スポーツ偉人伝 岡本保


岡本保の写真

()()氏名  岡本 保(おかもと たもつ)

()生年  1923年(大正12年)生

区分  功労者

 大正12年、和歌山市に生まれる。箕島商業高校時代から相撲で活躍し、各地大会で個人優勝を重ね、関西学院大学進学後は早くからレギュラーに選ばれ、全国大会における団体優勝の一員になることも数知れず、また、学業においても精進し、まさに青春時代を謳歌していた昭和16年に太平洋戦争が勃発、学徒動員で将校として満州へ渡る。その地において余暇を見つけては部下と相撲に興じた日もあったが、終戦後シベリアに抑留されると相撲とは全く縁が切れてしまい、あらゆる辛酸をなめた。しかし相撲に対する情熱は冷めやらず、日本に帰国後、大学を卒業して県庁に奉職すると同時に、大学の後輩である北村弥三郎、神前美津男らに呼びかけて、昭和26年県庁相撲部を結成、実業団相撲界に名乗りを上げて、その年の広島国体に出場するなど活動を始め、当時の小野真次知事が「やるからには日本一になれ」と叱咤し、激務の暇を見出しては、県庁中庭の土俵際に座り込んで激励し続けたので、部員は日々稽古に取り組み、次第に相撲部は実業団相撲界において頭角を現し始めた。岡本は常勝軍団「県庁相撲部」の礎を築き現役選手を引退、その後、昭和33年から県相撲連盟理事長を務め、連盟運営、後進の指導、という重責を持ち前の強い精神力で成し遂げた。その後、県庁砂防利水課長代理を最後に県庁を退職して和歌山県議会に出馬。昭和34年に初当選し、9期連続土つかずの古参議員となる。併せて昭和46年から平成15年まで県相撲連盟会長や、全国アマ相撲界の数々の要職を務め、歴代の知事と力を合わせて今日の相撲王国和歌山の隆盛を導いた。また数々の業績が讃えられ、平成16年には勲三等旭日中綬章を授賞した。