の必要性が叫ばれつつあります。法律の強制だけで社会秩序を維持しようとしても、それは無謀というものであり、そんな社会は非常に窮屈で不自由な社会となり、全体主義をほうふつさせます。道徳により各人がみずからによき振る舞いを課して初めて、社会は品格あるものとなるのです。
 そして、ヒュームが言うように、道徳の規制は理性、人間の知的判断の決定ではないのであります。したがって道徳とは、今に生きる我々が頭で考えてつくるルールなどでは決してなく、祖先から受け継いでいくたぐいのものであります。どこかの小学校で、「いただきます」と食事の前に手を合わせて唱和することが問題になったと聞いたことがあります。まさに憂慮すべき事態であります。
 私が市議会議員時代には、ある御婦人が「思春期のためのラブ&ボディBOOK」なる冊子を事務所にお持ちになり、こんなものを学校が娘に配るのは許せないので何とかしてほしいとの陳情を受けました。一読してみて、驚倒いたしました。正気のさたではない。ピルの礼賛のようなことまで書いてある。常識的な親なら、性交を奨励するかのようなこのような冊子は当然、中学生の娘さんには読ませたくはないでしょう。
 私は、早速教育長に抗議し、和歌山市内の中学校へは配布しないように申し入れるとともに、このような冊子が父兄や議会などのチェックを受けることもなく、あたかも正規の教材であるかのように学校で配られてしまう教育行政のあり方に恐怖を覚えました。幸い、和歌山市では既に配布を終えた数校を除いて配布を中止しましたが、この冊子は厚生労働省所管の母子衛生研究会なるところが全国で百二十七万部も配ったそうですから、問題の根は深いと言わなければなりません。
 また、文部科学省が日本女性学習財団に委嘱してつくらせた「新子育て支援 未来を育てる基本のき」というパンフレットには、「女の子には礼儀正しく、言葉遣いは丁寧に、男の子にはガッツがあって責任感がある子に、こんな押しつけをしていませんか」とか、あるいは女の子にひな祭り、男の子にこいのぼりというのはよくないというようなことが書いてあります。
 「らしさ」という高校教科書では、とにかく男らしさとか女らしさ、日本人らしさとか、そういう「らしさ」というものは差別につながるというのです。男女が共同して社会に参画することと男女の性差をなくすということは、全く次元の異なることであります。某市の男女共同参画課は、両性具有のカタツムリの絵を描き、「人間の理想だ」とするグロテスクなパンフレットを作成しております。いわゆるジェンダーフリーなどは現実から遊離した抽象的な理念そのものであり、思想と呼べるほどのものですらなく、妄想と言ってもよいものでありましょう。
 最新の脳神経科学は、男性の脳、女性の脳の違いを明らかにしています。男女は生まれながらにしてそれぞれの「らしさ」を持っているものなのです。互いの差異を認め合うこと、いや、むしろ差異があるがゆえに男女は引かれ合い、調和することができると言った方がいいのかもしれません。
 無論、「らしさ」には文化的側面があります。例えば、「武士道の国から来た自衛官らしく」といった物言いにそれはあらわれます。民族で共有できる「らしさ」は民族が共有できる価値であり、それを伝えていくことこそ、価値相対主義のわなに落ちた我が国に今まさに必要とされる教育であると言えましょう。どこの国も、どの民族も、それぞれに固有の歴史を持っています。それぞれの固有の歴史こそが、その国、その民族の「らしさ」、すなわちアイデンティティーであり、その国をその国たらしめる共同体意識の源泉であります。固有の歴史の喪失はアイデンティティーの喪失であり、固有の歴史とは国民のアイデンティティーのために叙述された歴史であると言ってよいかと思います。だれの視点で書かれたのかよくわからないような自虐的な歴史は固有の歴史とは言えず、学究的な歴史学としてはともかく、学校教育には適していません。何となれば、そもそも子供たちに自国の歴史を教えることの意義は国民意識を養成することにあるのですから。
 無論、私は偏狭な自国中心主義を唱えているわけではありません。我が国はとりわけ、世界の他の国々と適切な関係を築いていかなければ存立し得ない成り立ちの国であります。しかし、自国のアイデンティティーが揺らいでいては他国と適切な関係を維持し得ないのは、アイデンティティーを見失った人が他人とうまくやっていけないのと同じであります。
 近年、そうした状況を憂い、新しい歴史教科書をつくる会が「新しい歴史教科書」を世に問いました。私も一読しましたが、ようやく我が国にも子供たちに自分たちの国の生き生きとした歴史を語ろうとする教科書が登場したかと、喜んだものであります。
 しかし、御承知のとおり、検定には合格しましたが、採択はほぼゼロという残念な結果でありました。当時、教科書採択をめぐって文部科学省は全国の都道府県教育委員会教育長に対し、採択の公正確保を求める通知を採択作業進行中に重ねて出しております。毎回さしたる混乱もなく行われていた教科書採択が、他の教科書と同じく正規の手続を経て検定を通っている「新しい歴史教科書」が加わった途端、異例の通達を出さざるを得ないほど混乱をしたわけであります。市販本としては六十万部も売れた「新しい歴史教科書」の採択率が〇・〇三九%、ほぼゼロであったのは単なる偶然であったとは私にはとても思えません。教科書の公正な採択については、いま一度考えてみるべきでありましょう。
 次に、ゆとり教育についてであります。
 マスコミに報道されて有名になった円周率を三と教えることが象徴するいわゆるゆとり教育とは、一体どのような教育的見地から導入されていったのか。これもまた、我が国の伝統的な教育のあり方に対する一部の進歩的官僚の生理的な反発ではなかったのか。私には、合理的な根拠があってのことだとは到底思えないのです。
 言うまでもなく、学力の向上を目指すことは学校教育の大前提であります。学力であれ、体力であれ、それを向上させるためには負荷、ストレスをかけることが必要不可欠であります。負荷とは苦しむことと言ってもよいでしょう。人格でも「艱難なんじを玉にす」というぐらいですから、苦労なしには向上し得ないのです。スポーツの世界にゆとり練習などというものがあるでしょうか。それは練習ではなくて、遊びであります。
 ゆとり教育もまた、遊びにはなっていないか。遊びは楽しいものであり、それはそれで人間にとって必要なものであります。よく学び、よく遊べであります。しかし、遊びではパフォーマンスの向上は期待できません。練習や学習を楽しむというのは、ある一定のレベルに達した人の言うことであり、また別の次元の話であります。スポーツ選手なら、ゆとりある練習しか課さないようなそんなコーチは早々に見切りをつけてしまうことでしょう。
 もちろん、過度の負荷は逆効果ではありますが、かつて詰め込み教育だと非難された我が国の教育が子供たちにとって過度の負荷であったのかどうか。今のゆとり教育が適度な負荷なのかどうか。今日の我が国の子供たちの著しい学力の低下と他国の子供たちの学力の向上を見るとき、答えは明らかであります。
 人は、だれしも楽に流れやすいものであり、自分で自分を律することは至難のわざであります。まして、子供においてはなおさらであります。そういう意味では、巷間、子供の権利などということが言われておりますが、子供には厳しく鍛えてもらう権利があると言えます。すぐれたコーチをつけてもらえる権利があると言えるのです。書店に行けば、子供の学力をどのようにして伸ばしていくのかをテーマとしたハウツー本が所狭しと並んでいます。あたかも今日の公教育に対する国民の自己防衛のようですが、売れているものを何冊か読んでみますと、何のことはない、内容は驚くほど伝統的であり、特に目新しいものはありません。音読、書き取り、単純な計算、文章の丸暗記等であります。最新の栄養学に基づいて献立を考えたら伝統的な日本食になったようなものであります。
 子供たちの個性を尊重しながら自由と独創性を認め、指導は抑圧的にならず優しく指導しようとして、学級は崩壊いたしました。江戸時代、我が国の教育は紛れもなく世界最高の水準でありました。寺子屋では、少年たちが正座をさせられ、意味もよくわからない「論語」を一斉に大声で暗唱している。先生のおっしゃることは絶対的で、逆らうことは許されない。たまにはげんこも飛んでくる。それでも、少年たちは先生を尊敬し、元気に勉学に励んでいたのではないでしょうか。
 また、昔日の我が国の家庭でのしつけは、日本を訪れた宣教師たちを驚嘆せしめています。「我々の子供は、その立ち居振る舞いに落ちつきがなく、優雅を重んじない。日本の子供はその点非常に完全で、全く称賛に値する」と、イエズス会の宣教師ルイス・フロイスは著書である「日欧文化比較」に記しています。
 アメリカは、一九六〇年代から七〇年代に深刻な教育問題に直面いたしました。共和党のレーガン政権は、教育には厳しさが必要との観点から、それまでのリベラルな教育行政を修正いたしました。その後の民主党のクリントン政権もさらに基礎学力の向上に力を入れ、数学や理科、国語の授業時間数を五〇%以上も引き上げましたが、その成果はまことに顕著なものがありました。アメリカをまねよとは言いませんが、我が国は悠久の歴史を誇る国柄。教育行政に携わる方々も、ぜひ一度、古きをたずねていただきたいと思います。必ずや、新しきを知ることでありましょう。
 我々が教育をどのように考えているのかを、るる述べさせていただきました。何点かを教育長にお尋ねいたします。
 まず第一点、道徳教育の必要性をどのようにとらえておられますか。また、道徳教育はどのようにして行われるべきものとお考えでしょうか。
 第二点、自国の歴史を教えることの教育的意義をどのようにお考えでしょうか。
 第三点、教科書採択はどのような手続で行われるのですか。また、採択の公平性を確保するためにどのような点に留意すべきでしょうか。
 第四点、いわゆるジェンダーフリーについてはどのようにお考えですか。
 第五点、ゆとり教育についてはいかがでしょうか。
 以上、お尋ねいたします。
 さて、本県は果樹王国であり、中でも紀州ミカンは温州ミカンのトップブランドとして長らく市場に君臨してまいりました。私が子供のころは和歌山と言えばミカン、ミカンと言えば和歌山であったわけですが、近年では、品種の多様化、消費者の嗜好の変化等によりその競争力は低下してきており、激しく変動するミカンの価格は農家の経営を難しいものにしています。
 そこで、食品としてのミカンではなく、原材料としてのミカンの生産に活路を求める試みが金屋町のミカン農家の方々で行われています。ミカンがさまざまな薬効を持つことは古くから知られており、ある俳優が毎日焼きミカンを一つ食べるという健康法を実践していると聞いたことがありますし、私も小さいころ、天日に干してすりつぶしたミカンの皮が入ったおもちを体にいいからと祖母に食べさせられた記憶があります。また、漢方ではミカンは知られた素材だそうでありますし、学会でもミカンの薬効に関する研究が進められ、ミカンの皮に含まれるヘスペリジンを初めとする各種のフラボノイド類がアレルギー体質の改善に効果があるとの論文が発表されております。
 現在の我が国では、花粉症、アトピー性皮膚炎などのアレルギー疾患が増加の一途をたどっております。国は事態を重く受けとめ、中核研究機関である理化学研究所免疫・アレルギー科学総合研究センターや国立相模原病院、千葉大学などが共同で、アトピー性皮膚炎、花粉症等を今後解決すべきアレルギー疾患とし、まずは花粉症に対する根治療法を五年以内に確立することを目指していますし、文部科学省はアレルギー疾患の原因究明に向けて詳しい調査に乗り出す計画であります。
 現在の薬事法等では薬品と食品ではその意味合いが全く異なり、食品をもって「何々に効く」と表示することはできません。しかし、いわゆる健康食品は国民の健康への関心の高まりとともに大きなマーケットを形成しつつあり、各食品メーカーも新たな商品の開発にしのぎを削っています。こうした現状にかんがみ、厚生労働省も健康食品に係る制度のあり方に関する検討会で、法的な位置づけが不明確ないわゆる健康食品の適切な取り扱いについて協議を始めました。
 こうした状況の中、きのくにコンソーシアム研究開発調査事業の援助を受けて各種かんきつ類の有効成分検索や製造方法を検討した本県の研究者は、ヘスペリジン等の各種フラボノイドは成熟する前の青ミカンにより多く含まれていることを突きとめ、さらには、どの程度の大きさの青ミカンが一番効率的かまでを明らかにしています。この研究を受けて金屋町農家の方々は、金屋町青みかん薬用利用研究会を立ち上げました。去る五月三十日にはこの研究会主催の「青みかんに秘められた力」と題する講演会が金屋町文化保健センターで開催され、大阪府立大学大学院の小崎俊司先生を初め三名の教授から、青ミカンにはまだまだすぐれた薬効がある可能性があり、現在鋭意研究中であるとのお話がありました。また、県内の企業により青ミカンを原材料にした全国初となる健康食品も開発され、四月に発売に至っておるところであります。
 原材料としての青ミカンの栽培生産は、ミカン農家に安定した収入が確保できる、計画生産ができる、ミカン樹木の延命ができる等のメリットがあり、青ミカンの収穫は摘果のような専門性がないので、例えばシルバー人材センターなどからの人材を受け入れられる可能性もあり、新たな雇用の創出につながります。他県に先んじて青ミカンの生産に乗り出したのですから、和歌山産青ミカンを何とかしてブランド化していきたいものであり、そのため品質、安全性をさらに向上させる生産ノウハウの確立が求められるところであります。
 知事の提唱された緑の雇用事業は、かつて本県の代表的産業であった林業に新たな視点から光を当てたものであり、小泉総理もその可能性には大いに注目をいたしております。日本語では、しばしば緑は青と表現されます。青葉、青虫、青信号。青ミカンは緑のミカンのことであります。青ミカンは、さまざまな薬効が期待できる大きな可能性を秘めた農産物ではありますが、いまだ消費者に十分認知されるには至っておりません。ぜひとも青ミカンを活用するこの事業を農業版の緑の事業とでも位置づけていただき、知事持ち前の情報発信力で全国へアピールをしていただきたいと思います。
 現代では、宣伝、コマーシャルが事業の成否を分けると言っても過言ではありません。「文藝春秋」の全国知事ランキングのベストテンに木村知事が入っており、記事には木村知事に対するコメントも載っておりました。別に雑誌のランキングに入ったからといってその知事の評価が定まるわけではないのは言うまでもありませんが、木村知事のキャラクターは少なくとも日本で最も売れているオピニオン誌をにぎわせたことは事実で、歴代の知事にはなかったことのように思います。
 話題になるというのは現代ではとても大事なことであり、一つの才能であります。同じことをしても、知事だから話題になるというのではなくて、木村良樹だから話題になるという要素が確かにあると思います。適切な政策を立案・実行することはもちろん大切なことではありますが、時にはそれを知ってもらうことがもっと重要な場合もあります。青ミカンにつきましても、知事の御活躍に大いに期待をしたいところであります。青ミカンを活用した新しい事業についてどのようにお考えか、知事及び関係部長にお尋ねをいたします。
 最後に、地籍調査についてお尋ねいたします。
 行政を円滑に効率よく進めるためには、我が国を構成する国民、国土の現状を正確に知る必要があることは言うまでもありません。戸籍につきましては、我が国は世界で最もよく整備されており、しばしば羨望の的となっていますが、地籍となりますとまだまだ十分には整備されておりません。登記簿や公図が必ずしも実態をあらわしたものでないことは国民の常識であり、そのため土地の取引に際しては、国民は地籍が整っていればする必要のない折衝を余儀なくされています。また、公図の訂正に大変な時間がかかるような状況をこのまま放置していては、必要な公共事業がスピーディーにできず、本県の競争力はさらに低下してしまいます。したがいまして、本県も早急に地籍を整備する必要があると考えます。
 そこで、地籍調査の意義をどのようにとらえておられるのか、また現在の本県の進捗率はどのぐらいであるのか、今後どのような方針で地籍調査を進めていくおつもりなのかを担当部長にお尋ねいたしまして、質問といたします。
○副議長(吉井和視君) ただいまの尾崎太郎君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事木村良樹君。
  〔木村良樹君、登壇〕
○知事(木村良樹君) 青ミカンを活用した新産業の創出ということですけども、私自身もこれに大変な関心を持っております。今、和歌山県で二つの会社がやっていこうというふうなことで、私はどちらの分も見ておりますけれども、非常に希望が持てるし、それからまた、ミカンをミカンとして売るのではなく青ミカンとして売るというふうな発想が今の時代には非常に貴重なものだというふうに思っております。
 ただ、これも結局、今御質問にありましたように、PRということが非常に大事でして、和歌山県の北山村にジャバラというミカンがありますが、これのジュースが花粉症に効くということをマスコミが報じた途端に、もうこれは今や手に入りにくい、焼酎で言えばすごい焼酎がありますけども、それほどのジュースというふうなことになっております。
 この青ミカンの、これは今錠剤というふうな形ででき上がっておりますけれども、これも早くそういうふうな形で人口に膾炙するようになれば、本当に和歌山県をひょっとしたら支えるような産業の一つになる可能性がありますので、県としてもいろんな形でPRに努めていきたいし、またできる限りの支援をしていきたいと、このように思っております。
○副議長(吉井和視君) 商工労働部長石橋秀彦君。
  〔石橋秀彦君、登壇〕
○商工労働部長(石橋秀彦君) 青ミカンを使った新産業の創出についてでございます。
 議員お話しのかんきつ類果実を素材とする機能性食品の開発研究につきましては、平成十五年度のきのくにコンソーシアム研究開発調査事業を活用することにより成果を得られたものであり、研究開発をもとに新事業の創出につながっていく好事例であると考えております。
 今後は販路開拓が重要な課題となってまいりますが、専門分野への展示会出展やマーケティング調査など、制度活用について御検討いただくとともに、新たな研究開発等につきましては事業の各段階に応じた適切な支援策が講じられるよう検討してまいります。
 以上でございます。
○副議長(吉井和視君) 農林水産部長阪口裕之君。
  〔阪口裕之君、登壇〕
○農林水産部長(阪口裕之君) 原料としての青ミカン生産に関する支援についてでございますが、県ではこれまでミカンのベータクリプトキサンチンやカキのビタミン類、梅のクエン酸など、本県主要果実の持つ機能性を前面に押し出した消費拡大対策を関係団体と一体となって取り組むとともに、現在、カキ酢やカキの皮についての新たな機能性成分の研究を関係機関の協力を得ながら進めているところでございます。
 議員お話しの青ミカンの機能性を生かした新商品の開発につきましては、収穫前の未成熟のミカン、いわゆる摘果ミカンを原料として利用するものであり、ミカンの新たな需要を開拓する試みとしてその動向に注目しているところでございます。
 今後は、原料としての安全性の確保とともに安定した生産のために、肥培管理や農薬の適正な使用など、生産技術指導を通じて支援してまいりたいと考えてございます。
○副議長(吉井和視君) 企画部長野添 勝君。
  〔野添 勝君、登壇〕
○企画部長(野添 勝君) 和歌山県の地籍調査につきましてお答えいたします。
 現在、法務局に備えつけられている登記簿と公図の多くは明治時代の地租改正によってつくられた台帳と地図をもとにしたもので、土地の境界や面積が正確とは言えず、議員のお話のとおりでございます。
 地籍調査により土地の実態を正確に把握し、これに基づき正確な登記に改めることにより、公共事業の用地取得の促進、課税の適正化、災害復旧の円滑化、民間の土地取引の効率化など、さまざまな効果が得られるものと考えております。
 地籍調査の現状でございますが、県内五十市町村のうち既に完了した下津町、太地町の二町を除くすべての市町村が実施中で、高野口町は本年度、野上町は来年度に調査完了の予定です。平成十五年度末現在の本県の進捗率は一三・六%で、近畿平均の約一一%を上回っておりますが、全国平均の四六%を大きく下回っております。このため、県としましては、厳しい財政状況の中ではございますが、過去五年間で事業費をほぼ倍増させるなど積極的に取り組みを進めており、今後も必要な予算の確保に努めるとともに、市町村に対し一筆地調査の外注化制度の活用等、事業の効率的処理の指導に努めるなど、引き続き国、市町村と連携し、事業をさらに強力に推進してまいりたいと考えております。
○副議長(吉井和視君) 教育長小関洋治君。
  〔小関洋治君、登壇〕
○教育長(小関洋治君) 教育問題、五点についてお答えいたします。
 まず初めに、道徳教育のあり方といたしまして、子供たちが相互の心の交流を大切にし、正義感や公正さ、命を大切にするなど、豊かな人間性や社会性を身につけることが重要であると考えております。こうした観点に立って、あらゆる教育活動の根底に道徳教育を位置づけるとともに、家庭や地域と連携して子供たちに実践力を伴った豊かな心をはぐくむ指導を強めているところです。
 次に、歴史教育、とりわけ中学校における歴史学習の目標は、子供たちに多様な歴史的事象を通して我が国の歴史への関心を高め、その流れや特色を世界の歴史を背景に理解させることにあります。さらに、我が国の文化と伝統のすばらしさを学ぶことにより日本人としての自覚を育てることが大切であると考えております。
 続いて、教科書の採択についてお答えします。
 国の検定に合格したすべての教科書について、県内八つの採択地区の市町村教育委員会がその権限と責任をもって綿密な調査研究を行い、さまざまな視点からの意見をもとに公正かつ適正な採択を行っております。県教育委員会としましては、有識者、教育関係者や保護者等で構成する県教科用図書選定審議会を設置して、各採択地区に対し指導・助言しているところです。
 次に、ジェンダーに係る指導は、男女共同参画社会の実現のために行われる取り組みであると認識しております。したがって、男らしさ、女らしさは一概に否定されるものではなく、性別にかかわらず、自分らしさを大切にし、一人一人が個性や能力を十分に発揮できる社会を目指すことに主眼が置かれるべきであると考えるものであります。
 学校教育においても、こうしたことを踏まえ、固定的な男女の役割分担意識によって自己実現の幅が縮まることのないよう留意しながら、これまで長年にわたって築かれてきた文化や伝統を大切にするとともに、互いに異性についての理解を深め協力し合う態度を育てていくことが必要であると考えております。
 最後に、いわゆるゆとり教育については、新しい学習指導要領では、知識、技能を単に教え込むことに偏りがちであった教育から、みずから学び、みずから考える力などをはぐくむ教育へとその基調を転換したものと受けとめております。しかしながら、基礎的な学習が軽視され、学力が低下するのではないかという心配の声が上がったことも事実であります。
 教育委員会としましては、教育内容を厳選することで生まれる時間的、精神的なゆとりを活用し、子供一人一人の理解の状況や習熟の程度に応じたきめ細かな指導を行い、基礎・基本の確実な定着を図るとともに、発展的な学習を取り入れることによりさらなる学力向上を目指すよう各学校に対し指導いたしております。
 また、昨年度から全県的に学力診断テストを実施して基礎的、基本的な学力が定着しているか、これを客観的に把握し、確かな学力の育成に努めているところでございます。
 以上であります。
○副議長(吉井和視君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
 二番尾崎太郎君。
○尾崎太郎君 教育問題につきましては、我々教育を考える議員連盟で勉強を続けまして、また大いにこの本会議場で教育長とあるべき教育の姿について議論を展開してまいりたいと思います。
 また、青ミカンにつきましては、知事の熱意ある決意が伝わってまいりまして、非常に心強い感じがいたしました。農家の方、特に青ミカンを生産して新しい農業のあり方を模索しておられる方々にもよい励みになったのではないか。新しい産業の創出に向けてこれからも御支援賜りますようお願い申し上げまして、要望といたしまして質問を終わります。
○副議長(吉井和視君) ただいまの発言は要望でありますので、以上で尾崎太郎君の質問が終了いたしました。

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