平成13年9月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(町田 亘議員の質疑及び一般質問)


県議会の活動

 質疑及び一般質問を続行いたします。
 二十四番町田 亘君。
  〔町田 亘君、登壇〕(拍手)
○町田 亘君 「おい、町田よ」と、隣の席からよく話しかけてくれた「へげやん」の愛称で親しまれた木下秀男君の机の上には、花が飾られております。もう二度と再び話し合うことのない、できない木下秀男君のご冥福を心から祈りながら、最終日の最後の質問に入らせていただきます。何とか三時までに終わる努力をいたしますので、ご協力をお願いいたします。
 白浜にある南方熊楠記念館に久しぶりに行ってまいりました。白浜名所のめがね岩を左に見る風光明媚な番所山の頂上に建っています。番所山は、ご存じのとおり、御坊、日高、南部、田辺、白浜等、三百六十度見渡せ、また昔は不審な船が来るとのろしを上げて知らせたと言われる、まさに名のとおり、お番をする場所でありました。
 熊楠翁は、明治時代に地球的な視野で学問をし、自然を愛し、人を愛した、規格外の巨人と言われました。熊楠翁は、一八六七年和歌山市で生まれ、少年時代から読んだ本は一字一句暗記し、ずば抜けた記憶力、集中力をして、研究心の塊みたいな人であったそうです。十九歳で単身渡米、そしてイギリス等、十四年間の年月をかけて地球を一周した世界の探検家、植物学者の一人にも数えられています。翁の没後六十年を経た今もなお、多くの人々が翁の研究をしているところであります。その分野も、文学、民俗学、考古学、天文学、動植物学、心理学、哲学等々大変広範囲で、特に粘菌類の研究は世界的に有名であります。また、翁の語学は十数カ国語にも及んだと言われています。
 何といっても翁の晩年の最高の喜びは、昭和天皇への博物学の進講であったと言われています。昭和天皇は、昭和四年、南紀に行幸されました。当時、陛下は青年で、幼いころから生物に興味を示されていましたので、粘菌類についても海外から図書を取り寄せて勉強されていらっしゃいました。珍しい植物の樹木がよく茂る原生林の宝庫、田辺湾に浮かぶ神島にご案内され、熊楠翁よりキャラメルの箱に入れた日本産粘菌を献上され、陛下は熊楠の心遣いに大変喜ばれたそうです。これは、有名な話であります。その際翁は、「一枝もこころして吹け沖つ風 わが天皇のめでましし森ぞ」と詠み、行幸記念碑が神島に建てられております。
 時は経て昭和三十七年、陛下は再び白浜に来られ、ホテル古賀の井の屋上から三十三年前に上陸された神島をごらんになり、「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」──このようなお二人の間柄は、学問を通してかたく結ばれていたと思われるのであります。
 また、翁の歴史的な評価について申し述べてみたいと思います。
 まず第一に、一九〇六年の神社合祀令の反対運動であります。翁は、植物学者の立場から、神社がなくなれば森がなくなる、また小さな神社であっても、それを敬い信仰してきた集落の歴史や文化、伝統が踏みにじられるだけではなく、民衆のコミュニケーションの場をなくすることになる、また民俗学者の立場としても、日本人の土着信仰には山を見て、また大きい樹木を神として信じるという独特のものがあるとの信念のもと、猛然と反対運動を広げ、自分自身、十八日間拘留されるなど、中心となって頑張ったとあります。翁は、当時から自然保護思想の「エコロジー」という言葉を多用し、それが現在、日本いや世界でも大きな話題となっているのであります。翁は、我が国の自然保護の第一声であり、既に百年前から取り組んだ環境保護の大先駆者でもあったわけであります。その結果、先ほど申し上げました神島も国の特別天然記念物に指定されましたし、熊野古道、中辺路町の一方杉や多くの自然が崩壊から保護されたところであります。また翁は、大正十三年、和歌山城の堀を埋め立てる案にも猛反対をし、これを廃案にさせる等、学問の研究や実践活動を通して私たちの社会に大きな成果を残し、その評価についても、いろんな分野で研究が進むにつれて年々高くなっています。
 本論に入ります。南方熊楠翁の顕彰についてであります。
 現在二つの組織があり、一つは白浜に昭和四十年四月開館した財団法人南方熊楠記念館、もう一つは昭和六十二年六月に策定した田辺市の南方熊楠邸保存顕彰会であります。私は、今回、財団法人南方熊楠記念館について申し上げたいと思います。
 昭和十八、十九年にも、「学界偉人南方熊楠」や「博物学者南方熊楠の生涯」といった本が出版されていますが、戦後になり、東京、大阪、名古屋、和歌山等で文献、遺品、採取標本などの一部が公開され、南方熊楠展が開催されるなど、顕彰の機運と必要性が高まる中、昭和三十八年一月に天皇陛下の御製のご発表となり、記念館設立への機運は最高潮になり、当時の知事小野真次氏が代表発起人となり、趣意書ができ上がりました。発起人には、野村吉三郎(元駐米大使)、小泉信三(父が和歌山出身)、片山哲(田辺市出身・元首相)、佐藤春夫(新宮市出身)の郷土の大先輩や、財界、学界の大御所・渋沢敬三翁を代表にそうそうたる顔ぶれがそろい、不肖私の父町田義友も顧問に名を連ね、発起人会が開催され、小野真次知事が会長に、大橋正雄副知事が副会長となり、地元の浦政吉氏が昼夜を問わず、設立目指して活動を続けられたとあります。現在で言う民間活力であります。
 ここに白浜の浦政吉氏の日記がありますが、その中の「南方熊楠記念館の思い出」と題した小冊子に、当時の苦労話が書かれています。要約すると──神島を望む番所山に、世界に誇る南方先生の遺品、文献、資料を集め、日本随一の記念館をつくりたい。当時の小野知事も、早速、現地を踏査され、風光明媚で場所柄には申し分ないと、快く会長を引き受けられたのであります。以後、東京では小泉信三先生、野村吉三郎元駐米大使、そして当時の佐藤栄作総理大臣、大野伴睦副総理にもお会いしてご協力をお願い、快く協力いただき、ご浄財もちょうだいいたしました。県下各地の企業や個人、アメリカを初め海外移住者の方々、当時、総額三千五百万円余を基本浄財として、義宮殿下の建設おくわ入れも賜り、昭和四十年四月一日、すばらしい記念館が開館したのであります。
 記念館のその後の経緯を見てみますと、昭和四十六年十一月、当時の皇太子・同妃殿下、現在の天皇・皇后陛下がご来館になりました。開館当初は年間六万人を超える入館者があり、順調な滑り出しでありましたが、昭和四十八年、番所山植物園が過剰設備投資で経営不振となり係争が続く中、昭和五十七年四月の再オープンまで、約七年間にわたって閉館されたのであります。その間、関係者挙げて再開に向かって努力を傾けたのは、言うまでもありません。その後、平成三年ごろから、和歌山県人の作家・神坂次郎氏の「縛られた巨人 南方熊楠の生涯」、津本陽氏の「巨人伝」等がベストセラーになり、南方ブームが到来し、ピーク時に近い年間六万人の人たちが記念館を訪れたのであります。平成十二年、去年の十月、入館者は百万人に達し、北は北海道から南は沖縄までの全国津々浦々から、今なお根強い人気で南方熊楠館を見学に来てくれているのであります。
 長々と述べてまいりましたが、ここに記念館からお借りしてきた来訪者の感想文を書いたノートがあります。
 一部を紹介しますと、五十歳の北海道からの男性で、「テレビや本で見てぜひ記念館に来てみたかったが、十年ぶりに念願がかなって、熊楠翁に会えたような気持ちです。翁の努力といちずな生き方にあらためて感動を覚えました」。また、ある大学生は「翁の行き方について直接触れられ、ひたむきな努力と思い切った行動力、また学問のあり方についても考えさせられました」。もう一つ、小学校五年生の生徒は、「熊楠さんは、本を読んだら必ず書いておくということ。あんなに多くの筆写を見て驚きました。教科書で勉強した自然を大切にすることの大事さを記念館に来てよくわかりました。本当に偉い人だと思いました」。このノートを見てみますと、記念館を訪れる人は、八十八歳のお年寄りから幼稚園児まで、実に幅広い層の方々が翁の生涯に感動を覚え、満足して帰られているのであります。
 しかし、ここで一つ、このノートの中で気になることが書かれています。ことしの五月五日の来訪者が、「車いすの方が、エレベーターがなく、らせん階段には上れないとのことで、玄関前でずっと待っていらっしゃいました。改善できれば、より多くの方が喜ばれることと思います。バリアフリーを願いつつ」と書いてあります。記念館には私も何度も行きましたが、昭和四十年に建築された建物で、当初の状況とは変わっているものの、玄関口から上って記念碑のところに着き、記念館入り口のドア、中に入ってのトイレ、二階へのらせん階段、そして屋上へのこれまたらせん階段、本当に健常者の私でさえきつい構造であります。屋上からのパノラマを見たくても見られなかった障害者の方々、またお年寄りのことを考えると、せっかく記念館まで来ながら断念している姿を思い出したとき、バリアフリー対策にぜひ真剣に取り組まなければと痛感したのであります。
 昨年九月三十日に理事長に就任された木村知事、就任後、行かれましたか。副理事長の中山副知事、行かれましたか。
 次に、先ほど申し上げましたように、遠方の人々が訪れるすばらしい記念館がありながら、県下の小中高校の生徒がどれだけ入館しているだろうか。翁は、和歌山県が生んだ世界的偉人であります。現在の子供たちに必要な、自分の手で物を書くという重要性を教えることもできます。また、エコロジーといった、現在重要視されている環境問題にも百年も前から取り組んできました。先駆者でもあり、現在の学校教科書にも取り上げられているところであります。これらのすばらしい活躍された故人の生き方を、同じ和歌山県の未来を担う若い世代の人々に感銘を与えながら学んでいってほしいものであります。そして、県民の社会教育、生涯学習のテーマとして取り組んでいくことが故人の顕彰をすることでもあり、また私たちの生き方の中にご教示いただける大変大事なことと思うのであります。
 知事初め関係当局の答弁を求めます。
 重複しますけれども、今回の台風について、私は端的に以下のことについて質問いたします。
 平成二年九月、日置川町の殿山ダムの放流で、役場の職員が川を見回り中に行方不明になりました。また、農作物、道路、家屋等に大きな被害をもたらしました。殿山ダムの操作方法に問題があったのではないかと、当時この議場で浜本・大江両議員、そして私が質問に立ちました。ダム操作規則どおりにやったから災害が大きくなったのではないかとの質問に対し、当時の土木部長は「ダムの放流の仕方について(中略)ダムの操作規程は、河川法四十七条に基づき、ダムを設置する者があらかじめダムの操作方法について定め、河川管理者の承認を受けなければならないことになっております。殿山ダムにつきましては、ダム設置者である関西電力が定めたものであり、河川管理者である和歌山県の承認を受けたものであります。ダムの操作は、承認を受けた操作規程に従って行わなければならないことになっております」。すなわち、要約すると、昭和五十三年十二月一日から有効になった操作規則どおりにやったが、雨量が多かったから問題はなかったということでした。
 今回の七川ダムも、操作規則どおりにやったから問題はなかったと説明されてきました。しかし、平成三年に殿山ダムの操作規則を大きく変えることになりました。ここに、関西電力の「殿山ダムの新しい運用について」のパンフレットがあります。これによると、災害があった後、規則を変えろということから、「日置川町ならびに関係機関の皆さまと協議の結果「殿山ダム操作規程」の変更について平成三年九月七日和歌山県知事の承認をいただきましたのでお知らせいたします」と、このパンフレットを日置川流域の家庭に配られました。主な変更は、次のとおりであります。
 大規模出水が予測されるときは、貯水池の水位を予備放流水位からさらに三メートル低下させる。今言いました「大規模出水が予測されるとき」とは、過去の経験から出水を予測したもので、台風の中心が九百七十ヘクトパスカル以下で、中心が北緯三十度以北、東経百三十二度ないし百三十五度に達したときとされています。そのときには予備放水ができるようになりました。情報の伝達も、ダムの情報をよく県、町に伝達し、一般への周知としての警報は、設置している放流警報装置の信頼度を向上させるため、また停電の場合等、発信装置の二重化を行いました。また、大規模出水時には正確な情報を迅速に伝達するため、ファクス、ホットライン、それに社員を役場に出向させるとあります。
 まず、七川ダム放流に関する通知を行うべき関係機関とは、土木部長、どこを言うのか。県、町への伝達はどのような方法をとっているのか。県では、情報伝達に無線電話及び公衆電話とありますが、今でもこの方法でしているのか。また、地域住民への伝達方法についても教えていただきたい。
 今回の台風で、大島のマグロが大被害を受けたところであります。関係機関の中に串本町が入っておりません。事前の放流に通知があれば、養殖関係者の対応も違っていたかもしれません。今後、串本町及び養殖業者への通知をすべきと思いますが、お答えを願いたい。
 私は、今日までの打ち合わせの中で、県のダムに対する危機管理を疑うのであります。例えば、他のダムの操作規則の中で放流を報告すべき関係機関の一覧表のコピーをいただきましたが、整理ができていませんでした。まさに、操作規則は下流住民の生命、財産にかかわる、ダムに関する憲法であります。今議会で、七川ダムの操作規則を見直すとの答弁がありました。この際、災害が起こってからではなくて、すべてのダムの操作規則を見直すべきだと思いますが、土木部長の答弁を求めます。
 最後に、大島の養殖マグロのへい死についてでありますが、何人かの議員も今後の対策について質問されました。前段は省略しますが、県の魚はマグロであります。近大のおかげで初めて民間で取り組んだ事業であります。これで、万一業者が再出発できなければ、和歌山県からマグロ養殖の火が消えるのであります。業者のためではなく、我が水産和歌山県のためにも、財政厳しい中、特段の配慮が必要であります。谷議員への答弁を聞かせていただきました。ご努力に感謝しているところでありますが、今後もなお一層の取り組みを期待して、強く要望しておきます。
 そして、台風十一号の雨量と同じ雨が今後降らないとは限りません。大島湾内でのマグロの養殖について、ここでいいのか、ご検討、ご指導を願いたいと思います。
 以上で、質問を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。
○議長(井出益弘君) ただいまの町田亘君の質問に対する当局の答弁を求めます。
 知事木村良樹君。
  〔木村良樹君、登壇〕
○知事(木村良樹君) ただいま、南方熊楠記念館をつくったときの先人のご苦労について町田議員の方からお話を承って、本当に勉強になりました。町田議員のご父君・町田義友先生も大きくかかわられたということを改めて知り、本当に尊敬の念を深くしたところでございます。
 私自身、南方熊楠館へはもう三回ほど行っております。知事になってからは行っておりませんけれども、南方熊楠先生につきましては、神坂次郎先生の「縛られた巨人」であるとか「およどん盛衰記」とか、もうここ半年のうちに読みましたし、非常に関心を持っているところでございます。
 今、和歌山県が二十一世紀に何をもって県を売り出していこうかということを考えたとき、やはりこのすばらしい環境と自然が中心になってくると思うわけでございます。南方先生のブーム、今も続いていると思いますけれども、本当の意味で和歌山県のこれからの生き方を示唆する大変な偉人であるという気持ちを持っております。また、その南方熊楠記念館がもっと県内の──私は偉人顕彰ということも、今年度からもう進めておりますけれども、大きな事業として取り上げていかないといかんと思います。県内の市町村で学校に通う生徒が、自分の地域に本当の偉人がいたんだという気持ちを持って、この記念館をたくさん訪れるような施策も講じていかないといかんと思います。
 私ごとになりますけれども、私が大阪におりましたとき、大島元大阪市長、この方と大変仲よくしていただきまして、この方のお父さんが裁判官で、南方熊楠を裁いたというようなことがありまして、二人でそういうことについて何度も話をしたことを懐かしく覚えております。これからも南方熊楠記念館を大切にしていくことで、答弁とさせていただきます。
○議長(井出益弘君) 知事公室長小佐田昌計君。
  〔小佐田昌計君、登壇〕
○知事公室長(小佐田昌計君) 南方熊楠記念館のバリアフリーについてお答えをいたします。
 議員ご指摘のとおり、南方熊楠記念館のバリアフリーについては、懸案の事項となってございます。現在、記念館を運営しております財団法人南方熊楠記念館では、高齢者や障害者の方々が少しでも気軽に入館していただけるようバリアフリー対策について検討してございます。県といたしましても、今後、記念館と協議を進めるとともに、地元の白浜町とも連携をとりながら積極的に協力をしてまいりたいと考えております。
○議長(井出益弘君) 土木部長大山耕二君。
  〔大山耕二君、登壇〕
○土木部長(大山耕二君) 七川ダムの操作規則についてのご質問ですが、まず放流に関する通知を行うべき関係機関は、県河川課長、同東牟婁振興局串本建設部、古座川町長、同三尾川出張所、古座町長、串本警察署、同佐田駐在所及び佐田発電所の八機関であります。
 通知に当たりましては、NTT回線を用いましてファクスによる通知を行った後、電話による確認を行ってございます。NTT回線が不通の場合、無線電話を使用してございます。住民に対しては、操作規則に基づき、警報車及びサイレンにより警報を行ってございます。また、放流の通知の連絡を受けた町におきましては、町内放送により住民への周知が行われたところでございます。
 次に操作規則の見直しにつきましては、ほかのダムについても、今後よりよい操作を目指して関係機関と連携して鋭意検討してまいりたいと考えてございます。
 なお、通知を行うべき関係機関の追加等もあわせて検討してまいりたいと考えてございます。
 以上でございます。
○議長(井出益弘君) 教育長小関洋治君。
  〔小関洋治君、登壇〕
○教育長(小関洋治君) 南方熊楠翁と教育に関連してお答えいたします。
 二十一世紀を担う子供たちが、ふるさとの先人について学ぶことは、郷土に対する誇りや自信を培い、自己の行き方を考える上で極めて大切であると考えております。こうしたことから、県では副教材「ふるさと わかやまの心」や「わかやまDE発見!」を作成し、その中で南方熊楠を初めとする先人の生き方や業績を取り上げ、各学校で道徳の時間や総合的な学習の時間において活用しているところでございます。
 また、社会教育の場では、現在、和歌山、三重、奈良の三県がおのおのの持っている郷土学習用のビデオを共同で管理し、PRもし、一般に貸与する事業を展開いたしております。その中には南方熊楠に関するビデオも含まれておりまして、広く紀伊半島三県で利用に供されているところでございます。
 最近、南方熊楠記念館を見学する小中学生がふえつつありますが、多くの方々がこの記念館を学習の場として有効に活用され、一層深く学んでいただければ大変ありがたいと考えております。
○議長(井出益弘君) 答弁漏れはありませんか。──再質問を許します。
  〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(井出益弘君) 以上で、町田亘君の質問が終了いたしました。
 お諮りいたします。質疑及び一般質問は、これをもって終結することにご異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(井出益弘君) ご異議なしと認めます。よって、質疑及び一般質問はこれをもって終結いたします。
  【日程第三 議案等の付託】
○議長(井出益弘君) 次に日程第三、議案等の付託について申し上げます。
 ただいま議題となっております全案件のうち、議案第百十七号平成十二年度和歌山県歳入歳出決算の認定について、及び議案第百十八号平成十二年度和歌山県公営企業決算の認定についてを除くその他の案件は、お手元に配付しております議案付託表のとおり、それぞれ所管の常任委員会にこれを付託いたします。
 お諮りいたします。九月二十一日及び二十五日、二十六日は委員会審査のため休会といたしたいと思います。これにご異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(井出益弘君) ご異議なしと認めます。よって、九月二十一日及び二十五日、二十六日は休会とすることに決定いたしました。
 なお、委員会の会場はお手元に配付しておりますので、ご了承願います。
 次会は、九月二十七日再開いたします。
 本日は、これをもって散会いたします。
  午後二時五十七分散会

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