スポーツ偉人伝 大島 寛

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氏名  大島 寛(おおしま ひろし)

生年  1962年(昭和37年)生

競技  フライングディスク

区分  競技者

 1962年2月28日和歌山県和歌山市で生まれる。和歌山県立桐蔭高校時代は、バレーボール部エースとして活躍。3年次には主将を務めた。筑波大学バレー部を1年の秋に辞め、ニュースポーツとして台頭し始めたフリスビー(現在のフライングディスク競技)を始める。1981年関東大会のディスタンス(遠投競技)でデビューし初出場初優勝。筑波大4年の1983年全日本個人総合で優勝、日本一となる(その後1999年まで14度、全日本個人総合優勝)。近畿大学附属高校で体育教員となってからは、生徒を教える合間でトレーニングを続け、1984年U.S.オープンディスタンス9位、1985年U.S.オープンディスタンス17位であったが、1986年U.S.オープンディスタンス初優勝(アメリカ人以外が初めてタイトルを取る)。1987年U.S.オープンディスタンス2連覇。T.R.C(ディスクをキャッチするまでの走行距離を競う種目)優勝、M.T.A(ディスクの滞空時間を競う種目)で準優勝となりU.S.オープン個人総合部門でも準優勝を果たす。1988年フライングディスク個人総合世界選手権ディスタンス優勝。T.R.Cでは92.64mで世界記録樹立(ギネスブック掲載)。1990年U.S.オープン個人総合はディスタンス3位となる。1992年世界アルティメット選手権の栃木県開催が決まってからは、団体競技アルティメットに転向。1991年全日本アルティメット選手権で優勝。1992~1993全日本アルティメット王座決定戦優勝(1992年M.V.P獲得)。1993~1994年全日本アルティメット選手権優勝。36歳となった1998年世界アルティメット選手権で悲願の決勝進出を果たし準優勝、銀メダルを獲得した。1992年近畿大学教員となってからはフライングディスクの研究の成果を大学生とともに大会で実践。1993年近畿大学青踏女子短期大学の全日本新人戦3位、1994年近畿大学生物理工学部の全日本新人戦では多彩な戦略で優勝に貢献する。2015年日本レクリエーション協会 レクリエーション運動普及振興功労者。2020年文部科学大臣より生涯スポーツ功労者表彰を受ける。