スポーツ偉人伝 田中理恵


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体操競技 競技者
1987(昭和62年)生
田中 理恵
( たなか  りえ )
 
 和歌山労災病院で産声を上げ、和歌山市立紀伊小学校に入学。紀伊中学校、和歌山県立和歌山北高等学校を経て、日本体育大学に進学する。
 小学校1年生から体操競技を始め、体操という遊びの虜になる。高校3年生までに5人のコーチにお世話になった。
 小学校時代は基本を大事にしながら、のびのびと体操をしていた。中学校3年時の全国中学では個人総合3位になり、中学体操界に旋風を吹かせた。しかし、高校入学後は体格の変化や右足首の遊離性骨軟骨炎、また反抗期なども重なり、順調な練習のできない時期が続き。本人が苦しんだ時期であった。大学入学後、足首の手術を受けリハビリの辛さも経験するが、体操を続けることの出来る環境が整うと共に新しい喜びを感じていた。
 2009年、全日本体操競技選手権大会兼世界選手権予選ひとつのミスで6位になり、日本代表(ロンドンの世界選手権大会)を逃してしまった。自分のランクを知ると共に新たな目標がしっかりと見えてきた。
 2010年、体操競技続行のため日本体育大学大学院に進学。世界体操競技選手権大会(オランダ・ロッテルダム)に出場。兄の和仁と兄妹出場でもあった。日本女子団体5位に貢献した。個人総合17位と健闘する。また、最も美しい演技で観客を魅了した選手に贈られる「ロンジン・エレガンス賞」を受賞した。日本人女子選手がエレガンス賞を受賞したのは初であった。
 2011年、世界体操競技選手権大会(日本・東京)に出場。兄の和仁、弟の佑典ときょうだい3人に出場であった。日本女子団体7位。「体操田中3きょうだい」のことばがこのとき生まれた。
 2012年、日本体育大学大学院を修了。4月、同大学の研究院生として現役を続ける。同じく4月の全日本選手権の個人総合で初優勝する。また、5月の NHK杯体操競技選手権大会・女子個人総合において初優勝し、ロンドンオリンピック出場を決めた。兄の和仁、弟の佑典も五輪出場を決め、3兄弟揃っての五輪出場は日本体操史上初の快挙となった。オリンピックでは、団体の2大会連続決勝進出(8位入賞)に貢献。個人総合で16位の成績を収めた。
 2013年、「2020年東京オリンピック・パラリンピック」招致団にお一員として、6月15日にスイスのノーザンヌで開催されたオリンピック委員会連合総会と、9月8日にアルゼンチンのブエノスアイレスで行われたIOC総会でスピーチし、2020東京オリンピック・パラリンピックの招致に貢献した。