スポーツ偉人伝 尾藤公


尾藤公の写真
硬式野球競技 指導者
1942(昭和17年)生
尾 藤   公
( びとう ただし )
 
 昭和17年10月23日和歌山県有田市生まれ。箕島第一小学校(現箕島小学校)4年生の時から野球を始め、箕島中学校を経て和歌山県立箕島高校に入学、高校時代は捕手として活躍。同校卒業後、近畿大学に進学し野球部に入部するが、腰痛のため野球を断念。地元に帰って和歌山相互銀行に3年間勤務した後、昭和41年~昭和46年、昭和50年~平成7年の計27年間にわたって母校の箕島高校野球部監督をつとめた。この間、選抜大会に8回、選手権大会に6回の計14回、甲子園に出場し昭和45年春、昭和52年春、昭和54年春・夏の計4回、全国制覇を成し遂げた。甲子園のベンチで見せた「尾藤スマイル」は全国的にも有名となり相手チームにとっては、その采配と相まって大きな脅威となった。昭和54年春夏連覇の偉業達成後に、多くの県民の期待に応えるとともに、夢や希望を与えた事が評価され、和歌山県スポーツ栄誉賞を受賞。また平成8年には、フィリピンで開催された第2回アジアAAA野球選手権大会の全日本高校選抜チームの監督をつとめ、第3位の成績を収めた。箕島高校野球部監督引退後は北海道、長野、新潟、富山など主に寒冷地の高校野球のレベルアップのため指導をつづけるかたわら、公益財団法人日本高等学校野球連盟の常任理事、技術振興委員会副委員長、プロアマ健全化委員会委員として健全な高校野球発展のために多大な貢献をし、また、春の選抜大会や夏の選手権大会では、テレビ・ラジオの名解説者として高校野球の発展のために尽力した。