スポーツ偉人伝 寺山恵美子


寺山恵美子の写真

()()氏名  寺山 恵美子(てらやま えみこ)

()生年  1937年(昭和12年)生

区分  競技者

 昭和12年、和歌山市で生まれ、小学・中学(明和中学校)・高校(県和商:主将)と地元で過ごす。中学時代近畿大会で優勝、高校2年在学中にスカウトを受け、高校卒業(昭和31年)と同時に日紡貝塚に入社する。翌昭和32年、国内の4大タイトルを制覇(都市対抗・実業団・国体・全日本総合)し、昭和33年6人制への移行とともにレギュラーになり、昭和35年全日本代表メンバーに初選出され、第3回ブラジル世界選手権で銀メダル、その後、昭和36年にかけてヨーロッパ遠征を含め、海外遠征で24戦全勝し、アフリカを除く3大陸制覇を成し遂げる。昭和37年の第4回モスクワ世界選手権でソ連を破り優勝し、この大会の最高殊勲選手に選ばれた。2年後の昭和39年、東京オリンピックにおいて圧倒的な力で勝ち進み、決勝戦ではあと1点に苦しみながらも最後にソ連を破り金メダルを獲得、「東洋の魔女」の名を不動のものとした。オリンピックを終えた翌々月の12月、周恩来首相の招きで参加した中国遠征を最後に現役引退し、昭和40年に結婚。同年には和歌山県スポーツ顕彰を受賞した。結婚後は地元ママさんバレーの指導を行うとともに、全国のママさんバレーの普及・発展に努めている。
平成13年9月ドイツにて、「FEDERATION INTERNATIONALE DE VOLLEY BALL 20世紀 Best Women’s Team賞」を受賞。
私にとってバレーボールは 青春のすべてだった・・・
勝利の喜びも 耐えがたい苦しみも 今は思い出だけど・・・・
あの頃の辛さや喜びは、今の私を支える大きな力です・・・・・・寺山恵美子