スポーツ偉人伝 浦武雄


浦武雄の写真

()()氏名  浦 武雄(うら たけお)

()生年  1914年(大正3年)生

区分  功労者

 恋野村(現:橋本市)で生まれ、同村で育つ。尋常高等小学校後、地元の役場に5年間奉職し、昭和10年、和歌山県警察官を拝命した。初任給37円という薄給のため、実家から食料品の仕送りを受けての耐乏生活を強いられながらも、職務には「愚直」、県民には「親切、融和」の姿勢を堅持した結果、「三惚れ(職場に惚れる、任地に惚れる、女房に惚れる)」を座右の銘とするに至り、警察歴28年の内、16年間に亘り警察署長等所属長を経験し、和歌山西警察署長を最後に退官した。昭和42年、和歌山県議会議員に初当選(以後6期24年間議員活動に従事)する1年前の昭和41年1月から平成18年までの41年間に亘り「和歌山県ライフル射撃協会」会長に就任した。その間、第20回国民体育大会において、関東・関西の本県出身学生、県警察官、鉄道公安官等の数少ない本県選手をまとめあげ、監督以下7名で県外大会初参加に尽力し、本県ライフル射撃競技発展の基礎を築き上げた。黒潮国体では、運営経験が少ない協会員の指導助言にあたり、ライフル射撃競技運営を大成功裏に導くと共に、大会参与として黒潮国体運営に多大の功績を記した。また競技力向上にひときわ力を注ぎ、多くの全国大会に優勝または入賞する選手を育成した。さらに国際大会に出場する選手も多く育て上げ、中でも勢見月文久選手(モスクワ・バルセロナ・ソウルオリンピックに出場)松浦 剛選手(第1回世界エアーガン選手権)山本 都茂子選手(第7回世界エアーガン選手権)を海外に派遣するなど、我が国ライフル射撃の競技力を国際レベルにまで向上させた業績も多大である。昭和54年には、地方自治の功労が認められ、藍綬褒章受賞、平成3年に勲三等瑞宝章を受賞した。